Music Mania

No Music No Life

大人の階段のぼる

2013年01月13日 | 日常
FMで嘉門達夫の「大人の階段登る時」という歌を聞いた。
この人の歌にしては、けっこうまともな内容で、明日成人式を迎える人に向けての曲だろう。
ここでは、人はどの瞬間に大人になるのだろう?
僕ははたして大人になっているのだろうか?
という疑問と共に、いろいろな事例が歌われる。

カードで買い物したとき
ワサビが旨くなったとき
サンマのハラワタが好きになったとき
初めて給料もらったとき
立ち食いソバ食ったとき
温泉で泳がなくなったとき
バーで「いつもの」と注文したとき
子供にオジサンと言われたとき
ネクタイが苦しくなくなったとき
親父と二人で酒を飲んだとき
健康診断がこわくなったとき
アイドルの顔が同じに見えたとき
子供の頃買えなかったものを大人買いしたとき
お相撲さんが年下に見えたとき
人の心の痛みがわかったとき
自分の限界に気づいたとき
親父の背中が小さく見えたとき
去り行く友を見送ったとき

以上が歌詞の内容だ。
もちろん、これは大人の本質ではないだろう。
大人であってもワサビが苦手な人もいれば、酒を飲めない人もいるし、アイドルが大好きな人もいる。

では、ロック音楽的に大人というのはどういう位置づけなのだろう?

本来ロックというのは反抗期のティーンエイジャーが、大人への反発の意味で聴くものだったと思う。
「つまらない大人にはなりたくない」というのがキーワードだったはずだ。
ここでいうつまらない大人というのは、世間体を気にし、長いものに巻かれ、自分を殺すような人間だったかもしれない。

現在40代半ばの僕は、おそらくつまらない大人なのだろう。
大人の階段を登った果てにあったのは、45年の年月を背負い、それに縛られてがんじがらめになっている自分だ。
それもまた、大人の一つの姿なのかもしれない。