昨日の夜、テレビで映画「そして父になる」を見た。
福山雅治主演の日本映画で、6年間育てた我が息子が実は他人の子だった、というもの。
実にいい映画だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/69/bf2f56b064bfed9015faec8201a071b8.jpg)
福山は一流企業に勤め、将来も有望視されているエリートサラリーマン。
都内の高層マンションに、妻と息子の3人で暮らしている。
家庭のことはほとんど妻にまかせっきりで、家の中でも仕事のことが頭から離れられないタイプ。
クルマはレクサス、息子はピアノを習い、私立の小学校への受験を控えている。
一方、本当の福山の息子が暮らしている家庭の父をリリー・フランキーが演じている。
地方の寂れた電気店、妻は弁当屋でバイト、子供は3人、基本的に暇なので、親子一緒にいる時間が長い。
積極的に子供と遊び、お金はないけど幸せな家庭を築いている。
クルマは店のロゴが入った軽バン、休日はショッピングモールのフードコートで家族みんなで食事している。
この福山家が育てた息子とリリー家が育てた息子は、生まれた直後にすり替わっていたのだ。
病院からこの事実を知らされた二家族は、苦渋の選択をしなければならない。
実の子をとるのか、育ての子をとるのか。
エリート家庭と下町庶民の階級差、教育レベル、将来への不安。
福山家で育つと、私立の学校へ入りそのままエリートコースを進むことになるが、その分、子供はあらゆる競争の矢面に立たされ、
のんきに遊んでいる暇などないだろう。
リリー家で育つと、のびのびとたくましく育つだろうけど、大学進学は厳しく、それどころか電気店が倒産すると高校進学すら危うい。
そうなると、将来性がひどく不安定になる。
いろいろ考えさせられる映画だ。
ところで、映画のストーリーとは関係ないけど、福山のマンションの書斎にはCDが詰まったラックと、オベーションと思われる
ギターが置かれている。
クラシックギターではなく、オベーションというところから、いちおうロックファンという設定だろうか(笑)
福山雅治主演の日本映画で、6年間育てた我が息子が実は他人の子だった、というもの。
実にいい映画だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/69/bf2f56b064bfed9015faec8201a071b8.jpg)
福山は一流企業に勤め、将来も有望視されているエリートサラリーマン。
都内の高層マンションに、妻と息子の3人で暮らしている。
家庭のことはほとんど妻にまかせっきりで、家の中でも仕事のことが頭から離れられないタイプ。
クルマはレクサス、息子はピアノを習い、私立の小学校への受験を控えている。
一方、本当の福山の息子が暮らしている家庭の父をリリー・フランキーが演じている。
地方の寂れた電気店、妻は弁当屋でバイト、子供は3人、基本的に暇なので、親子一緒にいる時間が長い。
積極的に子供と遊び、お金はないけど幸せな家庭を築いている。
クルマは店のロゴが入った軽バン、休日はショッピングモールのフードコートで家族みんなで食事している。
この福山家が育てた息子とリリー家が育てた息子は、生まれた直後にすり替わっていたのだ。
病院からこの事実を知らされた二家族は、苦渋の選択をしなければならない。
実の子をとるのか、育ての子をとるのか。
エリート家庭と下町庶民の階級差、教育レベル、将来への不安。
福山家で育つと、私立の学校へ入りそのままエリートコースを進むことになるが、その分、子供はあらゆる競争の矢面に立たされ、
のんきに遊んでいる暇などないだろう。
リリー家で育つと、のびのびとたくましく育つだろうけど、大学進学は厳しく、それどころか電気店が倒産すると高校進学すら危うい。
そうなると、将来性がひどく不安定になる。
いろいろ考えさせられる映画だ。
ところで、映画のストーリーとは関係ないけど、福山のマンションの書斎にはCDが詰まったラックと、オベーションと思われる
ギターが置かれている。
クラシックギターではなく、オベーションというところから、いちおうロックファンという設定だろうか(笑)
こちらは雨模様で肌寒く、
クロームキャストでひきこもりです。
https://www.youtube.com/watch?v=mnvlG5gYs8Y
など、今の本家より、本家らしい音出してます(笑)
さて、映画、
昨夜やっていたんですか?なかなか面白そうな内容
なので、見落としたのは残念でした。
取り違えとか、実際にもあるんでしょうね。
場合によってはこの映画のように両極にある家族の
ケースもあったりするんでしょうか?
今、子供の人生が、親の年収に大きく左右されるという
のが話題になっています。
昔は、貧しい家庭に育った子供の方がハングリー精神
に満ち、大成したなんて話が実際の成功者の話をモチ
ーフにドキュメンタリやドラマになったりしてますが、実際
のところはどうだったんでしょうね。平均したら、実際は今
も昔も変わらないのでしょうか?
少し前に朝のNHK番組で、貧困家庭にも、一般家庭と
同等の教育機会を与えるべきという話がありました。
頑張った人が結果を平等に分配するというのは、正直、
そこは人間、ビルゲイツなど一流な人でないとなかなか
できないこととは思います。(私にはできません(笑))
結果の平等ではなく、機会の平等
というキーワードが記憶に残りました。。
Youtube動画見させていただきました。
凄い先生ですね。
凄まじいテクで、音色もきちんとインギーしてますね。
いい先生です。
そして父になる、ですが、昨日の夜やってました。
子供の取り違えというのは、昭和40年代頃まではたまにあったようです。
映画の設定では、本来都内の病院で出産するはずが、福山が仕事仕事で妻を顧みないため、実家の近くの産婦人科で出産したとのこと。
そのため、格差のあるすり替わりになってしまったとなってます。
今、貧困の連鎖といわれ、どうしても教育格差が出来てしまいます。
お金のある家だと、エスカレーター式の私立にも行けますし、塾や家庭教師など、環境の整備もできますが、貧困家庭の場合、そんなわけにいきません。
とくにシングルマザーの家の貧困率の高さが問題になってますね。
結果の平等だと社会主義的になってしまいますが、機会の平等だと能力のある子は伸びる可能性がありますね。
ハングリー精神で成り上がりっていうのは、成功した人は本を出版したり、メディアでそれを声高に言ったりするので目立ちますが、その影で挫折したり失敗した人も多いんだと思います。
ただ、昔のほうが機会の平等は今よりあったかもしれませんね。
って事件がありましたね。
男性が育った家庭は貧しく、とても苦労した。
と、病院側を訴えていたのを思い出しました。
この映画は家族とは?
を、考えさせられるとても深いストーリーですね。
ありましたね、子供のすり替わりで人生損したって裁判してる人。
当時の世論では、育ての親に対する感謝はないのか、とか、そういう議論もあったと思います。
あのケースの場合、病院側が一方的に悪いので、おそらく噂をききつけた弁護士が裁判に駆り立てたんだと思いますが。
人生が損した、といえば冤罪ですね。
よく犯人でもないのに逮捕されて、何年、何十年も裁判をしてる人がいますが、無罪が証明されても時間は却ってきません。
土曜日の夜にみた「そして父になる」ですが、映画館で上映されているときから気にはなってました。
ようやく地上波で放送されたので見たのですが、かなり良かったです。