風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(39) 初めての給料

2013-06-10 | 生い立ちの景色
1961年3月。15歳の春。
入社後の導入訓練が終わり一人一人の配属先が決まった。
高卒の者は品質管理など製造のスタッフ部門へ、大卒は設計や開発などの技術部門に、俺ら中卒者は製造現場へ配属された。
俺は製造ラインの「完成」工程というテレビセット組み立ての最終工程に配属され、製品になったテレビセットを段ボール箱に梱包する作業をすることになった。ここに配属された新入社員の最初の仕事は、これに決まっているようだった。

組立てた段ボール箱の底にガムテープを貼って、テレビの底と上に入れる段ボールとともに梱包作業者のところに送り込むのだ。
1ラインの日産台数は500台で、1台当り50秒くらいの流れ作業だった。梱包作業をする先輩社員らが仕事がしやすいように積み上げて、途切れることがないように送らなければならない。最初はちょっとバタバタしたが、一週間ほどで、だいたいの要領がわかった。

ただ、底板と天板は肩に担いで運んでこなければならない。それには、そこそこの力とコツが要った。持ちにくく、ヘタすると持ちすぎて落としてしまうこともあった。
オレは百姓の子だったから、担ぐことは慣れていたので、どーってことはなかったが、隣のラインに配属されたKは、町んど育ちで経験がないもんやから苦労しとった。まだ、4月だというのに汗だくになっとた。

実は、俺ら新入社員は3か月間は本当の社員ではなく、試用期間みたいなものだった。この間に、欠勤が多かったり、仕事ができなっかたり、何か悪いことをすると本採用が取り消しになるのだ。ということで、この間の月給は6600円だった。本採用になると、月給は7300円になり労働組合員にもなるということだった。

今日、3月25日は初めての給料日。今月は入社日から締切り日の20日までの4日分だから千円ちょっとだった。
この日はちょっとだけラインが早く停まった。夕会の後に一人一人の名前が呼ばれて給料を渡された。一番最後だったオレは、大きな声で返事をして、きっちりお辞儀をして両手で受け取った。

生れて初めての給料だ。封を切らずに持ち帰って、おふくろに渡した。おふくろは、じっと給料袋を見て少し嬉しそうな顔をして「ごくろんさん」といった。俺も嬉しかった。