心を単一の現象ではなく、物質代謝レベルを含む多重構造の現象とみなす視点が私の「心の多重過程モデル」である。
そこには心身一元論も心身二元論もそれぞれの特定のサブシステム※において妥当とされ、
”心身一元論か心身二元論か”という高次の二者択一ジレンマが解消される。
※:今のところ、システム0〜システム4の五重構造
同様に、心についての多様な視点、すなわち脳科学、精神分析、行動主義、ゲシュタルト、ヒューマニスティック、そしてトランスパーソナルの学派の視点・理論も、それぞれ特定のサブシステムにおいて妥当とされる(言い換えると、これら単独では統合システムとしての”心”を捉え損なう)。
そもそも生物の基本活動は、物質代謝を利用した情報活動である
(その最も本質的な活動は、遺伝情報のコピーによる個体の複製)。
心の進化として重要なポイントは、思考・表象・自我機能のシステム2である。
ホモ・サピエンスはシステム2(高度な情報処理能力)を極限まで発達させた。
すなわちおのれの能力を超える情報処理装置を開発し、それに委ねることで、処理の進化を飛躍的に高めることに成功した。
これは生物としての進化の方向転換の契機を意味する。
実はシステム2が新たに切り開いた存在次元に霊性がある。
これは従来の生物学的存在とは別次元の、新たな存在論的方向を意味する。
言い換えれば、システム2レベルのサピエンスは、それまでの進化の過程で保持してきた動物的な志向性(生理的〜社会的欲求)と、新たに見出した脱動物的な超越的志向性(システム3以降)の2つの選択肢を得た。
多くのサピエンスは、いまだ前者の性的〜経済的欲求(システム1-2)の充足に人生を費やし、
それによって互いに傷つけ合い、争って、生物レベルの過酷な”生存競争”段階(暴力、殺人、戦争)に留まっている。
そういう従来型の生物的生き方ではなく、せっかく目覚めた霊性(システム3以降)にウエイトを置く生き方に移行してもいいのではないか。
そう気づいたサピエンスが2500年前に出現したが、その教えは時間経過に伴って変質してしまい、ほとんどのサピエンスにとっての実行困難さもあって、単なる物語となってしまった。
そこで今一度、現代的視点で、サピエンスなら誰でもが霊性を高められる方法を探求していきたい
(システム3を作動させるテクニックは「マインドフルネス」としてすでに流布している)。
ちなみに霊性の本質は”愛”である。
愛は動物起源の欲求に由来しながら、それを超越する力をもっている。
その超越とは、まずは自己から他者への超越であり、やがては人間から絶対者への超越につながる。
なので愛を実現するのに自己否定の難行に苦しむ必要はなく、
「煩悩即菩提」・「自利利他」という、連続性を前提とした質的転換(愛着・性愛→慈悲・隣人愛)を目指せばよい。