今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

富士見坂からの最後の?富士

2012年01月30日 | 東京周辺
今日こそ、谷中(西日暮里)の富士見坂から、ダイヤモンド富士(山頂に日が沈む)が見える日。
平日ながら、日曜の昨日に匹敵する人だかり(上写真.クリックすると少し拡大)。
数時間前から準備していそうな脚立の上で大きな望遠レンズ付きのプロ用カメラを構える人もいれば、
通りすがりに好奇心から群衆に加わって携帯電話の内蔵カメラを向ける人もいる。
逆に言えば、カメラを構えていない老若男女は、立ち止まる通行人以外には見当たらない。

なぜ、ここで富士を撮りたいのだろう。
ダイヤモンド富士のいい写真を撮りたければ、新宿の高層ビルからの方が絶対勝る。
そもそも東京からの富士なんて、東海道新幹線の富士川鉄橋からの裾野の付け根から山頂まで全身を惜しげもなくさらす富士を見慣れている身には、小さすぎて、少なくとも写真の対象になれない。

それでもこうして私自身も(新宿には行かずに)ここ富士見坂でカメラを構えるのは、
ここ「富士見坂」で富士の写真を撮るという行為に意味を感じるからだ。

実は、富士見坂からダイヤモンド富士を拝めるのは、今回で最後のようなのだ。
新大久保に建設中の高層ビルが、ちょうどここからの富士の前に全面的に立ちはだかるという。

昨日、ビルの建設に反対する地元の人による立派なパンフレットをもらった。
富士見坂からの富士を”風景遺産”とすべきという。
2004年、日本にも「景観法」が公布されたというが、
「東京に民家なんてもったいない。全部ビルにすべきだ」と主張する人がいる国だ。

試算によると、新大久保のビルの高さ160mを120mにすれば富士見坂からの景観は保てるという。
果たして、景観法を盾にそれを実現することは可能だろうか。
背景にいつも富士が見守っているという、北斎の「富嶽百景」でお馴染の江戸の風景をできるだけ残してほしい。


今日は残念ながら、富士の所だけ雲がかかって、富士そのものが見えなかった。

なので昨日撮った写真(部分拡大)を掲げる(ほとんど同じ写真が、朝日新聞東京版の夕刊1面に載っている)。

撮影散歩

2012年01月29日 | 東京周辺

冬晴れの日曜、買ったばかりのカメラ(NikonのCoolPix P7100)に使い慣れようと
(それと運動も兼ねて)、
カメラをぶら下げて谷中から上野を抜け、秋葉まで歩いた(駅5つ分)。
液晶ファインダが上下に傾くので、ローアングルから石仏を撮影。
コンパクトデジカメながら、シャッター音が出せるのがいい。
レンズが明るめなので(F2.8)、ストロボなしで撮れる点も満足。
谷中の定番の撮影ポイントを撮り歩き、
不忍の池のカモをややズームにして撮る(写真)。

秋葉では、むさいオタクの群れより、かわいいメイドさんにレンズを向けてしまう(肖像権を尊重して掲載を控える)。

夕方になって、谷中に戻り、今日のしめくくりに、富士見坂の上から夕日の富士を撮ろうと、富士見坂に向かったら、
坂の上部一帯が人でぎっしり詰っている。
皆、富士の方を向いてそれぞれのカメラを構えている。

群衆に加わり、ビルのあい間にかろうじて顔を出している富士を見てわかった。
日没の太陽が丁度富士にかかるのだ。
ただ、山頂からはちょっとずれていた。
明日か明後日頃がベストみたい(もう一度来るか)。
だが、富士の小ささからいって写真に撮るにはコンデジでは力不足で、一眼の数百ミリの望遠でないとダメ。

確かにここは江戸時代以来の富士を見る”名所”だが、
もっとよく見える場所は都内でも他にたくさんある(一番は高層ビル。屋外なら多摩川や荒川の堤防)。
現代版”富嶽百景”の1つには入る程度だ(それもいつまでもつか)。


発がんリスクを上げない

2012年01月27日 | 東日本大震災関連
被災地域の人々に対する健康問題として、発がんリスクが高まることが懸念される。
津波被害の人たちにもだ。
なぜなら、長期のストレスに見舞われているから。

仮設住宅に住んでいる人は、寒さや騒音などの物理的ストレッサーに見舞われているだろう。
では、放射線の恐怖に襲われている人たちはどうか。
可居住地域における”放射線”という物理的ストレッサーは、実は微量で影響は0に近い。
ただ、これを強調すると除染対策がおろそかになってしまうので、不要な心配を抑える程度にしたい。とにかく第一義は、空間線量を0.1μSv/h(≒年間線量1mSv)に下げることである。

むしろ問題は、精神的ストレス。
精神的ストレスは発ガンの直接要因にならないが(免疫力は弱める)、生活習慣を悪化させることで(喫煙、飲酒、過食、運動不足)、発がんのリスクを高める。
小さい子をもつ親の精神的ストレスが、自身の発ガンリスクを高めているかもしれない。
精神的ストレスは、発がんリスクを高めるだけでなく、神経症(不安障害)やうつ病(気分障害)など精神症状にこそ注意が必要。

線量が高いなら、その分だけ発がんリスクを下げる努力を余分にすればいい。
すなわち、トータルな発がんリスクを上げなければいい。
喫煙は、発がんリスク上、どれほどの放射線被曝量に等しいかご存知か(だいぶ前の記事で述べてある)。
愛煙家が禁煙することで精神的ストレスが高まってしまうという理屈もあろうが、
発がんリスク上では、禁煙に勝るものはない。
喫煙者は、わざわざお金を払って、強い放射性物質を吸い込んでいるようなものだ
(しかも周囲に副流煙をまき散らしている)。

半減期8日の放射線ヨウ素に対する防御はもう(とっくに)不要。
チェルノブイリ事故で子供たちが甲状腺ガンの被害にあったのは放射性ヨウ素であるから、
3月後半に、原発近辺での牛乳やキノコを常用していなければ大丈夫
(この時期、正しい放射線情報を公開しなかった政府の罪は大きい)。
実際、現地の牛乳は、酪農家が泣く泣く廃棄したので出回っていない(これに関しては政府の素早い対策が奏効)。

キノコは屋内の栽培物なら安全で、エノキタケは抗がん作用が期待できる。
露地物の野菜は、きちんと洗う(農薬除去と同じ発想)。
それでも心配なら煮沸すれば大丈夫(煮物料理ではなく、煮汁は捨てること!)。
魚も心配なら食塩水に漬けるか煮沸して後から味付けする(この辺の話は、昨年9/13の記事でより詳しく紹介)。
こういうことは、学校給食にも反映してくれた方が親も安心するはず。

過度に心配するのではなく、リスクを見極め、冷静に注意すること(意識の低い民間業者に注意が必要)。
これが精神的ストレスを高めずに安全を保つ方法だ。

後期終わり

2012年01月26日 | お仕事
先週で後期の講義が終わり、今日で試験が終わった。
さっそく祝杯といきたい所だが、試験の後は、最大の苦行である採点が控えている。
受講者が多い講義をいくつももっているので、大同小異の答案を、ときたま既視感に襲われながら延々を読み続け、その1つ1つに採点する。
学生の人生を左右しかねないものだけに、気を抜くわけにもいかない。

このような苦行なので、今までは、どうしても先延ばしにして、締切直前に、にっちもさっちも行かない状況に自らを追いつめていた。
だがその時の苦しさは尋常でない。
その反省から、今年は、試験が終わったその日から採点を開始した。

とにかく、仕事は先延ばしせず、できるだけ早く片づける。
最近になって、これで行くことにしている。

カメラを買った

2012年01月24日 | 生活
単なる記録のための安いコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)ばかりを使ってきたので、
そろそろワンランク上のモノ、つまり撮る楽しさを味わえるカメラが欲しくなってきた。

私にそう思わせたのは、昨年発売され、人気が沸騰した富士フィルムのカメラ(X100,X10)で、
もともとライカ病(20万円以上のライカのカメラが猛烈に欲しくなる一過性の病い)の既往症がある身には、あの型のカメラに弱いのだ。

あれこれ迷っているうちに、富士ではなくニコンのコンデジCOOLPIX7100に落ち着いた。
予算的に限度があるのと、やはり世界の”Nikon”を手にしたかった。
ライカとは似ても似つかぬが、古典的な光学ファインダーがあるのが唯一の共通点か。

大型量販店で昨日値段をチェックして、今日買いにいったら一日で2000円値下がりしていた。

高校時代は写真部だった私だが、しばらくカメラに興味をなくしていた。
でも、老い先短くなったせいか、手軽な趣味としてのカメラに戻ろうかと思うことしばしば。
カメラ撮影を趣味にすることは、毎日の生を充実することにつながりそうだからだ。

なぜなら、写真を撮るとは、日々の過ぎ行く時間の中から、感動の瞬間を選んで切り取る行為だから。
人類の不相応な願望として、「空を飛ぶ」、「海を渡る」のほかに、「時間を止める」というのがあろう。
カメラは、それを可能にする。
自分が感動した瞬間を、そのままでは消え去っていく時間の流れから切り取り、固定化する。
それがカメラだ。

さて、新しいカメラを手に、試し撮りとばかり、近所を散策する。
そうやってまず気づいたのは、自宅周囲の見飽きた空間の中で、”絵になる”場所と瞬間を探すようになる。
”絵になる”とは、それなりの美意識に基づいて心が動かされるという評価であるから、
日常の中にそれを求めるということは、自分の感性、ちょっとした感動に敏感になることである。
まさに期待通り。

そのようなシーンを選び、シャッターを押し続けているうちに、
逆に、カメラから遠ざかった自分を思い出した。
カメラで美の瞬間を捉えることは、自分の肉眼でそれを直接見ることを不可能にすることを思い出したのだ。

フィルムカメラの一眼レフの時もそうだった。
シャッターを押した瞬間、すなわち、感動の決定的瞬間、
間接的ながらも見ていた映像が見えなくなる。
もちろん、記録されるために。
その瞬間が固定されるために。

撮影行為の最大の欠点は、美の瞬間を切り取る作業に専念するため、その美と共在できないことだ。

もちろん、写真としてその瞬間は再現される。
だが、それは、少なくとも私の腕では、肉眼で感じたあの感動を再現してくれない。

それを写真として再現させようとするのが、私が進むべき道なのか。
いや、感動の記録ではなく、”写真ならではの表現”への道こそ、進むべきなのかもしれない。
Nikonとはいえ、手元のコンデジには重い期待がのしかかっている。

上野にお出かけ

2012年01月22日 | 東京周辺
日曜、天気が良かったら、ウォーキングに行こうと思っていたのだが、
あいにくの雨天。
なので屋内で時間をすごせる博物館・美術館に変更。
観たいと思う企画展を探した結果、
上野の西洋美術館で「ゴヤ」展が開催中なので、そこを目指す。

ついでにアメ横か秋葉で買物をしようと思ってバッグを大きめものに替えたのがいけなかった。
上野駅構内で、財布を忘れたことに気がつく(電車はSuica)。
まるでサザエさんだ。

家に取りに戻ってやり直し。

昼時なので、上野駅内外で食堂を探すが、どこも満席。
仕方ないので、昼食抜きでゴヤ展を見ることにした。

今回のゴヤ展の目玉は「着衣のマハ」。
いいかえると、もう一方のマハを拝めなかったのが何より残念。
空腹状態で観たせいか、自然に早足になって1時間で終了。

アメ横に向かって、ガード下の「昇龍」で餃子ではなく五目焼そばを食べる
(餃子には最適な大きさというものがある)。
その後は、駅前のヤマシロヤの5階で仏像フィギュアを物色し(欲しいのは6万もする)、
二木の菓子で珍味類を買い、
ヨドバシでカメラでハイクラスのデジカメを物色(迷う)。
秋葉に足を伸ばすのはやめて、帰宅した。
結果的に、いつもの小さいバッグで事足りた。

「フクシマではがんは増えない」

2012年01月21日 | 東日本大震災関連

これは先日入手した、中川恵一著『被ばくと発がんの真実』(KKベストセラーズ)の帯にある言葉。

最近、ようやく表題のような発言を冷静に受けとめられる空気がでてきた(半年前だったらコテンパンに叩かれていたろう)。
私が昨年3月以来繰り返してきたことは、放射線と健康との問題について、正しい情報を得るには、放射線医学からの情報以外にはない、ということ。
つまり、放射線の健康への影響についての確かな情報源は放射線医学者であって、(京大助教や中部大教授のような)核物理学者ではない。
情報として信頼できないのは、原発の安全神話を垂れ流した推進派の御用学者だけではなく、
核技術を全面否定する世論を作ることに躍起の反原発運動家たち(とその御用学者)とて同じ。

この本は、放射線量と発がんリスクをともに定量的に評価することがまだできていない人に向いている。
この本では、東京から関西へ避難することのナンセンスさもきちんと述べられている(私が昨年3月のブログで言っていたこと)。
それと”内部被曝”を過大にアピールする筋に対して、サプリメント販売との連繋性を示唆していた
(体内除染は日常の食品の選択で可能)。

だが(本の話題から離れる)、
福島での建材への放射性物質の混入にはあきれ果てた(業者の法律違反ではないが)。
関東以南の”過敏症”に苦々しい気持ちになる一方、
福島県内での”鈍感症”の蔓延にいっそう心が痛む(業者は浪江町の汚染状態に鈍感すぎ)。

今日、東京の実家に区報が届き、区内のいろんな所の放射線の計測値が載っていた。
そこに載っている値は、地上1mの計測値。つまり空気中の値。
いずれも0.1-0.2μSv/h(γ線のみの値)。
これらは事故前のおよそ2倍の値。
この値が今後もずっと続くだろう。

ついでのこの値は、私がずっと計ってきた愛知・岐阜の平常値とほぼ同じ(専門家なら知っている)。
今の東京の値は西日本では平常値。
なので、東京から関西に避難する意味はまったくない。
次は東海・東南海・南海のM9の三連動地震(西日本大震災)かもしれないし。

ただ西日本と違うのは、東京では地面の値が高いのだ。
福島以外の東日本では、今は地上ではなく、地面の値が重要(それらは測定も公表もされていない)。
東京では雨どいの下などは1μSv/hを越す(γ線+β線の値)。
これは福島市の空気中の値に等しい。
もちろん、空気中と地面の値の人体に対する影響度(つまりβ線の影響度)は異なる。
なので、避難する必要はないが、地面に対して、それなりに注意を怠ってならない。


国会図書館、耐震補強中

2012年01月21日 | 防災・安全
帰京して、永田町の国会図書館に行った。
そしたら旧館の入口から入れず、新館から入り、
しかも利用カードが新しくなったため、切り替えもさせられた(入館手続が簡単になるので歓迎)。

パソコンを持ち込んでの作業は旧館の方がやりやすいので、旧館に進むと、
内部は、耐震補強の工事中だった。
確かに旧館は、どうみても1981年以前の旧耐震基準による建物だ。
考えてみれば、今まで倒壊の危険のある建物に通っていたわけか。

実際、昨年の3.11の時、ここから近い九段会館(旧耐震)で震度5強の地震による死者が出た。

防災の授業で、学生に自宅の耐震チェックをさせると、
当然ながら旧耐震のままの家が出てくる。
食糧の備蓄はしていても、耐震補強はしていない。
防災対策として優先順が逆であることを学生には伝えるものの、
そこから先が動いてくれないのが口惜しい。

後期授業終了

2012年01月20日 | お仕事
本日で後期授業が終わった。
来週に後期試験を終え、その後は成績をつければおしまい。
2月は一般入試があるが、駆り出されるのは一日だけ。

というわけで、気分はすでに”年度の終わり”。

今年度頑張って全講義ノートのプレゼン化をやったので、来年度の授業の準備は微修正でいい。
すると、2-3月は研究資料を基礎的なレベルからじっくり読む時間がもてる。
夏休みは論文執筆に費やされるので、春こそ大切な充電期間なのだ。

仕事片づける

2012年01月15日 | お仕事
鳥羽の宿で、二日目の昼過ぎ、やっと2科目分のレポートチェックを終えた。
はやり2泊必要だった。

気分転換に、車で近くのスーパーに夜食の買い出しに行く。
せっかくなので夜酒用の地酒の小瓶(300ml)も買う。
やるべき仕事を終えた最後の夜なので、ちょっとした祝杯気分にひたりたい。

ほかにまわる所もないので、宿に戻り、今週の最終講義のプレゼン画面を作る。
これでだいぶ楽になった。

仕事は前倒しして片づけておくのが一番。
ところが、日々の生活ではそれがなかなかできない。
なのでこうして、それをするためだけに温泉旅に来たわけ。
この旅費を必要経費に計上したいくらい。

鳥羽の宿

2012年01月14日 | 
センター試験のある週末。
私はその仕事から免除されているので、三重県の鳥羽に来ている。

後期試験を前にして、授業中に出した中間レポートを今のうちにチェックするため。
この作業、採点と同じくらいに大量でしかも集中力を要する。

なので、研究室や自宅ではなく、宿に篭ってやってしまおうというわけ。
つまり、年末のような完全リラックスの旅ではなく、いつもの”仕事でお篭り”の旅。
もっとも、それだけなら近場のビジネスホテル(ただし大浴場付き)でもいいのだが、
リラックスや気分転換もしたいので鳥羽まで来た。

三重の伊勢地方まで足を伸ばしたのは久しぶり。
三重も亀山以南はやはり遠い。よくいく東濃の倍以上の距離がある。
なのでオールド・ミニの運転手としては、ほぼ限度の距離。

近鉄やJRの鉄道も便もあるので、そっちで来ようか最後まで迷った。
でも、車の方が伊勢神宮などいろいろ寄り道しやすく(そのかわり、運転中は何もできない)、
荷物も多いので、車にした。
名古屋から伊勢までずっと高速道なので、距離の割に速いが面白くもなかった。

宿は、「かんぽの宿鳥羽」。
いちおう温泉だ(加水加温塩素入り循環だけど)。
でも建物は年期が入っていて、同じかんぽでも「恵那」のような休暇村並のリッチ感はない(客室はリニューアルされて新しい)。
確かに半分の距離の「恵那」の方が魅力が高いが、ここの売りは温泉ではなく海の幸。

ここで2泊して、風呂と食事の時間以外部屋に篭って、たまったレポートを総チェックする。


餅は煮込むと危険

2012年01月09日 | 防災・安全

七草がゆに餅を入れて煮込んだ。
その餅は、粘性が増して容易に噛みちぎれず、
同時に熱いので早く呑み込みたくなる。
結果、大きな塊のまま喉をかろうじて通過していった。
正直ひやりとした。

正月、餅を喉に詰らせる事故が多発するが、これだったのか。

我家では、正月の餅は、大好きな礒部巻きは勿論のこと、
雑煮の場合も焼き餅にしてから入れるので、
煮込まず、表面が焼き固められた状態のままとなる。

焼き餅にすれば、表面が堅いので、そのままでは呑み込めず、どうしても噛みちぎる。
結果、餅は細かい状態で喉を通る。
なので、どうして餅が喉に詰るのかわからなかった。

餅は煮込まぬこと。焼くに限る。


紙資料電子化のメリット

2012年01月08日 | 時事
紙資料を電子化するメリットにはいくつかある。

1.ファイリング(冊子)の自由度が高い。
大きさが相異なった資料も同一ファイルにまとめられる。
たとえばポジ写真と名刺と書類を1つのファイルに冊子化できる(ページごとに画面の大きさが異なる)。
書架だとA4と四六版と文庫とを並べにくいので、外見の大きさで揃えたくなるが、
これだと情報検索的には良くない並べ方だ。
電子ファイルにはこのようなジレンマが起きない。

2.ページの入れ替え、削除が自由
必要な部分だけを別個に冊子化(分冊化・抄録化)できる。
読む気が失せるほどの分厚い本も、分冊化すれば、気が楽。

3.冊子間をまとめてワード検索できる。
研究者にはこれが一番メリット。
文献研究そのものが飛躍的に効率化する。
索引で探す作業がなくなる。

4. 持ち運ぶ必要ない
クラウドサーバに入れておけば、任意の場所でダウンロードできる。

5.かさ張らない
たとえ持ち運ぶ場合でも携帯メディア以上の嵩、重さがない。
私のiPad2には十冊以上のハードカバーの書籍が電子化されて入っている。

6.文字などを任意に拡大できる。
老眼者にとって朗報。
昔の小さい活字の本は電子化することではじめて読む気になる。

7.画像・図表の引用(コピー)が楽
プレゼン用の資料作成が楽になる。

デメリットもある。
1.書き込みがしにくい:可能ではあるが、手書きよりめんどう。
これくらいかな。

以上は紙資料を電子化することのメリットであり、最初から電子化されて販売されている”電子書籍”のことではない。
電子書籍はpdf形式でないため、検索や書き込みができない。
なので、私は電子書籍は購入せず、紙の本を買って電子化(pdf化)する。
書籍としても保存したい場合は2部購入する。
どうだ、出版社さんよ。文句あるまい。

紙資料を電子化三昧

2012年01月07日 | 時事
年末に実家でもページスキャナと事務用の裁断機を買って、
昔からある書物・書類をどんどん電子化している。
もちろん、パソコン・iPad・スマホで閲覧するため。

書物だけでなく、手書きのノートや名刺、アルバムに入りきらない昔のポジ写真も、
この電子化の波から免れない。

それらを電子化する理由は、
1.単に捨てきれずに保管していただけのものであり、捨てるに忍びないだけのものは、電子化することで、
捨てることができる。捨てることで、空間が空く。

2.使わないために取り出しにくい所に保管していたので、なおさら使わなくなっていくという悪循環を断ち、情報を有効に利用できる。電子化した方が利用しやすいのだ。
特に活字はOCR化されるため、パソコンで検索できる。
以上、空間の増床効果と、情報の利用効果が上がるのだ。

ただし、すべての紙(本・ノート・写真など)を電子化して、廃棄すべきかというとそうでない。
電子化することで、本はバラバラにされるため、古書店に売れなくなる(資源ゴミとなる)。
なので文化財的価値がありそうな貴重本はそのままにしておいたほうがよい。

それから、電子化することは、情報的保存性が高まるかというと、実はそうでない。
電子化=pdfファイルにしているわけだが、これは私企業であるアドビ社のファイル形式にすぎない。
数十年後、はたしてこのファイル形式が残っているか、…いない可能性が高い。

また、電子情報を保管しているサーバ、HDD、DVDなど記録メディア自体に物理的寿命がある。
もちろん、そうなる前に複製して別の記録メディアに移せばよいのだが、
そのタイミングを逸すると、一瞬ですべてが消えてしまう(大震災の津波でも)。
実は、一番保存性が高いのは、これら記録メディアではなく、なのだ。
前者は長くて100年、後者なら1000年。
なので、幾代にも渡って伝えていきたい情報は紙(できたら丈夫な和紙)にしておくべきだ。
ただ、古くなっていまにも壊れそうな紙資料は、読めなくなる前に早めに電子化すべきだ。

というわけで、紙(宝物)として保管しておく価値はないが、
捨てるには忍びない程度の紙資料こそ、電子化に値する。
私の書架に納まっている大半がそれに当る(残りの大部分は、捨ててかまわないもの)。

とりわけ、博物館・美術館で買った分厚い解説書(たいてい二度と見ない)や、利用価値はないが懐かしい学生時代の手書きノート、毎年たまる年賀状などは電子化に向いている。

昔のわが青春時代(中学~大学院)の日記は、紙として後世に残しておきたくなかったので、
思い切って溶解処理してしまったことが、今となっては悔やまれる(パスワード保護できるpdf書類にできたのに)。

仕事始め

2012年01月05日 | お仕事
世間では昨日が仕事始め。
私は一日遅れて今日。

朝に東京を発ち、昼過ぎから大学で会議を3つこなした。
冬休み明けだけに、たいした懸念事項もなく終了。

二週間ぶりの棲み家は冷えきっていたが、
置きっ放しだった愛車は無事に作動。
風呂上がり、久々に体重を測ったら、2kgオーバー。

明日からもう授業。
今どきの大学は小学校より冬休みが短い。

週末は連休となるので、また帰京する。
本格始動は来週から。
徒歩通勤+昼食抜き生活も再開するので、体重も自然に減っていく(だろう)。