平日ながら、日曜の昨日に匹敵する人だかり(上写真.クリックすると少し拡大)。
数時間前から準備していそうな脚立の上で大きな望遠レンズ付きのプロ用カメラを構える人もいれば、
通りすがりに好奇心から群衆に加わって携帯電話の内蔵カメラを向ける人もいる。
逆に言えば、カメラを構えていない老若男女は、立ち止まる通行人以外には見当たらない。
なぜ、ここで富士を撮りたいのだろう。
ダイヤモンド富士のいい写真を撮りたければ、新宿の高層ビルからの方が絶対勝る。
そもそも東京からの富士なんて、東海道新幹線の富士川鉄橋からの裾野の付け根から山頂まで全身を惜しげもなくさらす富士を見慣れている身には、小さすぎて、少なくとも写真の対象になれない。
それでもこうして私自身も(新宿には行かずに)ここ富士見坂でカメラを構えるのは、
ここ「富士見坂」で富士の写真を撮るという行為に意味を感じるからだ。
実は、富士見坂からダイヤモンド富士を拝めるのは、今回で最後のようなのだ。
新大久保に建設中の高層ビルが、ちょうどここからの富士の前に全面的に立ちはだかるという。
昨日、ビルの建設に反対する地元の人による立派なパンフレットをもらった。
富士見坂からの富士を”風景遺産”とすべきという。
2004年、日本にも「景観法」が公布されたというが、
「東京に民家なんてもったいない。全部ビルにすべきだ」と主張する人がいる国だ。
試算によると、新大久保のビルの高さ160mを120mにすれば富士見坂からの景観は保てるという。
果たして、景観法を盾にそれを実現することは可能だろうか。
背景にいつも富士が見守っているという、北斎の「富嶽百景」でお馴染の江戸の風景をできるだけ残してほしい。
今日は残念ながら、富士の所だけ雲がかかって、富士そのものが見えなかった。
なので昨日撮った写真(部分拡大)を掲げる(ほとんど同じ写真が、朝日新聞東京版の夕刊1面に載っている)。