今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

自分の2017年を振り返る

2017年12月31日 | 歳時

年末恒例、今年の振り返り。
このブログの趣旨に従い、自分の身辺に限定する。

カレンダーアプリと本ブログをもとに今年を振り返ってみたら、例年より温泉旅と登山の回数が少なかった。
旅先を他に変えたのではなく、旅自体が減ったから。
その最大の理由は、仕事。
理由が仕事なので、本ブログにはあまり記さなかったが、本年(特に4月以降)は、勤務校での「公認心理師」資格対応に追われた一年だったのだ。
具体的には、授業の対応(新規科目の開設と従来の授業内容の変更)、実習先の確保、さらに担当教員の確保などである。 
このため心理系の教員が各自で動く必要があり、 そのための会議が頻繁に開かれた。
実は、その会議を開く委員長がこの私。
忙殺されたわけだ。

 ●温泉旅が減ったのは、上記の理由で遠出できないためで、行った先も従来の近場の宿中心で、新規の温泉宿は三谷温泉の明山荘と伊東温泉のウェルネスの森、それに伊良湖の伊良湖シーパークとビジホのABホテル小牧(ただし後の2つは運び湯)。
こう数え上げるとそれなりにあるな…。
温泉ではないが、設楽山荘の木の風呂は良かった。 

●登山が減った一番の理由は、山の下りで腸脛靱帯炎が必発するため。
発症すると歩行困難になるので、下りが長い高い山にはもとより行けない。
なので結果は次の通り(括弧内は標高と発症具合。「最後に発症」は下山しきった時に痛み、歩行困難にはならなかった場合)。
瑞浪権現山(600m,なりかけ)、石老山(702m,最後に発症)、御在所岳(1161m,無事)、猿投山(630m,無事)、高尾山(599m,最後に発症) 。
御在所岳は、標高810mからの登山なので高度差は小さい。
愛知の猿投山が無事で、石老山や高尾山がダメだったのは解せない。
名古屋発の猿投と御在所と権現山は登山用でない靴だった。 

新しく訪れた所は、三重県鳥羽沖の神島。
2時間かけて島を一周し、頂にも登った。
千葉の”チバニアン”(松山逆磁極期の地層)にも指定される前に行った。
地磁気の測定器持参がお勧め。

東京では、川歩きが続いた。 
野川、玉川上水では武蔵野の風情を味わい(特に深大寺)、都心を流れる目黒川、隅田川も道が整備されている。
隅田川で感じたのは、都心の特に東部低地を流れる川は、防災の視点で見る必要があること。

●昨年に宣言しながら、今年実現しなかったのは、東日本大震災の被災地を再訪すること。
上記の多忙のためというのは、言い訳になりそうで、実際には私の心の中でも風化しているためだろう。
できたら宮古などを訪れたい。 

●今年宣言して、着実に進んでいるのは、スピリチュアル方向の解禁。
ずっと続けていた茶臼山のパワースポットでの計測が中日新聞に載り、大学の「易学研究会」の顧問になった。
それを機に易の本格的な勉強を開始し、筮竹で易占をするようになった(今年一番多く読んだのは易の本)。
ダウジングの道具(ペンデュラム、ロッド)を購入し、潜在意識との交信ができるようになった。
夏休み中に気功の教室に通おうとしたが、合う所がなかったので、自習で励んだ(内気を循環させる)。
その結果、手のオーラが見えるようになり、今月になって色も見えるようになった。
自分のサイキックパワーは着実に向上している。
問題は、この現象を心理学理論にどう組み込むか。
それは私の4重過程モデルにおける「システム3」(≒マインドフルネス瞑想)によって創発される「システム4」として位置づけられる。
マインドフルネス瞑想が心理学における位置を確保したことから、次のシステム4(≒トランスパーソナル)も心理学内に正統に位置づけられるのも可能だ。
ただ、そのパワーの客観的計測ができないのが、なんとももどかしい。
私が使っているサーモグラフィなどは間接的でしかない。
かといって「波動測定器」や「キルリアン写真」では科学的計測とはいえない。

●ノルマとしている論文2本もなんとかこなせた(2本が限界になっている)。
1本は上の「システム3」の理論的詳細化(システム4も暗示している)。 
もう1本は「日進」(愛知県日進市)の1年分の気象データの分析。 
そういえば、「本駒気象台」も再開して1年を迎える(1年分のデータが溜まっている)。 

●自分の身体については、まずサージカルテープを睡眠時に口に縦に貼る事で、口腔内の乾燥を防ぐだけでなく、睡眠時無呼吸症をも防ぐことがわかった。
もう毎晩欠かせない。
春に虫歯治療と歯石を取った。
夏には胃カメラを鼻から入れられ、良性のポリープが確認された。
大腸カメラも初めての体験。
こちらはポリープをその場で切除。
大腸ガンの疑いが晴れたのにはホッとした。

年末に、イタリア在住の姉が訪れ、久しぶりに三人の同胞が揃って(その母も一緒に)実家で正月を迎える。

以上、今年も大過なく、それなりに進展があった。
身体の老化も進展したようだが。


限界の高尾山

2017年12月29日 | 山歩き

年末の予定が次々こなされ、あとは懸案の”山歩き”が残っている。

山の下りで左脚の腸脛靱帯が痛んで歩行困難になる。
これでは大好きな山に行けない。

左脚の衝撃を緩和する策として、歩幅を小さくし、爪先着地を心がけるといいのではないかという案がひらめき、半年前の御在所岳(高度差350m)でいい感触を得た。
今回、それを検証したい。

また、靴を”余裕のある”ものから”ぴったりする”ものに変更し、それについてもいい感触を得たので、山の靴も足サイズぴったりのものを購入したため、それも試したい。

今までの経験上、登山限界は標高700mなので、それに見合う山を予定していたのだが、
登山は少なくとも前日からの準備と当日の早起きが必要なことが年末のだらけた自分にネックとなり、
前日何も準備をせず、当日はいつもと同じ8時すぎに目覚めた時点で、700mの登山はあきらめ、
なにも準備せずふらりと遅出で行けるありがたい山、高尾山(599m)に行く事にした。

今では大人気の山だが、さすが年末なので、人出もいつもよりは少なかろう。
10時発の京王線に乗り、高尾山口に降り立って、登山口でルートを決める。
勝手知ったる山でしかもルートがたくさんあるから、それができる(しかも飽きない)。

なんの心配もない登りは、最短ルートで行きたいので、沢沿いの6号路で琵琶滝まで行き、そこからでケーブル駅のある霞台に直登し、2号路に出てからメインルートである1号路で薬王院を経て山頂に向う。

この登りの時点で、もう左膝に違和感を覚える。

薬王院で参拝すると、ここにも寺で”二拝二拍手一拝”の神社式礼拝をそれが正しいと信じてやる人がいた。
もちろんいい歳した大人の日本人(しかも複数)。
今ではどこの神社にも丁寧に礼拝の仕方が説明してある。
寺にはそれがない。
その結果だ。
日本人の”常識”に頼れない現在、仏教寺院でも仏式礼拝の仕方をまずは日本語で説明する必要がある。

もっとも私自身は、明治政府の「神仏分離」を日本人の自然な宗教心の破壊と感じ、神仏習合の復活を願う一人。
それに真言宗は”神も仏も”の伝統が生きており、奥の院は”権現堂”なので、そこは神式の礼拝でもいいかもしれない。
だから「神仏は一体なり」と確信犯的に寺で神式の礼拝をするならそれでOKだが、単なる無知でやっていたら恥ずかしい。

1号路はゆるい登りで山頂に着く。
登り口から標準タイム90分のところを65分で来たからまずまず。 

山頂から少し下ると正面に富士が見える(写真)。
昔の高尾山頂は樹木が茂って展望がなくつまらなかったが、樹木を切り開いたためなのか、富士も都心も見えて気分がいい。

いつもの休日なら昼時の山頂は昼食を取る人たちで立錐の余地がないが、さすがに今日は空間に余裕がある。
山頂にはもとからある曙亭とやまびこ茶屋の他に新しい茶屋も開いていたので、もりそばを注文した。
店はアジア人の夫妻が切り盛りしていて、味とサービスに一瞬不安を覚えたが、サービスも日本語も問題はなく、そばも手打ちでおいしかった。 

さて、問題の下りだ。
高尾山は限界標高である700mに100m低いので、ここは強気に、一番長い稲荷山ルートを取る。
このルートは整備された「n号路」ではなく完全な山道。
しかも、持参したストックもあえて握らずリュックにつけて、膝用の鴻江ベルトも巻かずにおりる。

ただし歩幅は短く、爪先着地(正しくはフラット着地で心持ち爪先が先)で降りる。
軽快な足の運びになりそうなのをあえて抑えて、 先を行くおばさんグループと同じペースで降りる。

稲荷山の展望台からはスカイツリーや筑波山も見えた。
高尾山は、午後になっても、登ってくる人がいる。
確かに、この山は安全だし(特に1号路)、この展望なら日没の富士や、東京から横浜の夜景がきれいに違いない。
今は駅前に夜までやっている日帰り温泉もあるので、今度は日没登山でもやってみるか。

と気楽に思いながら、足下に下界が見えてきた頃、にわかに左脚がうづいてきた。
このまま左脚を使うと耐えがたい痛みが来ることがわかる感触。
最後の階段は、一段ずつ右足で降りた(ここまで高度差390m)。 

登り口に降り立ち、ここから先は平坦なので、左脚の感覚は元に戻ったが、
私の心は敗北感に満ちていた。
都民のハイキングの入門である高尾山が私の限界の山になってしまった 
これでは日没登山も無理(下りにケーブルを使う以外は)。

ちなみにぴったりの靴は、足が痛むことはなかったが、もう少々余裕がほしい感じだった。
こちらは履き慣れてくればなんとかなりそう。 


オーラの色が見えた!

2017年12月27日 | パワー・スピリチュアル

今まで、気功をやると自分の手からオーラが厚さ5-10cmほどに拡がるのは見えていたが、それはほぼ透明な輪郭線のようなもので、その輪郭線とビリビリ感を与える距離が一致していることもわかった。

オーラの本では、オーラに色がついているのがさも当然のことのように書いてあるが、色はどうしても見えなかった。

そこで、ダウジングで自分の色を尋ねてみると、「黄色」という答えだった。

だが、その答えを得てからも、自分の手のオーラに色は見えなかった(これでオーラの知覚が暗示効果でないことがわかる)。

オーラの色が見えないのは、いつも気(オーラ)を出す時はテレビの液晶画面などの黒い面を手の背景にしていたからかもしれない。
その背景の方が、透明な輪郭線はよく見えたから。

でもオーラの本では、むしろ白を背景にすることを勧めている。

そこで、今日は、白い壁に向って気功をやって両手から気を出してみた。

すると両手の指先から出るいつものオーラが青くなって、目の前に伸した両手を左右に開くと、残像のように指に添って青い線が指の数だけ水平に拡がる。

これほど色が鮮明に見えるとは思わなかった。

ちなみにテッド・アンドリューズの『あなたにもオーラは見える』(伊藤綺訳)によると、オーラの色はコンディションによって変化するが、個人の基本色はあるようで、
それによれば青いオーラの人は「献身、真実、まじめさ」を表し、霊能力を開発する能力も暗示するという。
ちなみに、その時、胸に下げていたパワーストーンは青い「瑠璃(ラピスラズリ)」 。

違う色が見えないか、明日も試してみる。


旧家族での伊東温泉

2017年12月26日 | 

クリスマスと大晦日の間に、賀状書きが終わったら、年末の慰労の温泉旅を一泊することにしていた。
今年は久々にイタリアから帰日した姉を迎えたため、母が姉との温泉旅を企画していたので、
それに便乗して、昔の家族水入らずで温泉に行くことにした。

場所は、母が会員になっていた関係での「ウェルネスの森 伊東」(伊豆の伊東温泉)。

ここはやたら広い客室で、ベッドルームが2部屋、それに広いダイニングとリビング、
さらに和室まであり、なんとマッサージ機まで備わっている。
食事はバイキング。

それで料金は一人9千円代(会員価格)。

実際に訪れてみて、ここはバブル期のリゾートマンションだったことがわかった、
なにしろ、温泉大浴場があるのに、各室にバスルームと洗濯機があり、対面式のキッチンがある。
客室の鉄扉の脇には新聞受け。
和室の畳は当時からのようで年季が入っていた。

追加された設備として、マッサージ機の他に、50インチはある大画面テレビに5.1チャンネルのシアターシステムがある。
DVDデッキもあるので、DVDを持参する価値がある。 

ダイニングテーブルは頑丈で椅子もしっかりしている。
リビングには大きはソファが大画面のテレビの正面にある。
和室にも座卓がある(ただし座椅子がない)。
篭って仕事するにはよさそうな部屋だが、天井照明の照度が低くて、手元が暗く、読書も無理(一番明るいのはキッチン内)。

温泉は残念ながら最もさら湯に近い”弱アルカリ単純泉”。
リゾートマンションだった部屋のある棟とは別棟なので、客室からでると寒い外気にさらされる。

浴室は収容人数の割には狭めだが、混雑はしなかった。

温泉のサンプルを採って部屋で測定してみると、確かに弱アルカリで、温泉の濃さの指標となる電気伝導度はそれなりにあった。

夕食はバイキング。
ビュッフェと鍋。
金目鯛の刺身や桜エビのてんぷらなど地元的な魚介類が多く、私が好きなきのこ類も多かった。
ハマグリやアンコウなどの日本ならではの鍋素材に、姉は腹だけでなく頭でも満足したいと、私よりも多く食べた。

食事が終わって、広い部屋でそれぞれ勝手なことをする。
 年内にやるべき作業が終わった開放感を味わいながら。


姉来日

2017年12月23日 | 身内

昨日、今年最後の授業を終えた。

連休の今日、東京の実家に帰ると、イタリアに住む姉が久々の来日。
この新居には初めて。
すなわち、久しぶりに母の3人の子=わが姉弟が揃った。 

今日は、甥の14歳の誕生会。
総勢8人、3世代(3歳から88歳まで)で祝う。 
姉の来日祝いをかねて、寿司パーティ(その後はケーキ)。

年内の業務は終ったので、私もしばしの休息モード 。


冬至の年筮

2017年12月22日 | パワー・スピリチュアル

本日は冬至。
日射量が1年で最小になる。

本日の「日進」での最大日射量は504W/m2(11時37分)。
日射量は7-8月には1290Wにも達するので、およそ最盛期の2/5。
最大日射量が1000Wを切るのは10月中旬から2月中旬までの間。
12月は月別でも最低値となる。

易の世界では陰極まる=陽と解釈されるので、冬至は「一陽来復」として陽の扱いとなる。

この日に来年を占う”年筮”をすることになっている。
というわけで、今年最後の授業を終え、卒論提出も無事に見送ったので、研究室においてある筮竹で”中筮法”による年筮をやってみた。

得た卦は「沢火革」
大いなる変革の年と出た。

これを自分に当てはめると、実際来年度(4月)は大学・大学院ともに公認心理師対応の新しいカリキュラムが始まる。 
まさに改革元年だ。
しかも私自身、大学院の研究科長に就任する(長がつく役職は初めて)。 

ただし、二・三・四の三つの爻が変爻だったので、それらを変えると「水沢節」となる。
節度が必要ということ。

ということは、来年の前半はおおいに改革に励み、後半は節度をもって勢いを制御すべしということ。


易占で失せ物を見つける

2017年12月21日 | パワー・スピリチュアル

お気に入りであるBoseのノイズキャンセリングイヤホンが行方不明になった。
先日の大掃除の前後からだ。
外で落としたりはしない。
絶対、身の回りにあるはず。

でもいくら探しても見つからない。
ここ数日間にさわったバッグの中、その期間に着た上着のポケット、リビングの中、車の座席まわり、研究室内も探した、が見つからない。

もう思い当たる所がなく、お手上げなので易占にすがる。

スーパーで買った80本入りの竹串(長さ15cm)から50本取って筮竹代わりに使っている。 

略筮法で得た卦は「雷沢帰妹」(変爻は四)。
「何かが間違っている」という意。

宇澤周峰氏の解説書によると、失せ物については「探している所が間違っている」という。
今まで思ってもいなかった先を探せということだ。

そこで、クローゼットを開いて、上着ではなく吊るしてあるズボンのポケットを探してみた。
すると、見事に見つかった。 

かくも易は行動の指針を与えてくれる。
ありがとう。

もっとも、悪いのは私のシステム1(習慣化された無自覚な心)なのだが。


サージカルテープで睡眠中の口呼吸を完全に抑える

2017年12月19日 | 健康

「これこそ究極の手段・グッズ」というものを探している。

その一つが、睡眠中の口呼吸を完全に抑え、しかも安価で簡単な方法。
それは、「あいうべ体操」の本に載っていた方法で、包帯を止めるなどに使うサージカルテープ(100円ショップで売っている)を、
長さ5センチほどに切って、口が開かないよう唇の上下に貼って眠るだけ。

私は、レム睡眠によって口が開いてしまい(睡眠中なので無自覚)、
特に冬期になると、朝目が覚める頃には口の中が完全に乾燥してしまって、とても不快な思いをしていた。

レム睡眠は筋肉が弛緩するので口が開くのを抑えることはできない。
それともっと深刻なのは、睡眠時無呼吸症になって、窒息しそうになること。

無呼吸症対策の専用の装置もあるが、あんな大仰なのをつけたくない。

もっと簡単な方法がないかと考え、マスクを下あごにずらして寝てみた。
すると確かに下あごは開かないが、マスクの装着感が不快で、睡眠中に思わず外してしまう。

それに対して、サージカルテープを唇に縦に着けると、装着感もほとんどなく、朝までしっかり着いている(一晩で使い捨て)。
口呼吸をまったくしないので、高校以来患っていた無呼吸症もおさらばできた。

幅は12ミリのものがよく、100円ショップの品だと長さが14mもあるので、毎日5cm使っても単純計算で280日もつ。
携帯にも便利。
口内がまったく乾燥しないので、たぶん寝てる間にひく風邪の予防にもなる。

もともと皮膚に付けるテープなので肌に相性がよく、はがしてもべとつかず跡が残らない。

これは一生ものだ。


スカイワードあさひを測る

2017年12月17日 | パワー・スピリチュアル

大掃除を前日に済ませた日曜。
何も用事がない。

そこで、やり残していた作業に着手。

半年ほど前に、読者から尾張旭市の城山公園にある「スカイワードあさひ」の2階を測ってくれとの依頼があった。→そのコメントのある記事
そこは名古屋宅から車ですぐで、しかも東濃の温泉旅に行く時はいつも脇を通る。
ただ、その時は気持ちが温泉に向っているので、出発したばかりの所で長居する気が起こらず、結局後回しになった。

 今日は晴天なので、「城山公園」の元である新居城も見学することで、私の別テーマ”山城巡り”も一緒にできる。

というわけで、計測機器1式を車のトランクに入れて出発。

スカイワードは9階のタワーで、尾張旭市の公共施設。
タワー前の駐車場に車を止め、複数の計測機器を取り付けたベルト装着して”計測マン”になって建物内に入る。

2階は正式な入口があり、受付の奥に、読者が頭痛がするという「市民情報センター」がある。
そこは読書スペースとテレビ視聴スペース、それにキッズルームがあり、それぞれ数人が使用している。

まず、私はまったく頭痛にならない(もちろん、受付の人や利用者たちもだろう)。

では計測開始。
と思ったら、ガイガーカウンターが電池切れで、表示が出ない 。
表示が消える前の数値は、この付近の平常値だったが。

静電位は、やや陰電位に傾いた値で、これも正常(ちなみに静電位計は布に入れておくとそこで帯電してしまう)。 

磁力計で直流の地磁気を測ると、なぜか極性がSに固定されたまま。
普通は地磁気の極性は360°回転すると北方向の180°ではS、南方向の180°ではNを示すものなのだが、ここではどこを向いてもSのまま。
2階の入口から屋外に出たが、そこでも同じ。
3階でも同じ。
計測値である磁力そのものは普通。  

つぎに、私の新しい武器・ダウジングロッド(L字型の金属棒)を両手に持つ。
ただし両手にダウジングロッドを構えた格好は、いかにも異様なので、手のサイズくらいの小型のロッドをあえて購入した。

ロッドを両手に歩きまわるが、歩きの動きの影響でロッドが動くので、ロッドの向きが変化した所では、きちんと静止して測り直す。
すると、 2階フロアの「市民情報センター」の入口の右側にある陶器が展示されている側で、ロッドが開いた。
ロッドは平行に持って、変化があると外側に開くか内側に閉じる。
私の場合、閉じるが Yesで開くが No.
ただし今回「問い」を発していなかったので、この反応の意味は判らない。

そうこうしているうちに、まるで私の計測を妨害するかのように、一天にわかにかき曇り、なんとみぞれ(霙)が降ってきた。
じつは、晴天に甘んじて、自室のベランダにマットなどを干してきた。
衣類ならともかく、マットが濡れては困る。
急いで、駐車場に戻り、ワイパーをかけながら、帰途についた。
帰宅したら、きれいな晴天。
こちらは降水の跡もない。
まさか私のダウジングを天が妨害したわけでもあるまいが… 
地磁気の極性の問題は、計器の故障の可能性もあるので、帰宅して測ったら正常な反応で故障ではない。 

というわけで、計測も中途半端で、城跡も見れなかった。
地磁気の極性の問題は、2階だけでなかったこともあり、再計測して確認する必要がある。  


名古屋宅の大掃除

2017年12月16日 | 生活

卒論指導が大詰めになる週末は、名古屋に残る。
例年なら、土曜は本部キャンパスのパソコン室で集団指導するのだが、
今年は担当学生が少ないので、土曜は空き。

そこで、例年なら日曜にやる「大・大掃除 (ダイオオソウジ)」を土曜に挙行。

やるつもりでいても、なかなか重い腰が上がらず、昼食後の午後1時になって開始。

まず、リビングから。
ホコリを取り、掃き掃除をして、拭き掃除をする。
捨てないでいたモノを思いきってゴミ袋に入れる。 
フローリングの床に散らかっていたモノを整理整頓する。 

掃除とは、エントロピーの増大という自然法則に逆行する行為である。
でも生物そのものがその逆行する存在なのだ。
なので生物である私が掃除をすることは必然なのだ。
と自分に納得させながら整理整頓する。 
おかげで、行方不明だったミニドローンの羽が見つかった。 

広めのリビングは居住空間と就寝空間に分れているので、ここの掃除が終ったのが午後三時。

くたびれたので一休みしたいが、ここで休むと、やる気が失せそうなので、
台所の掃除に移る。

 コンロがIHなってから、油汚れなどがなくなり、楽になった。
シンク回りの掃除をして、流しの排水溝の禁断の場所にも、今回だけは 手をつっこんでブラシで洗う。

次は、浴室。
ここは濡れるのを覚悟して、シャツとズボンを脱ぎ、下着だけになる。
最近は、体や髪は数日おきに洗うようになったので、抜け毛も溜らなくなった。
しかも風呂から上がる時シャワーで浴室を洗うので、ここも楽。

最後はトイレ。
ここには、小さな蜘蛛殿が住んでおり、ダニなどを食べてくれているので、掃き掃除・拭き掃除では蜘蛛殿を慎重に避けた(だたし申し訳ないが、クモの巣は排除。また作ってね)。
ここも日ごろからぞんざいには使っていないので、掃除は楽。
ただ洗浄器のノズルに水あかが溜まって黒くなっていたのを掃除。

仕上げは、フローリングにワックス。
ワックスは、モップの先につけるペーパータイプのものを使ったが、モップにつけるとワックスペーパーの使用効率が悪いので、手で拭いた。

終ったのが午後5時すぎ。
ゆうに4時間かかった。
ちなみに、掃除に使った道具(掃き、拭き、洗剤、鏡のウロコ取り、ワックス等) はすべて100円ショップのものだった。


慰労と祝杯

2017年12月15日 | お仕事

職場の忘年会も済み、いよいよ年末モードに入る。
今日は、年内に作成する最後の書類を提出。
今年は、公認心理師に対応するための会議と書類作成に追われた。 
この作業は、年明けて年度末まで続くが、ひとまず小休止。

あとは来週で終る年内の授業と卒論の追い込みだけとなった。

今日、大学院を修了して数年経った元教え子から、臨床心理士の試験に合格したとのメールを受け取った。

うちは合格率は高い方なのだが、彼女は落ち続けていた。
その知らせを受け、わが事のように嬉しかった。

というわけで帰宅後の夕食は、奮発して和幸の豚カツ弁当といつもの「麦とホップ」ならぬキリンの「一番搾り」で祝杯。 

かように、いいことがあると脳内の「報酬系」を刺激して、生活と脳にメリハリをつけるようにしている。


初氷点下となった

2017年12月14日 | お天気

昨日初雪となった名古屋。
その名古屋の東隣りの日進市に設置してある私設日進気象台では、4時半から7時半までの3時間、気温が0℃を下回っていた。
東京文京区の実家に設置してある私設本駒気象台は今年はまだ雪も氷点下も経験していない。

東京より名古屋の方が寒くなったのは、地形的に名古屋の方が日本海側の寒気が入りやすいためである。
名古屋の風上は関ヶ原の北にそびえる伊吹山であり、その麓は東海道新幹線唯一の降雪地帯。
もっとも高層天気図によると、上空3000m以上では東京の方が気温が低い。

このような低温だと、エアコンをフル稼働してもなかなか室温が高くならない。
といっても設定温度をたったの17℃にしているからなのだが(そして室温も17℃)、いままではサーキュレーターを併用して、この設定温度で室温が20℃に達していたのだ。

設定温度を上げるとエアコンの消費電力は一気に400Wも増えてしまう。
なので、設定温度はそのままにして、消費電力50Wの電気ミニマットの上に座って、頭寒足熱状態ですごしている。   


改善した都立中図書館をチェック

2017年12月10日 | 東京周辺

今年の春に、とうとう見切りをつけた都立中図書館(→その記事)。

読者の方からその後改善されたというコメントが寄せられた。

大きな変化は、カバンの持込み制限が大幅に緩和されたことと、食堂が再開したこと。
特に後者は見切りをつけた原因だっただけに気になる。

私のブログでも、ここの話題の記事は意外に読まれているので、 そのままにしておく訳にもいかず、やっと本日確認に訪れた。

まずは再会した5階の食堂。
「有栖川食堂」というたいそう立派な名称(内装はそのまま)。

その名を冠した定食など、メニューはそれなりに個性がある。
ここの売りらしい「有栖川定食」や各国料理と国内の地域料理は1000円とちょっと高め。
普通の定食は800円。
これらは、昼をガッツリ食べない私には縁がないが、
ラーメン600円,カレーライス600円はまぁ妥当か(むしろこの価格帯のメニューに個性がほしい)。
ただ、きつねそば600円、かけそば500円は、国会図書館よりおよそ150円高い。
結論は実際に食べてからにするが、せめて価格は立ち食いそば並みにしてほしい。
あと、トーストなどの軽食が足りないが、12月中旬に1階のカフェテラスがオープンするという。

その他としては、全フロアでフリーのWiFiが使える。
これは国会図書館を上回るレベル。
また喫煙ルームがキッズルームになった。

ただ、座席が狭く、特に背中合わせの間隔が狭いのは、国会図書館新館に慣れた身ではつらい。
それに椅子が安っぽいし。

以前からの長所をあえて記せば、
まず、開架式なので書籍が使いやすい(調べ物に向いている)。
もっとも国会図書館でも辞書類は開架式である。
4階の展示室でいつも特集の展示をやっている(気分転換にもなる)。
自販機の飲料の種類は多い。
それに帰り道に、広尾、六本木、麻布十番に立ち寄れる。

ここの一番のアドバンテージは、日曜祭日も開館していることなので、
まぁ、その時に利用するか。 

 


「怖い絵展」観てきた

2017年12月04日 | 作品・作家評

先週末、某大手マスコミから取材申込を受けた。
東京上野で開催中の「怖い絵展」が大人気となっていることから、なぜ怖い絵を見たがるのかの心理学的説明を求められたのだ。

通常の心理学では、恐怖は逃避行動を動機づけるものとしか認識されず、「恐怖を楽しむ」ことに注目しているのは私くらいしか目に止まらないらしい。
そのせいで、この話題では今までも講演をし、雑誌インタビューを受け、テレビにも出た。

社会心理学者である私としては、お化け屋敷やジェットコースターにお金払って楽しむ客の心理を無視できないのだ。 

なので一般論なら語れるが、それは私自身が上のメディアでさんざん語ったことだし、一方「怖い絵展」は観ていないので、それについての現象の分析はできない。
なので、申込は断った。

でも「怖い絵展」がなぜ人気なのか、自分で確かめたくなって、上野の森美術館に行った。
といっても数時間待ちの行列には並びたくない。
平日の夕方が比較的空いているようなので、今日の4時すぎに行った。
それでも40分行列した。

そもそもこの特別展は、ドイツ文学者の中野京子氏の『「怖い絵」で人間を読む』 によるもの。
氏は、「先入観をもたずに感性で感じろ」という絵画観賞法に異を唱え、絵画の主題が前提としている意味を知らずしてその絵を理解できないと主張する。
確かに前者の観賞法は現代芸術用で、伝統的西洋絵画だったら、ギリシャ神話や聖書を知らずして理解するのは無理となる。 
すなわち、今回の絵の”怖さ”は意味(死という観念)によって浮かび上がってくるものである、という所がポイント。
つまり、ストレートに「怖い絵」ではない。

それと怖い絵を見ることの心理的意味自体、氏が語っており(音声ガイドの最後で)、その論旨は私の見解と整合する。
なので私があえて語る必要もないことがわかった。
ただしそこで語られている恐怖を楽しむ心理を、この特別展で得られるかは保証できない。 

本記事は、実は観る前は、「怖いけど観たい、怖いから観たい」というタイトルで、心理学的説明をする予定だったが、以上の理由で説明を省略する。

どうしても知りたい人は、中野京子氏の本を読むか、展示の音声ガイドを聴くか、ネットでダウンロードできる拙稿「恐怖の現象学的心理学」(2007)の「7.2 楽しまれる恐怖」をご覧じあれ。


武蔵嵐山木曽義仲史跡巡り

2017年12月03日 | 城巡り

東武東上線の終点小川町の1つ手前の「武蔵嵐山」で降り、木曽義仲の史跡巡りをした。
同じ駅から、小倉城などの山城巡りにしようか迷って、前の晩に、易占にかけたところ、小倉城の方はきっぱり「行ってはならない」と出たので、行ってよいと出たこちらにした。
そういえば、前回の嵐山の杉山城巡りの時にこの地は木曽義仲の史跡の地であることを知り、次回はそれを目的に訪れるとここの記事にも書いたことを思い出した(かくも易占は正しい方向に導いてくれる)。

新しく買った靴の試し歩きでもあるので駅からひたすら歩く。
都幾川を渡る学校橋からは、笠山・堂平山が見え、眼下の都幾川は透明だ(写真)。

まず義仲の父・義賢(ヨシカタ)の墓(五輪塔)に詣でる。
彼は同族の義朝(頼朝の父)の息子義平に襲われ、2歳の子駒王丸(後の義仲)を残して斃れる(大蔵合戦)。
墓の向いに、地元の大行院が建てている顕彰の石碑群があり(未完成)、そこに詳しい解説が書かれている。
ついでにこの大行院に行ってみたら、真言宗の寺で最近建てられた石仏の量がすごい。
なんか、香港のタイガーバームガーデンを彷彿とさせる。
この寺の神明殿に行ったら、中に信者がぎっしりいて、外にも坐っている。 
ハデハデしい宣伝はしていないのに、よほど霊験あらたかなのだろうか。

この寺、部外者の撮影を断固拒否しているが、さきほどの顕彰の説明などを見ると、真摯な態度がうかがわれる。
神明殿前に手作りらしい茶杓があって、「ご自由にお持ちください」と書いてあったので、賽銭を入れて1ついただいた。
ただ私はもともと真言系の雰囲気は苦手なので、長居はできない。

大蔵館跡の大蔵神社(トイレ有り)に詣で、 あえて川近くの平坦な道を歩いて鎌形八幡神社に着く。

ここは木曽義仲が産湯を使った清水があるというところで、境内には「木曽義仲」の幟がたなびく。
この風景、義仲旗揚げの地・信州木曽の日義村とそっくり。
その清水は手水にもなっているので手と口を浄めて、石段を登ると、森厳な社殿に達する(写真)。
風格のある社殿そのものから霊気を感じる。
参拝して、近くの大きな二股の神木に手を近づけるとビリビリと”気”を感じる。
周囲の摂社を巡って、清水にもどって、バッグ内のペットボトルに清水を入れる。
今晩はこの水で酒を割ろう。

川沿いの公園を抜けて、曹洞宗の班渓寺に達する。
 ここには義仲の側室・山吹の墓がある(墓はいい伝え)。
曹洞宗の寺は真言宗とは真逆の無愛想さが漂い、居ると叱られそうな気がして、こちらも長居できない。

さきほどの大行院の解説によると、義仲の側室の子が木曽からこの地を訪れ、義賢の旧臣とともに居づいたという。
そういうわけで、この嵐山の地は木曽義仲生誕の地としてアピールすべく、大行院も力を入れている。

道を北上して嵐山渓谷の紅葉を見て、駅に戻った。
本日の歩数2万4千歩。 
参考図書:『改訂 歩いて廻る「比企の中世・再発見」』 (埼玉県立嵐山史跡の博物館)