こどもの日に五頭連山に入って、行方不明になった親子とみられる遺体が、山中の沢で発見された(31日に当該の親子であることが確認された)。
道迷い遭難による最悪の結果。
まずは合掌。
稜線上で道に迷い(たぶん縦走路が急カープしている地点)、街の灯が見え、また登山口の方向に惹かれるように道無き道をがむしゃらに下って、最後は沢で進退窮まって力尽きたようだ(死因は低体温症らしい←初歩的な装備不足!)。
親子がバラバラではなく、重なるようにしていたのが、せめてもの救い(31日の情報では、子が父に覆いかぶさっていたという)。
「道に迷ったら、沢には絶対降りてはいけない」というのが山での鉄則なのだが、あえて鉄則と言われるゆえんは、素人ほど上の理由で沢に降りてしまうから。
素人は、山の中の沢とはどういうものかまったく知らないから。
そういえば、同じ頃に東京の御岳山ではぐれた男児が発見されたのも、やはり道からはずれた沢の中だった。
沢とはどういうものかは、実際に沢に身を浸して登って行く「沢登り」をしたものでないと知るよしもない。
なぜなら、地形図には沢は線で画かれているだけで、中身の情報がないから。
ヘタすると、下界(下流)ののどかな流れが上流の山の中でも続いていると思われてしまう(ネットでは沢を知らずして沢を語る無意味なレスが多い)。
山の中の沢(=傾斜が急)は、岩盤の間に水流がある状態(水流で削られて岩盤が露出しているため)。
水は急傾斜で岩盤上を流れているから、たいていは滝状になっている。
人里近い所だったら、名所にでもなっていそうな滝が、山の中の沢だったら、至るところにある。
滝がなくても、流れの両側に垂直な岩壁が続き、そこは流れが速く、水深も深い。
こういう沢をあえて好んで登るのが「沢登り」なのだが(私も好きだった)、当然固有の装備に身を固めて(滝の岩壁を登るため岩登りに近いが、水中に入ることも前提にする)、また先人の情報によって作成された沢固有の地図(遡行図)を持参して、意を決して沢に入る。
当然一般ルートではないので、指導標はおろかそもそも道なるものがない。
自分たちのパーティ以外の他人とは出会わないし、電波も届かない。
山中の沢とは、ハイキング気分の素人(子ども連れ)が足を踏み入れる所ではないのだ。
道に迷った素人は、そのような禁断の地に迷い降りてきて、現在地もわからず、たとえ地図をもっていても沢の状態などわからず、岩場と水流に進路を阻まれ、進路を探してうろうろするうちに斜面で滑落して頭か脚を打ち、動けなくなる(普通の山靴では沢は滑って歩けない)。
助けを求める声も、沢の流れの音に消されてしまう。
もとより、山奥の沢には誰も来ない。
だから、経験者でも沢登りで沢に入る時には”意を決する”のだ。
同じ迷っても、稜線上なら、こういう危険箇所はほとんどない(絶壁には注意)。
一番高い稜線を目ざせば、日本の山ならたいてい道に出会える。
すなわち、道に迷ったら、沢に下るくらいなら、逆に上に進んだ方がましなのだ。
水を補給したければ、沢まで降りずに源流部の小さな流れで事足りる。
この父親は、そのような鉄則すら知らなかっただろう。
鉄則を理解できない者は,むきだしの自然である山に入ってはいけない。
ついでに、私自身は確信犯的に沢を下ることがある。
それは上から沢相を俯瞰して、通常歩行で降りれると判断できる場合で、いうなれば、”沢リテラシー”が必要なのだ。
くれぐれも沢登り未経験者(経験者でも単独行で)はやらないように。