今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ぎっくり腰を振り返る

2011年11月28日 | 健康
今日でぎっくり腰になって一週間が過ぎた。
今回のは重症でなかったこともあり、歩くのは少々つらいが、家で座っている分にはなんともない。
なので、特別な治療は施さず、自然治癒を待っている。

さて、数年おきになるぎっくり腰だが、
数年前の3月にやってしまった時に、鍼治療して以来、
普段の腰痛自体が消えて、ここ数年は、今までで一番腰が快調だった。

ただ、過去の経験をまとめると、寒候期の朝、つまり筋肉が固い状態での、ちょっとした姿勢の変化がきっかけとなる場合が多い。
必ずしも無理な姿勢ではなく、日常の姿勢の変化の範囲内なのだが…
確かに今回も急に寒くなり、暖房をつけ始めた時期だった。

それと今回は、数日前から腰が重かった。
思い当たるフシが2つある。
1つは、運動不足解消のため、歩行に負荷を高めようと、片足に1.5kgの重りをつけて、通勤することを始めた事。
三浦雄一郎氏が1kgの重りをつけてトレーニングしたというのを読んで、自分は欲張ってさらに負荷を高くしたのだ。
つまり、運動不足の逆の、急激な過負荷による悪影響。

それと、先々週から先週にかけては仕事上のストレスが最高潮になっていた。
後任人事の問題なのだが、その調整に頭を痛めていた。
同時に、講義用のプレゼン画面をすべての担当する講義について作成中なので、その作業量も並でない。
さらに、自分の論文原稿の締め切りが迫っている。

つまり、低温と筋肉の過負荷という物理的ストレッサーと、仕事という精神的ストレッサーのダブルパンチ状態だったのだ。

精神的ストレッサーの方はヤマを超えそう(だが、卒論締め切りという次のストレッサーが待ちかまえている)。
腰を冷やさないように、そして歩行通勤も抑え気味にしておこう。

秋川八期会2011

2011年11月27日 | メモリアル

都立秋川高校(すでに廃校)の同期会(八期会)が昨晩開催された。
会場は例年どおり同期の1人が開いている築地のイタリアレストランで、私も名古屋から参加した。
名古屋からは私を含めて3人、さらに遠方の大阪、北九州、アメリカからそれぞれ1人。
さらに当時の先生が6名も出席していただいた。
80歳を過ぎた今でもお元気に活躍されている姿に接して、我々も元気づけらた。
今では先生と生徒の外見上の差もおおいに縮んで、ほとんど追いついた同期もいる。
※上の写真はクリックすると拡大される。写っている先生は5名、私はどれでしょう。

わが秋川高校は全寮制なので、普通の高校と較べて、学校と寮とで二重(二倍)のつながりがある。
この固有の”絆”が、出会ってから40年たった今でもしっかり生きていることを実感できるのが、この日なのだ。
先生方も、長年の教師の立場から、あの高校がいかに理想的なものであったかを力説し
(理想的すぎて結局は生徒が集らず廃校になってしまった)、
われわれも、今となっては、夢のような厳しくも楽しかった3年間であったと納得する。

いや、こうして集まる”仲間”には、途中で退学していった者や、
3年から転校してきて1年間しか一緒でなかった者もいるのだが、その間には何の違いもない。
だから、この絆は、3年の年月を要するのではなく、
あの高校・寮での一宿一飯の縁で成立する不可思議なものなのだ。

だから当時はクラスも寮室も異なりほとんど会話する機会がなかった者同士も、
顔と名前、それに噂を通しては知っていたこともあり、この場で出会い直しをすることができる。

腰を痛めている自分は、1次会だけで失礼するつもりでいて、
実際、1次会終了時には退席の挨拶をして、店から出たものの、
「一緒に飲もう」と促されると、断る気持ちにはまったくなれず、
結局最後まで一緒に過した。

ただいつも心残りなのは、次々と相手が替ってのおしゃべりに夢中になって、
せっかくの料理を充分味わえない点。
黙々と食べているわけにもいかないので致し方ないか…

とにかく、1年のうち1回でも、高校時代の仲間と”共に在る”という夢のような時間を過せることは、
自分が日頃忘れかけている”絆”の存在を確認する意味でも貴重だ。


防災センター見学

2011年11月23日 | 防災・安全
昨年から、勤労感謝の日は、課外授業として、
学生を引率して名古屋市港防災センターに見学に行く。
ここは、震度7の地震と伊勢湾台風の洪水の3D映像、煙空間での避難が体験できる。
防災は、頭での知識だけではダメで、
震度7の揺れを事前に体験しておくことは貴重だ。

昨年は、予約もスムースで、当日も来館者はまばらだったが、
今年は、希望した時間に150名の団体が入っており、当日も、予約が重なっていた。
3.11の影響だ。
予約する団体は、子供たちや中高年が多いようで、女子大生はもっとも少ないと思う。
逆に言えば、この年代は防災意識が最低かもしれない。

そのほかに昨年と違うのは、私がぎっくり腰であること。
3日目なので少しは楽になったが、歩くのはまだつらい。
ステッキ(傘兼用)をついての引率と相成った。

参加した学生は15名。
館内の昭和30年代を模した家(台風と煙体験)の前で記念写真(写真)。
一通り体験して、1時間。
これくらいなら、ぎっくり腰上がりの身でも耐えられる。

ただ、団体で体験させて感じたのは、集団でいることで恐怖心が抑えられる事だ。
できたら一人で体験した方がいいと思う。
自分が最初に一人で見学した時は、いずれの体験もそれなりに恐怖を感じた。

ぎっくり腰二日目

2011年11月22日 | 健康
昨晩は寝返りをうつにも慎重にせざるをえなかった。
そのため、目覚めはいささか悪い。

今日は先日の入試判定教授会が1つあるだけだが、用事は探さなくてもいくらでも出てくる。
そっちの用事をはやく片づけたい。

服を着替えて、いざ出発しようとすると、
腰が曲がったままで、膝も曲がったまま、両方ともまっすぐ伸ばせない。
現代人の服装をしているが、これではどうみてもオーストラロビテクス。
この格好を教授会の面々にさらしたくないし、無理して腰を伸ばして悪化させたのでは元も子もない。
しかも明日は絶対中止できない課外授業が待っている。

フリースの部屋着に着替え直して、事務室に欠席のメールを入れた。
判定結果はどうせ知っているし。

さて、昨日はもった食料(+酒)が足りなくなったので、
午後すぎ、部屋着にコートをはおって、買い物に行く。
一番の買い物は、腰に当てる冷湿布。
ステッキをつきながら歩くが、とてもつらい。
むしろ、膝を曲げたまま、すりあしの和式歩行で進むと、痛みもなく、ステッキも不要になる。
だが、この猿人のような姿勢は知人に見せられない。
袴姿ならなんとかごまかせるのだが…。

部屋で座っている分には、ほとんど痛みは感じないのだが、
歩くのはまだつらいことがわかった。
明日の課外授業が思いやられる。

ぎっくり腰

2011年11月21日 | 健康
月曜は、授業も会議もないので、
のんびり11時すぎに出校しようと準備をする。
服装を整え、最後にソックスを履こうと
背中をやや丸めた状態で、片足立ちの状態になり、
まず右足に履かせ、立ち足を替えて、次に左足に履かせた。
その瞬間、”魔女の一撃”をくらった。
体内から「ベリッ」と音がしたような、腰への衝撃だった。
そういえば、ここ数日、腰に違和感が続いていた。

大学1年の時以来、これで何度目だろう(いずれも寒候期)。
数年前になった時は、春休み中で、そのまま痛みに耐えながら数時間の電車旅行をして、温泉につかった。
それがよくなかったこともあってか、回復するのに半月以上かかった。

なので今回は、すかさず冷やすことにした。
冷凍庫から大きめの保冷剤を取り出し、それにタオルを捲いて、腰に当て、
さらに上からマフラーをベルト状に巻き付けて固定した。
ずっとつけたままだと、冷やしすぎるので、30分ほどではずす。
それ以外の時は、以前買っておいた腰痛用サポーター(軟らかいコルセット)を装着。
幸い、歩けないほどの重症ではなく、背筋を伸ばして座っていれば痛みはない。

もちろん、出校は取りやめ。
今日一日、部屋でおとなしくする。
今日は、授業やその他の仕事がなかったのと、
食料品を昨日買いそろえていたのが不幸中の幸いだ。

ワインの収穫祭

2011年11月17日 | 歳時
今日はボージョレー・ヌーボーの解禁日。
マスコミに躍らされているという言うなかれ。
何か理由をつけて堂々と”酒が飲める日”があるのは、うれしいのだ。

そもそも11月は、収穫祭(新嘗祭)の月。
われわれが生きる上で一番重要な”食糧”が大量に獲得できるという、
最高にめでたい月なのだ。
それだけでも祝杯モノなのに、その酒自体が新酒として開封されるのだ。

というわけで、今年は例年になくおいしいというヌーボーを仕事帰りに立ち寄ったデパートで購入(2700円)。
家に帰り、別の店で買ったチーズの生ハム巻をつまみに、新酒を味わう。
赤ワインは普段から常飲しているが、ヌーボーは軽口なので飲みやすい。
パスタを食べながら飲んでいると、瓶の半分まで減った。
今はこのへんで抑えておこう。

今日の昼、担当の授業では「アルコール依存」について話したばかりだ。
精神医学的定義にかんがみて、私はアルコールを”常用”しているが、”依存”ではないと弁解した。
コーヒーや緑茶を常用しているのと同じだ。

この世に”酒”があることを感謝している。
日々ささやかな幸福感を私に与えてくれるこの飲物と、末長く良い関係でいたいものだ。

多峯主山中で幽霊探知器を作動

2011年11月13日 | パワー・スピリチュアル

甥っ子と多峯主山に行った時のこと。
山頂下の暗い森の窪地に雨乞池という、枯れることのない池がある。
湖畔の説明板によると、鼻をつまんで息を止めたまま池を7周すると、
池に異変が起きるといわれているという。
ただ、池の直径はそれなりにあるので、成功する人は滅多にいなさそう。
第一、突然異変が起きたら、近くにいるその人が真っ先に被害を受けるだろう。

灰色に濁った池には、緑の藻の隙間に、小さな赤い鯉が数匹見える。

ロケーション・伝説・色彩いずれも妖しい雰囲気なので、
さっそく、iPodtouchにインストールしておいた「ばけたん」(幽霊探知器)を開き、
touchのカメラを池に向けて”探知”を開始した。
何しろ私は、空気中の不可視なモノをセンサーによって測定し、
その存在を客観的に確認するのが大好きなのだ。

だが、探知の結果は、「この場所では特に異常は認められない」とのこと。
場所をずらしてもう一度、池に向かって”探知”したが、結果は同じだった。
ということは、この池には鯉のほかには何もいないようだ。

山道を下って、岩壁の上にある御嶽八幡神社に達した。
武州御岳(みたけ)ではなく、木曽御嶽(おんたけ)系の神社だ。
その社殿に向かって、またカメラを向け、”探知”してみた。
すると、さっきとは異なり、「ばけたん」はポジティブな何かを探知したらしく、
「守り神を期待してよい」という結果を出した
(ただしこの表現は、探知の確信度はやや弱いレベル)。
そこから少し下にある、牛頭天王を祀る小さい社にもカメラを向けると、
ここも「守り神を期待してよい」と出た。
さすが、神社の社が建てられた地には、それなりの何かがある(降りる)ということか。


7歳の初登山

2011年11月13日 | 身内
7歳の甥っ子・柊聖(しゅうせい:来月誕生日だとあからさまにわかる)を初登山に連れて行った。
行き先は、飯能の北にそびえる天覧山と多峯主(とうのす)山。
標高は前者が195m、後者が271m。
この標高を笑われても仕方ないが、子供の初登山なのだから、この辺りが適当。

実はこの山、彼の父親である私の弟の初登山の地でもある。
その時も連れて行ったのは私。
つまり、私は、親子二代の初登山に天覧山~多峯主山の縦走に連れて行ったのだ。
その間隔(インターバル)は40年。
ということは、私にとっても40年ぶりの天覧山ということだ
(そんな昔であることにがく然)。

195mとはいえ、最後の岩まじりの急登にはいささか参ったようだったが、
山頂からの眺めは気に入ったようだ。
多峯主山からは、天覧山を見下ろし、その向う彼方に(双眼鏡で)スカイツリーを確認できた。
逆方向の秩父・奥多摩方面の山々はもやで見えなかったのは残念。

山が初めての甥は、岩場や急斜面、さらには丸太の柵や池に興味を示し、
危険を顧みない行為をしだす。
実際、丸太の柵の上の乗り、足を踏み外して転落した(地面が柔らかいので無傷ですんだ)。
アウトドアは危険がいっぱいであることも、(ある程度身をもって)教えないといけない。

山道で私が拾ってやった杖代わりのまっすぐな枝を、記念にと家まで持ち帰った。
山はおろか距離としても5kmもの歩きは初めてということもあり、
「疲れた」という感想だった。
でも回復は私よりも早いだろう。

雨どい下の除染試験

2011年11月12日 | 東日本大震災関連
東京の実家の雨どいの下のコンクリ面の除染に着手した。
線量は、手前の雨どい下が1μSv/hr、奥の雨どい下が1.7μSv/hr(いずれもα・β線込み)。

まず高圧洗浄をやっても値は下らなかった。
今日は、ネットで注文しておいたゼオライトの粉末に、水と片栗粉をまぜてねっとりさせ、
それをコンクリ面にたらして、浸透させて、水で洗った。
しかし、値は変化なし。
すなわち、除染はもう無理。

そこで、次善の策として、コンクリ面を覆うことにする。
線量が高い面積は狭いので、蓋状のものを上からかぶせればいい。
問題は蓋にする材質。
基本的に材質は密度が高く、厚いほどよいはず。
試しに、ハンズで、同じ面積(10cm四方)のアルミ合金、硬質ゴム、ウレタン、セラミック板を買ってきた。
それらをかわるがわる手前の雨どいのコンクリ面にかぶせ、その上1cmで線量を測った。
下に結果を示す。

なし           1.0(μSv/hr、以下同)
アルミ合金(厚1cm) 0.25 価格1200円
硬質ゴム(厚1cm)   0.25     140円
ウレタン(厚1cm)   0.3     110円
セラミック(厚0.5cm) 0.5     110円

アルミ合金と硬質ゴムがほぼ同じ効果だった。
ウレタンが意外に健闘し、セラミックが最下位だったのは、厚さが影響したのかもしれない。
ただウレタンは軽く、耐久性がないので、屋外での設置には向かない。
コスパ的にベストなのは硬質ゴムだ。

それらをせっかく買ったので、手前の雨どいに硬質ゴムとウレタンを置き、奥の雨どいにはアルミとセラミックを置いた。
ちなみに奥の雨どい下に置いたアルミ上での値は0.5μSv/hr。

地震に備える最優先事項は

2011年11月11日 | 防災・安全
トルコの再びの地震で、日本人ボランティアが居たビルが無残に倒壊し、死者がでた。
だがその周囲の新しそうなビルはなんともない。
同じような現象は、今年2月のニュージーランド地震でもあったし、
更に言えば、神戸でも中越でもあった。

倒壊するビルとしないビルの違いは何か。
建物の耐震性の違いだ。
日本的基準でいえば、倒壊したビルは”旧耐震”基準(1981年5月以前)の建物で、
周囲の新しいビルは”新耐震”基準(1981年6月以降)だ。

日本の新耐震基準では、震度7でも倒壊が免れる。
旧耐震では震度5までしかもたない。
この基準の差は、木造・鉄筋を問わない
(耐震偽装の”姉歯事件”とは、新耐震のはずが旧耐震だったということ)。
だから、3.11でも、震度7の宮城県栗原市に倒壊被害が無かったのは、新しい住宅地のためであり、
震度5強の東京の九段会館で死者が出たのは、文化財的旧建築のためだった(東北地方での地震の直接の死者は0)。

地震で生死を分けるのは、建物の耐震性である。
だから地震対策の第一義も当然それとなる。

ところが、多くの人は、食料の備蓄をまずやり、次いで避難用具の購入、そしてせいぜい家具の転倒防止で終わる。
すなわち、生命にかかわる大切な順ではなく、安くすむ順にとりかかり、もっとも重要な項目が手つかずで終わる。
リスク管理として正しくない。

1981年以前の建物(既存不適格)は、耐震補強をすればよい。
自治体から、半額ほどの援助がでるはず。

東北以南(関東から西日本)は、M7以上の地震の危険性が高まっている。
やるのは今のうち。

facebook利用者は気をつけて

2011年11月08日 | 時事
我がブログの記事の中で読者からのコメントが途切れないのは、
5月7日に書いた「facebookで有料サイトへの誘導詐欺に遭う」で、
いまやコメント数が380を越えた。
そのほとんどが私に届いたものと同じ文面の誘導詐欺メールが来たという報告で、
半年たった今でもほぼ連日、この種のコメントが続いている。
いずれもfacebook利用者宛に来たメールだ。

facebookは、他者を信頼して個人情報を公開するものであり、
その自分を指定してアプローチしてきた他者を信頼するシステムだ。
この詐欺メールはその”他者への信頼”を悪用しているのが許せない。
金銭を支払う実害を被った人も後を絶たない。

今までも幾度かfacebook上で注意を喚起したが、
被害が相変らず減らないので、今一度注意を喚起したい。
(詐欺の内容は上のリンクで確認してほしい)

私自身このメールを受け取ってから、facebookをできるだけクローズドにし、
ほとんど身をひいてしまった。
そして、まったく縁のない人とは”友達”にならない。

最近、ブログとリンクさせたのは、利用を復活したい気持ちの表れだが…

ひと息の温泉

2011年11月07日 | 温泉

日曜も仕事のため出校し、
またその仕事の大きなヤマを越えたので、
月曜という平日ながら、小牧市にある天然温泉つきビジネスホテル(キャッスルイン小牧)にチェックインした。
今、ひとっぷろ浴びて、客室で持参したMacBookを開いてこの記事を打っている。

このホテルは、近場のリフレッシュ先として、年一回は利用している。
今回は、サービスプランを利用し、ダブルの2人部屋にしたので、自分の部屋のようにゆったりできる
(ビジネスホテルのシングルって居住性悪い)。
これで朝食付き7000円と安いのだが、さらに楽天ポイントを使って6000円で利用している。

ナトリウム強塩泉の大浴場はいつでも入れ、ビジネスホテルなので無線LANが使え、
夕食には併設の居酒屋で発泡酒中ジョッキがサービスされる。
今日はそれが何杯飲んでも100円デーだったので、そちらにして3杯も飲んでしまった。
もちろん、食もすすんでしまい、たっぷり飲み食いして3000円弱。
これでも旅館の夕食(アルコールは別料金)よりは1000円以上安い。
市街地なので旅情は皆無だが、室内に篭って作業をするならレンタルオフィスよりいい。

温泉付きビジネスホテルは、名古屋の周囲で他にもないことはないが、
本物でない温泉で入浴時間が限定された所が多いし、
本物の温泉であっても、部屋が狭かったり、食事先に困ったりする所がある。
その点、ここは欠点が少なく、値段も手ごろで使いやすいのだ。

明日は、朝湯と朝食バイキングを済ませて、そのまま教授会に出る。


福1も眠ってはいなかった

2011年11月02日 | 東日本大震災関連
東京世田谷のラジウムに注目が集まったためでもなかろうが、
放射能の本拠地はこっちだよとばかりに、福島第1原発で核分裂が続いていることが判明した
(キセノンはごく微量なので”臨界”の心配はない)。

私のブログでの”SLOWLY”と名付けた福1を始めとする放射線サイトを集めたページは、6月以降ほったらかしにしていたが、
危機はまだ去っていなかったことを思い知らされた。

久々に、SLOWLYのページから福1のモニタリング結果を見たら、敷地内の線量がちっとも減ってないではないか。
原子炉内部の安定化に精いっぱいで、瓦礫の撤去も除染もされていないためだ。
むしろここは、周辺地域で除かれた汚染土の集積地にすべき所だから(それ以外に使い道がない)、このままでもいいか…

ここのモニタリングデータには、敷地内での中性子線量の毎時の測定結果がある(公表には数時間の遅れがある)。
しばらく、これを注視しておこうか。

東京で40mSv/h!

2011年11月01日 | 東京周辺
世田谷でまた発見された高線量スポット。
今度は、ラジウムが地中に埋められていた。
そして掘り出した値は、
な、なんと40mSv/h(=40000μSv/h)!

爆発事故を起こした福島第一原発の建屋内部の値だ
(もちろんここは原発とは無関係で、地上は100μSv/h程)
自宅の雨どいが1μSv/hを越えていたのを騒いでいた私は腰を抜かした。
ニュースによると、不法投棄された産業廃棄物にまじっていた疑いが強い。

数十年前までは住宅や田畑でなかった用途不明の所は、測り直した方がいい。