今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2013年の夏を振り返る

2013年08月31日 | 歳時

今年の夏が終わる。
温帯の日本が41℃台になる異常に暑い夏だった。
わが実家のひぐらし気象台(東京)でも40.2℃を記録した。
自分の肌で40℃の気温を体験したのは生れて初めて。

私自身は、8月4日に右目の白内障の手術をし、以降はその回復を待つ日々だった。
なので、旅行には行かず、毎日3種の目薬をさしつづけけていた。
ただ、手術の効果は絶大で、霞んでかつ二重になっていた視野が、完全にクリアになった。若い時の視力に”超回復”した。
白内障になったら手術をお勧めする。

自分にとってのイベントといえば、8月24日に岐阜県の多治見市で講演をしたことくらいか。
今年までは日本一暑い所だったので、暑気払いに怪談をやるイベントの一つとして、
「恐怖」という感情を心理学的に解説するのが役目。
だが、日本一の座を奪われた後で、もりあがりは今ひとつ。
この種のイベントも来年は高知の四万十市が会場になるのか。

かようにメリハリのない夏だった。
旅行に行けず、日帰りの外出は暑すぎてどこにも行けないので、
せめて気分転換として、
池井戸潤の半沢直樹シリーズを3冊とも電子書籍で購入し、iPadminiで読んだ。
面白かったので、テレビドラマの方も観る事にした。
テレビといえば「あまちゃん」を毎日観ているせいで、
頭の中は「潮騒のメモリー」がリフレインしている。

そうそう、買い物として、BOSEの新発売のノイズキャンセリングヘッドホンを買った。
そもそもノイズキャンセリングしか使わない身として、この軽いタイプは待望の品。
もう少し使い込んだら、ここで論評してみる。


「特別警報」が発令されたら

2013年08月30日 | お天気
本日より、気象庁で「特別警報」という情報が使用されることになった。
これは従来の「警報」の上のグレードの情報で、これが発令された場合、何もしないわけにはいかない。

そもそも「警報」とはどのような情報であるかご存知だろうか。
「重大な災害が予想される」という情報である。
もちろん、勝手にそう”思う”のではなく、予想雨量など、数値的根拠によっている。

ただ、実際には、警報が発令されても、実際に”重大な災害”が発生したかというと、
もちろん警報によって普段の行動を控えたためでもあるが、
重大な被害といえるものは発生しない方が多かった。

なので、経験的に、警報が発令されても、
家でじっとしている限り、何も問題はない、という認識が広まっていった。

では実際に、死者がでるような重大な災害はどのような時に起きたか。
やはり「警報」発令中。
つまり、同じ警報でも、実際に被害が発生する場合と、じっとしていれば発生しない場合が含まれていた。

これだと、ホントに人的被害が発生しそうで、避難すべき場合でも、
いつもの警報時のように、家でじっとしていればいい場合との判別が困難になる。

実際に豪雨災害が起きる時は、「記録的短時間大雨情報」とういう情報が気象庁から発表され、
これは大雨警報よりハイグレードな”スーパー警報”なのだが、字面からいって、ちっとも切迫感がないのが欠点。

そこで、ホントに重大な災害が起きるとみていいレベルの事象(雨量、津波波高など)の情報として
「特別警報」が誕生した。

これが発令されたら、今までの警報のように「何もしないでいる」のではなく、
ただちに命を守る行動が必要になるレベルだと思ってほしい。
特別警報が発令されたら、もう被害が発生しておかしくないので、
できれば、「特別警報が発令されそうだ」という段階で避難を開始した方がいい。

ただ、具体的にどうすべきかは、事象と地域によって毎回異なるので、
マスコミよりは、よりきめ細かい居住自治体などからのリアルタイムの情報入手を心がけてほしい。

あまちゃんと半沢:2

2013年08月28日 | 作品・作家評

この夏も街中でただ1人”日傘男”を貫いているように、
世間に同調せず、マイペースで生きている私だが、
あえて世間に背を向けるのをよしとするほど、ひねくれてはいない。
すなわち、”通俗”を小ばかにするような、反動形成的俗物主義には陥っていない。

観るテレビ番組は報道か時事・教養に限られていた私だが、
今では毎朝、起きてまずする事として、「あまちゃん」を録画して観ている。
リアルタイムで観ているのだから録画する必要はないのだが、この番組をハードディスクにためたいし、消せない。
iTunesで、オープニング、ディセンバー、潮騒のメモリーと3曲買った。

そして寝る前に読むのは、池井戸潤の”半沢直樹”シリーズ。
テレビの「半沢直樹」は、今までまったく観なかったが、
原作『オレたち花のバブル組』を電子書籍で購入して、読んでみた。
その結果、もちろん、テレビの方も観たくなった。
テレビの東京編が始まった時は、その原作の『オレたちバブル入行組』を読み終えていたので、
追いついた感があり、落ち着いて視聴できた。
今では、小説の続編『ロスジェネの逆襲』(電子書籍版)を読んでいる。
これが後続するドラマの原作になるはず

9歳の甥も、『オレたち花のバブル組』を寝る前に夢中で読んで、寝不足だったという。
それほどまでに半沢直樹に夢中なのだ。
子どもがよんで分かるのかを聞いたら、テレビを観ているのでわかるという。
あの醜い世界が分かるのか…。
もっとも私も幼稚園の頃に「マタンゴ」(無人島で生きるため、エゴを丸出しにした大人たちの悲劇)を観て感動したもんな。

「あまちゃん」は9月で終了が確定しており、
『ロズジェネの逆襲』を今晩読み終えたら、私には新しい半沢直樹がいなくなる。

「あまちゃん2」は、おそらくないだろう(惜しまれて終わるくらいがいい)。
半沢直樹は原作段階でシリーズ化が進むとという噂。


熊谷のクレームについて

2013年08月26日 | お天気

「暑さ日本一」の座をかけての熾烈な争いは、何しろ、0.1℃きざみの最小差の凌ぎ合いなのだから、
外野からは面白半分、あきれ半分で見られている。

といっても当事者たちにとっては、日本の小中学生にはギネスブックより馴染のある
理科年表』にその名が堂々と記載されるか否かの重大問題である。
気温だけでなく、心までもヒートアップするのは仕方ない。
実際、一昨日、多治見市の職員の方に日本一でなくなった感想を尋ねたら、やはり残念だと言っていた。

ご存知の通り、熊谷(埼玉)と多治見(岐阜)がトップを分け合っていた中、最近になって頭角を現してきた群馬の館林が加わった三つ巴の争いの外から、ダークホース高知・四万十市の江川崎が41℃の大台をクリアしてしまった。
といってもその差は0.1℃。

私もブログで、これら地域の地理的条件を論じたが、
一番悔しがっている熊谷(何しろ、日本一暑いことがアイデンティティとなっていた)では、
もっとミクロなレベルの”不公平”が問題視されている。

それは気温を測る地面である「露場」(ろじょう)の違いの問題だ。
クレームをつけているのは熊谷で、その対象は館林・多治見・江川崎。
熊谷の観測地は有人の地方気象台で、きちんとした土に芝の露場となっている。
それに対し、他の3地点はいずれも無人のアメダスで、温度計の高さこそ、1.5mの規定を保っているが、
地面が土の芝ではななく、ほとんど裸地で、しかもアスファルト面がすぐ近くまできているという。
すなわち、地面が気温以上に熱せられる状態なわけだ
(ただし温度計部分はいずれも直射日光が当たらないよう通風性のあるもので覆われている)。

そもそも気温観測が「地上1.5m」と指定してあるのは、
その高さだと地表面の輻射熱の影響を受けないとされているからである。
実際、自分の私設気象台でも、設置場所がやたら輻射熱が強いコンクリの地面だったので、
地表から測器のある1.5mの高さまでの温度分布を測定してみたら、
1.5m上では地面の熱の影響を受けない事を確認した。
ただ、その影響は絶対に0.1℃を超えないのかと問い詰められれば、
常時温度分布を観測しているわけではないので、返答に窮す。

といっても、多治見や館林が高い気温を記録するようになったのは、熊谷よりも遅く最近で、
最近になってそれらの露場が急に裸地化したわけではなかろう。
だからこれらの地の最近の高温化は、露場が原因ではないはず。

むしろ空気中の”気温”としてならば、1.5m下の地面よりも、
都市としてのヒートアイランドの方が影響があるはずだ。
その意味では、新幹線も停車する都市規模の熊谷市の方が、
他の3ヶ所よりもヒートアイランドの恩恵を受けているはず。
最近になって多治見の観測値が高温化したのも、都市化の影響と分析されている(気象学会誌の論文による)。

そういえば、日本一になる前の熊谷は、その暑さが東京のヒートアイランドを運ぶ南風によるものなので迷惑顔だったよな。

いずれにしても、環境条件が統一されていないのは確かだ。
だからといって、「地方気象台と無人アメダスの値を同列に論じるべきでない」と言われても困る。
全国のアメダスや気象台の気温を比較する場合、
0.1℃程度の差は誤差の範囲内として問題にすべきでないことが前提のはずだから
(実際、観測器の測定誤差は±0.1℃くらいなはず)。

それがまさか「日本一」の座をかけて、誤差範囲である0.1℃の争いを数ヶ所ですることになろうとは、
気象庁も予測できなかったろう。
人の心は、天気より測り難いということか(w)。

「多治見のアメダスを確認」
☞「館林の気温はズルいか、検証してみた
熊谷のアメダス訪問記

 

 


夏休みを迎えたものの

2013年08月26日 | お仕事
国会図書館新館のパソコンが使える閲覧室に篭って、
 前期授業の受講者のレポート集(pdf)の発刊(前書き執筆)と受講生への添付、
 前期開講のオムニバス授業の改善案の作成と送信、
 執筆中論文の原稿案の作成と共著者への送信、と
夏休み中にやり遂げるべき仕事関係の作業を終えた
(大学関係の作業とコミュニケーションはすべてネットで済ませられるからいい)。

本来なら、これで図書館に篭る日々から解放されて、
遅めの”夏休み”を満喫したいところだが、

今年は白内障手術直後のため、
まず1ヶ月間は運動ができない。
そして2-3ヶ月間は温泉などの大浴場に行けない。
というので、私にとっての2大旅先である「山」にも「温泉」にも行けないのだ。

しかも、来月中ごろに予定していた、友人たちとの「山陰旅行」(予定していた唯一の旅行)も無期限延期になってしまった
(上の理由でどうせ温泉に入れないので、「三朝温泉」が延期になってくれてよかった)。

仕事は篭って集中し、遊ぶ時は遊ぶ
というメリハリのある生活をしたいのだが
今夏の私は仕事だけはして、遊びの予定がまったく無い身。

パソコン画面をにらめっこする代りに、
研究や授業とは無関係の小説でも読みふけるか。

きのこグッズを買う

2013年08月25日 | 生活
名鉄百貨店一宮店でやっている「きのこフェスティバル」に行った。
きのこグッズの店が集っているという。

行ってみたら日曜の午前中ながらも、閑散としていた。
”きのこファン”てそう一般的ではないしな。
それに店側も来客も女性ばかり。
男のきのこファンていないのだろうか。

私が会場内を歩いていると、私のバッグにぶらさげていたベニテングタケのストラップを、
売り場側の人(♀)が見て、「それ珍しい」と声を掛けられた。
さらにきのこ本を販売している別の人(♀)からも声をかけられ、
「それは今は販売されていない貴重なもの」だといわれた。
このストラップ、たいして気に入っていないのだが、その道の人から見ると注目に価するのか。

普段街を歩いていて、このキノコに向って声を掛けられた事などもちろんない。
かくも好事家が集る場所だと、コミュニケーションがその世界独特になるんだな。
私は、一応はきのこ好きだが、それほど強い思い入れとか詳しいとかではないので、
ホンモノのきのこファンの人たちとの会話が進まないのが残念。

一堂に集められたきのこグッズを見ていると、買いたいものが多すぎてかえって困る。
かといって大人買いするほど思い入れのあるモノはないし。
どこかに常設店舗があるといい。
そしたら時たま来て、ちびちび買い足していきたい。

さて、私は、かわいいキノコの置物やアクセサリーには手を伸ばさず、
床からじかに生えているような、ちょっと不気味なキノコグッズを選んだ。
それと、和紙で作られた手のひらにのる大きさの幻想的なキノコランプ(写真)。

何しろ、私の理想の空間は、地面から生えた大小のキノコが密集する
「マタンゴの森」だから。

後味悪い講演

2013年08月24日 | お仕事
多治見市で講演をしてきた。
夏の前に、”日本一暑い”多治見の暑気払いのため、
「恐い」体験をするイベントの1つとして、
「恐怖」を心理学的に解読する講演が計画された。

その講師として、私に白羽の矢が当たった理由は、
ネットで公開している拙稿「恐怖の現象学的心理学」が読まれたため。

こういってはなんだが、既存の恐怖研究では、
恐怖は”危険に対する反応”という生物学的視点の枠内に留まっているため、
夏の怪談で、恐さが楽しまれる現実を説明できない。
多治見市の担当者によれば、この問題に心理学的に言及しているのは、
ネットでは拙稿くらいしかないらしい。

なので、単なる恐怖反応の説明で終わらずに、
暑気払いとしての娯楽化された恐怖を説明することと相成った。

ところが、
残念なことに、今月に多治見は「暑さ日本一」の座からすべり落ちた。
多治見市民にとって、「暑さ」に対する自負は一気に冷めてしまったようだ。
そういうこともあってか、聴講の申込者は少なかった。

拙稿は一応学術論文なので、そのままを講演原稿にするわけにはいかない。
それに、せっかくの機会なので、危険でない恐怖、楽しまれる恐怖について、
より前進させた論究をしたい。
というわけで、講演で示すプレゼン原稿の作成はかなり試行錯誤した。

オープンキャンパスの模擬授業のように、何度も繰りかえした講演なら、
構成も話し方も一定の完成度で示せる。

ところが、今回のような初めての内容だと、直前まで試行錯誤し続けるので、
構成にも、話し方にも、未完成感が残り、いつも後味が悪い。
今回も、そうだった。

でもそのおかげで、恐怖についての考察を更に深める方向が見えたので、
それをもとに新たな論文「恐怖の現象学的心理学2」に着手することにした。
それが完成したら、より構成のしっかりした講演ができそうだ。
次回は満足する出来にしたい。

雷雨下の静電位

2013年08月21日 | 計測
21日午後10時、東京区部は激しい雷雨にみまわれた。

ロケーター(簡易電位計)で、空気中(室内)の電位を計ってみた。
通常は、-0.1kVだ(以下同単位)。
スイッチを入れると、-0.0から-04までの間を激しく循環する。
雨が激しく降り、雷が頭上で炸裂する頃は、-0.5の標示で固定。
雨はそのままで、雷雲が遠のきはじめると、また-0.0から-0.5までを循環し、
雷鳴が聞こえなくなってもその状態が続き、やがて-0.0から-0.2の循環に収束していった。
そして頭上からレーダーエコーが去ると、もとの-0.1固定に戻った。
大気の電位変化をリアルに体験できた。
この電位の変化は、強い雨滴によるものらしい。

それと、最初の近隣(文京・台東区あたり)への対地放電は、
雷雲がまだ遠く清瀬・練馬あたりにある頃だった
(東電の雷雲・落雷合成情報のサイトをリアルタイムで確認)。
すなわち雷雲がまだ数キロ以上遠くにあっても、頭上への落雷がありうるという事実を体験した。
やはり雷はこわい。

人間は草食動物らしい

2013年08月21日 | 健康
7月21日のブログ記事で紹介した『エビデンスで知る がんと死亡のリスク』(安達洋祐著)。
実際のエビデンス(統計データによる疫学的証拠)にもとづいた内外の研究結果を集め、
発がんをはじめとする健康リスクを網羅的に紹介したものだ。
本書を通読すると、人間は本来は草食動物ではないだろうかと思えてくる。

なぜなら、牛や豚などの赤肉は胃ガン、大腸ガン、膀胱ガンのリスクを増やす一方、
野菜は胃ガン・肝臓ガン・大腸ガン・結腸ガン・乳ガンを含むガン全般のリスクを減らし、
脳卒中と心臓病もリスクも減らし、
菜食主義者は寿命が3.6年長いというから。
野菜の他に、豆類・全粒穀物・果物も血糖値や血圧、
コレステロールに好ましい影響を与える証拠が明記されている。

人類はたぶん、当初から”雑食”になっているらしいが、他の類人猿は果物などが主食であり、
数千年来、農耕で穀物を主食にしてきた人類もその意味では草食性が強い。
他の類人猿が食べる肉といっても昆虫や小動物であり、
肉食獣のように大型動物の肉ばかりを食べる生活ではない。

主に草食の生き物では、他生物の肉は体にとって元来は異物であり、
多量に吸収すると毒として作用してしまうようだ
(ただし魚やは肝臓ガン・脳卒中・心臓病のリスクを低めこそすれ、他の発がんリスクを高めない)。

実は私は、物心ついた頃から、動物性食品が苦手で、今でも寿司以外の動物性食品は、
たとえば名古屋で自炊をする場合は好んで摂ろうとはしない。
それでも動物性蛋白質を摂取しないといけないという強迫観念はあるものだから、
無理して卵や牛乳を摂っていた(むき出しの肉や魚には全く手が出ない)。

その一方で、野菜はどれも抵抗がなく、
野菜炒めやサラダのカラフルな野菜の盛り付けを見ただけでワクワクする。
一番好きなのは大豆で、納豆も豆腐も枝豆も好物で毎日摂ってもいい。
なので私の身体を構成する蛋白質の大半は大豆由来だ。

幼少時から自分は草食動物だと思っていたという、
名実ともに元祖”草食系”を自任する私。
健康のためにも、「動物性蛋白質を摂らねば」という強迫観念から自由になっていいようだ。

余分なのはアルコールだけだな…

下調べなしの報い

2013年08月20日 | 東京周辺
小4の甥を科学博物館の「深海」特別展に連れて行く約束をしていて、
前回は館外での長蛇の列に怖じ気づいて、本館だけの見学に切り替えてしまった。
そのリベンジを今日挙行。
だが、夏の火曜は夕方6-8時までやっているはずなので、空いた夕方に行けばいい。
そうなると昼が暇になるので、そば好きの甥のために、調布の深大寺まで行って深大寺そばを食べる事にした。

深大寺には我が母(甥にとっては祖母)も同行することとなった。
寺の門前はそば屋が軒を連ねているので、ネットなどで評判のいい店を絞り込んだ。
食べるのは最安値の「もり」にして、あわよくば2軒はしごしたい。

京王線、京王バスと乗り継いで、14時に門前に到着。
そうしたら、第一候補と第二候補の店が、ともに臨時の「夏休み」で休業だった。
ネットで店のサイトをチェックしたのだが、定休日以外の休業情報は目に止らなかった。

第三候補までは決めていなかった私にはもはや選択能力がなく、
目の前の空いている店ですませた(もりの他に、深大寺ビールも賞味)。

甥はかき氷も目当なのでで、歩きまわって一番安い店(200円)に入った。
なにしろまだ小4なので、少なめで充分だから。

深大寺の門前で、かくものんびりすごし(もちろん本堂や白鳳仏の参拝も済ませた)、
バスでつつじヶ丘駅に行き、そこから新宿経由で、上野に向った。
田端で母が降り、科学博物館に着いたのは午後4時。
チケットを買ったら、今日は午後5時で閉館だと。

あと1時間しかない。
でもネットの評判によると内容的に1時間あれば充分だと思い、迷わず入った。
実際、見るべき対象は1時間で足り、ショップでの買い物を含め、50分で出て来た。

今日の外出イベントは、きちんと下調べをしなかったがゆえの失敗が重なったが、
幸いにも挽回可能なレベルで済んだ。
しかし、休業日と閉店時間のチェックは最低限必要だということが身にしみた。

夏祭り

2013年08月18日 | 歳時
わが実家の第二鎮守である八幡神社(4区の境に住んでいるため、心の鎮守が複数)の夏祭り。
近隣の氏子を率いる郷社だが、境内が狭く、出店は一軒もない。

しかもお盆休みに重なっているので、担ぎ手を集めるにも苦労していそう(氏子を語るくせに他人事だなぁ)。
それに、この暑さだ(最高35℃)。
日中に神輿を追ってみようと思ったが、外に出て日射を浴びただけで気がくじけた。

でも今年は6年に一度の神輿の”渡御”があるという。
夕方、多少涼しくなった頃に近所の渡御行路に出向いて(浴衣姿で)、6年に一度の神輿を拝んだ。

神輿を担ぐ人たち、それを囲む人たちを見ると、
神社を中心とする昔ながらの共同体(人びとの精神的つながり)が復活したかのようで、
この熱気に日本人の底力さえ感じる。

東京-名古屋鈍行往復

2013年08月15日 | お仕事
東京の実家に帰省中だが、一旦名古屋に戻る用事ができた。
①大学に設置してある私設気象台の観測データを配信するパソコンを工事の停電後起動させるため、
②前回の帰省時に忘れた投函予定の封筒を取りに帰るため、
そして③棲み家のベンジャミンに水を遣るためである。
棲み家のベンジャミンは一緒に住んでもう20年以上たっているが、
最初の数年以降、半分枯れて半分生きている状態が続いている。

かくもちょっとした野暮用に過ぎないので、新幹線で往復2万を出すには忍びない。
勤務先は夏季休業中で、急いで行かねばならない用事でもなく、また急いで戻る必要もない。

なので、「青春18きっぷ」で名古屋に往き、棲み家に一晩泊り
(ベンジャミンに水を遣り、置き忘れの封筒をバッグに入れる)、
翌朝大学での用事を5分ですませ(パソコンの電源を入れ、ネット接続を確認するだけ)、
また18きっぷで帰京する事にした。
18きっぷの利用は毎年夏にやっている事で、もう慣れている。

片道6時間、冷房が効いた車内に座りっ放しなので、
長袖・長ズボンでないと冷える。
以前は、長時間の車内読書用に分厚い本を持ち込んだが、
今はiPadminiに数冊分をインストールし、身軽になった。
ただ、往きにiPadminiで電子書籍と音楽をともに利用し続けたら、バッテリーがもたないことがわかった。
なので、名古屋からの帰りは、iPadminiは読書専用にし、ヘッドホンでの音楽はiPodtouchに分業させた
(WiFiをオフにするとなんとかもちそうだ)。

東京発も名古屋発も昼前に乗って、夕方に着く。
なのでいずれも昼食は駅弁にする。
東京発の時は、変則的だが崎陽軒の「特製シュウマイ」(高級シュウマイのみでごはん無し)。
ポピュラーな「シュウマイ弁当」にしない理由は、せっかく崎陽軒で買うなら、
「ひょうちゃん」がほしいから。
ひょうちゃんの種類は40種以上あるらしいいが、いまだ同じものがない。

名古屋発の場合は、浜松で改札を出て、浜名湖漁協の「うなぎ弁当」を買う。
何しろここのは浜名湖産うなぎだから。
途中下車したので、電車を1本分見送り、待ち時間にホームのベンチでうなぎ弁当をかっこむ。

というわけで、新幹線往復にくらべて15000円も浮くだけでなく、
長い読書時間を得て、鉄道旅行気分も味わえる。
私にとっては、とても合理的な手段だ。

ただ、より合理的にと、早朝に東京を発って、午後に名古屋で用事を一気にすませて、
夕方名古屋を発って、夜11時に帰京するという、18きっぷ1回分(2400円)での往復も考えたが、
1日に12時間もの乗車は、過去、名古屋から18きっぷで”飯田線乗り通しの旅”でやった時
(名古屋-塩尻-岡谷-飯田-天竜峡-豊橋-名古屋)、
とてもつらかったので、時刻表上でシミュレートしただけで実行する気になれなかった。

寝る時も冷房

2013年08月14日 | お天気
気温25℃の熱帯夜だと、室内は28℃を超える。
これでは暑くて寝られない。
最悪、睡眠中に熱中症になる。
電気代をケチって死を選んでいる人がいるのは嘆かわしい。

私は、翌朝を確実に目覚めたいので、寝る時も冷房を切らない。
設定温度を28-29℃にすれば、明け方でも冷える事はない
(最適な設定温度は各自試行錯誤すべし)。
サーモスタットが作動して、設定温度に達すればエアコンは自動的に止るし。

室内温度がばか高くない時は扇風機をつけっ放しにすることもある。
扇風機をつけっ放しで寝ると、
死ぬとか風邪をひくとかいう”迷信”をいまだ信じている人がいるらしい。

幾晩も扇風機をつけっ放しで寝た経験者に言わせてもらえば、
扇風機をちょっと遠くにおいて”微風”にすれば、快適な睡眠を得られる
(室内温度が高すぎるときはエアコンでないとダメ)。
扇風機の場合は、温度設定はできないので、タイマーを使う。

夜の温度が下らない都市での密閉した家屋空間では、機械による空調に頼るしかない。

暑さ日本一の熾烈な競争

2013年08月13日 | お天気

四万十市の「江川崎」が41℃の大台に乗って、暑さ日本一の称号を奪取した。
それまでチャンピオンだった熊谷と多治見は、
もはや市のアイデンティティとまでなっている”暑さ日本一”の座を譲り渡すはめとなった。
さぞかし悔しいだろう。

ただし、江川崎との差は0.1℃という最小差。
落胆する差ではない。
江川崎とて、鼻の差のトップなのだから安閑としてはいられない。

温暖化が進展する今後、「日本一」という名誉の称号を競う一方、
住民にとっては迷惑このうえないこの熾烈な暑さ競争の今後を予想してみよう。

そもそも一般論として、緯度が南にいくほど暑いのだから、
南四国は関東・中部より緯度的に絶対有利。
次に、地理的条件として、海岸沿いや標高の高い山中は不利。
望ましいのは標高が低い平地で、風上に山があると俄然有利となる。
なぜなら、周囲から群を抜いて異常に高温となるのは、山越えの”フェーン現象”によるからである。

半世紀以上もの間、日本一の座に君臨していた山形がそうだった。
ただし、緯度の高い北国は通常は暑くないだけに、
山形が再び1位の座を奪還する確率は低いとみていい。

南四国の江川崎は盆地状でしかも標高は低い。
さらに南に開けているので、南からの暖気も入り込みやすい。
有利な条件が揃っている。

熊谷は最近調子が悪い。
むしろ利根川の向かいの館林が、昨年来、関東一の座を安定して保っている。
それに今年は、山梨の勝沼・甲府も熊谷を上回っている。

熊谷は「暑さ対策日本一」を目指しているから、
むしろ昇温に歯止めがかかっているのかもしれない。
関東の熱源である東京のヒートアイランドからの南風が熊谷ではなく館林方向に流れているというデータもある。

多治見は、周囲にライバルはおらず、東海一の座は安泰なようだ。
多治見が最近になって頭角を現してきたのは、都市化の進展によるという
(森と田んぼが減ってコンクリ・アスファルトが増えた)。
言い換えると、都市化が進展しきった名古屋や岐阜はもはやライバルではない。

熊谷もそれなりに都市化しきった感じで伸びしろがない、
館林は都市化過程にあり、伸びしろがあるようだ。
ただ館林はフェーンという地形的昇温の恩恵を受けない場所なので、
今後の熊谷には勝てても、日本各地の強敵盆地を抜いての「日本一」は難しい。
一方、盆地代表格である勝沼甲府は標高の高さがハンデとなって、大化けはしにくい。

となると、今後もトップを争うのは浜川崎と多治見ではないか。
浜川崎には都市化という奥の手もあるが、
高知県の西の端というロケーションは、むしろその逆方向の可能性を否定できない。

一方、多治見は、中京圏が今後も発展すれば、風上の名古屋と岐阜のヒートアイランド化が更に進み、
多治見自身もベッドタウンとしてさらに都市化が進む、という相乗効果を期待できる。
私のひいき目もあろうが、多治見は今後も東海代表として、
日本の暑さをリードする集団に居続けるだろう。

さて、ここまで来てもういちど原点に帰ってみよう。
”暑さ日本一”の所は住みやすいだろうか。
同じ日本一なら、”快適さ日本一”の方がはるかに魅力的で、実際人も呼べる。
暑いだけが取り柄というのは知名度は上っても魅力にはつながらない。
暑さに負けない何かをこそ開発しアピール必要があるというものだ。
この点をこそ、競ってほしい。

「熊谷のクレームについて」


あまちゃんと半沢

2013年08月12日 | 作品・作家評

このブログでも”テレビ見ない”自慢をしていた私だが、
テレビを持っている身として、見るに価する番組がないのは、決して喜ばしい事態ではない。

そんな私が、思いも寄らずはまってしまったのが「あまちゃん」。
スナック「梨明日」に集う面々のやりとりだけでも面白かったが
東京での芸能界の裏側編も別の面白さがあって目が離せない。
見逃したくないので毎日録画し、見ても惜しくて消去できないでいる。

そのあまちゃんを凌ぐ視聴率を誇っているのは「半沢直樹」であるが、
こちらについては私はまったく見ていない。
堺雅人は好きな役者だから、嫌っている訳ではない。

毎朝8時からの15分間は、起き抜けの頭のリフレッシュに丁度いいのだが
毎週日曜の21時からの1時間は、昔からの「お勉強時間」なので、テレビをつける習慣がないのだ。

それと、ちゃんとした原作があるなら、むしろ原作の方で感動したいというのが私のモットー。
なので、半沢の方は、池井戸潤の原作の電子書籍を購入して読んでいる。