今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

小腹が空いたらスープ春雨

2021年01月31日 | 生活

私は、朝食は具たっぷりの味噌汁2杯、昼は無し、夜は普通、そして寝酒とつまみ、という食生活をしている。

余分な「寝酒とつまみ」があるせいで、昼をカットして、なんとか帳尻を合せている(野外活動の時は昼食をちゃんと摂る)。

というわけで、明るいうちはできるだけ食べないのだが、どうしてもという時は、カップ麺を食べていた。
もともとは不健康食の代表と見なしていたカップ麺だが、最近はカロリーも塩分も控えめのものがでてきたので、選択肢に入るようになった→「健康を考えたカップ麺」。
ただ、それでも200kcalを越える。

スーパーに行くと、自前の器(カップなど)に入れるもっと小振りのスープ麺があり、カロリーは140kcalなので、そちらにシフトしかけたが、食べ終わった後の器の内側に油がはっきり残り(洗剤を使わないと落ちない)、小振りの麺でもこんなに油を摂っていたのかと驚いた
この油は、スープではなく麺に由来しているようだ(1食当り脂質5g前後)。
個人的に油(脂質)は、亜麻仁油・えごま油・オリーブオイルから摂りたい。

小振りでも小腹の飢えを満たせることがわかったので、さらにカロリーが低いスープ春雨にシフトした。
こちらだとカロリーはなんと40-60 kcal。
春雨なんて小腹の足しにもならないだろうと、食べる前は思っていのだが、小振りのスープ麺並みに食べでがある。
しかも麺でないので油が出ない(脂質は0.1g!、スープの種類によっては0.6g)。

カップ入りのもの(100円ほど)でもいいが、大きな袋に5種類10食分とか入った方がお得(油が出ないので器も水洗いで済む)。
スープ麺の欠点は塩分だが、減塩タイプも出てきた(食塩相当量1g前後)。

これなら、食間の普通に小腹が空いた時でも、たった40kcalだから問題ない。

もっとちゃんとした"食事"にするなら、野菜やタンパク質(カニカマ)を加えればよい。


両膝の手術を終えた母

2021年01月26日 | 身内

長年、膝関節症を患っていた母(91)が、昨年のステイホーム生活によって筋力が衰え、とうとう歩行困難に陥った。
長年、薬やマッサージで凌いでいたが、こうなったら最後の手段である手術に踏み切らざるをえない。

選んだ先は、この世界の権威(中川匠医師)がいる帝京大学病院。

手術は両膝の膝関節のすり減った軟骨部分に金属板を入れるものだが、術後のリハビリ入院に片方で3週間、両膝で6週間もかかる。
この長期入院自体が苦痛なので、12月にもともと悪い左膝の手術とリハビリ、年末年始を家で迎えて、正月明けに残りの右膝の手術とリハビリということにした。

幸か不幸か、その期間中は都内にコロナウイルスが蔓延していたので、面会謝絶の安全空間に隔離できたことになる。

2回目の手術の回復(傷口の融合)が意外に早く、そして日に30分のリハビリ以外に暇な入院生活、しかも同室には認知症を示す人がいるので、母は早期退院を希望し、なんと1週間早く退院できた。

膝を曲げるリハビリは自宅でもできる。
なにより、病院の早い消灯時間がリズムに合わず、結果的に睡眠不足だったという。
睡眠不足は認知症に良くない。
数年前、母は脳梗塞で入院していた時(もちろん別の病院)も、同室の老人が数日の間にあれよあれよと認知症に陥った(最初は普通に会話できたのに、うわ言ばかりで会話不能になった)のを目の当たりにしている。
いうなれば、母自身が認知症になる前に退院できたわけだ。

ウィークディの仕事の合間を縫って帰京したら、台所に立つ母の両脚はまっすぐになっていて、手術前のO脚とはまったく別の姿に。

入院中の睡眠不足がたたって、まだ眠気が抜けないそうだが、徐々に生活リズムを戻して、リハビリに専念してほしい。

ちなみに、母の友人たちは、夫に先立たれて一人暮らしが多いそうで、独立した子どもから電話で、外出しゃダメと釘を刺されていて、孤立した生活が辛いらしい。
実際、認知症やうつ病を悪化させたり、運動不足で室内で骨折する老人が増えている。
何も外出それ自体が、ダメなのではない。
マスクを外した会食を避ければいいのだ。
屋外での歩行中はマスクも不要なほどなのに…
過剰防衛は、逆効果を生むことを理解したい。
正しく恐れればいいのだ。
なので私はこうして(ガラガラの)新幹線で名古屋と東京を往復する。


そこを定宿にした理由:追記

2021年01月18日 | 

コロナ禍で、旅そのものが抑制される中、行き先はおのずと限定される。
こういう時、どうせ泊るなら”定宿”だ。
それは経営的に応援したいという気持ちだけでなく、そもそもお気に入り第一位なので、必然的に選択対象となるから。

私の定宿は、ここで再三紹介しているように、岐阜県・中津川市にある「ホテル花更紗」。
毎年複数回利用しているが、コロナ禍になってからの1年以内に、今回で5回目の投宿。

名古屋から毎月の温泉旅をしていた(コロナ禍では抑制)この私にとっても、結局、定宿は早くからここに固定し、ずっと変更がないまま今に至っている。

まず私が利用する宿の価格基準として、上限は一泊二食付きで15000円程なので、世間でいう”高級宿”は対象外(実際には上限を超える宿にも泊る)。
下限は私の表現でいう「安宿チェーン」で、8000円台。
安宿チェーンは設備の古さと料理の質に満足できないので(その中で毎年1回は利用するのが、湯快リゾートの「恵那峡国際ホテル」)、いちばん利用しやすいのがその上のグレード帯で11000ー12000円の休暇村レベル(休暇村では「休暇村茶臼山高原」を年2回利用)。
といっても休暇村クラスは、貧乏臭さがないレベルで、定宿にしたいというほどの高得点には至らない(グリーンプラザの方が高得点)。

この基準からいうと、ホテル花更紗は上限に近いので、価格的にはここより安い宿を選びたい。
高額なほど質も高くなるのは確かだが、ここが気に入っているのは、一言で言えば、感性的に心地よいからだ。

この宿から得られるのは、リッチさではなく、飾らない上品さ
”これ見よがし”の、あるいは”ツンとした”上品さではない。
たとえば和服姿の従業員が一列に並んでお辞儀をするとか、アート的なインテリアをあちこちに配置するようなわざとらしさとは違う、もっと自然に表現されるもの。

宿のたたずまいから浴室(総檜!)、料理、そしてスタッフの応対に至るまで、この飾らない上品さが一貫している(宿の造りは質素にしか見えないかも)。
※:夕会席の「前菜」の意匠を毎回楽しみにしている。今回の前菜三種盛りは、蟹とんぶりオリーブ和え(中津川産ちこりを添えて)、鮑白和え(殻盛り)、鮟肝ポン酢掛け。

飾らない上品さこそ、本来的に身に付いた品性が表現されたものではないだろうか。
といっても私がそれに敏感なのではない。
それを素直に感じさせてくれるのが、この宿なのだ。

この慎ましい品性は、安宿チェーンにはもちろん望むべくもないが、かといって「すごいでしょ」とばかりに設備や料理の豪華さを”売り”にするリッチな宿にも見当たらない。
豪華さだけでは、品性に直結しない。

この上品さを受ける側の私も、もちろん常連風を吹かすことはせず、慎ましくサービスを受ける(ただ鶏肉が苦手なのはわかってもらっていて、料理に配慮される)。

かつては苦言を呈したこともあったが(すぐに改められた)、逆に私が改めさせられたこともあった。
私自身がここの自然な上品さに感化されたともいえる。

同宿の客に眉をひそめたことはなく、むしろスタッフが奥に退いた食堂で「ごちそうさま」と声を張って伝えようとする客の振舞いに感心した。
もともと有名観光地でないこともあり(多くの客はここを素通りして木曽や下呂に向う)、客層もそれなりに絞られるようだ。
私にとっては、観光地としては魅力ある木曽路に行く際も、ここを素通りすることには勿体なさを禁じ得ない。

それに加えて、宿の周囲に広がる恵那山麓の里山風景、そして近くの木曽馬籠宿の存在もこの宿の魅力に貢献している。
観光写真に載るような風光明媚さはないが、ロケーションからして慎ましく上品なのだ。

安宿は何かしら不満を覚え、リッチな宿はコスパ的に満足しないため、定宿にはならない。
心地よい上品さにひたれてこそ、滞在中なのに「また来たい」と思う定宿になる。

追記:2022年3月、残念ながら、定宿ではなくなった→定宿だったのに


緊急事態宣言下の中津川を巡る

2021年01月18日 | 

緊急事態宣言下の旅行は、もちろん一人でマスクをして、3密を避けて、地域経済に貢献する。

定宿に泊った翌日、素泊りなので朝食は持参した「スープはるさめ」(86kcal)で軽く済ませ、
まずは車で近くの馬籠(まごめ)に行ってみた(旧中山道宿の風情を楽しみ、木曽の土産物を物色するため)。

※:木曽路にある文豪島崎藤村の出身地である馬籠は、長野県・山口村に属していたが、平成になって岐阜県・中津川市に編入された。

斜面に沿った馬籠宿の下の入口にあって広い無料駐車場を併設する「まごめや」こそ開店しているが、坂を登っての馬籠宿を構成する店はことごとく休業。
そして道を歩く人影がまったくない(写真)。
数え切れないほどここには来ているが、見渡しても人影がない「無人の馬籠宿」という風景を見たのは始めて。
これこそ”異常事態”。
馬籠宿の上半分は見ていないが、少なくとも下半分では「坂の家」という店だけが一軒気を吐いて営業中で、食事もできる(「まごめや」の食事処は休業)。
その意気や立派。
今なら、誰もいない映画のセットのような、ある意味貴重な風景を味わえる。

ここから旧中山道沿いの細い道に沿って木曽路南端の新茶屋を抜け、山中薬師への更に細い道を行く。
ここは宿から一番近い薬師様で、2020年4月の”薬師巡り”(→記事)の時印象に残っていた。
向いの駐車場に車を停めて、本堂に上がって厨子に入った本尊前立の薬師様を拝む(疫病退散を祈念)。

ここから木曽の山を降り切って中津川駅前に行き、2時間無料の市営駐車場に車を置く(これ便利)。
朝食が”はるさめ”だったこともあって、昼食を摂りに来た。
こういう時こそ、日頃は行列の人気の高級蕎麦店に入るチャンスなのだが、店の前で中を探ると、カウンタ席のカップルが楽しそうに会話している。
狭い店なので、二人から距離をとれるかわからない。
それに、もともと昼食を摂る/摂らないの境界状態ということもあり、心理的・財布的に余分な負荷をかけたくない。
ということで、2020年7月(→記事)に入った地元B級グルメの”焼そば”にした(これならワンコイン)。
地域経済への貢献を謳っていながら、どうしてもケチってしまう自分の性(さが)にあきれる。
償いのため、駅前のビルにある地元物産品を集めた「にぎわい特産館」に行き、そこで地元伝統野菜の「あじめコショウ」(唐辛子)とアメリカ人が地元で開業しているコーヒーショップのドリップコーヒーをそれぞれ1袋買った。

ここから少し歩いて自動車用トンネルの脇を上がった処にある「扇薬師」を訪れる。
昨年の薬師巡りの時は、市営駐車場が使える事を知らなかったため、交通量の多い道路に車を停めることもできず、ここの薬師だけ参拝できなかったのだ。

地元の花崗岩を使った石造りの小さなお堂で、木の格子がはめてあって中は見えない(写真)。
ただ周囲に石仏もあり、狭いながらも信仰の形跡がはっきりしている(ここ中津川は藩主自ら排仏毀釈を断行した地)

これで中津川での心残りは、高級蕎麦店だけとなった。


緊急事態宣言下に温泉旅行

2021年01月17日 | 新型コロナウイルス

1月中旬のいろいろな業務を終えて、リフレッシュのために定宿の温泉ホテルに泊る。

出発地の愛知県も宿のある岐阜県もともに緊急事態宣言下だが、車での一人旅なので、問題はない。
空間移動、ましてや一人で自家用車での移動で、部屋もシングルルームなので、他者と空間を共有する職場よりもはるかに安全(もちろん室外ではマスク)。

1年も付き合っているのだ、感染のリスクは常識で判断でき、一人での行動力があればそれを防げる。

実際、昨年4月の緊急事態宣言下にも、同じパターンの旅行をした。

食事は、一日目は、あえて素泊りにし、併設のスバ施設のレストランで大振りのエビフライ定食を食べる。
夕食時なのだがレストランも空いていて、しかも一人用のカウンター席なので安全。

素泊りにした一番の理由は、旅館の夕食って一般的に量(品数)が不健康なほど多すぎ、自分には食堂の定食レベルで充分のため(それでもご飯が多すぎ)。
そして、豪勢な朝食はもっと不要で、しかも朝は目覚ましで起こされて食べるよりもゆっくり寝ていたい。
なにしろ、私の日常の朝食は味噌汁か「スープはるさめ」(100kcal未満)で充分なのだ。

この宿には幸い”小食会席”プランがあるため、定食続きというのも寂しいので、二日目はそれにする。

かくしてシングルルームだと食事代の方が高くつくため、結果的に宿代が浮く。
こうケチりながらも、こんな時期にあえて泊って定宿の営業には貢献したいのだ。

温泉には日に4度(朝、午後、夕食前、就寝前)入り、あとは部屋で持参したノーパソを使って授業レポートの採点作業をする。
リフレッシュが主目的だが、仕事もこなせる。


緊急警戒宣言下の谷中七福神巡り

2021年01月10日 | 東京周辺

谷中七福神は、日本最初の七福神巡りという。
ということは、今や全国に拡がった七福神巡りの発祥元ということ。
その谷中七福神の開帳は本日が最終日なので、歩行運動を兼ねて七福神巡りをする。
もっとも福神の七つのうち五つが自宅からの散歩圏内なので、散歩の延長気分で地図なしで気楽に行ける。

これって「不要不急の外出」かもしれないが、病魔退散祈願という目的を掲げ、屋外の歩行なので問題はない。
それに御朱印集めの趣味はないので、列に並ぶこともない。
人間はかように状況判断できるので、「緊急警戒宣言下の外出」というだけで、パブロフの犬のごとく条件反射的に反応しないでほしい。


まずは北区田端の東覚寺(真言宗)。
今年は本堂内に入れず、本堂入口に福禄寿像が置いてある。
この寺の裏庭の築山に、七福神像が散在しているので、実はここだけでも七福神巡りができる(忙しい人にお勧め。私は元日にそうした)。

次の寺に行くには、正規ルートでななく、目の前の信号を渡って与楽寺(”六阿弥陀”の1つ)を経由するといい。


さらに荒川区西日暮里4町目の住宅街を歩くと、各家に「都市計画道路反対」の表示が目につく(写真)。
この狭い道路を拡張して幅20mの大通りにする計画がなんと関東大震災直後(大正時代)から計画されて、それがやっと部分的に実現したのが東覚寺前の広い道路(ただし通る車はほとんどない)。
その先の道路が荒川区の住宅街を突っ切って計画されているが、実はさらにその先の台東区谷中側は、住民の反対もあって道路計画がなくなって、西日暮里駅前の通りに出合う所で終りになる。
ということで幹線道路としての価値は著しく減じるわけだが、もともと防災用の道路計画(延焼の遮断と緊急車両の通行)なので、車が通らなくても広い道路にすること自体に意味がある。
でも計画道路上の住民は立ち退きが求められ、閑静な周辺住民も大通りに面するので、こうして反対運動が起きて膠着状態を示している(住民の気持ちは痛いほどわかるが、都市防災の視点からは、消防車の入れない木造住宅密集地を無くしたい)。


道路を渡った西日暮里3丁目側の小さい青雲寺(臨済宗)は、本堂の扉が小さく開いて、そこから鯛を抱えた恵比寿様が拝める。
同じ並びの修性院(日蓮宗)の大きな布袋像は、一見に値するが、今回は入れない本堂の奥にあって、遠くから眺めるだけ。

ここから先は、谷中にめったに来ない人なら直進して、谷中銀座(商店街)を散策するといいが、私は左折して「富士見坂」を上がる。
この富士見坂、数年前までその名の通り富士が見えていたのだが、富士を塞ぐ位置に高層ビルが建てられてしまい、名前のみとなった(そのへんの経緯が、坂沿いに掲示してある)。
台地上を歩いて、谷中銀座からの道と合流する所に、戊辰戦争の銃弾痕がある経王寺があり、そこにも大黒天が祀ってあるが、これは谷中七福神には入っていない。


ここから谷中霊園に入ってほぼ直進で天王寺(天台宗)に出る(修性院からここまでは正規ルートではない)。
天王寺の毘沙門堂で毘沙門天を拝み、霊園の五重の塔跡地のところで右折して、民家風の長安寺(臨済宗)に行く。
ここは靴を脱いで本堂に上がり、寿老人を拝む(写真:右側にあるのは中国で長寿のシンボルの鹿)。
寿老人は、七福神で一番マイナーな存在だが、長寿の御利益なので(実は福禄寿も長寿を兼任)、病魔退散の祈願としてはここが一番重要。
またこのあたりは寺町である谷中の中心部なので、築地塀など他にも訪れるに値する所はある。


ここから谷中散策のメインストリートを歩いて上野桜木の交差点に出たら右折し、次の十字路を左折すると、寛永寺の支院である護国院(天台宗)に達する。
靴を脱いで本堂に上がると、正面の釈迦三尊の前に黒い大黒天があり、左右の広間に十二支に対応した仏像があり(毘沙門天、弁才天も)、仏像ファンにはうれしい。
薬師如来の前で、病魔退散を祈願する。


ここから坂を下って上野高校、上野動物園に沿って歩いて、不忍池に延びた弁天堂(天台宗)に達する。
ここも寛永寺の支院なので仏教寺院だが、堂の正面に人面蛇身の宇賀神像が祀ってある(写真:赤い2本の脚は鳥居)。
神仏習合OK!
さすがここだけは、行列があって、距離をあけて並んだ。
私の前の白人男性が熱心に本尊の弁才天※に合掌していた。
※:弁財天とも表記されるが、元はインドの音楽神サラスバティーなので、芸能の神としての弁才天が正しい。才能がお金をもたらすのだ。

これで谷中七福神を踏破。
少々寄り道しながら自宅からここまで1時間半だった。


七福神巡りに徹するならこの程度の時間で済むが、
それぞれの地には時間をかけて見学に値する所もあるので、通しではなく、それぞれの地をじっくり味わってほしい。
たとえば、東覚寺近く(田端駅前)には、田端文士村記念館(この地に住んでいた芥川龍之介など)がある。
※:この田端には、室生犀星、菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎、直木三十五、林芙美子、佐多稲子、平塚らいてう、板谷波山、田河水泡、小林秀雄など、文士だけでなく芸術家も多数居住していた。言うなら、大正時代の田端は弁才天の地だった。

そして天王寺周囲の谷中霊園(徳川慶喜の墓など)、
長安寺の通り沿いに朝倉彫塑館(谷中銀座とセットで)、
護国院と弁天堂の間には、東京芸大(陳列館)、国立博物館、寛永寺、大仏、清水堂など多数。
谷中銀座から上野までの間には、個性的なランチの店が点在し、公衆トイレもある。
だから私の散布圏なのだ。


緊急警戒宣言下の東京に帰る

2021年01月09日 | 新型コロナウイルス

一都三県に(実効性のない名ばかりの)”緊急警戒宣言”が発令された翌日、老母がもう片方の膝の手術を受けた。
術後の母を見舞うため、あえて”緊急警戒宣言”下の東京行きの新幹線に乗った。
自由席の車内では、2人用座席が1人づつ埋って、3人用座席はほぼ0という感じで、1両に数人しかいなかった4月頃ほどではないが、先月よりは確実に空いている。

ところが東京に着いて山の手線に乗り換えると、ロングシートの座席は全部埋り、立っている人がけっこういる平常に近い混雑(名古屋の地下鉄も同じだった)。
なるほど実効性の無さが如実。

たしかに”密”状態だが、全員マスクで沈黙し、咳き込む人もいないので、心配はしない(車内の換気もされている)。
季節柄、手袋をしているので、接触感染も回避できる。
もちろん帰宅したらすぐに、不織布マスクをゴミ箱に入れ、入念に手洗い。

かように各人が冷静に対処すれば、公共交通機関の利用や屋外での歩行については恐れる必要はない(不要不急の外出は控えるべきだが、「怖くて一歩も外に出られない」というのは思考停止)
特に新幹線は、山の手線や名古屋の地下鉄にくらべて、密度的にも客同士の向きの面でもリスクが低い(もちろん換気されている)。

その一方で、東京の飲食店の時短の取材で、夜の予約がキャンセルになった例が紹介されていたが、
いまだに飲み屋で予約して飲み会をやるつもり人がいることに驚いた。
行動パターンをどうしても変えられない人というのが、一定数いるようで、なるほど感染者が減らないわけだ(ただしホームパーティに変更してもダメよ)。
「首相がやってんだから、いいだろ」とうそぶく人がいたが、自分の身を守る判断ができないとは情けない。

追記:1月10日「イギリスから変異株を持ち込んだ帰国者、10人と会食」って、あきれる。


極寒の人日の節句

2021年01月07日 | 歳時

1月7日は、1年最初の五節句である人日(じんじつ)の節句。
旧暦ならば立春後なので、春の兆しを感じれる※のだが、本日の名古屋郊外は、午後4時に氷点下に急降下。

※:私は、可能を受け身や尊敬と同一表現にすることに反対する確信犯的”ら抜き”主義者で、「られる」は受け身のみに使う。

極寒の中、帰宅し、すでに買っておいた春の七草※セットに市販の五穀米の粥を入れて、七草粥を作った。

※:「セリ・ナズナ、ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ、スズナ・スズシロこれぞ七草」と覚える

これでは動物性蛋白質がないので、カニカマを追加し、茶漬けの素を味付けに加えた。
実に低カロリー。

人日の節句のイベントはこれだけのシンプルなものだが、古代中国(5世紀の東晋の頃)の『荊楚歳時記』に載っている節句を、21世紀の日本で執り行っているわけで、
単なる(おいしくもない)七草粥だが、大和朝廷ができるかできないかの頃の伝統をこうして維持しているって凄い。


洗濯物が乾かない

2021年01月05日 | お天気

仕事始めの今日、11日ぶりに名古屋宅に戻った。
驚いた事に、帰京前に室内に干していた洗濯物が、生乾きだった。
11日間も室内(窓側)に干しておいたのに…。
戻った時の室内の温度は5℃。
この年末年始は、名古屋が東京より寒かった。
室内の洗濯物が乾かなかったのは、この低温のためだ。

大気が保持できる水分は、飽和水蒸気密度で計算される。
大気中の水蒸気密度が飽和状態になると相対湿度が100%となる(相対湿度=今の水蒸気密度/飽和水蒸気密度×100)。
相対湿度が100%になると大気中の水分は水蒸気でいられず、凝結して液体となる。
飽和水蒸気密度は温度の関数で、温度が8℃上がると、飽和水蒸気密度は2倍になるので、空気は水分をどんどん吸収(気化)するため蒸発量が増える(相対湿度が下がる=表面が乾燥する)。

言い換えると、温度が8℃下がると空気の水分保持能力は半分になるため、それだけ蒸発(水分の大気への気化)がしにくくなる。
冬場は乾燥しにくいわけだ。

東京宅の室温は20℃に保っていた。
なので名古屋宅は、東京宅より水分保持能力が1/4ほどに下がっていたことになる。

さっそくエアコンをつけて室温を上げ、洗濯物をエアコンの近くに置くと、蒸発が進んだ。
乾燥は、風圧の効果もあるので、同じ温度なら、風のある室外に出していた方が乾燥が進む(さらに日射による昇温効果もあるが、今の時期の日射は一年で最弱)。
ヘアードライアーが熱風を出すのも以上の理由。


意地の三が日を終える

2021年01月03日 | 歳時

おせちと着物で通した「意地の三が日」(2019年のブログ記事名)を終える。
おせちも着物も正直三日が限度だ。
しばし仕事を忘れて趣味の読書に集中できたのはありがたかったが…。
印象に残ったのは、本日の箱根駅伝のどんでん返し(沿道の観客の多さも気になった)
夜には屠蘇や雑煮のセットを片づけた。

5日から会議で、6日から授業と母の入院(残りの膝の手術のため)。
明日4日は、それらの準備に充てる。
もう正月気分は終了。


元日をすごす2021

2021年01月01日 | 歳時

新年あけましておめでとうございます!
 皆様にとってよい一年でありますように

元日を迎え、例年のごとく、まずは自然の起床の後、和服(羽織袴)を着て近所の二社一寺に初詣。
参詣客は多くはないが、間隔を空けているので列は長め。

一家が揃ったら、お節料理の前に、我が家で欠かせない正月儀式「屠蘇の儀」を執り行なう。
烏帽子・直垂(ひたたれ)という武家の正装に着替えた私が、BGMに越天楽(えてんらく)が流れる中、式三献のやり方、すなわち三つ盃で、幼順に屠蘇を注ぎ、三三九度で飲む(小児は口をつけて飲むマネでよい)。

我が家のお節料理は、重箱ではなく、おせち専用の大皿に盛り付ける。
ただお節料理って、酒の肴中心なので、大人は喜ぶが、子どもには受けが悪い。
義妹が作ったローストビーフで子どもたちは満足。
私にとっては市販の具材よりも母が作る煮しめが一番の楽しみ。
〆は、すまし汁の雑煮
我が家では、餅は雑煮でも必ず焼く
そうすれば必ず噛み切るので、咽喉に詰ることはない。

正月三が日だけの行動様式がある。
まず、昼間から堂々と酒を飲む(本日は、越の雪椿の「月の玉響」)。
そして室内でも和服で通す。
あと、意地でも仕事はしない。

そして、歴史書を読むことにしている。
好きなのは、関東の戦国前期(足利成氏、太田道灌の時代)。
最近、その期の”享徳の乱”(命名は峰岸純夫)が注目され、本が次々出ているのがうれしい。
先年の『享徳の乱と太田道灌』(山田邦明、2015年)に続いて、今回は『享徳の乱と戦国時代』(久保健一郎、2020年 )。
関東だけでなく、東日本全体に視野を広げた本で、最新の研究結果(いろいろな説)が紹介され、道潅に縁(ゆかり)のある文化人や、暴悪な印象しかなかった茶々丸の情報が参考になった。
ただ傑出したヒーローがおらず煮え切らない時代なので、同好の士は多くはないだろうな。