今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

善福寺川を遡る:後半

2016年03月30日 | 川歩き

 

満を持しての善福寺川の川沿い歩き。
先月は、まだ冬枯れの中、下流側合流点から出発し、中ほどの緑地公園の天王橋まで歩いた。→記事

残りの後半部は3月下旬にやろうと思っていた。
その間、母の脳梗塞発症で実施が危ぶまれたが、
従姉が来てくれて、家を空けられるようになったので、
再び満を持して、桜開花の声を聞いた今日、後半部をやりとげることにした。

といっても街中の川沿い歩きなので、準備も覚悟もいらない。

まず開始地点の天王橋へは、地下鉄丸ノ内線の「南阿佐谷」で降りて、徒歩で向う。

善福寺川が北に大きく屈曲する頂点の天王橋付近は桜並木になっており、今が絶好のシーズン(写真)。

ここから上流に向って歩きはじめる。
水源までは6kmとの表示を見る。

さっそく近くの「尾崎熊野神社」に立寄る。
「尾崎」とは川の屈曲地形を指しているとのこと。
ここには樹齢400年の大きな黒松があり、区指定天然記念物になっている。
木が高すぎてカメラのファインダに入りきらない。 

さらに川沿いの公園内を進むと、調整池の工事をやっており、残念ながらその区域だけは川沿いに歩けない。

神通橋で川沿いになるが、和田堀公園から続いたここまでの長い公園は終わり、ここから先はずっと民家の裏側を通る感じになる。 
iPadminiで携行する「MapFan+」(オフラインで使えるから便利)では、ここから先は川べりには道がなくなるが、実際には人1人がやっと通れる(すれ違いできない)細い歩道が両岸に続いている。
環八の大通りは歩道橋で越える。

川自体は水が澄んで、サギやカモなどが所々にたむろしている。
ただ魚影はまったく見えない。 
あの鳥たちは、川底の虫でも食べているんだろう。
川床は妙正寺川のようなコンクリではなく、かといって自然状態でもない。
一旦作ったコンクリの川床を壊して自然に近づけたような感じ。

そんな中、川草の茂ったある地点で、金色の大きな(80cmくらい)鯉が一匹だけ悠然と尾びれをゆらして泳いでいた(写真)。
橋の上からズームで写真を撮っていると、自転車に乗ったおじさんが止まって、同じ鯉に目をやる。
おじさんに「大きな鯉がいますね」と話しかけると、「この川は、(下流の)神田川とちがって、水はきれいなんだが、生活排水があるためか、魚がいない」という。
魚影が見えなかったのもうなずける。

JR中央線の高架を川とともにくぐり、右に左に蛇行する川沿いの歩道を進むと、正面に井荻中・小学校の建物が川を覆うように建っていて、その間は道はあるものの通行止めになっている。
妙正寺川でもやはり川沿いの歩道を遮断しているのは、川をまたいでいる区立学校だった。
迂回路の案内図があり、それに従って再び川沿いに出ると、行く先に木立が見える。

そして最後の蛇行を曲がると、行く先の木立の下に川の終点が見えた。

近づいていくと、そこは水源である善福寺池からの流出口で緩い滝状になっている(写真)。

そこが善福寺川の開始点であり、下流からの遡行の終点だ。

最後の美野山橋(写真に写っている橋)を横断し、善福寺池からの流出口すなわち川の開始点に達する。
そこは池から川へ流れる水がいったん溜まった状態になっており、小学生の男の子たちが遊んでいる。
ということで、水源の善福寺池に着いた。
すなわち、善福寺川の遡行が完了した。

ただし、善福寺池は上下二つに分れており、川への流出口があるのは”下の池”。

真の水源があるのはこの先の”上の池”だ。

はやる心を抑えて、また寄り道をする。
この付近の総鎮守・井草八幡に参拝するのだ。
下流の大宮八幡には及ばないものの、水源の井草八幡もなかなか立派(あちらは源義家、こちらは源頼朝にゆかりがある)。
ただ併設の民俗資料館は日曜のみの開館のため入れなかった。
あと、境内の隣りに浅間神社と小さな富士塚があり、境内にも富士講の石像があった。

善福寺池に戻り、自販機でアイス(ソフトクリーム)を買い、上の池に行く。
上の池の方が面積が大きく、日曜にはボートも出る(写真)。
この池が善福寺川の真の水源なので、池畔のベンチに腰かけ、池を眺めながらアイスをなめる。
だが訪れる先は最後にもう一ヶ所ある。

善福寺川の真の水源のさらなるピンポイントとなるのは、善福寺池の上の池の西側にある「遅野井の滝」。
頼朝が「遅い」と言った湧水からの滝なのだが、残念ながら今は枯れて機械で地下から汲上げている。
人工湧水であっても水源であることには変わらない。
こうやって水源それ自体を目で確認できるのも遡行した甲斐があるというもの。

すなわち、善福寺川は神田川との合流点から水源の滝まで、ほとんどすべてを通して見ながら歩ける貴重な川である。
たった一ヶ所、井荻中・小学校の迂回路を除いて…。 

この後、近所の「善福寺」に詣で、西武新宿線の上石神井駅まで歩いた。
歩数は2万歩を超え、久しぶりのウォーキングなので中殿筋に痛みを感じた。 

これにて春休みの予定完了。


1日3食派の誤解

2016年03月28日 | 健康

1日3食というのは、人類にとって近代以降の単なる”慣習”でしかない。
それ以前は、2食が普通だっという。

すなわち、流通経済によって商品としての食料がいつでも入手できるようになり、生活が”通勤”的に定刻化した生活スタイルが3食化を導いた。

ところが身体運動が極端に減った現代人にとっては、1日に3回(以後、3回食)だと”過多”になってしまうのは、理屈で判るはず。
実際、医師の間にも、1日2食(以後、2回食)を推奨し、もちろん本人も実践している人が増えてきている。
私自身、昔10㎏の減量をした後は、ずっと2回食で通し、それ以後リバウンドはしない(そもそもの10kgの増量が3回食のせいだった)。

健康を語る医師の本を読んでいて、いまだに「1日3食しっかりとりましょう」と3回食について何の疑念もいだかず信じきっている文に接するとがっかりする。

なぜ専門家なのに2回食を否定するのか不思議だったが、ある医師の健康本でその否定の論理がわかった。

少なくとも3回食派の人は2回食を習慣として実践していないから、2回食の”悪影響”を体験した結果ではない。
どうやら、「力士は体重を増やすためにあえて2回食にしている」、という言い伝えが論拠になっているようだ。
すなわち3回食より2回食の方が太るというのだ。

この奇妙な理屈を信じ込む論拠は何か。
まず、食事回数が減ったことで、身体が飢餓と感じ、吸収率が上昇するという理屈。
これがもし事実なら、われわれは人類の食糧事情を改善するために全員2回食にすべきだ。
2回食こそが身体にとっても最適で、不要な殺生を減らし、食料分配を最適化する誠に正義な理屈になる。
ただ、残念ながら、仮に吸収率が上昇しても、それはほんの一時的で、身体が2回食に慣れれ(常態化すれ)ば、吸収率は平常に戻るだろう。
人間の身体ってそんなものだ。

次に、2回食にすると空腹感が強くなり、結果的には余計に食べてしまうという理屈。
これが力士の話の論拠として使われている。
では本当にそうなるのか。
それは3回食を信じきっていた頃の私自身を振り返れば理解できる。 
その頃の私は、たとえば仕事や交通事情で昼食を摂り損ねた場合、それがとても深刻な欠損と感じて、
午後に必死になってその欠損を取り戻そうとする。
不幸にもそれがかなわなかった場合、 夕食でなんとかして昼食の欠損分も補おうとする。
そういう強迫観念こそがこの理屈を支えている。

すなわち、2回食で太る理由があるとすれば、この3回食固有の強迫観念にほかならない。

そもそも世の慣習に反して2回食をあえて選択した人は、一日当りの摂取量を2/3に減らすことを目的にしているのだから、
すなわち上の強迫観念から自由になっているのだから、1回減った分を余計に取り戻すという3回食派の人の行動様式を取るわけがないのだ。

ここが誤解のポイントだ。

むしろ、実際に2回食に慣れると、日常が空腹感とともに在るのでそれに慣れてしまい、非日常的な”満腹”を追究する気持ちが無くなる。 
非満腹が常態化すると、俗に言う”胃が小さくなる”ようで、胃の膨満感に敏感になり、少々の量でも”腹”的に満足できるようになる。
だから1回の食事量はかえって減りこそすれ、増えることは決してない。 

2回食を実践している人は、実際にはこのような行動様式なのだが、
それが3回食のままでいる人には理解できていないのだ。 


iOSで血管年齢を測る

2016年03月26日 | 計測

血糖値以外の3/4メタボに該当する私は動脈硬化予備軍である。
ならば”計測マン”を自称する者として、動脈硬化の状態を測ろうと、 

iOSにつなげるiHeartという装置を買って、わがiPadminiで自分の血管年齢を測っている。
装置を買ってから勉強したのだが、 血管年齢(血管壁の硬度)の医学的な測定法には、「加速度脈波」(AGP)と「脈波伝播速度」(PWV)がある。
AGPは日本で使われているが、国際的に年齢や寿命と強い相関があると認められているのはPWV 。
ついでに、最も簡単に動脈硬化を推定する方法は、脈圧(拡張期血圧−収縮期血圧)で、これが60以上なら要注意。

iHeartは指尖脈波を測っているようなので、てっきりAGPを測っているのかと思った。一方PWVは上腕や大腿などで測る。
ただAGPだと脈波を2階微分して、すなわち1階微分で速度を出し、さらにもう1階微分で加速度を出すのだが、iHaertだと3階微分をしている。 

そこで販売元にメールで何を測っているのか質問してみた。

すると、翌日、なんと開発者のGoodman医学博士から、直々に回答をもらった。
私のメールが先方で英訳され、それに対して博士が英語で回答してくれたのだ。
さらにお礼のメールを日本語で出すと、それについても返信が返ってきた。
さすが、名前通り”良い人”。 

それらによってわかったのはiHeartは指先の動脈波から、大動脈の伝播速度を割り出して計算するアルゴリズムだということだ。
すなわちAGPではなくPWVなのだ。
PWVだと血圧や飲食、ストレスの影響を受けるので、継続的に測定する必要がある。

3階微分はiHeart固有の方法らしく、日本のPWVの論文には見当たらない。
G博士によればアルゴリズムの妥当性・信頼性(すなわちiHeartの指標が大動脈の血管壁硬度をほぼ正しく示すこと)は確かなようだが、それを保証する研究論文にはお目にかかっていない。
でも測定方法がAGPより大掛かりなPWVが、まさにAGPと同じく指先で測れるとしたら画期的だ。
そのような画期的な,すなわち専門的計測のスマホ対応化はアメリカやドイツでどんどん進んでいる。
こういう安価な民生化が日本でなかなか進まないのは、医療分野では利権の問題が大きいのかもしれないが、電磁波や水質、それに放射線など環境計測分野でも同様なので、バカ高い製品にあぐらをかいているメーカーと、自分で計測しようとしない国民の知性レベルの問題の方が大きいようだ(たとえば、放射線について定量的な評価ができない。例外的に体重計だけ、やたら測定項目が進化している…)。

ただ、ウォークマンを出したソニーがiPod(CDを不要にした)を作れなかったのは、技術的問題ではなく、CD利権を握っていたためだ。

いずれにせよ、既存の利権・発想にとらわれている日本(の企業)からはAppleもGoogleも生れそうもなく、かくして計測マンの装備は外国製ばかりとなる。 


江戸しぐさ:捏造された作法

2016年03月21日 | 作法

「江戸しぐさ」が捏造されたものであることは、原田実氏の『江戸しぐさの正体』(講談社)で明らかになった。
著者の原田氏は、古史古伝系の”ト本”の著者であるので、この手の捏造本の論説はお手のもの。

私自身、「江戸しぐさ」については、批判的検討をせず、言説をそのまま受け入れてしまった。
ただ、江戸前期に小笠原流礼法が江戸庶民の間にも拡がっていたので、 また江戸時代の作法書には「江戸しぐさ」的なものはまったくお目にかからなかったので、その存在の希薄さには腑に落ちないものを感じていたが、→記事

一方でその存在を積極的に受け入れてしまう素地もあった。
たとえば「傘かしげ」は東京で生まれ育った私には自然に身についていたが、他の地域ではそれが見られなかった経験をし、また東京は世界的にも比較的治安がいいことの理由もほしかった。
そしてなにより、結局自己の評価を高める営業用作法にすぎない既存の礼法以外に、見知らぬ他者への”公共の作法”が江戸市民によって自発的に構築されたというすばらしいストーリーは、願望そのものであった。
だがこれらは、江戸しぐさの存在の証拠にはならず、むしろ後付けの辻褄合わせに相当する。

実際、ホラ吹きはいつの世にもいて、つい先日もわれわれはそれ(ホラッチョ)を目の当たりにしたばかりだ。
ただホラ吹き本人だけでは社会現象にはならない。
そのホラを信じきって本人以上にそれを世に広める拡散者が必要。

「江戸しぐさ」においては、芝三光と越川禮子のペアがそれだ。
この図式、青森のキリストの墓における、酒井将軍とわが祖母山根キクのペアに対応する。
戦前の事だが、わが祖母の流布により、青森のキリストの墓は映画制作の話まで進んだ。
当時の皇国史観の先を行くこのホラ話は、その時代の人々の気持ちに合わされたものだ。
だから人々の方からそのホラに近づく。

私が作法の授業で使う作法のテキストからも「江戸しぐさ」の文字を削除した。
ただし江戸時代の庶民には小笠原流もどきの作法書が広まっていたので、それなりにきちんと振る舞っていたことには変わりない。

ついでに、捏造された作法は他にもある。
食事の時の合掌:これはテレビ(特にNHK)や小学校でなぜか最近になって"強制”されはじめた。若い人はこれが作法だと思い込まされている。過剰な仏教色でまるでタイの習俗みたいだ。日本では、姿勢を正して「いただきます」と言えばいい。

ビジネスマナーの手を組んでのお辞儀:両手を組む拱手という(古代中国の)日本に存在しないお辞儀がなぜかビジネスマナー(特に女性用)としてひろまっている。昭和40年代まではなかった所作である。 日本の所作の文法では手を組むのは”休め”の姿勢で、休めの姿勢のままお辞儀するのは文法違反になる(学校の朝礼で、気をつけ→(気をつけの姿勢のまま)礼→休めと正しい作法を教わったはず)。

現代の日本人が、いかに日本の作法を知らないか、悲しい現実がここにある(お寺で柏手を打つ人も絶えない)。 


海老名の歴史散歩

2016年03月17日 | 東京周辺

退院した母のために、親しい従姉が買い物などを手伝ってくれるという。

それに甘えて、私も久しぶりに屋外にウォーキングに出た。
行き先は、山城か川沿いか寺になっている。
今回は、年に2日の開帳日にあたる神奈川県は海老名の龍峰寺の十一面観音(重要文化財)を拝観するのを目的とする。

海老名は東京からなら小田急線一本で行ける。
本厚木や伊勢原などはハイキングのために降りたことがあるが、その手前の海老名は初めて。

駅の改札を出ると、海老名をもじったViNAWalkという立派な商業空間兼公園が広がって、買い物はここですべてできそう。
しかもロータリーには複数の会社のバスが頻繁に発着している。
そもそも海老名駅自体、小田急線だけでなく相鉄線とJR相模線が交差しており、交通の要所となっている。 

最近は駅前の旧市街が寂れる地方都市が目につくが、ここはそういう心配はない。
なにしろ「イオン」が駅前にあるから…。

VinaWalkの中庭に、市のシンボルとなっている七重の塔がある(写真)。
ここ海老名は相模の国の国分寺があったのだ。

塔の麓には、歴史散歩のイベントに参加する人たちが集まっている。
海老名は歴史の街でもあるようだ。

私自身は、現地で説明を受けるのは大好きだが、人に先導されてついて歩くのは好きでない。
なので素通りし、
さっそく現国分寺を訪れる。
ちょっとした高台にあり、振り返ると大山の脇に富士の真っ白な山頂部だけが顔を出している。
そして北に向い海老名市温故館に入る。
事前知識なしで来たので勉強になった。

海老名は大昔から北相模の中心地だったようだ。
その証拠に3世紀(関東では最古級)の前方後円墳があり、弥生式土器、縄文式土器、さらには旧石器まで出土している。
ここ海老名は、相模原と厚木に挟まれ、知名度としても今一歩で、あえて訪れる地でもなかったが、
実は今でも北相の中心であり、
駅前の賑わいを見ると、厚木や町田はおろか、横浜にも新宿にも買い物に出かける必要がないほどの充実ぶりを感じる。

温故館の前の広場が、旧国分寺の敷地。
礎石だけが残っているが、今では市民の憩いの場。

さらに北上して高台に上がると、そこに龍峰寺がある。
今日は縁日で、寺の会館ではアトラクションをやっている。
本堂裏の観音堂にお目当ての十一面観音が開帳されている。

鎌倉時代作というそれは清水寺様式といわれており、そのためこの寺も清水寺の別名をもつ。
元日と今日だけの開帳なのだが、そのわりに写真撮影OK。
秘仏扱いされてきただけに、金箔もしっかり貼り着いている(写真)。 
1.9mあり、玉眼の艶やかな仏様だ。

私はここからさらに北上し、国道246のバイパスを越えて、秋葉山古墳群に達する。

ここが温故館で知った古墳群。

3,4世紀の5つの古墳の上を縦走して、麓におりて運良くやってきたコミュニティバスで海老名駅に戻る。

ViNAWALKをふらついていたら、チケットショップがあったので、15円安く新宿に帰れた。

 


母、退院す

2016年03月16日 | 身内

2月28日に脳梗塞に見舞われた母は自分で救急車を呼んで、日医大のICUに入れられ、
数日後一般病棟に移った後、リハビリ専門病院に転院した。→記事
そして約2週間の入院生活を経て、昨日退院に至った(私は名古屋にいた)。
症状が出た脳梗塞としては最短といえよう。

脳梗塞は発症してから3-4時間以内に治療を受けるのがベストと言われるが、
症状が軽いとかえって確信がもてずに様子見となり、時間が経過して症状が重くなって始めて梗塞だと確信する。
その時はベストタイムを逸している。
母がそうだったが、それでも後遺症は軽微で、しかも日に日に回復していった。

自宅での生活が可能ということで退院が許可されたはずだが、それだけでなく、
入院が長引くことによる悪影響もあるようだ。

母と同室だった人は最初はきちんと会話できたが、数日の間に認知症の症状が出てきて、夜中で大声を出すようになったという。 
精神的な後遺症はまったくない母にとって、そのような環境はかえってストレスになる。 
それもあって早期退院を何より喜んだのは母自身だ。 

ただし歩行に若干の不安がある。
一番怖いのは、歩行中の転倒だという。
それによって、大腿部骨折による寝たきり化(上記の例のように認知症を併発するおそれ)、あるいは頭部を打つことによる脳損傷の危険がある。
なので外出はまだ控えている。 


卒業式とその夜

2016年03月15日 | お仕事

いよいよ年度末最後の行事、卒業式を迎えた。

学部の数が多いので、国際会議場を借りての式。
私もこの日ばかりは、白シャツにネクタイ。
この格好、年に1度きりになっている。

卒業生全員での式場では、全員に証書は渡せず、その後学科ごとに集まって証書を渡す。
教員が一人一人言葉を送り、解散後は、卒論指導生に乞われての記念撮影をひとしきり。
会場を後にすると、入口付近で待っているのは、昔は男友達ばかりだったが、最近は両親の姿が目につく。

一旦帰宅し、ネクタイをクロスタイに替えて、再出発。
今度は大学院の修了記念パーティ。
学部のパーティはその数に圧倒されてしまうが、院生だとこじんまりして落ち着ける。
一人一人の識別もできるし。
さらに社会人がいるので、若い学生より話が合いやすい。

出会った学生とは必ず数年後に別れる。
その最後の別れの日を「おめでとう」と笑顔で祝わなくてはならない。
つまり自分と別れることは相手にとってめでたいことなんだ。
教師って因果な商売だ。   


日本郵便-郵政を騙るスパムメールが届く

2016年03月14日 | 時事

日ごろ使っているGmailから次のような警告メールが届いた。

日本郵便 - 日本郵政 (arturuz2cl@rambler.ru) さんからの "(件名なし)" という件名のメッセージに、ウィルスに感染またはその疑いのあるファイルが添付されていました。このメッセージはアカウント xxxxxxxxx@xxx.ne.jp(注:私のアカウント)から取得せずにサーバーに残っています。

自動的に「迷惑メール」に収納されてあるそのメールを開けてみると、

拝啓
配達員が注文番号497191876153の商品を配達するため電話で連絡を差し上げたのですが、つながりませんでした。従ってご注文の品はターミナルに返送されました。ご注文登録時に入力していただいた電話番号に誤りがあったことが分かりました。このメールに添付されている委託運送状を印刷して、最寄りの日本郵政取り扱い郵便局までお問い合わせください。
敬具
日本郵政ジャパンの宛先:
〒108-7250
東京都港区芝浦4-13-23
MS芝浦ビル13F
日本郵政
3/11/2016     05:03:39

とあり、そして印刷しという添付ファイルがある。

その添付ファイルに悪質なウイルスが潜んでいる。
メールを開くだけなら問題ないが、添付ファイルは絶対に開いてはダメ
詳しい情報は、すでにネットで出回っているので、それを参考にしてほしい。

まず、GMailチームのバリアに感謝。
たまたま日本郵政経由の通販がなかったから、最初から疑問視できるが、その最中だったら騙される可能性がある。
ただ、「電話番号に誤り」は私にはありえない。手入力しないから。
また、このメールの宛先が、私のアカウント前後の人たちに一斉に送られているのが何より怪しい。
もちろん、「件名なし」で来ること自体も怪しいが、逆に件名付きで怪しいものもたくさんある。

さらに、メッセージIDが@mail.rambler.ru というのはロシアからの発信だという。
これに気づけば決定的だが、 気づかない可能性が高い。

やはり、専門のバリアが頼りになる。

ついでに「りそな銀行」を騙るスパムもしつこかった。
そもそも「りそな」とは取引がないが、送信相手の客に向って「貴様」と書いてあった。 


利き腕が腱鞘炎に

2016年03月12日 | 健康

実はここしばらく、ずっと利き腕の左前腕から肘にかけてが痛い。
筋肉痛のような痛みで骨や関節痛ではないのだが、インドメタシンやサルチル酸系の塗り薬をいくらつけても一向に痛みがとれない。
最初は、腕立て伏せのやり過ぎかなんかの筋肉痛で(そうなら片腕だけが痛いのが合点がいかないが)、そのうち退くだろうと思っていたのだが、
むしろ徐々に増悪している感じで、左手で物を持つことが辛くなってきた。
ただし手首から先、肘から元はなんでもない。
腕を使わなければ痛みは起きない。 
といっても物を持つという行為は、日常で思いのほか多く、 そのたびに痛みに襲われるのはつらい。

そこで通院を考えたが、東京の実家の近所に手ごろな整形外科が見当たらない(いわゆる鍼灸・マッサージ系の治療院はあるが)。

丁度母が入院している病院に整形外科がある。
私はその病院に毎日見舞いに行っている。

内心、大きな病院で診察されるほどのものではないと思いながら、一番都合がいいので、初診を申し込んだ。

医師の手術が長引いて診察開始が遅れたため、1時間以上待って診察を受ける(やっぱり手術を要するような症状がここ向きなんだな)。

問診を受けた後、一旦、レントゲンを撮りに、放射線室に行く。
そこで左腕のレントゲンを2枚撮られて、また整形外科に戻ると、レントゲン写真が医師の手許に届いていた。

医師がいうには、骨には異状がないとのこと。
診断名は「腱鞘炎」。
指の使いすぎで起きる炎症だと思っていたが、腕にも起こるらしい。

医師のアドバイスとして、左腕を使いすぎず、 手首を直角に曲げるストレッチをするといいという。
塗り薬など必要ないかと尋ねると、必要ないとの答え。

ということで、診察は一回で終わり、投薬も塗り薬もマッサージもされず、空身で後にした。

言い換えれば、市販の塗り薬を塗っても無駄で、もっぱらストレッチにいそしむしかない。
まぁ、安く済んでよかった。

さて、左前腕をいつどこで酷使したんだろう。
日常で一番作業時間の多いパソコン操作では、左手はキーボードの左半分とトラックパッドを担当しているが、
そんなのはずっと以前から変化なし(しかも指先の運動)。

最近、新たに加わった左腕への負荷といえば、赤チン(赤いFIAT500)のシフト操作しかない…
確かに、以前のATに比べれば左腕の負荷は増え、しかもエコ運転を実施しているので、シフト操作の頻度は高い。
ただし、シフトノブの移動動作は左肘による調整運動であって前腕はほとんど使わないはず。
実際、運転中に左腕が痛むことはない。
でも、不必要に力んでいるのかな。 


震災5年目で思うこと:悲しみをどうするか

2016年03月11日 | 東日本大震災関連

東日本大震災から5年目を迎えた。

正直、5年たてば復興は終わって、”遺構”とされたもの以外は、すべて新しくなっているものと思っていた。

この遅れはなぜなのか。
日本の歴史でみられた”東北地方に対する冷遇”の結果だとは思いたくない。
客観的に見ると、関東大震災の復興も神戸の復興もそれなりに達成できたのは、面積が限定されていたためといえる。
それに対して東日本大震災は、千葉から青森までの広大な面積。
しかも、倒壊した跡地の復興だけでは済まず、津波で洗われた敷地全部の復旧と、新たな防波堤の建設、市街地全体のかさ上げ、住宅地の高台移転も含まれる。

それだけでない。
原発事故による除染は、結局、広大な山林にも及ばないと、住民は生活できない。
そもそも福一敷地内の作業も、もっとスムースに行くものと期待していた。
日本の原子力工学、ハイテク・ロボット技術のレベルって高いものだと思っていた。
最初から事故を想定しない原発技術だったから、お手上げなのか。
アメリカ、ロシア、中国だと住民が使えるガイガーカウンターが市販されていたが、日本製は事故前には存在しなかったくらいだし。

私がこの復興に力を貸せるとしたら、雀の涙の寄付くらいか。

そして、死者の数倍におよぶ人たちが、悲しみを背負ったままでいる。
私が気になるのは、ヘタに臨床心理学などを学ぶと、愛する家族を失って(対象喪失)悲嘆にくれる状態を「不適応」とみなしてしまうこと。
実際、最新のDSM-5(アメリカ精神医学会の診断マニュアル)では、2週間以上続く悲嘆は「うつ」と見なされるようになった。
この診断基準を、震災で家族を失った人に機械的にあてはまめるべきではない。 

自然死によらない異常事態での死別は、一般的基準で判断すべきものではなかろう。 

私にとって救いになるのは、儒教の喪礼だ。
親が死んだら3年は喪に服せという(『礼記』三年問:武田信玄の遺言もこれによる)。
2週間ではない、3年もの間、悲嘆に浸るのが子の礼だという(「喪礼は唯哀を主と為す」(『礼記』問喪)
そして、その後(たとえば5年後であって)も親を思いだしたら哭す(泣く)べきとされる(『儀礼』士喪礼)。
つまり、子の親に対する気持ちは赤子のごとくあれ、というのが儒教の親子観なのだ。

逆に、子が死んだ親に対する喪礼はない。
もとより、親より先に子が死ぬのは、最大の”不孝”であって、親に対する道徳違反である。
もちろん子だって好き好んで死ぬのでないので、仕方ない。
でも親にとってわが子の死は、最大の”不幸”なのだ。
だから親は、礼によらずとも、自然の感情で※、死んだ子を思うといつでも哭す。 

※むしろ、自然の感情(誠=赤心)こそが礼の基本である(論語、荀子、礼記)。

悲しみはいつまでも癒えない。
癒すべきものでないのかもしれない。
ただ、悲しみをどう生きるか、すなわち悲しみに対する態度や行動は変化できる。 
悲しみを背負って、前に進むことはできる。 


快速アクティが急きょ東京始発に

2016年03月07日 | 

18きっぷで名古屋に帰る(名古屋人は「帰名」という)。
昨年から、東海道線の下りは、東京始発でなくなり高崎線・宇都宮線の北関東始発となり、東京駅・上野駅はターミナルでなく通過駅となった。 
私にとっては東京駅ではなく、より近い上野駅が停車駅となったのはいいのだが、上野以北でアクシデントがあると東海道線のダイヤも影響を受けるようになった。 
それをモロに体験した。 

どうせ18きっぷで東海道線に乗るなら、「快速アクティ」に乗って、少しでも乗車時間を短縮したい(もちろん豊橋以降も快速)。

「快速アクティ」は東京発以降の名称だが、始発は北関東なので上野で乗れる。
そうすれば座席が確保できるし、上野駅で買う駅弁も種類が多く楽しい。

というわけで、快速アクティに乗るために上野でおりた。
そうしたら北浦和で人身事故が発生したという。
大宮以南の駅なので、高崎線・宇都宮線両方がストップ。

こりゃ快速アクティも大幅に遅れると思った。
そうすると18きっぷでの名古屋までの行程は、ドミノ式に大幅に遅れること必定。

電光掲示板では、さきほどまであった「11:30 熱海行き」(これがアクティになる)が消えて、12:00以降の小田原行きになっている。 
まさか快速アクティが運休になったのか。

もしやと思い、一縷の望みをもって運転再開したばかりの京浜東北線(この時間は快速運転)で東京駅に向った。 
もしやと思ったのは、快速アクティが東京始発になってくれないかという期待。

そして東京駅に行ったら、まさに期待通り、東海道線の折り返し運転に切り替わり、快速アクティは東京発となっていた。
ただ、快速ではなくなり、しかも1便後の各駅に切り替わった(熱海に着く時刻が遅くなる)。

だが、不幸中の幸いで、その便でも熱海発のJR東海の鈍行にはアクティで行った場合と同じ便に間に合うのだ。 

ということで、JR東日本と私の機転により、ダイヤの乱れの影響を実質受けずにすんだ。

ついでながら、列車を乗り継いで名古屋の1つ手前の金山で東海道線を降り、乗換えのため中央西線のホームに行ったら、 ホームに人が溢れているではないか。
私にとって18きっぷの最終駅である千種駅でもホームに人が溢れていた。
あとで確認したら1時間半前に中央西線の恵那付近で人身事故が発生したという。
その影響だった。
季節の変わり目、しかも木の芽時で年度末、ホントに東も西も大変だ。  


血管年齢測定器を買う

2016年03月05日 | 健康

母の脳梗塞発症は、母と同じ体質をもっている自分にも警告を与えた。
母と同様私も高血圧を薬で抑え、コレステロール値も高い。
血糖値はなんとか正常範囲に納まっているものの、このままでは動脈硬化が進んでいるくに違いない。

そこではずは計測だ。
血圧計は手首用の簡易型があり、降圧剤の効果を確認できている(副作用はまったくない)。
尿糖検査キットも購入し、いまのところ尿糖は出ていない。
次は動脈硬化をずばり測りたい。
いわゆる血管年齢の測定だ。

それには「脈波伝導速度(PWV)」といって血管の硬さを調べる。
正確に測るには両手首・足首にセンサーをつけるのだが、手の指先で測る簡易で廉価なものとして
「iheart」というiOS対応のセンサーとアプリが出ている(2万円台)。
こういう便利な民生用計測器はたいてい外国製(日本製は専門用のバカ高いのしかない。
ガイガーカウンターも福島原発事故時には国産の民生用が皆無だった)。
早速センサーをネットで購入し、無料アプリをダウンロードした。
センサーは、血中酸素濃度計(パルスオキシメーター)そのものであり、それがbluetooth経由でiOSアプリに伝わり、解析・保存される

ハードはセンサー部分だけにして、解析部分をソフトだけにすると、いっきょに安価になってしまう(だから海外では製品が出回り、
一方、専門機器で儲けていた日本のメーカーは作りたがらない)。

血中酸素濃度計は以前からほしかったから丁度いい。

ベースラインのデータとして、起き抜け・食事前に測る。
30秒間の脈波データがとられ、解析された結果は、実年齢より5歳上だった。
やはり動脈硬化が進んでいた。
←よく調べたら、実年齢±10歳は”正常”だそうだ。
無呼吸症気味なのだが血中酸素濃度は正常だった。

もちろん、医学的診断に使えるものではないが、手首式血圧計と同様、日常の健康管理には使える。


アリストテレスの『心とは何か』

2016年03月03日 | 作品・作家評

古代ギリシャの「万学の祖」といわれるアリストテレスについては、大学の時、哲学の授業で読めと言われた『形而上学』に挫折して以来、ずっとおさらばだったが、
心理学の授業をやる側になり、心理学史も触れることになって、現存する最古典の心理学書といえるアリストテレスの『デ・アニマ(霊魂論)』を紹介する立場上、それを読まないわけにはいかなくなり、
講談社学術文庫になっているこの書の最新訳書『心とは何か』(桑子敏雄訳)を読んだ。

この訳書の解説にある通り、この本はアリストテレス哲学を知悉していることを前提に書かれたものなので、難解である。
しかし、そこかしこに古代ギリシャの知的水準の高さに感心する所もあり、確かに苦闘はしたが結果的にためになった。
アリストテレス自身ではなく当時の知的水準の高さに感心したのは、たとえば以下のことがすでに知られていた点。
●視覚の対象は色でそれを可能にするのは光である。
●聴覚の対象は空気の振動であり、音の高低は、空気の振動数の違いである。
●味覚は触覚に属し、触覚がもっとも根源的で必須の感覚である。
●知覚の中枢は大脳にある。
●太陽は自分たちのいる地球よりずっと大きい。

私はこれらは近代になってはじめて発見されたものだと思っていた。
古代ギリシャおそるべし。 

そして本題であるアリストテレスにとっての”心(プシケー)”とは、栄養摂取や感覚・思考、運動能力のことであり、それぞれについては植物や動物にも備わっている。

生きる能力としての心は、身体とともに「生きていること(生命)」そのものであり、身体なくして心はありえない。
すなわち心身一元論である。
心が”存在”と密接にかかわっているというこの視点こそ、私が現代心理学に足りないものだと思っていた。
それでハイデガーの存在論に接近していたのだが、実は彼の哲学自体、アリストテレスに遡ることが明言されている。
ということは私自身もアリストテレス哲学をきちんと読まねばならないわけだ。

ちなみに心理学史としてアリストテレス以降に紹介する、デカルトの『情念論』、スピノザの『エチカ』も感情論としてとても参考になった。
古典てバカにできない。