11月25日夕方、名古屋は強い雨が降っていた。
同時に空が、ピンクになった。
そして紫になったという
(私は東京にいたので、降水はわが私設気象台で確認していたが、空の色は知らなかった)。
その話を、後日、職場の同僚から聞いた。
職場では心理相談室をやっていて、来室していた子供が空を見て怖がったという。
その同僚も初めて見る空の色で不気味に感じたという。
同様な感想はネットでも拡がり、その時の投稿写真も載っている。
私は実物を見ていないので、後から推測するしかない。
まず、空が赤味を帯びるのは、太陽が地平線近くに位置して、長波長が地上に届く以外には考えられない。
ただしそうなるのは、青空が赤味を帯びるのだ。
雨天ということは低い雲が一面覆っていたはず。
通常雨をもたらす雲は、厚い乱層雲であり、空は灰色で暗くなる。
大気の光学現象についての本を調べたが、雨天の低い雲が一様にピンクになる現象は載っていなかった。
いかなる現象かと考えあぐねて、今夕、帰京の新幹線に乗った。
丁度夕日が、内陸側に漂う雲を照らしていた。
ピンクに。
これか、と思った。
名古屋を覆った雲が、実は名古屋上空だけの小規模なもので(ただし真下からは空一面に拡がっている)、
西側には実は雲がなかったとすれば、
太陽からの長波長の光が雲内に散乱し、しかも夜側の空の暗い青と混色すれば、
赤と青の中間色の紫・赤紫の色相になり、それに雲粒による白い散乱が加われば、白みがかった赤紫すなわちピンクになるというわけだ(色彩検定2級です)。
空一面地平線まで厚い雲だったら、濃い灰色のままモノトーン的に暗くなる。
逆に空に雲がなかったら、あっても少量だったら、空は夕日の橙(黄赤)系に染まる
(色相グラデーションで夜空との境に紫の部分があるはずだが線状で狭い範囲)。
上空だけが厚さのある雲で、西側に雲がなかったら、西日を浴びた雲はピンクに染まるのだ。
より厳密に言えば、雨雲を構成している雲粒の直径が、長波長を反射しやすい大きさだったはず。
以上、いちおう理屈上では解決。
遠い地にいて、血縁もないが、”親戚”という間柄になったことで、当地に行った時は、とてもよくしてくれた。
そういうこともあり、日本にいても、心理的にはとても近かった。
間接的な姻族といえども、自分の”家族”系列に入る人が亡くなると、喪失感がある。
一人残された高齢の夫(姉の義父)も、これからどうするんだろう。
とりあえず、宗教は異なるものの、家の小さな仏壇に向って合掌した。
葬儀に参列できない代りになんとかしたい。
ところで、冬将軍とは何か。
おおざっぱに「シベリアの寒気」と言われているが、
その正体は、日本の真北に位置する、沿海州の上空に存在する寒気。
天気予報では、上空500hPa(約5500m)で確認できる低圧部に伴う寒気(図)
この高層天気図はいわばお天気キャスター(気象予報士)のアンチョコのようなもの。
この図の点線が気温で、-24℃が冬将軍の勢力圏。
そこを見ると、北日本より、西日本の日本海側上空の方が低温だとわかる。
目安として、能登半島の輪島上空の気温(地上観測所との気温差)が判断基準となる。
高層天気図は、12時間おきに発表されるので、移動方向と速度で予想が可能。
だから、「寒気がやってくる」と言えるわけ。
高層天気図はネットで誰でも閲覧できる。
たとえばバイオウェザーサービスのサイト。
授業中に緊急地震速報が発表され、震度5の本震の後に、校内の特定箇所で出火が起きるという想定だ。
昨年までは、毎年1学部が持ち回りでやっていて、”毎年やっている”ことにしていた。
今年は全学部で実施され、別キャンパスの当学部では、防災士兼危機管理主任である私が上記の内容を提案した。
なにしろ、それまでは「東海地震予知情報が発表された」という想定の能天気なレベル。
それじゃ防災訓練にならないでしょ。
訓練は、態勢の不備を検出するためのシミュレーションでもある。
教室によっては、緊急地震速報を知らせる校内放送がほとんど入らないところがあった。
それと、消火の成否を伝える職員間のトランシーバーが通じなかった。
一番大切な情報態勢に問題が発見されたわけだ。
以上の想定もあり、たぶん例年よりは緊張感のある訓練ができたと思う。
たた、不参加で食堂にたむろしていた学生がいたのには、がっかり。
災害というのは、防災意識の低い人から犠牲になる。
本番の時に後悔することになるかもよ。
秋晴れの日曜、原稿を出したので図書館に行く必要もなくなった。
それなら紅葉でも撮影に行くかと、カメラ片手に実家近くの名勝”六義園”に行った。
JR駒込駅で降りて、こういう時だけ開門される「染井門」(本来は正門)に向ったら、
入る気をなくすくらいの長蛇の列(皆思うことは同じだ)。
そんならと、ちょっと歩いて裏側の正門(本来は裏門)に行くと、
こちらは数人並んでいるだけで、すぐに入れた
(ほとんど地元なもんで、こういう対応は心得ている)。
六義園は、池を回る内周路と深山幽谷の風情の外周路があるので、二周するのが基本。
まずは内周する。
和風庭園なので松などの常緑樹が多く、紅葉を愛でるという感じではない。
それなりに、撮影ポイントはあるが、整った庭園のため、構図的にまとまりすぎてしまう。
それに紅葉の木も少ないので、季節感を出しにくい。
とはいうものの、せっかくの美観なのでシャッターを押しまくる。
一周して、次は外周路に入る。
こちらは広葉樹が多いが、もうすでにだいぶ葉を落している。
あちこちライトアップ用の竹筒が配置されているのを見ると、
夜にも来たくなる。
園内最高点の藤代峠に上がると、内周路の池が一望(写真はズーム)。
ここが園内第一の撮影ポイントなので、
一番見映えのする写真を(誰でも)撮れるが、
個性は出せそうもない。
紅葉はもうほとんど終わりになっていたので、期待した撮影はできなかった。
これからは、夕方に来てライトアップされた風景を堪能したほうがよさそう(12月8日まで)。
あと小雪の六義園もいい風情なんだよな。
和食の作法が危機を迎えている。
和食の作法は、室町時代に本膳料理をベースにして完成し、今に至っている。
それは、ご飯を中心に、汁物とおかずたちとの往復運動をする。
最初に箸をつけるのも、本当は「ご飯」なのだ(私はやらないけど)。
この作法の思想は、「ご飯中心主義」である。
米に対する特別な敬意が根拠になっている。
米(稲)は食物の中で別格で、神にもっとも近いのだ。
神事にあるように、米の飯を食べ、米の酒を飲むのは神との”饗”(あえ)を意味する。
いいかえると、数々のおかず(菜)は、ご飯を進めるための添え物でしかない。
和食の危機とは、ご飯食の危機のこと。
すなわち、ご飯中心主義的食べ方が、栄養学的見地から否定されはじめている。
健康によい食べ方とは、
まず、生野菜などで繊維質をとり、
つぎに肉などのたんぱく質をとり、
最後にご飯などの糖質をとる。
大切なのは、これらの順序と、それらを”別々”に摂ること。
決して、交互に食べてはいけないという。
この食べ方は、和食の作法の否定にほかならない。
いいかえれば、和食の作法は栄養学的には根拠がない。
むしろ、それに反する。
食事作法の根拠は、栄養学と稲作信仰のどちらに置かれるべきか。
作法家は重大な問題に直面している。
実を言うと、この私(小笠原宗家礼法総師範)も、今では栄養学的な食べ方を実践している。
ひとりの人間として、米への敬意より自らの健康を重視するからだ。
価値観の変遷に対応しなくてはならない。
それならば、まずは和食自体が、ご飯中心主義から脱する必要がある。
和食自体が、脱・ご飯中心主義を具現する内容に変化する必要がある。
そうすれば、その”食べ方”も追随せざるをえない。
まずは、おかずはご飯と一緒に食べるものでなくなるので、
味付け(塩分)を薄くしていい。
服装が変われば、それに追随してあるべき所作も変わったように、
作法とは、より上位に位置する”生活スタイルの変化”に対応するものなのだ。
推薦入試と論文原稿提出後の慰労に、温泉旅をしたい。
と言っても、判定会議と翌日の授業との間は24時間しかないので、遠出は無理。
近場でしかも転地効果のある温泉となると限られる。
名古屋隣接でもない、ビジホでもない温泉となると、三重は四日市の奥座敷・湯の山温泉くらい。
そこには、「ウェルネス鈴鹿路」という、元公共の宿があり、数回利用した。
近いだけでなく、値段もビジネスプランで6200円と、ビジホ並なのがうれしい。
2食付きで天然温泉の大浴場なので、ビジホより実質的に安いし、部屋もそれらよりは広い。
距離にして50kmほどで、しかも東名阪道からすぐなので時間もかからない。
この宿は場所柄、鈴鹿山脈核心部すなわち御在所山・鎌ケ岳などの登山基地に向いている。
登山後の温泉入浴が最高。
ここは湯の山温泉の下に位置し、別の源泉があり、新湯の山温泉という。
泉質は「アルカリ単純泉」だが、ラドンが出ている。
確かに、温泉の後ろに聳える御在所山は、関西で有名な岩場”藤内壁”を抱える花崗岩の山。
放射線が出ておかしくない(ガイガーカウンターを持ってくるんだった)。
といってもラドン含有量は1.62マッヘすなわち22Bqすなわち90nSv/hなので、
周囲の空気中とほとんど変わらないだろう(”放射能泉”には満たない)。
分析表には、ラドンの他、
なんとストロンチウムも検出されている(0.061mg/1kg)。
福島原発以外で滅多に耳にしない物質名(原発由来のは同位体のストロンチウム90)。
放射能泉好きな私としては、微量のストロンチウム(放射性ストロンチウム90の吸収を阻害する)をありがたく吸入したい。
ここは露天もあるが、放射能泉は気体が大事なので、内湯に限る。
湯口から出るお湯を後頭部に浴びて、飛沫を吸入する。
放射能泉の入浴法は、なんと”内部被曝”をめざすのだ。
温泉入浴とは、まずは熱湯に浸かり、ときに放射能を浴び、
ときに硫化水素を嗅ぐという、
まるで自殺行為かと見まがう。
でもこれが不思議と健康にいいんだな。
夏の冷房にサーキュレーターは不要だが(必要と信じ込まされている人がいる)、
冬の暖房には必須。
サーキュレーター本体は扇風機などよりはるかに安い。
名古屋宅でフローリングの床に置いて天井に向けたサーキュレーターを稼働すると、
天井近くに設置してあるエアコン(霧ケ峰)の温度設定はなんと”18℃”ですむ。
それでもサーキュレーターの撹拌効果で、天井に集まる暖気が降りてくるので、
床付近は20℃になる(天井は20~21℃)。
私の暖房設定温度の上限は20℃なので、これで満足。
それでも寒い場合は服で調整する。
以下の部分は計測の誤りでした。エアコンの使用電力は410Wでした。
本来なら400Wを越えるエアコンも、この低い設定なので100Wをキープ
(ちなみに、現在外気温は11℃)。
サーキュレーター自体は30Wなので、計130W。
白熱電球2個分の消費電力ですむ。
これなら電気代を気にするほどでない。
消費電力計と放射温度計があれば以上の確認ができる。
※ただしサーキュレーターは電磁波(磁場)が強いことが分った→記事
今年研究費で買ったMacBookPro15インチ Retinaの
そのRetinaの美しい液晶が破損した。
保証期間内だから無料で修理してくれるものと思いアップル・ストアに問い合わせたら、
液晶はあろうことか最初から保証外で、しかも修理代が11万円を超えるという。
本体で19万だぞ。この値段は絶対納得いかない。
そうこうしている内に、研究室のiMacの内臓ハードディスクが壊れた。
Time Machineでバックアップがとれていない時に限ってこうなる。
起動はするもんだから、データはあきらめて
(大事なデータはクラウド化してあるから無問題)、
HDD内を消去してシステムをクリーンインストールした。
そして、アプリなどを他のMacから移行しようとすると、毎回そこで頓挫する。
この作業を研究室にいる間ずっと続けていたが、とうとうHDDが認識不能になった。
でも本体は問題ないので、HDDの交換だけでこのマシンは使えるはず。
HDDを買ってきて自分で交換しようと思ったら、
このマシンは素人ではほとんど無理だとわかった。
要するに、手元の二台のMacが要修理ということ。
さっそく、ネットで修理屋をさがした。
検索にヒットした上からサイトを開き、これはと思う店に電話をかけてみる。
だいたい値段に差がなく、
iMacのHDD交換は、HDD込みで5-6万かかり、Retinaの液晶はアップルスストアと同じ。
中には、校費(翌月後払い)が利かない店もある(法人客はターゲット外なのか)。
二台合わせて、16-7万。
研究費の残額をオーバーするし、新品のMacが1台買える。
特にRetinaの修理が安い所がないか、「retina」をキーワードに加えて、ほとんど期待しないでさらに探す。
そしたら、Retinaを修理した画像をアップしている所があった。
その値段が信じられない安さ。
半信半疑で、今年のMacBookPro15インチのRetinaの液晶であることを明記して、
交換修理の値段をメールで問い合わせた。
そしたら、その返事は、修理代込みで37000円 !?
15インチRetinaの液晶だぞ。原価割れしてないか?
ついでにiMacのHDD交換の値段もきいてみた。
すると修理代込みで16800円!
計56400円 他の1/3。
半信半疑のまま、そこに修理を依頼すべくクロネコ便でマシンを送った。
その6日後には二台とも完璧に修理されて戻ってきた。
しかも、サイトにコメントを入れると返送料無料(これはキャンペーン中だから)。
感謝感激!
探してみるものだ。
そこは、千葉県の「イノベーションステージ」という会社。
マンションの一室がオフィスらしいこじんまりした会社だが、
サイトを見ても技術には自信のほどがうかがえる。
ここのサイトは、営業より技術を重視している姿勢がわかる。
そして何より、この良心的な値段。
Macが専門らしいが、他メーカーにも対応している。
これからはここに決めた。
(今日の受験生は、「以上です」の連発がなく、自然な会話ができた)。
そのあい間を縫って、昨晩書き上げた今年二本目の論文を印刷して提出。
これで今年度の自分に課しているノルマを達成。
推薦入試の終了と相まって、軽い祝杯といこう。
今回も、被害をもたらしたのは高潮という水の力だった。
台風のエネルギーは、人間が太刀打ちできるものではない。
強大な水の力からは、逃げるしかない。
だが、観測技術の進歩で、気圧、最大風速、予想雨量、進路、
そして気圧と最大風速と潮汐から、高潮の波高まで予測可能である。
すなわち、台風の破壊力をいつ、どこで、どれくらい被るか予測可能である。
それにより、海抜○○m以下の、木造家屋の住民は、いつまでに避難すべきか警告を出せる。
この点が地震と異なるのだ。
気象災害は絶対に人的被害を減らすことができるはず。
後は、避難所の設置など社会的な防災態勢の整備にかかっている。
予算がかかるここがネックなんだろう。
気象災害が減らない原因は、技術的要因ではなく、社会的・人間的要因にかかっている。
すなわち、われわれの努力でなんとかなるのだ。
中国共産党と台湾に逃れた国民党のどっちが次の世紀に生き残るか、
なんて自明の理に思えていた(当然、共産党)。
ところが、今や、中国共産党の命運が尽きかけている。
思えば、前世紀末に、東欧から始まって共産主義国家が次々と瓦解し、
大本のソ連までが解体した。
その頃、同僚の政治学者が、政治学の授業で「ソ連はそう簡単に解体しない」と結論した
その直後の夕刊で「ソ連邦解体」の記事が出た。
当然、彼は自分の不明を恥じたが、「政治は一寸先は闇」なんだろう。
「共産主義」という20世紀を通しての壮大な社会実験が失敗に終わったのは周知の事実。
政治的に独裁で反民主主義(国民を抑圧)であり、経済的に破綻への道を歩んだ。
中国だけが例外的に経済的に成功したため、命が長らえた。
ただ、経済の成功は政治的独裁と原理的な矛盾を露呈させ、また貧富の差を拡大した。
さらに環境を悪化させ、とくに貧しい人たちに健康すなわち生命の危機をもたらしている。
「このままでは人民の不満が爆発して共産革命が起きる」という笑えない皮肉がひろまっている。
秦から明まで、唐を除けば、漢族の中国王朝(元と清を除く)の版図は今よりずっと狭く、
チベットとウイグル、それに雲南も内モンゴル(万里の長城の北)も外だった
(もちろん、中華王朝に国境概念は無かったが)。
共産革命時に、東トルキスタンとチベットの独立を潰して、これらを”内政問題”とした。
ソ連がロシア帝国以来領土にしていた中央アジア諸国を抱えたのと同じで、
清帝国を継承しようとしたわけだ。
つまり、内政と民族問題の矛盾が限界点を越えつつある。
たて続けに起きた、”テロ”事件がそれを暗示している。
北朝鮮の金王朝が崩壊した方が、国民のためになると、国外の人は分っている。
同じことが中国共産党についてもいえる、
ということが、国内の人びとにも知れ渡ってきている。
中国共産党は、とりあえずは締めつけに躍起になるだろう。
国民の不満の矛先をそらすために、尖閣問題を取り上げて反日を煽っても、
それをきっかけに反政府暴動に結びつく流れを恐れるはず。
国内が大混乱になるのは、国民はもちろん、国際的にも望ましくない。
最後は、平和裡に国民に”大政奉還”してほしい。
そのためには、中国版ゴルバチョフ(あるいは第二の孫文)の出現が必要だが。
この記事は、中国本土では閲覧できないんだろうな。
最近、facebookを開かなくなっている。
もともとSNSには興味がなく、ブログで不特定多数に一方的に発信するのが性に合っているのだが、
確かに、やりはじめの頃は「友達」が増えるのが楽しかった。
ただ、「友達」にしたからって別にリアルな関係に変化がないし、
そういう意味のない「友達」を増やすことが面倒になってきた。
一度、メンヘラっぽい♀(友達の友達だった)からの友達リクエストをOKしたら、
facebook上の「友達」の意味を理解しておらず、粘着されて困った(アク禁にした)。
教訓:友達リクエストしてきた人の友達関係をチェックしよう。
facebookレベルでの「友達」がほとんどいない人は、リアルの友達がいない、なんらかの問題ある人かもしれない。その人は、fecebook上の「友達」に過剰に接近してくるかも。
ただ、友達リクエストを断るって、相手と共通の職場・学校だとなおさらやりにくいんだよな。
私にとっては実際には遠い「友達」たちの、今日のランチは何食ったとかいう、
どうでもいい(情報量のない)記事は読む気も起こらないし、
友達が増える分、この手の意味のない記事が増えるだけなので、ますます開く気をなくす。
ネットで時間をつぶすなら、2chとか価格comでも眺めていたほうが楽しい。
自分自身も少ない「友達」だけが相手では、記事の発信し甲斐を感じない
(そりゃ、私の記事も情報量ないのはわかっているけど)。
というわけで、実質的には卒論ゼミの閉じたグループの連絡用のみに使っているが、
学生にfacebookの登録を強制して、
私と同じような不快な思いをさせるのもよくないと思うようになった。
来年からは、ゼミの連絡も学内のシステムを使うことにしよう。
もっとも同窓会的使い方はそれなりに意味がある。
あと「小笠原惣領家礼法研究所 直門小教室」のfacebookをHP代りに開設している
(アクセスしてください m(_ _)m)。
ちなみに、昨年度の卒論ゼミでは、学生たちのLINEに参加したが、
とても会話についていけず、すぐに脱落した。
マイペースで生きるのが一番幸せだ~。
その容疑者は身分不相応な豪遊を続け、逃亡先のタイでは、痩せ衰えて家賃も払えぬ状態になり下った。
「悪銭身に付かず」を地でいっている。
行動経済学によれば、お金には色が着いている。
同じ一億円でも、苦労して貯めたものと宝くじで当てたものとでは、心理的な価値が全く異なる。
前者は資産として大切に運用され、後者はあぶく銭としてあっというまに無駄に散財される。
実際、ギャンブルで一発当てようとする者は、当たったら即座に散財するため、結局貧乏臭いままだ。
今回の事件で腹立たしいのは、こつこつ貯めて預けた年金基金が、
無意味に散財されてしまったこと。
行動経済学的には、もちろん、こつこつ貯めた60億円は、散財された60億円よりはるかに価値が高かった。
貯めた人にとっての損失が大きいわけだ。
9回はやっぱり田中しかいなかった。
昨日の160球投げて初黒星をくらったが、
日本一の瞬間を決めるのは田中しかいない、誰もがそう思った。
個人的には、2アウト後でもいいと思ったが。
(試合後の冗長なインタビューはなくてもよかった)。
日本シリーズの相手として巨人は最適。
しかも最後の7戦までいった。
そして9回、一発出れば同点に追いつかれるという状態。
正直、制球が悪い感じでヒヤヒヤした。
だが、これもドラマを盛上げたようで、
最後は、空振り三振。
12球団一の反エリートチームが9年目にしてリーグ優勝し、
さらに12球団一の超エリートチーム(?)を破って日本一まで勝ち取るに至った軌跡は、
大震災の被災地になったことも含めて、映画になってもいい。
”東北”を冠したチームが初めて日本一になった。
悲願が達成したのだ。
東北はますます元気になってほしい。