自宅転居に伴い、私設「ひぐらし気象台」(東京都荒川区西日暮里4)は閉鎖する。
サイトには画面はアップされているが、データは7/27 19:17以降更新されない。
新居が落ち着いたら、名を改めて再開する予定(ただし測器の劣化により、雨量、湿度など一部データは計測不能)。
自宅転居に伴い、私設「ひぐらし気象台」(東京都荒川区西日暮里4)は閉鎖する。
サイトには画面はアップされているが、データは7/27 19:17以降更新されない。
新居が落ち着いたら、名を改めて再開する予定(ただし測器の劣化により、雨量、湿度など一部データは計測不能)。
東京の実家を売却し、少ししか離れていない所に新居を建て、昨日そこに引っ越した。ここが終の住み処になる。
弟一家と同居するためで、3階建てに二世帯で住む。
障害者の姪がいるので広めのエレベータをつけた。
互いの世帯がそれぞれ相手の世帯に依存するための同居で、私もこれで老後は安心。
場所は「谷根千」地域からちょっと離れてしまったが、逆に山手線内側にさらに入り込んだ。
過去、私も母もそして祖父母も、ここらと前の所とを幾度も往復して住み替えていた。
この地は、栃木出身の祖父母が結婚して最初に暮した家のすぐそば。
いわばわが母方の東京原点の地。
私も小学校と中学校はこのあたりで暮したのでまったく違和感がない。
むしろここ文京区に戻ってきた感覚。
まだ段ボールに囲まれているので、生活感はまったくないが。
東京も名古屋も35℃を超えるようになり、いよいよ夏本番。
さすが多治見は39℃を超え、王者の貫録。
他人事ながら(だからこそ)頑張ってほしい。
かような炎天下でも、人は外出しなくてはならない。
炎天下とは、高い気温に直射日光が追加された状態であり、太陽によって暖められた地表からの輻射熱(アスファルト面は50℃を超える)と、太陽の直射日光とで上下から熱放射を受ける状態。
なので外出時には日傘は欠かせない。
なんといっても太陽からの直射による皮膚の昇温を防ぐためだ(もちろん紫外線防御も兼ねる)。
気温36℃の東京で、日傘内の腕の表面温度は34℃。
5分ほど日傘から腕を出したままにして腕の皮膚温を測ると37℃を超えた。
3℃の上昇。
これが1時間の露出ならどうなるだろう。
日傘を手にしている自分は、申し訳ないけど、その人体実験をする気になれない。
炎天下で日傘を差さない人は、少なく見積もっても3℃は余計に暑いわけだ。
つまり気温以上の暑さを皮膚に与えていることになる。
これって、損だと思わない?
だから私(♂)は日傘なしで炎天下を歩く気になれない。
さらに日傘内気候を調整するといいかも。
日射を浴びる日傘それ自体熱を吸収するため、本物の日陰よりはどうしても高温になる。
そこで、霧吹き(適当な容量のミストボトル)を携帯し、時々、傘の内側に噴霧する。
勿論、気化熱という、もっとも効率良い冷却効果を出すためだ(実際には人体への”冷却”効果は期待できず、日傘内の昇温を防ぐ程度)。
それに加えて、
体温の上昇を防ぐために、吸水性が異様に高い高分子ポリマーが入った布バンドを(充分水に浸した後)頸あるいは額に巻く(両方ならなおよい)。
同じ目的で保冷剤を入れるタイプもあるが、あれは単に異常な冷気を短時間与えるだけで、それ以降は無用の長物と化す。
高分子ポリマーは快適な冷たさはないものの、何時間でも体温の上昇を防ぎ続ける。
汗さえも吸水して、冷却の材料にしてまうから、額に巻けば汗取りになり、しかもその汗が、無駄に拭きとられずに、昇温抑制に利用される。
長い目でみてこれほど効率的なものはない。
どうしても心理的に冷気が欲しければ、冷水でバンドの布面を濡らせば、しばらくは冷たさを維持する。
このグッズ昔は1000円近くしたものだが、今では100円ショップ(キャン・ドゥ系)でも売っている。
帰京中の20日、この時期だけ登れる江戸最大最古の富士塚である高田富士(早稲田大学の隣)に行った。
水稲荷神社の境内にあり、庭園と斜面を削ってできた新しい道路との間になんとか残っている。
夕刻前で、祭の準備状態だったため、登拝者はごくまばら。
富士から持ってきたという溶岩の間を縫って山頂に達すると、
打ち鳴らし用の鉦があり、指定されたリズムで打つ。
1周して下山して、もう一度登り口から山頂の写真を撮った(下写真)。
それを後で見たら、左上にオーブ(玉響:たまゆら)が3つ映っていた(1つは電球と重なっている)。
オーブは、ストロボに反射した空中のゴミなどが映る光学現象なはずだが、
私はストロボを焚いていない(ストロボを本体内に収納してあり自動発光する設定でない)。
夕方前なので被写体側の電球もまだ発光していない。
撮影条件は、F2.8,1/60s,焦点距離4.5,16時、曇天(日射なし)。
同日の他の写真(この写真が一番最後)、そして今までこのカメラ(Lumix DMC-FZ200)では映っていない。
昔、サンヨーのデジカメ(Xacty)では幾度か映っていた(ストロボ自動発光)。
ただ、どこでもというわけでなく、偶然かもしれないが、木曽御嶽神社里宮とか佐久の寺の境内とか長良川水源の滝とか、それなりのパワスポ的場所だった。
今回も江戸最古の富士神社というそれなりの場所。
年に一度開かれた神域を、敬虔な気持ちで登ったが、
霊的雰囲気は格別感じられず、「幽霊探知器」で測ろうと思わなかった。
ちなみに、この30分ほど後、この地は積乱雲による強雨に見舞われたはず。
わが勤務先大学の前期授業が終わった。
小学校と同じような時期だが、こちらは月末に前期試験を迎える。
なので学生の夏休みは8月から。
教員は試験の実施と採点が済まないと前期が終わらない。
なので8月中旬にならないと自分の時間=研究時間が持てない。
とりあえず週末は久々に帰京。
{帰京時の当方の過失に際し、JR東海にはひとかたならぬ恩義を賜った。今後一切JR東海の悪口は言わない。}
降り立った東京は名古屋に比べると涼しい。
そして、残すところ1週間となった住み慣れた実家を味わう。
そう、東京では新居の準備にとりかからなくては…
大学新入生用のゼミが終わった。
ゼミの課題は大学生レベルのレポートを書けるようになること。
そのポイントは、内容以前に構成であり、最重要なのは正しい引用の仕方。
すなわち自分の文章と他人の文章を明確に分ける倫理を身につけること。
今年の新入生はこれが困難らしい。
引用には「」で区切る直接法と、文中に引用元を記す間接法があり、両方を修得する必要があるのだが、特に後者が苦手らしい(そのレベルの読書経験がないためか)。
それができて初めて自分のオリジナルな主張ができるのだが、
ツイッターやラインばかりだと、そういう文章能力が育たない。
やっぱ自己表現はブログに限る。
今年の学生には、”小保方さん”を反面教師に例示して、ああならないための教育だと納得させている。
それにしても、彼女の下書き段階の原稿が、博士論文としてそのまま通るとはあきれた。
ということは、他の早稲田の博士論文も彼女の下書きレベルということらしい。
研究は芸術同様、オリジナリティが必須。自己表現にこだわらない人には向かない。
そういえば佐村河内とかいうエセ”作曲家”もいたなぁ。
二週間連続の日曜出勤だったので、授業期間中ではあるが慰労を求めて、もともと授業のない月曜から一泊で、愛知県の南端・伊良湖岬へ行った。
翌週の海の日を意識したわけではないが、夏の海をまずは拝みたく、そしてかの地の「大アサリ」を思いきり食べたかったから。
伊良湖は遠州灘を画す渥美半島の突端にあるので、陸地経由だと愛知東端の豊橋まで出て、そこから”peninsula”という英語の方がぴったりの渥美”半島”をひたすら走り続けなくてはならない。
なので、割高にはなるが、名古屋に近い知多半島から船で三河湾を縦断して伊良湖に達するルートを選んだ。
知多半島の南端の師崎(モロザキ)港からはフェリーが出ているが、あえて車で行く必要はない。
その手前の河和(コウワ)港から人だけを運ぶ小さい高速船が出ているのでそれにする。
夏の海を見るなら、海上に出る船の上が一番。
河和港から出る船は、三河湾上の島を巡る便で、平日午後だったこともあり、学校帰りの高校生が多かった。
日間賀島や篠島に住んでいる高校生は毎日この船で往復するわけだ。
静かな三河湾を快走し(写真)、二つの島に立ち寄って高校生を降ろした高速船は50分ほどで大きなフェリーが並んでいる伊良湖港に着いた。
県内の移動ながら、船旅が入るとはるか遠くに来た気になる。
宿とした休暇村伊良湖は、温泉ではないが、3つある浴槽は薬湯などになっているので、温泉気分で何度も入る。
特に全身に泡がつく「炭酸泉」がいい。
炭酸泉は実際の温泉としても効能が明確でありながら、天然の炭酸泉は少ない(大分の長湯温泉が有名)。
”なんちゃって温泉”を作るなら、ぜひ炭酸泉にしてほしい。
そして夕食のバイキングには、ハマグリ大の名物”大アサリ”の網焼きをたらふく食べる。
単なるバイキングでは個性がない。このように地元の名物をその中に加えてほしい。
昨年と違って今年は、同じ地元名産のマスクメロンはなかった。
実家への土産に1玉送った。
翌日は、ローカル路線バス(伊良湖岬発豊橋行き)で渥美半島の付け根の田原まで乗り、そこからは気分転換に豊橋鉄道に乗り換えて豊橋まで出た。
大アサリを食べ、炭酸泉の泡に浸かり、地元の人が利用する船・路線バス・私鉄と乗り継いだ一泊の旅。
旅番組にでもなりそうな内容だった。
次回は、伊良湖岬の向かい側にある神島(三重県)に行ってみたい。
大学で本来の専門の心理学の枠を使って、防災の授業をしている。
自分と家族の命にかかわる内容なので、何学部であろうと必須と思っているから。
単なる講義では意味がない。
防災行動を実践させる。
まず、自宅近辺の地盤、標高、地形、傾斜、河川までの距離と比高、土砂災害の危険箇所の有無を調べさせる。
居住自治体のサイトから、各種ハザードマップを見て、自宅あたりの相対的危険度(想定数値は参考値にすぎない)を把握し、
自治体の防災体勢、情報サービスを確認する。
ついで、自宅の耐震性、家具の補強などを調べさせ、自宅内の危険箇所と安全箇所(逃げ場所)を確認させ、
備蓄品や避難用品をチェックする。
「災害伝言ダイヤル」を試行させ、緊急地震速報の24時間受信体勢を整えさせ、消火器の配置と使用期限をチェックさせる。
防災センターに行って、震度7と消火器の使い方の指導を受ける。
消防署員を招いて、AEDなど救命救急法の指導を受ける。
レーダーナウキャスト、Xバンド、雨量・河川水位の実況サイト(主に国交省)を紹介し、
実況の理解と予想の仕方を教える(これが大事)。
最寄の災害拠点病院、避難所、防災設備等を把握させ、自宅から避難所までのルートを選定して、
実際に歩き、危険箇所のチェックをさせる。
災害が発生しそうな雨量、風速、震度の値を教え、自主避難を含む防災行動の基準とさせる。
つまり、自宅とその周辺の危険度を詳細に把握し、自分で避難判断できる情報を得させる。
気象警報や避難勧告などの公的情報に頼っていては、いざというとき自分の身を守れないからだ。
特に気象災害は実況(1~10分間隔)情報が命。
台風情報ばかりを全国ネットで延々と流すテレビは、台風の中心から離れた自宅周辺の危険に対してはまったく使えない
(データ放送部分なら地元の大ざっぱな防災情報がリアルタイムで得られる)。
携帯でき、いつでも(停電時でも)ネットに接続できるスマホ・タブレットが必須アイテムとなる。
台風などが通過するたびに死者が出る(今回の台風8号は今のところ3名)。
気象現象は地震と違って、予測と実況ができるのだから、死者ゼロにならないものか。
もっとも、戦後などに比べれば台風被害は格段に減少しているが。
死者ゼロにならない一番の理由は、土砂災害の危険地帯に住宅が軒を連ねているためだ
(南木曽町の土石流を起こした沢も、もともと土砂流出量が多かったらしい)。
そもそも日本の70%以上は山地で、そこの川沿いや山腹に、
すなわち土石流の通り道に人がへばりついて住んでいる限り、土砂災害は減らない。
ならば、みんなこぞって広い沖積平野(関東平野、濃尾平野、大阪平野など)に住んだ方がいいかというと、そうでもない。
沖積平野は地盤が弱く、地震被害にあいやすい。
もともと河川の洪水の跡だから、洪水被害も潜在的にある。
しかも海沿いの低地は津波被害も加わる。
日本の70%以上は毎年の台風による土砂災害にあいやすく、残りの20数%の沖積平野は地震被害にあいやすい。
比較的安全なのは、山地と平野の中間にわずかに残る「台地」のみ
(たとえば東京では武蔵野台地。ただし丘陵になるとそこは土砂災害の危険)。
ここは水利が悪いので、もともと開けてこなかったし、面積が狭いので、多くの人は養えない。
こう考えると日本って結構住みにくいんだな。
いや、むしろわれわれは災害のリスクとともに暮してきたのだ。
大地震があっても太平洋側に住み、雪害があっても日本海側に住む。
草食動物の群れのように、一定の犠牲は折り込み済みで、集団的に見れば繁栄する。
それが生き物の世界のリアルなのかも。
死者を”減らす”ことはで現実的に可能であっても、
究極のゼロに達するためのコストは無制限なものとなってしまう。
完成までに数百年かかる首都圏のスーパー堤防の建設が議論の対象となるわけだ。
人口密度の高いわが国ならば、0メートル地帯や山の谷あいに住むなとは言えない。
ならば、次善の策として、危険に対して敏感に反応するようにするしかない。
これを次回に考えたい。
台風8号は
7月9日9時の48時間予想図(FSAS48)によると、
11日午前9時には、静岡付近にあり、力は990hPaに弱まり、暴風圏がなくなっている(国際分類上ではTyphoonから Tropical Stormに格下げ)。
その後、北海道西岸にある同じ990hPaの温帯低気圧に引き込まれ、東日本を北上するにつれ、温帯低気圧になる模様。
名古屋周辺のわが勤務先の大学は、愛知県西部に暴風警報が発令されていると休講になるのだが、暴風圏がなくなるので大丈夫そう。
前期の〆の週なので休講にはしたくない。
新暦の七夕は、かように梅雨の最中なので、星祭りとして盛り上りにくいのは致し方ない(旧暦なら盛夏で夕涼みに丁度いい)。
なので、いっそ星祭りはあきらめ、もっと俗的に盛り上げればいいものを、
恵方巻きやらバレンタインやらの大騒ぎとうってかわって、スーパーやデバートは手持ちぶさた。
せいぜい店の入り口に竹竿に七夕飾りをする程度。
それほどまでに日本の伝統が途絶し、意図的に作られたイベントが年中行事の座を奪っている。
今では多くの人は、年中行事の中身を不正確な童謡からでしか連想できない(その童謡すらも歌われなくなっていそう)。
だから七夕は七夕飾り(笹の葉、短冊)しか思いつかない。
七夕の夜は、素麺(ソーメン)を食べる。
五色の糸に摸したカラフルな素麺を。
私は「七夕復活委員会」として、毎年これを主張している。
なのに、スーパーはなぜこの日特性の「七夕素麺セット」を大々的に売り出さないんだろう。
日本の年中行事を知らないからだろう。
だったら、商業主義的お仕着せのイベントに頼らず、われわれが自発的にこの日は豪華な素麺を食べて、祝おうではないか。
ちなみに七夕は、女性が裁縫などの技能向上を織り姫に願う日(乞巧奠)で、女性が主役。 女性が中心になって盛り上げてほしい。
冷房にはサーキュレーターを併用しないことで有名な私だが(その記事の閲覧者が多い)、
夏には、それほど暑くない場合、サーキュレーターをベランダの外に置いて、室内より低い外気を入れるのに使っている(あまり効果はないが)。
なにげに室内の電磁波を測ってみたら、サーキュレーターの稼働中の交流磁場がやたら強いというか、広いのに驚いた(電場はほとんどなし)。
大抵の家電製品は磁場を発するにしても本体からの距離10cm程度の範囲なのだが、このサーキュレーターは、本体から70cm離れても1μTに達し、
完全に磁場から抜ける(0μT)には130cmも離れなくてはならない。
こんなに磁場が広い家電は他にない。
ということは、
本体から発している磁場が相当強いはず。
磁場計をかざして稼働中のサーキュレーターに恐る恐る近づくと、
本体から数cmでなんと100μTを超えた!
IH調理器(5μT),電子レンジ(15μT)の比ではない(値は自宅の設備の実測値)。
この値、50Hz交流磁場の「一般公衆の被曝限度」に相当(放射線の年間被曝限度1mSvというやつと同じで、実害が発生する値ではない)。
日常的に経験しないはずの値だったので、サーキュレーターから離れて、急いでプラグを抜いた。
このサーキュレーター、郊外の大型店やDIY店によく並んでいる黒く丸いヤツで、Honeywell というブランドの中国製(プラスチック製の安物)。
私はもうこいつを使う気が失せた。
使うにしても今まで通り窓際に置いて体から130cm以上離す。
今後家電を買う時は、磁場計を持参して、実測してから買う事にしたい。