「三度目の正直」という言葉通り、野川の真の水源がある日立製作所中央研究所内に、三度目の訪問でやっと入れた。
元々、ここは年に2日だけの公開の日(4月第一日曜と11月第三日曜)があるだけだが、コロナ禍の煽りで過去の2度はいずれも門前でシャットアウトを喰らった。
なぜ門前まで達してこのように憂き目にあったかというと、国分寺市の観光サイトにも当の日立中央研究所のサイトにもいずれも今年度の公開について情報が載っていなかったため。
その代わり、たとえば前回(今年の4月第一日曜)は、野川に流れ込む別の水源に切り替えて、一応の到達(完歩)ということにした☞記事。
だが、それは自分にとっても誤魔化しであることは明白なため、コロナ禍の影響が完全に吹っ切れた今年の11月こそ、真の水源に達したい。
そこで今年は事前に確認するため、日立製作所中央研究所に直接電話して、今年の公開の有無と公開する場合の日を尋ねた。
すると、11月26日に公開するという。
それって第四日曜ではないか。
電話で確認しなければ、今回は公開日のズレでまた入園できない羽目になっていたところだった(実は公開日が第三日曜だったら、大学で仕事があって無理だった)。
中央線の国分寺駅の北口から、3度目の訪問で歩き慣れた道を地図を見ずに進む。
過去2回と違うのは、研究所入口のある通りに、人が行き交っていること。
そしてその人たちが出入りしている所こそ、中央研究所の正門だ。
警備員が立っている前を抜け、開門している扉を抜け、木立が密の敷地内に入る(10:00-14:30の間、入場無料で、自由に出入りできる)。
ここは日立製作所の創設者である小平浪平が「良い木は切らずによけて建てよ」と指示したため※、自然に育った木が立派に成長している。
※:もらった案内図による。
研究所の建物の前で園内の案内図をもらって、広場に出ると、出店用のテントがあって、地元野菜や軽食を販売している。
いつもの川歩きなら、まずは出発駅付近で腹ごなしにそばを食べるのだが、今回は、研究所に入れるのを一刻でも早く確かめたかったのと、公開日用の出店で食にありつけることを期待して、空腹のままここに来た。
期待通り、地元国分寺ではないが、東村山の黒焼きそば(500円)※を売っていたので、迷わず買って、付近の木の根元に座って食べた。
※:東村山の「黒焼きそば」は、村山産の黒いソースがオリジナル。東京の多摩って区部(江戸・旧東京市)とは違うオリジナル文化がある。今や全国区になった「油そば」も元は多摩オリジナル(区部の私は大人になるまでその存在を知らなかった)。
人心地ついたので、野川水源の大池に向かう。
池の周囲の自然林は赤や黄色に色付いている。
まずは池の南側にある水門に達する(写真:この水門の右下にある暗い流れが最初の野川の姿)。
水門脇には、ここが野川の源流であるという説明板がある。
そもそも川歩きは、河口から水源に遡(さかのぼ)る方向で歩く方が最後に盛り上がりがあってよい。
しかも武蔵野の川は水源が池になっているため、池から最初の川となる水門とさらにその池に注ぐ湧水とで二重にクライマックスが味わえる。
大池から野川の一滴となる水門の先は野川の最初の流れが庭園の境界から西武線・ JR中央線の線路をくぐって、園外で野川として顔を出す。
その庭園の境界内に入るのにこうして「三度目の正直」を経験したわけだ。
ここの大池は人工池というが、鯉や水鳥が泳ぎ、池の先端では2羽の大きな白鳥が池から上がって、来園客の目の前で悠然と歩き回って地面の食べ物を探している(写真:目の前に来たので、カメラに全身が収まりきらない!)。
池から少し離れた所に湧水の看板(一方通行)があり、そこに行くと、国分寺崖線(通称”ハケ”)からの湧水だった。
ここから始まって世田谷で多摩川に合流するまで、野川はずっと国分寺崖線に沿って流れており、その間の支流はもとより水源そのものも国分寺崖線によって生まれたのだ。
池の畔(ほとり)には、ヤマモミジの紅枝垂(べにしだれ)がひときわ鮮やかなオレンジの葉をまとっていて(写真)、皆そこで記念写真を撮る。
カメラを首からぶら下げたまま広場に戻ると、国分寺観光協会のテントから人が出てきて「こくぶんじ写真ウォーク」の応募案内を手に、私に写真の応募を誘ってきた(道行く人全員に誘っているわけではない)。
来園者の中には、望遠レンズをつけた大きいデジタル一眼を抱えている人などがいて、彼らは見るからに写真愛好家とわかるが、私は単なるコンパクトデジカメを首からぶら下げただけなのに、あえてその私に写真コンクールの応募を誘うとは、私の一見平凡そうなカメラが、実はライカのカメラだと目ざとく見つけた結果かもしれない。
確かに、私が下げていたカメラにはライカの赤いロゴがついており、レンズキャップにもLeicaの文字が入っている。
そうだとすれば、その人はそれなりにカメラに詳しいのかも(かようにライカを持つと、どうしてもライカ自慢をしたくなる)。
かくして、源流に達するのに苦労した野川遡行の旅も、6年半かかって、これでやっと終わった。
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