※本記事は、みうらじゅん(「ゆるキャラ」の命名者で有名)について最低限の知識があることを前提としています。
私の春休み第一弾は、川崎市市民ミュージアムで開催中(3/25まで)の「みうらじゅんフェス!:マイブームの全貌展 SINCE 1958」の鑑賞。
私は氏(みうらじゅん=三浦純)とほぼ同世代で、同じく仏像が好きなので、根強いファンというわけではないが、親近感をもっていた。
実際、昨年はいとうせいこうとのポッドキャスト番組 「ザツダン+」をなにより愛聴していた。
なので、そろそろみうらじゅんなるキャラをきちんと知りたいと思っていた矢先の渡りに舟というわけ。
その川崎市市民ミュージアム(市が2つ続くのがミソ)へ行くには、今をときめく武蔵小杉からバスに乗る。
なので初めて降り立つ武蔵小杉から、私のワクワクは始まる。
なんで”初めて”かというと、ここを訪れる理由が今まで無かったからで、そもそも小杉は川崎市外の者があえて訪れる地ではない。
当然ながら地名は”小杉”であり、武蔵小杉は駅名にすぎない。
「武蔵小杉」として有名になった理由は、駅前だけが固有に変貌したためだろう。
降り立ち記念に、駅構内か駅前で「駅そば」を食べようと目論んだが、蕎麦屋がまったく見当たらず(讃岐うどんは選択外)、仕方ないのでおにぎり屋でおにぎりを2つ買い、コンビニで天然水を買った(おにぎりはその場で作る店のがいいが、ペット飲料はコンビニのが安い)。
ちなみに、降り立っただけの印象では、横須賀線沿いは並行している新幹線の走行音が大きい。
もっとも今どきの高層マンションなら窓の防音効果もしっかりして、高層階では窓は開けないだろう。
駅前からバスに乗って、等々力スタジアム(川崎フロンターレのホーム)のある広い公園の一画で降りる。
まずはミュージアムの外のテラスで、おにぎりを食べる(空腹をかかえたままでは鑑賞に集中できない)。
800円払って展示会場に入ると、意外に幅広い客層でそれなりに混んでいる。
「全貌」というだけあって、氏の生い立ちに沿って、膨大な展示が並ぶ(すべて氏のコレクション)。
それは氏自身の「マイブーム」の変遷を示している。
次々と続くマイブームの圧倒的なコレクションの前では、「マイブーム」って一時期流行った流行語で、今どき使うのは恥ずかしいなどとほざく底の浅いヤカラの心根も簡単に砕かれよう。
みうらじゅんの人生そのものが主体的感性にもとづく「マイブーム」の発掘と変遷の歴史なのだ。
その展示でわかったことは、氏は小学校時代にマンガを描きはじめて、いろいろなキャラクターを作り出し、中でもカエルのキャラがお気に入りだったということ。
これって、まさに小学校時代の私だ!
ここまでは同じだったんだ。
そして氏は早くも小学4年で仏像にのめりこむ(京都の地がそれを有利にしている)。
悔しいことに私より数年早い。
しかも子どもなりに詳しく調べている。
『見仏記』を読んだ印象では、仏像に対する蘊蓄はいとうせいこうで、みうらじゅんは感性的評価が主だと思っていたが、それは単なる役割分担で、氏の仏像に対する理解は筋金入りだった。
また高校の時、ホントに空手の通信教育を受講していた(お笑いのネタではなかった)!
そして自分の才能を開花すべく、2浪して多摩美術大学に入学(その時の受験票も展示)。
入学後はもちろん描画の腕を上げ、その延長で『ガロ』に掲載される。
一方、私は中学に入ってマンガからきっぱり足を洗い、二度と戻らずに現在に至っている。
小学校時代に描きためた幾冊ものマンガ集(4コマ、短編、長編)は今は1つも残っていない。
ここで大きく差がついた。
私はみうらじゅんになれなかった。
捨てない、そして集めるコレクターとして(「断捨離」とは対極)の氏の生き方もすごい。
磯野カツオをまねたのか、小学生時代の「肩たたき券」も残っている。
私も子どもの頃は氏と同じく「ゴムヘビ」が大好きだったが、遊んで壊すばかりでコレクターにはなれなかった。
氏の数々のマイブーム・コレクション(しかもこの展示がすべてでないという)を通覧して感じるのは、氏の(集めて命名する)行為そのものが、われわれが自明視しているモノに別の価値を発見させる「アート」であること。
かくして、私との子ども時代の共通点(マンガ、カエル、仏像、ゴムヘビ)を発見できた喜びを得た一方、その後に拡がる差異に打ちのめされた。
見終って、ミュージアムショップで買ったのは、昨年映画として観損ねた「ザ・スライドショー」のDVDと氏のメインキャラであるカエルが描かれたポーチ(私が持っているカエルのフィギュアたちを収納するつもり)、それに本展とは無関係ながら北斎の神奈川沖の浮世絵の3Dポストカード。
最後のモノは氏の3Dコレクションの影響を受けた。
そういえば、本展でのショップ一番の売りは「SINCE」Tシャツだと思うが、
美術展で売っているオリジナルTシャツって一見食指が動くけど、絶対着て歩けないので、いつも伸ばした手を引っ込める(ミロのTシャツ2着を例外として)。
あれって、買う人は何のために買うのだろう(着て歩いている人を見たこともない。私もミロのTシャツはもったいないくて着れない)。
この「ミュージアムショップのTシャツ」問題も氏に考えてほしい
(実際のところ、「SINCE」Tシャツはかなり売れているようだが、私にとってこのTシャツを着て街を闊歩する資格があると思えるのは”シンサー(SINCEを審査する人)”だけで、すなわちこの Tシャツはシンサーの制服であり、それは実質みうらじゅんただ一人だ)。
それと、これも美術展に必ずあるオリジナル・クリアファイル。
そもそもクリアファイルは透明で中が見えるからその名がついているのだが、美術展で売っているものは絵がぎっしり描いてあって中がまったく見えない(つまり実用的でない)。
これには氏がすでにその問題に気づいていて、これはクリアファイルにあらずということで、「アン・クリアファイル」と名づけている。
かように、世の中の注目されない物に、その存在理由を見出す、あるいはその存在の不条理さを明らかにする、氏の今後の活動を楽しみにしている。