今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

杉並・妙法寺界隈の寺巡り

2025年02月23日 | 仏教・寺巡り

昨日、東京23区の各区ごとの「一寺リスト」を作成した結果、
杉並区代表に選んだ妙法寺(お祖師様)※にまだ行ってないことに気づいた。
※:日蓮宗の本山の1つ。
そして翌日の今日23日は、妙法寺境内にある「二十三夜尊」の縁日ということなので、早速行くことにした。

付近の地図を見ると、妙法寺界隈(杉並区松ノ木、梅里、堀ノ内)は寺町を形成している。
なので界隈の各寺もまわってみる。


地下鉄丸の内線の「新高円寺」で降り、まずは地元の町中華(杏杏)で「五目焼かたきそば」を食べる(ランチセット800円)。
ここを出るとすぐに寺町が始める。

各寺の入り口には区の案内板があるので、寺の歴史や本尊・所蔵文化財などがわかる。
案の定、ほとんどの寺が江戸時代は江戸市中(浅草・上野界隈)にあったが、
大正時代に東京市の拡張によって、この地に移転してきたもの。
同じような寺町は、世田谷区の千歳烏山にもある。
※:江戸時代にも大火の後など寺が一ヶ所に集められ、それが谷中(台東区)・高輪(港区)などの初期の寺町を形成した。
ただ、この地で関東大震災と空襲に遭い、いずれか一度は灰燼に帰したようだ。
関東大震災(震源地は小田原沖)の被害は、東京下町(これらの寺が元あった所)だけでなく、
移転先の武蔵野台地のこの地にも及んでいたことを改めて知った。

以上の理由もあって、寺の建築に歴史を感じるをことはできず、また境内に見るものも少ない。
その中では、華厳院(天台宗)の本堂右の大きな閻魔像、西方寺(浄土宗)の石仏群などは見るに値する。


そして界隈の中心的存在の妙法寺に達する。
門前にはスーパーがあって、現代的な門前町の賑わい。
縁日のためか、門前には数軒の出店も出ている。
山門を抜けると、まずは祖師堂がある。
祖師堂は奥の本堂よりも立派で、屋根の破風が金色に輝いている(写真)。
堂内に入ると、中も金ピカで(撮影不可)、日蓮聖人が本尊として祀ってある。
向かいの庫裡では「堀ノ内寄席」が開催されている。

本堂の奥にある小さな二十三夜堂に行くと、中で僧侶が一人読経しており、
参拝者は一人ずつ狭い堂内に入って本尊(月天?)を参拝する。
左下を見ると、見事な蛇石(大石の中に蛇の紋様)があった。

さらに境内最奥には、幼児を抱いた子育て観音の石像が建っていて、その美しい顔立ちは私の「美仏リスト」に入れたいレベル(写真)。


妙法寺を出て、環七沿いに北上すると、眞盛寺(天台宗)という立派な寺がある。
滋賀の天台眞盛宗総本山・西教寺の東京別院で、西教寺は明智光秀の菩提寺で、数年前に訪れた。
あちらは 境内を観光できたが、こちらは観光対象でなく、ひっそりしている。
だが、境内には竹林や茶室、池もあって風情があり、近所にあったらぜひ散歩コースに入れたい所。

この寺の真横が実際に梅里公園になっていて、そこから環七を歩道橋で渡り、
蓮光寺(日蓮宗)でチャンドラ・ボースというインド独立運動の旗手の像を見て、
蚕糸の森公園を抜け、丸の内線の東高円寺駅に着いた。

以上の寺町は、谷中のように外から観光客を呼ぶ要素はないものの、
寺と公園が点在する落ち着いた所だった。


東京一区一寺選抜

2025年02月22日 | 東京周辺

東京で寺巡りをする際、どの寺を訪れるか決める基準がないため、思いつく範囲で選んでしまうことが多い。
そうすると、頭に浮かばない寺は候補から外れてしまう。
そこで、より客観的な基準でリストを作成してみることにした。
例えば、23区それぞれから1つずつ寺を選ぶ方法である。

選定基準は、宗教的な価値(寺格)と観光的な魅力(境内の見どころ)のバランスとした。
その結果は右表のとおりである。

まず千代田区では、すぐに思い浮かぶ寺がなく、地図を頼りに区内でほぼ唯一と言える寺を見つけた。
その後、ネットで情報を収集したところ、やはり由緒ある寺であることがわかった。
中央区では真っ先に築地本願寺が思い浮かんだ。
※京都・西本願寺の東京別院
ただし、本来は他所に本院がある「別院」は除外したいところだ。
しかし、築地本願寺は建物が国の文化財であり、東京を代表する寺の一つであるため、例外的に採用した。

迷ったのは台東区。
寛永寺(天台宗)を外すのは徳川家に申し訳ない気もしたが、今回は江戸時代よりはるか前、飛鳥時代に創建され、現在もトップクラスの人気を誇る古刹を優先した。
徳川将軍ゆかりの寺については、港区の増上寺が選定されているため、そこでバランスを取った。

江東区では、賑わいの点で深川不動(真言宗)が優勢だったものの、成田山新勝寺(千葉県)の別院であることから、地元の独立した寺を優先した。
渋谷区では法泉寺(天台宗)も候補に挙がったが、23区内候補で唯一の臨済宗の寺を優先した。

宗派ごとの内訳は、真言宗7、浄土宗6、日蓮宗4と、真言宗が最多であった。
また、「本山」級の寺も7つ入っている。

このうち、私がまだ訪れていないのは千代田区の心法寺、杉並区の妙法寺、江戸川区の善養寺の3つである。
※:文京区の護国寺(大本山)の末寺だが別院でないので採用
今後の寺巡りでは、これらを優先的に訪れる予定だ。
実際に選んでみて、神社編のほうが選定は楽かもしれないと感じた。


以上の文章は、 ChatGPTでの校閲を受けて修正したもの(ただし一部自分で再修正)→生成AIの校閲比較
文体の個性は尊重されているものの(他の生成AIでは破壊される)、私の原文より、説明が丁寧になっている。
言い変えると、私の文章は、”流れ”を優先するため、論理を飛ばす傾向があるようだ(自分本位な文章になりがち)。
ブログ記事は他人に読んでもらうためのものなので、これからは”校閲”を通したい。


霊が見えるという現象についての2本目の論文

2025年02月19日 | 心理学
「霊が見える」という現象についての私の2本目の論文「霊視認現象についての態度調査と視認事例の追加」が公開された。
 
この論文は、霊が見える人の出現率を調べることと、その経験(者)に対する当事者とそうでない人の態度を調査するのが第一目的で、その現象の追加例の採取が第二の目的である。
また、この現象を説明する心理学的見解を批判的に検討した。
ここではその概略を示す。

まず、視覚経験として霊が見えるという現象を、今回から「霊視認」と表現し直した。
前回の論文(山根,2024)では、「霊視覚」と称していたが、この経験は感レベルではなく知レベルの現象であり、また霊を「視認する」という動詞形における適合性から、「霊視認」と改称した。
 
調査は186名(全員女性)の回答を得た。
うち「霊を見たことがある」という回答者は17名、すなわち約9%に達した。
ただし、その回答者たちに、面接をして詳しく話を聞きたいために任意で記名をもとめたのだが、記名したのは6名で、さらに面談を実現してイラストを含めた視認情報を得られた、すなわち「霊視認者」と認定できたのは2名(1%)だった。
※:明らかな幻視の可能性、すなわち統合失調症、薬物依存、視神経・中枢神経系の障害がないことを前提とする。調査の回答だけではこの確認ができないので、それだけで霊視認とは認定しない。
 
また17名のうち視認経験についてのさらなる質問に回答したのは15名で、うち8名は1回だけで、数回も6名であり、頻繁に視認できると回答した者は1名しかいなかった(ただし上の認定者ではない)。
つまり霊視認のほとんどは1回程度の経験である。
そして視認者自身、その時の経験に対して錯覚や幻覚の可能性を否定していない。
また霊視認経験自体を快適に思っておらず、誇らしくも思っていない。
残り大多数の非視認者にとっても、見えるようになりたいとは思わない傾向が示された。
すなわち、霊視認に対する態度は視認者も非視認者もほぼ同じだった。
 
2名の視認事例は、いずれも10年以上前の経験で、内容は見える霊との間に交渉がなく、声・音を伴わない、いわゆるシャルル・ボネ症候群(視野欠損症の一種)での幻視と同じパターンであることから、前稿の事例を含めてこれを霊視認の定型として「シャルル・ボネ型(霊)視認」と命名した。
 
霊視認についての心理学的説明の可能性を探るため、この現象を言及している過去の心理学者としてW.JamesとC.G.Jungについて調べた。
Jamesは英国心霊協会の会長まで務めるほど心霊科学に関わっていた(ただし霊の存在については懐疑的)
Jungは英国滞在先で霊を見ている(怖気づいて翌日退去してしまった。心理学者ならそこは知的好奇心が勝ってほしかった)
ただ両者とも霊視認を意識下・無意識の現象とみなし、意識レベルの視覚現象とは認めない点で、筆者にとっては参考にならなかった。
「無意識」という便利で実証不可能な概念装置に頼らないのが、心理学における筆者のアプローチだからである。
そして生半可な段階で解釈・説明に走る前に、当面は事例を積み重ねることを優先する。


慰労の熱海温泉:追記

2025年02月18日 | 東京周辺

わが職場は実質春休み前半(3月中旬に集中的に仕事がある)、すなわち”年度末”に入ったので、慰労の温泉宿として、東京からは最近はここ一択になっている熱海の「ホテル大野屋」に泊まる。

前の記事(熱海の大野屋に泊まる理由)に示したように、熱海自体の価値とこの宿の価値が合わさっているため。

その記事で示し忘れた”理由”を1つ追加する。
JR東日本のジパング俱楽部に入っていると、その鉄道で往復200kmを越えると運賃が3割引となる。
片道100kmの熱海はこれにギリギリ該当するので(1つ手前の湯河原は非該当。1つ先の函南はJR東海なので対象外)、往復切符が使える1泊にすると、運賃が1300円ほど安くなるのだ。
これもインセンティブ(誘因)になる。


さて、その熱海に早めに着いたので、まずは街中を歩いて宿に向かう(Googleマップだとホテルまで所要18分)。
熱海の街は一時期の危機を脱しつつあって、あちこちの店に行列ができている。
熱海は規模のある繁華街と温泉宿が渾然一体となっている珍しい所で、旧温泉街の風情と新興の個性ある店が合わされば、街自体が観光対象となろう。

銀座通りを横断して、糸川遊歩道に出ると、そこは今が盛りの梅の木が並んで、内外の観光客が記念写真を撮っている。
さらに進むと市内の名所の1つ「起雲閣」に出る。


起雲閣は東武の創設者・根津氏などが所有した大正時代の別荘で、その後旅館となり、幾多の文豪が訪れた。
幾棟ある和洋建築と庭園が見学できる(610円)。
増築された旅館部分に行くと、ゆったりとした客室で庭に面した空間にソファがある。
もちろん風呂は温泉で、明るい部屋から広い起伏のある庭を望んでの滞在執筆に私もあこがれる。
ここに太宰治が滞在してあの『人間失格』を書いたという。
作品に通底する絶望感とそれを執筆した空間の明るさのギャップに戸惑うが、それがプロの作家なのだろう。
また三島由紀夫は新婚旅行で泊ったという。
そして、ここに元祖「ローマ風呂」がある。
そう今晩泊る大野屋のローマ風呂につながるそれ。
といってもこちらはこぢんまりした箱形の浴槽だが、内側は金色になっていた(写真)。

庭に出ると、和風建築と洋風建築がならんでその横に今晩泊る宿の看板が見える。


その宿にチェックイン。
今回は、最安値のビジネスルームではなく、さっきの「起雲閣」の大宰が泊った部屋と同じ感じのゆったりした和室。
1泊の私は、ここで執筆というわけにはいかず、このブログの記事を書く程度。

ここの宿の温泉は、成分の濃さが日本で珍しい”高張性”に達するレベルで、改めて計測でそれを確認(貸切風呂の黒い湯では電気伝導度が10000μSを超えた)。
濃度が高いほど、浸透圧が高く、温泉成分が体内に吸収されるのだ。
実に入り甲斐がある。
※:日常使用の伝導度計だと針が飛んで計測不能となる濃度。ナトリウム系の温泉は、このような極端に高い値が出るが熱海でもそう多くない。宿の泉質を確認しよう。

夕食は、アルコール飲み放題付きの食べ放題。
昼、熱海の街中を歩いている時は、食べる店がこんなに多いから、次回は素泊りにして食事は外の店という旅もいいかなと思ったが、少なくとも伊東園系列の宿で素泊りという選択肢は”愚行”でしかないことを痛感。


19日追記

翌日、チェックアウトして、近くの「熱海山口美術館」に立ち寄った(1400円)。
ここは体験型の美術館という。
住人がいるマンションの1−2階フロアを改装しての館内なので、真面目な美術館なのかどうか、一瞬入るのに戸惑った。
ところがコレクションは一流で、ルノアール、ピカソ、岡本太郎などの作品があり、重要文化財の仏像もある。
その中で驚いたことに、あの細川護煕元総理大臣が、今では立派な陶芸家となって作品を展示していた。

鑑賞が終わって受付に戻ると、小皿に絵付けの実技が待っていた。
しかも、人間国宝の作品でお茶を飲める(いずれも入館料に含まれる)。
白い小皿にペンで絵を描き、裏にサインを入れ、10分ほど間って(その間に喫茶)、仕上がりを受け取る(写真:思いつきで適当にヒョウタンとキノコを描いた)。

熱海の美術館といえば、まずは MOA美術館(→記事)だが、ここはその次に訪れるべき所だ。


東京のゴーストスポット巡り

2025年02月16日 | パワー・スピリチュアル

実質春休みに入り帰京して迎えた日曜。
暇にまかせて、都内のゴーストスポット巡りに行く。
情報源は、昨年夏に国会図書館で読み漁った『魔百合の恐怖報告』シリーズ(山本まゆり、朝日出版)。→記事
読んだ当時の夏は出歩く気が起きなかったが、今日は3月並みの陽気なので絶好の外出日和。

いずれも場所は家から電車を乗り継いで30分で行けるので、一気に周ってしまおう。
装備として、カメラを持参し、霊の探知機「ばけたん霊石」を首から下げる。


まずは東武スカイツリー線の「曳舟駅」に初めて降りる。
駅舎のビルは病院にもなっている。
駅前には、今では珍しい「ヨーカドー」があって、その周囲は新しい高層アパートが連なっている。
そして南の空には一駅先の間近なスカイツリーを見上げる。

人で賑わうヨーカドーを過ぎて、京成曳舟駅の南側の道路を進む。

ここにかつては人だけがやっと通れるガード下があって、そこが「鬼のスポット」と呼ばれていた(『目覚めた英霊』所収)。
鬼(低級霊)にそそのかされた自殺の名所だったという。

ところが、今は広い道路で、京成線もさらなる高架となって、当時の面影が全くない明るく開放的な空間になっている。

古く狭い木造家屋が密集するいわゆる下町風情は跡形もなく、街全体がまるで郊外の新興住宅地のよう(悪く言えば無機質)。
まるでスカイツリーから照射される強力な電波によって、半透明のひ弱な浮遊霊の類など追っ払われてしまった感じで、欲も悪しくも霊とは共存できない雰囲気。
もちろん”ばけたん”も無反応で、私の心も無反応なのでデジカメで撮影する気も起こらない。
何もせず引き返す。

曳舟駅に戻って、東武接続の半蔵門線(中央林間行き)に乗る。
青山一丁目で銀座線に乗り換え、1つ目の「外苑前」で降りる。
今の東京は、環状線の外側を走る私鉄が悉(ことごと)く環状線の内側を縦横無尽に走る地下鉄のどれかと接続しているため、 環状線を跨いだ都区内の移動がとても楽になった。


大勢の人と一緒に地上に上がると、まずは秩父宮ラグビー場へ入る客たちと別れる。
さらに北上して、2つある神宮球場へは誰も行かず、その先の国立競技場はすでに観客の歓声が響いている(Jリーグの東京V―清水戦)。
その向かい側の都立明治公園では、子ども連れが楽しそうに集まっている。
かように、都心部でありながらのびのびした空間であるここ神宮外苑。
その西端の谷状になったところが仙寿院交差点(写真)。
交差点の向こうにはビクタースタジオのビルがある(写真左手前)。
ここが二番目のゴーストスポット(『黒い影の男 』所収)。

このような人が集まる場所がゴーストスポットなのかと訝(いぶか)人がいそうだが、霊は人が集まる所が好きなのだ。
そして昼の方が人が集まるから、こうした休日の昼の方が霊が集まりそう。

ここが曳舟と違うのは、再開発は今後の案件であって、昔から人が集まる空間であること。
こちらは”可能性”を感じたので、カメラを取り出し、ファインダは覗かずに適当なタイミングでシャッターを押しながら歩く。
ただし”ばけたん”は無反応。


さらに交差点を過ぎてビクターのビルをすぎると、上が墓地になっているトンネルとなる(上の写真中央奥)。
ここが三番目のゴーストスポット「千駄ヶ谷トンネル」(同上)。
このトンネルには歩道もあるので、カメラのシャッターを押しながらトンネル内を進む。
トンネルの中央部で、ばけたんの探知ボタンを押すも反応なし。
※:ばけたんは基本は自動探知であるが、あえて”ここ”で探知(評価)してほしい場合用のボタンがある。
トンネルを出た先の横断歩道で反対車線側に渡り、今一度そちら側のトンネル内を上と同じ行動をして歩く→あるものが映っていた(下の記事)

そもそもトンネル上の墓地が気になるので、交差点脇から上にある仙寿院という寺に行く(上写真右の三角の屋根)。
この寺は、日蓮宗の由緒ある寺で、すでにあった墓地の下に後からトンネルが掘られたようだ。
しかも墓地は綺麗に整備されていて、いずれの墓も立派で手入れも行き届いている(無縁仏などはいない)。
また神木的な木が複数立っていて、神聖な空気こそあれ、禍々(まがまが)しさは感じられない。
立派な万霊塔があり、背景がビクターのスタジオだったので写真を撮ったが何も映っていなかった。

これでスポット巡りはおしまい。
ここまで、別段何もなかった。
あとは最寄りのJR千駄ヶ谷駅まで歩く。
途中、禅宗寺院の瑞円寺に立ち寄り、1箇所に集められた無縁仏の中に端正な美仏を見つけた。
その先の鳩森八幡神社に立ち寄り、参拝して、さらに境内にある大きな富士塚に登って(「六根清浄」と唱えながら)、自分を浄化した。


帰宅後、撮った写真を見直したら、三番目のゴーストスポット・千駄ヶ谷トンネルで撮った写真(仙寿院交差点側の出口付近)に、緑色のオーブが映っていた(写真:左上部の緑色の楕円。本当は二重になっている。またその下にほぼ透明の大きな円形のオーブがある)。

同じ写真でその部分を拡大したものを下に示す(緑の楕円が2つ重なっているのがわかる。その真下にほぼ透明ながら綺麗な円が見えるだろうか)。
緑のオーブは同じ場所の次の写真にも映っていた(いずれもストロボ不使用)。
天井照明の類でないことは写真でわかる。
もちろん本日撮った他の場所の写真(同じトンネル内も)には映っていない(=レンズ上の汚れではない)。

オーブ写真の経験は過去にもある。
前回のオーブ写真は富士塚の上だった。→「高田富士のオーブ写真

オーブは直接的にはデジカメ固有の光学現象(≠心霊現象)だと思う。
でも頻繁には起きず、なぜそれが起きるのかは不明
※:雨中の屋外でストロボを焚くと、画面のあちこちにオーブ様の図形が映ることがある。ただしこのような人工的な操作は「オーブ写真」とは言わない。

私の過去のオーブ写真はいずれも寺社内あるいは天然のパワースポットだ(ゴーストスポットは今回が初めて)。


繁忙期終了

2025年02月13日 | お仕事

後期試験・成績つけと大学・大学院入試が重なる一年で一番の繁忙期(1月中旬〜2月中旬)のヤマを越した。

あとは卒業判定と卒業式を残すのみ。

なので帰京して、しばらくは東京でハネを延ばす。

まずは読みたい本を読むことから始める。

なまった体もなんとかしたい。

 


心理学理論としての仏教へのスタンス

2025年02月09日 | 仏教・寺巡り

私は”仏教”を神聖なる宗教教義ではなく、苦から脱するための実践的な心理学理論(道諦)とみなす。
※:釈尊の悟りの内容である四諦(苦、集、滅、道)の四つめ。
なので私が構築している「心の多重過程モデル」と照合して、双方の理論を批判的に統合(再構成)していきたい(理論は批判を通して洗練されていく)。
すなわち、仏教の理論(教義)を、既存の心理学理論と同様に無批判に信憑せず、距離を置いて批判的に接し、あわよくば21世紀の人類に適用できるレベル(最新の知)に洗練させたい(逆に言えば、現状のままの仏教だと現実に救われる人はほとんどいな

たとえば、自我の背後の自己(自己の自我でない部分)は、ヒンドゥー教の「アートマン」なのか仏教の「仏性」なのか「アーラヤ識」なのかという議論は無意味で、むしろ過去にそのように実体概念化されていたその部分を「システム3」(自極)として機能的・心理学的に再定義する。
※:「心の多重過程モデル」内での位置づけであって、既存の(システム1と2しか視野にない)心理学概念に還元するものではない。

そして自我(システム2)の限界を乗り越えるシステム3を開発できる実用的な技法として”瞑想”を位置づける。
瞑想についての生理心理学的研究はすでに盛んで、私自身、自分の瞑想の成否を海外の脳波アプリで判定している。

道諦の具体化である”戒律”も、エリート主義的なサンガ(出家集団)のそれではなく、生産労働に従事し、家庭を持つ普通の在家が実行できるものに限定する。
※:性的禁制はもちろん、食事は午前中に1回のみ。所有も生産労働も禁止。なので全員がサンガに入れば人間社会は滅びる。

大切なのは本能的欲望を含んだ人間性(システム0〜2)に対して、基本は肯定し、ただ放縦(欲望による心の支配)に流れるのを抑制し、バランスを保って”生きる楽しみ”を味わう高度な統制力の育成が重要である(それが”中道”だと思う)。
なぜなら、善悪二元論を論拠とする禁欲主義(欲=悪)は、やたら細かい校則と同じで、本人の統制力(智慧)の育成につながらない(解禁すると放縦に流れるという低レベルの状態を脱する=中道のバランスを維持できる訓練こそが必要)。

さらに、既存の心の統制に汲々とするのではなく、未開発の心の能力(システム3以降)を育成することの方が重要だ。
なぜなら、心が高次レベルになれば低次レベルの欲望の価値は必ず低下するから(マズローの欲求階層説でも説明済み)。

ちなみに生成AIはシステム2レベルの既存の能力の効率化であって、システム3以降に対しては無力。
その意味でも21世紀の人間は仏教が目指しているシステム3の開発方向を目指すべきだと思っている。


文章校閲能力の生成AI比較

2025年02月07日 | パソコン・メディア
生成AIを利用することは、情報生産性の面からもはや必須となりつつある。
情報生産は人間自身の力で、という倫理観もわからなくはないが、研究者がデータ分析をする際、現在では手計算(電卓)ではなく、エクセルやR、SPSSなどのツールを使うのが必須なのと同じだ
※:いいかげん人類は情報処理などの雑務から解放されて、霊的ステージアップにつながる”人格の陶冶”に邁進する段階に入りたい。

現在のところ、用途の多くは”情報検索”だろうが、中国のDeepSeekに関して取り沙汰されているように、情報の信頼性に難がある(そもそもネット上の情報は玉石混交)。
すなわち、情報検察については、情報の信頼度チェック機能のない現行の生成AIに全幅の信頼は置けない。
 
次に外国語記事の翻訳も役立つが、DeepLなどの既存の翻訳エンジンと比べると、まだ後者の方が一日の長がある感じだ(しかもプロンプト作成不要のコピペですむ)。
 
むしろ、文章作成の補助に使うなら問題ない。
一番重宝なのは要約で、しかも字数制限もできる。
上と合わせれば、外国の論文を翻訳+要約で読めて、先行研究の概観作業が効率的になる。
特に学術の世界では単語の一義化が前提なので(文化に内在する微妙なニュアンスや含意は不要)、専門用語ほど機械的な(1対1対応)翻訳で済む。
 
それと最近、文章の校閲ができることを知った。
すなわち自分の文章を第三者の目で修正できるのだ。
執筆者にとっては、自分の頭で論理構成された文を自分の目で校閲するには限度がある。
ワードにも若干その機能はあるが、頼るほどのレベルでないし、タイプミスは指摘されても、変換ミスは見逃される。
校閲は、文章の質を向上させるので、文章トレーニングが必要な学生にとって必須(なので卒論指導では指導教員が校閲を担当する)。

そこで、実際どの程度まともに校閲してくれるのか、複数の生成AIで試してみた。
まず校閲の素材となる文章は、今採点を済ませたばかりの学生のレポートにする。
こう言ってはなんだが、学生のレポートだと表現レベルはもちろん、論理構成レベルでも色々問題がある(それらが採点対象となる)。
 
ある学生の心理学関係の授業のレポート全文について、複数の生成AIにおいて「 以下の文章を校閲してください。」とコピペして、リターンを押した。
まず、OpenAIのChatGPT
「以下の点を校正しました。」と出て、表現の明確化、冗長な表現の削減、論理の流れの整理、用語の統一と自然な表現、という自前の(こちらが指定していない)基準から、問題となる文とその修正結果が示され、その後にそれらの修正後の全文が示される。
変換ミス(家庭→過程)も指摘され修正された。
完璧だ。
 
次にGoogleのGemini
「レポート校閲結果」と出て、最初にかなり圧縮した全文の要約が示される。
ついで、通し番号付きの大見出し・小見出しと、その内容が1〜2文で示される。
最後は「結論」という見出しで、結論が示される(原文でも結論は示されていた)。
そして大雑把な修正ポイントが示され、さらに「必要に応じて、参考文献や引用元を追加してください。図表などを活用すると、より分かりやすくなる可能性があります。」とアドバイスがつくが、これは一般的すぎてありがたみはない。
 
3つ目はMicrosoftのCopilot
「全体的に非常に良く書かれていますが、いくつかの表現を調整しました。ご確認ください。」と出て、修正後の全文だけが示される。
ただ「ですます調」に勝手に変更されている(それだけで読む気が失せる)。
ですます調の論文などあり得ないので、このままでは使えない(プロンプトで「である調」指定が必要)。
 
以上、3つを比較すると、優劣が明白で、校閲として使えるのはChatGPTだけ。
校閲箇所とその理由が示されるため、書き手にとって勉強になる。
Geminiの結果は校閲とはいえず、むしろレジュメ的要約に使える。
Copilotは校閲には使えず、検索用途に特化(出典を明示してくれる)。

忙中閑の浜名湖の旅

2025年02月04日 | 
後期の成績評価と大学入試が重なっている一年で最も忙しい今、その隙間を縫って浜名湖の宿に泊る。
ここは準定宿の1つの”グリーンプラザ”で、安宿チェーンのそれよりはいくぶんハイレベルのバイキングが楽しめる(なにしろ昔はタラバガニが食べ放題だった! ウナギ蒲焼の食べ放題は健在)。
なのでもちろん宿代もそれなりだが、ここは許容範囲内で収まる。
客室も全室和洋室で(リゾートマンションを買い上げた)、窓からは浜名湖が拡がる。
唯一の欠点だった大浴場の湯も運び湯で温泉化したので、もう欠点は無い。

いつもの旅なら車を使うのだが、ここは鉄道の駅から近いので、
名古屋市営地下鉄→展望車つきの名鉄特急→JR東海道線、そしてワンマン・ディーゼルの天竜浜名湖線と乗り継ぐ鉄道の旅を楽しめる。
なんだったら、これに愛知環状鉄道とリニモ(無人リニアモーターカー)も追加できる。

ということで、忙中閑の温泉・バイキング旅でつかぬまの休息を楽しむ。
寒気襲来中なので、夜は露天風呂に雪が舞った。