今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

スマホ紛失騒動

2021年08月30日 | 失敗・災難

ガラケーから切り替えたばかりの新品スマホ生活に入って2週間目。→やっとガラケーから卒業

久しぶりに名古屋郊外の大学に出校し、用事を片づけている間、研究室内でスマホを充電する。
さて用事がすんで、残りは名古屋市内の本部キャンパスに行って私設気象台のネット配信の再接続をしにいく。
そしてそのまま帰京するので、スマホの充電をはずして鞄のポケットにしまう。

ただしスマホの図体が大きいため、ポケットのチャックがしまりづらいので、チャックはあけたまま。
ポケットの口は上向きなので、鞄を下げて持っている限りは落ちることはない。

本部キャンパスには、学内巡回バスで行く。
ガラガラの座席に座り、タブレットを出して読書(電子書籍)にいそしむ。
本部キャンパスで、ネット配信の作業を終え、地下鉄に乗って名古屋駅に向う。
その間はタブレットで読書。

名古屋駅で、新幹線の切符を買い、母への土産に「うなぎパイ」を買い、そして車内での軽食を買ってレジをSuicaですませようと鞄をまさぐったら、スマホがない!
軽食を買うのをやめて店を出て、構内で鞄内をくなまく調べ、もちろん服のポケットも調べたが、どこにもない。
これは立ち寄った先に置き忘れたか、その間で落としたかだ。

一番怪しいのは、研究室で充電したまま持ち帰り忘れたかも。
充電をはずして鞄に入れたという記憶はあるのだが、えてしてそういう記憶って、捏造された可能性がある(イメージ想像が出来事の記憶と混同されることが心理学で確認済み)。

せっかく乗ってきた地下鉄を逆戻りする。
30分かけて終点まで行き、自宅に戻って車で研究室に行くつもり。
途中、本部キャンパスの最寄り駅に着いた時、ネットチェックをした部屋に置き忘れた可能性もあると思った。
なぜなら、さっきその部屋で以前なくしたと思ったタブレット用のApple penを見つけたから(これはうれしかった)。
かようになくしものしそうな部屋なので、そちらを先に確認した方がいいと思い、地下鉄を降りて、丘の上の本部キャンパスに歩いて行き、事務室で鍵を借りてネットチェックをした部屋に入る。

スマホは見当たらない(2度室内を探した)。
事務室の鍵貸し出しリストを見ると、この部屋は私以外に誰も使っていない(私の後に入ったはいない)。
ここではなかった。
本部キャンパスから自分の研究室があるキャンパスまでの学内バスの時刻をチェックすると、夏季休業中なのでかなり待つため、
最初の案どおり自宅に戻って車で行くことにする。

丘をおりて地下鉄に乗り、自宅最寄り駅で降りて、午後の暑い日差しを浴びて汗だくになって自宅に戻り、まずは汗をぬぐって、鞄を玄関に置いて車の鍵を取り、陽を浴びて屋外よりさらに高温になっている車でキャンパスに行く。
キャンパス棟入口で車を降り、研究室に駆け込む。

スマホは見当たらなかった。
一番期待した所なのに。
置き忘れた候補地に見当たらないので、これは「紛失」ということになる。
むなしく研究室の鍵を締める。
スマホ無しで東京に戻るしかない。

車に戻る途中、事務室がまだ開いていた(夏季休業中はもっと早く閉室するはず)ので、一縷の望みをかけて問い合わせてみることにする(可能性のあることはすべてやってみる)。
事務室に入ると、事務室の人が私を見て、視線を固定する。
何か言いたそう。
さらに近づくと、向こうから口を開いてきた。
スマホ落としていませんか、と。
もちろん「落としました」と答えた。
形状を確認してきて、該当するのでハイと答える。
なぜか意外感がなく、クイズの正解を知っている時のような落ち着いた気持ち。

学内バスの運転手さんが、バス内に落ちていたスマホを事務室に届けてくれていたのだ。
封筒に入れて保管されていたスマホを受け取る。
かくして、最後の最後でスマホが戻ってきた。

今日2度目の名古屋駅に着いたのは2時間後。
2時間費やして、スマホのある元の生活に戻ったわけだ。

後で知ったが、事務室から教員宛にスマホの落とし物メールが配信されていた(キャンパス内ではタブレットでメール受信可能)
これを見ていればもう少し手間を節約できたが、スマホを探している間は、メールチェックをする余裕はなかった。

今回の反省
実はバスの座席でタブレットを見る前に、スマホで地図を軽くチェックした(それを失念していたので、上には書かなかった)。
そしてスマホを鞄にしまった記憶はない。
システム1によるほとんど無自覚な行為、これが落とした原因だ(ヘッドフォンでポッドキャストを聴いていたので音に気づかず)。
鞄のポケットを開けたままスマホを入れると、歩いている間は大丈夫だが、座ると角度が変るのでポケットから落ちやすくなる。
落ちない処置をシステム2がすべきだった。

ついでに、こんなこともあろうかとドコモの紛失補償サービスには入っている(月額500円)。
なので紛失しても新品は手に入る。

ちなみに、本部キャンパスの私設「星が丘気象台」のネット配信は、東京宅で確認したところ、1回だけ成功したものの、その後ずっと停止状態。
結果論的には、学内バスに乗らずに素直に研究室から直帰しても同じで、そうしていれば3時間早く帰京でき、こんな騒動に遇うことはなかった。


免疫力を上げるには2

2021年08月27日 | 健康

ワクチン接種して、マスクをして、三密を避ければ万全、というわけではない。
同じ環境でも感染する人としない人が分かれるのは、各人※の免疫力の差だろう(ワクチン接種は免疫力を爆上げしているけど)。
※:血液型の差もあるみたい。血液型での性格の差はないが、疾患別の差はけっこうあり、たいていわがO型が有利。

この問題については、以前にもある程度詳しく記したが、→免疫力を上げるには

過去に無い感染爆発状況の今、改めて記したい(上の記事も併せて読んでほしい)。

まずは大事なのは、免疫力を下げないこと。
これはひとえに、ストレスを避けること(ストレスが免疫力を下げるのは、H.セリエのストレス説以来知られている)
ストレスというとたいていの人は”精神的ストレス”を思い浮かべるが、それだけでなく、身体的ストレスも含む。
身体的ストレスの原因となる物理・化学的ストレッサーには、激しい運動、過度のダイエット、肥満、睡眠不足、大きな寒暖差も含まれる(人によっては気圧変動も)。

上を前提として、免疫力を上げる策をとろう。
最も直接的な方法がワクチン接種
これは医学的に唯一認められている策である。
ワクチンは、ご存知のように無害なレベルに弱化した病原体をあえて体内に入れることで、免疫能を活性化する策である(今回のワクチンは少々込み入っている)。
これは、18世紀末にジェンナーが種痘を開発したことが始まりで、人類は天然痘を根絶できたことも周知のとおり。
だから今回も、医者なら必ず一般論としてワクチン接種を勧めるはず(個別のワクチンの善し悪しはあるが)

さらにワクチン接種は、ターゲットとなる特定の獲得免疫だけでなく、免疫能一般が高まることも期待できる。
人体の諸機能は使うことで活性化されるから。

免疫が活発となる身体環境を積極的に作ることも意味がある。
体温を普段より少し上げることだ。
ただし表面の皮膚温ではなく深部体温(普通で37℃)。
これを上げるのは入浴(入湯)
ただし42℃以上の熱すぎる湯だと、皮膚温だけが先に我慢できないほど上がって浴槽から出るため、深部体温はあがらず、また交感神経が興奮するのでかえってストレスとなる(かといって熱い湯に長時間我慢して入ると熱中症を起こす)。

私自身が婦人体温計を口内の舌下に当てて実験した結果、40℃の湯舟に計10分浸かることで(5分+体を洗う+5分と分けても同じ)、深部体温に近い舌下温は1℃近く上った。
面白いことに、湯温38℃でも深部体温は上昇した。
適温の湯だと、リラックスした副交感神経活性状態になって、血液循環も良くなるので、身体的にもストレス解消効果がある。

湯が温泉なら、なお良い(ただし不特定他者とのマスクを外しての接近状況となるので、今はお勧めしない)。
お勧めの泉質は、放射能泉(ラドン、ラジウム泉)で、微量の放射線が刺激となってワクチンと同じく免疫能を高めることが期待される。
これは微弱な毒が防衛能を活性化させる、ワクチン効果を含む広い現象で、ホルミシス効果という(U字型二次曲線原理)。
その結果、放射能泉の功能は、他の泉質に比べて抜群に高くなっていて(他の泉質は、白湯でも発生する温浴効果の他には皮膚への功能くらい)、ガン患者にも人気がある。
また深部体温を上げる効果も高く、風呂から上がってしばらく汗だくになる。
かように刺激が強く、1回の入湯でも”湯あたり”する可能性があるため、長湯は不要(入浴後は横になって休むとよい)。

食としては上のリンク先に示したように、カプサイシンがいいので、(七味、一味)唐辛子を辛くない程度に料理に入れるとよい。

ただし、免疫力は上がれば上るほどいいというのではない。
免疫力が強すぎると、自己免疫疾患を発症するおそれがある(逆U字型二次曲線原理)。
なので、唐辛子をたっぶり摂取して、放射能泉浴を繰り返すのはお勧めしない。


八王子の吉祥天

2021年08月22日 | 東京周辺

このご時世ゆえ、大学は夏季休業中なのでずっと自宅に潜んでいる(研究等の作業は自宅のパソコンで可)。
今までは普通に足を運んでいた繁華街にも行きづらくなった。
ただ終日自宅に篭っていると、どうしても体重増加を止められない。
もとより運動不足で、筋力も低下する。
なのでせめて日曜くらいは、思いっきり出歩きたい。
もちろん人ごみは避けたいから、アウトドアで、かといって早起きせずに気軽に行けるところがいい。

先日、わが部屋に吉祥天を祀った記念に、吉祥天を祀る寺に行こうと、まず近場の清土鬼子母神に行った(→吉祥天をお迎え)。
ネットでもうひとつヒットしたのは、八王子にある吉祥院(真言宗)。
自宅から50kmも離れているが、日曜の外出としてなら丁度いい。
ここにしよう。


この吉祥院、最寄り駅は西八王子だが、駅から少々距離があり(炎天下歩くのは…)、駅よりバス停が近いので、京王バスの出発地である京王八王子に向う。
バスを待つ間に腹ごしらえをと思ったが、駅そばが見当たらないので、駅ビル地下の惣菜売り場でたこ焼きを買って、バスを待つベンチで平らげた。
本気で八王子の味を堪能するなら、名物「八王子ラーメン」だが、今回は省略。

20分ごとに出る「城山手」行きバスに乗って、富士森高校前で降りて、手にして間もないスマホでGoogleマップを開いてルートを辿る。


あえて吉祥院の参拝者用駐車場に向って、高台側から入ることにする。
駐車場から境内に入ると、そこにあるのは高尾山遥拝所。
高尾山の飯縄大権現の像があり、鳥居越しに地味な山容の高尾山を拝む(右写真中央の山)。
ちなみに権現は仏の神道神としての顕現(垂迹)だから神道的対応。
どうやらこの寺は高尾山薬王院の支院の位置づけか。

さらに進むと鐘楼があり、自由に撞ける。
民家が近いので、遠慮気味に撞いた。

ここから坂道を下ると、七福神の幟が立っていて、そこに吉祥天の石像がある。
ここの吉祥天は、夫の毘沙門天、その間にわが子の禅膩師童子(ぜんにしどうじ)と家族揃っているのが特徴(左写真)。
それを説明した高尾山薬王院貫首の碑文もある。
ちなみに○○天はインド神の仏教への配属だから仏教における神(菩薩より格下)。
3体ぞれぞれの真言が掲示されていて、それらを唱えた。
多分、もともとは吉祥天のみだったようで、後から家族が追加された雰囲気で、吉祥天だけが大きい。

清土鬼子母神の吉祥天に比べると、面長でしかも頬がふっくらしている。
その意味ではこちらの像は浄瑠璃寺の像に近く、それを摸した感じ(言い換えれば清土の吉祥天像にはオリジナリティがある)。
隣には弘法大師の像もある。


さらに下って本堂に挨拶して、また上に戻った鐘楼の先には、真新しい石仏15体が列をなしていて、その奥に、勢至菩薩を祀った堂がある(案内には「呆無観音」とある)。
実はわが部屋にも勢至菩薩(中国製ながらいいお顔)を祀っていて、本尊などとともに毎朝真言を唱えている。

勢至堂の軒下には、なぜか「となりのトトロ」に出てくる"まっくろくろすけ”の像が数体いて、堂の前にはメイを探した大家のおばあちゃんの像がある(おじいさんにも見える)。
そして堂の横奥に仰向けに寝そべったトトロの上にメイがまたがっている(サツキは見当たらないが別の所に…)。
少し離れた所に、ネコバス、中トトロと小トトロもいる(右写真)。
というわけで、この寺、なぜかトトロたちも味わえる。


以上の見学を終え、寺の正門に下って、西八王子に向う道を進む。
南浅川を渡る五月(サツキ)橋からは、上流側に高尾山が真正面で、緩い山陵ながらここからなら存在感がある。
西八王子の地は、霊山高尾山に見守られている。

JR中央線の西八王子駅は、たぶん人生で今回しか利用しないだろう。
そこから1駅先の八王子で降りて、あえて京王八王子から京王線で帰宅の途についた。
晴天ではないが、気温は33℃。
汗びっしょりとなった。
帰宅して、風呂に入り、体重計に乗ったら、たこ焼きが腹にありながら、昨日より0.5kg減少。
歩いた甲斐があった。


諏訪湖と富士山を結んだ線から…

2021年08月21日 | 茶臼山カエル館計測

本日8月21日のNHKの「ブラタモリ」の訪問先は諏訪湖だった。
諏訪湖は、日本を東西に分断するフォッサマグナ(糸魚川−静岡構造線)と南北(内と外)に分断する中央構造線という2つの大断層の交差点に位置する。
もうそれだけで諏訪湖は地球科学上の聖地である(もちろん諏訪大社があるので人文的にも聖地)。

そして番組の終りで、縄文海進で海辺を追われた関東(縄文時代の先進地)の縄文人が、一路諏訪湖を目指したという話になった。
そのルートは富士山と諏訪湖を結ぶ今の信濃往還・ JR中央線のラインで、諏訪湖からだと南アルプスと八ヶ岳が作る谷の向こうに富士山が見える。
富士山は、もちろん日本第一の聖地。

番組は、富士山と諏訪湖を結ぶ約100kmの線を描いて終った。
テレビでその線を見て、その線に追加すべき情報を思い出した。

愛知と長野の県境にある茶臼山にあるカエル館の常連客の A氏は、この諏訪と富士山を結ぶ約100kmのラインを正三角形の1辺とすると、その辺の向い側の頂点に当るのが、なんと茶臼山 (1416m)であることを発見した。
すなわち、富士山と諏訪湖と茶臼山が、1辺約100kmの正三角形を形成しているのだ(ウソだと思うなら地図で確認してみて)。
これを「中部地方の大正三角形」というらしい。

大正三角形を構成している諏訪湖と富士山の2点は、それぞれ日本を代表する聖地である。
そして茶臼山は、地球科学的・人文的にはこの2点に比べてすこぶる地味だが、この正三角形に茶臼山の秘めた存在感、諏訪湖や富士山に匹敵する潜在力が見て取れないか。

実際、茶臼山には、物理的計測と身体反応によって私が唯一認定する正真正銘のパワースポットがある(「ワン」と鳴く、ネバタゴガエルの生息地でもある)。

ちなみにA氏の探究の成果は他にもあり、それらはカエル館内に展示されている。


半可通ほど世間受けがよく自信過剰になる理由

2021年08月18日 | 心理学

「メンタリスト」と称する人が墓穴を掘って、世間からの逆風を受け、その”専門”知識の浅さまでやり玉に上がっている。
その彼、さすがに「サイコロジスト」(心理学者)とは名乗っていないものの、素人相手に心の専門家※を自称して、一世を風靡していたらしい(私も名前だけは聞き及んでいた)。
※:自称専門家には「心理研究家」と称する人もいる。

実際、臆面もなくハッタリかます性格傾向というのがあるが、ここではもっと一般的に、誰にでも該当しそうな心理として「クリューガー・ダニング効果」を説明したい。

これは、中途半端に詳しくなると自信過剰になり、さらに深く追究すると今度は自信がなくなってしまうという、逆説的な認知バイアスをいう。

まず、自分が知らなかった世界に入りこむと、「知らなかった、そうだったのか!」という感じで新鮮な知識がどんどん入ってきて、自分が今までとは一段違った、いっぱしの”通”になった気になる。
この段階で、周囲に得意げに知識を披露して、自信過剰が促進される。

心理学科の学生でいうと、フロイト理論なんかをある程度勉強した段階で、他人の無意識(本人が自覚していない深層の感情)とやらを頼まれてもいないのに解釈したりする(あるいは健常者をDSM-5※に当てはめようとする)。
※:アメリカ精神医学会の診断マニュアル第5版。日本でも使われている。
なのでこの段階の心理学科の学生は、他学部の学生から嫌われる。

この段階は、素人の物知りレベル以上ではない。

ところが、さらに専門の勉強が進み、大学院を経て、いっぱしの研究者になると態度が逆になる。

研究者というのはその学問領域を推し進める側に立つべき存在なので、勉強を重ねて既知の世界を通り抜けて、既知の世界の最先端に立つことになる。
同時に、今まで信じていた理論に、同じ研究者の視点に立って疑問をもてるようにもなる。
前を見れば未知の世界が拡がり、後ろを振り返れば、今まで信じていたものが信じられない状態。
こういう状態なので、自分の専門分野に対して、「これだ!」と自信を持って言えるものが無くなる。

研究者は研究対象が知り尽くされていないから研究を続けているわけだから、心理学の研究者は、人の心が解明されていないことを一番自覚している人たちだ。

ところが、世間は、自信たっぷりに断定的に話す人と、自信なさげに「まだよく解っていない」と話す人とでは、断然前者を信頼する。
というわけで、「メンタリスト」がもてはやされた現象は、本人の心理傾向だけでなく、世間もそういう人を支持する構造なので、今後も起きることは間違いない。
世間では、いわゆる既存の知識だけの”クイズ王”がもてはやされるから。

ちなみに研究者はひたすら解らない問題を解明することが生き甲斐なので、世間的信頼(人気)を得ることには関心がない。
でもこれでは最先端の知が社会に共有されないので、学術的世界をきちんと世間に説明できる仲介者が必要だ。
残念ながら、日本にはそれができる人が少なすぎる(立花隆はその一人だった)。
なので、私も、気象や防災について、学術的専門分野ではないが有資格者として、その一端をを担えればと思っている。


宿をキャンセル

2021年08月18日 | 新型コロナウイルス

7月に奥軽井沢(本当の軽井沢から峠・県境を超えた浅間山の北麓。北軽井沢の西)の宿に8月末の予約を入れておいた。
毎年母と行っていたこの宿に2年ぶりに行こうと思っていた。
7月の時点では、いくらなんでも8月末にはコロナ禍も一段落していると思っていたから。

ところが、予想に反して、収まるどころかむしろ感染者は増える一方。

変異株はちょっとした油断(ほんの短時間マスクを外しただけ)で感染してしまうようだ。
私も母もワクチンは接種済みだが、今どき、不特定多数の人と互いにマスクを外した状態で一緒になる大浴場やビュッフェバイキング会場に赴くのは、まさに「ちょっとした油断」をしにいくようなもの。
ここまで頑張ってきて、この期に及んで感染してしまったら元も子もない。

ここは我慢のしどころだ。
涙をのんで、キャンセルした。

とうことで、今夏はレジャーでの外出は無し。
マスクをしての買い物と、たまに予約で行く国会図書館以外は、自宅に篭っている。


今年二度目の梅雨明け

2021年08月18日 | お天気

先週から本州に横たわっていた停滞前線は、今年二度目の”梅雨前線”で、
18日現在は、日本海で東から押し上げられた形に変形して、今後本州から北上していく(図:気象庁の天気図)。
東から押し上げているのは、パワーを取り戻した夏の主役の太平洋高気圧※(1018hPa)なので、いわば今年二度目の”梅雨明け”ということになる。
それは梅雨末期の大雨(毎年死者を出す)も二度経験することを意味した。
そしてこの後、8月下旬になって暑さがぶり返し、日本は二度目の盛夏を迎えることになろう。

ということで、今年は非常にめずらしい夏となった。

今回の停滞前線が(今時分に発生しておかしくない)秋雨前線ではなく、時季外れの二度目の梅雨前線である理由は、南からの暖湿空気の流入による前線で、しかも太平洋高気圧に押し上げられて北上し、そのあと暑くなるから。
秋雨前線なら、成因も動きも逆で、北の冷気によって発生し、北から南下して本州を縦断し、そのあと涼しくなる(秋になる)。

※:地上天気図では、夏の太平洋高気圧はその北にある(冷夏をもたらす)オホーツク海高気圧(1024hPa)よりも存在感が乏しく見えるが、
それは世を忍ぶ仮の姿で、高層になるほど強大になり、500hPa面(上空約5500m)では、日本の南岸をすべて覆い、中国内陸にまで達している(左図)。
一方地上では威勢のいいオホーツク海高気圧は高層では見る影もない。
これが通常の夏の状態である。
ということで、地上の天気の原因となる大気高層において夏が維持されていたため、もう一度暑くなるわけだ。

唯一の違いは、朝鮮半島上空の南にふくらんだ部分で、これが停滞前線の北側の要因で、このふくらみに沿って偏西風が蛇行して流れており、これが地上天気の不安定の第一の原因であった。


自宅の災害危険度の事前確認:地震災害編

2021年08月18日 | 防災・安全

ここ2ヶ月の土砂災害(伊豆山、岡谷)でも分る通り、災害危険度は地域どころか家ごとに異なる。
したがって地域内を一緒くたにした自治体の防災には限界があり、最終的には各家ごとに”独自に”対策を立てる必要がある。
それが防災において言われる”自助”である。

当然、避難判断の基準も家ごとに異なる(自治体から「避難指示」が出ても、あなたの家は安全かもしれない)。
家族の命にかかわる一大事を他人任せにすべきではない。
そこでまずは災害危険度について自宅をチェックしてみよう。

自宅の災害危険度の事前確認について、目下のところ参照してほしい「気象災害編」はすでに記した。

ここでは1年間後回しになっていた地震災害について述べておく(本番が来る前に)。


●まず、地域レベルの災害危険度の把握として、「地震ハザードマップ」(居住自治体のサイトにリンクがある)で自宅周辺を確認する。
これは地盤(地質)の強弱による揺れの違いが表現されている。
あとネットの「地震ハザードカルテ」を利用して、自宅付近の地震被害の可能性も確認しておくとよいかも。


●次にそのカルテでも表現される地形に注目する。
地盤の強弱は地形で表現されるので、目で分らない地質よりも、一目で分る地形をチェックするとよい。
特に地盤が軟弱なのは、河川流域の平地(氾濫原)と河口の三角州(埋立地)で、揺れが大きいだけでなく液状化の危険もある。
液状化については、「液状化ハザードマップ」があればそれも確認する。
すると、川・海沿い以外の軟弱地盤も確認できる。
内陸にある沼沢地(しょうたくち)だ。 
沼沢地は埋立てて宅地開発されると見た目では分かりにくいが、地形的には窪地になっていて、地面の傾斜はもちろん、古い地名(○沼、○久保、大久手など)でも確認できる(地名は意図的に改変・統合されるため、古い地図で確認するとよい)。
その例→記事「武蔵小杉は沼地だった」


逆に地盤が固いのは山地だが、山地は土砂災害が発生する。
土砂災害は地震でも気象災害でもどちらでも発生するから一番注意が必要。
家の周囲の地形としては、周囲に崖などの「急傾斜地崩壊危険箇所」がないかを確認(↓のお勧めサイトから確認できる)。

海に近い所では、液状化以上に津波が怖い。
もちろん自治体サイトの「津波ハザードマップ」で確認(海無し県にはない)。
津波は純粋に標高で運命が分かれる。
海岸から離れていても標高が低いと津波が届く。
そういう場所では、避難先として高いビルが頼りだ。
以上は地域レベルのチェックで、地盤の強弱、液状化、土砂災害、津波の危険性を確認しておく。

お勧めサイト→国交省の「ハザードマップポータルサイト


●次にいよいよ自宅をチェックしよう。
まず建築年月がものをいう。
1981年6月以降に建てられた家は「震度7でも倒壊は免れる」が、5月以前に建てられた家は、震度6で倒壊するかも。
この境目で建築基準法の耐震基準が厳しい方向に改訂されたためだ。
実際、家の建築年代によって被害が異なることは熊本地震でも確認されている。

それに加えて、家屋構造でも耐震性は異なる。
たとえば、一階が駐車スペースなどの柱だけのピロティ構造になっている家は弱い。
また屋内に2階まで届く吹き抜けがあったり、一階に人が出入りできる大きな窓や開口部があると弱い。
逆にいえば、窓が小さく壁が多い家は強い。
ツーバイフォー工法は強い(なので地震保険料も安い)。
瓦屋根は弱い(屋根瓦は気象防災用で、地震には逆効果なので、江戸時代には使用を禁止した藩もあった)。
地上階が地震のエネルギーを直接受けるから、建築物は下層がしっかりして上層が軽い構造がベスト。
逆に下層がスカスカで上層が重いと倒壊しやすい。
以上をもとに家全体の揺れに対する強さを評価。

さらに室内で家具が倒れやすいかもチェック。
補強工事をすればなんとかなるが、箪笥や本棚の収納は、下に重く上に軽くして重心を下げること。
仮に倒れても、就寝中の頭を守れる位置であること。
以上で各室内の危険度をチェックすれば、地震が来たら、そこから逃げた方がいい空間と、そこに逃げた方がいい空間が分る。


避難は、地震の場合、事後となるが、まず津波襲来の危険の有無が避難のタイミングを左右する。
タイミングは大雨の最中の気象災害よりも難しくないはずだが、東日本大震災の死者の9割が、地震の30分後に来た津波によることを考えると、余裕がありすぎるのもかえって怖い。
津波の危険がなく、家が頑丈で倒壊の危険がなくても、ライフラインの破壊や火災の延焼などで避難した方がいい場合がある。

避難場所への避難路を事前に確認しておく。
当然ながら避難路は距離の短さでなく、安全性で選ぶ。
まず避難路は海から離れていること(高台を経由する)。

木造家屋が密集している所は、火災が発生する虞(おそれ)があるので避ける。
道沿いに古いブロック塀や瓦屋根、崩れそうな「急傾斜地崩壊危険箇所」がないこと。
以上の判断基準は気象災害と異なる。
ということは、避難先が同じ場所でも、気象災害(大雨の最中)と地震災害(事後で余震と二次災害が発生)とでは危険要因が異なるため、安全な避難ルートも異なることになる。
すなわち2通りの避難路を実地によって確定しておく。

以上、読者のみなさんは、これを読んで終りにせず、上の確認を実行してほしい。


やっとガラケーから卒業

2021年08月16日 | 生活

私のメディア・コミュニケーションは98%がメールで、電話は取引銀行と母くらいなので、ずっと折畳みのガラケーを使い続けてきたのだが(モバイルSuicaにも使用)、
そのガラケーが、折畳み部分のブラスチックが経年劣化で自壊して、電源も入らなくなり、とうとう使えなくなってしまった。

8月は名古屋宅の管理会社と取引銀行から電話が来るので、いそいでなんとかしなくては。
昨日、近くのドコモショップに、雨天だから空いているだろうと予約の電話を入れると、満杯だという。
なので翌日の今日の朝一を希望すると、破損なので急を要するということで優先的に予約を入れてくれた。

そして当日、さっそくドコモショップに行く。
補償契約をしているので別のガラケーへの交換は可能とのことだが、NTTは早晩ガラケー(FOMA)を終了(停波)させる方針なので、これを機にスマホに切り替えることにした。
別に今までガラケーに執着していたわけではなく、切り替える機会がなかっただけなので、名残惜しくはない。

もともとiPadminiとiPodtouchを使って、それらで通話以外の”モバイル生活”はしているので、スマホはあくまで通話専用でよく、現在のガラケーよりもコストダウンで切り替えられるサービスを選ぶと初心者向けのアンドロイド機になる。
機種の選択肢は富士通の図体のでかい機種一択で、データは毎月1GBまでの契約。
電源ケーブルはTypeCで、自宅の有り合わせでなんとかなるため、専用電源は買わずに済む(以上、あくまでケチ路線)。

ショップで初期設定をしてもらったが、旧機種からのデータ移行は、折畳み部分が完全に壊れたガラケーは電源すら入らないので無理(といっても通話先の登録は少ないのでなんとかなる)。
以上たっぷり1時間かけて丁寧にわかりやすく対応してくれた(私にとってドコモショップは印象がいい)。

さて、ここからは自分でやる作業。
まず、自宅に戻ってモバイルSuicaの設定をして(ネットで退会し、新機種で新規登録)、駅のコンビニでSuicaをチャージして、秋葉に行って保護カバーと保護ケースを買う(これらはケチれない)。
これで準備万端。

図体のデカさのほかにスマホがガラケーと違うのは、バッテリーの持ちが数分の1と悪くなる事(私がApple Watchを買わないのもこの理由)。
もともと読書や講義ができる大きさのiPadminiと、ラジオとカーナビ代わりの小さなiPodtouchの組合せが丁度よかったので、このスマホはあくまでガラケー後継機として通話とモバイルSuicaに使うつもりだ(Googleメールはこの機種では使わない。メールの返信はパソコンの方がやりやすいから)。
というわけで、このままでは外出時に電車内での読書用のiPadminiと歩行中のラジオ視聴用の iPodtouchとモバイルSuica用のアンドロイドスマホの3つを持つはめとなる。

考えれてみれば、3つの中間の大きさのスマホ1台に集約してもいいような気がしないでもない。
その方向で、用途を整理していこうか。


吉祥天をお迎え

2021年08月14日 | 仏教

仏像好きの私であるが、その好きの一部は”美女”好きであるためかもしれない。
なぜなら、イスム(精巧な仏像フィギュア販売)で大枚はたいて買ったのは、観心寺モデルの妖艶な如意輪観音だし(→仏像フィギュアを大人買い)、それに今回、浄瑠璃寺モデルの吉祥天(きっしょうてん)が発売されると知って迷わず予約購入したほど(製造時の美しさを再現した彩色モデルを選択)。

その吉祥天が、やっと手元に届いた。
さっそく本尊としている如意輪観音の脇に配置(右写真)。
本尊の前方に、護衛として毘沙門天(カプセルフィギュア)を置いていた。
吉祥天の夫が毘沙門天だという(ともに元ヒンズーの神なので、性別があり夫婦となりうる)ので、丁度いい。
真言「オン・マカ・シュリエイ・ソワカ」を唱えて、直径26cmのガンモモを響かせる。

名前からして幸せになりそうな吉祥天こそ、”美女”の神(仏教では天女)で、この像の元である浄瑠璃寺の像(国法)には、僧が恋をしたという逸話がある。

せっかくなので都内の吉祥天を祀る寺をネットで探したら、区内の清土鬼子母神という所に祀ってあるというので、都バスに乗って参拝に行った。

そこは、近く(豊島区)のあの有名な雑司ヶ谷鬼子母神の本尊が出土したという由緒ある地で、本堂内は確認できなかったが、外に吉祥天の石像がある(右写真)。
それなりの技量の人が作ったと思われ、無個性な造形ではなく、吉祥天にふさわしい美しさ※が表現されているのがうれしい。

※:浄瑠璃寺像と比べると、目が吊り目でなく水平、頬が長くなく膨らんでいない、口角がやや上ってほんのり笑顔になっている点が現代的な美人になっている。

上と同じく、左手に宝珠を持っているのが吉祥天の特徴。
ちなみに鬼子母神は吉祥天の母。

実はこのほかに陶器の吉祥天もAmazonで購入済みで、千円台の安物ながらこちらも美しい顔立ちをしている。
吉祥天という美女に囲まれて幸せ。
※:美を愛でるのは人間的に正当な反応。


今どきの大雨の理由:2021年8月

2021年08月13日 | お天気

梅雨末期のような停滞前線による大雨になっている。
夏の盛りに停滞前線が横たわるのは、冷夏以外では珍しい。
冷夏※と違うのは、この停滞前線の寿命が一週間程度と短いこと(”停滞”前線なので、他の前線よりはもともと長命)。
※:より正確には、停滞前線による冷夏は西日本。東日本(関東以北)の冷夏はオホーツク海高気圧(やませ)による。

停滞前線がなぜ発生したのかを過去の天気図からみると、
まず8月8日に日本に接近・上陸した台風9号・10号が日本に低圧部(周囲の空気が流入)をつくり、そのせいで北からの冷気を呼び込んだ結果、熱帯生まれの台風9号が9日に温帯低気圧(暖気と寒気のぶつかり合いで発生)に変質し、自らの力で前線を形成した(温帯低気圧は前面に温暖前線、後面に寒冷前線を形成)。

ただ温帯低気圧ならそれらの前線を引き連れて東に去っていってしまうのだが、
今回は、華南から暖かく湿った空気がどっと流入してきた結果、低気圧の置き土産として停滞前線が形成されたようだ。

その説明として、気象予報士のアンチョコの1つ、「相当温位予想図」を下に示す。
「相当温位」は大気状態の指標の1つだが説明が難しいので、ここでは「空気の暖かく湿った度合い」と思ってもらえばいい。
図は12日の9時に発表された36時間後の13日21時、すなわち本日夜9時の予想図。
ただし地上ではなく850hPa(上空約1500m)面の分布。

まず本州日本海側の東西に延びる等温位線の密集した帯が、停滞前線に相当(「前線」は空間的な幅のある”帯”)。
停滞前線の南側が暖かく湿った空気の流入域(矢羽根が風向・風速を示す)で、そこが大雨になる。
この構造は梅雨前線と同じで、まさに梅雨(末期)の再来状態。
12日現在、北陸に大雨が予想され、関東以北には予想されないのもこれでわかる(ただし流入域は毎日南北に変動するので、今後は太平洋側も油断できない)。

その暖湿な空気の出所は、華南の354K(単位は絶対温度のケルビン)である。
この流入が続く限り、停滞前線は活発で、しかも時々低気圧を発生させる(温暖前線と寒冷前線は低気圧によって作られるが、大規模な停滞前線は逆に低気圧を作る)。
なので停滞前線が横たわっている間は常に大雨(強雨+長雨=記録的短時間大雨情報、土砂災害、水害)に注意。
特に流入風の(斜めの)収束(合流)域で線状降水帯が発生する(→線状降水帯は”線状”が重要ではない)。
もっとも停滞前線自体(の南側)が広い線状降水帯といえる。

ちなみに関東の南方海上には330Kで囲まれた(中心部が324Kの)乾燥域があり(同じ緯度で華南との差30K=30℃は水蒸気量の少なさとみなせる)、その周囲の風は時計回りの循環になっている。
これが、太平洋高気圧(場所的に小笠原高気圧と言われていた)。
この夏の主役であるはずの高気圧、今は力が弱いが、実はこれ(850hPa面)より高層では健在で(この点が梅雨の時期と異なる)、停滞前線の上昇気流が地上高気圧のエネルギー源になる※ので、来週後半にはパワーを回復してくる模様。
※:隣り合った低気圧(停滞前線)と高気圧は、水平面では高気圧が暖かい風を送って低気圧を強化し、鉛直面では低気圧の上昇流が成層圏下で下降流の供給源となって下降流渦である高気圧を強化する場合がある(高気圧は下降流帯だから雲が発生せず天気がいい)。ただし上図によれば、太平洋高気圧からの風は停滞前線の強化には貢献していない。

それによって華南からの暖湿空気の流入域が狭められ、やがて閉じられて停滞前線が消滅する(梅雨前線だったら北上するが、そこが違う)。
ということまでがスーパーコンピュータを使った数値解析ですでに予想されている。

ただ、梅雨時より気温が高いため、空気の含有水分量が多いので、雨量は梅雨末期よりも多い可能性がある。
なのでこの数日間は、梅雨末期以上の警戒が必要。


風水診断によるカエル館のパワーの正体:一部改訂

2021年08月12日 | 茶臼山カエル館計測
茶臼山のカエル館(長野県根羽村)は、なぜパワースポットなのか。
私自身はそれを”科学的”に検証したいのだが、”地”のパワーの理論である「風水」による説明も可能なので、それを適用してみる。
ただし、あくまで説明可能(理屈が通る)ということであって、私がそれを信じているわけではない。
 
そもそも風水とは、中国に伝わる"地"のエネルギー分布論で、陰陽五行思想などを借用した(実証性のない)観念論であり、”エネルギー”の実測によるものではない。
なので鍼灸や漢方、あるいは気功は(事実的効果があるため)認める中国政府も、風水は迷信として認めていない(風水に対する私の基本的スタンスは→風水理論にがっかり)。
ということでもあり、ここではあくまでその風水理論で”説明可能”ということで紹介するに留める。
ちなみに以下の風水解釈は私自身による。
 
まず、地のエネルギー(気)が潜勢しているのは山であり、そのエネルギー元の背後の山を「主山」という。
茶臼山北東の高原上にあるカエル館にとっては、もちろん茶臼山本体(頂上部)がそれに該当する。
山が地のエネルギーの元というのは、大地を神話的に構成する「玄武」(亀蛇)に由来する。
偶然なことに古い火山である茶臼山の山体(高原から上部)は「玄武岩」で構成されている。
なので、カエル館にとって、茶臼山は文字通り玄武の主山に該当する。
※玄武岩はマグマの成分なので、地球科学的に地のエネルギーの元。
 
次に主山の形態が問題となる。
茶臼山は、その名の通り「臼」の形をしている。
これは角の形で、五行の「土」性を示す。  
※:この世の構成を木火土金水の5つに分類する古代中国思想。
土性は気が集まりやすいというから、茶臼山は主山として理想的だ。
 
さて、茶臼山から発する気(地のエネルギー)はどの方向に流れるか。
基本は山頂から四方八方に下りていくのだが、たいていはずっと下まで流れていってしまう。
ところが、ある地形だと、湧水のように地中の気が湧き出しやすい所がある。
それを「龍穴」という(風水では地のエネルギーを龍に摸している)。
そこは、山頂からの斜面から平坦に移った地である。
さらに気が左右に拡散せず、むしろ集まるように、左右に尾根が囲んでいると良い(左を「青竜砂」、右を「白虎砂」という)。
そうすると龍穴から気が湧出しやすくなる。
ただし、その湧出を受けとめるものがないと、そこから下に流れ去ってしまう。
気を受け止めるのは水で、流水でもいいが貯水すなわち「聚水」(満堂水)の方が気を貯めるには良い。
 
では、カエル館のロケーションを見てみよう(地図は、スマホアプリ「スーパー地形」による)。
茶臼山(長野と愛知の県境)の北西(長野側)に位置するカエル館(右図の赤いの右下角の小さいは、まず山頂部の急斜面が緩くなった平坦地にある。
しかも、山頂から真北と東に伸びる2つの稜線(それぞれ青竜砂、白虎砂)に囲まれている。
なので「龍穴」として理想的だ。
さらに、茶臼山と反対側に茶臼山湖という人造湖があって、これが「聚水」となって、気の流出を防いでいる。
すなわち、龍穴から湧出した気はどんどん増えていく。
茶臼山湖が川でなく湖水であることが効果を高めている。
 
ちなみに、矢作川の水源の地(地図で茶臼山右側の薄緑のも左右の稜線に囲まれた緩斜面の地で「龍穴」となるが(気が湧出)、残念ながら「聚水」がなく、流れ去ってしまうため、湧出した気は貯らない。
また愛知側の矢筈池・芹沼池(図外)も「聚水」の役を果たしうるが、残念ながら茶臼山との位置関係が適していない。
※:愛知側については、むしろ萩太郎山(1359m)を「主山」と見立てれば、リフト乗場・ドッグランの平坦地が「龍穴」で、矢筈池が「聚水」となる。
さらに龍穴と聚水の間の平地(茶臼山湖畔のポカポカロック※がある所)は「明堂」という地で、これは朱雀に相当する。
※:根羽村認定パワースポットの1つ。
すなわちカエル館は玄武・白虎・青竜・朱雀の四神に囲まれている理想的な配置。
また、カエル館から見て、茶臼山湖の奥の土手は「案山」で、奥の遠方に高い山(恵那山2191m,大川入山1908m,その右に蛇峠山1664m)が見えるが、これらを「朝山」といって、いずれも気を背後から溜める役目を果たしている(右写真はカエル館側からの茶臼山湖、土手、奥の左の山が恵那山と大川入山,右が蛇峠山)。
さらに朝山(2191m)は主山(茶臼山1416m)よりも775m高い「特朝山」なのでこれまた理想的。
 
以上から、カエル館のロケーションは、高いエネルギーの主山を擁し、周囲を四神に囲まれ、さらにその外に聚水・案山・朝山が配置された、まさに理想的・教科書的な「龍穴」(地のエネルギーの湧出地)であり、ここがパワースポットとならずにおれようか、といえる所。
とりわけ人工的に造られた茶臼山湖の存在が大きい。
 
風水診断は、これで終らない。
カエル館そのものを診断する必要がある。
 
屋内については、九星図飛星という図を作成して判断する。
その作成のための基本情報として、建物の建築時期と方位を確認する。
建築時期は、正確な記録はないようだが、館長によると昭和30年代前半ということなので、これに基づくと2021年現在は「五運」(1944-1963年)という運の中間期に該当し、運的には今は最盛期だ(かように風水では運の良否は時間の関数である。これは諸行無常を理論化した易思想に基づく)。
 
方位は、湖に面した窓面が300°、入口は210°(360°が真北)。
館長の同意を得て窓面を正面とし、これをもとに館内フロアの洛書数を記すと以下になる。
南東4 南9  南西2
東3  中央5  西7
北東8 北1  北西6
これは平面図を9等分してそれぞれに易の八卦を当てはめて気(パワー)の状態を記したもので、
たとえば8=(艮、旺気)、9=(離、生気)、1=(坎、進気)、5=(土、不運・障害) となる。
館内最強の磁場異常スポットは「北東8」に相当する。
8なので気が旺盛というわけで、まさに当っている。
そこに次いで生体反応を訴える人が多いのは窓側の「北1」で、ここは気が充実する所になっている。
ちなみに、この中で気的に良くないのは中央5。
五行理論によると、土性の地で気を集めるには金属を置くと良いという(土生金)。
 
以上、風水による診断では、カエル館はパワースポットとして、さらに館内の磁気異常スポットも説明がつく。
ここまでだと、私自身の計測(磁気、生体反応)とも整合しているので、風水理論を信じてもよさそうな気になる。
 
だが、実は当てはまらない点があるのだ。
世の風水本は、当てはまる部分だけを紹介して過大評価させるが、私はそうでない

たとえば、風水では石には気が宿らず、岩はさらに良くないという。
これはカエル館内外の岩石でみられる生体反応と矛盾する。
風水は元々は”墓地の選定理論”なので、石や岩は邪魔でしかないのだ。
 
私的には、岩石は、地のエネルギーの長年の凝縮の産物であり、パワーの源泉として重要なアイテムである(特に結晶構造)。
かように、古代的迷信から脱却した21世紀にふさわしい実証に耐えうる地のエネルギー理論が必要だ。

遠隔授業と対面授業の効果比較

2021年08月11日 | お仕事

今年の前期、同じ授業をクラスごとに遠隔と対面で使い分けることになった。

元となる講義画面資料(プレゼン画面)はともに事前配布し、遠隔(学生が任意の時間に視聴できるオンデマンド方式)では説明原稿をパソコンの音声エージェント(MacOS付属のKyoko)が読み上げ、その音声ファイルを学生は任意に再生する。
対面は、同じ内容を私が教室でプレゼン画面を通して学生に説明する。
同じ画面資料で、対面だと説明に90分かかる内容が、エージェントの読み上げだと30分で済んでしまう。
その代わり音声ファイルは任意の回数繰り返し再生できる。

ともに授業後に同じ小テストをネット経由で実施し、その得点に差があるか確認※した。
※以下の分析は清水裕士関西学院大学教授開発のHAD16を使用。

10点満点で平均値は、遠隔:9.35(138人※)、対面:9.03(71人) ※遠隔は2クラス、対面は1クラス

この2群の平均値の差(0.32)に意味があるかt検定をした結果、p=0.049でぎりぎり有意。
効果量は0.3で、再現確率は0.93なので、それなりに意味のある結果といえる(t検定の効果量は0.2あれば無意味でない)。

すなわち、同じ講義の場合、遠隔(オンデマンド)の方が対面より、若干理解度が高かったといえる。

遠隔での音声ファイルと対面での私の口頭説明の違いでは、前者は凝縮され、後者には無駄話がある。
同じ90分を使うなら前者は3回繰り返し聴ける。
他に前者はやや棒読み、後者は感情を込めて話すが、滑舌は悔しくも前者が勝る。
また、同じ遠隔でもオンライン(リアルタイム)や動画配信だと対面と同じダラダラ(冗長)さが発生する(特に講義動画をパソコン・スマホ画面で90分観るのはつらい)。
もっとも説明原稿を作成するのに結構手間がかかり(エージェントの読み上げ音声を細かくチェックする手間も)、こちらは90分では済まないが(喋った方が楽)。

そういうこともあり、遠隔の場合は、静止画と音声ファイルの組合せが最も受講効率がいいと思っていたが、対面よりも良いくらいだったということは、コロナ関係なく、これからの授業のやり方として大事な選択肢となるだろう。


都内の気温差

2021年08月10日 | お天気

本日、我が私設本駒気象台(文京区本駒込)で39.8℃(12:28)を記録した。

ただし、気象庁アメダス公式の「東京」(千代田区北の丸公園内)の本日の最高気温は36.8℃(13:00)と3℃も低い。
同じアメダスの「練馬」では最高気温が37.9℃(12:31)で、やはり「東京」より高い。

「東京」が低めに出る理由はすでに過去の記事で説明済み→「東京」の気温は東京区部を代表していない

考えてみれば当然だが、観測値はその場の値なので、同じ都内でも場所が変れば観測値は変る。

どう変るのか。
都内に数箇所しかなアメダスだと間隔が開きすぎるので、47箇所ある東京都環境局の観測網でその例を示す。
東京都環境局のサイトの「大気汚染情報」の「地図情報(時系列)」画面から、見たい年月と測定項目に「温度」を選んで「OK」を押すと選択した時系列の地図が出てくる。
右図は、本日の正午の速報値をもとに作成された等温線(元の地図より、観測網がない奥多摩部分をカット)

それによると右端の江戸川区湾岸地域が32℃で最も低く、都心部はおおむね36℃台。
城北(本駒、練馬を含む)地域は、37℃台、荒川区の一部は38℃になっている。
多摩東部(図中央部)は区部より高くおおむね37℃台で、多摩西部の福生・あきる野あたり(図左の○)は39℃になっている(この後、アメダス八王子で39.0℃(14:08)の当日全国第1位を記録)。

すなわち、同じ都内でも32〜39℃の7℃差がある。

この地図には風向もあるのでそれをもとに解釈すると、都内でも最も低温の江戸川区は南からの海風の侵入のおかげ。
城北の高温は、都心部のヒートアイランドの風下(南西風)になっているせい。
それと西多摩は北西風なので、この高温は西の山地を吹き降りてくるフェーン(断熱昇温)によるもの。

このように都内各地の気温が異なるだけでなく、その要因も異なることがわかる。
都内で涼みにいくなら、秋川渓谷よりも葛西臨海公園だ※。
※:ただし、不要不急の外出は控えましょう


意識は3000年前に誕生した?

2021年08月07日 | 作品・作家評

意識は3000年前に誕生したと主張するのは、『神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡』(柴田裕之訳 紀伊国屋書店)の著者ジュリアン・ジェインズ。

原著は1976年に刊行されたものの、不勉強ながら淺野孝雄氏(文末参照)の著作で知った
著者は心理学者で、日本の心理学者にはないスケールの大きい発想と分野を超えた広い視野に感心した。
不勉強の言い訳になるが、たいていの心理学者は、”心”を自明視して、より細かい部分が関心領域となるため、心や意識そのものを問う視野をもたない(心理学の教科書でも、「心理学」の定義はするものの、「心」の定義はしない)。
そんな自分もそろそろ研究人生の集大成のつもりで、心そのものを問うようになりはじめたというわけ。

本書は訳書で600ページに及ぶので、ポイントとなる部分を私なりの用語で簡単に説明する。

本書の主張は、意識(システム2)は、現生人類になって自然発生的に誕生したのではなく、文明という人工的環境下での学習(後天的)によるものだという。
そして意識の誕生は、神の声(幻聴)が聞こえなくなる現象に付随したものだという点がユニーク。
すなわち、意識の誕生は宗教の発生と関係があるのだ。

先天的に言語能力をもつ現生人類にとって、意識の元となる”内なる声”は、左脳のウェルニッケ野に対応する右脳の部位に発生し、紀元前千年紀(3000年前)以前の古代人は、その声を頼りに行動していたという。
だから当時の人は、個人であれこれ思い悩む、すなわちシステム2で思考する必要はなく、日常行動は習慣化されたシステム1の反応にかませ、自分で判断できない時は「神の声」に運命を委ねた。
この心の状態を著者は「bicameral mind(二分心)」と称している。

以上の論拠は、楔形文字などによるこの時代の碑文が、もっぱら神との対話や事実の記述に終始され、個人の内面を語るものがないことによる歴史心理学的考察による。

そして、紀元前千年紀に入って、文明の発達によって、人々にとって神の声が次第に聞こえなくなり、聞くことができるのは一部の預言者・シャーマンに限定されるようになり、あるいは占いなどの外在的な方法で神の意思を探るようになった(この間の変化過程は『旧約聖書』によく表現されているという)。
この二分心の現象は現代では、幻覚(幻聴)として統合失調症患者にみられるにすぎない。

これに並行して、システム2が左脳において確立し、自己を内面から捉えるようになった。
紀元前6世紀頃には、ギリシャ、インド、中国において、システム2は現代に引けを取らないレベルに発達し、深い内省にもとずく普遍的な思想・哲学が誕生した(孔子の『論語』は現代にも通用!)。
そして現存の宗教は、神の声が聞こえなくなって久しくして発展したもので、神の声の代わりに、人間が記した聖典(律法)に準拠している。

現生人類は能力的には最初からシステム2を発動させることができたのだが、その能力の使い方が、進化的に慣れ親しんできたシステム1からは異物(他者)として扱われてきた。
それをようやく我が心の一部として使いこなしはじめたのが紀元前一千年紀(3000年前)ということだ。

確かに、潜在能力が文明の力で後天的に開発されるのは、”識字能力”がいい例だ(識字処理を担当する側頭葉の部位は決まっているが、言語と異なり人類すべてが文字を使ってきたわけではない)。

言い換えれば、沈黙してしまった右脳の”言語野”を、われわれは使わないままでいる(私は左利きだが、言語中枢は右利きと同じ左脳にあることがわかっている)。
われわれはまさに知恵の実を食べたが故にエデンの園を追われたアダムとイブの子孫なのだ。
元に戻ることはできない。

でも二分心でない現代の健常者も、幻覚(幻聴)すなわち右脳からの語らいはほぼ毎日経験している。
夢という特殊状態下で。
夢は、現代人において、左脳(自我)と右脳(別の自己)との秘私的な邂逅の場だ。

もっとも、本書の説自体が、限られた歴史資料を材料にシステム2によって構築された壮大な「物語り」(フィクション)である可能性は拭いきれないが、
意識(システム2)の相対性、後天的発生の可能性を示した点では刮目に値する。

ここから先は、本書を受けての私の所論だが、
意識(システム2)と同じように、システム3(超意識)もほとんどの人類はそれを使っていないが、作動可能であることは確認済である。
システム2の作動が当然となった現代人は、21世紀という新たな千年紀に次なるシステム3の作動を目指してよいのではないか。
さらにシステム4は、超個的(トランスパーソナル)な心なのだが、それは左脳にとっての超個であり、それが実は同じ自分の右脳にすぎないのだとしたら、結局われわれは意識(左脳)を超えた大きな心(両脳)の中に住んでいることになる。
その大きな心は、フロイト的無意識を超えた、「阿頼耶(アーラヤ)識」なのか。
というところで、淺野孝雄氏の所論に繋がる。→心とは何か:淺野孝雄氏の著作紹介