一年の前半の終りである6月30日は、大祓(おおはらい)の日。
そして翌7月1日を控えた富士山の山開きが、本家より1日前に都内のあちこちの富士塚で執り行われる。
そしてもちろん今年は世界文化遺産登録の記念すべき年であり、
その文化遺産の根拠というべき富士信仰の行事が、富士塚(浅間神社)での山開きである。
丁度のこの佳き日が日曜に当り、帰京中であったので、
最近名所巡りに興味を持出したという9歳の甥を誘って、
まさにこの山開きの2日間だけ登拝ができる、台東区下谷の小野崎神社の富士山に行く事にした。
実は、今日は亡父の祥月命日前の日曜なので、皆で菩提寺に墓参りと斎(とき)を予定している。
なので、早めの10時過ぎに出発。
神社に着いたら、丁度大祓の神事の最中。
富士山の扉はまだ固く閉じられている。
皆で祝詞を唱え、茅の輪くぐりをして、やっと開山の神事。
神事を終えて、鉄の扉が開かれ、まずは神官と氏子連達が登拝。
その人たちが無事下山した後、
一般人の先陣を切って、入口に構えていた甥が登り出す(私が二番手)。
富士の溶岩の中のジグザグ道を登りきって、誰もいない山頂に立つ。
麓を見下ろすと、下から登ってくる人たちの絶えない列が続いている(上写真)。
ホンモノの夏の富士もかくやと思う。
下谷から目黒に移動して、菩提寺で墓参をして、その後の楽しみの会食をする。
私は一人で帰って、本駒込で降りて、山開きにちなんで祭礼中の駒込富士に寄り道した。
テレビ、とりわけドラマを見なくなって久しい。
ニュースとスポーツの国際試合は見るので、海外での試合を録画するため、一応外付けのHDDをつないではいる。
こんな私が、まさかNHKの朝の連続テレビ小説を録画登録し、
しかも再生したのに消去できずにいるのは、
”あまちゃん”のせいである。
連続テレビ小説は、昔から、若い女の子が社会でがんばってそれなりに成功するという
モチーフが一貫して守られており、その意味では予定調和な内容だ。
あまちゃん(アキ)だけでなく、梅ちゃんもおしんも鳩子もおはなはんも皆がんばった。
あまちゃんは、当初は2人の地元ヒロインと周囲の人たちとのからみが受けていたので、
東京編になると、その面白さがなくなるのを危惧していた。
たとえば「じぇじぇじぇ」がこれからは聞かれなくなると思っていたら、
アキは東京でも連発し、周囲の人たちにも伝染させている。
そして、北三陸シスターズからGMT47へと拡散の方向が出てきて、まさにAKB48状態になりつつあり、
ますます目が離せなくなった。
さて、そのあまちゃんを見ていたら、見慣れた風景が出て来た。
GMTのメンバーが合宿所としている場所は、
わが地元・谷中の一画だ。
もちろん、アメ横センタービルも見慣れている
(他にも都内のロケ地があるが、今のところ重要なのはこの二ヶ所)。
帰京した翌日、どこかに行こうとしてまっさきに思いついたのは、これら見慣れたロケ地。
実家から散歩がてら歩いて向う。
合宿所とされる大名時計博物館内の木造家屋には、私と同世代のおじさんが、私と同じくカメラを向けていた。
アメ横に向うと、「あまちゃん」のロケ地をアピールする横断幕がかかっている。
"アメ横女学園”の入口にあたるセンタービルの外階段は、
実際には、階下の魚屋の臭いが上ってくるのが興ざめ。
でもここは、そのアピールなど不要なほど元から人でごった返している(客層はまったく重ならないが)。
私はヘッドホンであまちゃんのオープニング音楽を聴きながら、さらに秋葉に向った。
AKBの本拠地へ。
私より年上のいい歳したおじさんまでがAKBの総選挙に夢中になるのを半ばあきれていた私だが、
フィクションとはいえ、アキをGMTの推しメンにしたい気持ちになってしまうのだから、
もちろんクドカン氏の脚本の力量が第1の原因だが、
けなげにも一生懸命頑張る女の子を主役に描く連続テレビ小説シリーズが
かくも長寿を維持できるのも、AKBの世代を超えた人気と共通する「応援したい姿」があるのだろう。
(私は日傘”男子”というイメージではない)。
ここまで、夏用の風通しのいい帽子で頭部の日差しを防いでいたが、
いくらその帽子でも、いよいよ蒸れて不快になってきた。
だいいち帽子のつばでは日除けの範囲が狭い。
すなわち、体に当たる日差しによる昇温を防げない。
そこで日傘である。
日傘は、なにも紫外線を気にする女性のためだけにあるのではない。
頭部だけでなく上半身全体を直射日光から防ぎ、気温以上の昇温を防ぐためにある。
日陰を持ち歩くのものである。
盛夏でない今は、傘の下から素通りする風が心地よい。
片手がふさがるの難点だが、上半身全体を覆う日陰を持ち歩く快適さには替えられない。
日傘を差したら、傘を太陽に向けて絶えずかしげることを怠ってはならない
(道を曲がる度にかしげる方向が変わる)。
夕立もあることだし、晴雨兼用をお勧めする。
まずは、温泉の泉質をきちんと理解したい。
平成19年版の温泉分析表を解読しよう。
源泉は宿から恵那山側に入った数百メートル先の「温川(ぬるまがわ)」沿いにあり、大深度から汲み上げている。
泉温は29.8℃で、湧出量は記載がない。
pHは8.2でアルカリ性に一歩とどかぬ「弱アルカリ性」。
結論というべき泉質名は、「ナトリウム-炭酸水素・塩化物泉(弱アルカリ性低張性低温泉)」で、
ここから適応症(効能)は導き出せるが、あえて成分を細かく見てみよう。
まず、泉温が30℃弱なので、温泉法の基準25℃を越えており、まずは「温泉」として合格。
ただ以前の分析表では30℃以上あり、低温化傾向にあるのが気になる。
溶存物質の合計値が3028mg/kgとなっており、単純温泉(たとえば下呂温泉)の3倍以上の”濃さ”である。
この段階で「塩類泉」という効能のある療養泉として合格。
ちなみに入浴剤でいえば200袋分の濃さ。
では濃さの中身をチェック。
陽イオンのミリバル%で最も多いのは「ナトリウムイオン」で98.89%を占めている。
界面活性効果と筋弛緩効果がある。
陰イオンでは「炭酸水素イオン」が68.79%。
不要な角質を落とす「美肌」効果がある。
両者を合せると、旧泉質名の「重曹泉」に相当する。
次に多いのは27.10%の塩素イオン。
皮膚に被膜を形成し、保温・保湿効果がある。傷の回復にも効果的。
以上の物質は、いずれも美肌効果が高く、しかも弱アルカリ性なので、石鹸的効果がある。
実際、湯の肌触りはちょっとヌメッとしたツルツル感があり、
これはpHが8.2もあるためだろう。
この湯自体に石鹸効果があるので、浴室内のボディシャンプーをタオルにつけてごしごし洗う必要はない。
一般的に美肌の湯は入浴後は肌が乾燥してしまうが、
ここの温泉は塩素イオンとナトリウムイオンの保湿効果によって、その心配は不要。
この他には、フッ素イオンが30mgあり、これだけでも「温泉」の基準(2mg)を満たす。
ただし、温泉ソムリエの家元に問い合わせたところ、フッ素にはこれといった適応症はないようだ。
メタホウ酸も「温泉」基準の5mg以上を大きく越えて88mgあり、これも殺菌・洗浄効果がある。
金属成分や硫黄成分、ガス成分はほとんど無い。
昔はラドンガスが一定量含まれていたが、今は検出されないようで、放射能泉が好きな私としては残念。
さて、以上の成分内容は源泉であって、浴槽内ではない。
浴槽は、加温・循環しており、また塩素殺菌もしているという。
すなわち「源泉かけ流し」ではない
(もっとも私は「源泉かけ流し」にこだわらない。
だって、体のどこかが悪くて数週間の湯治をしたいわけではないから)。
ここから先は、私が自称”水質検査官”として、湯口から採取したサンプルを測定した結果を示す(ただし安物の計器によるので、計測値は参考程度の価値)。
まず残留塩素は、0.2mg/ℓ以下であり、水道水並。
ちなみに、日帰り客が水着で入る、隣の温泉館内のプールもあるバーデゾーン(ここも温泉を利用)は、さすが塩素臭を感じるだけに2.0と高い。
pHはおおまかに8.0を示したので、源泉と同じ
(水道水は6~7)。
Mアルカリ度は、最高値の180mg/ℓ。
通常の水道水は20mg/ℓ程度だから、それよりは酸化しにくいということか。
酸化還元電位(ORP)は+125~131mVであり、200を下回っているので「還元水」に入る。
バーデゾーンは500mV以上あり、塩素剤が入っていると高くなるようだ。
ただ、宿の水道水も594mVある(水道水の値としては標準的)。
電気伝導度は、3400μS前後で、心なしか浴室内より露天風呂の湯口の方が高めだった。
ちなみに、宿の水道水は65μSで、かなり純水(=0μS)に近い。
言い換えれば、温泉水の数値は、温泉成分の濃さが現れている。
バーデゾーンの温水は1939と低かった。
日本の象徴で世界的にも有名なあの富士山がやっと世界遺産に登録された。
こうまで長引いたのは、もちろん自然遺産とするにはあまりに山体に対する侮辱がひどすぎたためである。
なので文化遺産という形で、富士信仰の史跡も加えた作戦に出て成功したわけだが、
そうならば富士を、今の木曽御嶽のように信仰の山に復活すべきでしょ。
ま、この話題は後に置くとして、
中学生以来の山好きな私として(中学時代、私の山オタぶりは周囲に知れ渡っていて、「山根から山を取れば根しか残らない」と言われていた)、
山岳それ自体が主役として世界遺産になったのは嬉しい限り。
もちろん、日本で最初に世界遺産になるべき山は、自然的にも人文的にも富士山であるべきだった
(あと個人的には、立山と阿蘇カルデラを推薦したい)。
さて、この慶事に対して、「山好き」の私が何もしないわけにはいかない。
だが、今は富士から遠く離れた岐阜県の中津川温泉に投宿して、浴衣を着ている。
中津川は信濃と接する美濃の東端、両者の境は、恵那山から北に続く稜線となっており、
その鞍部は「神坂(みさか)峠」という東山道の由緒ある峠。
そして神坂峠の北の稜線上に、なんと「富士見台」という名の1739mの山があるのだ。
もちろんこの名は、あちこちの○○富士ではなく本邦第一の霊峰にして世界遺産となった富士山を指し示している。
しかも今私が泊まっている宿は、この「富士見台」の麓にあり、宿の前から稜線上まで1本道の車道が通っているときた。
富士見台は、今回の旅の予定には入ってはいないが、
なら、いつ行ったらいい?(答えは省略)。
というわけで、朝食後、躊躇なく標高1569mの神坂峠に向かって車を走らせる。
1車線の狭い道をどんどん登っていく。
途中、野生のカモシカ(特別天然記念物)が道路脇で珍しそうにわが車を見ていた。
カモシカも珍しいが、今の私には、世界遺産の方が重要。
車道は神坂峠を越えて、富士見台の登り口にある山小屋・萬岳荘まで続いている。
途中、停められる場所がなかったので、行き止まりの萬岳荘の駐車場に車を入れる。
「駐車した人は管理人まで連絡を」と書いてあるので、駐車料金を徴収されるのを覚悟した。
まぁ1000円程度なら、排気ガスをまき散らした入山料と思えばいい。
でも2000円も取られるなら、憤然と引き返そうと、行動基準を決めて、管理人室に向かう。
山小屋の主に、駐車スペースに車を置かしてもらった旨を伝えると、
料金を請求されることなく、OKされた。
嬉しくなって、富士見台に駆け上がる。
きちんとしたリュック姿の登山姿の人たちを、ほとんどサンダル履きでショルダーバッグを下げただけの私が追い抜いていく。
まぁ、この程度の山(高度差200mほど)は私にとっては鼻歌まじりの散策路。
天気は曇りだが、360°の展望がひらける富士見台頂上に到着。
さて、富士山は、
天気のせいではなく、実は最初から見えない。
我が実家近くの東京谷中の富士見坂は、富士山が見える都内最後の富士見坂であったが、直線上に高層ビルが建てられるため、富士が拝めなくなるという。
それに対し、ここ富士見台は、確信犯的に富士が見えないのだ。
名前に誘われて、「インチキ山、詐欺山」と責められても仕方ない。
言い伝えによると、「富士見たい」が「富士見台」になまったという。
願望が地名になるって無理がある気がするが、
麓の美濃の人たちは、信州との境のあの山に登れば、その向うに駿河の富士が拝めるはず、と期待してもおかしくなかったかも。
実際、距離的には、富士がみえてもおかしくない。
なのになぜハナから見えないのか。
それは、信濃と駿河の境に連なる、日本第二の高峰北岳を含む3000mを越える山が連なる日本最高の山脈・南アルプス(赤石山脈)が立ちはだかっているから。
距離的に富士が見えるはずと期待して、神坂峠からこの山に登った美濃の人たちが、
どんなに好天でも絶対に富士を隠している南アルプスの壁を見て大落胆した姿も想像できようというもの。
その落胆があまりに強かったので、叶わぬ願望を山名につけたというのも、うなずけないこともない。
ここはガッカリ山なのだ。
もっとも、明治以降のアルピニズム登山の洗礼を受けた人たち(私も)には、
日本南アルプスこそ、富士に勝るうれしい眺めなのだが、
それ以前の信仰的に山を見る人たちには、富士でない雑多な山脈は眼中になかったのだ。
この富士見台から見えるのは、東側に南アルプス、北側に中央アルプス、そして北西に北アルプス(槍穂)と乗鞍・御嶽、と、富士こそ見えないもののすごい眺め。
もちろん南側には東濃の盟主・恵那山が聳えている。
実は、何を隠そう、この富士見台自体が、
山が立っていると称される急峻な中央アルプスが南下して普通の山レベルに高度を下げた部分であって、
低いながらもれっきとした「中央アルプス山脈」の一員であり、
それが最後に突然変異的に2000mの恵那山に盛り上がる手前の、「フンバリ山」なのである。
というわけで、富士の見えぬ富士見台に登り、南アルプスの向うの富士に心をはせることで、
今日の祝賀登山とした。
周囲の登山客は、山頂でコンロなどを焚いてのんびり昼食にいそしんでいるが、
一滴の水すらもっていない超軽装の私は、しかももとより習慣として昼食をとらないこともあり、
写真を撮ったあとは、すたすた萬岳荘まで戻る。
萬岳荘では、あえてホットコーヒーを注文する。
これが駐車場を無料で使わせてもらった礼儀ってもんだ。
本来なら、筋肉までふやけるほどの温泉三昧の予定だったが、
1700mの山に登って、日本アルプスを眺めることができたのは、いい気分転換になったし、
富士山世界遺産登録記念として、曲がりなりにも関連する(かなり無理があるが)場所に行けたのもうれしい。
全学対象の『安全学』の担当授業を終え、
わが定宿(じょうやど)、岐阜・中津川にあるホテル花更紗に”湯治プラン”で滞在する。
温泉ソムリエになって初の温泉であるため、
今までとは違った玄人的態度で温泉を楽しみたい(これについては追って記事にする)。
幸い、”お篭り”を要する論文原稿も締切はまだまだ先。
今日の安全学を終えて、新たに作成すべき講義ノートもなくなった。
そして昨日の茄子日のうかれた気分に、
本日の富士山世界遺産祝賀も加えて、おおいに心身を開放したい。
さて、定宿へのドライブルートは、毎回同じ「中馬ハナノキ街道」(国道363号)なのだが、
年に幾度も通っているこの道沿い(瀬戸市から中津川市まで)が、
日本有数の高放射線地帯であることを、産総研の「地質図Navi」(すごい情報量)のサイトで知った。
そうと解れば、私の幾つもある正体の1つ「計測マン」として素通りするわけにはいかない。
今回温泉旅の目的の1つに、ハナノキ街道沿いの放射線量の計測が加わった。
愛車ローバー・ミニの屋根に革の旅行鞄をくくりつけ、
小さな車体に似合わぬ重いエンジン音を響かせ出発。
助手席に福一原発事故で活躍したガイガーカウンターを立て掛け、スイッチを入れっ放しにする。
ちなみに私のガイガー(アメリカ製Inspector+)はγ線だけでなく、
α線もβ線も(X線までも)あえて拾うようにしてあるので、
他のγ線のみの計器より線量が高めに出る(その方がいい)。
その測定では、勤務先や棲み家のある名古屋東端は多くて140 nSv/h(ナノシーベルト時)
(以下同単位。ちなみにμSv/h(マイクロシーベルト時)で記すと0.14)。
私は、自然放射線はμSv/hの1/1000のnSv/hで表すべきだと思っている(μSv/hは放射線事故時の屋外)。
まずは、瀬戸市から山を越えたばかりの岐阜県土岐市鶴里町雨沢にある白鳥神社前。
ここは(尾張・三河・美濃にまたがる)三国山北麓ののどかな里山。
適当に決めた計測ポイントで停車して車外に立ってきちんと計測する(高さを地上1mに固定)。
放射線は確率論的現象であるので、本来は5回計ってその平均値を出すのだが、今回は数分間表示している間の最大値を記すと、253(以下同じ方法)。
名古屋ではいくら最大値でも200は絶対越えないので、やはり高い。
さらに進んで、最近日帰り温泉施設がオープンした曽木温泉前の足湯付近で215。
ちなみに曽木温泉の泉質は「放射能泉」。
瑞浪市に入るとハナノキ街道自体は陶(すえ)のバイパスから明智に向かうのだが、
これだと回り道になるので、私は山岡に抜ける間道を通る
(しかもNaviによると明智付近は周囲より放射線量が低い)。
その道沿いにある白山神社脇の池がお気に入りスポット。
その池畔で測ると、なんと300を越えた。
池畔に氏子たちがわざわざ置いた「止氏岩」が花崗岩質で、
その岩にガイガーをかざすと395まで上がった。
はやり花崗岩のしわざか。
中津川市に入り、阿木の上の広岡という風光明媚なお気に入りスポットで239。
根ノ上高原の入り口で251。
ここから恵那山の麓に降りる有名な酷道(!)部分は工事中で通行止めなので、
根ノ上高原から中津川に降りた。
Naviの地図上でもここから先は一段低い地帯。
実際、中津川市神坂にあるホテル客室内(4階)で最高170。
以上の結果、ガイガーを持参しながらも今まで素通りしてきたハナノキ街道沿いは、
ことごとく200nSv/hを越えていた。
ちなみに地質図Naviではこの一帯は、γ線だけの値で「127nSv/h以上」という国内最高ランクの分類。
200nSv/hといえば、2011年3月17日、すなわち福一事故の放射能塊がやって来た東京の実家付近で計測した値だ。
その感覚でいえば、顔面蒼白になる異常値だ。
といっても、実は関東はローム層のせいでもともとが低いのだ。
世界的には、東濃もそれほど気にするほどではない。
実害がないことは昔から人が住んでいるこの地の住民がご存知のはず(後日、岐阜県の市町村別ガン死亡率のデータを確認したところ、東濃諸市と他地域との差はなかった)。
今日は、夏至。
気温基準ではなく、陽光基準では夏の頂点にあたる。
残念ながら日本では梅雨のさ中なので、雨天・曇天の中で夏至を迎えるが。
そして私にとってはうれしい「茄子日(なすび)」でもある。
(わがブログの読者ならもうこの表現、わかっているよね)。
夏至と茄子日を祝って、今晩、遅い日没前の菜(おかず)は例のごとく「麻婆茄子」。
眼の菜は給与明細。
糖質制限ダイエットが問題になっている。
私もそれを謳う書を入手したが、糖質を蛇蝎のように嫌って、
糖質が入っている飲食品を徹底的に排除する極端性にはついていけなかった
(この態度は、1品を異常に崇めるダイエット法と同曲)。
本来ならば糖尿病患者用の食事制限法であり、
健常者にとっては糖質はエネルギー源として不要なわけではない(特に脳にとっては必須)。
ただし、日本の伝統的食卓の「ご飯中心主義」には前々から問題を感じており、
その点で糖質制限はそれを打破するヒントを与えてくれている。
ご飯中心主義は、
ご飯を主食として、他の菜(おかず)はご飯を食べるための添え物という位置づけの明確な主従関係の思想。
この思想には稲への信仰という、日本文化の根源に遡る深みがあるのだが、
栄養学的視点では、糖質過剰摂取となっている。
米の消費量が減ったとはいえ、いまだご飯中心主義は根強い。
たとえば、大衆食堂では、ご飯はどんぶり並の大きな器によそわれ、
しかも「おかわり自由」が売りになっていたりする。
西日本では、「ラーメン+ライス」や「お好み焼き+ライス」などがあるという。
そうまでしてご飯を食べなくてはならないのか。
もっともパンや麺においてもそれら糖質を主食化する発想になっている。
私も「焼そばパン」が好きでつい買ってしまっていたが、
これも糖質過剰なので、今は控えている。
ついでに、餃子はご飯のおかずでなく、(発祥地の中国と同じく)ご飯の代わりとしている。
作法家としての私は、伝統的和食作法を守りたいのだが、
結局ご飯中心主義の食べ方に、我が身がついていけなくなった。
健康のためだ。
そしてその代りに採用しているのが、
以前は和食作法の破壊として手厳しく批判していた”酒宴料理”の食べ方。
すなわち、おかずだけを次々と食べ、最後のご飯を、簡単にさらさらっと平らげる。
ご飯を中心に空間展開する本膳料理形式ではなく、
ご飯を最後として時間展開するコース料理形式への大転換。
後者の利点は限りない。
まず、個々のおかずがご飯との相性から開放され、独自の価値を発揮できる。
ご飯中心主義下ではその存在位置すら無かった生野菜を使ったサラダが堂々と献立にはいる。
そして従来型のおかずも、味の薄いご飯のためでなくなるので、
今までよりも薄味でよくなり、塩分が控えられる。
それらの多くは、醤油やソースを漬ける必要がなくなる(塩分の濃い練り物に醤油は不要)。
ご飯それ自体も最後に位置する事で、すでに腹は充実しているので、軽く1杯ですむ。
最後のご飯の食べ方は、複数のおかずと交互にする必要はなく、”ぶっかけ飯”的でよい。
単独での”菜”になりにくい納豆なんかが向いている。
こうなると、菜とご飯を交互に繰りかえす”一汁三菜”の基本作法は破壊されるが、
湯漬けという食べ方もあったわけだし、なにより健康の為の食が本来的。
つまり、糖質だけではなく塩分も控えられ、そしてビタミン類の摂取が増える。
和食の栄養学的欠点が、作法(食べ方)の変更によって克服されるのだ。
作法の本意は旧習墨守ではなく、最適化にこそある。
最適な所作こそが作法となるべきなのだ。
ただし作法は価値観の表現・実現化であることから、
和食作法の変更は、稲の崇拝という従来(おそらく弥生時代から)の価値観からの離脱をも意味する。
わがブログ記事で、最もコメントが多かったのは、
2011年5月の「facebookで有料サイトの誘導詐欺に遭う」がダントツ。
なにしろコメント数が632件!
そのほとんどが、「私の所にも来ました」という内容。
さらに、その幾割かが、「お金を払ってしまった」という被害報告。
残りの人たちには、「この記事のおかげで被害に遭わないで済んだ」という人も多かった。
そして最近、メールを使っての同じ手口をしていた詐欺グループが捕まった。
この犯人たちが、facebook上での詐欺と同一犯であってほしい。
この犯罪、ひろく言えば、「振込め詐欺」と同系統の素朴な”善意”を利用したものだ。
ただ、異性の芸能アイドルを騙(かた)る点で(しかもメールの方では謝礼もちらつかせた)、
下心をくすぐる要素もある。
たしかにそれはあるが、私のように職業意識によって受入れてしまった人もいる。
カウンセリングを学んだゆえに、その技術を役立てたいという気持ちでOKした人がいた。
もっとも、私とて、実名であるはずのfacebookだから最初は信用した(今では免疫がついた)ので、
メールであれば、すでに怪しげなメール(ケニアからの口座開設依頼や、
見てもいないアダルトサイトからの請求など)には慣れていたので、もっと警戒したろう。
今ではfcebookでも、見知らぬ美女からの友達依頼には心動かされない。
というより、facebookは「友達」に限定し、「友達の友達」には拡げないことにした。
友を選ばず誰でも受入れる人と友達になると、累(ルイ)がこちらに及ぶからだ。
小学校4年の甥っ子の授業参観に行った。
甥の親(弟夫婦)は姪の参観に行くので、甥のリクエストにより、私が代りとなった。
そもそも甥の通っている小学校は私の母校で、
当時最新建築だったこともあり、校舎は今も健在。
私が通った同じ校舎で、40年以上を隔ててわが甥が学んでいる。
さて、児童の親族を示す名札を下げて、スリッパに履き替えて校舎に入る。
”何もかもが懐かしい”…
といっても時がたちすぎているせいか、当時の童心には戻れない…
教室に入り、後ろに立って、国語の授業を聴く。
今日は漢字辞典の引き方のレッスン。
黒板の他に、タッチスクリーンの40インチを超えるモニターがパソコンと繋がっていて、
漢字辞典の画面に、先生が指で印を入れる。
大学の教室にもほしい。
児童と対話式の授業で、各自勝手に声を出している。
この自由な雰囲気は(日本では)小学校に限られるだろうな。
甥っ子とは一回視線を交わした。
先生が出した、難読字の課題で、
甥の使っている辞典が他の子の辞典より収録字数が少ないことが分った。
私が大学時代に使っていた角川の『新字源』をあげることにしよう。
本来のワインに近接した領域ならまだ許せるが、
まったく無関係なたとえば「温泉ソムリエ」となったら、怪しげの極北。
しかも、半日の講習を受けるだけで、その料金さえ払えばもらえるときた。
そういぶかりながら、私は「温泉ソムリエ」になるべく、
その半日の講習を受けてきた。
温泉ソムリエの開設者で「家元」と称する遠間和広氏が中心となって講演。
テキストを開くと、その詳細さに驚いた。
私とて、毎月温泉旅行をノルマとしている身、
『温泉の科学』を初めとする温泉についての文献は何冊も目を通した。
ただ、市販の本を読むだけの自己流の勉強だと、実用に耐える柔軟な知に達しない。
ていうか、自分の知識が実用に耐えうるかどうかの判断ができない。
これは”防災士”の勉強をしてわかったのだが、
世間的な防災の知識のままでは、まったく現場で応用が利かない。
防災の授業中に、「地震だ!」と叫んで、学生にその場で防災態勢をとらせると、
イスに付属した薄い簡易テーブルの下に無理やり身を隠そうとする。
「机の下に身を隠す」以外の行動の選択肢がないのだ。
室内に”机”がなかったら、どうやって身を守るのだろう。
本来的に考慮すべき内容を理解することが重要なのだ。
それとまったく同様に、温泉入浴の(通りいっぺんでない)実用的知識は、
温泉ソムリエの講習で初めて学ぶことができた。
主催者の遠間氏は温泉の正しい利用法をひろめる事に使命感を持っているようだ。
それは講習テキストの詳細ぶりを見ればわかる。
さらにメールでの質疑応答はまったく自由とのこと。
こういう人が”先生”なのだ。
私の本業は大学で教える側だが、
一生徒になって、その道の先生から教わることの方が、数倍も楽しい。
今日の半日の受講も、本当に楽しかった。
資格のハードルを下げて、まずは資格保持者のアイデンティティを得て、
その後、それに恥じないように自分で勉強する。
これはわが小笠原惣領家礼法研究所も採用しているやり方だ。
というわけで私もすでに得てしまった「温泉ソムリエ」たるに恥じないよう
この詳細なテキストを猛勉強する。
後半 残り10分を切ったのでこのまま0-0で行くかと思ったら、
野球で言えば8回裏に1点入れられてしまった。
自分はつくづくヘタレだと思う。
こりゃ、日本が負けると思ってしまい、
ラッキーな本田のPKも外れるか止められる気がした。
キックの瞬間ほとんど正視できなかった。
最後の最後まで諦めない気持ちを維持できないわけだ。
悪い方向に考える癖というのは、防災向きではあるが、
スポーツには向かない。
失望から歓喜へという、結果的に、嬉しさがMaxになる形で試合が終わった。
いい気持ちにしてくれて、ありがとう(本田△)。
出張でも観光でもなく(どちらにしろ泊まる距離ではない)、
例のごとく、”プチ・お篭り”のため。
家にいても研究室にいても、それぞれ別のノイズが入って集中作業ができない。
家だとどうしてもテレビをつけてしまい、研究室だと事務作業にとりかかってしまう。
要するにどちらの空間も余分な情報にあふれすぎている。
なのでその逆の何もない空間に身を置けば、集中できる。
帰京中は、図書館に通う。
名古屋にいる時は、リラックス・気分転換も兼ねて、
大浴場つきの宿に泊まる。
観光でないので、安いビジホでいい。
ビジホがいいのは、無線LANが使えること。
逆に観光ホテルは無線LANに乏しすぎ
(日本に来た外国人観光客からも不評だと)。
今回の宿は4月と同じABホテル。
地元愛知のチェーンホテルで、疑似温泉の大浴場とビュッフェの朝食のほかに、定食の夕食がつくのが売り。
それら込みで今回は5300円。
部屋は狭めだがセミダブルのベッドは広い。
これぞ愛知ならではの「お値打ち」サービス。
人気が高く、県内に続々オープンしている。
まずは電界と磁界の区別、
そして交流と直流の区別、
そして交流での周波数の区別、
さらに電圧と電流の効果の違いも考慮しなければならない。
”電磁波”問題は、放射線とは若干異なった傾向がある。
ネットで検索すればわかるが、電磁波(磁界)の危険をやたらアピールしている人たちには、
物品の販売と結びついている一群がある。
彼らは、電磁波を心配しているのではなく、
心配している人たちの不安感をあおって計器や防磁グッズを販売している。
ところが、ネットでは、まったくその逆に磁気の健康効果を謳っている一群も
大きな勢力となっており(歴史的にはこちらが先、なにしろ古代ギリシャからだから)、
こちらもまた物品の販売と結びついている。
放射線におけるホルミシス派が弱小なのとは、ここが多いに異なっている。
さて、怖がりすぎ・怖がらなさすぎのどちらにも偏らず、正しい対応をしたいわれわれは、
電磁波の効果と実態を先入観なく科学的に理解したい。
そのためには、電磁波の健康効果についての研究の評価と、
正しい測定方法を学ばねばならない。
それに適した書が『電磁界の健康影響』(三浦正悦 東京電機大学出版局)。
この書は副題に「工学的・科学的アプローチの必要性」と記しているように、
素人の非科学的な電磁波測定を一刀両断している。
たとえば電磁波測定の入門機「トリフィールドメーター」(私も使用)の使い方のネットでの誤用例を具体的に指摘している。
あるいはネットで恐ろしげに紹介されている”送電線の下で蛍光灯が点灯する”現象(と白熱電球では点灯しない理由)を冷静に解説している。
本書では電磁界(おもに磁界)の健康影響について、直流と交流(低周波、高周波)、
そして紫外線・放射線と分けて説明している。
電磁波の健康影響についての調査研究の紹介は公正に両論併記しており、結論を急がない。
個別の研究については、科学的な批判が可能な場合はきちんと批判している。
科学的批判力のない者は、1つの研究結果を鵜呑みにすることしかできない。
電磁波に健康上の問題があるという研究を批判するだけではない。
たとえば蛍光灯・ハロゲンランプによる紫外線による発ガン性研究は
「調査が不十分なため、問題ないという報告を紹介できない」としている。
OAエプロンなど部分を覆うだけの防磁グッズには防磁効果のないことも、正しい検証方法とともにデータで紹介している。
むしろ、マイナスイオンを発生させると謳っているものについては、
微量の放射性物質が含まれている可能性を指摘している。
既存の研究だけでなく、著者自身による日常生活場面での計測結果も、
自分の安い計器(あるいはiPadのアプリ)の信頼性確認の参考になる。
計器が実際に何を測っているのか、それをきちんと理解すること。
当たり前だがこれが計測の大前提だ。
防災の授業(演習)の学外実習として、例年、
名古屋市港防災センターを見学している。
防災とは、つまるところ”行動”を身に付けることだから、具体的な実体験が必須。
女子学生だけだと、災害体験の仕掛けにノリがよく反応し、きちんと怖がってくれる。
愛知県に起きた震度7の地震(昭和東南海地震、三河地震)を本番前に体験できたのは貴重。
見学が終わって自由行動としたら、
学生たちは、消防服を着込んでの消防車搭乗にまっしぐら。
写真を撮りあっている。
このあたりは男子と変わらないかな。