今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

空とは何か3:思考する心

2024年11月14日 | 仏教

龍樹は哲学・論理学者でなく、宗教者であるから、その目的は、何かを論証することではなく、人々に救いをもたらすこと。
すなわち、菩薩道の”抜苦与楽”であり、それをもたらしたので、龍樹”菩薩”と言われている。
その彼が言いたいことを私の「心の多重過程モデル」で代弁すると、
大切なのは、空という概念についてあれこれ考えることではなく、言語的思考すなわちシステム2そのものへの執着を離れることにある。


※心の多重過程モデル:”心”を以下のサブシステムからなる高次システムとみなす私のモデル
既存の「二重過程モデル」(システム1・2)を上下に拡張したもの。
システム0:覚醒/睡眠・情動など生理的に反応する活動。生きている間作動し続ける。
システム1:条件づけなどによる直感(無自覚)的反応。身体運動時に作動。通常の”心”はここから。
システム2:思考・表象による意識活動。通常の”心”はここまで。
システム3:非日常的な超意識・メタ認知・瞑想(マインドフルネス)。一定の努力で体験可能ながら、体験せずに終る人が多い。


システム2とは言語的思考を中心に、空想、自我などの人類固有の心的部分である。
この能力で人類は文化を生み、文明を発達させてきた。
だがそれと同時に、システム2は人間の心を支配し、固有の苦しみを与えてしまった。

心理学における既存の「二重過程モデル」がそうであるように、人々はシステム2が人間の最高位の心であると思い込まされている(例えば分析哲学)。

初期の仏教は、人間を苦しめている原因として”渇愛”、すなわち動物的本能に由来する欲望(システム0-1)に重点を置いていたが、大乗仏教になると、人類固有の言語的思考や自我というシステム2による観念の自縄自縛こそが人間(だけ)を苦しめていることに注目する。

人間は知覚した対象(色:しき)に対して束縛される(システム1)だけでなく、実在しない空想的対象(例えば”神”)に対しても束縛される(システム2)。
仏教は、理性の場としてのシステム2を脳天気に礼賛するのではなく、人類固有の新たな苦の源泉として認識し、その超越を志す。

ではシステム2を否定してどこに行きたいのか。
既存の二重過程モデルだと、システム2を否定すると行き先はシステム1という(直感と思いつきだけの)無思考過程への退行しかない。
仏教は、システム2より高次過程としてのシステム3、すなわち瞑想という脱言語思考の行を提案する。
システム3は、それまで心の主体とされてきたシステム2を観照するメタ意識である。

なので、「空」をシステム2の言語思考で”語る”ことは無意味な営為でしかない。
システム2の想念こそが空だから
※:般若心経での「色即是空」どころか「五蘊皆空!」。五蘊=色・受・想・行・識。
必要なのは、瞑想によってシステム3を作動させ、システム2中心の心から離れて、
言語思考とその主機能である自我を対象化するという体験(行)だ。

それによって、自己はシステム2の自我から離れて、システム3に移動する(自我=自己でなくなる)。
ただしシステム3の自己は観照の単機能であり、自己(自我)としての内実(性格、記憶、アイデンティティ等)を持たない(空である)。
言い換えると、自己を実体視したがるのが自我(システム2)である。

われわれ人類は、システム0(生命体)からシステム1へ(動物化)、システム1からシステム2へ(サピエンス化)、そしてシステム2からシステム3へと自己超越できる存在だ、と示しているのが仏教である。
そして心の多重過程モデルも、自我を心の1機能とし、そして”無意識”を含めて実体視をしない。

後年のマズローも主張しているように、われわれの生きる目標は「自己実現」でなはなく、「自己超越」にある。
※:マズローについて「自己実現」で終えてしまうのは、中途半端。
それは心の下位過程への執着(束縛)から脱して、より高次過程を志向することにほかならない。

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空とは何か2:その数学的表現

2024年11月11日 | 仏教

空は「有でなければ、無でもない」という形で否定でしか表現できない。
すなわち「空は〜である」とは言わない。

したがって「空とは何であるか」とは問えず、「空とは何でないか」としか問えない。
空は有・存在・実体(あるもの)ではない。
だが、それゆえ「無である」と言えないのが空である。

ここで龍樹自身も厳密に区別しなかった事項を問題にする。
すなわち、空はあくまで”非”存在であり、”反”存在すなわち無ではない。
「〜ではない」とは、その対立概念ではなく、集合論的には補集合を意味する(前記事ではここを同一視した)。

彼の『中論』は、概念の両端を否定し、その間(中)を真(空)とする。
言語は両端(0,1)しか表現できない。
彼が否定したいのは、言語的思考に本来的に内在するこの「二元論バイアス」なのだ。

その二元の間にある”中”は言葉で説明しにくいので、言葉とは別の記号体系である数学で表現する。
今、デジタル(二元論)的に有=1,無=0とおく。
空は有でない(空≠1)し、無でもない(空≠0)。
デジタル的(言語的=定性的)発想だとこれは矛盾だが、
龍樹は、その言語的発想そのものを否定しいるので、その”矛盾”にめげず、
言語(定性)的でない、定量的発想でとらえると矛盾でなくなる。

空は無0でも有1でもなく、その間(中)であることは、0<空<1 と示せる。
両端の極限値が有・無の値であるとすれば、0≦空≦1 と示せる。
これは実数空間であり確率空間に相当する。
すなわち事象は本質的に確率現象であり、だから空である。
事象(空)は絶対有(定見)でも絶対無(断見)でもないということ。
この発想は言語的思考では困難を伴うが、数学的思考なら素直に受け入れられる。

かように、龍樹は言語的(定性的)思考の枠を脱して数学的(定量的)思考に達していた。

だが龍樹の目的は、ここにあるのではない。
空の値にこだわることではない。

龍樹が問題にしたいのは、現象の究極的な姿(空)ではなく、人間の言語的思考(空)の方だ。
すなわちシステム2である。

空とは何か3


空とは何か1:龍樹の論理

2024年11月10日 | 仏教

公益財団法人たばこ総合研究センター発行の『談』は、現在の日本ではすこぶる貴重な知的刺激のある雑誌で(不肖私も104号に掲載、最新号(131号)のテーマが大乗仏教のキーワード「空」(くう)
それを読んで、おおいにインスパイアされたので、この難解な「空」について私なりの理解を加えていきたい。

私のことだから、当然「心の多重過程モデル」におけるシステム2(言語思考的心)の超克として語るのだが、その前に、この空を論理的に語った龍樹(ナーガールジュナ)のその論理を説明する。


龍樹は、「である」と「でない」(であるの否定)という1次元の論理を超克、すなわち多次元化したといえる。

概念に基づく言語思考(論理)に本来的に付随する二元論バイアスへの気づきと離脱のためである。
この本来的二元論はデジタル(0と1)化に相当するので、その表現を用いる。

今、概念Aに対する真偽判定の述定可能な最大限の命題数は0と1の1ビット(情報量単位)が組合された2ビット、すなわち2^2=4通り存在しうる(nビット=2のn乗)。
それらを説明していく。

①Aであり、非A でない(1,0)
これは二価論理の対立が整合している命題で、論理的にまったく問題ない。
A=生、非A=滅と、対立概念で置き換えると、「生であり滅でない」となり、これが真とされるのが仏教で「定見(じょうけん)とされる生を実体化(霊魂不滅)する見解である。

②Aではなく、非Aである(0,1)
これも二価論理の対立が整合している命題で、まったく問題ない。
ただし述定内容は①とは正反対で、「生でなく滅である」となり、滅を実体化する「断見」の見解である。

ちなみに、常識で理解できる古典論理学だとAが真ならば必然的に非Aは偽となるので、Aについてのみの1ビットの簡略な命題で済む(非Aについては裏命題で自動的に真偽が決まるので省略可)
※:例えば法律の世界では義務または違法の命題(法文)が示されれば、その裏命題はその逆の違法または適法となる(裏命題有効の原則)。すなわち違法でないという意味での”適法”は法律では常に裏命題で含意されるのみで明文化されない。ただし、厳密な数学的論理学においては、この原則は通用されず、原命題が真の時自動的に真となるのは対偶命題だけで、裏命題は”必ずしも真でない”という意味で偽とされる。日常の論理と厳密な論理の相違点がここにある。

釈尊自身、①②をともに臆見(ドクサ)として退けている。
すなわち、仏教は最初から、論理的に整合して世間に流布(他の宗教も採用)しているこれらの見解(両端の二元論)を採用しない。
ということは、残りの可能な2つの命題に仏教が答えを見出しているようだ。

③Aであり、非Aである(1,1)
ここから二価論理(二元対立)自体が否定された超越次元になる。
ここでは、二元の”対立”が否定されている。
対立の否定(無効)すなわち両立となっている。
差異の否定(一元論)であり、融通無礙である。
「生であり滅である」となり、これを並列ではなく連続とすれば「生じるから滅する」という縁起的無常観となり、あるいは「煩悩即菩提」のように一見対立するものが同根であるという、華厳あるいは密教的見解に通じる。

④Aでなく、非Aでもない(0,0)
龍樹が採用しているのはこの命題である。
これも二価論理自体が否定された超越次元である。
ここでは”二元”の存在が否定されている分、③よりも否定度が強い。
③の両立を否定(不両立)しているから。
それが意味するのは、事象の否定すなわち無事象=無自性である。
「生ではなく滅でない」、縁起的に表現すれば「生でないから滅しない」、すなわち滅の前提が不成立となり、不生不滅となる(龍樹の”八不”の1つで、般若心経にもある)。
生滅(有無)を論じることを否定している=有無の論理は無効ということ。
すなわち二元論の一元化に向わず(不一不二)、むしろ述定そのものを拒否する方向である。

以上のように情報理論的に整理すれば、龍樹の論理もその位置づけが明確となる。
では④から導かれる「有でも無でもない」という空はどのような内容なのか。

空とは何か2


法然と極楽浄土展

2024年04月30日 | 仏教

名古屋に帰る日だが、時間があったので、上野の東博で開催中の「法然と極楽浄土」展を見に行った(右:ポスター)。

昨日訪れた鎌倉光明寺(浄土宗大本山)から続く流れで、実際光明寺の寺宝(国宝など)も展示されていた。
しかも昨日じっくり鑑賞した当麻曼荼羅が頭にあったので、今回展示の目玉、国宝・綴織當麻曼荼羅(8世紀)も、時代経過のせいでコントラストが薄くなった織物の模様を頭の中でクリアに再現できた。

あと、京都・上徳寺の阿弥陀如来立像(重文)が上品なイケメン的美仏で見惚れた(ポスター左下の阿弥陀様は別の像。こちらもイメケンだがやや眼光が鋭すぎ、上徳寺の阿弥陀様ほどの優しい目を持つ仏像は他にない)

ただ阿弥陀信仰そのものには、物語的要素が強すぎてついて行けない。
もっとも生きる目標を死後に置くことで、生存中の俗事に惑わされずに、徳を積んで清浄な心を育む生き方は、宇宙における人類の存在意義(ド・シャルダン※)に通じる、深いものがある(超個的な宗教の存在意義はそこにある)。
※:カトリック神父ながら、宇宙進化論のスケールで人類の存在意義を論じた。

ちなみに、博物館の展示のガラスにあいかわらず指紋の跡があって目障り。
横を見ると、二人連れのご婦人の一人が、ガラスに人差し指を当てて(展示物を指差して)会話している。
見かねて、「ガラスに指を当てないでください」と注意した。
かように、ガラスを指で汚す犯人は、”会話しながらの二人連れ”だ。


人間存在の分かれ道

2024年04月23日 | 仏教

人間の在り方そのものの岐路がある。

動物としての人間(サピエンス)を超越し、よりハイレベルの存在になるか、
その逆に、動物性に負けて、人間より下のレベルに落ちていくか。

この論議を仏教に備わって入ってきた六道思想(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)で論じてみる。


人間を超越したハイレベルな存在とは、人が「」になること。
天とは、仏教でいう天部すなわち、神道やヒンズー教のような多神教的神のレベル。
実際、日本の神道では、すでに歴史的人物が神になっている(菅原道真、徳川家康)。
天部(神)は、人間の限界を超えたパワーを備え、物事を思い通りにできる。
ただ、神話の神々がそうであるように、自己であることの執着・限界があって、それなりに欲や悩みがあり、
他の神と揉めたり、人間が信仰しないと気分を害す(この程度で気分を害するような神は宇宙創造の”絶対神”ではなく、天のレベル)
すなわち、菩薩や如来の域には達していない。

個人的には、人間が一挙に菩薩や如来になるのは無理なので、
まずは来世に一歩前進の天部になることを目指して現世を生きればいいのではないかと思っている。
そのためには人間性を向上させる必要があり、私がスピリチュアルに目覚めたのもこの理由。


それに対して、人間性を高めるどころか、もったいないこと(せっかく人間に生まれたの)に逆方向の在り方を進む人がいる。
動物由来の欲を満たすことを人生の目標とした在り方は、畜生の道。
子孫や財産を増やす生き方もこれに該当し、それなりに満足・幸せになれるが、我欲の満足でしかない。
残念ながら、生きる目標がこのレベル(家内安全・商売繁盛)に留まっている人たちが多い。

さらにその欲に支配されひたすら飢えた(欲が満たされない)状態になった在り方は畜生より劣る餓鬼の道で、
こちらは飢えに苦しみながら生きる哀れな存在。
最悪なのは、それのために平気で悪事をするような地獄の道。


注意してほしいのは、一見人間的に見えるが、やたらと人を悪意で見て、憎悪/軽蔑する人たち(ネットの世界にも多数棲息)。
本人は正しい道を進んでいるつもりだろうが、これは人間より一段劣る修羅の道。

日本人の多くが、自民党政府に批判的ながらも、野党の支持に向かわないのは、野党の人たちってなんか修羅的だから。
修羅の成れの果ては、かつての連合赤軍やオウム真理教、イスラム国(IS)、北朝鮮の政権。

多くの日本人はもとより真っ当な人間レベルだから修羅に権力を託そうとはしない。
人間ならば愛と信頼がベースになっている。
憎悪と不信がベース(マルクスレーニン主義者の基本メンタルもこれ)の修羅とそこが違っている。


八菅修験復活の日

2024年03月28日 | 仏教

相模(神奈川)の修験道の地といえば、伊豆山(伊豆国に位置)を含む箱根修験が有名で、
先日その伊豆山神社を訪れ、この地を訪れたという役行者(えんのぎょうじゃ)※の木像を見た(→記事)。
※:役小角(えんのおずぬ)。7世紀に実在した修験道の開祖。大和の生まれだが、伊豆大島に流罪になったことがあり、伊豆国周辺にも伝説を残す。

実はそこ以外に、丹沢の東麓、相模川が作る平野との間の八菅山(はすげさん:225m)を中心とした丘陵地帯に、
八菅修験という修験道の地がある。

丹沢の霊山といえば大山(阿夫利山)だが、そこからは少々離れている(大山修験とは別集団)。
修験集団としてはマイナーだったようで関東でも知られていない。

明治政府の「神仏分離令」の際、修験道も廃止させられた(日本の山岳宗教の破壊といえる)ため、
神仏習合を維持できなくなった修験の地は、神道か仏教のどちらかの帰属を迫られた。
教義的には仏教の方が近いはずだが、当時は仏教は貶められ、神道が神聖視されていた。
神道を選んで神社となった所は、結果的に修験道を排除する方向となった
仏僧が開いた箱根権現も同じ運命。例外は羽黒山神社)。

ここ八菅修験も、神社となってからは修験の行場ではなくなったが、
年に一度の本日、大祭に山伏が参加し、修験道が復活する。
そして神社の宝物殿もこの日に開かれる。


ということで、小田急線の本厚木駅から神奈中バスで「一本松」で降りて、中津大橋を渡って対岸の八菅神社に行く。

麓の参道入り口前には出店が数軒出ている(焼きそば等があり昼食可能)。
社務所奥にこじんまりした宝物殿があり、100円払って入る(館内撮影禁止)。
やはりこの地を訪れたという役行者の木像があり、他に中小の仏像が並ぶ。

この神社は村社で、地元の氏子の人たち(皆ご老人)が、烏帽子に神官の衣装をつけて、
(のぼり)や長持を持って行列を組んで上に登る準備中。

私は先回りして本殿に向かう急で長い男坂を登る(写真)。
上に行くと、氏子の人たちが、護摩木を販売している。
さらにその上に広場があり、その中央に青々とした杉の葉が山盛りになっている。
本日の火渡り儀式用だ。
さらにその上に本殿があるので、ますは本殿を神社式で参拝し、
儀式の場となる広場に降りて、見物客の輪に加わる。


程なく(12:00)、下から法螺貝の音が響いてきて、先ほどの氏子たちの行列に続いて、
法螺貝を吹きながら8名もの山伏がやってくる。
まず氏子たちが広場に入って四色の幟を四方に立て、すでに供物が備えられている神棚の蝋燭に点火する。

先頭の山伏が、広場の入り口で振り返って、後続する山伏と儀式的な問答をする。
その問答の後、後続する山伏たちが、広場に並び、弓で四方に矢を放ち、剣や槍を振るって邪を清める。
そして杉の葉の山に火をつけ、まずは灰色の煙が濛々(もうもう)と立ち上がる。

先頭だった山伏が太鼓を叩き、それに合わせて他の山伏たちは手持ちの短い錫杖を振りながら般若心経を唱える。
私も日光中禅寺で買ったミニ錫杖を持ってきたので、一緒にそれを振って般若心経を唱える。

山伏が葉の山の下部を竹竿でこじ開けて空気を入れると、煙の下から真っ赤な炎が舞い上がる(写真)。
杉の葉の山が”護摩壇”になった。
正面に座った山伏が護摩木を炎に投げ入れる。
周囲の見物客も四方八方から自分の護摩木を炎に投げ込む。

炎が下火になると、山伏たちは不動明王の真言を唱えながら、
半ば灰になった護摩壇を金属の熊手で整地し始め、中央部を平らな地面にして火渡りの通路を作る。

そのまま土の面にして、熱を冷ますのかと思っていたら、その面に新たに木片を敷いて、再び炎を立てる。
そしてなんと、裸足になった山伏がその炎が立っている面を歩き抜ける(写真:山伏が動いているのでピントが乱れている)。
本物の火渡りだ。
これには周囲から歓声が上がった。

そして、灰になった木片を退けて、完全に土の面を出して、周囲の見物客たちが渡ることになる。
私は、この後の丘陵歩きのため脱ぎにくい山靴を履いてきたのだが、この場に臨んで、火渡りに参加しない選択はない。
火渡りの行列に加わり、裸足になって、熱くない土の面を歩き抜いた。
濡れ手拭いを渡され、足を水に浸す場を抜けて、足を拭いて靴をはいた。

以上で、大祭の儀式はおしまい。


儀式内容は真言密教そのもので、高尾山の火渡り(→記事)と同じだった(ちなみに私の火渡り経験はこれで3回目)。
日頃は無人の村社に、今日だけ修験道が復活し、自分もそれに参加できた。

本殿直下には、不動明王を祀る護摩堂があり、参道沿いには石仏が並んでいる。
すなわち、この神社は神仏習合という修験の伝統を保持している。

本殿裏を登って丘陵の上に出ると、そこは整地された「八菅修験ハイキングコース」になっていて、
その先に行場跡が点在している(説明板あり)。
こうして跡地としてでも修験道を身近に感じる所があるのは関東では珍しく、貴重だ
※東京の高尾山が”修験の地”を売り出したのは明治以降で、今では関東有数の修験の地になっている(私も火渡り・滝行に参加)。

といっても200m程度の穏やかな丘陵なので里に近く、
修験の行場としては(山をやっていた者としては)難易度が低すぎて、行場としての魅力・価値も落ちると思う。
この丘陵の奥にある仏果山(747m)・経ヶ岳(633m)の山塊がもう少しマシな行場たりえたろう。
更に丹沢表尾根の行者岳(1209m)付近の岩崚ならば本格的な行場たりえた
※:場所と山名からして、丹沢修験の行場だったようだ。ちなみに相模の修験集団は、箱根・神縄・丹沢・大山・日向・八菅などに分れていたらしい(川島敏郎『大山詣り』より)。


女性の墓に如意輪観音の石仏が多い理由

2024年02月17日 | 仏教

お寺周辺の石仏は、江戸時代の故人の墓であることが多い。
その中で女性(信女、童女)の墓として彫られた石仏は蓮を持った聖観音か、ほおに手を当てた如意輪観音(写真)であることが多い。

観音様が形態的に女性的であることがその原因かもしれないが、もともとの観音菩薩は女性ではない。

観音の変化身の中で”女性”とされているのは准胝観音と白衣観音なのだが、女性の墓として彫られるのは、それらではなく、なぜ特に如意輪観音なのか分からなかった。

本日、郷土博物館巡りで行った青梅市郷土博物館で、その謎が解けた。

市内の如意輪観音坐像の説明によると、
女性は生理や出産などで出血するため、死後に”血の池地獄”に落ちるとされていて、
そこからの救済を説く「血盆経」を女性たちが写経すると、
如意輪観音が現れて、血の池地獄から救ってくれる、
という民間信仰が江戸時代に広まっていたということだ(地蔵菩薩の女性版)。
説明は以上だが、そこから、死んだ女性を地獄から救うために如意輪観音像を彫って供養するという発想につながることが容易に理解できる。

ただし「血盆経」なるものは中国で10世紀頃に作られた偽経なので、
正式な仏教における如意輪観音の役割ではないし、
そう説明する仏教書も見当たらなかった。

郷土博物館ならではの情報だといえる。


釈尊が実践した非神話的態度

2024年02月04日 | 仏教

宗教の中で神話的部分が比較的少なく、少なくともそれがその宗教の本質的要素でないのが仏教の特徴なので、21世記の現在、従来の神話的宗教を信じられなくなったヨーロッパ人に受け入れられつつあるのもその理由であろう。

ただ、仏教でも大乗仏教(日本に伝わっている仏教)になると、神話性が全開してくるのは残念だ(日本人が親しんでいる仏教は神話満載)。

そもそもの始祖・釈尊に立ち返ると、輪廻転生など当時のインドで常識化されていたものは仕方ないとしても、自覚的に神話的思考に陥らない態度を志向していたことがわかる。

まず、苦を滅する基本である八正道において、とりわけ重要なのが”正見”であるが、
これはすなわち”正しい認識”という態度である(教えとして後世に固定化された正見ではなく、釈尊自身が実践した開かれた態度が重要)
すなわち、何が”正しい”かは前もって固定せず(先入観に縛られず)、清明な理性による正しいかどうかの吟味を怠らず、それが”正しくない”とわかったら躊躇なく捨て去る態度である。
科学的態度と同じだ。

そして仏教の基本理論である縁起論
すなわち人間の苦を、その在り方・態度の因果関係によるものとし、
それが後に「十二支縁起」としてモデル化された。
言い換えると、宿命論(決定論)や運命論(偶然論)を否定し、事象には必ず原因があるとして、その因果法則を探求する態度である(上と同様、後世に固定化された縁起モデルでなく、苦を因果論的に探究する態度に意味がある)
そしてその原因を除去することで解決となる。
この因果律の探究も科学的態度そのもの。

さらに、この世の果てはどうなっているかなど、実証できない問題について、単なる想像だけを根拠に論議する事は無意味であると、沈黙をもって実践している(無記)。
既知と未知とを峻別して、分かったふりして未知を論じない。
これも科学的態度と同じ。

そして、論理は極端化しやすいという人間の思考バイアスを理解しているため、辻褄合せによる思考の暴走を抑えるバランス感覚(中道)を堅持した。
この態度を忘れると、上の因果思考も極端化する(現代人も怪しげな”健康法”でこれに陥っている)。

上の全てはことごとく神話的思考を防ぐ態度であり、ほとんど現代の科学的態度と共通している。
科学的態度の中で実践されていないのは、客観的・実証的データ収集であるが、釈尊が達した境地は彼の他には体現者がいなかったので、自身(主観)以外からのデータ収集は不可能だった。

このように本来は非神話的教えだった仏教が、次第に神話化していったのは、後継者たちが初心を忘れたからだといえるが、
元来人間は物語を作るのも聞くのも大好きなので、神話化によって広く受け入れられたのは確か。

神話的態度と対立する科学的態度とは、与えられた知(理論)を無批判に前提するのではなく、その知に達した人と同じ位置に立って、その知を吟味する事である。
やはり”禅”の態度(良い意味での”独覚”)がこれに近そうだ。

システム4までの話をして、また神話性の話に立ち戻ったのは、宗教の神話的部分すなわち日常のシステム2レベル(家内安全・商売繁盛を祈るだけ)で満足していると、宗教(霊性)本来の境地であるシステム3以降に進めないから。


心理現象としての宗教:システム4

2024年02月03日 | 仏教

瞑想でシステム3を作動し、自我の束縛から離脱した釈尊自身は、さらに次のシステム4を作動したか。

少なくとも仏教の理論は、釈尊個人の事績を超えてさらに発展し、システム4を射程に入れている。

このシステム4は、私自身のリアルな体験ではなく、その入り口に立っただけの私が、はるかに見渡せる未知の心の風景なので、以下、不確定性を含意して説明する。
※:システム3までは脳波(大脳皮質の活動電位)でその活動状態を特定できるが、システム4は確認されていない。尤も「心の多重過程モデル」は、心を大脳活動に還元するものではない。基底層のシステム0が身体の免疫系・消化器系などを含んでいるように。


自我から離れたシステム3の自極が、自我ではないより超越的な存在と出会う心的空間がシステム4だ。

そして、システム3によって一旦は否定されたシステム2の諸能力、すなわち思考や想像の力が、自我という束縛(我執)を離れることで、新たなパワーをもつ。
それは念の力(心的エネルギー)と言っていい。
その実践法は→サイキック・パワー講座1

この力によって、システム0〜2が対処する知覚可能な物理世界とは異なる次元の世界との交流が可能となる。

システム2における心的パワーは思考や想像として発揮されるだけだが、システム4に至ってリアルなパワーとなる。
釈尊やイエスが、神通力(今でいう超能力的パワー)を発揮したと言われているのも、彼らがシステム4に達した証しかもしれない。
ただし、このパワーを手品師のように人前で披露することがシステム4の目的ではない。
このパワーで利益・名声を上げようと思う欲心(システム2)はすでに超克されている。

システム4に達した人は我執がなく、そのパワーはヒーラーとして他者へのヒーリング(癒し)に使われる(このレベルの超能力的ヒーラーは世界中に存在する)。

心はすでに個体存在(自己)を超えている。
自己を超越してさらに心の階梯を上げることこそが目的となっている。


ところで、心的エネルギーは、エネルギーの一種として、エネルギー保存の法則に従う。
なので、それは他のエネルギーに転換、あるいは他のエネルギーから転換される関係にある。
システム4は心のエネルギー化であり、それをスピリチュアリティ(霊性)ともいう。

霊性の発現によって、システム0(システム4の元のシステム3の元のシステム2の元のシステム1の元)における物質代謝の束縛から離れる(生命エネルギーから心的エネルギーへの転換)。

このエネルギー転換過程を最もわかりやすく表現しているのはインドの仏教ではなく、古代中国の気の理論である。
気功はこの力を使って”気”を出す。
気は本来、宇宙を構成するエネルギー体であり、それが人体にとっては”外気”として存在するが、その一部(酸素、栄養素)を摂取して人体は生命エネルギーを得る。
人体化された気は”内気”として、身体と心を動かす(気は心身一元論的概念)。
その中で、気を”心的エネルギー”化するのが気功で、念の力によって気は体の内外を移動する。


実は気の存在は、科学(物理)的には確認されていない(磁気あるいは温度として間接的に測定されることもある)。
その意味では神話の域を出ていないが、
ただ気功をはじめとして、気の理論に基づく鍼灸・漢方、さらには易などの実効性は認められているので、実効的パワーのある”神話”といえる。
念の力は実在する物理力ではなく、心の力、想像の力であり、物語の力とも言える(システム4段階においては、神話か否かの論議は無意味)。

カロリー(熱量)換算可能な生命エネルギーが心的エネルギー(波動)化することで、物質(粒子)的制約を超越できる。
なので己れを心的エネルギー体にすることで、身体的死の超克が可能となるかもしれない
※:現代スピリチュアリティでは、物質的身体の外側にエーテル体、アストラル体などを想定しているが、実証されたものではない。

そのためには、日常的なシステム2で生きることに終始せず(この世で適応的に生きるにはそれで充分だが)、システム3を作動させて、自己をシステム2(自我)の桎梏から解放し、さらにシステム3からシステム4を創発させることで、自己の心的エネルギー化を推進し、物質的存在としての制約から脱する。


多分その先の状態は心の究極段階としての涅槃(ニルヴァーナ)に相当し、
その段階を”システム5”を呼びたい。

心を構成する多重のサブシステムとして、システム0は生物一般、
システム1は動物レベル、システム2は人間(サピエンス)のレベルである。
ほとんどの人間はこれらの作動だけで一生を終えるが、
人間(サピエンス)にはさらに上のシステムを作動させて心的にハイレベルなる能力があることが、2500年前からわかっている(もちろん釈尊のこと)。

人間は本来的に自己超越できるのだ。
それを既存の仏教的神話で表現すると、
システム3は阿羅漢の境地、システム4は菩薩の境地、
そしてシステム5は仏(如来)の境地といえる。

このような心の多重的発展モデルは、既存の仏教との関係では、心を単層かつ細分的にみるアビダルマ(倶舎論)とは大いに異なり、むしろ空海の「十住心論」に近い。
※:単層モデルでは、欲界に対応した心が自らそれを超克(自己否定)して色界以上に達するという難行を前提とするが、多層(重)モデルでは欲界に対応した心はそのままで、それとは別の心を創発するというもので、自分の心を一切否定しないのが特徴(この点が大乗的)。


以上、宗教的メンタリティを(神話的要素の少ない仏教を題材として)私の「心の多重過程モデル」で足早に説明してきた。
これで説明可能なら、神話的要素に満ちた既存の宗教教義は私には不要となる。
※:例えば仏教は心の高次化モデルとして参考にするが、非科学的な要素もあるため、準拠はしない。仏教以外の宗教の教義は、神話的部分をその本質としているため、参考にもしない。ただしこれら宗教における純粋な宗教的メンタリティは尊重したい。神道の本質は教義ではなくこのメンタリティにある。

機会があれば、より具体的・現実的なメンタリティ(主にシステム2)での問題を扱ってみたい。


宗教でなく理論としての仏教

2024年01月31日 | 仏教

話が前後して申し訳ないが、仏教における神話的要素をドライに排除する根拠を示したい。

仏教を宗教としてではなく、存在論的苦の解決法という実践的”理論”とみなしたいのだ。

絶対的境地からの”教え"(預言)ではなく、学術研究者が構築する理論の1つとみなすことで、聖典や開祖(提唱者)を絶対視する原理主義的固定化が免れ、むしろその限界を乗り越え、発展(精密化、応用化)することが積極的に推奨される。
すなわち釈尊は、ニュートンやフロイトと同じく壮大な”理論”の提唱者という位置づけ(体現者でもある)。

学術理論は常に批判的に再構築されるべきものなので、仏教理論も、前科学的認識に基づく不正確な部分は改め、さらにより説明力の高いものに洗練させて然るべき。

例えば、説一切有部の「アビダルマ」(≒倶舎論)はまさにそれまでの理論統合の成果だし、大乗仏教を切り開いたナーガールジュナ(龍樹)は、その理論をさらに精緻化し発展させたといえる。
すなわち釈尊オリジナルの教え(仏説)から遠のくこと自体がダメなのではない(なので「大乗非仏説」は大乗仏教を否定する根拠とならない。大乗経典が「仏説」と偽っている部分は削除したい)。

批判の対象となるのは、教えに潜む神話的要素である。
神話(物語・作り話)的要素は、事実という観点からは退歩であり、妄想化への逸脱といえるから(比喩としての物語は事実でないにしろ”真実”を語ることはできるが、多くの人は物語の非事実部分を事実として信じてしまう)。
特に大乗仏教は神話的要素に満ちている。

これら神話的要素を取り除いて、残った部分こそが真に価値ある理論の柱といえる。

仏教の柱は神話的要素にあるのではない(「天地創造」や「復活」を柱としている他の宗教とここが違う)。
仏教の真の価値を抽出すべく、内在する神話的要素を批判し除外して、現代に通用するまともな理論として再構築してみたい(この態度に一番近いのはだと思う)。


仏教における神話:輪廻転生

2024年01月30日 | 仏教

システム2で構築される物語すなわち、事実でない空想に基づくストーリーが、宗教の構成要素となっている部分が”神話”である。
そしてその神話性が、科学的知性を持った現代人にとっては、宗教のアキレス腱となる。

旧約聖書(創世記)や古事記が典型的神話だが、本来は神話的でない釈尊の仏教にもその要素がある。

これは釈尊が創作したというより、当時のインドで常識となっている神話、すなわち仏教においてもデフォルト(所与)の部分である。
つまり仏教もそれを前提せざるを得なかった神話である。

何かといえば、輪廻転生

釈尊自身の教え(仏説)は、輪廻転生の無限のサイクルから脱することを目標としたものだが、それは論理的に輪廻転生が前提(承認)されている。

例えば、日本で活躍しているテーラワーダ仏教の長老・スマナサーラ師が説く「アビダンマ講義」においても、大乗仏教の数々の神話(例えば阿弥陀如来や釈迦の前世譚)は批判するものの、やはり輪廻転生を前提としている。
※:『ブッダの実践心理学』サンガ新書

しかもただ前世があるというだけでなく、日本仏教でいう六道、地獄とか天界の存在を前提としている。

例えば、人間レベルで真っ当に精進して欲界を脱すれば、来世は梵天(ブラフマン)の世界に転生できると述べている。

それに対し、前記事ごまかさない仏教で紹介した佐々木閑氏と宮崎哲弥氏は、輪廻転生を信じることができないと述べている。
それは現代の科学教育を受けた知性にとっては当然で、ある現象が存在すると主張するなら、主張する側がその現象の存在を立証しなくてはならない。
そしてきちんと立証できないものは、存在すると認められない。
なので、輪廻転生の確たる証拠が提示ない限り、それを信じないのは、現代的知性にとって当然。

本来、こういう再生の繰り返しは、死(無)の恐怖を和らげるための霊魂不滅的な神話化だったはず。
たとえば、「死ねばあの世(死後の世界)に往く」というのが最もシンプルな神話。

ところがインド固有の業(カルマ)の応報と再生レベルの多層化という物語の複雑化によって、輪廻転生自体がとても面倒で苦痛なものになってしまった。
そこで仏教では、現生の苦(生老病死)のより根源的な輪廻転生の苦(生老病死の無限サイクル)から脱する方向を志向した。

目指すそれは「無為」の「滅尽定」の世界、すなわち「涅槃寂静」の世界である。
どんな世界かというと、光も時間経過もない世界、すなわち「永遠の暗黒」という無の世界だ。

待てよ、それって、唯物論的科学思想が想定する死の世界ではないか。
我々はその永遠の暗黒を恐れたはずなのに、仏教ではそれが目指すべき境地になっていた。

という事は、輪廻転生を信じず、死とは永遠の暗黒に帰する事という現代人の死生観は、そのまま涅槃寂静への道を進むことになる。
すなわち輪廻転生を信じない我々現代人にとっては仏教は不必要となる。

これでいいのだろうか。

実は、スマナサーラ師によれば、輪廻は死後の世界の現象ではなく、現世で既に発生している、すなわち我々はすでに現生で死と再生を繰り返しているという(刹那滅)。

ただし、多くの人はすでに輪廻転生を信じていないだろうから、この神話を批判する作業は省略する。
続く。


阿弥陀教というコペルニクス的転回

2024年01月23日 | 仏教

大乗仏教という仏教のバリエーション化(変容)において、阿弥陀如来という、
実在した釈尊ではない仏陀を立てて、それを信仰する阿弥陀教(浄土教)に違和感を抱き続けていた。

神を措定せずに自己の変容によって死の問題を解決させる、人類史的に特異な教えだった仏教が、
絶対的他者を立てて、それを信仰することで天国に行ける、というありきたりな”宗教”に堕してしまった感があったからだ。
言い換えれば、それだったら”仏教”でなくてもいいんじゃないの?という感じ。

このような阿弥陀教の存在理由を、あくまで仏教の内なる変容の論理として、
すなわち仏教の1つのあり得る方向性として、考えてみようと思った。

なぜそう思ったかというと、自分自身の中で感じた仏教の本来的困難さ(不可能性)の壁を越えたかったから。


仏教の本質は、菩提心を動機として修行に励み、煩悩を克服して、悟りの境地に達して、
生物として存在すること(生老病死)の苦から脱することにある(らしい)。

実践的ポイントとなるのは、修行による煩悩の克服にある。
すなわち、煩悩だらけの「欲界」に生きている状態から抜け出すことが求められる。

欲界は生存本能に由来する生物の生きる世界そのものであるから、
いわば自己に内在する生物性を否定することである。
性欲はもちろん、食欲も睡眠欲も制限し、そして裕福になりたいための経済活動も否定される。

身体をいたずらに痛めることを自己目的化した”苦行”こそ否定されるが、
リラックスした気楽な生活も否定され、
出家すなわち、家族を中心とした社会関係を頭髪とともに断ち切り、
ストイックな集団生活(サンガ)での瞑想(禅定)修行が求められる。
仏教における悟りの道は、この出家が唯一とされる。

経済活動も子孫の再生産も否定された出家集団は、そうでない欲界にどっぷり浸かって生産・家庭生活をしている人たちの存在(資源の供給元)を前提しないと、
そこからの布施で生きる彼ら自身の生活の維持が成り立たない。
仏教の唯一の道である出家主義はいわば依存的エリート主義である。

この結果、普通に家庭を持って経済活動をしている人たちは、出家を援助する功徳しか積めず、
仏の道は閉ざされる。


市井の(経済活動に従事せざるをえない)一人としての私自身が感じた仏教の壁(困難さ)がこれだ。

仏教にそれなりの救いを求めていながら、どうしても出家生活に踏み込むことはできない。
正直いって、そこまでしたくない(出家したくなるほど在家の生活に”苦”を感じない)。

こう思うのは私だけでなかったわけで、仏教は在家を見捨てない方向に進まざるをえなくなった。
それが大乗(大勢乗せる)仏教であり、菩薩道である。

菩薩道は、自分が悟って仏になる菩提心がありながら、その自分より先に迷える衆生を救済することを優先することを決意した修行者(菩薩)のあり方をいう。

大乗仏教ではまずは菩薩になることが目標化されたことになり、
その結果、菩薩自身の到達目標である仏(如来)の道が遠のき、
仏になるには三劫という無限に等しい時間(人間としての存命中は不可能)が必要とされることになった。

釈尊の時代は生身の人間の弟子たちも悟り(=仏)に達したのだが、
大乗仏教では仏はより深遠な絶対神のような超絶的存在に高められてしまった。
こうなるとまさに仏教の壁がさらに強固になって、人が仏になることの不可能性に陥る(仏教は不可能なのだ)。


この不可能性をうちやるぶるために、大乗仏教の次なる段階において、
誰でもが仏になる可能性を本来内在しているという如来蔵思想が誕生し、
さらに特定の修行法を実践すればその場で仏になれるという即身成仏思想も誕生した。

ただこうなると逆に、煩悩即菩提よろしく、仏になるのに何も特別なことは必要なくなり、今のままでいいじゃん(現状肯定)となってしまい、そうなると仏教そのものが必要なくなってしまう。

つまり、仏教は「不可能か不必要か」というどちらに転んでも不都合な”回避・回避のジレンマ”に陥る。

結局、人間の思考のバイアス傾向である”極論化”が、そのバイアスを戒めて「中道を歩め」とした釈尊の教えの元でも発生を抑えることができなかったわけだ。


仏の道を歩みたい(自分を高めたい)が、在家の生活を捨てることができない、社会の大多数の人たちは、出家以上に困難な菩薩の道を歩むことはできない。

では自分たちは永遠に救われないのか。

待てよ、菩薩の道を歩んでいる人たちが存在してきたなら、彼らは自分が仏になる前に衆生を救おうとしてきたのだから、
菩薩の道を自ら歩めない我々は、その菩薩の慈悲(救済)の対象になるはず。
我々は衆生のまま、すなわち現在の社会生活を維持したままでいるからこそ、慈悲(救済)の対象になれる。

すなわち自分の努力(自力)によって悟りの境地に達するのではなく(不可能か不必要)、他者である菩薩・仏の力(他力)によって、自分たちが救済される道があった。

この立ち位置の転換は、大乗仏教における救済する側からされる側への、まさにコペルニクス的転回だ。

経典によると、そう誓った菩薩は法蔵菩薩であり、この菩薩はすでに悟りに達して阿弥陀如来という仏になっている(という)。
ということは、我々衆生は、阿弥陀如来の慈悲によって救済が約束されているのだ。

その救済とは、苦に満ちたこの世から、阿弥陀如来が管轄する「極楽浄土」に往かせてくれることで、その浄土で我々は阿弥陀如来に見守られながら快適に悟りへの修行に励むことができるのだ(往生=浄土に往くこと、が本来目標ではない)。

なので、今の世で出家してストイックな修行に打ち込む必要はなく、
この世(欲界)での真っ当な社会生活が終了したら、極楽浄土に往ってそこであくせく欲界的活動に追われることなく、すこぶる快適な環境下で瞑想修行に専念すればいい。

唯一必要なのは、我々をそのようにしてくれる阿弥陀如来の慈悲にひたすら感謝して、人の道を踏み外さなければいい。
踏み外すと、業(カルマ)という自己責任メカニズムによって極楽ではなく、地獄に往ってしまう。


こういう教えが、例えば法然上人から説かれることで、出家することも寺に寄進(という功徳)もできない、日々の活動にいそしむ一般庶民の間に阿弥陀信仰が広まった。

如来蔵思想に甘えず、欲界に生きる凡夫であることを自覚しながらも、現世ではなく来世まで視野に入れて仏の道をより快適に歩むことができると確信することで、(悟りを目指す)仏教徒であることが維持される。

確かに、この自力から他力への転回によって仏教徒であることのハードルは下がった。

ただし、この教えは、阿弥陀如来と極楽浄土の存在が前提となっており、その前提の存在証明は科学的にはなされない。
ということは実証的根拠なしに信じるしかないという意味で、既存の宗教と同趣の神話(物語)に依存していることになる。

そもそも阿弥陀信仰も含めた仏教全体が前提としている”六道輪廻”自体が物語(空想的構成物)といえる。
この部分を解決しないと、現代人にとっての仏教は、他の宗教と同じく、
人間の心(システム2)によって構築された物語(神話的宗教)の1つにすぎなくなる。
真の問題は解決していない。


『ごまかさない仏教』佐々木閑・宮崎哲弥

2024年01月14日 | 仏教

私は小学校四年生の頃から、就寝時に、自分もいつか必ず迎える”死”とは永遠の無になることであるということに気づき、それを思うだけで、恐怖心で心臓が高鳴って思わず起き上がり、動悸がおさまるのを待つようになった。

そして、もうこの当時で、”天国”や”霊魂の不死”あるいは”不老長寿”などはごまかしの論に過ぎないことが子どもながらにわかっていたので、それらにすがることもできなかった。

だが、この認識(恐怖)を家族に伝えることもできず(無意味だから)、同年代の友人たちとも共有できなかった。

実際、その後、中学や大学でも友人たちと死を話題にした時はあったが、彼らの多くは、死一般を語っても、そこに”自分の死”という視点がなかったので、私のような”死”への不可避な絶望感は共感されなかった。

本書『ごまかさない仏教:仏・法・僧から問い直す』(佐々木閑・宮崎哲弥 新潮社 2023年)で、対談者の一人である宮崎哲弥氏も私と同じ経験をしていたことを知った。

私自身、後年、このような”自分の死”の問題を真正面に取り組んだのが、2500前の釈尊だと知った。

釈尊の教えとしての仏教(死後、三途の川を渡って閻魔様の裁きにあうとかいう通俗的”仏教”ではない)は、他の神話的宗教と違って”天国”や”霊魂の不死”でごまかさない点で、私が唯一接近するに値するものと思えた。

それでいて仏教は、絶望的な死滅観(断滅論)を極端な臆見(ドクサ)の1つとして、不滅論とともに採用しない。

仏教学者の佐々木閑(しずか)氏によれば、断滅を恐怖しない自分を作ることが釈尊の教えによって可能となるという。

そのためには、”自我=私”を実体視することの誤りに気づくことが出発点となる
※:心(=システム2)という実体のない作用が生み出した、いわばホログラム的幻影。
そして龍樹的視点を加えるなら、そもそも私は存在しておらず、かといって存在していないわけでもない(有でも無でもない空)、ということになる。

このような仏教の本質的問題を、基本タームである仏・法・僧から、対談形式で問い直しているのが本書。
タイトルにある「ごまかさない」は仏・法・僧についての形容だが、上記したように”自分の死”の問題も含まれている
※:これと輪廻転生との関係は、業(カルマ)の問題と絡めて、仏教のアキレス腱といえる。ちなみに両人とも輪廻転生を信じてはいない。

対談の内容は、宮崎氏の知識も相当なので、仏教学の現状や、現代日本で人気があるテーラワーダ仏教における、彼らが準拠しているパーリー語経典のみが真の仏説に最も近いという「テーラワーダ歴史原理主義」なども問題にしているので、仏教の基本と現状について一定の知識がある読者が前提となっている。


泥足毘沙門天をお迎え

2023年09月08日 | 仏教

我が書斎の仏像フィギュア・コレクションに、毘沙門天が加わった。

以前、吉祥天をお迎えした折り(→記事)、吉祥天は毘沙門天の妻なので、それなら夫の毘沙門天も一緒に飾りたいと思うようになった(暫定的に安いカプセルフィギュアを配置)。

またそれとは別に、私が一番好きな戦国武将である上杉謙信がこよなく信仰したという毘沙門天※のレプリカ像が発売されていたので、ぜひ欲しかったが、本尊並に大きく、手が出ない値段だった。
※:謙信が戰さから春日山城に戻ると、毘沙門堂内に泥で汚れた足跡が点在し、それが本尊の毘沙門天まで続いていたという。謙信は「毘沙門天が我と一緒に戦ってくださっていた」と歓喜し、以来泥足毘沙門天と呼ばれるようになった。

それが今回、泥足毘沙門天の極小仏が発売され、それなら買える値段と大きさだったので、迷わず購入。

本日、台風接近のため在宅中、それが届いた。
木箱を開け、高さ11cmと小柄ながら、精巧に掘られた毘沙門天を、付属の宝棒を差して、守護神なので入り口を固めるべく吉祥天の手前に配置した(写真)。
泥足毘沙門天は宝棒は持っているものの宝塔は持っておらず、空いた手を腰につけている変則的な姿。
歓迎の線香を灯し、毘沙門天の難しい手印を結び、真言「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」を三唱した。


東鎌倉を巡る:覚園寺・明王院・杉本寺

2023年05月28日 | 仏教

今年の2月以来の鎌倉を訪れた。→前回の鎌倉
今回の主目的は、毎月28日だけに開帳される明王院の五大明王の拝観。
28日が東京にいる日と重なるのはそう多くないので、この機を逃したくない。

ちなみに明王院は、十二所(じゅうにそ)という鎌倉東端の地にある(切り通しを越えると横浜市)。

高校時代に鎌倉を好きになってその時に市内の寺を巡り尽くしたが、こういう外れにある寺はその時以来(半世紀ぶり)の再訪となる。

そして鶴岡八幡宮より東の”東鎌倉”(私が勝手に命名)に行くとなれば、覚園寺(かくおんじ)を外すわけにはいかない。

覚園寺は、寺の密度の高い鎌倉の中では珍しくポツンと離れた所にあるが、薬師三尊のとりわけ日光菩薩が美仏好きの私のお気に入りで(鎌倉の仏ではトップ)、機会があれば必ず訪れてお顔を拝みたい。

鎌倉の寺々は観光寺院に堕すことなく、宗教空間としての尊厳を維持するよう努めている。
前回訪れた時の覚園寺は1時間毎にグループになって解説者付きで拝観した。
なのでタイミングが悪いと50分以上待つことになる。
一方、明王院は13時に法要があり、それに合わせて拝観ができるようだ。
ということで、ポツンと離れた覚園寺と13時の明王院のどちらを先にするか迷ったが、覚園寺を先にして12時に拝観し、そこから山道を抜けて13時に明王院に降りるという計画にした。


横須賀線の鎌倉駅に10時半に降り立ち、早速観光案内所で、覚園寺の拝観時間について尋ねると、今では1時間毎ではなく、自由に拝観できるという。
それなら時間調整は不要で、駅のコンビニでおにぎりを買って、覚園寺最寄りの大塔宮までバスに乗り、バス乗り場のベンチでおにぎりを食べて、お宮境内のトイレを借りて、覚園寺への一本道を進む。
途中に本格的な蕎麦を出す店などがあるが、寺巡りに値が張ったランチを食べる気はしない。

覚園寺の入り口に達し(写真)、まずは愛染堂で愛染明王を参拝し、拝観料500円払って、自然豊かな境内に入る(ここから先は撮影禁止)。
「順路」があったがそれに気づかず、茅葺の薬師堂(順路では最後)に直進し、丈六の薬師三尊を見上げる。
以前よりは明るい堂内なので、じっくり拝観できる。
薬師如来の両脇侍の日光・月光菩薩は、本尊を挟んで対照的な姿勢以外の形態は同じはずだが、奈良の薬師寺の両菩薩がそうであるように、ここの両菩薩も微妙にお顔が異なる。
向かって左の月光菩薩は、残念なことにお顔に丸い染みのようなものが幾つもできているのが美観を損ね、また目の造りも生気に乏しい。
それに対して、向かって右の日光菩薩は、綺麗なお顔に切長の半眼ながら目がぱっちりしていて目力がある。
その目にしっかり見つめられると、「日光菩薩様にずっと見られていたい」という気持ちになってしまって、立ち去る踏ん切りがつかめない。
13時の明王院の法要に間に合わねばならないので、12時を区切りに去ることにした(受付で三尊の御影を買う)。


大塔宮まで戻り、東進して、発掘が進んで公園になっている永福寺跡を素通りし、瑞泉寺の総門をくぐって、天園ハイキングコースの山道に入る。
寺の密度が高い鎌倉では、寺巡りには駅前にあったレンタサイクル利用が一番効率良さそうだが、鎌倉にはこういう山道が近道にもなるので、それを使う場合は徒歩しかない。
目指す明王院への山道は地図には載っているものの分岐点の指導標に示されず、またGoogleマップのナビもルートとして認識してくれない。
でも踏み跡は確かなので、山をやっている者ならスマホの地図を見ながら難なく明王院脇に降りられる。


13時を数分過ぎて着いた明王院では、茅葺の本堂(写真)で護摩法要が始まっていて(法螺貝の音が響く)、堂内は参拝者で満席。
それでも最後尾の縁側に立って、前席の人に配られた読経の冊子を後ろから覗きながら、観音経の唱和に加わる。
法要が終わると、一人づつ護摩木を渡されて、護摩の残り火にくべて、奥に進んで開帳された五大明王を拝観する(ただ暗い堂内で黒ずくめの像は、不動明王以外見分けがつかない)。


明王院を後にし、ここまで来たならと、鎌倉最東端の寺である光触寺(時宗)をやはり半世紀ぶりに訪れる。
昔はなかった一遍上人の銅像があった(全国的には珍しい時宗寺院が鎌倉にはいくつもある)。
寺に入る道の入り口にバス停があり、鎌倉駅行きのバスは10分おきにあるので乗っていってもいいのだが、この地には多分もう訪れることはないと思うので(あっても半世紀後?)、道路脇の石仏群を見て、訪れていなかった松久寺(曹洞宗)に立ち寄る。


ここまで来たなら、もう少し進んで多数の仏像を拝観できる杉本寺(すぎもとでら)にも立ち寄る(浄妙寺、報国寺はカット)

ここは30年ぶりだが、本堂に上がる石段の上半分は苔むした石段となって観賞用となっていて(写真)、代わりに脇に新たな石段ができていた。
高台にある本堂では、本尊の(行基作などの古い)3観音は本堂奥に鎮座していて遠くから眺める。
目の前の前立ち(本尊のレプリカ)の観音がなんと運慶作という。
杉本寺は、鎌倉時代の寺ではなく、平安初期創建の鎌倉で一番古い寺。
ここで本尊3観音の御影(3枚で300円)を買う。
ここからバスで鎌倉駅に戻った。

私は、御朱印集めの趣味はないが、ご本尊の御影を集めている。
今回、覚園寺と杉本寺で計4枚の御影を得たが、明王院の五大明王の御影は残念ながら9月28日しか配布されない。
今年のその日はウィークデーなので、それをゲットできるのは、退職後だろう。
ということは、いずれまた東鎌倉を訪れることになりそうだ。

建長寺・円覚寺