またまた私の読書行動論(理論化されてはないけど)。
さて、あなたの手もとにある読み終わった本を、どれでもいいから手に取ってみて、
パラパラめくって、後ろの参考文献欄を眺めながら、
その本を書き上げるまでに執筆者が要した時間と労力を想像してみてほしい。
そして、その時間とあなたがその本を読むのに要した時間とを比べてほしい。
執筆者の立場からすれば、著作に盛られた情報は最大限の圧縮効率の結果なのだ。
つまり執筆にかかるまでの膨大な情報収集とその執筆・編集作業、
たとえばその本を書くために読んだ膨大な資料や、あちこちの取材記録を、
あれこれ試行錯誤しながら削りに削ってなんとか数百ページに凝縮したわけで、
それがわずか2,3時間の読書行動にあっけなく置き換わってしまうのだ。
読者はものすごく効率良く情報を入手していることになる。
さらに読者の読書行動自体も効率化されてきた(これは前の記事で述べた)。
昔の人の読書は音読だった。
”読む”速度は口で”読み上げる”速度と等しかった。
そのため、読み上げやすく、耳に残りやすい韻文の比率が高かった。
それが、印刷技術の発達にともない(これはマクルーハンの受け売り)、
近代人は黙読できるようになり、”読む”速度は倍速化され、”見る”速度に近づいた。
そのため、感覚的な韻文より、論理的な散文が主流となった。
すなわち、人類の読書行動そのものが数百年前に革命的進化をとげたのだ
(「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの法則どおり、
個人の発達過程でも音読→黙読の進化を繰り返す)。
なので現代人の読書行動は、すでに能力(脳力)の限界にまで効率化されているといっていい。
だからこそ、その行動の不自然さ=読書の辛さが露呈されているともいえる。
読書行動をこれ以上効率化しようとするのは無理かもしれない。
もちろん、速読術という、”読む”速度を可能な限り高速化し、
”見る”速度に到達させるための技術が存在する。
速読術を少々トレーニングした個人的印象だが、
実は速読しやすい本ほど、文章を味わうに値しない駄文の小説か、
常識の範囲内の自己啓発書のような本であり、
結局それらはあえて読むに値しない、元来読書時間0でも済むものだったりする
(これは次の話題につながる)。
もっとも、完全な黙読ができていない人、
すなわち心の中で無自覚に音読しながら読んでいる(読む時自分の舌が動いている)人には、速読のトレーニングは意味がある。
ただし学術書など読むに値する=きちんと理解するに値する本は、
解釈作業を並行する必要があるので、見るのではなく読まざるをえない。
また、文章の巧みさ、美しさに酔いたい本も速読はもったいない。
さて、次の話題。
本をどう読むかの前に、どの本を選ぶかが重要だ。
読書の効率化の第一歩は、読むに値しない本は読まないこと。
せっかく買ったから読まないと損だと思うなかれ。
金銭的損失より時間的損失の方が損失として深刻だから。
なにしろ(本代ていどの)失った金額を回復することはたやすいが、
失った時間は決して取り戻せない。
そもそも読書を効率化したいのは、時間を有効に使いたいからのはず。
こういってもいい。
読んで面白くなければ(読む意味を感じなければ)、
我慢せずに即座に他の本に移るべきだ。
読むに値する本は、読むに値しない本よりもずっと多い。
学術書に限っていえば、できるだけオリジナル(原書)に近い本をよむべきで、
その解説書を3冊読むより絶対効率的。
たとえばフロイトの精神分析を知りたければ、
まずは彼自身による『精神分析学入門』を読むべき。
もっとも、精神分析そのものがもはや知るに値しないかもしれないが。
もちろん他の人によるすぐれた解説書というのは確かにあり、
それに当たればすこぶる効率的だが(数十冊の本が一冊に凝縮されている)、
あまたの類書からそれを選ぶのが実に難しい(図書館に行ってみなされ)。
章立てがきちんと構造化されているかどうかがポイントか。
今ではネットの読者コメントが参考になろう。
逆に「マンガで分かる」シリーズなど、一見バカにされそうだが、
解説部分は結構優れている。
しきいを低くするためのマンガ部分に非効率性(本筋とは関係ないストーリー展開)
があるのは致し方ないが、むしろ文字テキストの情報効率の良さが実感できるというもの。
ついでに関心をもった特定領域について、
解説書→専門書→学術論文の順で合わせて10冊(編)ほど
読書ノートを取りながら(以前紹介したワードのアウトラインモード推奨)
続けて読んでみなされ。
2冊目から情報がダブりはじめ、
冊数が進むと、やがてほとんど新しい情報が得られなくなる(=飽和する)はず。
そうなった段階で、あなたはその領域について人に解説できるほどの知識を得たことになる(読書ノートがあなたの知的財産)。
その域に達すれば、その領域の新しい本は、全部を読む必要はなくなり、
新たな知識の所だけを読めば済む(もちろん、読書ノートに追加)。
こういう読み方(拾い読み)も効率化に貢献する。
ちなみに、ネットで情報を検索すると、ヒットしたサイトのほとんどが同一の情報源に頼っている場合がある(すぐに飽和する)。
情報の探求が浅いのだ。
やはり専門書の方が情報源として信頼性がある。