今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2016年を振り返る

2016年12月30日 | 歳時

年末恒例のこの”振り返り”のため、今年一年間のわが記事を読み直したのだが、例年通りたいへんな労力だった。
読者のみなさんにはその苦労をさせないため、ここにダジュスト版を示す次第。

今年は自分にとって干支を一周した記念すべき年(さらに勤務先では勤続25年の表彰を受けた)。
確かに寄る年波で健康問題が次々とやってきた。
利き腕の肘が腱鞘炎になり(3月)、毎日の服薬に新たに眼圧を下げる目薬(9月)と3つめの降圧剤(11月)が加わった。
ただ、コレステロール値(悪玉)は昨年の要治療レベルから改善した。これは食事の改善とDHA・EPAサプリのおかげだろう。

しかし何と言っても一番の出来事は、母の脳梗塞だった(2月28日)。
幸い、梗塞は小さく、母は自分で救急車を手配するほどしっかりしていた。
半月の入院の後、自宅でのリハビリをして、今ではほとんど回復している。
といっても寒候期、再発に注意したい。 

自分の活動関係では、ノルマとしている「年に2本の論文」を今年も達成(毎年秋はこのために一人呻吟する)。
今年は学外での活動が増えた。
「楽しまれる恐怖」の心理研究者として雑誌「日経ウーマン」にインタビュー記事が載り(3月)、NHKのEテレ(Rの法則)に登場した(8月)。
計測マンとしてだが中日新聞(愛知版)にも載った(5月)。
恐怖の話題で横浜の中学校で講演し、防災士として三重で講演した。

気象予報士としては、勤務先の私設「日進気象台」と実家の「本駒気象台」の観測・配信業務が再開できたのがうれしい。

災害関係で驚いたのは熊本地震(4月)。
なぜなら熊本は過去1300年間の記録ではM7以上の地震がなく、私自身もブログで”安全”とみなしていたから。
さらに、最大震度である7が2回発生したこと。
本震の後に、本震並みの余震はないという常識が覆された(厳密にはそれぞれ断層が異なる)。
まさに、地震はいつ・どこで起きるかわからないということが身にしみた(鳥取地震も活断層でない所で発生)。

趣味の世界では、山にはほとんど行かず、山頂に立ったのは愛知の最高峰茶臼山(1415m)と三重・鈴鹿の鎌ヶ岳(1161m)だけ(いずれも車で8合目まで行ける)。
山の代りとして足跡を残した山城は、国別に列挙すると、武蔵は松山城、五日市戸倉城。下総は臼井城、本佐倉城。相模は石垣山城、小田原城、津久井城。上野は名胡桃城。下野は多気城、宇都宮城。信濃は上田城である。

昨年末に新車に買い替えたこともあり、しばらく休止していた川(河口〜水源)に沿う旅を再開した。
西三河の矢作川沿いを河口から水源の茶臼山まで車でさかのぼり、東京では神田川、その支流の善福寺川、妙正寺川を歩いた。
別の旅でのテーマである「岬巡り」には、千葉の富津岬に行き、これぞ突端という風景を堪能した(ついでに別テーマ「小笠原氏史跡の旅」による正珊禅寺にも立ち寄る)。
はじめて行った温泉は、月川温泉(南信)、瀬音の湯(東京)、雄琴温泉(滋賀)。
再訪だが、改めて測った養老温泉(西濃)の濃さに感動した。

計測マンの進化は留まるところを知らない。
新たに加わった紫外線測定器は、UVindexではなく、その元になる紫外線量(測定帯域250-390nm)を直接測定できる。
生体計測もさらに充実した。
血管年齢を測る脈波伝導速度(PWV)測定器、食後血糖値を測る尿糖検査キット、
そして脳波(左右の前頭・側頭)の計測とバイオフィードバック装置。

このようにアクシデントはあったものの、結果的には大過なく、経験値を積み増しすることができた。
もうこの歳で「飛躍の年」など期待しない。
時間を止めることはできないが、その変化はできるだけ線型であってほしい。
日々を着実に生きて、ゆっくり確実に人生の目標に向かって進んでいきたいからだ。 
非線型事象である地震にだけは備えておかないと。 


大掃除には重曹

2016年12月29日 | 生活

実家の大掃除で私の担当は浴室。

浴室の一番の難物は床面の隙間(すべり止めの凹凸がある)に入り込んだ汚れと、目止めのパッキンにこびりついた汚れ。
毎年、ブラシ状もので、浴用洗剤をふんだんに使って力任せにゴシゴシやっていた。

ところが、今年は違う。

重曹の粉を水に溶かし、それを柔らかいスポンジにつけて拭けば、苦もなく落ちる。

重曹なので、手も荒れないし、換気も必要ない。

それに磨く面を傷つけなくてすむ。
さらには、安い(100円)。

水あかを落としやすいので、キッチン廻りにも使え、洗濯にも使える。 
安い掃除用でなければ、入浴剤(重曹泉)、料理にも使える。
プラシーボ用の偽薬に使われるくらいだから、体に入れても無害(薬と信じて飲めば、健康にいい)。

またしても目からウロコ。
魔法の粉だ。


ガラケー最後の更新

2016年12月28日 | 生活

長年使っていたガラケー(N705i)がついに壊れた。
液晶画面が内側から壊れて画面が一切見えなくなってしまったのだ。
何もしていないし、前兆もなかった。

本体は正常なので、通話も、フェリカ(おサイフケータイ)も使える。
私にとって携帯はフェリカ利用がほとんどなので、このままでも不便はないが、いざという時に番号を暗記していない先に発信できない(メニューが全く見えない)のは不便そうだ。

幸い「補償サービス」に入っていたので、5000円ほどで交換できる。

ところが10年以上使っているこの機種はもう無い。
なので現在販売されている最新型!と交換できる。
といっても、ガラケー自体がサービス停止方向なので、最新といっても2年前の在庫品。
いわば最後のガラケーに更新したのだ。

そもそも私がガラケーを使い続けているのは、iPadminiと分業しているため。
いわゆるネット関係はスマホより小型タブレットの方が使い勝手がいい。
タブレットでできないのは通話とフェリカ機能だけなのでそれをガラケーに担当させている。

スマホとガラケー両方の経験者によれば、通話しやすさとバッテリーのもちはガラケーに軍配があがるという。
それにフェリカが使えれば、ガラケーはこのうえなく便利。
つまり合理的な使い分けなのだ(今後はApplePayによりフェリカ分野の優位性はなくなる)。 

さて、新機種に交換するにはハードルが2つある。
1つは、本体に保存してあるデータの移行。
画面が見えれば何ら問題ないのだが、見えないのでどうしようもない。
一応、パソコン接続ソフトを使ってパソコンにデータをコピーした(この操作はパスワードを入れる程度なので画面は不要)。
だが、このソフトは新機種に対応していない!
有料のデータ移行サービスなるものがあるが、代金8000円に値するデータ量ではない。
うれしいことに、ドコモのショップで電話番号の移行をやってくれた。

今一つのハードルはフェリカで使っているEASYモバイルSuicaとEdyの残額。
前者はスイカ経由で残額の移行が可能だが、手続きと手数料がとられる。
後者は故障による機種変更の場合は、残額が消える(以前もそうだった)。
運悪く、両方ともチャージしたばかり。

一番いいのは、今の携帯で使い切ること。
いずれとも、新機種になって申込みし直せばよい。 
まずEdyを使い切るため、池袋に行ってEdyが使えるビックカメラでプリンタのインク、やまやで日本酒を買う。いずれも正月を迎えるのに必要だった。
翌日はスイカを使い切るため、 再び池袋に行った(もちろん山手線もスイカ)。
正月用の萩かまぼこを買おうと西武百貨店に行ったら、ここは非対応。
並びの三省堂は対応しているが、同じフロアの山野楽器は非対応。
楽器の教本を買いたかったので、ジュンク堂書店に行ったら、ここはスイカ対応!
しかも山野楽器にあった教本もある。

かくして、思い残すことなく新しいガラケーに移行した。
最新の画面は、昔のWindowsの嫌われ者だったイルカのように、やたらうるさい画面で、余計なお世話的押し付けサービス画面を整理するのに一苦労(そういうサービスを求めるならスマホを使うだろう)。
ガラケーのユーザー層(合理主義者)を見誤っている。 
ガラケーには無愛想なくらいのシンプルさが似合うのに。


余裕のある靴からぴったりの靴へ

2016年12月26日 | 健康

店で靴を選ぶ時、ぴったりのサイズより、いくぶん余裕のあるサイズを勧められる。

自分自身、元から外反母趾であるため、靴が拇指の付け根に当たらないよう、幅広の靴を選んできた。
幅がワイドでない靴の場合は、サイズを大きめにする(もちろんインソールを付ける)。
足のどこにも靴が当たらないのが快適だと思っていた。

その結果、私の足は横アーチがなくなって開張が進み、本来足の中心側に位置する第二・第三指の中足骨頭部分が下がりきって床に当たる
(靴底のその部分が一番すり減る)。
同じ基準で選んだ山靴で山に行くと、日帰り登山でも指の爪が内出血して黒変し、爪が死んでぺろりと向けてしまう。
足の第四指は内側に湾曲している。

私のこの足は間違った靴選びの結果であることを最近知った。
一番参考になったのは、西村泰記著『その靴、痛くないですか?』(飛鳥新社)という本で、ぴったりした靴ではなく、
ゆったりした靴を履くと、開張足になって、足の指が圧迫されて曲がってしまうという。
私がその通りになった。
実際、靴を履いて痛むのは、拇指の付け根ではなく、爪先なのだ。

そこで、お気に入りの靴※のあえて1サイズ小さいものを新たに買いに行った。
今までとは異なった基準で初めて購入するには勇気がいる(値段もそれなりだし)。
試し履きすると、圧迫感すら感じるから自信がなくなる。 

店員は、あいかわらず1サイズ大きめのを勧めるので(そのサイズは前回購入済みなんだよ)、
決断が鈍ってしまい、日と店を変えて、思いきって買った。
そして、今日、履きおろして繁華街に買い物に行った。

今までは靴の中で足が動いていた。
今回は、足にぴったり靴が密着しているので(それを圧迫感だと感じていたわけだ)、歩くと、靴と足が同じ運動をしている。
だから、足のどこにも靴がぶつかることがない。
爪先が痛くなる1サイズ大きい靴と違って、どこも痛くない。 

恥ずかしながら、この歳になって目からウロコが落ちた。

※お気に入りの靴とは、メレルのカメレオン5ストームモックゴアテックスの黒。
幅は2E(自分は3E以上でないとダメだと思い込んでいた)。
底がビブラム、アッパーがゴアテックスという理想的なアウトドア仕様ながら、
紐なしのスリップオンなので、通年・全天候・アウトドア〜タウンのどこにでも履いていける優れもの(スーツには合わない)。
スーツ無用の私ならこれ一足で季節・天気・場所に関係なくすべてすごせる。
特に観光地では、靴を脱いて入る所があるので紐付きは面倒。
かといって山道も歩くので底はビブラムでないと。
ゴアテックスだから雨も平気で、真夏も蒸れない。 


わが家のホリデー週間始まる

2016年12月24日 | 歳時

子どもが3人いる我が東京の実家では、私が帰省した天皇誕生日に、クリスマスパーティを祝った。
大人たちは発泡ワインでシャンパン気分にひたり、義妹の作る料理に舌鼓を打ち、私の名古屋土産の手羽先もかじってもらった。

サンタ役ではない私は毎年、お菓子の入った長靴を子どもたちにプレゼントしている。
あれって、お菓子はたいしたことないのだが、長靴がうれしいのだ(足が入るならなおさら)。 

そしてイブの24日は、先日大人買いした「バッハ全集」(CD173枚)の「クリスマス・オラトリオ」を流しながら、賀状の原版作り。

クリスマスと正月を共に祝う「ホリデー週間」にふさわしい。 

さらにわが家では、25日は、イエス・キリストと同じく甥っ子の誕生日なので、クリスマスとは別個に祝宴(年に一度の餃子パーティ)となる。


火災の危険度となる気象情報

2016年12月24日 | 防災・安全

糸魚川市の大規模火災には、心を痛める。
人的被害こそ、死者0であるが、焼け出された人たちは、すべてが無くなって年末年始を迎えるとは夢にも思ってもいなかったろう。
今は茫然となっているにちがいない。

このような大規模火災は、日本では昔から多く(百万都市の江戸も幾度も経験)、近代以降になっても特に日本海側で目だつ。

大規模火災になると、既存の消火システムはお手上げになってしまい、山火事のように、鎮火を待つしかなくなる。
こうなったら自然災害と同じ規模になり、その損害額は個人の能力を超えてしまうが、自然災害ほどの法的ケアがない。

なので、できるだけ直接原因となる出火を抑えるしかない。
自然災害でないので、それは可能だ。

大規模火災が発生するのは、出火レベルから、延焼レベルまで複合要因が重なったものだが、気象条件も複合的に重なっている。

気象条件からみると、まずは、火災になりやすい大気状態であることの確認が第一歩。 
以下の2つがかかわる。
①乾燥:空気と可燃物が乾燥していて燃焼しやすい状態

②風:燃焼を拡大する酸素を供給する風が強い 

①は空気に関しては、相対湿度が分りやすい指標となる(他に絶対湿度)。
一般に相対湿度が30%を切ると「乾燥」となる。
ただし、同じ30%でも気温が高いと飽和(100%)に至るまでの水分量が増えるため、
絶対湿度でいうと、気温が低い、つまり夏より冬の方が、水分量が少ない。
夏より冬に火災が多いのは、暖房の火という原因もあるが、冬の方が絶対的に乾燥しているためだ。

さらに、物が発火・着火しやすいのは、空気の乾燥だけでなく、物自体が乾燥しているためである。
それは大気中のその時刻の相対湿度では測れない(降水後は湿度が低くなっても物は湿っている)。
これに対応する指標は、「平衡含水率」というもので 、いわば”木材の湿り気”を表している。
この平衡含水率は、気象庁からは発表されていないが、モデル計算が可能なので、私のような私設気象台で常時情報提供している。
たとえば、今この記事を書いている9:30現在、わが私設「本駒込気象台」(東京都文京区)の平衡含水率は8.9%,
勤務先の「日進気象台」(愛知県日進市)では14.1%である(リンク先の画面の下の方、「参考」の真ん中へん)。
同時刻の相対湿度はそれぞれ、43%、71%である。
この地域差は、もととも東京が定常的に相対湿度が低いためだが(今日は気温も高い)、二日前の降水量の違いも含まれている。
平衡含水率はおおざっぱにいうと、15%以下で「乾燥」、
すなわち木材が燃えやすい状態といえる(両地ともだいたい冬の間は15%を下回っている)。 

②の風は、もちろん風速でわかる。
風向も注意してほしい。
日本海側では、南風だと、山越えの乾いたフェーンとなり、乾燥した強風になってしまい、ますます火災の危険が高まる。
今回の火災もこの南風によって延焼してしまった。
太平洋側だと、南風は暖かい湿った風となるので、むしろ湿度・含水率は上がる(さらに降水確率も上がる)。
こちらは北風(からっ風)に注意したい。 


卒論締め日

2016年12月22日 | お仕事

本日が今年の最後の授業で、卒論の締め日。

卒論はほとんどの学生にとって、人生で最大にして最後の論文執筆だ。
私はなかなかOKを出さず、あちこち細かい修正を要求する。

学生にとっては意地悪に思えるかもしれないが、完成度を高めるための壁として立ちはだかるのが私の役目だ。

学術論文や芸術作品は、このような”完璧”を求めることが必須であり、その壁を乗り越えることで、自分が次のステージに生まれ変わることができる。

つまり、卒論を仕上げることで、学生は次のステージに達することができた。

だから大学を卒業できる。

みんな、よく頑張った。
お疲れさま。 

 

 


養老温泉ホテルなでしこを見直す

2016年12月19日 | 温泉

お気に入りの東濃には頻繁に通っている私だが、西濃にはとんと足が向かない(といっても関ヶ原、養老の滝・天命反転地、伊吹山、夜叉が池、御池山、根尾谷などは日帰りで行った)。
ズバリ、温泉に乏しいからだ。

そんな中、養老の滝(居酒屋じゃなく、本物の滝)の近くに”養老温泉”を擁する「ゆせんの里・ホテルなでしこ」という温泉ホテルがある。

以前(2009年)利用した時は一人一泊17500円もしたので、毎月の温泉旅のリスト(1万円台前半)には入らなかったが、いつのまにか5000円ほど下がっていたので、堂々とリスト入りできる。

ここは、名神高速大垣インターを降りてほど近いので、東名名古屋インター近くのわが名古屋宅からだと、1時間以内で着いてしまう。
といってもここは濃尾平野の西の端、養老山地の麓で西側一帯に山が迫っており、転地効果はある。

ホテルは、宿泊棟とスパ温泉施設棟、それに日帰り用施設棟が別れており、宿泊棟はイタリアのアパート風で、ここだけは外国の雰囲気。

ただ部屋から出ると冬は伊吹おろしにさらされる。
なので作務衣の他に綿入りの半天と厚めのソックスも用意してある(替靴下がいらない)。

シングルルームのベッドはセミダブルで広く、部屋自体もビジホのような狭さがない。
部屋の作りはいいのだが、100%外国風なので、日本基準では室内の照明が暗く、読書は不可。椅子も簡素なので長いパソコン作業には不向きで、原稿執筆の”お籠り”には使えない(温泉施設館内にはゆったりしたソファがある)。

食事は健康食的で野菜類が多く、量的には小振りだが、満腹を求めない私には丁度いい。
鶏肉が苦手な私にとって、茶わん蒸しに鶏肉の代わりにエビが入っていたのも加点になる。

以前利用した時は、まだ私は”計測マン”でなかったので、今回は温泉の計測が第一目的。

泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物泉で、褐色になっている(鉄分は微量なので、カルシウムに次いで多いマグネシウムのせいだろう)。
湧出量が多いので、湯は源泉掛け流し(加温のみ)。

浸透圧は珍しく”等張性”で(たいていの温泉は低張性)、実際、全溶存物質(TDS)を測ると、8620ppmもあった。
電気電導率で表現すると 12960μSで、すこぶる濃い(五桁に達するのは私の過去の計測では他に2ヶ所だけ)。
酸化還元電位も-170mVを下回り、湯が新鮮だとわかる。

すなわち、ここは温泉の濃さ・新鮮さが卓越しており、温泉好きにとって実に入り甲斐がある。
温泉ソムリエとして、一挙にこの宿の評価が高まった。

温泉の評価として、濃さと鮮度が一番重要だと思う(いくら泉質が善くても、薄かったり・老化していたら温泉としての効果なし)。 

値段も手ごろになったし、 行き来もしやすい。
惜しむらくは、周囲に見所がなく(養老公園だけ※)、また室内もお籠り向きではないが(つまり連泊には向かない)、「一泊でも温泉に入りたい」時用の候補にしたい。

日帰り施設の食堂を使えば、更に宿泊費を下げられるし。  

※養老町のサイトを見たら、小さな名所旧跡はいろいろあるようだ。実際、私も小笠原氏関係でも訪れたことがある。


2016年の大掃除

2016年12月18日 | 歳時

勤務先の大学では、卒論の締切間近なので、週末も東京に帰らず、土曜の夕方まで指導した。
なので、ついでに名古屋宅の大掃除をする。
せめて年末の大掃除は、しないわけにはいかない。 

例年、日曜をフルに使って大掃除をするのだが、今回は日曜の午後に出かけるので、土曜と日曜の2回に分けた。

土曜の第1部は、居間の片づけ。
足の踏み場しかなかった空間から、整理整頓するだけで、床面が見事に復活。
床が見えるだけで、なんと住み心地がよくなることか(でもエントロピーの増大を防ぐことはできない)。

日曜の第2部は、台所・トイレ・浴室。
これら水周りは基本的に拭き掃除。
台所はIHに換えてもらってからたいして汚れなくなった。
いや、流しの生ゴミを日頃からためないようにした事が大きいか(流しの奥の”禁断の世界”がなくなた)。
一番の難物は浴室なのだが、風呂用洗剤ではなく、「重曹」で磨いた方が、壁や浴槽・床面の水あかがどんどん落ちた。
重曹は掃除以外に、入浴にも洗濯にも調理にも使え、人体にも無害(それに安い)。
こんないいもの、今まで使ってこなかった人生が悔やまれる。
鏡も、100円で売っているウロコ状のスポンジで、つやつやになる(昔の苦労は何だったのか)。
難物中の難物である浴室の黒カビは、日頃入浴後に浴室全体を熱湯シャワーすることで、繁殖を抑えている。

昼過ぎにここまで終えて、後は玄関を残すのみ(半ば物置と化しているが整理整頓ですむ)。

年に一度の大掃除を達成したので、昼食は握り寿司にしようと、近所のスーパーに買いに行く。
最初に成城石井に行ったが、いつもの貧乏性が出て、マツザカヤストアに足を伸ばして約半値の方を買った。
ここで贅沢しても意味ないし。 


北方領土の今後を思う

2016年12月16日 | 時事

日露会談後の安倍首相の説明を聞いて、力づけられたので言うと、
私は学生時代の昔から、北方領土は日露(当時は日ソ)の「共同管理」が最適な落とし所だと思っていた。

なぜなら、日本が主張する4島返還は(もちろんそれが正当だとは思うが)、ロシア側からすると100%ありえないからである。

であるから日本がこの主張をかたくなに続けることは、現実的な解決を放棄した、建前だけの遠吠えにすぎないと思っていた(可能なのは武力による解決だけ)。

なぜ共同管理かといえば、現実にそこに住んでいるロシア人を追い出すことは人道的にできないからであり、彼らと共存するしかなく、またそれが可能だと思っていたからである。

すなわち、国境というものが存在しない、世界でも稀な共同地帯の構築である。

だが、領土に強欲で、条約も一方的に破棄したロシア人がそんなことを許すのか。

確かに、第二次大戦直後の彼らの仕打ち(満州侵攻、シベリア抑留)は戦争犯罪的だ。

だが、その当時の事なら日本側だって自慢できるものではないし、お互いにその時だけの行動を普遍視するのも問題だ。

私は、日本人とロシア人との最初期の出会いに思いを遡らせたい。

18世紀にロシア(千島列島)に漂流した大黒屋光太夫の記録を見ると、哀れな日本人漂流民に対する彼らロシア人の親切につくづく頭が下がる思いになった(時の女帝にとっては政治的利用価値もあったろうが)。

それと、この一行のうちの一人は、現地に残ってロシア女性と結婚した。

たぶん、信頼できる記録として※最初に日本人と結婚した白人女性だ。

※実は、光太夫一行以前に日本人がいたことを彼らは教えられた(救助された漂流者で、1705 年に首都ペテルブルグに日本語教室が開講されていた!。講師は漂流者)。もっと昔に遣欧使節の一行がスペインに残ったかもしれないが確かな証拠がない。

上が事実なら、日本人が最初に愛し、愛された白人はロシア人だ。

シベリアにいるロシア人はヨーロッパの人たちよりは、モンゴロイドに対して違和感をもっていない。

彼らとなら、うまくやっていけるような気がする。
ロシア語はむずかしそうだけど。

ちなみに江戸時代のロシア漂着譚については、吉村昭『漂流記の魅力』(新潮社)が詳しい。


不覚にも風邪をひいてしまった

2016年12月14日 | 健康

ここ数年(もしかしたら10年以上)、「風邪をひかない」と豪語していた私が、不覚にも風邪をひいてしまった。

不覚をとった訳ははっきりしている。

ネットで購入したシルクのパジャマの保温性がよすぎて、寝ている最中に暑くなって、
掛け布団を足ではいでしまったのだ(ついでにパジャマのズボンも)。

それで明け方の寒気にやられてしまった。

不覚なのは、保温性に安心して、エアコンを明け方にONにするタイマーを入れなかったこと。
私を風邪から一番護ってくれていたのがこのエアコンのタイマーだったのに。

もっとも症状は、風邪声になっている程度で、べつだんの不快感もない(授業でしゃべるのはつらい)。

ただ雨天での夜間の外出は避けたいので、職場の忘年会は当日キャンセルした。 
なにしろ、今が卒論の追い込み時期。
ここで私が指導できなくなったら大変だ。 


「この世界の片隅に」を観た

2016年12月12日 | 作品・作家評

今話題となっているアニメ映画「この世界の片隅に」を観にいった。

平日の昼をねらって予約したら、客席はガラガラだった。
客層は、年配者が多い(働き盛り世代は来れない時間帯)。

アニメながら当時の考証が評判だというだけあって、実写やCGでなくてもリアリティにあふれ、自分の幼少期(昭和30年代)にあった生活用品の記憶も呼び覚まされた。

主人公よりいくぶん年少にあたる母から、戦争当時の生き様を聞いてきただけに、母の少女時代と重ね合わせて観た。

しかし、この作品は1回見ただけでは、 受けとめきれていないものが多く、したり顔で論じることはできない。

素朴な感想だけにしておくと、主人公は絵を描くのが好きということもあり、絵のような風景画面がよかった。
ほんとに昔の日本は、素朴ながらも美しかったと思う。

その主役の声を担当しているのは”のん”こと能年玲奈。
彼女を応援したい気持ちはもとからあった。
声だけとはいえ、まっとうな主役に巡りあえてうれしい。
感情表現の抑揚がよかった。

一番印象に残ったのは、砲撃の爆音。
これが場内に響いた瞬間、戦争というもののリアリティが全身を走った。

実際、主人公たちも今までのささやかな幸福を維持できなくなる。

そして戦争の悲劇・苦難を乗り越えて、人は生きていく。
私の親の世代は、そうやって生き(サバイブし)てきたのだ。
なるほど、人生がドラマなんだな。


宇都宮餃子を食べてみた

2016年12月11日 | 生活

今や「餃子の街」と化した宇都宮だが、住んでいない者には、どこの店にいけばいいかわからない。
うれしいことに「来らっせ」の東武宇都宮店では、12の店の餃子を1つずつ味わえる(680円)。
私は、餃子に飯も麺もいらない。
そういう食べ方ができるのもうれしい。

さて、12個の餃子を1個1個、ビールをちびちびやりながら、卓上にあった宇都宮中の餃子店の案内本を見ながら食べた(写真:前列左から、みんみん、味一番、玉ちゃん、飯城園、新三、ねぎにら餃子。後列左から、幸楽、餃子館、餃子会館、高橋餃子、悟空、雄都水産)。

 ちなみに、タレも宇都宮餃子用のタレを使っている(ご覧の通りラー油が多め)。
正直、(微妙な差はあるが)大きな差はわからない。
いずれも普通の餃子の範囲内だった。
実際、「宇都宮餃子」に対する観光客あるいは土産をもらった反応はこのようなもの。

そもそも宇都宮に餃子の店が多いのは、市民が餃子好きであるためで、何も観光用の特化品として意図的に開発されたものではない。
だから、宇都宮餃子っていっても、それは特別なものではなく、日常生活で食べるただの餃子だ。

それで悪いか。
餃子は、餃子であるだけでおいしいのだ。
実際、変わり種餃子や、一口餃子、あるいはジャンボ餃子などあえて趣向を変えたものは、私の舌では、いずれも、バランスが悪く、ただの餃子に負けた。
すなわち餡の構成、皮の厚さと大きさ、皮と餡の関係、裏面の焼き具合と表面の蒸し具合、それらが完成の域に達したのが(ただの)餃子なのだ。
ただの餃子が最高の餃子なのだ。
実際、「浜松餃子」もただの餃子だ(餃子の他にもやしがついているだけ)。

かように私も餃子は大好きなのだが、なぜか日常的な食べ物に近づけていない。
餃子は特別に付ける一品という位置にあるためだ(餃子が”常に付ける一品”になれるのは「王将」においてだけ)。 

店は地元の人たちで満席で、家族連れは餃子を大皿で注文し、取り分けている。
かような餃子パーティはわが家では手作りで年に一度程度。 

私にとって、思い立ったらいつでも餃子を食べられる宇都宮市民は幸せ者だ(有名店でも5個250円程度)。
どこでも「あんかけスパ」が食べられる名古屋市民が幸せ者なように。


大谷・宇都宮巡り

2016年12月11日 | 

ボーナス直後の(東京発)日帰り旅として、贅沢にも新幹線で宇都宮に行った。

行き先は、高校卒業の春休み以来の大谷観音(磨崖仏)と、城廻りとして宇都宮城。
その時行かなかった地中の大ホール「大谷資料館」も行きたい。
さらに前日気づいたのだが、近くの多気山は、全山城址だという。 
山城ファンとして外すわけにはいなかい。
もちろん、餃子も食べる。
以上、かなり充実できそう。

大谷に行き、市内も巡るなら、関東バスの「大谷観光一日乗車券」がお得。
駅の観光案内所で尋ねれば、関東バスの売り場を教えてくれる。 

大谷に行くバスに間があったので、さっそくチケットを使って、馬場町で降り、市街地の二荒山神社をお参りした。
まずは訪問地の産土神に挨拶したかった。

大谷を通る「立岩」行きのバスに乗って、「大谷資料館前」で他の乗客とともに降りる。
しかし、私だけ別方向に歩いて、多気不動に向かう。
高校の時も、この不動まで足を伸ばし、門前のうどんがおいしかったのを覚えている。

ところが、その店は建物はあるのだが廃業の跡。
昼食の予定が…

不動にお参りして、多気山頂への登山道に入る。
するとここでも、山道に入った途端、すれ違う人と挨拶をかわす。

山の登りは、マインドフルネスが実践しやすい。
登りの身体的負荷が、いやおうなく身体への気づきに導くからだ。
そしてゆっくり進むため、踏みしめる道の触覚、顔にそよぐ風、落ち葉を踏む足音、一歩ごとに変わる視野をじっくり味わえる(システム3)。

多気山も300m台と低いので、ほどなく山上に出て、
筑波山までの広大な風景が開ける(写真)。
山上を歩くと、土塁や堅堀を確認できる。

山を下る時は、マインドフルでなくなり、視覚情報にたよってすたすた降りる自分(システム1)と、
それらとまったく無関係なことを考えている自分(システム2)の並立状態となる。

巨大な人工洞窟の大谷資料館は、気温だけは外と差がないが、日射がないぶん体が冷える。
照明による演色で 洞窟というより、夜の街にいるよう。

大谷石は、流紋岩質角礫凝灰岩で、 大谷付近にしか分布していない。
逆に大谷では、いたるところに露岩があり、岩の中に人家がある感じ。
大谷石の固有性もあって、ここ大谷だけが独特の景観を展開している(写真)。

大谷観音もこの大谷石を磨崖仏にしたものだ。
 平安から鎌倉にかけて彫られた仏像は、敦煌の石窟を彷彿させる。

昭和に彫られた27mの平和観音は、一見すると異様だが、正面からちゃんと見ると上品な顔立ちだ。

バスに乗って宇都宮市街に戻り、「来らっせ」で宇都宮餃子を12個食べ比べ(詳細は次の記事にて)、
大谷石で造られた松が峰教会を一瞥し、最後の目的地・宇都宮城址に達した。
ここは復元された櫓が2つあり、資料館もある(資料を購入)。
私としては、この城を一時奪取した土方歳三の足跡を追う意味もあった。

以上、予定をすべてこなして、冷凍餃子を土産に、新幹線で帰途についた。
歩数は2万歩を越えた。 


本駒込気象台再開

2016年12月10日 | お天気

観測器の老朽化で、観測・配信業務を停止していた、わが私設「本駒込気象台」(東京都文京区本駒込)の観測・配信業務が、機種交換によって本日より再開できた。

ただし、予算の都合で新機種は半値以下の廉価版なので、日射量とUVindexの観測が除外となる。

これらの観測項目以外のソフト部分は同じ扱いができるため、以前の配信画面を使用。
具体的な観測項目は、気温、相対湿度、気圧、雨量、露点温度、 風向、風速、体感温度など(実況値と本日の極値)。
経時グラフ付きのパソコン用と文字だけのモバイル・携帯用の2種類の画面を用意した。 

近所の人は現況のチェックに利用してほしい。→「本駒込気象台」トップ

観測データを受信してネットサーバーにアップするパソコン(IBMのThink Pad)も、寿命が尽きかけていたので、職場のお古を譲り受けた(XPからWiondows10に!)。

屋外で猛暑・極寒・大雨・強風・紫外線の中、休みなく観測する機器は5年持てばいいほうだという(私は10年使った)。
パソコンも昼夜を問わず15分起きに作動する(用途はこれ専用なので、動けなくなるまで使い倒す)。

つくづく思うのは、人間ができない作業を黙々とやってくれるメカに必要なのは、何をおいても耐久性だ。