年末恒例のこの”振り返り”のため、今年一年間のわが記事を読み直したのだが、例年通りたいへんな労力だった。
読者のみなさんにはその苦労をさせないため、ここにダジュスト版を示す次第。
今年は自分にとって干支を一周した記念すべき年(さらに勤務先では勤続25年の表彰を受けた)。
確かに寄る年波で健康問題が次々とやってきた。
利き腕の肘が腱鞘炎になり(3月)、毎日の服薬に新たに眼圧を下げる目薬(9月)と3つめの降圧剤(11月)が加わった。
ただ、コレステロール値(悪玉)は昨年の要治療レベルから改善した。これは食事の改善とDHA・EPAサプリのおかげだろう。
しかし何と言っても一番の出来事は、母の脳梗塞だった(2月28日)。
幸い、梗塞は小さく、母は自分で救急車を手配するほどしっかりしていた。
半月の入院の後、自宅でのリハビリをして、今ではほとんど回復している。
といっても寒候期、再発に注意したい。
自分の活動関係では、ノルマとしている「年に2本の論文」を今年も達成(毎年秋はこのために一人呻吟する)。
今年は学外での活動が増えた。
「楽しまれる恐怖」の心理研究者として雑誌「日経ウーマン」にインタビュー記事が載り(3月)、NHKのEテレ(Rの法則)に登場した(8月)。
計測マンとしてだが中日新聞(愛知版)にも載った(5月)。
恐怖の話題で横浜の中学校で講演し、防災士として三重で講演した。
気象予報士としては、勤務先の私設「日進気象台」と実家の「本駒気象台」の観測・配信業務が再開できたのがうれしい。
災害関係で驚いたのは熊本地震(4月)。
なぜなら熊本は過去1300年間の記録ではM7以上の地震がなく、私自身もブログで”安全”とみなしていたから。
さらに、最大震度である7が2回発生したこと。
本震の後に、本震並みの余震はないという常識が覆された(厳密にはそれぞれ断層が異なる)。
まさに、地震はいつ・どこで起きるかわからないということが身にしみた(鳥取地震も活断層でない所で発生)。
趣味の世界では、山にはほとんど行かず、山頂に立ったのは愛知の最高峰茶臼山(1415m)と三重・鈴鹿の鎌ヶ岳(1161m)だけ(いずれも車で8合目まで行ける)。
山の代りとして足跡を残した山城は、国別に列挙すると、武蔵は松山城、五日市戸倉城。下総は臼井城、本佐倉城。相模は石垣山城、小田原城、津久井城。上野は名胡桃城。下野は多気城、宇都宮城。信濃は上田城である。
昨年末に新車に買い替えたこともあり、しばらく休止していた川(河口〜水源)に沿う旅を再開した。
西三河の矢作川沿いを河口から水源の茶臼山まで車でさかのぼり、東京では神田川、その支流の善福寺川、妙正寺川を歩いた。
別の旅でのテーマである「岬巡り」には、千葉の富津岬に行き、これぞ突端という風景を堪能した(ついでに別テーマ「小笠原氏史跡の旅」による正珊禅寺にも立ち寄る)。
はじめて行った温泉は、月川温泉(南信)、瀬音の湯(東京)、雄琴温泉(滋賀)。
再訪だが、改めて測った養老温泉(西濃)の濃さに感動した。
計測マンの進化は留まるところを知らない。
新たに加わった紫外線測定器は、UVindexではなく、その元になる紫外線量(測定帯域250-390nm)を直接測定できる。
生体計測もさらに充実した。
血管年齢を測る脈波伝導速度(PWV)測定器、食後血糖値を測る尿糖検査キット、
そして脳波(左右の前頭・側頭)の計測とバイオフィードバック装置。
このようにアクシデントはあったものの、結果的には大過なく、経験値を積み増しすることができた。
もうこの歳で「飛躍の年」など期待しない。
時間を止めることはできないが、その変化はできるだけ線型であってほしい。
日々を着実に生きて、ゆっくり確実に人生の目標に向かって進んでいきたいからだ。
非線型事象である地震にだけは備えておかないと。