今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

米大統領選の結果に思う

2024年11月06日 | 時事

トランプ氏が大統領に復帰した。
すなわち2度目の大統領である。
しかも当初の予想以上の差がついた。

その理由は明白で、トランプ氏は大統領の実績があり、その時のアメリカ別に大きな問題は発生しなかった(少なくとも彼の治世は悪夢ではなかった)。
それに対し、その次のバイデン大統領下では、アフガン撤退などあまりよい記憶がなく、高齢による衰えの不安が増してきていた。
その不安のあるバイデン氏の下にいて何の実績もない(タナボタでお鉢が廻ってきただけの)ハリス氏に、期待を抱くのは難しい。

女性で非白人という”マイノリティ”しか売りにならない。

今朝、テレ朝のモーニングショーで、玉川氏が、”ハリス氏が負けたら、アメリカの女性差別の深刻さは人種差別以上だ”と述べたが、なんと短絡的な発言か。
女性候補が大統領に選ばれないと性差別なら、レディ・ガガあたりが民主党候補になって落選したらそれは性差別が理由となるだろうか。
そうではなく、政治家としての能力に対する評価だろう。

また、自民党の総裁選で、高市氏が石破氏に逆転で負けた時、玉川氏はそれを女性差別と断じたか。
彼の政治スタンスなら、高市氏は首相にふさわしくないと言うだろう。

日本人の多くは、トランプ氏が大統領に返り咲くことに、別にうれしくはないだろう。
ただ、彼に対しては、それなりに予想ができる。
それに対して実績も定見もないハリス氏の方が不安定要素が強過ぎる。

考えてみれば、日本の現首相もかなり不安定要素が強いが、今回の選挙結果で、非自民党の力がうまく作用する可能性がある。
内政はともかく、彼がトランプ、プーチン、習近平らとどこまでやり合えるか、こっちも不安だ。

 


国民民主党に期待

2024年11月01日 | 時事

今回の衆院選で、私は地方区は白票を投じたが、比例区は「国民民主党」と書いた(「民主党」とだけ書くと立憲民主党と票が折半される)。
※:候補者は、自民・立民・維新・参政だったのでどれにも入れたくなかった。

私のような人が多かったので、国民民主党は比例区の候補者数を超える結果となってしまったほど。

きちんと国益を守り、(19世紀の)古臭いイデオロギーに支配されない、現実的に国民生活を守る視点(口先だけのポピュリズム政党との違いが重要)のある政党として唯一評価していたから。
そして立場が近い「維新」との質(品性)的違いも有権者にはわかってきたようだ。

今までは立民と維新の間に挟まれて存在感が薄かったが、単なる「反対野党」(旧社会党の立ち位置)ではなく、政権担当可能な責任感ある野党としての信頼を得られる機会が訪れた。

キャスティングボートを握る今の立ち位置によって、立民や公明・維新よりも政策を反映させることが可能となっている(むしろ自民党から頼られそう)。

その政策が実現すれば、単なる万年野党第一党ではなく(立民はこの位置に居座ってしまった)、自民党に代わる政権政党として、不承不承に自民に投票してきた(自民党の金権体質にはうんざりだが、経済と外交・防衛政策能力が無い左翼政党には国政を任せられないと思っている)人たちをごっそり取り込むがことができる。

政権担当可能な政党が2つになることで、そうなって初めて、日本に民主主義政治が実現する。

個人的には、名古屋市で減税と財政健全化を両立してきた河村たかし氏(現保守党)との連携も期待したい。


理解できない事態:追記あり

2024年10月31日 | 時事

衆院選での自民の大敗、立民・国民の躍進は予想通り。
ワールドシリーズのドジャース優勝もあの勢いで理解できる。

唯一理解できないのは日本シリーズで、セリーグ3位のベイスがパリーグの覇者ホークスを連続25イニング0点に押えて3連勝し、日本一に王手をかけたこと。
しかも敵地福岡ドームで。
逆なら理解できるが、この現実は理解できない。
応援するのはどちらかというとベイスなのだが、実力的にはホークスが上のはずなので、私の理性が困惑しているのだ。

ベイスのピッチャーってそんなにすごかった?
むしろホークスの打線がスランプなのだろう。

ヤンキースのジャッジが今まで打てなかったように、短期決戦だと個人の不調の波と被ることはある。
でもチーム全体の不調というのは確率論的にありえない(好調な選手に替えればいいだけだから)。

一日あけて場所が横浜に戻ると(本来的にはベイスに有利なはずだが)、調子が変わるかも知れない。

私は CS必要論者だが、やはり「日本一」の座は実力のあるチームが勝ち取ってほしい。


11月3日追記:なんとベイスターズが4連勝して日本一となった。
しかも大差をつけての勝利。
相手打線を抑え、相手のピッチャーを打ち崩したのだから、素直に”強い”と認めざるを得ない。
おそらく、 CS以降で選手たちが急成長したのだろう。
高校球児が甲子園で成長するように。

そもそもベイスターズは12球団で最後まで優勝経験がなかったチーム(前身のホエールズ時代を含む)なので、その優勝は”私が生きているうちにこの目で見たいこと”の1つになっていた
※:他には、”自民党以外の政権”というのがあり、これも実現した。あまりいい思い出でなかったが。

なのでそれが実現した時は、その分だけ「もう思い残すことはない」という気持ちが上昇した。
そういう思いのあったチームなので、今回の日本一もそれなりに感慨深い。


政権交代を実現する奇策

2024年10月28日 | 時事

今回の衆院選は期待通りの結果になったが、立憲民主党の躍進は、自民党への”お灸”効果であり、政権交代への期待とはいえまい。

なぜなら、政権交代できる政党は「反自民」ではなく、自民支持者をも”奪う”超自民である必要があるから。

なので今後期待したいのは、自民党を左右から挟撃できる国民民主党と日本保守党の連携だ。

前名古屋市長で「減税日本」の代表だった河村たかし氏の国政復帰に期待したい(氏は減税して税収を上げた)。

ポイントとなるのは、イデオロギーに基づく政策以上に、自民党が嫌がられたあの”体質”である。

クリーンな体質で、(イデオロギーに先走らない)地に足のついた政策能力のある政党を期待したい。


CS不要論に物申す

2024年10月26日 | 時事

奇しくも、メジャーリーグのワールドシリーズと国内プロ野球の日本シリーズが同日スケジュールで進行する。
土曜に用事がなくなったので、昼はドジャースのサヨナラ満塁逆転ホームランを観て、夜は日本シリーズの中継を観ている。

その日本シリーズだが、セリーグ3位のベイスターズがCS(クライマックスシリーズ)で首位ジャイアンツを破ってセリーグ代表として、ホークスと戦っている。

そのセリーグのCSだが、ペナントを制したジャイアンツと8ゲーム以上の差があった3位が勝ち抜いたことに、今回も批判がが出ている(ベイスがこうなる度に批判が出る)。
これではペナントレースの意味がないと。

その批判は、ペナントレースを日本シリーズよりも優先する論理だ。

ここであえて、日本シリーズを最優先する論理を示してみる。

プロ野球の年度総決算を日本シリーズに据えるなら、日本シリーズは、両リーグの最高度の激突(勝負)であるべきだ。
すなわち、過去の順位でなく、実際の試合において相手リーグの代表を倒せる”勢い”、客観的には選手たちのコンディションの良さが優先される。
それを確認するのがCSとなる。
たいていはペナントを制したチームがCSを制しておかしくないが、勢い(コンディション)が下降気味だと、リーグ代表として日本一を争うには心もとない。
あくまで”日本一”こそ、その年度のチームが目指す頂点なら、ペナントの優勝の価値は次善のレベルとなる。

高校野球に当てはめれば、県大会(県代表)と甲子園のどちらを上位に置くかに相当する。
スポーツなら、より上位に目標を設定すべきであることは論を俟たない(大谷自身がそうだった)。
すなわち、日本一を争うにふさわしい(勢い・実力のある)チームが日本シリーズを戦うべきで、そうなるとペナントレースはその一次予選(参考)という位置づけになる(そしてCSは二次予選)。

私にとって、あまり興味のない日本のプロ野球はずっと前からこの解釈で、なので観るのはCS以降だ。

今回の日本シリーズでは、個人的にはベイスを応援したいが(セリーグでは2番目に応援)、ホークスが負けると、パリーグ1位がセリーグ3位より下(セリーグ4位と同等)となってパリーグのメンツ丸潰れになるので、実力通りホークスが日本一でいい。


不在者投票してきたが

2024年10月21日 | 時事

第50回衆議院選挙の不在者投票してきた。

民主主義国家の主権者の一人として意地でも棄権しない(=独裁政治を認めない)ためだが、地方区は”入れたくない政党”ばかり、すなわち相対的基準でも選択できなかったので、やむをえず白票を投じた。

私は、”お灸を据える”ためとか、”死に票にしない”ために、投票先を選ぶことはしない。
自己の信念に背いた投票は有権者として不誠実である。
実際、過去に”お灸を据える”ために投票して後悔した人はたくさんいるはず。

比例区は入れたい政党名を書き、最高裁判事の審査はいつも通り全員×。

減税を端から選択肢に入れない政党(3つある)は選択外、ただし聞こえがいいだけの”消費税廃止”には与しない。
”国民”のための地に足がついた政策を出せる政党に期待したい。

判事の国民審査は全く形骸化しているので、せめて真剣な審査結果のボーダーラインの底上げに貢献したつもり。
実際に否認される判事が出たら、慌てて制度を変えるかも。


SHOGUNのエミー賞受賞を慶ぶ

2024年09月17日 | 時事

日本人が歴史的に構築した究極的な人間モデルの1つである「武士(サムライ)」。
明治以降、日本社会自体が、その実現を不可能にしたものの、すなわち社会階級としての武士は歴史的に絶滅したものの、いまだに時空を超えた人間モデルに値することが証明された。

その証明に尽力したのが真田広之である。
「たそがれ清兵衛」、「ラストサムライ」などで武士を演じてきた彼は、かつての三船敏郎を継いで、現代世界で武士を表現してきた。
その努力が実ったことを心から慶びたい。
彼のおかげで武士の心を世界で共有できるから。

ちなみに、小笠原流礼法という武家礼法を嗜んでいる私は、刀を持たず(人を斬らず、切腹をせず)とも、日常の起居進退において武士であることを実現できると思っている。
むしろそれこそが、廃刀令以降の日本人が現実に実現できる武士の在り方だと思っている。
階級や職能、あるいは身なり(ファッション)としての武士は過去の遺物だが、人間モデルとしての武士を、リアルに生きることは可能だ。

ただ、武士は特定他者(主君)との関係性を前提とする相対的存在である点で、究極の存在ではない。
すなわち、私が日常でそれ的に生きても、それが生きる目標であるわけではない。
話が逸れてしまった。
改めて、『SHOGUN』のエミー賞受賞を心から慶ぶ。
おめでとう。そして、ありがとう。


失言バッシングの風潮

2024年08月15日 | 時事

本日のテレビ朝日の「モーニングショー」で、スポーツ選手へのパフォーマンスへのネットでのバッシングと、最近話題の芸能人の失言へのバッシングとが共通の問題として取り上げられていた。
このようにバッシング対象を類別すると、見る側にもその視点が刺激される。

というのも、失言バッシングの対象なら、芸能人だけでなく、政治家もその対象だったと思い付かせてくれるから。
いやむしろ、そもそも政治家、とりわけ閣僚級の人たちの、国会答弁や記者会見ではなく、内輪の地元懇親会での、リップサービス的な”軽口”を、鬼の首でも取ったかのように、というよりこれを材料に閣僚としての首を取らんとする勢いで、猛烈に批判する風潮というのが、一般人のネットバッシング以前から、醸成されていたのではないかと、気づかせてくれた。

まず、一般庶民の浮世床談義レベルにおいては、贔屓チーム選手のエラーと政治家の失策は、同列に悪口の対象となる。
なぜなら、怒りの”程度”がほぼ等しいから。
言い換えれば、政治家だけが特別というダブルスタンダードではない。

なので有名人(政治家や芸能人)の失言は、辞任に追い込むまで糾弾していいものだ、という堂々とした先例を目の当たりにすると、自分もその轍を踏んでいいものと思うのは、人間の学習行動としてノーマルといっていい。

失言の内容や程度という差異に忖度しないのも その影響だろうか。
私個人は、人に向かって「死んでください」という最悪の発言(文脈によっては”殺意”の認定になる)と、「男性の体臭が苦手」という個人的好悪を一般的価値として論じる失礼な思い上がり(ハラスメントに通じる)と、槍投げ女性選手の寝そべった姿を「トドみたい」という例えの不適切さ(視覚印象的には妥当でも、マイナスのイメージが付着している)とでは、失言の深刻さの程度が異なり、私自身の許容度も異なるので、このへんはもう少し、反応が細分化されてもいいと思う。

ということで、あの番組はなかなかいい切り口で問題を扱ってくれる。


株価”大暴落”をやり過ごす

2024年08月07日 | 時事

一昨日の、株価大暴落は、株主にとっての潜在的資産が吹っ飛んだわけで、
とりわけ新NISAなどでの新規参入者にショックを与えているらしい。
実際、私の元にも証券会社から手持ちの商品の基準価格が値下がりしたとのメールが複数届いた。
人の未来予測は「現在の傾向がそのまま延長する」と見るので、
こういう時、慌てて売りに走ると、暴落を拡大することになる。

幸い、翌日にはこれまた空前の値上がり幅で、ある程度回復した。
その間、私もちろん静観。


なぜなら、デイトレーダーのように、日々の変動で儲ける視点ではなく、
”長期保有”の視点だから。
なぜ長期保有の視点だと静観できるのかというと、
株価の長期トレンドは、確実に右肩上がりだから(個別の銘柄ではなく、ダウや日経平均などの平均値の話)。

言い換えると、短周期のランダム(予測負荷)な変動は誤差(ノイズ)として無視して、確実な長周期の波動(短期変動は吸収される)に委ねるのだ
※:これは、あるデータの変動を、ランダム波を含む複数の周波数の波から構成されているというスペクトル解析の視点で、脳波の解析にも使われ、私自身は露点温度の変動解析に使った数学的・科学的なものである。


具体的にどのくらいの周期かというと、およそ20年。
平均株価のグラフをこのスケール(尺度)で眺めてみるといい。

そう、まさにデイ(日)・トレーダーとは真逆の視点。
株の成功者をデイトレーダーに見出す視点からきっぱり離れている。

実際、自分の長期積立投資の実績は、ゼロリスクの積立預金よりもずっと上をいっている。
この種の投資にとっては暴落時はラッキーな買い時にほかならない。


落選した安野氏の存在

2024年07月24日 | 時事

都知事選後の、落選した石丸氏・蓮舫氏へのバッシングめいたマスコミ取材にうんざりしていたが、今朝テレビ朝日の「モーニングショー」で、5位で落選した安野氏が出演して選挙戦を語っていたのには、いささか驚いた。
マスコミの視線が変化したようだ。

選挙中のマスコミは、4位までの田母神氏までを実質的な候補としていて、安野氏は”その他”扱いでほとんど無視されていた。

もっとも一部には注目株として積極的に応援する人もいて、ダークホース的存在の可能性は示していた。

私自身も応援する気持ちはあったが、確率論的に、安野氏が1位になって都知事になる確率よりは、後半追い上げてきた石丸氏の元で副知事として活躍できる(石丸氏自身、安野氏と意気投合して副知事にしたいと公言)確率の方が高いと判断したので、石丸氏に票を入れた(→都知事選の結果に思う)。

小池対蓮舫という既成の対立構造そのものをまずは拒否したかったのも理由の1つだったが、もう1つ、私の1票は石丸+安野票でもあったのだ。

石丸氏の破壊力と安野氏の構築力の組み合わせに期待したから。

それほどまでに、(既成野党を含めて)政治は制度疲労している。

この若い力の出現は今回の選挙の唯一の収穫とも言える。


都知事選の結果に思う

2024年07月08日 | 時事

都知事選の結果は、事前予想通りの順位で開票と同時に当確が出た。

まぁ、現職はよほどの失政がない限り再選される。

私は2つ前の記事に示したとおり、期日前投票で現職と野党候補には投票せず、「よりまし」という基準で石丸伸二氏に入れた。
投票時に注意したのは、「石丸伸二」とフルネームで書くこと。
「石丸」という苗字だけだと、別のN党の石丸候補と票を折半させられる。
N党の石丸氏に入った票にはこの種の折半票が結構あったと思われる。
どうせなら、別人の小池候補を出してもよかったのに。

結果は予想通りだが、選挙はそれなりに盛り上がり投票率は上がった。
これは、主に蓮舫・石丸候補のおかげである。
ただ蓮舫候補だけだと、これほどの盛り上がりはなく、石丸候補の頑張りが大きかった。
古臭い”保革対決”よりは、三国志よろしく三つ巴の鼎立の方が盛り上がるものだ。

財政が潤沢な東京都にとっては、福祉や防災、あるいは観光は黙っていても予算がつくので、これらについての実現して当然の公約は新鮮味がない。

この東京に新しい発展の芽を育てる視点、若い働き盛りならではの視点が欲しかった。
同時に東京一極集中の弊害も座視しないで(ただ、発展と人口集中は相関する現象なので、都だけでは解決できない)
※:防災的視点では、さいたま市が都市の発展に適している。日本の大都市(東京、横浜、名古屋、大阪)は地盤が柔らかい沖積平野の海沿いにあるが、さいたま市は台地なので地盤が硬く、東京湾・相模湾の震源地からも遠い(さらに富士山からも)。埼玉県は荒川の洪水が問題だったが、大河川の治水はうまくいっている。日本最大の関東平野の中央部なので、都市部の拡大も可能。

石丸氏に入れた本当の理由は→安野氏の存在


他者を敬する社会へ

2024年07月07日 | 時事

ネットニュースによると、日本大好きというアメリカの歌手ビリー・アイリッシュはその理由を日本人が「人を敬う」からだという。→ソース
若いながら、深い視座だ。
これは儒教の徳である””の精神であり、それを具現化してきたのは小笠原流礼法などの日本の伝統的礼法である。
※:儒教教典『礼記』は、「敬せざるなかれ」で始まる。

いや、それ以前に、聖徳太子の十七条憲法(604年)にある「和を以て貴しとなす」の精神の伝統というべきか。
ちなみに”人を敬う”という態度は、16世紀(日本で武家礼法が完成した時期)のヨーロッパでイタリアから広まった”galateo”(礼儀正しさ)の精神とも合致している。

ところが残念ながら、現代日本には礼に反する勢力も存在する。
小池現都知事の選挙演説場面で、「やめろ」「帰れ」コールで演説を妨害する一部の人たちだ。

この行為は相手を敬する礼の精神に反し、また多様な意見を尊重する民主主義の精神にも反するもので、私はこういう人たちとは空間の共有すら耐え難い。

礼の精神である「敬」とは、その人の存在を認め、尊重すること。
その逆の、その人の存在そのものを否定する感情は”憎悪”である。
憎悪は存在否定の感情であるから、恐ろしくも殺意に繋がる。

候補者としての存在を否定するコールは、候補者への憎悪の表現である。

他者への憎悪に駆動された人たちは、歴史的にも同志の間でも内ゲバや”総括”と称する殺し合いをしてきたし、スターリンやポルポトのような独裁者は自国民の大量殺戮をしてきた。
憎悪に駆動された”正義”(「あいつらは存在悪」という思考)を振りかざす危険性はこのように歴史が証明している。

意見が違った他者とも敬意を持って共存できる社会を守っていきたい。
※:これができるかどうかが、口先でない真の民主主義者か否かの判断基準となる。
これが私の投票行動の原則でもある。


都知事選の不在者投票してきた

2024年07月01日 | 時事

東京と名古屋の二重生活をしながら、なおも東京に住民票を置いている理由の1つは、どうせなら都知事選に投票したいからであった。
なぜなら、都知事選こそ最も投票し甲斐のあるエキサイティングな選挙だったから。

「だった」と過去形なのは、まずは候補の乱立の酷さがエスカレートし、さらに一票を投じたいという候補がいなくなったため。
概ね、政党のバックアップを受けた”有力”候補たちは、国政選挙の代わりでしかないし、その他大勢の泡沫候補たちは、自身の売名のためでしかない(売名としては供託金たった300万でコスパがいいようだ)。

それでも民主主義を守る主権者として、投票行為を遂行することを自らに”義務”と課している。

なので、相対的に”ましな”候補に一票を投ずる。

かつては現都知事に投票したが、その時は自民党候補の対立候補だったから。
今回は本人の立ち位置はそうではない(実績についても不満)。
かといって”何でも反対”の野党候補という理由だけで、支持することはない。
あくまで”都政”に対して、新鮮かつ夢のあるスタンスで臨む人を”まし”と判断した。

指定された不在者投票の会場には、分厚い選挙公報が置いてある(自由に持ち帰れる)。
その場に行ってこれを眺めて決めてもいい。


持つべき銘柄は”日経平均”

2024年03月04日 | 時事

株はほとんどやらないのだが、唯一”日経平均”を、少々買っていた(もちろん正確な銘柄名ではない)。

それが今、市場最高値を更新中。

当然、自分の含み益も過去最高値で、売って”利益確定”といきたいところだが、上昇トレンドの最中に売るのは、売った後に値上がりするのが目に見えているので、バカげている。

今、現金化したい理由がないから、売らずに保持していよう(むしろ買い足したい)。

そもそも”日経平均”を買ったのは、平均株価の超長期トレンド(50年〜)を見ると、日経もダウもいずれも値上がりしているから(日本のバブル崩壊後の”失われた30年”だけが例外)。
すなわち、個別銘柄でなく、優良銘柄を平均化した株価は上昇トレンドが基調なのだ。
だから、元来リスクの高い株をリスクヘッジすると”平均”こそが買いとなる。

こうすれば細かな景気動向に一喜一憂せずに、人生の長さくらい長期保有することに意味があり、リーマンショックなどの一時的な暴落は、むしろ”買い”のチャンスとなる。

というわけで、買い足しのタイミングに迷っている現在、いっそのこと暴落を心待ちにしている。

以上は、私のシステム2の行動原理で、他のシステム3,4の原理とは関係ない(これが心の多重過程モデル)。


白地図ではなく地形図で日本を見よう

2024年01月18日 | 時事

日本の人口分布の地域差などを論じる場合、白地図ではなく地形図をベースにしないと、

とんだ誤りを犯す。

小学校の時から部屋に日本の地形図を貼っていた私は、頭の中の日本地図は地形図になっている。

地形図とは、少なくとも山地と平野が色分けされていて、河川も記されているもの。

その地形図で描かれる日本は、ほとんどが山地で平野は海沿いにごく限られていることが一目瞭然。
とりわけ北海道の中央部・東北・中部地方の内陸・紀伊半島・中国・四国・九州はほとんどが山地。
そして数少ない平野の中でひときわ目立つのは関東平野。

江戸時代までの人のように、自給自足の生活ができれば山の中でも住める(「ポツンと一軒家」のように)。
ところが、現代的生活を求めるなら、舗装道路・水道・ガス・電気・通信のインフラが必要なので、それらを個人宅に引き寄せるためには山地は断然不利になる。
生活基盤としての経済活動も、これらインフラを前提とした場所が必要。
なので、近代以降は、人はインフラの構築が簡単な平野部に集まり、そこに住みやすい都市が形成される。

地形図で一眼でわかるように、日本の国土の70%以上は山地で、それらは全て現代生活を送るには不利な場所。
さらに山地は、河川の増水・土砂災害という傾斜部固有の危険を背負っている(他に雪崩、噴火)。

残った数少ない平野は、大河川の洪水(そもそも平野は洪水によって作られた)の危険があったが、江戸時代からの大規模な河川改修で、その危険が除去されると、豊富になった水が(農業・工業・生活)用水を満たし、ますます人口集中を可能にする。
※:関東平野の江戸に開府した徳川幕府は、江戸湾に注ぐ関東一の大河・利根川を太平洋に流れるよう流路を変えて江戸を洪水の危機から守り、また木曽三川の流路を制御することで日本第二の濃尾平野を潤沢にし、尾張・名古屋を守った。
ちなみに関東平野の中心部は茨城県の古河付近だが、そこに都市ができなかったのは、その地が利根川・渡瀬川・鬼怒川の集合地で洪水の頻繁地だったから(木曽三川沿いに都市がないのと同じ)。なので現在そうしているように、関東平野中央の平地は広大な遊水池にするしかない。

平野は地面が平だから、住宅・工場・鉄道などの大規模設備も作りやすい。

以上の理由から、人口が、山地では少なく平野に多いという”偏り”は至極当然、いや必然なのだ(そして日本で一番広い関東平野に一番集まることも)。

地形図では一目瞭然のこの真理が、白地図では不可視になる。
白地図を元に日本国内の”偏り”を論じるがここにある。

国レベルだけでなく、同じ東京でも、西部の西多摩郡(奥多摩町・檜原村)の人口が極端に少ないのは、地理情報のない白地図では説明つかないが、地形図ではそこ一帯が奥多摩の山地だからと一目でわかる(人口が北部に集中している奈良県、中央部に集中している山梨県も同じ)。