明日は開学記念日なので、われわれの学校だけ休み。
なので、明日から連休となるので、授業が終わった後、帰京の途についた。
新幹線のぞみの車窓から、浜名湖あたりで怪しい雲行きを眺めていたら、
停車予定のない浜松で停車。
新横浜と品川間での強雨により、運行がストップとのこと。
結局50分弱停車して、出発した。
走行中は強雨には会わなかったが、30分遅れで到着した東京駅では、
相模線あたりで落雷故障があったとの情報。
新幹線が運転見合わせとなる雨量基準は、1時間に60ミリの強度だという。
この強さは、大雨警報の2倍の強度だから相当なもの。
以前、台風接近時にも乗っていた新幹線が停止したが、
今回は台風どころか普通の低気圧も近くにはない。
家に帰って天気図をみたが、寒冷前線や低気圧からは遠いので、
やはり地上低気圧の影響ではないようだ。
気圧配置の影響でない局地的な強雨は、局地的な風の収束(水蒸気の集中)が原因なはず。
風は房総で東風が強く、それが定常的な南寄りの風(海風)と神奈川・東京湾で収束していた。
レーダーによるエコー(雨)域はその収束域に停滞し、強化しており、
局地的でかつ停滞した強雨域になっている。
問題はこの千葉上空の強い東風。
この風向は通常の地上天気図からは推定できない(北寄りの微風を推定させる)。
500hPaの高層天気図を見たら、日本海に小さな寒冷渦(大気を不安定にする寒気の塊)。
そして静岡上空に強い正渦度(風向変化量)の中心核がある。
この正渦度領域(上昇流域)で吸い上げられる空気が千葉での東風となったのだろう。
つまり私が乗った新幹線を止めた局地的強雨は、
地上天気図のような”気圧”分布では説明できない現象なのだ。
母にきいたら、天気予報でちゃんと夕方ににわか雨・雷雨の予報があったという。
これは高度な予報技術だ。
さすが気象庁。
そして明日は気象記念日!
予報では名古屋は今晩ずっと雨だが、
レーダーエコーを見ると、午後6時の時点でエコーの西端が大阪まできている。
これから、大学院生の入学祝いのパーティだが、
どうやら9時の終了時には雨は止む頃と見た。
行きは雨でも、帰りには止んでいる場合、
せっかくもっていった傘が帰りには邪魔物になってしまうのが、どうも気に入らない。
こういう時のために、ステッキになる傘をネットで購入した。
手動レバーの操作で、傘の部分がステッキの先端から出入りする仕組み。
まるで手品のような操作が面白い。
ステッキ自体もマジックで使うステッキそっくりの造り(ねらってるな)。
会場のホテルに入る時、傘からステッキに変身。
これを院生たちの前で披露したら、大受けだった。
予想通り、帰りは雨が止んでいたので、ステッキのまま地下鉄に乗る。
ところが、混んでいた車内で立っていたら、
目の前の座席の男性が立ち上がって席を譲ってくれる。
杖をついているので、足の悪い人に見えたようだ。
こういう反応はラッキーかもしれないが、ここで厚意に甘えると、
これから車内でずっと足の悪い演技をしなくてならないので、固辞した。
そしてステッキをそれとなくお尻側に隠して、乗客によけいな配慮を与えないようにした。
思わぬ効果があったものだ。
はじめての運動会でもあるし、その幼稚園は、はるか昔に私も三年間通ったので、久しぶりに観に行く事にした。
でも運動会のように、小さい子が同じ服着て集まると、ホント誰が誰だかわからなくなる。
3歳児の「かけっこ」は動物のレースをやっている状態で、まっすぐ行かない子やはなから走らない子も。
「卒業生のかけっこ」という種目があった。
小学生と一緒に走れば、私も景品の「ジャポニカ学習帳」をもらえたのか。
そういう小さい子たちの姿も面白かったが、一番感心したのは、私が在園時の時園長だった人が御歳95歳のいまも現役の園長の姿。
かくしゃくとして園児たちの前で壇上に立って演説していた(写真)。
背筋もまっすぐで声の張りも衰えがない。
なんでも幼児教育にたずさわって70年だとか。
すると園長先生の最初の教え子がいま70歳越えているのか。
この幼稚園、附属の短大などをもち、名門との評判らしい。
iPodで音楽を聴くのもさすがに飽きてくる。
最近はPodCastにはまっている。
購読しているのは、爆笑問題や”いつもここから”などのバラエティ系だけではない。
聴いててためになる、英語リスニングのほかに、一番楽しんでいるのは、専門家へのインタビュー番組である「ラジオ版学問ノススメ」。
といっても”放送大学・ラジオ講座”的堅苦しさはまったくなく、専門家の雑談的話なので気楽に聴けて、自分があまり馴染みのない分野への興味が誘われる。
最新版ではマジシャンの”ゆうきもと”氏だが、この回も印象に残った。
まず、マジックは、人を視覚的にだますことがいかに簡単かということが出発点。
だから「自分のこの目で見たから信じる」という信念は危険だという。
なるほど。
そして、最近、マジックをやっていて、やたら素朴に信じてしまう人(客)が多くて、意味悪いとのこと。
その原因は、氏が言うには、テレビでタレント的な人が、オカルト的な話をさも真実であるかのように話し、まわりの出演者もそれを信じ込むという番組にあるのでは、という。
私自身も「血液型選手権」くらいならシャレとして許せるが、占いだのスピリチュアルとかいうのを画面アップで毎週流すのは、どうかと思う。
これって科学的には、あるある問題と同じじゃないか?
もっとも、個人的には「湖に潜む謎の巨大生物を探る」みたいな番組は大好き。
そしていつも、大山鳴動してネズミ1匹的結末なのだが、それはそれで真実だから許せるのだ。
ウチと車で10分の勤務先の間にある地点。
事件が起きた17日は、別のキャンパスにいたので事件には気づかなかったが、
ウチに帰ると、夜までずっと報道ヘリが飛びっぱなしでうるさかった(警察にとっても邪魔だったらしい)。
18日は、現場に近い勤務先を通る愛知学院大学からのバスが途中までしか運行しなかったので、報道ヘリが乱舞する下、帰京するのに別ルートを使った。
それにしても大学街ともいえる新興の文教地区に、銃をもった元暴力団員の粗暴な奴が住んでいたとは。
危険と隣り合わせといっていい。
負傷した同僚を放置し、尊い犠牲者を出した警察の対応を批難する声が高いが、その時強行突入したらしたで、また別口から批難が噴出するに決まっている。
権力の人民に対する責務には、強制力をもった治安維持が含まれている。
犯罪制圧のための武器使用に対する、意識転換が必要な時期に来ているのは確か。
武家礼法をやっている者として、江戸市民が開発した公共のマナー「江戸しぐさ」には注目をしている(狭い路地をすれちがう時にさしている傘を外側に傾ける「傘かしげ」が有名)。
自分の評価を高めるための営業用マナーよりも、自分に利が還元されない公共のマナーこそが、マナーの中でもっとも洗練された姿だと思うから。
その江戸しぐさのメッセンジャー(伝道師)として現在活躍している越川禮子氏のインタビューを、PodCast番組「ラジオ版学問ノススメSpecial Edition」で聴いた。
それを聴いて残念に思ったのは、”畳の縁(へり)を踏んではいけない”という茶室の作法を和室の作法だと氏が混同していたこと。
所作の細かい所まで一律化している四畳半の茶室の作法は、所作のバリエーションの多い広い和室(書院)の作法の応用であって、その逆ではない。
たとえば茶室内では点前の時の歩幅・歩数まで指定されるが、和室内での歩行はそもそも5種類もあり、時と場合によって適切にそれらを使い分けるのが作法である。
越川氏は本来作法家ではなく、あくまで江戸しぐさの伝道師にすぎない、という立場だとはわかるが、どうせなら江戸しぐさ以前に完成した日本の伝統的作法のすばさしさも知ってほしいものだ。
ちなみに、その江戸しぐさはなぜ成立できたのだろう。
実は、江戸時代初期に、水島卜也なる人物による小笠原庶流が江戸市民の間に大流行した。
水島卜也は、戦国末期に小笠原流礼法を大成した小笠原長時・貞慶父子の家臣であった小池甚之亟から礼法を教わったという。
本来の小笠原流は大名クラスのハイソな礼法であり、許可なく他者(ましてや庶民)に教えてはならないのだが、卜也によって、庶民に流出してしまったのだ。
つまり、江戸時代初期にすでに江戸市民は、中世を通して洗練されてきた小笠原流礼法を知っていたのである。
なので、正確なところは不明だが、江戸市民は、茶室の所作と和室の所作の違いくらいわかっていたかもしれない。
ちなみに小笠原庶流は江戸以外でも、更に普通の武士の間にもひろまった。
つまり江戸しぐさを知っている江戸市民だけが作法を心得ていたわけではない。
たとえば私の手元にある『小笠原流百ケ條』は天保年間の大坂の出版。
追記:その後「江戸しぐさ」は捏造されたものと判明☞江戸しぐさ・捏造された作法
といっても急性症状は消えたので、月1のペースになったが。
以前旅先などでマッサージをやってもらったことがあるが、マッサージってどうもその場限りの痛気持ちよさで終わる感じがしていた。
何しろ、自分の慢性のコリは、深部で固まっていて、力でもんでもゴリゴリ痛いだけ。
その点、針治療って筋肉や神経に刺激を与えて活性化するんでしょ(灸も同じ効果だが、あれは皮膚がやられる)。
生体機能を本来の状態に戻す感じ(温泉の効果と同じ)。
マッサージは力まかせにやりすぎると、かえってコリが固くなり、ききづらくなるそうだ。
たしかにマッサージ機使いまくると、かえって効かなくなってくる。
マッサージやるなら、力入れてコリを潰すのではなく、筋肉をほぐし血行を促進させるソフトなものがいいようだ。
なもんで慢性化・凝固したコリを治すには針治療しかないなと思っていたのだが、ぎっくり腰やるまで、きっかけがつかめなかった(やはり臆するところがある)。
針の痛みとマッサージの痛みは筋肉反応的には近いものだが、確かに針の方は局所集中的にズンとくる痛みで、「痛気持ちいい」マッサージのような”気持ちいい”部分はない。
でも治療が終わった後のすっきり感は、マッサージのような筋肉痛が残らないだけ、針の方がある。
それに耳鳴りにも効きそうだし。
霞ヶ浦
電車好きでとりわけ常磐線の快速が好きな柊ちゃんは、特急列車よりも今年3月導入された快速E531系のグリーン車に乗りたいという。
しかも二階建てグリーン車の往きは2階、帰りは1階(半地下)に乗りたいんだと。
こっちとしては、電車でただ往復するだけではつまらないので、どうせなら上野から土浦まで行って、霞ヶ浦の遊覧船に乗ることにした。
霞ヶ浦の付近には10年間ほど居たのだが、遊覧船に乗ったことは一度もなかった(たいした宣伝してないし)。
霞ヶ浦は琵琶湖に次ぐ面積の湖沼だから、それなりに雄大な眺めは期待できるのに。
実際、土浦駅を降りても、遊覧船の看板がなく、駅の店で尋ねないと行き方がわからない。
柊ちゃんは船に乗るのは初めてだが、さいわい湖の船なので波に揺られる心配はない。
でも船尾から白いしぶきをあげ、エンジンの大きなうなり声を発して疾走する船にいささか恐れをなした様子。
最初は甲板にいたが、後半は祖母のいる客室に入ってしまった。
でも降りたら、また乗りたいだと。
私としても、向こうが水平線になっている湖の風景は期待通りの雄大さで堪能できた(写真)。
やはり浜名湖よりでかい。
帰りの土浦始発の快速グリーン車は完全に貸切状態。
でも後続車が車両故障を起こしたため、北千住で降りて千代田線で帰ってきた。
子連れの旅って、気疲れの方が大きい。
ふだんの週に旅行できる自分としては、GWはそうでない人たちに旅の機会を譲ってあげる。
だからこの期間は旅行はしないという戒を定めたのだが、今日から実質5連休なので、さすがにどこか行きたくなってしまう。
そこで、娯楽ではなく、業務上行かなくてはならない所を探す。
今、自分のサイトでは「小笠原氏史跡の旅」を完成させているのだが、いざ取りかかってみると、抜けている旅先があるのに気づかされる。
たとえば、関東平野にある栗橋城と関宿城。
ここにしよう。
この2つは関係する歴史は異なるが、距離的に近いので、いっぺんに廻りたい。
といっても田園地帯にあるので、両地点を結ぶ公共交通がない。
レンタカーやレンタサイクルも考えたが、それを借りる所から遠い。
ネットで調べると、栗橋城は鉄道の駅から徒歩で行け、関宿城はバスの便があるので、その間だけなんとかすればよさそう。
と楽観して、5月3日の晴天日に北千住から東武鉄道に乗った。
埼玉県の南栗橋で降り、さっそく腹ごしらえをと思ったが駅前には店がまったくない。
しかたなしにMioのナビを使って栗橋城方向へ進むと、セブンイレブンがあった。
でも今は「おにぎり」じゃなく、もっとちゃんとしたものを坐って食べたい気分なので、なにも買わずに出る。
付近は住宅街だがあいかわらず店はない。
朝食をとらずに来たので、へたしたら夜までの絶食を覚悟しつつ進むと、なんとアジア料理のカフェがある。
メニューには懐しの「ナシゴレン」があるので迷わず入る。
コンビニのおにぎりを買わないで良かった。
数年ぶりのナシゴレンを堪能して権現堂川を渡る。
この川はもとは利根川の一部だったが江戸時代に本流から外されて、今は湖沼状になっている。
川を渡ると茨城県五霞町。
ここの元栗橋に栗橋城がある。
といっても現地には、城があったという看板と空堀しか確認できない。
その先は民家の敷地内で入れない。
さてここから関宿城に向うのだが、Mioのナビで関宿城博物館を目的地にセットすると、9km以上もある。
ここからタクシーで行こうと目論んでいたのだが、田園地帯の集落では、タクシーなどまったく走ってない(南栗橋駅前にすらなかった)。
仕方なしにとりあえず歩きはじめる。
まぁ途中で路線バスかタクシーを捕まえられたらラッキーとしよう。
Mioのナビにしたがって国道4号線に出ると、下り車線だけが大渋滞。
貴重な連休にお疲れ様。
ナビの指定する4号線は歩道がないので、奥の平行する県道を歩く。
期待したバス路線はなく、あいかわらずタクシーも走ってない。
まぁ、9kmなんて日帰りハイキングなら標準だし、それに増えた体重を減らせるからいいかと楽観するも、右足の親指に靴擦れが発生。
それをかばいながら、とにかく歩いていると、前方左手に土手のような高みが見えてきた。
しかも道路上の表示には、左折すると1.5kmで「関宿城博物館」とある。
もしかしたら、MioMapに載っていない関宿にショートカットで達する道(橋が必要)ができたのかもしれない(ソフトは2006年版なんだが)。
表示を信じて土手に上がってみると、川向こうの目の前に、誰が見まがおう関宿城博物館の堂々とした建物がある(写真)。
そしてその手前にある江戸川の水門の上には歩道があって人が渡っている。
つまりこのショートカットルートは徒歩のみ可という道だった(だからナビされなかったの?。徒歩設定にしたのに)。
おかげで5kmも得したことになる。
橋を2つ渡って千葉県に入り、関宿城博物館と関宿城趾を廻って、バスで埼玉県の東武動物公園に出た。
埼玉・茨城・千葉の三県をまわったものの、幸か不幸か体重減の旅にはならなかった。