今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

写真展を観に行く

2013年09月30日 | 東京周辺
芝・増上寺でやっているTOKYO PHOTO2013(インターナショナル・フォトグラフィー・フェア)を観に行った。
一応、写真を再開したつもりの私なので(高校時代、写真部だった)、
今後の撮影の参考になる何かを得るために。
もちろん、私の写真は旅の記念写真レベルで、芸術志向ではないが、
芸術写真ならではのレンズの向け方を参考にしたかった。

美術館の絵画展だと、イヤホンガイドやカタログによる言語的解説がどうしてもほしくなるが、
写真は高精細で情報量が多いので、タイトルさえ不要で
(もちろん脇に、撮影の年や場所などデータが載っている)、手ぶらで眺めるだけでいい。

20世紀半ばからの写真が多いのこともあり、モノクロ写真が多い。
あえて手ブレやピンボケの写真もある。
写真が他の視覚芸術にはない独自の”驚き”(感動)をもたらす理由は、それが絶対にリアルである点。
これはどんなにリアリティが精巧でも、絵画やCGからは感じることができない。
すなわち、カメラマンの操作やカメラのメカが透明化(確固と存在するのだが不可視化)され、
リアルな被写体の存在感のみが圧倒的に迫る。
撮影技術以前に、被写体の存在感を感じる”眼”を持ちたい(白内障も治したし)。

会場では内外の写真家が自分のブースで腰掛けている。
皆一様に一目で芸術家と分るオーラを発している。
髪の毛を直線的にバッサリ切り、黒い服を着れば、誰でもそんな雰囲気を出せるのかなぁ。
LLBeanのアウトドア風のなんの変哲もない服で行った私との唯一の共通点は、
Macを使っている事くらい。

印象に残った作品は、Tomio Koyama氏の
朝夕の太陽が地平線の下にある時の、地平線の昼空と天空の夜空との間に拡がるスペクトル的色相のグラデーションの写真。
自分も空のその部分が好きで、飛行機の機内から望遠で撮ってアップにしたくなる。

あと、複数の写真家にみられた、太陽光で生じる被写体の影をいろいろ利用した写真も参考になった。

羨ましいと思ったのは、いろんな人物写真。
被写体のモデルと直に向かい合わないと、あふれ出る”人となり”まで映し出せない。
これは苦手だ。

会場内を回っているうち、面白いことに気づいた。
自分の眼が、カメラになっていて、視界が写真になっているのだ。
つまり、会場内の写真作品とそれを観ている人たちの群像、
椅子にポツンと腰掛けている女性のポーズ、
そして会場そのもののしゃれた造形、
これらが自分の視野で次々と写真作品になっていく。
自分が会場で撮影者になり、視野いっぱいのカラー写真を楽しんでいる。

写真展のおかげで、自分の感度が一時的にも増幅しているためだ。
なるほど、作品になる被写体は、いつでも目の前にあるのか。

自分がほしかったのは,わが眼の”増感”だ。
来た甲斐があった。

さようなら、あまちゃん

2013年09月28日 | 時事
とうとう「あまちゃん」が最終回を迎えてしまった。
最終週は、大団円の流れ。
それはドラマ的にすべて解決していくという、正直、面白さがなくなる処理になりがち
(細かいところの演出はあいかわらず心をくすぐる)。
その中で、新鮮だったのは、週刊誌で予告されていた”勉さんのじぇじぇじぇ”。

「あまちゃん」は終わってしまったのであり、続行はありえない。
ドラマとして完結したという満腹感すら味わえたほどだし
(それを味わえなかった半沢は、まだ続くからだ)。

継続される北三陸の復興劇は、現実世界でこそ実現しなくてはならないからだ。
すなわち、われわれは、釘付けになっていたテレビドラマから目を転じて、
被災地の現実に今一度目を向けなければならない。

復興がきちんと成し遂げられた後、
その後に、あまちゃんの続編に相当するドラマが作られるはず。
それが一刻も早く作られるように、皆でできることをしよう。
私は「まめぶ」を食べてみたい。

半沢が終わり、あまちゃんが終わった今週。
来週からは何を楽しみにすればいいのかという喪失感が話題になっているが、
もちろんテレビ局側は、後続する新番組にそのまま移行してほしいはず。

だが、少なくともテレビ依存症ではない私にとっては、
テレビドラマを観る習慣をしばらく逸していたのに、
今回、たまたまその習慣が一時的に復活しただけだから、
終われば、またもとのテレビをあまり観ない、それはそれで充実した生活に戻るだけ。

残された問題は、ハードディスクに溜めた録画をどうするかということ
(せっかくなので1回は通しで見直す)。
BDレコーダーは持っていないし、わざわざ買うまでもなく、いずれDVDをレンタルできるだろうし。

祝!東北楽天ゴールデンイーグルス優勝

2013年09月26日 | 時事
プロ野球に関心を失って久しいが(最初のきっかけは江川引退、次のきっかけは横浜優勝)、
1軍半のメンツで結成された常弱チーム「楽天イーグルス」が、いつか一人前のチームに成長して、
ついには優勝するという長~いストーリーは、心の隅でこっそり夢見ていた。

苦節9年目にして、それが現実となった。
なので、それなりに嬉しい。

ホント、これ映画になるんじゃないか。
大震災の被災地のチームという要素も加わっているし。

ところが楽天の優勝が決まりそうという時に、
名古屋にいる身にとって、どこの地上波も放映がない(もちろんドラゴンズ戦は放映中)、
ラジオ放送ならと、ラジコを起動したが、首都圏はやているが名古屋圏ではやっていない。
ネットでゲリラ的中継を探したが、見つからない。

そうこうしているうちに、なんとNHK総合チャンネルがニュース番組の中で、9回裏2死から試合中継を開始してくれた。
得点は4対3で楽天が勝っている。
2位のロッテが負けたので、今日楽天が勝てば優勝が決まる。
9回裏は西武ライオンズの攻撃でランナー2・3塁。
1打出れば、西武が逆転サヨナラで勝利する。
楽天のピッチャーは、エースで22連勝記録の田中将大。
最高の見せ場である。
そして渾身の直球を投げ続け、3番・4番の強打者を2人続けて三振に打ち取った。
この決まり方が、なんとクサイほどドラマ的なことか。
やはり映画になる。

優勝が決まった球場の大騒ぎは、そこがビジターの西武球場であることを忘れさせた。
被災地東北に歓喜をもたらした。
いやぁ、いい瞬間を観ることができた。
今晩は、選手だけでなく、東北の人たちも祝杯!

そういえばセリーグでは巨人が優勝したんだっけ。
CSというかく乱要素が残っているが、
日本シリーズの相手としてはドラマ的にも巨人がふさわしい。

後期授業開始

2013年09月25日 | お仕事
今日から私も後期授業開始。
一ヶ月半ぶりに”仕事モード”に戻った。

かわいい学生を前にしての授業はもとより苦痛ではない。
ただ、研究室のパソコンがおかしくなり、メールでの連絡も、授業の資料作りもできない状態。
まずはシステムを入れ替える措置をするのだが、そうするには内蔵HDを消去しなくてはならない。
データはクラウドに保存してあるが、すべてのアプリの入れ直しが面倒。
これが頭痛の種。

そして授業が始まると、教務関係を中心に次々と課題が発生する。
こうしてまた、今日から日常業務に追いまくられる日々に突入する。

故あって、温泉旅の予定が立てられないのがつらい。

家族で観た半沢最終回

2013年09月22日 | 時事
今日は、弟の誕生会として松阪牛パーティ。
実家の近所にある昔なじみの肉屋が人知れず「松阪牛専門店」を標榜していることを知ったので、
今までは名古屋の名鉄地下で松阪牛+柿安牛を買ってきたのだが、
今回は初めて近所のその店で松阪牛を調達することにした。
馴染ということもあり、サービスしてくれたので、5等級の霜降肉を割安で堪能できた。

皆が満腹になった午後9時、「半沢直樹」の最終回が始まった。
それまでのおしゃべりが止って、9歳から84歳までが固唾を呑んでシーンに見入った。
9歳と私だけは原作を読んでいるので、成行きは知っている分、余裕がある。
それでも、香川照之の表情などは、原作では味わえない。
またドラマオリジナルの「100倍返しだ!」の啖呵には茶の間から声が上がった。

もちろん、こんな視聴率の高い、そして原作も続編が進行している”半沢”は
今回が真の終わりでなく、続編の存在を確信させる結末だった。
なにしろ、命令された出向先が三作目の原作『ロスジェネの逆襲』の舞台だから。

今日の昼、私は赤坂のTBSストアに半沢グッズを買いに行った。
客は店外に行列になるほどで、一番人気の「2倍返し饅頭」は当然売り切れ。
残り物の中から、半沢ファンの9歳の甥っ子のために、
「東京中央銀行」の社章(行章?)バッジと決めぜりふ集のシールを購入した。
甥っ子は明日から、胸に「東京中央銀行」の社章をつけて塾に行く。
9歳ながら、このドラマが教えてくれた”働くことの意味”・”ビジネスマンとしての矜恃”そして”正義を実現する行動力”を胸に刻んで。

健康診断のために健康維持

2013年09月20日 | 健康
今日は、朝から勤務先の健康診断。
毎年、前日は禁酒の試練だが、
今年は、先月に人生最長の1週間もの禁酒を経験したので、
一晩くらいは屁の河童(本来なら「河童の屁」だと思う)。
ただ、おかげで寝つきは悪く、しかも夜中に緊急地震速報で起こされてしまった(名古屋は地震なし)。

今年はX線をバンバン浴びる胃検診をパスしたので、気楽に済んだ。
最後の内科検診では、昨年より体重が1kg増えたにもかかわらず
「よくコントロールできていますね」と誉められた。
一番気になる血液検査の結果は後日のお楽しみ。

このように年一回の健康診断は、毎年迎えるストレッサーの一つなのだが(もうひとつは確定申告)、
これがあるおかげで、一週間ほど前から体重に気を使う。
ただし終わった後の反動もあるが(たとえば今晩は祝杯!)、
それはそれでストレス解消行動として健康に貢献するはず。

健康診断が終わって一息ついた頃、他学部の仲のいい同僚が脳梗塞で入院したとの知らせを受けた。
幸い、軽症でしゃべりも問題ないそうだ。
私より歳下なのに。
そういう私も先月は白内障の手術をしたほどの”老化”が進んでいる。
せめて、ストレスは溜めないよう、月に最低1度の温泉旅と毎晩のワインは欠かさないようにしている。

鹿沢2:村上山に登る

2013年09月18日 | 山歩き

翌朝、送迎バスを午後の便にして、鹿沢の東にそびえる溶岩ドーム・村上山(1746m)に登ることにした。
もともと浅間連峰北麓の寄生火山群は”登り残し”感があったし、
台風一過の快晴で大展望が約束されている山に登らない手はない。
それに明後日は年に一度の健康診断。少しでもメタボ状態から遠ざかりたい。

山に登る予定でなかったので、装備の用意はないが、
片道1時間の短距離なので、山慣れた身にとっては空身で問題ない。
唯一おろそかにできない靴は、LLBeanのゴム底サンダルだが、一応アウトドア仕様だ。
チェックアウトして旅の荷物を預け、カメラと330mlのペットボトル、
あと地図やサイフなど小物類を入れたポーチをたすき掛けして出発。

指導標もあり、少し行けばあとは一本道。
傾斜もきつくなく、落葉松の中を快適に登る。
初老夫婦を追い抜いて、山頂に達する。
標柱のある山頂に立っただけだと、「えっ、こんなもん?」と拍子抜けだが、
更に奥に進むと、そこから、群馬北西部(嬬恋村)が一望の大展望。

浅間山から北麓のすそ野(鬼押出、北軽井沢)が伸び、その奥には、鼻曲山から浅間隠山の連嶺。
更にその奥には、榛名・赤城があり、皇海山などの栃木との県境の山並みが並び、
男体・日光白根(ここから見える最高峰)の高峰群が東の地平線を画す。
さらに山並みは北に続き、尾瀬の燧・至仏まで続く。
その手前には武尊が陣取る。
至仏の左の目を引く双耳峰は谷川岳付近だろう。するとその左の鋭峰は万太郎か。
その左に上越国境の仙ノ倉・平標が続き、白砂山(上・信・越の3境)の高みに達して、
真正面の草津白根・横手山に続く(写真は日光連山から横手山(中央やや左)まで)。
その裾、足下には宿からは見えなかった田代湖が水をたたえている。
その周囲の薄緑色は一面キャベツ畑だ。

緑のカーペットが敷かれた浅間北麓で目を引く高い構造物は、
カメラの望遠で確認すると、おもちゃ王国の観覧車だ
(カメラのズームは望遠鏡代りになる)。
するとあの付近が準定宿の「グリーンプラザ軽井沢」だな。

ここから見える山はことごとく群馬の県境を画す2000m級の山々。
見えるべき山がすべて見える。
群馬で見えないのは浅間山に遮られた西上州の山(妙義・荒船方面)だけ。
足下に拡がる嬬恋村の風景も含めて、この雄大な眺望を前にして、これぞ眼福。
ここに来て良かった、というより、これを見ないでは来た意味がないくらい。
休憩所で追い抜いた初老夫婦に話しかけ、大展望の感動を分かち合う。

下りは、キノコの傘が眼に留まる。登りでは、こんなに道脇にキノコがあるとは気づかなかった。
知識はないがキノコは好きなので、目についたキノコは接写で撮りまくる。
さらに下ると、タマゴタケがあった(左写真)。
この赤と形で一目でわかる。

さらに、なんとも美しい2本のキノコがあった(種類不明)。
今までのキノコたちに比べて群を抜いて大きく、
大きい方は丈が20cmはあり、傘の直径は10cmはある
(左写真:大きさがわかるようい自分の手を入れた)。
大きさといい、傘の尖った形といい、色といい、
すこぶる見映えがあるので、持り帰ってインテリアにしたいほど。
だけど、キノコは抜くとぐにゃぐにゃになり食べる以外に使いようがない。

宿に戻って、送迎バスに時間があるので、庭に出ようとすると、
キノコを手にしているおばさん達が私に「すごいキノコがあるよ」と教えてくれる。
私は”キノコ好き”のオーラを発しているのか。
確かに、金属のような艶のあるキノコ(イグチ類)の傘が日差しの反射で輝いている。
ただ、キノコとしての美しさは、 上写真の方が上。
私はキノコ狩りは自信がないのでやらないが、せめて写真には撮りたい。
そのためにもキノコの勉強もしよう。


休暇村鹿沢高原の温泉チェック

2013年09月17日 | 温泉
今夏(もう九月半ばだが)一日遅れ・一泊だけの温泉旅。
温泉解禁記念として、「休暇村鹿沢高原」に行った。

ここは遥か昔、小学生の時に家族で泊まった記憶がある。
もちろん建物は新しくなり、当時の面影はない。
山中の宿なので、2泊してハイキングでも楽しみたかったのだが、
初日予定日が台風18号に阻止された件(くだり)は前の記事に記した。
宿に向う公共交通機関がないので、最寄り駅は万座・鹿沢口なのだが、
はるばる山を越えた信州の長野新幹線の上田駅からの送迎バスを予約するしかないことも記した。

さて、台風一過の今日、24時間遅れて長野新幹線に乗った。
平日の昼間なので混まないだろうと楽観して自由席にし、そのかわり発車30分前にホームに行った。
かろうじて行列の先頭になれたが、乗車するときにはいつのまにか長い列となり、車内は始発駅で満席になった。
さらに上野、大宮から乗ってくるので車内にあふれるが、高崎で空席ができるくらいには空く。

信州も台風一過なので、上田に達すると、車窓から北アルプスの槍~穂高という日本一ハイグレードな稜線がはっきり見えた。
東京からだと北アルプスははるか彼方で、甲府盆地の西にある南アルプスの方が近いが、
千曲川沿いの北信だとむしろ北アルプスが正面になるんだな。

送迎のバンに揺られて宿に着いた。
客室の窓からは、草津白根から四阿までの上信国境の2000m級の広いすそ野をひいた山並みが正面に見わたせる(上写真)。
これは日本アルプス中心の長野とは違う群馬の眺め。
宿の前は白樺の疎林で、右手には浅間連峰の寄生火山である村上山(1746m)が目の前に大きな瘤として盛り上がっている。
この山は宿から往復2時間の軽いルートで、予定にはなかったが、せっかくなので明日、空身で登りたい。

さて、肝心の温泉。
浴槽は、源泉が流れる小さめの浴槽とそれに隣接して真水がまじる大きな浴槽、
それに源泉が流れる露天(小さめの浴槽と同じ大きさ)の3つある。
すなわち、休暇村という大衆的な宿なので、少ない湧出量で大量の客をさばく工夫がしてある。

ちなみに昔、湯の丸山・烏帽子岳に登る目的で、ここから更に山に入った鹿沢温泉の「紅葉館」に泊まったことがある。
そこは源泉架け流しの素朴な温泉宿で、紅葉の時期だったが男客は私一人しかいなかった。
当時は路線バスがあってこの状態だった。バスのない今でも続いているのに安心した。

肝心の湯については、まず分析書(平成19年)の解読から。
温泉地は「鹿沢温泉」、源泉名は「雲井の湯」。
休暇村は鹿沢温泉と新鹿沢温泉の中間にあるが、温泉地としては鹿沢に属するようだ。
「自然湧出」であるが、量は「測定せず」とあるから、測るに値しない少量といえる。
泉温は47.5℃なので、温度だけで”温泉”に合格。

溶存物質の総量は1380mg/kgなので、単純泉よりは濃い。
成分は、陽イオンでは、マグネシウム(41ミリバル%)、ナトリウム(39ミリバル%)。
陰イオンでは炭酸水素がほとんどで93ミリバル%。
なので泉質名は、「マグネシウム・ナトリウム・炭酸水素塩温泉」となり、”療養泉”に合格。
効能(適応症)としては、炭酸水素で切り傷・皮膚病に良く、マグネシウムは高血圧、ナトリウムは筋弛緩に良い。
炭酸水素とナトリウムで美肌効果もある。
ちなみに、分析書とは別の宿の表示(昭和61年分析)には
「ヒステリー及び神経衰弱」も適応症に入っている。
温泉で精神症状が改善されるのだろうか。
またメタケイ素が238mgもあり(これだけでも療養泉合格)、
飲泉すれば胃や腎臓にいいのだが、残念ながら飲泉は不可とされている。
濃度は単純泉に近いので、本来なら長湯に向いているのだが、浴槽での泉温も高いので、長湯できないのが残念。

分析書によれば、源泉ではpHは6.8,電気伝導率は145mS/mとあるが、
季節により加水しているという浴槽の湯口での私の計測では、pHは確かに6.5-7.0の間だが、
電気伝導度は1220μS/m(ただし42℃)だった。
この100倍の差が気になる。
源泉に対する加水率がおおざっぱに100倍ということか。
そうだとしても、浴槽での温泉の濃さは、わが定宿・中津川温泉(ここも加水)の1/3だが、
先日行った小牧のコロナの湯の2倍以上ある。
Mアルカリ度は180mg/lあり、中津川温泉と同じ。
ちなみに客室の水道水では電気伝導率は48μS/m(ただし20℃)、Mアルカリ度は40mg/lと、水道水として普通。

湯以外の楽しみである食事はどうか。
夕食は”バイキング”ということで、ワクワク感があるが、
同じ嬬恋にある「グリーンプラザ軽井沢」のそれと比べると、質・量ともに見劣りがする。
同じ休暇村のバイキングでは、愛知の「伊良湖」だと
名物の大あさりとマスクメロンを食べ放題できたのが嬉しかったが(ただし温泉でない)、
地元名物だからといって”高原キャベツ”の葉を生のまま剝いて出されても…(朝食ではキャベツの温野菜だった)。
そう、野菜の産地らしく、惣じて品はサラダ系が多かった。まぁ健康にはいいだろうけど。
地元野菜の天ぷらと水沢うどんはおいしかった。

台風18号に阻まれる

2013年09月16日 | お天気
3連休最後の日に、近畿以東・以北に大雨・強風をもたらした台風18号
(ちなみに翌日の9/17が台風の特異日)。
被害こそ受けなかったものの、私も”足止め”をくらった口だ。

今日から、温泉解禁記念として群馬の新鹿沢温泉に2泊する予定だった。
鹿沢の地は、今では路線バスがないので、長野新幹線の上田から宿の送迎バスを予約した。

ところが、今朝、愛知の豊橋に上陸した台風は、長野から山梨を経て、
ここ関東平野に向ってくる。
ちょうどその時刻は、私が新幹線に乗るタイミング。
新幹線が無事台風を通過してくれれば、鹿沢の地は台風の影響はないはず。

気象予報士の分析力を駆使するほど
非常に微妙なタイミングと出るので、
とりあえず旅には行くつもりで、
だが新幹線の切符は買わずに、
旅の出で立ちで切符は東京駅までにして行ってみた。

東京駅の新幹線乗り場は、特にずっと運転見合わせが続いている東海道・山陽新幹線の客たちが、
あふれて床や階段に座っている。
そこよりはかなり空いている東北・上越・長野新幹線の改札に行ったら、
なんと今しがた、強風のため上越・長野新幹線が高崎手前でストップになっただと
(東北新幹線は問題ない)。
丁度台風が熊谷付近を通過中なのだ。
目の前で足止めをくらった。

早めに来たので、待っていれば見合せが解除されるかもしれない。
ぎりぎりまで、乗れることを期して待つことにする。
といっても構内は、”東北”以外のすべての新幹線がストップしているので、
乗れない客に、新たに乗れなくなった客が加わってごったがえしている。

丁度昼食時なので、多くの人は駅弁を買って床に座って食べている。
今こそ売り時とばかり、駅弁店は、タイムセールとしてオール200円引きを始めた。
せっかくの機会なので、私もカニとイクラの入った「石狩鮨」を買って、
背負っていたリュックを降ろして、それを腰かけにして駅弁を食べる。
周囲の老若男女がそうしているので気にならない。

果たして、私が乗る予定の時刻になった。
だが、見合せは解除されない。
宿に電話して、今日の分はキャンセルし
(不可抗力なのでもちろんキャンセル料はかからない)、明日一泊することにした。

キャンセルし終わって、改札を見ると、なんと見合せが解除された模様。
なんというタイミングだ。
「乗車してからの運転見合わせ」が最悪のタイミングとすれば、
これはその次に悪いタイミング。

新幹線の切符を買っていないので、今から乗ろうとしても、
切符売り場の長い行列の最後尾に並ぶことになり、いつの便に乗れるが予想がつかない。
それに車内は満員だろう。
何時に上田に着くか見当がつかないので、
片道60分かかる送迎バスを、私のためだけに臨時にお願いするのも気が引ける。
今日は諦めよう。
ていうか、キャンセルした時に諦めたはず。

一泊分の旅がそのままフイになった。
でも宿代と新幹線代は損していないので、
一泊旅行に仕切り直すだけ(宿代は一泊分浮く)。

明日の台風一過のリベンジを期して、
まだ風が強い中、旅の格好のままむなしく帰宅した。

今日は、今朝雨の中届いた、NeuroSkyの脳波ヘッドセット(日本未発売品)を
iPadminiにつなげて脳波で遊ぶことにしよう。

北三陸鉄道の枕木に

2013年09月12日 | 東日本大震災関連
9月12日の「あまちゃん」を見ていて、
ふと思い出した。
私は、震災後の2011年10月から始まった「三陸鉄道復興支援」に協力し、
その結果、北リアス線の枕木に私の名前が刻印されたプレートが設置されているのだ
(上写真が証明書の一部)。
もちろん、「あまちゃん」での”北三陸鉄道”である。

「あまちゃん」の中では、私は、震災後の北三陸鉄道を応援していたことになる。
登場シーンはないけど。

Macの現OSが旧OS版で修復できた

2013年09月12日 | お仕事
研究室でメインに使っているiMac(Early2008)の起動画面が凍るようになった。
マシンは古いが、OSは最新の10.8(Mountain Lion)にしてあるので、
自動的に作られる起動ディスク内の緊急用ボリュームを立ち上げ(⌘+R)、
備付けの修復ソフト「ディスクユーティリティ」を起動して、修復作業をさせたら、
延々とかかって終わらないので、
一晩放置して翌朝見に行ったら、「これ以上できない」と勝手に作業が停止していた。
再び試行すると、今度は一晩かかっても、作業がまったく進んでいない。
普通に再起動すると、画面が白くなったまま反応しない。
要するに、使用もできず修復もできない状態。
こうなると、システムの入れ直しをするしか手がない。

こういう時にかぎって、Time Machineでバックアップがとれていない。
OSからのクリーンインストールは面倒だ(主なデータは全部クラウドに入れてあるので問題ないが)。
少なくとも、その前にHDDのバックアップをとりたい。

あれこれ試行錯誤した結果、こうして回復した。
同じ状況の人もいるかもしれないので、ここに公開する。

①まずiMacに付属していた旧OS(10.5)の起動ディスク(DVD)を入れ、
そこから起動して、そこの「ディスクユーティリティ」で修復を試みる。
なんと、きちんと修復できた。
②次に、HDD内のOS10.8の緊急用ボリュームで、ディスク・ユーティリティでチェックすると、時間はかかるものの、ちゃんと最後までいき、「問題はない」と出る。
③最後に、iMacを終了し、shiftを押しながら「セーフ・モード」で起動する。
すると、ダメになる前の状態でちゃんと起動できた。
あとは普通に使える。
早速、Time Machineでバックアップを作成したのはいうまでもない。

本来、新OSの修復を旧OS用ソフトで実行するのは望ましくない。
だが、今回に限って、それが成功した。
多分、内蔵ディスク内ではなく、外付けディスクからの起動という点がよかったのだろう。
やはり、現OS用の”外付け”緊急ディスクをDVD-DLやUSBメモリで作っておいた方がいい。

小牧コロナの湯に入る

2013年09月11日 | 名古屋周辺

白内障手術の後、「2-3ヶ月は温泉・プールは控えるように」と術後のケアに書かれてあった。
1週間の禁酒はなんとか耐えられたが、3ヶ月の禁湯は辛すぎる。
術後の状態を診てもらっている近所の眼科医に、術後1ヶ月の先日、
「温泉は行けるでしょうか」と恐る恐る訊いてみた。
すると、「大丈夫ですよ」との答え。
回復がすこぶる順調なおかげだ。
私の眼のナマの状態を診てもらっている医者からのお墨付きを得た。

解禁記念の温泉はそれなりの所に連休明けに予約をしたが、
いつでも温泉に入れると分っているので、それまで待てない。
なので、大学の用事のあい間のウイークディの今日、
名古屋の棲み家から一番近い温泉、小牧にある「キャッスルイン小牧」に投宿した
(日帰りでなく、あえて宿泊するのは温泉に幾度も入りたいから)。
温泉解禁の宿は別にあるため、今回の正式の名目としては、”論文提出の慰労”。

このホテルは当ブログで幾度も紹介しており、
ビジネスホテルながら真の天然温泉が併設されているのが特徴。
つまり、ビジネスホテルの宿泊費で温泉が入り放題なわけ
(大浴場付きのビジネスホテルには、入浴時間が制限される所が多い)。
しかも2階が居酒屋なので、ホテルの室内着で飲み食いできるのがいい。
難を言えば、客室内のカーペットが古く、ちょっと臭いがする。
今回宛てがわれた個室の臭いがあまりに強いので、フロントに文句を言ったら、
きれいで広いダブルルームに替えてくれた(言ってみるもんだ)。

さて、温泉だが、
源泉名は「コロナの湯」という(オーナーの法人名から)。
泉温は31.7℃なので温度レベルで「温泉」合格。
ただし浴槽へはもちろん加温している(加水、循環、塩素も)。
溶存物質は8033mg/kgもあり、1000mg未満の”単純泉”ではなく、「塩化物泉」。
濃度的に「等張性」で、長湯しなくても成分が細胞に染み渡る。
すなわち、そこらの温泉よりずっと濃い温泉なのだ。

成分は陽イオンではナトリウムが71.5%と陽イオンで最も多く、
ついでカルシウムが27.8%。
陰イオンでは塩素ほとんどで99.3%。
なので泉名は「ナトリウム・カリウム塩化物泉」

ナトリウムは筋弛緩効果がある。
カルシウムは神経の鎮静効果、塩素は皮膚の被膜形成効果。
先日の大山登山で、膝を痛めた身にはナトリウムがありがたい。
あと、メタホウ酸が60mgもあり(これだけで温泉合格)、皮膚の殺菌作用がある。
以上が源泉のデータ。

私独自の計測として、浴槽の湯口からとった湯の残留塩素は0.2gm/lで水道水並、
pHは6.5と中性だが、分析表では「弱アルカリ性」となっている。
加熱している分、pHが下ってしまったのか。
Mアルカリ度は40mg/l、
電気伝導度は501μS/cm(36.6℃)と他の温泉と比べてかなり低い
(たとえばわが定宿・中津川温泉の1/7)。
これは、源泉がかなり薄まっているということか。
客室の水道水を測ると227μSなので、
浴室の湯の”濃度”は水道水の2倍程度ということになる。

そういえば、分析表には他なら載っている「湧出量」が記載されていない。
ということは、上の濃い源泉は実際には記載に値するほどの湧出量がなく、
実際に入る大浴場はかなり加水しているということになる。
なるほど、”電気伝導度”で温泉と称する湯の加水度合いが分るわけだ。

追記:2016年、コロナの湯は温泉をやめた。


丹沢大山、涙の男坂

2013年09月09日 | 山歩き

白内障手術後の「はげしい運動禁止」が解禁を迎え、また今月締切の論文原稿も仕上がった。
図書館通い詰めによる運動不足を解消しようと、まだ大学が夏季休業中なのを利用して、
晴天を迎えた月曜に、丹沢の大山(1252m)に行った。

この歳になっても早起きが苦手なので、自然の目覚めで8時すぎに起き、
出勤ラッシュが終わった電車に乗った。

大山にはケーブルカーが中腹まで達している。
遅めの出発だったこともあり、早めに山頂に達したいので、往きはケーブルに乗ることにした。
月曜の昼前だから、乗客などいないだろうと思っていたら、意外に客がいる。
定年後の老人だけではない。
大学生は確かにまだ休みだ。
あとは理容・美容業界の人と博物館勤務の人たちだろうか。

以前と違い、最近はおしゃれな「山ガール※」が目につく。
ここ大山にも、伊勢原の駅からバス・ケーブルと同じ車内に山ガールが一人。

※山ガールとは、おしゃれな出で立ちの若い女性に限定する。
若くても観光客的素人タイプや逆にワンゲル女子部員的武骨な身なりの女性は除外。
今回の大山にも女性は多くいたが、山ガールといえるのは1人だった。

ケーブル上の阿夫利神社下社(696m)に着いた。
相模湾から江ノ島まで見える。

下社から登山が始まるのだが、
まず私が山ガールに先行して登り出す。
ところが、後ろから登ってくる山ガールのペースが速い。
どんどん接近してくる。

私が若い時は、山では必ず前方にいる人を追い抜き、決して追い越されることはなかった。
ところが、山から一旦リタイアし、
高尾山から再スタートした今の私では、残念ながら山ガールの猛追をかわす脚力がないことを悟った。
なにしろ「山ガール」なのだがら、若く、山歩きにも慣れている。

せめてもの意地で、見晴らしのいいところで立ち止まり、
休憩を装って、山ガールに道を譲った。
山特有の軽い挨拶をして彼女が通りすぎる。
勿論、真の休憩でないので、すぐ出発。
だが、山ガールのペースは驚くほど速く、あっという間に見えなくなる。
追い越されっぱなしとは悔しいが、かくも速度が違うので、追いつく意欲もわかない。

ところが、しばらく登っていくと、目の前の平坦地であの山ガールが座って昼食をとっていた。
確かに時刻は正午頃で、昼めし時だ。
でも私は山頂で摂りたいので、空腹を我慢して、山ガールに目礼をして、通り過ぎる。
図らずも「追い越されたまま」という事態を解消できた。
だがこれが、この後私に不必要な意地を張らせることになろうとは…。

マイペースで登り、携帯電話で銀行からかかってきた投資相談を長々とやりとりし、
山頂ももうすぐというところで、ふと後ろを見ると、なんとあの山ガールが真後ろに迫っている。

一度は諦めたレースだが、再びリードを得た今となっては、意地でも負けられない。
それに、山頂というゴール直前で追い抜かれることほど悔しい事はない。
だが、あちらはエネルギー充填済み、こちらはエネルギー充填直前のカラカラ状態。
私は意地でカラ元気を出して、幸い心肺機能は元気だったため、
ふらつく足にむち打ち、彼女を引き離して頂にゴールした。

下社から標準タイム90分のところを75分できた。
若い時なら60分で来れたが、今のコンディションなら、これで充分か。

山頂で昼食をとり30分休んで見晴らし台に向った。
後から来た山ガールはまだ休んでいる。

標高差500m下の見晴らし台へはけっこうきつい下りで、
それでも先行者をつぎつぎと追い抜いていく。
そんな私の後ろで靴音がしたので、振り返ると、なんとまたあの山ガール。
私以上のハイペースで降りてきて、先行した私に追いつかんという所だ。
ここで追い抜かれてはなるまじと、ギアを入れ替え、ペースを速める。
山ガールとの距離がどんどん開く。

見晴らし台に着いた。
ベンチにどかっと腰を下ろし、きつい下りで痛くなった足のために靴ひもを弛める。
山ガールがやってきて、離れたベンチに座り、水を飲んでいる。
私はこの先の下山ルートとして、下社にもどるか、日向薬師に降りるか迷っていた。

一服した山ガールは下社方向に下っていった。
しばらく休んで私も下社に下ることにした。
山ガールに最後の勝負を挑むためではない。
ここまで抜きつ抜かれつだったから、
同じルートを完遂したくなっただけ。

下社までは平坦な道で楽だった。
山ガールは往きと同じくケーブルカーで降りたはずだが、
男坂を下ると麓まで20分という標識を見て、ケーブル代450円を浮かすことにした。
ところが、これが失敗だった。

男坂は、ケーブルの軌道に沿った直線ルートで、その実体は「坂」ではなく、硬い自然石の階段なのだ。
今までの下りで、充分に膝を痛めていた。
特に右膝は膝関節症を患っていて、それがために登山の再開を一年延期したほどだ。
硬い自然石の石段は、一歩踏み降ろすたびに容赦なく膝に響く。
その苦痛を麓までずっとあび続けなければならない。

男坂は二度と通るまいと心に誓いながら、
半泣き状態でやっと、石段の終わりのバス停にたどり着いた。

一日の運動として充分な汗をかいた。
ただ、若い山ガールに意地をはって、ハイペースにしたため、疲れが膝に来て、
その疲れた膝に、延々とつづく石段の試練を与えてしまった。
膝の後遺症が出ないことを祈るのみ。


祝!オリンピック東京開催

2013年09月08日 | 時事
2020年オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まった事は、
日本人として素直に喜びたい。

かつて石原前都知事が東京招致を打上げた時は、都民の一人として反対だった。
1964年の東京オリンピックが”高度成長”の起爆剤になった過去経験に束縛された発想に思え、
成熟した今の東京には必要に思えなかった。

名古屋に勤務する者としては、過去に苦杯を舐めた名古屋がリベンジするなら応援できたのだが。

私の気持ちが変わったのは、東日本大震災がきっかけ。
日本、とりわけ東日本に元気がほしかった。
復興を乗り越える目標となる元気が。
その意味では仙台でもよかったが、名乗りを挙げるのは都市の判断だから、
自ら手を上げない所を支持するわけには行かず、
日本全体を元気づけるという意味では、首都東京で文句ない
(そもそも東京も死者を出し、放射能を浴びた被災地だし)。

だから東京招致のアピールには、「震災の影響はない」と切り離してほしくはなかったが、
震災復興を第一義にしてしまっては、国内向けの理由になって、逆に国際的には説得力がなくなってしまう
(もっともどこの候補地も本音は国内経済の活性化のはずだが)。

東京は、イスタンブール・マドリードに比べて客観的にも優位にあったが、
直前になって福島原発の汚染水漏れが明らかとなり、それが唯一気がかりだった。

もし、東京が敗退した場合は、
「福島原発問題の解決を優先しろ」と言う世界からのメッセージなのだと受けとめる心の準備をしていた。

翌朝知った結果は、東京の圧勝!

実際には、安倍総理の「心配はない」という演説が奏効したようだ
(個人的には、高円宮妃のスピーチがすばらしかた)。
それなら、その演説が嘘でないことを証明するしかない。
これは、国が全面的にバックアップすることの宣言であり、福島にとってもいいことだ。
東京オリンピック招致が、我々日本人を精神的に元気にしてくれるだけでなく、
実質的に震災復興の起爆剤になってくれれば、文句ない。
何しろ、兆単位の経済効果が期待されるのだから。
会場は東京だが、東京のためのオリンピックではない。

多治見のアメダスを確認

2013年09月06日 | お天気

9月3日に多治見市に行ったついでに、多治見のアメダス観測地を見に行った。
熊谷市民からネットでクレームがついている「露場」をチェックするため。

場所は、市街地の北の外れにある消防署裏、高速道路の斜面の下。
問題とされているのは、地面が正規の”芝”でないこと。
青ぽいシートで覆われている(上写真:クリックすると拡大するかも)。
写真の電柱の左の中空の機器が温度計である。
温度計は、この金属の筒内にあり、直射日光から守られ、空気だけが出入りしている。

シートの地面に手を触れてみた。
晴天だったこともあり、空気中よりは高温になっている(温度を測れなかったことが悔やまれる)。
ただ、前にも書いたが、観測器を設置している自分の計測経験から、
この程度の地面の熱が1.5m上の日陰の空気中に影響を及ぼすとは考えにくい。

むしろ、写真左にある高速道路の斜面が疎林となっており、
そこからの日陰の低温の空気が、重たいため斜面をすべりおりてこのアメダスに流れていて、実際に涼風を感じる。
これはむしろ不利な要素といえる。
といっても疎林なので、”日陰”以上の効果はないだろうが
(斜面の上が”密林”だと、ホントに冷却効果がある)。

以上、目くじらを立てるほどではない、というのが私の印象。

館林のアメダス訪問記