勤労感謝の日は、意地でも仕事をしない。
今年は、会議のない週だったので、東京の実家にいる。
ではどこに出かけるか。
東博の特別展と温泉と山城に行ったばかり。
思いつくのは、やり残した妙正寺川歩きの後半。
本流である神田川もまた最大支流である善福寺川も歩き通したので、なおさらやり残しが気になる。
そもそも神田川流域歩きの嚆矢が、2015年9月の妙正寺川の源流からの歩きだった。
源流の妙正寺池(杉並区)から始めて、野方(中野区)まで歩いて、下流に興味をなくして切り上げたのだ。→「妙正寺川を歩く1」
川歩きは準備もいらず、早起きせずに実行できるのがいい。
なんと起きたのは9時半だったが問題ない。
西武新宿線に乗り、昼前に野方で降りる。
コンビニで昼食用のおにぎりを買い(ずっと歩くので、たらふく食べることはしない)、
環七の陸橋を渡って、昨年の中断地点から川歩きを再開する。
上流と同じく、両側に歩道があるので楽。
ただ川の両岸はコンクリの護岸で、川床もコンクリ。
なので風情もなく、見て楽しくもない(だから途中でやめたともいえる)。
水は澄んでおり、鴨の群が遊んでいる。でも魚影は見えない。
川は微妙に湾曲し、人工の護岸も両岸の道もそれに沿って湾曲している(写真)。
強引に直線化しない点は好感がもてる。
川沿いの「平和の森公園」という広い公園に入り、ベンチでおにぎりを平らげる。
住宅街の川歩きルートは、公園が所々に現われるので、トイレと小休止・水分補給(自販機)には事欠かないのがありがたい。
このへんになると川床が自然の石のようになり、少しは風情が出る。
上流からずっとコンクリだった川もこの緑の川床を味わうかのように、流れが停まっている(高低差がないだけ)。
時たま、川床が急な斜面となり、その時だけ、川はせせらぎの音を立てる。
ずっと無音の流れだったので、川歩きの身としては、いいアクセントになる。
だが、そのせせらぎの真横の家では、一年中、昼夜別なく川音が鳴っているわけだ。
私も時たま川の音の環境CDをかけるが、のべつまくなしに聴いていたいとは思わない。
なにしろ、水量の多い川音って音質的に”雑音”に近いから。
きっと窓を閉め切っているだろうな。
ここから川は北に向かい、流域の最北端で支流の江古田川が合流してくる。
江古田川はすごく短い支流なので、あえて歩くほどのものではない。
この合流点から江古田公園になり、そこに「江古田古戦場」の石碑がある。
江古田古戦場は、江戸城にいた太田道灌が今の23区北西部を支配していた豊島氏(石神井城を拠点)を破った所。
川歩きの途中で私が大好きな関東戦国前期の史跡に出会えたのもうれしい。
対岸の北野神社に詣で、下田橋を渡ると、哲学堂公園に入る。
ここは小学校卒業後の春休みに、別の中学に行く友達と来て以来(小学校最後の思い出に、友達とここから文京区の家まで歩いて帰った)。
小学生の分際で哲学的思索をしたいためではなく、友達の一人がこの近く出身て、公園として遊びに行ったのだ。
川沿いの広場には、最近できた、ハンガリー出身の彫刻家による世界の哲人たちが集う彫刻がある。
釈迦や老子が向かいあい、聖アブラハムがひれ伏す脇を通行人が通り過ぎる(写真)。
妙正寺川の右岸は大きな調節池になっている(2005年に水害が発生した)。
哲学堂を抜けると、北原橋という新しい橋(このあたりも水害があった)から、行く手に新宿の高層ビル群が見える(写真)。
流域で一番の眺めだ。
上流から続いた中野区を脱け、新宿区(中井)に入る頃になると、両岸ともうす汚れた感じになる。
幾度か川を横切る西武新宿線の線路近くには歩道がなくなることがある。
その場合は、迂回路を取らねばならないが、そういう場合も、途切れた川沿いの道をあえて往復して、川歩きをできるだけ通す。
下落合(妙正寺川が神田川に合流していた地名)に達するとまた気を取り直したかのように川の周囲がきれいになる。
そして下落合駅の先で、妙正寺川は(本来の神田川と合流する流れが変更されて)暗渠に入る。
普通はここが妙正寺川の終点とされている。
だがそれは違う。
妙正寺川は暗渠になっただけで、まだ終わっていない。
川の終点は本流との合流点か河口のどちらかしかない。
妙正寺川のゴールは(変更された)神田川との合流点だ。
それはこの暗渠の先にあるのだ。
私は、暗渠の上になっている新目白通りをさらに東進する。
山手線のガードをくぐり、向こうに都電が見えてくると、そこは神田川の高田橋。
暗渠だった妙正寺川が再び顔を出して、神田川に合流する地点なのだ。
ここが真のゴールである(写真:手前が暗渠出口、奥が合流後の神田川)。
高田橋と合流後の神田川にかかる高戸橋の周囲を一周して、合流地点を360度から見まわした。
ここまで正味2時間半。
達成感も得られたし、ウォーキングとしても丁度よい。