今日6月1日は気象記念日。
明治8(1875)年のこの日、東京気象台(気象庁の前身)が開設され、
気象業務を開始したという。
また最初の天気予報が出されたのも10年後の6月1日。
昨日の荒天とはうってかわった好天の、この記念すべき日に、
私は幸い東京にいる。

気象庁では、防災関係の記念フォーラムを開催するというが、文系の私としては、さしあたっては杉並の高円寺にある日本で唯一の”気象神社”で今日行なわれる例祭を見に行きたい。
高円寺は、予備校時代1年間通った町。
駅の北にも南にもある密度の高い商店街はそのままだった。
名古屋の我が棲み家がある名東区藤が丘を、「名古屋の高円寺」と称する町案内の本があったが、悪いが密度が全然違って比べ物にならない。
まずはパル商店街の昇月庵で「高円寺そば」を食べる。
こういう地元名を冠したそばって、えてして名前だけだっりするけど、
ここのはそばが竹筒に入って、山菜など盛ってあるちゃんとした特色あるそば。
店内も琴の音が流れて落ち着いた雰囲気
なのだが、町の食堂の例に違わず、喫煙者の隔離がされないので、
喫煙おやじたちのくさい煙で、食後すぐ席を立たざるをえないのが難点。
午後二時開始の神事にはまだ時間があるため、北にある馬橋公園に行く。
街歩きに欠かせなモバイルGPS(Mio)が修理中なので、あてずっぽうで歩いていたが、
やはり場所がわからないので、早稲田通りの書店で区分地図を買う。
馬橋公園は、元は陸軍の気象部があり、戦後は気象研究所となっていた。
そして研究所が筑波に移転した後、公園になった。
気象神社も元はこの地にあったのだ。
いまも隣に気象庁官舎がある。
なぜ気象の神社があったかというと、
気象観測員が勤務前に予報の的中を、祭神オモイカネ(知恵の神)に祈る慣行があったという。
まぁ当時の予報技術なら、神頼みしても仕方あるまい。
駅に戻って、南にある氷川神社境内の気象神社に行く。
例祭の日なので、祠の扉が開いていて鏡が見える。
フジテレビのカメラが待機。
放送するのかな。
神官2人が出てきて、いよいよ神事が始まる。
三々五々集まってきた参列者は20人ほど。
ほとんどがかなりの年配者で、いずれも雰囲気的に陸軍関係(第三気象聯隊戦友会?)か。
数人の若手は、右寄りの軍支持者の雰囲気。
明らかに気象系なのは、携帯気象計を首からぶら下げている私と
フジテレビでお天気キャスターをやっている天達武史氏(テレビの仕事で来たようだ)。
祠前に置かれたミニラジカセで雅楽を流して雰囲気が作られる中、
神官が、参列者一同にも幣(ぬさ)でお払い。
神事中、不謹慎にもストロボを焚いてデジカメのシャッターを切る(写真)。
祝詞が終わって、参列者による玉串奉奠。
老いた軍関係者たちに続いて、私が神官に促され、気象系の先導を切って神前に進んだ。
その後、カジュアルウエアのアマタツ氏も慣れない所作で参拝を終える。
全員で礼をして、神事終了。
旧軍関係者は社務所で直会(なおらい)があるようだ。
その社務所に行って、記念に下駄型の絵馬を買った。
観測網もたいしてなかった昔の予報官は、時として下駄を放りたくなったろうな。
境内には、撮影日の晴天を祈願するカメラマンなどが奉じた下駄絵馬が並んでいる。
てるてる坊主より下駄である分、神頼みというより能動的な予報行為といえるか。
神事は15分程度で終わったので、私にとっては気象記念日の行事としてはチト物足りない。
なので、大手町の気象庁本庁に行き(入口には「気象記念日」の立て看)、
売店で気象業務の本を買った。
以上、私の気象記念日