今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

半年ぶりの高尾山

2024年05月04日 | 山歩き

この4連休中に久しぶりに山に行く。
前回は昨年11月4日の高尾・城山だったから(→記事)、実に半年ぶり(しかも前回も8ヶ月ぶりだった)。
いつの間にかとんと山から遠のいてしまった。

かように久しぶりなので、弱った脚力に負担をかけないとなると、行き先はやはり最も手近な”高尾山”となる。

ルートは私の定番である琵琶滝道を上って薬王院を参拝して山頂に達し、下りは稲荷山コース。


自然な目覚めで7:30に起き、昨日買っておいておにぎりを2個食べて出発。
いつもよりやや早い時刻のためか、 JRも京王線も空いている。

終点の高尾山口駅からは高尾山に登る人たちの行列状態となるが、清滝登山口からケーブルでも1号路でもない谷沿いの道(6号路)に入ると人はまばらに。

6号路と分かれて高尾病院前を通って山道に入る。

山道に入ると都会から一番近い山ながら、平地の公園と比べて、木々の密度が格段に濃い。
しかも高尾山は奥多摩の山と違って自然林なので、多様な木々が混在して森の表情が豊か。
もう空気(雰囲気)が全然異なる。
やはり高尾山は、東京からもっとも近く”山”を味わえるいい所。

山道に入ってすぐ脇の道から離れた所に石碑があるのに今更ながら気づいた(幾度も通っている道なのに)。
よく見ると「中里介山妙音谷草庵跡」とある(写真)。
奇しくも今読んでいる『大菩薩峠』(往きの京王線車内でも読んでいた)の作者が結んだ庵(いおり)の跡だ。
介山は38歳の時、この庵で執筆活動に励もうとしたが、ケーブルカーの敷設工事の騒音に悩まされ、一悶着起こして奥多摩に去っていった。
実は『大菩薩峠』内にも、高尾山観光開発の件(くだり)があって、介山の思いが反映されている。
その庵跡を知りたいと思っていたのだが、ここにあったとは…

山道は琵琶滝(昨年、滝行をした)からの本道と合流し、尾根を直登して、やがて舗装道路の1号路との合流に達するが、まだ静かな山道を歩きたいので、その手前の分岐で2号路に進む。
2号路からさらに3号路を進むとずっと静かな山道が山頂まで続くが、中腹の薬王院に参拝したいので、参道入り口で1号路に合流し、ここからはケーブルに乗って来た観光客と一緒に舗装道路を進み、薬王院を経由して山頂まで達する。

人がぎっしりの山頂で、茶屋が空いていたらそばを食べようと思っていたのだが、すでに長い行列なので諦める。
山頂からは残雪の富士と対面できるが、私は立ち止まらずに、山頂を後にする。
一旦下って、鞍部から先は奥高尾という登山対象の山域で観光客はここから先には入らない。
そこを進んで「もみじ台」という高台に登ると、「細田屋」という茶店があり、ここでもそばを食せる。

この店で並ばずに冷やし山菜そば(1000円)を注文し、富士を正面に眺めながら(写真)、そばを食べる(山頂をすぐ後にしたのは、ここを目指したから)。


復路は、高尾山頂を巻いて、稲荷山道に出る。
この長い山道は、以前は露岩や木の根が出て凹凸が激しかったが、板が敷き詰められて歩きやすくなった。
その代わり、稲荷山山頂にあった東屋は解体された。

長い下りをスタスタ降りても、懸念した左脚の腸脛靭帯が痛むことなく、無事、清滝登山口に降り立った。
その広場では仮設された舞台の上でチャイナドレス姿の女性が日本語で歌っている。
雑沓の中、私は一人高尾山に振り返り合掌し、無事下山を感謝すべく光明真言を三唱した。

時刻は13時をまわっているのだが、山麓に軒を連ねる蕎麦屋は「高橋屋」をはじめとしてどこも行列(もみじ台で食べてきてよかった)。
高尾山口駅前から川に沿った一帯が親水公園に整備されていて、子どもたちが水遊びをしている。
その付近には木製のベンチも置かれているが、日差しを遮るものがない。
無事下山を祝して(精進落しの)ビールを飲みたいのだが、座って飲める場所はここしかない。
幸い、つば広の帽子をかぶっているので、駅のコンビニで缶ビールとつまみを買って、川べりの広場に座って缶ビールのタブを開けた。
大腿四頭筋の疲労感さえも、やり遂げた感を満たす要素として味わう。


久々の山歩きで

2023年11月04日 | 山歩き

秋の三連休。
しかも晴天率が最高の休日である「文化の日」を含んでいる。
実際、三日間とも雨にはならない。
例年と違うのは、いずれも夏日になりそうな暖かさであること。

初日の3日は、あえて外出せず、今一番読みたい本を読み込んだ。

中日の今日は、久々の山歩きに出かけた。
どのくらい久々かというと、5月に茶臼山山頂(1419m)に立ったが、高原から標高差200m程なのでそれを除外すると、
3月の高尾山(599m)以来(→記事)となり、なんと8ヶ月ぶり(行ける山が低山限定なので、夏季は無理)。
その間、平地の名所巡りで、ある程度歩いても、足腰を鍛えた覚えはない。

ということもあって、行く山も抑え気味に、高尾山とその奥の小仏城山(670m)にした(この山は10ヶ月ぶり)。
一応”峰入り”行のつもりで、蔵王権現の念持用カプセル仏をリュックに入れ、頭に白鉢巻を巻く。
※:修験道の本尊で和製の仏の化身。本地は孔雀明王という。

登りはいつも通り、蛇滝道の直登コース。
そこから2号路を経て1号路に合流してからは舗装道路となり、ケーブルで来た軽装の観光客と混じって歩く。

薬王院の本堂・愛染堂・歓喜天堂、そして奥の院の不動堂と富士浅間神社を参拝し、
山頂直下で巻道に入って山頂をショートカットし、観光地ではない奥高尾山域に入って、小仏城山に達する。
ここの茶屋でおでん(500円)を食べる。

ここから下界に一番近いのは、小仏峠経由で小仏バス停に降りるルートだが、バスのとその後の高尾駅からの電車が混みそうなので、
時間はかかるが始発駅から乗れる高尾山経由の往復路にする。

往路を高尾山まで戻って、下山路もいつも通り稲荷山コース
(元は高尾山で唯一露岩と木の根の本物の山道だったが、道のかなりの部分が板敷きに整備されていた)
ケーブル下の駅前に降り立ち、高尾山に振り返って無事下山を感謝して光明真言を唱えた。

久々の山歩きで、登りも下りも脚の筋肉が疲れた。
平地の歩行とは使う筋肉が異なることを文字通り”痛”感。
今更痛感するということは、これらの筋肉が実際に衰えているということだ。


中高年登山者の滑落遭難

2023年10月10日 | 山歩き

山での遭難には、道迷いや疲労での行動不能が多いが、とりわけ中高年登山者(=登山者の大半)に目につくのは、バランスを崩しての滑落(打ち所が悪ければ即死)。

これは中高年固有の弱点によるもの。
何しろ、片足立ちの標準タイムは、年齢が高くなるにつれ短くなり、さらに”閉眼”を付け加えると、その標準タイムはグッと短くなる。

整地されていない普通の山道(斜面に岩や木の根が露出、あるいは崩壊地で、片側は谷底)はただでさえバランスを崩しやすい。
言い換えれば、平地の歩行では凍結でもしていなければ経験しないスリップ・つまづき現象が山道では普通に発生する。

ということは、山道ではスリップは起こりうるものとして、そうなった時の瞬時のバランス回復(転倒・滑落の防御)が重要となる。
その瞬発的バランス回復力が年齢に比例して落ちるわけだ。

このバランス回復には、まずは下半身のあちこちの筋肉の収縮力が必要。
簡単に言えば、直立を維持するための筋肉群の連動。

さらに、倒れない=重心からの垂線を足底部内に収めるための重力感覚が、姿勢を維持する動きの前提となる。
その感覚は内耳の耳石に由来し、そしてその感覚と筋肉反射とをつなぐ小脳の機能がポイントとなる。

中高年登山者は、これらが衰えている(きちんと鍛えていない)から、滑落しやすくなるのだ。

大学で山岳部だったが今では高尾山や御岳山レベルで満足している私でも、”閉眼片足立ち”のトレーニングを(ときどき)して、直立維持の筋肉群と小脳(の神経回路)を鍛えている。
なので、先日滑落死者を出した戸隠山の難所”蟻の門渡り”なら今でも平気で歩けるだろう→関連記事「閉眼片足立ちが困難な理由」。


色々な目的で高尾山に行く

2023年03月19日 | 山歩き

晴天の日曜、高尾山(東京都八王子市,599m)に行った。
高尾山は、大した準備も早起きも不要で、思い立ったらふらりをいける山。
山といっても、都民が小学校の遠足で最初に登る超初心者向けの山で、
ケーブルカーもあるので、山の装備がなくても行ける山上の行楽地でもある。
ところが、私にとっては”霊山”としての価値が爆上がりで、
今回も霊山としてのとある目的の下見とその他の目的を兼ねて、改めて訪れた。

高尾駅から小仏(こぼとけ)行きのバスに乗り、途中下車して蛇(じゃ)滝に向かう。
蛇滝は高尾山北面の谷にかかる滝で、滝行の設備(濡れた行衣を着替える建物)がある。
行者以外は立ち入り禁止になっているので、滝そのものは登山道からは見えない。
立ち入り禁止の入り口に、ハングルの表示があるものの、英語や中国語はなかった。

斜面を登って主稜線に出る手前で、2号路に入る。
高尾山には1〜6号路の道があるが、中途半端な2号路は今回初めて通る
(主要1号路の迂回路としての価値しかない)。
すなわち、歩き残した2号路を歩くことで、高尾山内の全て道を踏破したことになる。

2号路の終点からケーブル駅からの人で混在する1号路に合流し、
そのまま薬王院に達して、あちこちの堂を参拝する。
今回は、日光の中禅寺(立木観音)で買った錫杖のミニチュアを持参し、
参拝の時にそれを振る。
やはりここでも、仏様に神社式の参拝(2拝2拍手1拝)をしている若者がいたので、隣に立って、それは神社式でお寺では合掌だけだと教えた。

薬王院の売店で、お清めの塩が袋に入って売っている(100円)。
これを買うのが今回の目的の1つ。
自宅の風呂にお清めの塩を入れるためだ(除霊効果があるという)。

飯縄(いいづな)権現堂とその脇の福徳稲荷社を参拝するとき、
持参した吒枳尼天の念持仏をかざして祈り、自分の吒枳尼天像に魂を招いた。
※携帯できる蓋付きの木彫りの像。アマゾンで購入でき、多種あってありがたい。
これも目的の1つ。
飯縄権現は山そのものの化身で、吒枳尼天と同じく狐を眷属にしている。

奥の院の不動堂では錫杖を振りながら不動明王の真言を唱え、
さらに最奥の富士浅間社では、「南無あさま大菩薩」と唱えた。
普通はそこは「せんげん」と唱えるが、薬王院の売店で見た『薬王院信者勤行集』に、山内の諸尊の宝号にそう仮名が振ってあったから
※:つまるところ富士山と浅間山は同名なのだ。

混雑している山頂を通り抜けて、奥高尾にちょっと入った所にある茶屋・細田屋に行く。
ここはいわゆる観光地としての高尾山から外れた山の中なので、
観光客がいない分空いていて、また富士方向の眺めもいい。
高尾山域は茶屋に恵まれていて、昼食を持参しなくてもいいのがありがたい。
ただし昨今の時勢を反映して、値上がりしていた(おでん700円)。

ここが本日の折り返し点で、高尾山頂は迂回して、1号路を薬王院に向かう。
途中、スマホを自撮り状態にして録画しながら歩く、派手な服装の YouTuberギャル数人に遭遇。
かように1号路なら、行楽地気分で山頂まで行ける。

ケーブル駅手前の”かすみ台展望台”から、1号路を外れて琵琶滝コースの山道を下る。
下っているうち、右膝の上部が痛くなってきた。
長年患っていた腸脛靭帯炎は左膝で、そっちはなんともない。
この右膝の部位は腸脛靭帯(外側面)ではない。
といっても歩行不能になるほどではなく、ごまかしごまかし降りて、琵琶滝に達した。

琵琶滝も行者以外は立ち入り禁止だが、滝そのものは外から眺められる。
ちょうど行衣を纏った行者が滝に向かっていくところ。
こちらの立ち入り禁止の入り口にもハングルがしたためてあり、
英語や中国語はない
※:ミシュランガイドにも載っている高尾山は、さまざまな外国人が大勢訪れる。
日本語で「川に供物を投げないこと」とある。
言い換えば、ハングルだけの注意書きがあるのは、蛇滝とここ琵琶滝の滝行の場。
かの国の人たちは、滝に対して何か固有の振る舞いをするのか?

日曜の午後だからか、琵琶滝周囲の岩屋大師や地蔵仏に灯明が灯されて、
霊山にふさわしい敬虔な雰囲気が漂っている。
ここから高尾山の登山口(下山口)までは緩い下りで、登山口に着いて、高尾山に振り返って合掌した。
登山口にも清滝という細い滝があって一応行場になっているが着替える場所はない。

これにて、複数の目的(全ルート踏破、清めの塩購入、吒枳尼天の入魂)を果たした。
ただし余計な課題(右膝痛)も背負い込んだが…
そして「とある目的の下見」というのは、滝に関することで、
目的に関わるのはまだ先の話。

また、今回の蛇滝→薬王院→琵琶滝→清滝というルートは、
行楽地としてのn号路を極力通らず(スマホ片手の行楽客と一緒に歩かずに済み)、行場巡りであり、”霊山”としての高尾山を味わうのに最適。

ちなみに、マスクは、山中ではもちろん、電車内でもしなかった。


大垂水峠から小仏城山・高尾山

2023年01月09日 | 山歩き

旧甲州街道での武蔵と相模の国境は小仏(こぼとけ)(548m)
現甲州街道での東京・神奈川の境はその南にある大垂水(おおだるみ)(391m)
両峠の間にある山が小仏城山(670m)で、もちろんこの山も県境となっている。

現甲州街道(国道20号線)が越える大垂水峠は、まさに国道上にあり、歩きの対象ではない。
ということもあり、幾度も行っている小仏城山だが、大垂水峠から登るルートを唯一歩いていなかった。

幸い、ここには峠越えの路線バス(八王子〜相模湖)が走っている。
問題は時刻だが、10時台に一本あり、丁度いい。

というわけで、1月3連休の最終日(成人の日)、山手線の工事が唯一ないこの日に、京王線で高尾山口に行き、
そこからバスに乗り、大垂水峠で降りた。
実はこの峠で降りたのは2度目で、1度目はここから城山とは反対側の南高尾山陵を歩き、峰の薬師から津久井湖に降りた。
なので今回は、歩き残しの部分を埋めるというわけ。

大垂水峠からは高尾山に向かう道もあるが、それを素通りして、丁度道路が下りになる所(神奈川県側)で、小仏城山への山道に入る。
沢沿いの道から斜面の登りに移り、緩い尾根道に出る。
一旦下って登り返し、高尾山からの縦走路に合流すると城山の頂に出る(峠から歩程50分)。

広い頂上には茶屋が2軒あり、一方は都心・関東平野を望む東京の店、他方は富士を望む神奈川の店。
今日は白い富士がきれいに見えるので、神奈川の店で名物なめこ汁(300円)と田楽(200円)を食べる。
これが目当てで昼食は持参しなかった(昼食にしては軽すぎるが、山を降りてとろろそばを食べる予定)。
昼食不携帯での山行は、茶屋が充実しているこの山域だから許される。

双方の茶屋にはビール・日本酒・ワインも置いてあり、周囲の人はそのどれかを賞味しているが、
私は心を鬼にして山中でのアルコールには手を出さない
今回も”峰入り行”のつもりだし。
※:酒を”人生の友”としたい者にとっては、”友”との付き合いの境界をどこかで明確にし、それを堅持することも大切だと思っている。

腹を落ち着かせた後、改めて富士を眺める。
高尾山からよりも大きく見えて存在感抜群(写真)。

正月の富士を充分堪能して、高尾山(599m)に向かう。
途中のピークは水平な巻道を通り、高尾山も5号路で山頂を巻いて薬王院に向かう。
奥の院の不動堂に参拝し、薬王院の四国八十八ヶ所の砂場巡りも初めてやって、愛染堂も参拝
※:仏の参拝は、できるだけ身・口・意の三密、すなわち手印と真言と念を合わせる。峰入の時はなおさら。

薬王院周辺の杉の神木と気の交流(老木には気を放射)をし、
かすみ台展望台から琵琶滝への山道を下る。
今回は、左脚の腸脛靭帯用サポーターもつけずに歩いたがなんともない。
だが逆に今までなんともなかった右脚の腸脛靭帯が疼く。
それをなんとか騙し騙し歩いて高尾病院前に降り立つ(山道終わり)。

この付近に異形の木があると本にあったので探したら、それとは別かもしれないが、
幹の洞の中に別の木が伸びている珍しい木があった(写真)。

ケーブル駅のある高尾山登り口に着き、高尾山を振り返って感謝の意を込めて光明真言を唱える。

とろろそばを食べようと思っていたが、サポーターなしでも腸脛靭帯が痛まなかったので、
駅の売店で缶ビールとつまみを買って、歩道脇の広場のベンチで祝杯をあげた。
長年患っていた左の腸脛靭帯炎は完治した感じだ。


年末の高水三山

2022年12月29日 | 山歩き

年も押し詰まった29日、正月準備もおおかた終えたので、
今年最後の山歩きとして奥多摩の高水三山縦走に行った。

三山縦走といっても標高700m台の奥多摩入門のコースで、
奥多摩よりグレードの低い高尾山域卒業後として行く山で、
中学の時に山を始めた私も中二の春に登っている。
そんな手軽な山だが、駅から(バスに乗らずに)直登できる手軽さがいいので、
ふらりと山に行きたい時に候補となる。

高水三山のうち、高水山は山上に寺、惣岳山は山頂に神社があるため、
例によって修行の”峰入り”として行く。
すなわち数珠を片腕に巻き、白鉢巻を額に巻き、ストックを錫杖代わりにして、
登るときは「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱え(富士講が採用しているこの懺悔文が呼吸と合わせやすい)
山上の寺社では真言を唱えるのだ。

青梅線が奥多摩の深い峡谷の入り口に達する軍畑(いくさばた)で降りる。
本来人気の山だが、押し詰まった時期の平日なので、降りた登山客は私の他に3名しかいない。
谷あいの道路を北上すると、不動三尊の珍しい石仏がある。
制吒迦迦童子の不敵な顔に高校の時以来注目している石仏で、通るたびに写真に収める(写真)。
峰入りなので道端の石仏・祠にも必ず立ち寄って拝む。

高水山(759m)の山上にある常福院(真言宗)は、
何やら大掃除の様子だが、波切不動を本尊としており、不動の真言を唱えて参拝し、梵鐘を静かに撞いた。

三山の中間にあり最高峰の岩茸石山(793m)だけは信仰と無縁だが、展望がよく、昼食で休むのに良い。
かような場所なので、数パーティが食事を楽しでいる。
冬の快晴のおかげで、東隣の高水山の向こうには都心の高層ビル群(スカイツリーも)が見え、
北東には常陸の筑波山、北には奥武蔵高原の奥に上州赤城山の白い頂が顔を出す。
かように奥多摩の山にしては展望が広い。
持参したおにぎり2つを食べて出発。

ここからの尾根道は以前は樹林帯だったが、今は東斜面の植林が伐採されて麓まで開けている。
都内の林業が維持されているのはいいことだ。

三山最後の惣岳山(756m)へは急斜面の岩崚を越える(観念を媒介せず自然の力と直接触れる山修行にふさわしい)。
樹木に囲まれた山頂には青渭神社の奥社があり、神仏習合派の私は、社殿に向かって光明真言を唱える。
あとは青梅線が走る多摩川に向かって下るのみ。
今回は御嶽駅に達する尾根通しではなく、青渭神社里宮のある沢井側に降りる。

惣岳山を仰ぐ青渭神社の里宮はそれなりに立派で、左(陽)側の狛犬が子連れだった(写真)。
山ではすれ違う登山者と挨拶を交わすが、里に降りれば地元の人と挨拶を交わす。
奥多摩の銘酒「澤乃井」の小澤酒造がある沢井駅に到着。

嬉しいことに、今回の下りでも腸脛靭帯はなんともなく、今年の後半からずっと調子いい。
帰宅したら、奥多摩の”美味い水”のような爽やかな酒「澤乃井」で一杯やろう。


丹沢大山で知ったこと3つ

2022年12月04日 | 山歩き

12月に入っての帰京中の日曜、丹沢の大山(1252m)に行った。
前回(景信山→記事)は腸脛靭帯の調子も良かったので、今回もそれを期待して、奥高尾よりはグレードの高い大山にしたわけ。
といってもケーブルを利用してのいつもの周回ルート。

ケーブルで標高700mの(阿夫利神社)下社まで上がると、彼方に江ノ島・三浦半島が広がる(写真)。
ここですでに別天地の気分だが、ここから先は登山道になるので一般観光客とおさらば。
登り始めはあえてスローペースで歩くと、初心者ぽい人たちが元気に追い抜いていく。
ところが山頂に達するまでにこれらの人たちを私が追い越し返した(登山のペース配分は長距離走と同じ)。

大山山頂の茶屋で山菜そば(500円と良心的価格)を食べるのが楽しみ(なので昼食は持参せず。ただし水は持参)。
山頂からは目の前に相模湾が広がり、東京から伊豆半島まで見渡せるが、反対側の富士や丹沢方面の眺めはない。
今までこれが山頂からの展望の限界だと思っていたが、
山頂からちょっと降った広場にトイレがあり、その奥の鉄塔に向かうと、なんと丹沢表尾根の奥に富士が聳えている(写真)。
大山には幾度も来ているが、大山から富士を拝めたのは初めて。
①大山は山頂よりも一段降りた周辺広場の方が人も少なく、眺めもいいことを知った。

360度の展望を満喫して、いつもの見晴台方面に下る。
この長い急な下りで、以前なら腸脛靭帯が痛んだのだが、今日はなんともない。

ただ久しぶりに大山に来て気になるのは、道脇の崩壊箇所が増えていること。
元々丹沢山塊は斜面の崩壊地が多いのだが、それが広がって登山道にも影響を与えている。
その分、滑落事故も増えそうだ。

無事に見晴台(770m)に降り立ち、ここからは水平の道で下社に戻る。
下社↗山頂↘︎見晴台→下社と三角ルートで下社に戻った(歩き出してから3時間10分)。
時間に余裕があるので、ケーブル途中の大山寺駅で降りて大山不動(関東三大不動の1つ)に参詣。
※:東大寺の大仏建立に尽力した良弁が開創した由緒ある寺
昔からの大山詣の賑わいは大山不動による仏教側の貢献だったが、維新の神仏分離で山の主要部が神社領となってしまって、寺は下社の地から辺地に追いやられた。

今日は内陣の開帳日ということなので、400円払って内陣を見学。
今回も一応”峰入り行”のつもりで、頭に白鉢巻を結び、手首に数珠を巻いてきた。
ガラス越しの不動三尊に向かって不動明王の真言を唱える。
この寺ではご本尊の御影(おすがた)が不動明王の他に今は神社領となっている山頂の奥社(=石尊大権現)の本尊(本地仏)だった十一面観音まである。
ぜひ欲しいので、御朱印コレクターが並ぶ列に加わる(手書きの御朱印は時間がかかる)。
まぁこちらも御影コレクターのようなものだから文句を言えないが。
自分の番になって十一面観音の御影(700円)を注文すると、これでいいですかと大きな御影を示してくる。
「いやそれではなく、この”縮小”サイズの方で」と「縮小」と書かれたサンプルを指差すと、御影はこちらの大きさがオリジナルで、縮小サイズで掲示しているとのこと。
オリジナルサイズは、私が御影を保管してあるA4ファイルには収まらず、 どう見てもB4以上。
これではリュックにしまえないので、出直してきますと注文を断った。
②大山寺の御影はいずれも特大サイズ。

ケーブル駅に戻って、下りのケーブルを待つ。
中間にある大山寺駅でケーブルカーの線路は複線になって、ここで上下の車両がすれ違い、あとは単線。
その複線部分を見ると、片方の線路だけにケーブル(ワイヤー)が伸びている(他方は線路だけ)。
不思議に思いながらもあまり深く考えず、上の下社駅から下りて来た時に複線の右側の路線で降りたので、またそちら側で下りを待った。
ところが、下りの車両は左側の路線に来て、右側の路線には上りが来てしまった(当然乗れず、次の便を待つことに)。

③ケーブルカーが複線になる途中駅では上りと下りが、いつも同じ側ではなく、交互になるのだ。
なぜなら、ケーブルカーは、ケーブルで上から引っ張って車両を上らせ、下る時は上からケーブルを緩めるから。
なので、途中駅の複線部分で、ケーブルがある側はすでに下った側で次は上ってくる。
そしてケーブルがない側はすでに上った側で次は下ってくるのだ。
それをきちんと理解すべきだった(過去経験というシステム1で反応してしまい、思考するシステム2を作動させなかった)。

以上、大山には昔から幾度も来ていたが、今回は新たに知ったことが3つもあった。

ケーブル下駅からバス停までの300段ある石段の参道も、以前は腸脛靭帯に響いたが、今回はなんともなかった。
登山を阻んでいた腸脛靭帯炎からやっと解放されたかな?
そう期待しながら、バス停手前の売店で地元産のこんにゃく(250円)を土産に買った。


景信山~高尾縦走での腸脛靱帯

2022年10月23日 | 山歩き

山靴も6月に新しくしたし、腸脛靱帯炎で行けなくなった山歩きを徐々に再開し、月1回くらいは山に行きたい。
※:腰から膝までの大腿外側に延びている靭帯。ランナーなどが長期的に酷使すると炎症を起こす。

再開の始点となった高尾山(599m)、次の小仏城山(670m)もクリアしたので、その奥の景信山(727m)に行こう。
ここはJR高尾駅からバスで小仏まで行けば直登でき、下りも小仏峠ルートで(旧甲州街道を)周回できて、たいして時間はかからない。
それに頂上に茶店が2軒あって、そば・うどんのほか葉っぱの天ぷらが有名。
それを期待して昼食を持参せずに、水だけ持って行く。

休日の高尾駅前のバス停は、陣馬高原行きの登山客がズラリと並び、その後小仏行きのバスが2台で客を乗せる。
狭い道の終点の小仏バス停で、トイレを借りて、帰りのバスの時刻を確認(1時間に3本も出ている)。
ここから旧甲州街道である舗装道路を少し進むと、景信山の登山口に出る(10:30)。
そこからは山道となり、樹林の中、チャートの露岩が多い窪みの道を登って、やがて2軒の茶店が堂々と居座っている頂上に達する(11:30)。
奥多摩側は見えないが、都心・丹沢・富士の眺めが開けている(写真:小仏城山と右奥に丹沢大山。次回はこの大山に行った→記事)。

さっそく天ぷら(500円)※となめこ汁(300円)を注文。
※2軒で微妙に値段が異なるので見比べるとよい。
昼食としてうどん(700円)にしようかと思ったが、どうせならダイエット登山も兼ねて、カロリー0の”なめこ”にした。
天ぷらといっても葉っぱの天ぷらなので、これだけでは腹の足しになならないが、下界では味わえない。

茶店の客たちは、それぞれビールの缶を開けている。
皆さん、天ぷらとビールが目的でここに来るようだ。
一方、高尾山ですら山頂でのビールを我慢している私は、当然手を出さない(ノンアルコールがあればいいのに)。

まだ正午前だが、小仏峠へ下る。
予定では小仏峠から小仏のバス停に降りるつもりだったが、時間がまだ早いし、体・足の調子もいいので、このまま小仏峠(548m)を通過して小仏城山さらには高尾山を越えて、高尾山口まで歩き通す事にした。
すなわち、奥高尾縦走路の後半部だ。
6年前、その前半部である陣馬山(855m)から景信山まで歩いて小仏に降りたので(→その記事を読むと、当時は腸脛靱帯炎との認識がなかった、今回はその続きということになる。
もっとも、全部通しての奥高尾縦走なら中学時代にやっていた(なので今の私は中学時代の自分以下ということ)

そこで心配になるのは、山の下りで痛み出す左脚の腸脛(ちょうけい)靱帯。
高尾山の稲荷山コースを下っただけでも痛んだのに、今回は縦走なので景信山からの下り+小仏城山からの下り+稲荷山コースの下りを全て歩く事になる。

今回強気に出れたのは、左脚の腸脛靱帯がちっとも疼かないから。
それに新しい山靴も、初回(御岳山)の下りでは爪先の痛みがひどかったが(→記事)、今回はなんともない。
小仏城山を越え、人が増えた高尾山までの下りも快調。
途中、白い小さな花を房状にまとめたサラシナショウマが道脇に群れで咲いていた(写真はその一房)。

いよいよ高尾山の稲荷山コースを下るが、左脚の腸脛靱帯はいっこうに静かなままで、そのままスタスタと快調に下り、無事に高尾山のケーブル駅前に下り立った(13:55)。

これは私にとってうれしい快挙だ。
いったん痛み出したら歩行困難になる腸脛靱帯炎が、これだけ長く下っても発症しなかった。
それに靴の中の足も3回目にして初めて痛まず、すなわち痛い所がどこにもない。
久々の”無痛下山”を祝して、高尾山口駅の売店でビールとつまみを買って、ホームのベンチで祝杯を上げた。

それにしても、なんで今回は腸脛靱帯が痛まなかったのか。
心当たりがあるとすれば、筋膜をほぐずマッサージャーを買って、日ごろから痛む脹脛(ふくらはぎ)や腰だけでなく、腸脛靱帯もほぐしていたこと。
あと、今回は踵にクッションのついた靴下だった。
これらが効いたのかもしれない。


御岳山の奥の院に行く

2022年06月26日 | 山歩き

奥多摩の観光地である御岳山(みたけさん)の奥の院に行った。

目的の1つは、新しく買った山靴を慣らすため。
今まで履いていたメレルのゴアテックスの山靴が耐用年数を超えたため、新しい山靴を買うべく、先日、まずはお気に入りのアウトドア・ブランドであるLL ビーンの山靴を見に行ったのだが、
買おうと思っていた靴はなんとメレル製で、自分が今持っている靴と同じだった。
気持ちを一新して買ったのは、それなりに個性的な Keenの山靴(原宿の店で買った)。
革だが防水仕様だし、革の方が足に馴染んでくれそう。

ということで、その履き初めをしたかった。
ただ、この目的だけでは場所は限定されない。

目的の2つめは、先日訪れた大鹿村の三峯様が心に残ったので、そのゆかりの地に行きたかった。
もちろん行くべき先は秩父のさらに奥にある三峯神社なのだが(昔、雲取山登山で立寄った)、交通不便でけっこう時間がかかる(寝坊の私にとっては日帰りではきつい)。
それほどまでの山奥なら泊まり旅にしたいし、ここには観光客も泊れる宿坊(遠方の三峯講の代参者用の宿)がある。
ただし現在はコロナのため閉鎖中。
なので、ここは宿が再開したら行く事にする。

そこで、三峯神社と同じく山犬(狼:大口真神)を祀る奥多摩の御嶽神社が候補となった。
※:山名は御岳、神社名は御嶽
ただ御嶽神社のある御岳山だけだと山歩きにはならない(登山靴は不要)。
御嶽神社の一番奥に奥の院の鋭峰(1073m)を拝む遥拝所があり(写真:「奥宮遥拝所」の看板)、
それで判るのは、山岳信仰としての礼拝の対象(本殿)は奥の院で、その前衛峰の御岳山は奥の院を遥拝する”拝殿”の位置にあること
※:後述する小倉氏の本によると、御嶽神社の宮司も同じ見解。
なので、御岳信仰の御神体である奥の院にこそ行くべきである。
ここまで足を伸ばせば、山靴が必要になるし。

ということで、8時すぎに家を出て、中央線か西武拝島経由にするか迷ったが、新宿で降りると、丁度特快「奥多摩号」が来て、乗り換えなしで青梅線の御嶽駅に到着。
さらに待たずにバスとケーブルを乗り継いで、800mの山上に達する。
晴天で、スカイツリーまで見渡せるが、ちっとも涼しくない(下界は37℃なので、理論的にはここでも30℃)。

御岳山上(神社の手前)には食堂が並んでいて、その中の「紅葉屋」で自家製のクルミのつゆのもりそば(1100円))を食べる(これが朝食兼昼食)。

この先から階段でない坂の道(女坂)で御嶽神社に行き、そこからやや下って奥の院への山道に入る。
ここから先は観光客はおらず、登山者の世界となる。

奥の院へは杉の大木の中、木の根が出た歩きにくい山道を登る。
山頂直下の男具那神社を過ぎると樹林に囲まれた頂上に達する。
※;奥の院があるこの山を男具那峰という。男具那はヤマトタケルだから、やはりこの山が御嶽神社のご神体に相当。ちなみに神道化される明治以前(神仏混交時代)の名は甲龍山。

これまで高尾山周辺の山ばかりだったので、久々の1000m峰だ。

頂上の南側に祠(奥の院)があり、その奥にはさらに200m高い大岳山(1267m)が聳えている(写真)。
実際、この山域の盟主(真の奥の院)はどうみても大岳山で、困難な行を求める修験行者が御岳山域で満足していたとは思えない(ただし大岳山の表参道は御岳と反対側の秋川から)。

そう、御嶽信仰は実質的には修験道なので、私自身、”行(峰入り)”を意識して白鉢巻きをし、登っている間は「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱え、祠の前では蔵王権現の印を結んでその真言(オン、バサラクシャ、アランジヤ、ウン、ソワカ)を三唱する。

昼時のためか、奥の院山頂では複数グループが昼食を摂ってる。
私は水だけ飲んで、往路を戻る。
新しい靴は、これまでの登りも下りも順調。

御嶽神社に戻り、今行ってきたばかりの奥の院を遥拝する(神道式ではなく上の修験道式で)。
大口真神社にも参拝し、社務所でその祭神についての書を2冊買う(青柳健二『オオカミは大神』、小倉美恵子『オオカミの護符』)。
なお、来年の4/15-5/21の間、本神社で大口真神式年祭が開催されて、「おいぬ様」が開帳されるほか、上の著者たちの写真展、映画「オオカミの護符」の上映も予定されている。

ここからケーブル下まで舗装された坂道を下る。
山道ではないので、楽かと思いきや、フィットが微妙な新しい靴が堅い道路の下りの衝撃をもろに受ける。
下りは、一歩ごとの強い衝撃がすべて足に響くため、靴が小さすぎても大きすぎても足が痛むのだ。
その両足の痛みだけでなく、左脚の腸脛靱帯の痛みまで加ってきた。
歩行困難になりかけた状態になりながら、それでもなんとかケーブル下に着き、そのままゆっくり(速度が出ない)バス停に向かうと、今バスが出るところ。
バスに乗って御嶽駅で降りて、駅前で地元産のさしみコンニャクと御嶽汁を土産に買い、駅のホームに上がると、新宿まで直通の「奥多摩号」がやってきた。

というわけで、今回は乗り物のタイミングだけはよかった。
でも新品の靴は舗装道路の下りという思わぬ所で、私の期待を裏切った(靴下との関係など試行錯誤する必要)。

このように、猛暑の日曜の中、汗びっしょりになって山に行き、足を痛めて帰ってきた。
街中を楽しそうに歩く人たちの中で、自分は何のためにこんなことやってるんだろうと我ながら疑問に思ってしまうが、
往復の車中にiPadの電子書籍で読んでいたのは、辛坊次郎の『風のことは風に問え―太平洋往復横断記』だったので、
苦しみはそれを経験することが目的ではなく、人生の”目標”(生きた証し)に付随するものすぎず、むしろ目標達成の価値を高めてくれさえするものである、という境地があることを認めざるをえなかった。

今回、バケタン(霊探知器)を持参したのだが、山中では無反応だったが、帰宅後は連続して青く光った(守護霊降臨の反応)。
自分を”浄化”しにいったということか。


小仏城山北東尾根を歩く

2022年05月22日 | 山歩き

久し振りに山歩きをしたい。
といっても運動不足がたたっているので、高尾山(599m)に毛の生えた程度の山しか望むべくもない。
ここ数年、高尾山ばかり通っていたので、山に行く目的を失いかけ、あえて”行としての登山(峰入り)”を志向したりした(曲がりなりにも高尾山は修験の山なので、それもあり)。

高尾山の奥に小仏(こぼとけ)城山(670m)というやや高い山があり、高尾山だけでは物足りない場合に足を伸ばす所なのだが、その山からの下山ルート(小仏峠、相模湖)も歩いたので、この山を目標にもしづらかった。

ところが、高尾山を越えた”もみじ台”あたりから行く手の小仏城山を見ると、右側に心惹かれる尾根が伸びている(2041年11月24日の記事の写真、中央右側の稜線がそれ)。

後日、この尾根には踏み跡があることを知った(通常の一般向けガイドには載っていなく、篤志家向きの詳細地図などに載っているだけ)。

すなわち”一般ルートではない”という意味での「バリエーションルート」だ(国土地理院の地形図には踏み跡が載っている)。

一般ルートを歩いたら、次はバリエーションルートに挑戦するのが登山者たる者の歩むべき”道”。

久し振りに登山者としての血が騒ぐ。

こういうルートは、ガイド本などには一切情報がなく、山中に指導標もない。
自己の力で、ルートを判断するしかない。
地形図から現在位置と進むべき方向を判断できる読図力が必須。
さらに、こういう空間に単独行で入ると、他の登山者を期待できないため、道迷いや滑落などの事故は100%自分で対処しなくてはならない(捜索されるにしても発見が大幅に遅れる)。
すなわち100%自己責任の空間に1人で入り込むわけだ。

ということもあって、(危険と隣り合う)登山から離れていた身として躊躇していたのだが、高尾山に毛が生えた程度の山で、歩いていないルートはここしかないため、もはや選択の余地がない。

ということで、本日、8時に起きて、近所のコンビニでおにぎりを買い、駅まで歩きながら食べ、9時すぎの京王線に乗り、10時半頃に高尾山口に着き、今回は沢沿いの6号路で高尾山に向かう(山中ではマスクを外す)。
正午前に高尾山頂に達するも、混雑する山頂を素通りして、小仏城山に向かう。

13時前に小仏城山に着いた(写真:城山からの展望。中央奥が都心、左の平らな尾根が北東尾根、右が高尾山)。
山頂の茶屋で名物おでん(500円)を食べて鋭気を養う。
そもそも食物を現地購入するなんて”登山”ではありえないのだが、
半分観光地的なこのあたりなら、荷が軽くなる意味でも、こういうサービスにあやかってもいいのではないか、という気もする(持参といってもコンビニおにぎりやコンロ持参でカップ麺っていうのもつまらない)。
おでんだとタンパク質中心で糖質がほとんどないので、おにぎりという糖質を摂った後の食として丁度いいし。
ただ、私の周囲の客はどちらを見ても店で買った缶ビールを開けているが、「下山口に降り立つまでが登山」と心得、特に山の下りで滑落などの事故のリスクが高いので、山頂でのアルコールには手を出さないでおく。

さて今日はここからが本番。
山頂にいる大勢の人を尻目に、1人北東尾根を目指す。
北東尾根と高尾山の間(写真中央の谷)にある日影沢の林道方向に向かい、高尾山への巻き道分岐を過ぎた先に、林道から左に入る明瞭な踏み跡がある。
今までのルートのような道標はないが、林道は谷に下り、この踏み跡は尾根上を進むので、ここが北東尾根の分岐点と分かる。
道は意外にしっかりしており、道標こそないものの、行く手の木に目印のペンキがついている。
どうやら登山道でなくても公的な作業用道として使われているようだ。

道の周囲はきれいな桧の植林で、東京農大の記念植樹を記した鉄柱がある。
林業実習にも使われている道らしい。
ということなので、安心して道を進む。
山が浅いせいもあってドコモの圏内である(単独行で携帯が通じるのは心強い。アウトドアにはドコモ一択)。

右に分岐する踏み跡が2箇所あり、いずれも日影沢林道に降りると記された私設の小さな道標があった。
尾根筋を通して歩くのだから、これらに惑わさせることはないが、行く手がY字路になって左右に別れていた箇所には、道標がないので、立ち止まって地図で地形を確認し、左の支尾根ではなく右の主尾根の道を選ぶ。
かようにバリエーションルートには、こういう読図力が必要となる。
ただバリエーションルートといっても、危険箇所はなく、通行に問題はない。
実際、同方向に5人、すれ違い方向に3人と出合ったので、それなりに人は歩いている。

途中、道の真ん中に446mの御料局三角点標石があり(写真)、近くには周囲の木で作ったベンチがしつらえてあった。
※:宮内庁御料局管轄の三角点。旧陸軍管轄の三角点(映画『剣岳点の記』はその測量技師が主人公)とは別。考えてみると、三角点を管理をする人も、登山道を頼らずに三角点を点検しなくてはならない

実際この道は高尾〜小仏間のバス道から城山への直登ルートとして利用価値がある。
今後はもっと利用者が増えてもよさそう。
といっても終始樹林帯の道なので、展望はなく、強いて利点を挙げれば、直射日光を避けられるくらいか。

道はいつしか尾根から外れて右の谷の日影沢に降りていき、適当な所で石づたいに対岸の林道に渡ると(こういうのも自己判断)、林道起点の駐車スペース(林道奥の観光施設利用の車が駐車)に達し、さらに進んで小仏川の橋を渡ると、「日影」のバス停に着いた。
城山の分岐入口からここまで60分。

以上、左脚の腸脛靱帯も痛まず、観光客のいない久し振りの”登山”を楽しめた。


科学的に見た山の異界性

2022年01月29日 | 山歩き

山は異界である。
ではどのような異界なのか。
下界と何が違うのか。
ここでは宗教民俗学やスピリチュアルな視点ではなく、科学的すなわち実在的・経験的な視点で述べる。

まずは、大気状態が地上と異なる
地上から雲底までの下層大気の場合、気温は100m上昇するごとに0.98℃下がる(乾燥断熱変化)
なので標高1000mの山は、海岸より約10℃低い(軽井沢は東京より約10℃低い)。
すなわち、山は下界よりも無条件に”寒冷”である。

それと気圧も下がる。
気圧とは大気上端から地面までの空気の重量であるから、地面が上昇すればそれだけ空気の重量=気圧が低減する。
地上が1000hPaなら、標高1000mで120hPa下がり、880hpaとなる(猛烈な台風の中心並み)。
気圧が下がると沸点が下がるため、高山では炊飯ができない。
750hPa面(標高3000m付近)の高層天気図を見ると、見慣れた地上天気図と異なる気圧配置になっている(地上天気図は海抜0mの等高度面だが、高層天気図は等圧面なので高・低気圧は高度差で表現される)
それによると、地上の高気圧や低気圧の影響はほとんど弱まり、風向は偏西風中心で、南北の気圧差・気温差が強い。
そして地上低気圧には反映されない高層固有の高・低気圧が存在する。
かように天気図的に、山は異界である。

減圧に準じて空気(酸素濃度)も薄くなる。
標高3000mほどの山だと高山病を発症し、頭痛に襲われる。
登山自体が有酸素運動でありながら、それが低酸素状態で遂行されるのである。
ただ、人体はよくできているもので、酸素濃度が下がると、酸素を運ぶ量を減らすまいと人体の造血能が高まる。
実際、学生時代、山から降りた後は、下界での長距離走が楽だった。

一方、増えるのは風速(下界にいくほど風は地面との摩擦が増えるので風速が弱まる)。
たとえば、冬の南アルプスを南下中、背後からの北風があまりに強いので、立ち止まって体重を後ろ側にかけてみた。
普通なら後ろに倒れるのだが、風は荷物を背負った私をきちんと支えて、倒れることはなかった(私の身体を支えるほどの45m/s以上の強風が間断なく続いている)。
※:気象用語の「強風」は風速15m/s。台風時の「暴風」は風速25m/s。風速30m/sの「猛烈な風」以降は名称がない。

日本の山で風が一番強いのは、冬の富士山で、8合目以上だと、人が強風に煽られて舞い上がってしまう(≒風速70m/s)。
そうなったら氷の大斜面を滑落する(止まるまで体が削り取られていく)。
なので冬富士に登る場合は、ピッケルを深く刺してそれに全体重をのせて伏せる耐風姿勢を瞬時にとれなくてはならない。

山は降水量も多い。
地形による強制上昇によって雲が発生しやすいためで、下界より先に山に雨が降り、下界で止んでも山は雲をかぶっている。
登山に雨具は必需品。

晴天の場合は、紫外線が強くなる。
1000mで13%強くなる。
なのでチベットやボリビアの高地人は日焼けしている。

次に地の気が異なる
まず山は地磁気が異常となる所が多い。
特に玄武岩でできた火山は地磁気が強くなる(方位磁石が回転する所もある)。
また、長大な山脈を構成する花崗岩帯では放射線が出ている。

以上から、山では身体が下界とは異なる過酷な状態に置かれていることがわかる。

では、山に固有の怪異現象は起きるのか。
まずは木霊(こだま)すなわち山彦(やまびこ)
これは、山中にいて、自分の声をまねする者の存在とされた。
ただ現代人はすでに音の反響現象であることがわかっている。

次に「ご来迎」
昔から修験行者が山上で阿弥陀仏を拝したという言い伝えが数多くあり、
これこそ霊山の証拠とされた。
実際、山では、円形の後光に囲まれた像が山の空中に出現する。
それを弥陀の来迎(らいごう)と解釈して、この現象を「ご来迎」という。

実は同じ現象を、ヨーロッパアルプスでは悪魔の仕業と思われた。
有名なのが、アルプスとしては低山であるが、ブロッケン山に登山者中、その人数と同じ十字架が浮かあがった「ブロッケンの怪」。
これを一般化して「ブロッケン現象」ともいう。
なぜ登山者と同じ数の十字架なのか。
これは太陽光によってできた人物の影が反対側の雲の壁に投映される光学現象で、私も日本アルプスで経験済み(さほど珍しくない)。
雲の中の円形の後光の中心に映っているのは自分の姿(影)で、腕を振るとそれがわかる。

曖昧な図形にそれを見た人の心の中が投影されるのは、心理学のロールシャッハ・テストで証明済みで、自分の影が仏教行者には阿弥陀仏に見え、死の領域にいるキリスト教徒には十字架に見えたわけ。
現代人は、自分の影を有り難がることも恐れることもない。

以上は科学的に解釈済みの物理現象だが、ほかに物理現象でない幻覚を山で経験する。
単調な風景の中を長時間歩行中に疲労してくると経験する。
これも日本アルプス級の大きい山で経験した(高尾山程度では無理)。
自分の経験では、しばらく山道を歩いていると、行く手に山小屋が見えた。
喜んで近づいていくと、森の一部だった。

冬の北アルプスで、同行者は純白の山陵にバーゲンセールの赤い幟(のぼり)が並んで立っているを見たという。
ヒマラヤで遭難し、負傷を負いながら一人下山したある登山家は、もう一人の自分が隣りにいて、しばらく一緒に歩いたという。
音声による幻聴もある。
いずれも心身の疲労と単調な風景による一種の感覚遮断状態で発生する、脳内感覚中枢の自己刺激で、夢見と共通するメカニズム。
行者の霊山での神秘体験はおおかたこれで説明できる(むしろあえてそういう状態に心身をもっていく)。

といってもこのような幻覚は山以外では経験しない。
下界で経験したら、薬物依存か統合失調症が疑われる。
その意味で深い山は健常者にも幻覚体験をもたらす魔界といえる。

結局、山では不思議な現象は起きないのか。
そんなことはない。
山には下界にない異様な空間がある。
立山の地獄谷には、荒涼とした地面から硫黄の噴気塔がうなり声を出しながら噴気を出している。
活火山が造るこの生命を拒絶した風景はまさに地獄の情景だ。

一方、立山の南にある五色ヶ原(山上の平原)で、霧で周囲の山々が見えなくなり、あたりは可憐な御花畑(高山植物の群落)と雪渓に囲まれた中を歩いていた時、「天国ってこんな所なんだろうな」と思った。
このように、山には地上では見ることのない地獄や天国(極楽)的な場所がある(それらを元に作られたのが「立山曼荼羅」)。

それと、南アルプスの鳳凰山に雨の中登った時、霧が一瞬晴れて、雲間から神々しい甲斐駒ケ岳が見えた時、思わずひざまずいた。
神を見た感じたから。
こういう経験も下界ではしない。

以上総合すると、やはり山は異界だといえる。


行としての登山(峰入り)の試み

2022年01月16日 | 山歩き

登山の目的を、より精神的なものへと再構築するため、山岳信仰・修験道に関する書を読み漁り、それらを参考に、”行”としての登山(これを修験道にならって「峰入り」とする)を試みた。
対象としたのは、都内の高尾山(599m)。
装備は普通の登山+α。

まず、山という異界に入る所、すなわち登山口で、山に一礼する。
それに加えて光明真言※を唱え、数珠を手首に巻き、般若心経の手拭いを頭に巻いて、歩き始める。
※光明真言:おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まに、はんどま、じんばら、はらばりたや、うん

山に入り、山の霊気を全身に感じる。
6号路のすぐ入った所に石仏群があり、石塔に刻まれた「洗心」の文字が(右写真)、今まではなんとも思わなかったのに、今回は素直に心に響く。

修験道の山修行である”峰入り”は、「擬死再生」の行である。
なので登山の代わりとしての今回の”峰入り”も、それを目的とする。
峰入り前半の”登り”は、自己が死にゆく過程。
すなわち、ケガレた自己を亡き者にして清める。

「懺悔、懺悔、六根清浄」(ざんげ、ざんげ、ろっこんしょうじょう)と唱えながら山道を登る。
頭で念じるだけでは駄目で、実際に口に出して唱えることでこの念を持続できる。

六根、すなわち眼耳鼻舌身意が、山の清気によって清められる。
山の清気は鼻から肺に入り、さらに動脈を通して全身の細胞に行き渡る。
その一方、下界生活で穢れた自身の気は静脈を通して肺に集められ、吐き出される。
これを繰り返しながら登ることで、高度を増すにつれてますます清くなる山の気にどんどん置き換わる。

稜線に出て、はるか足下に広がる下界を眺める(右写真)。
今、自分は下界とは異なる世界にいるのだ。
空気が汚れていることが見た目でわかるあの下界でずっとうごめいていた自分の生活を、ここ(山の世界)から俯瞰する。

高尾山は山であるほか、薬王院という寺院の境内でもある。
すなわち宗教空間としての聖なる異界でもある。
その異界の入り口である浄心門の扁額には「霊氣満山」とある。

ただし私にとっては山それ自体が聖なる空間(宗教的な霊山でなくても、山はそれ自体で霊山)なので、薬王院の参拝だけ入念にすることはない。
もっとも薬王院的な山頂である奥の院の不動堂では、不動明王の真言を唱える。
ハイカーがこぞって素通りするその奥の浅間神社では、光明真言を唱える(神と仏の区別は不要)。
※日本人の宗教観からみて不自然な神社本庁的神道には従わない。
ここから山頂までは、歩きも楽なこともあり、懺悔文 (ざんげもん)※を唱えながら歩く。
※懺悔文:我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)、皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)、従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)、一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいざんげ)

山頂に達した(右写真)。
だが、最高点の三角点は踏まない(最高点を足げにしない)。
山頂も礼拝の対象だから。
峰入りと登山(ピークハント=山頂狩)の一番の違いがこの点だ。

ここまでの登りで穢れた自分を浄化した。
山頂を礼拝した後、空に向いて、天の気を受ける。
ここでゆっくり休んで、周囲の山々を眺める。
周囲の山々(霊山)からの気も受ける。
山頂は、天地の気の接点であり、死と生の交換点でもある。
そして新たな生のために食物によるエネルギー(穀気)を補給する。
ただし、食事(料理)を楽しむことはしない。
もちろん飲酒もしない。
下界での悦楽は、山に持ち込まない。

山頂を後にして、下山を開始する。
峰入り後半の”下山”は、新しい自分に生まれ変わる過程。
という胎内で、自分が誕生し、育くまれていく。
そして自ら胎外に出て下界に戻る。
※山の神は女性

身体的負荷は登りの方が高いが、滑落などの危険性は下りの方が高い(実際の”死”は下りで招きやすい)。
下りは慎重さを最優先するので、意識は視野に集中するため、何も唱えず、無心になる。
ただし瞑想状態にはならず、刻々変化する足下の地面に瞬時に身体を対応させる。

危険箇所を無事過ぎて、傾斜もゆるくなり、下界が近づく頃、
生まれ変わった自分は山の胎内で充分成長したので、下界に戻る決意として、
四弘誓願文(しぐせいがんもん)※を唱えながら歩く。

※四弘誓願文:衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)、煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)、法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)、仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)

山と下界との境界すなわち下山口に達したら、山に振り返って感謝の念をこめて一礼(光明真言を唱える)。

高尾山は、家族連れで来れるハイキング入門の山だが、このように”行”として”峰入り”することで、今まで味わえなかった充実感を得られる。

修験道を参考にした手前、また山も高尾山だったっため、仏教的色彩が強い”行”になったが、真言や誓願文などは唱えなくてもよいと思う(手拭いも次回からは無地の白手拭いにする)。


山は異界である

2022年01月08日 | 山歩き

2021年12月31日の記事:「登山の目的を再構築したい」を受けて、登山の在り方を考え直すために、まずは対象である「山」を問い直す。

山とはなにか。
山は、地面が大規模に隆起したものであり、
造山運動あるいは噴火という”地”の強力なエネルギーが発露された状態である。

そのエネルギーによって、山は”地”でありながら、”天”に向って伸びている。
天に伸びた地は、それだけ平地とは異質の”地”となる。

平地から山に移行する境界から先は、人が暮せる空間でなくなり、天に伸びる樹木が主役となって深く生い茂り、時には岩が、時には沢が山肌を刻む。
山はむき出しの自然の世界である。

すなわち、山は人が住む平地とは別の世界、異界である。
※山の異界性は民俗学で死の世界という意味で使われきたが、ここでは山の自然的異質性を根拠とする。

異界としての山は、固有の力が作用する世界であるため、人は平地の時のようには振る舞えない。
山道は、一歩でも踏み外せば、谷底に転落する(山に入っている間は、人はポテンシャル(位置)・エネルギーが高い状態にある)。
人工音や人の声はなくなり、鳥の声、葉のざわめき、沢の音、時には獣の鳴き声もする。
山中には街灯も家の灯もないので、夜は真の暗黒となる。
道に迷って助けを呼んでも虚しくこだまするだけ。
山は、本来的に人間が住める空間ではなく、命を落とす危険に曝されている。
だから登山にはそれ相当の準備・装備、そして地図と懐中電灯の携行が必要となる。

山に入って、山腹の斜面を登り詰め、稜線(尾根)に出ると、足元に麓から先の”下界”が見えてくる。
われわれが生活する”下界”を見下ろす”上界”ともいうべき異界に達したことになる。
下界の上空は濁っているが、山の空は澄んでいて、空気の質が異なることがわかる。
人工臭はまったくなく、温度が冷たい。
異界であることを、全身で実感させられる。

山の頂上は山の中でも独特の気の場である。
天に伸びた地の先端である頂上は、山(地)の気と天の気の交流の場所である。
そこは地の気の噴出口であるとともに、天の気からの照射(放電)を受ける突端でもある。
そして、周囲の山々からも気の放散を受ける。
山という異界の気を上下左右から浴びる。
それによって、人にも何らかの変化があっておかしくない。

山は気が異なるだけではない。
山という存在そのものが超越的な力をもっている。
山は、四方に水を生み出し、山中に草花、樹木、昆虫、鳥獣を養う。
その結果、人里に水、雨、木々や動物といった幸(さち)をもたらす。
その一方で、有毒ガス、噴火、風雪、土石流という災いをもたらす。 
すなわち、山は生殺与奪の力をもち、人間に対してもしばしその命を奪う。
このような超越的な霊力をもつ山は、それだけで”霊山”といえる。

この霊力をもった山に対して、人はどう関係したらよいのか。
山という異界において、山の力を感受することに意味があるのではないか。
言い換えれば、レジャーや身体運動としての登山には、この重要な点が欠落している。

人は(霊)山にどう接してきたか、日本の山岳宗教が参考になる。


登山の目的を再構築したい

2021年12月31日 | 山歩き

大晦日を迎えて、今年になって明確になってきた自分自身の課題についてお話する。
それは、自分にとっての登山の目的を再構築すること。

そもそも山に興味はない人にとっては、苦しく危険な山に、あえて行きたがることが理解できないため、「なぜ山に登るのか」という疑問がわくはず。
それに対する有名な返答は、エベレストで遭難死したマメリーの「そこに山があるから」。
でもこれでは納得できないだろう。
では、私だったらどう答えるか。

中学生の時から登山を趣味にしてきたが、ここ数年間は、山の下りで腸脛靱帯炎を発症するようになったため、高度差のある山には行けず、しかもメタボ年齢に加えてコロナ禍で外出が憚られるようになってからは、
たまった内臓脂肪を減らすための有酸素運動が目的となってしまった。
これが今の私の答えとなる。

これは言うなれば今の私にとって、山はスポーツジムにある傾斜するトレッドミルの代わりにすぎない。
山に行く目的がこんなに矮小化していたことに我ながらがく然とした。

そもそも山を好きなったきかっけは、中学1年の夏休みに家族で白樺湖に旅行した時、高原から望む南アルプスの雄大な姿に感動したからだ。
そしてその感動の余韻は時間を追って強くなり、遠くから見るだけではなく、そこに近づきたい、触れたいという気持ちに強まっていった。
生まれて初めて、山に行きたくなったのである。

すなわち当初は身体運動が目的ではなく、山そのものが目的だった(そこに山があるから)。
ただ、愛する山に限りなく接近するためには、重い荷物を背負って急斜面を延々を歩くという苦難に堪えなくてはならない。
そのため、道具を揃え、登山についての勉強をし(父が私の代わりに登山教室に通って、そこで習ったことを逐一私に伝授してくれた)、愛読書は行きたい山のコースガイドとなり、まずは奥多摩の山から登りはじめた。
中学2年で友人を誘って山の同好会を作り(中3の夏に中学生だけで南アルプスに行く)、高校はワンゲル、大学は山岳部に入り、冬山や岩登りも経験した。
その後は、登山靴をジョギングシューズに換えてランニング登山をやったりしたが、そうなると山は自分の身体能力を高めるための単なるフィールドに化した。

ワンゲル→山岳部と、いわゆるスポーツ登山の道を歩んだが、山に対する憧れ、愛情、敬意が出発点であったから、近代登山思想であるアルピニズム、すなわち「山と戦い、征服する」という発想には違和感をもっていた。

ただ「なんのために山に行くのか」という問いは、山をやっている者にも突き刺さり、たとえば『日本百名山』という一人の作家が選んだにすぎないリストを後生大事に目標とするしかなくなる。
そして私も、百名山こそ目標にしなかったものの、例外ではなかったわけだ。

そういえば山岳小説家・新田次郎原作の映画「剣岳・点の記」では、陸軍測量部の主人公は三角点測量という地図作成のための登山をめざし、一方彼と初登頂を競うのは日本のアルピニスト(登山家)の草分けである小島烏水であるが、ほかに立山信仰で地獄・極楽という仏教の教えを山で経験する人たち、そして剣岳周辺を単身で闊歩する修験行者も登場する。
これら近代登山のアルピニスト以外の価値観で登山にかかわる人たちの中に、山との新たなかかわり方のヒントがあるように思える。
すなわち、修験道を中心とする日本固有の山岳宗教だ。
私自身が、高尾山という登山グレード的には最低だが、修験道の霊山である山に通い続けていることの影響もある。
そういうわけで、今、関連書を読み漁っている。

近いうちに、それらをヒントに、私、いや”われわれ”とって山とは何かを考え直し、山との新しいかかわりかたを構築できればと思っている。

山は異界である


不動縁日の高尾山

2021年11月28日 | 山歩き

論文原稿を提出したし、コロナ感染者は低水準のままだし、ヤクルト・スワローズも前日遅く日本一になったので、師走前の日曜は、すっきり気分転換のために山歩きをしようと思った。

最初は峰の薬師(相模原市)が候補だったが、28日は不動様の縁日だと気づき、それなら不動様のいる山にしたい。
するといつもの高尾山か相州大山になった。
大山不動はケーブルの途中駅にあるが、高尾山の不動堂は山上にある。
なので9月に続いてまたもや高尾山に行くことにした(あとになって埼玉県の高山不動の存在に気づいた)

高尾山は準備が不要で、朝もゆっくりでよく、しかも駅からバスに乗らずに登れるので、どうしても第1候補になる(残念ながら、山に対してとても怠惰になっている)

8時に起きて、ゆっくりして9時前に家を出て、途中の店でおにぎりを2個買い、10時半に高尾山口に降り立つ。
ここまでの車中は満席で、駅のトイレも大行列(高尾山頂直下にきれいな水洗トイレがある)
雑沓に混じってケーブル駅のある登山口に行き、ケーブル客の大行列を尻目に、人がぐっと少なくなる谷沿いで日陰の冷え冷えとした6号路を進む。

高尾山はケーブル利用なら、山上駅から1号路の舗装路を薬王院経由で山頂まで、ほぼ街歩きの格好でOK(ベビーカーも通れるし、昼食も麓・山中・山頂で摂れる)。
一方麓から歩いて、しかも1号路以外の”山道”を歩くなら、山の格好が必要。

私はいつも通りに、6号路から分かれて高尾病院前の坂を登る琵琶滝道のショートカットを選び、琵琶滝道の尾根(高尾山の道で一番急傾斜)を直登して稜線上の1号路と合流する。
ここからは登山の格好をした私たちと街中のファッションの人たちが合流して、薬王院の境内(標高500m)に入る。
境内では、願いがかなうという輪くぐりや本堂、そしてその上の飯縄権現堂はいずれも行列になっている。
なので本堂と権現堂は堂の脇から手を合わせて済ませ、奥の院の不動堂を目指す。
標高559mにある不動堂は、縁日のためか、正面の扉が開いている(写真:ただし堂内に上ることはできない)。
大半の人が不動堂を素通りする中、私は正面の扉の前で合掌して、不動明王の真言(ノウマクサンマンダー、バーザラダンセンダー、マーカロシャーダーソワタヤ、ウンタラターカンマン)を三唱する。

ここからは道が狭くなるので、行列状態になって山頂(599m)に達する。
冬晴れのいい天気なので、東京から横浜にかけての日本一広い大都市部が一望。
目を西に転じると雪を頂いた富士が丹沢・道志の山の奥に超然とそびえている。

だが山頂は立錐の余地がないので、昼食をとる場所がない(山頂の標識付近も記念撮影のために行列ができている)。
なので山頂をそのまま通りすぎ、西側の奥高尾方面にくだって、山頂周囲にある巻き道との合流点まで下るとベンチがあり、しかも空いているので、そこに座っておにぎりを食べる。
高尾山頂から奥の”奥高尾”山域には観光客は足を踏み入れないので、ぐっと人が少なくなるのだ。
ただ、冷めたおにぎりと水だけではさみしいので、少し奥に進んだ「もみじ台」の茶屋(細田屋)で、暖かいなめこ汁(400円)を注文する。
茶屋からは高尾山頂以上に富士が真正面で、しかも混雑しておらず、茶屋の椅子に坐って暖かいなめこ汁を口に含みながら、じっくり眺望を楽しむことができた(写真:富士の左側の鋭峰は丹沢の大室山1587m)。

奥高尾に入ったので、この先の小仏城山(670m)まで行きたい気持ちもあったが、時刻が正午をまわっているので、無理をせず下山を選ぶ。
高尾山頂には登らない巻き道を通って、麓までの最長路・稲荷山道(いなりやまみち)を下る(登りに急斜面、下りに最長路を取ることで、高尾山の中で最も負荷の高い、歩きでのあるルートを選んだつもり)
今回もまた左脚の腸脛靱帯が痛むかどうか気になるが、サポーターは簡易なものをつけ、持参したストックもあえて使わず、露岩や木の根が多い山道をスタスタ降りる(この道は街の格好では無理)。
久しぶりの運動のためか、両膝の裏側に違和感を覚えたが、腸脛靱帯は無言のまま、ケーブル駅のある登山口に降り立った。
時刻は午後2時前で、まだ登りにくる人もいるし、麓の蕎麦屋(高橋屋)は大行列。

山歩きというのは、高尾山レベルであっても、登りも下りもそれぞれ身体に余分な負荷をかけて疲労感を与える(さらには、高尾山よりぐっと低い神奈川や愛知の山で、遭難死が今月起きているように、命の危険を伴う)。
山歩きは、現代人にとっては”いい運動”という位置づけだが、修験道などの山岳宗教的にはあえて身体をこき使う”苦行”である。
今回、怠惰な態度ゆえに選んだ高尾山だが、都心から一番近い修験道の霊山なので、”行”としての山歩きにもふさわしい山かもしれない。