今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

温泉に飽きた?

2008年01月29日 | 
今月は出張旅行には行ったが、ここ数年間ノルマにしていた「毎月」の温泉旅行には行かなかった。
あまり行く気がしなくなったから。

一番の理由は、車の故障。
昨年秋以降、旅先で2度も停まってしまい、しかもその後もどんどん故障箇所が出てくる現状では、こわくて遠出できない。
でも、温泉は電車でも行ける。車だけでは行かない理由としては弱い。

少々飽きたというのがある。
毎月行ってると(といっても日本中の温泉を制覇するなどというオタク的動機はない)、行きたい所がなくなってきて、同じ宿のリピートになってしまう。
というのも湯よりも宿(部屋)を重視しているから。
自分の滞在スタイルだと、伝統的和室は不向きで、洋室がいい。
そうなると限られる。
限られた所ばかりとなると、飽きてくる。

それに、夏だと原稿執筆の仕事を宿でやりたいのだが、今の時期は滞在してする作業がない。
またもともとは、職場でのストレス解消(気分転換)という意味もあったのだが、職場が替わってストレスがなくなった。
そういうわけで「行きたい!」という気持ちが弱くなってしまった。

登山を再開するという手もあるが、今の季節だと雪山になってしまう。
温泉とは別のテーマでの旅を考えるか。
仕事として行く「小笠原氏史跡の旅」も完了近いし。

明石出張

2008年01月24日 | お仕事
出張で明石(兵庫県)に来ている。
兵庫に降り立ったのは始めて。
ビジネスホテルなのでLANが使え、こうして現地報告。

出張というのは、自分の研究のためで、初代明石藩主で明石城を造った小笠原氏の資料を探すため。
最寄り駅の「西明石」は”のぞみ”が停まらないので、名古屋からは名古屋以西各駅の”ひかり”を利用。
途中、米原は吹雪だった。
ほんとあのへんは近畿の北陸。

西明石のビジネスホテルに荷をあずけて、JRで明石に。
明石城の櫓を巡っていたら、雪が襲ってきた。
市立図書館の郷土資料室に行き、郷土史関係の資料をコピー。
隣の県立図書館に行って、『安富町史』(安志にも小笠原一族がいた)の一部をコピー。
文化博物館には、参考になるものはなかった(明石原人は「原人」ではなかったことは知った)。
明石海峡の向うに淡路島を望む天文科学館まで足を伸ばし、東経135度の子午線標識の前で、MioのGPSをチェックする。
MioのGPSでは経度が135.0789となっており、数百m分西にずれているのを確認。
せっかくなので付近の明治期に建てられた子午線標柱なども見学(写真)。

宿に戻って、夕食に外出。
目の前に「明石焼」の店があったので入る。
10個500円の明石焼を注文。
明石焼は、卵ベースのたこ焼きで、その分柔らかく(味も)、斜めになった板に載って出される。
それを、軽く味付けされた透明の暖かいつゆにつけて食べる。
たこ焼き用のソースもあるのだが、それをかけるとソースの味が立ちすぎ、つゆのゆるい塩分で丁度いいのがわかる。
ただ夕食としてはボリュームが足りないので、総菜屋で買い足し、あと夜のつまみは地元のタコで固める。
明日も残りを廻って、帰京する。

私も暴落の被害

2008年01月23日 | 時事
株価の変動で一喜一憂するさもしい人生など送りたくないのだが、
余ったお金を普通預金に寝かしたままなのももったいないと、株を含めた投信をいくつか購入していた。
だからサブプライム・ショック以降、今回の株価大幅下落はやはり影響を蒙っている。
その中で一番影響を受けたのはインデックス・ファンドだけど、これはおこずかい資金だから。
と強がり。

もともと、高金利時代には貧乏で余裕資金がなく(自分の定期預金に自分で借金していた)、安定した収入を得てからは、ずっと超低金利時代という、「逆ざや」人生の私。
自分ではどうしようもない人生の部分ってのがこれで、自分は運命的に金持ちになれないとあきらめている。

そういう自分でも、アメリカの利下げの前に、かの国に預ける保険契約をしたので、利率が高いまま寝かしておけるのはラッキーだった(満期になるのはずっと先だから今の為替変動は無関係ね)。

でもそもそも堅実な仕事をもっている人間にとっては、稼ぐのは現実の仕事ですべきだよな。

愛車が…

2008年01月20日 | 失敗・災難
先日、昨年遠出中に2回動かなくなった我が愛車(写真)を、「ドック」に入れるつもりで12ヶ月点検に出した。
ついでにオイルのエレメント交換と、致命的でないがおかしな部分(電気系統、外装)の修理も頼んだ。
すると、後日連絡が来て、燃料タンクに穴があいているので、交換が必要とのこと。
幸い、中古が手に入る(製造してないから中古しかないが)とのことで、安めで済んだ。
先月は、ラジエターのパイプに穴があいていた。
今回は燃料タンク…、もうほとんどボロボロ。

休日の今日、引き取りに行き、点検費と修理代で7万円弱払った。
でもまだ整備は終わらず、車を走らせそのまま近所のオートバックスに直行。
タイヤの方も、4本とも側面にヒビがはいっているので、交換が必要なのだ。
ここでタイヤ代と諸費用で18000円払う。

交換が終わって、いよいよこれで整備完了。
せっかくだからひさびさのドライブとして近場の日帰り温泉に行くかという気分で、車に乗ってキーを回した。
すると、ウンともスンともいわない。

動かなくなったのが、幸いカー用品店の整備場の中なので、タイヤ交換をした担当者を呼んだ。
バッテリー上がりでもないようで、
原因追求に時間がかかりそうなので、私はとり合えず地下鉄に乗って家路につく。
修理に出した車を取りに行ったのに、もっとひどい状態になって手ぶらで帰る始末に。

新車で買った愛車も今年で17年目。
もうあちこちのパーツが寿命なんだろうな。
人間でいえば「多臓器不全」て感じ。
いや「神経」(電気系統)も「血管」(燃料系統)もダメになってる。
もうスクラップにするしかないかなぁ。

もともと車にはたいして興味はなく、
名古屋に来る前はしばらくペーパードライバー状態だった。
でも名古屋に住んだら、どうしても車がないと不便だったので、
車に興味のない自分でも所有したいと思わせていたローバー・ミニの新車を買った。

内装をウッディにし、マフラーを好みのものに交換し、自分の車に仕立てていった。
ミニは、前から見るとそこらの軽自動車にしか見えないが、後ろ姿に品格がある(写真)。
しかも真下のマフラーからは、小さいボディからは想像できないような重低音の排気音が響く(このために交換した)。
小さいが軽くはない車。
中も見た目より広い。

この車を17年も乗り続けていたのは、他に乗り換えたい車がなかったから。
そしてもちろん、この車に見飽きず、乗り飽きなかったから。

乗り換えるとしたら、次はガソリン車でないものをと思っていたが、その時代はまだ先のよう。
なので、今乗り換えるとすると、また中古のミニになってしまう(新型ミニはミニでないので対象外)。

帰りがてらポッドキャストで、「ラジオ版、学問のススメ」を聞いていたら、
森沢明夫氏の回で、物には魂が宿る(古い物にはとりわけ)という話だった。
古い物も捨てないでメインテナンスをちゃんとすれば、いつまでも生き長らえるという話。
自家用車って数年ごとに買い替えるスタイルが標準だが、
私は気に入った車を買ったら、気に入っているんだから、数年で買い替える気にはなれない。
我が愛車は、ウンともスンともいわなくなるから、魂を感じることはできないが、
毎月一緒に温泉に行っていたパートナーではある。

電話がかかってきて、問題が一応解決したという。
おそらく、原因はエンジンを回転させるギアの部分的摩耗で、その場所にセルがハマると動かなくなるのではという。
ギアを動かすと問題なく始動する。

なので、始動前に、クラッチを入れてギアを動かすと、この現象の防止にはなるとのこと(たしかに、最近は車を置く時、ギアを1速に入れておくので、始動する時は毎回ギアをニュートラに戻す動きをしていたのでこの症状に出くわさないで済んでいた)。
クラッチは昨年末17万円で交換したが、ギアの交換が次に待っているわけだ。
ホント、エンジン以外は、すっかり入れ替わるな。
メインテナンス費用が一定以上したら、買い替えの時期だという。
でも森沢氏は言っていた。
魂のある古い物には愛情をそそぐべきあって、損得で考えるものではないと。

丁寧に説明してくれた担当者にお礼を言って、とりあえず動いたわが愛車をいたわるようにこわごわ運転して、
駐車場に入れた。
タイヤの寿命も延ばすために、これからはミニには大きすぎるボディカバーをタイヤまで被うことにした。
まるで病気がちの家族の一人が、完治しないまでもとりあえず退院してきた、という気分。


火曜の谷中銀座

2008年01月15日 | 東京周辺
小さいながら元気な商店街「谷中銀座」(通りの北面は荒川区西日暮里・南面は台東区谷中)は、江戸庶民の風情を売りにしている。
店の多くが、昔からここで構えている「老舗」。
そこに、現地人による西アジア料理(インド~トルコ)の店(半屋台)が北面に出店。
確かに違和感を与えるが、同じテイストばかりだと飽きるのも確かで、
むしろ新鮮味を与えているといっていい(”夕焼けだんだん”の上にイランとインドの料理店もある)。

第一、近所で”ドネルケバブ”を食べ歩きできるのがうれしい。
この店、毎日なにかを半額サービスしていて、
火曜は、そのドネルケバブが半額の250円。

今日は、会議がないので名古屋にゆっくり帰れる。
なので昼にドネルケバブを買いに行き、頬ばりながら帰ってきた。

それにしても、都区内の住宅地は、車前提の生活を求めないので、商店街が元気でいい。

私の成人式の日

2008年01月14日 | 歳時
1月15日は「小正月」という大事な日で、その時に成人を祝う儀式が各地に残っているんだが、
現代人の生活パターンに合わせざるをえないのも、いたしかたなしか。

成人式は本来は、オトナの仲間入りを認めるための試練を与える儀式。
現代の若者にとって、自治体主催の「成人式」は、同窓会みたいなもん。
ただしハメをはずすのは式が終わってからでいいでしょ。
互いに言い合う「これからは少年Aじゃないんだぞ」という戒めのセリフが唯一、成人を自覚させるくらいか。

はるか昔の自分の成人式の時を思いだすと、
大学生だった私が式に行ったのは、近所の中学時代の友人と。
会場には、確かに中学時代の女子などもいたが、別段盛り上がることもなく、
我々は、中学時代の近所の仲間たちと、ウチが管理していた家を借り切って
酒盛りと徹夜マージャン。
翌朝は、二日酔いで動けなかった。
この二日酔いがオトナへの試練ってことかな。

実家に帰っている今日の私は、図書館ですすめる原稿もなく、買い物もない。
家にいて、高校サッカーの決勝を見ながら、暇にまかせて今年書く予定の論文のデータをまとめた。
結果的に仕事が進んでしまった。

一気に減量

2008年01月10日 | 健康
74kgになっていた昨年11月に減量を決意した。
目標は70kg。
それまで一日2食半だったのを、朝は味噌汁だけにする、1食半生活に切り替えた。
そして昨年の年末に71.3kgにまで落ちて、安心して帰省した。

ところが、正月は湖池屋「のり塩」の”スーパービッグ”に出会ったせいもあり、
1月7日に名古屋に戻ったら、73.9kgに見事にリバウンド。
がっかり。

それで再び減量を決意して、朝味噌汁、昼なし、夜普通、それに(寝酒+つまみ)の一食半生活を始めた。
一日中会議だった8日はそれでも前日と変らず(勤務先からの帰宅後、夕食前の計測)。
次の9日、集中講義を朝から夕までぶっ通してきたら、73.3kgに減った。
そして今日、集中講義が今日で終了して、ホッとして帰ってきて計測したら
70.7kg。??
計測ミスだと思って、もう一度、デジタル表示が0kgに戻ったのを確認して、再計測。
やはり70.7kg
信じられない。
だって、以前、1日1食を続けて2か月で10kgの減量に成功した時でも、一日の最大減少量は0.9kgだった。
しかもその日は、あえて食をとらずに、500mの山にハイキングをした日。

それに対して、今日はただぶっとおして講義をしただけなのに、一日で2.6kgもの減少。
この2日間で3kgも減ったのは、集中講義の効果なのか(それ以外に特別な事がない)。

鏡をみると、確かに顔が細くなっている感じ。
胃腸の調子も正常で、食事内容も普通。
いたって健康。
目標体重にあっという間に近づいたのはうれしい。

人日の節句

2008年01月07日 | 歳時
今日は「人日の節句」。
でも春の七種(草)を食べることしか行事がないし、
その七種自体が、スズナとスズシロ以外は単なる雑草なのでおいしくもないので
ちっとも盛り上がらない。
この七種は粥にするより、鍋にしてポン酢で食べればなんとかなる。

冬期休業も終りで、
名古屋に帰り、大学に行ってさっそく集中講義の準備をしてきた。
スーパーで、ホンモノの七草セットを190円で買い、あと白菜とエノキを買って、
家で鍋をした。
正月モードの名残として日本酒を猪口で飲む。

夕食前に久しぶりに体重を測ったら2kg増えていた。
明日から仕事と共にダイエットも再開しなくては。

都内富士2

2008年01月04日 | 東京周辺
正月7日間だけしか登拝できない「成子富士」(西新宿)を中心に、新宿近辺の富士を巡った。
3日間家にこもっておせちを食べていたので、運動の目的もあり、あえて歩くことにした。
(前回:本ブログ2007年7月1日の記事「ぶらり都内富士登山」(東京))

まずその成子富士は、西新宿の高層ビルを間近に臨む成子神社内にある。
丸ノ内線「西新宿」で降りて、成子坂に向うと左手に入り口がある。
ここは新宿七福神の1つらしいが、本殿左奥にある富士塚まで足を運ぶ人はいない。
ここの富士塚は近代の造りだが、近代になっても富士講がしっかりしていたことがわかる。
見上げる富士塚は、かなり鋭峰で、険しい岩山の風貌(写真)。
山頂部は一応「登山禁止」の札がある(小児・老人向け)。
確かに、山頂へは急峻な溶岩のクライミングとなり、子どもの遊び場としては危険だ。
これなら7日間のみ解禁なのもうなずける。
登山道沿いには七福神像が並び、山頂には木花咲耶姫の像が建っている。
山頂からは秩父の山も望めたが、目の前の巨大な高層ビルがはるかに威圧的。

ここから裏の税務署通りに出る。付近は庶民的な住宅街。
西新宿って、高層ビルの足元の下町って感じだったが、その風情まだ残っていた。
ここから税務署通り沿いに、東へ向かい、中央線と山手線の2本のガードをくぐって、
コリアタウン化した所をすぎると、右手ちょっと入った所に鬼王神社。
ここも新宿七福神の1つで、それめあての参詣者も多い。
ここには、2つに解体された富士塚がある。
合目を示す石が、溶岩にはめ込まれている。
高い方の頂に祠があり、その手前を数段登って、賽銭を置いた。
境内は狭いが、カエル石なるものや水琴窟もあった。

3つめは東大久保の西向天神社。
明治通を横切って、住宅街に入ると、
丘の斜面を利用した富士塚がある。
境内の富士塚の前は公園になっており、
柵でおおわれて鍵がかかって入れない。

4つめは歌舞伎町の花園神社。
境内の右手前(北東)端に、芸能浅間神社なる1m足らずの盛り上りがある。
盛り上りの頂まで登れる。
富士講の碑にまじって、藤圭子の歌碑などもある。
神社の方が参拝客の行列で、今日巡った神社で一番混んでいた。

最後は、ここから2キロ先の千駄ケ谷富士。
新宿の繁華街を明治通沿いにつっきる。
左に新宿御苑が接近した頃、左の住宅街に入りこみ、
中央線のガードをくぐって、国立能楽堂を通りすぎると鳩森八幡神社。
この境内に千駄ケ谷富士がある。

ここの富士塚はいつでも登拝できる。
全体を示した看板があり、
それによると山麓・中腹にさまざまな名所が配されている。
山頂直下には食行身禄の洞窟もある。
山頂には祠があり、その中に賽銭をねじこんだ。
神社本殿前には茅の輪があり、それを3度左右にまわれと書いてある。
そのようにして、本殿にも参拝した。
お守りを入れるミニ神殿を買った。

ここから千駄ケ谷駅はすぐ。
計5箇所を巡って全行程2時間あまりだった。
(参考サイト:http://www.hi-ho.ne.jp/t-kitagawa/

三が日

2008年01月03日 | 歳時
正月も三日目
近所の初詣以外には出かけないで、家でおせちを肴に昼から酒を飲む三日間。
仕事のことはまったく考えずに、食後は小説とビデオ観賞(湖池屋の「のり塩」を食べながら)。
でも観たいテレビ番組はなかった(箱根駅伝の実況は一応つけていたけど)。
年末ぎりぎりまで働いていたわけでないので、すでに休息としての効果はない。
正直、退屈となり、なまった体をなんとかしたくなる。
明日から気分を入れ替え、外出しよう。

我が家の元日

2008年01月02日 | 歳時
我が家の元日。
まず、昼前に和服を着て、氏神の諏方神社に初詣でに行くが、参拝者の行列が例年になく長いので、あきらめ、第二氏神といえる八幡神社に行く。
ここも多少の行列があったが並べる範囲内なので、参拝し、厄除けのお札を買う。

昼過ぎに0歳から78歳まで6人が集まる。
私は烏帽子に直垂で正装し、お屠蘇の儀を執り行なう。
BGMに雅楽のCDを流すと、うやうやしい神事の雰囲気が増す。
歳が若い順に盃をまわす。まずは眠ったままの乃の佳ちゃんに盃を口にあてる。
4歳になったばかりの柊ちゃんは、苦いといいながら口にいれる。
式三献(三三九度)が終わると、柊ちゃんたちにお年玉を渡す。
皆で大皿に盛ったおせち料理を食べる。
最期は雑煮でしめくくり。
夕方までのんびり。

母と乃の佳ちゃんを残して、諏方神社に行く。
日没すぎたので、並ばずに参拝できた。
富士見坂からは、夕日の陰になった初富士を拝めた。
夕食は、腹がすかないので、礒辺餅2個ですませる。

あと、正月は例年、湖池屋の「のり塩」を食べまくることにしているので、2倍のビッグサイズを探して買うのだが、今年は、なんと5倍の「スーパービッグサイズ」を発見(500円)。
これをみんなで食べる。