今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

仏像フィギュアを大人買い

2015年09月29日 | 仏教

中学以来、機会があれば仏像(の模型)を買っていた。
奈良や鎌倉での安物の土産物で始まり(京都にはない)、父の韓国土産の木彫りの土産物、最近では、ガチャガチャに毛が生えた程度のフィギュアや、岐阜の長良川沿いで買った円空仏を摸した木彫りの土産など、機会あれば買い集めていた。

本当は、見惚れるような仏様を部屋に飾っておきたい。

ただ、今まで買ったものは、いかにも土産物やミニチュア模型で、そのオリジナルは国宝でも、造形や大きさはオモチャでしかない。
また、仏具店で売っている仏壇用の仏像は、見た目に個性がなく、値段の割りには欲しいとは思えない。

ネットで探して、気に入ったのはイスムというブランドの仏像で、天平や慶派の国宝級の仏像を細部まで再現したもの。
大きさも高さ30センチほどで、部屋にデンと飾るには丁度いい。

ただ、値段が8万円する。
これは大人にしか買えない。 

いつかは買いたいが、しばらくは先、と思っていたら(もういい歳した大人なんだが)、 近所の谷中にショールームができたので実物を見に行った。
そこで、11月から8万円が9万円に値上がりすることを知った。
買おうと思っていた時期を、長引かせる理由がなくなっ

た。

そして翌日、目をつけていた観心寺の如意輪観音モデル(右写真)を思いきって買った。

税込み86400円を一括払いで大人買いだ。 

観心寺の如意輪観音は、その妖艶さで人気があるものの、年に二日だけ開帳する貴重な仏で(だから彩色の保存状態が良い)、来年の開帳に合わせて大阪・河内長野に泊まりで行こうと思っていた。

それほど憧れの仏を我が部屋に安置できるのだからうれしい。
さっそく、本記事に載せるためカメラで撮影。 
見ての通りの物憂げなポーズで、台座や手にしている数珠まで本物を摸している。 

8万円もの買物なんて、めったにしないので(家や車を別にすれば記憶がない)、前の晩から迷っていたが、美術品(の模造だが)は所有し空間を共有することに意味があるのだ。

いや、美術品ではなく、私の部屋の新しいご本尊だ。(^人^)

 


九品仏と等々力渓谷

2015年09月27日 | 東京周辺

だいぶ昔に行ったことあるのだが、無性に仏像を拝みたくなったので、人生で二度目の九品仏(クホンブツ.正式名:浄真寺)を訪れた。
世田谷区の南西部、東急大井町線のその名も「九品仏」で降りる。

境内が広いせいもあるが、緑豊かで庭の風情がとてもよく、前回も好印象だったが、今回も境内の雰囲気の良さでは都区内で屈指であることを確信した(写真は、閻魔堂前の風景)。
都心部のアスファルトとコンクリートと人だらけの寺とは全然違う。
あたかも京都の観光ルートから外れた古刹の雰囲気(拝観料はなし)。
拝んだ仏像は、まずは閻魔堂の閻魔大王、本尊の釈迦如来、そして阿弥陀堂の阿弥陀如来(下写真。堂外より撮影)。
ここは名の通り、上品上生から下品下生まで9通りの印を結んだ阿弥陀如来が3品ごとの堂に計9体があることで有名なのだが、 
今回訪れたら、堂内に入れるのは上品堂だけで、あとの2つは締まっていて入口のガラス越しに暗い内部を覗く(一体は修復により不在)。
江戸初期の開山の珂碩上人が弟子とともに釈迦を含めた計10体を造立した(すべて都重文)。本堂内にも本尊以外に 珂碩上人像なども拝める。

九品仏自体は満足だが、ここだけだと時間を持て余す。
そこで前回同様、駅二つ分歩いて等々力(トドロキ)に向う。

都区内で唯一の渓谷、等々力渓谷に行くため。

その間にある尾山台付近はこれぞ世田谷!的な閑静な住宅街で、二階建てながら敷地が広く、また家のデザインも凝っている。

 等々力渓谷へは、道路から階段を下る。
すなわち、川が両側10m以上の断崖の下に流れている。
嘘偽りでない真実の渓谷なのだ(右写真)。

前回来た時は、川も両岸も自然のままで、ここが23区内であることを忘れさせる自然風景だったが、その時すでに河川整備の工事をしていて、これでここの渓谷美も終わりだと思っていた。
それもあってここを再び訪れる気にはならなかった。
実際、川床と両岸は人工化されて、川を囲む谷だけ自然が残っているという感じ。

もっとも、周囲は住宅地なのだから河川を自然のままにしておくわけにはいかないというのも分るが…
都民にとってこれで自然の渓谷は、青梅線に乗って鳩ノ巣渓谷までいかないと味わえなくなっている(手前の御岳渓谷、秋川渓谷はV字地形でない)。 

いったん渓谷から外れて野毛大塚古墳(前方後円墳)に立寄り、渓谷沿いの湧水をペットボトルに詰め、不動滝の脇を上って等々力不動に出た。

向い側にある御岳古墳は入口が閉められて入れなかった(この付近は古墳が密集している)。

等々力渓谷を作った国分寺崖線に沿って、またもや閑静な住宅街を東に歩き、九品仏駅に到達した。
すなわち私鉄二駅分を一周したわけだ。
都区内とは思えない貴重な2箇所と、それらを結ぶ世田谷らしい高級住宅街を堪能した。 

ちなみに渓谷の湧水を家で測ったら、pH6.0,電気伝導率232μS,酸化還元電位+341mVであった。
伝導率から硬水といえ、私が今まで測った湧水の中では、吾野湧水(埼玉県)に近い。


妙正寺川を歩く1

2015年09月27日 | 川歩き

予定では関東で一泊の温泉旅(論文完成の慰労)の日だが、同じ関東で洪水被害が出たため、行く気になれず、かといって通っていた国会図書館の休館日なので、急きょ、準備のいらないウォーキングに出た。
といっても行き先が、山城、名刹、岬などのテーマからは決まらず、しばらくテーマとして採用していなかった「川沿いの道」から、妙正寺川を選んだ。

東京区部を流れる川で、水源も都内にあるのは、神田川(井の頭公園)、善福寺川(善福寺池)、音無川(石神井池)などであり、妙正寺川も妙正寺池(杉並区清水)を水源としている。
しかも妙正寺川は川にそって歩道がずっと続いているので「里川歩き」にぴったり。

川沿いの歩道を歩く里川歩きは、道は平坦で、適当に曲がり、水の風景に沿っているので、きつくもなく、退屈もしない。
雨でさえなければいつでもふらりと歩けるのがいい。

西武新宿線の井荻で降りる。
まずは、せっかく馴染のない地で降りたので、地元の店で昼食をとろうと思い、入りたい店も見つけたが、明後日に健康診断を受ける身であることを思い出し、
せっかく今から歩くのだから、あわよくば体重を減らしたいという気持ちが勝り、一食分の食事をあきらめ、これから行く妙正寺公園で軽く食べるサンドイッチとのり巻きをどこにでもあるコンビニで購入。

妙正寺公園に達し、水源である妙正寺池畔のベンチに坐って、軽い昼食をとる(右写真)。
水源の池には、噴水が高く上っているが、そんなに勢いのある水源ではなく、実は今は水も涸れているので、人工的に地下を掘って水を出しているという。

おおざっぱな地形で言えば、西の関東山地で降った雨が地下に浸透し、それが東に向って低下している武蔵野台地に幾つかある窪地に湧水となっているのが、ここ妙正寺池であり、上にあげた池たちなのだ。 
台地上の湧水だから、貴重な農業用水として武蔵野台地の発展に貢献してきた。

実際、周囲はいかにも杉並区らしい閑静な住宅地で、自然な樹木も多く、コンクリートジャングルの都心部に近い住宅地とは全然雰囲気が違う。
もともと武蔵野の風情が大好きな私にとっては、自然と人工のバランスがとれた丁度いい雰囲気(多摩に行くと逆に郊外型の大型店舗やぶっとい道路が目についてしまう)。 

名前の元となった妙正寺(日蓮宗)に詣で、妙正寺公園に戻る。
公園の東から、いよいよ妙正寺川が流れだす。
公園の真下の地下道から出てきて、コンクリートの川床と護岸がここから始まる(右写真)。
そう、残念ながらこの川は自然の石や土を知らずに流れていくのだ。 

川の両岸が遊歩道になっていて、ところどころに掛かる橋で両岸を往き来できる。

両岸の住宅は川に背を向けているので、住宅の裏道を通っている気分。

時たまバス道を横断するが、片側一車線の狭い道路で、交通量も少ないので、信号なしで渡れる。
1km強歩くと、川自体が北東に上がって鷺宮駅(中野区)に達する。

ここで帰宅の途についてもいいが、歩き足りないので、南東に方向を変えた下流に進む。
まず駅近くにある福蔵院(真言宗)に立寄り、珍しい十三仏の石仏を拝む。 

中野区に入ると、周囲の雰囲気が変わり、コンクリのビルが出て来て、ダウンタウン風になる。
都営アパートのビル群近くの地下には大きな調整池が広い地下駐車

場のように広がっているのが見える。
このように周囲は風情がなくなるが、川自体はかえって清流となり、カモが透明な流れに逆らって泳いでいる(右写真)。
水源から続いていた妙正寺側両岸の遊歩道は、 敷地が川の両岸にまたがる「中野四中」で途絶えてしまう。
ただ、四中を迂回すると両岸とも復活する。
そして環七通りの広い道路と初めて交差する。

このへんの風景は、風情もへったくれもない雑然とした都会周辺部の姿なので(かといって都心の人工美にも達していない)、歩く楽しみはなくなる。
丁度「野方」駅が近いので、ここで切り上げる。
両岸の道は、この先もいくつか途切れはするものの、川自体が暗きょになる下落合(新宿区)まで続いている。

ただ、どうせ歩くなら、今回の私のように水源から風景が悪くなる下流に向うのではなく、下流の適当な所から上流に向って歩き、最後に水源の妙正寺池に達した方が、風景もだんだん良くなるし、エンディングがドラマチックになるのでお勧め。

妙正寺川を歩く2 へ


魚の頭を左に置く理由

2015年09月26日 | 作法

ある女性国会議員が焼サンマの画像をアップしたら、頭が右になっていたので、ネットで攻撃にさらされ、その写真を取り下げたらしい。

焼魚は頭を左に置くということが、常識化されており、それを知らない事は常識がないとされていることがわかる。

確かに、この盛り付け上の作法は、武家礼法が完成した室町時代には存在していた。
たとえば当時の伊勢流の礼書に「魚の頭の方人の左へ成べし。尾のかたは右になると心得べし。」(伊勢六郎左衛門尉貞順記)とある。

作法とは、さいころを振って決まったのではなく、そうなった理由が必ずある。
私の作法学では、その理由の部分を機能素というのだが、 大抵の作法素(1つの作法を示すテキスト単位)には、本来あるべき機能素が省略されている。
なので、作法を表面的に知るものは、機能素を知らずに、作法(マナー)を法(ルール)として無批判に受けとめる。

作法家たる者は、その言及されない機能素を理解しなくてはならない。
それを知るには、作法全体の体系(作法学ではそれを作法体という)から演繹する(だから個々の作法素では省略できる)。 

では魚の頭を左に置く理由(機能)は何か。

まず考えられるのは陰陽の対応である。
すなわち頭(上部)=陽=左、尾(下部)=陰=右という対応図式による
(幕末まで通用していた前科学的自然思想である陰陽思想は、この世のあらゆる二項対立を陰陽に還元する。)

多くの人は、「そんなのどっちでもいいじゃん」と思うだろう。 
言い換えれば、動作合理的に左側が頭である方がいい客観的な理由があれば、陰陽の基準が出てくることはないのだ。
逆に、ランダムという無秩序を嫌う作法の世界では、動作合理性的には正解がない場合(どっちでもいいもの)における最終決定基準として、何に対しても適用できる陰陽の基準が使われるのだ。
頭を左にして困る正当な理由がないなら、頭は陽なのだから左に合わせたら、となる。
実は、儀式の所作は、たいていは(儀式だから)合理的理由がない。
なので儀式ほど陰陽の基準が前面に出ている。

これを勘違いすると、日本の礼法は陰陽思想に支配されていると結論づけられてしまう(武家礼法の重要な所作は考え抜かれた動作合理性に裏打ちされていることを見抜けない)。

ただし、この魚の頭問題は100%陰陽だけに基づいているわけでもないかもしれない。 
何しろ尾頭付きの魚は、右手の箸だけではきれいに食べにくい。
そこで作法では、左手で魚の頭を押えて、右の箸で肉をとりやすくすることが許容されている。
魚の頭が右にあったらこれができない。
すなわち左頭は動作合理的にもかなっているのだ。
その証拠に、菜に関しては、左右の向きを指定する作法が見当たらない。
ただ、陰陽の基準を優先したのは、食べる時以外でも頭は左にするから。 

逆に、動作合理性を無視して、100%陰陽の基準にすると、実は女性議員の写真は適礼になりうる。

なぜなら、左を上とするのは、男=陽の基準であって、女=陰が主体なら、頭を陰=右にすることも理屈上可能だからだ。
実際、風呂に入るとき、男ならば左足から、女ならば右足から入れという作法があった(中島摂津守宗次記)。
かように、どっちでもいい場合には陰陽の基準が適用された。

陰陽の基準など、陰陽思想を信じていない現代人にとっては、無視していいものなのだ。
 たぶん、私(♂)が風呂に右足から入ったことを公表しても、作法知らずと突込む人はいないと思う。


熊野三山巡り3:那智、霊の探知結果一覧

2015年09月22日 | パワー・スピリチュアル

熊野三山巡りの3日目、今日が最終日で、三山3つ目の那智大社とその真の御神体である那智の滝に行く。

レンタカーで那智の滝前の駐車場にいれようとしたら、変な縁石に車の後ろのバンパーを引っ掛けてしまい、プラスチックのバンパーが外れてしまった(運転手は私でない)。

後でガムテープで押さえる事で走行可能になった。

待っている間、私は先に那智の滝を観に行った。
那智の滝こそ熊野の最高の神威だから、旅がこれで中断する前にせめて見ておきたかった。

日本三名瀑の1つのこの滝は、高い山のない西日本では唯一とも言っていい名瀑(写真)。
滝周囲から熊野灘が見えるので、逆に海上から那智の滝が遠望できるかもしれない。
神武天皇上陸地点と関連づけられるのもうなずける。

那智大社も青渡岸寺も那智の滝を祀る祭祀所に過ぎないことが、ここに行けばわかる。

滝に向けて霊気を探知すると、やはり「守り神の出現を期待して良い」と出た。
那智大社では、剣のお守りを買った。
霊気を探知すると、ここも「守り神の出現を期待して良い」。


最後の訪問地、麓に戻って補陀落山寺を訪れる。
ここは補陀落渡海という奇妙な信仰儀式の拠点。
境内には、その渡海舟が復元されていた。

ここで一番訪れたいのは、寺の背後にある 渡海上人達の墓。
すなわち、わずかな食料だけを積まれた小さな渡海舟に乗って、実質的には海に死ににいく。右上に写っているのは同行者
それがわかっているため、渡海直前になって乗るのを嫌がった僧もいたらしいが、その場合は信徒らが無理やり乗せたらしい。
そのような渡海上人の墓(実質的は慰霊碑)は、裏手の丘の薄暗い林の中にあった(写真・右上に写っているのは同行者)。
ちょっといやな予感がして、霊気を探知すると、案の定、負の霊反応があり、「霊の出現に注意してください。」と出た。
ホント、このばけたんの探知は信頼できる(下も参照)。


以上、で熊野三山の名所を点で結ぶ旅は終わった。
破損したレンタカーを返却し(プラス2万円)、紀伊勝浦駅から、また三重を縦断する長い電車の旅で帰った(名古屋まで4時間)。 

最後にばけたんの探知結果を記事で言及しなかったものも含めて一覧で示す(ばけたんの評価は良い順に++.+.0.-.--)。

  • 探知地点   結果           評価
  • 徐福の墓   何もない          0
  • 神倉山御神体 守り神の出現を期待してよい +
  • 速玉大社本殿 守り神の出現を期待してよい +
  • 本宮大社本殿 守り神の出現を期待してよい +
  • 大斎原社殿跡 強い霊反応、警戒が必要   --
  • 那智の滝   守り神の出現を期待してよい +
  • 那智大社本殿 守り神の出現を期待してよい +
  • 渡海上人墓  霊の出現に注意       -

この結果からも徐福の墓は単なる伝説といえる。
また大斎原社殿跡は、大社側は聖地としているが、明治に洪水で流された社殿跡。

それと、熊野信仰を社殿の位置から考えると、
本来の祭祀の対象は、本宮は豊穣と災いをもたらす熊野川そのもの、
新宮は神倉山から熊野川へ変更し、
そして熊野川から離れた那智大社はもちろん那智の滝なようだ(少なくとも那智大社は確信もてる)。

それらが神道(人格神)化し密教化したのは後世の世界観に応じたまで。

宗教心の原点を原始神道におく私にとって、興味あるのは実感的な(願わくは実在する)神性・霊性であって、
本来の神威から離れた、脳内でこしらえた記号論理(皇統神話、密教曼荼羅、補陀落信仰など)ではない。

『熊野三山巡り1』に戻る


熊野三山巡り2:古道と本宮

2015年09月21日 | 

二日目の今日は、三山の中心・熊野本宮しか予定がない。
那智は明日の予定なので、あまりそうな時間をどうするか相談した。
本宮なら、そこがゴールの熊野古道があるではないか。

実は計画時には、同行者たちは古道を歩いてみたいと言い、
それに対して私は、古道はそれとしてきちんと歩きたいので、
今回は道というの旅ではなく、三山という3つのをレンタカーで結ぶ旅で満足していた。

ところがいざ蓋を開けてみると、同行者たちはたとえ数キロでも歩く気が無くなっており、私も私で、単なる古道(でしかない未舗装道)を数日かけて踏破しなくてはならない予定を立てる気がしなくなった。
かように双方ともやる気がグレードダウンした結果、
私だけが本宮に達する中辺路古道の最後の(たった)3.2キロを歩くことにした。

残りのメンバーは私を開始ポイントの伏拝(ふしおがみ)王子まで車で送って本宮に戻り、
本宮側から少しだけ古道を歩いて、私と合流するという算段にした。

自分にとっては、予定外の古道歩きとなったが、もともと歩くのが好きで、古道ルートを見ているうちに足がむずむずしてきたのも確か。

伏拝王子というポイント(中辺路固有の”王子”名がつく)は、本宮裏手に落ちる長い尾根上にあり、周囲の眺めがいい(写真)。

というわけで熊野古道を一人で歩く羽目になったが、もちろん嬉しく楽しい。
ここの道は傾斜は緩く、道幅もあり、東京でいえば高尾山のハイキングコースを歩いている感じ。
行き交う人と挨拶を交わすのも、観光地ではなく、山での行動様式で心地よい。
スタスタ歩いて、予定より早く熊野本宮裏手に到着。
確かに、古道を通って本宮に達した方が、達成感を得られる。
すなわち、古道を通るなら本宮をゴールにしたいし、本宮に行くなら古道を通って行きたい。
本宮社殿の裏側を、静かな林越しに眺めながら到達感に浸っていると(写真)、また、映画『鉄塔武蔵野線』の1号鉄塔に達した主人公の少年を思い出した。

映画と違って、ゴールに近づくたびに道沿いの標識の番号は増えていくが、それを通り越えてゴールを目指す点は同じ。
ということは、あの少年が達成した鉄塔武蔵野線を遡る冒険は、現代版”熊野詣”ともいえる。

神社の場合、ゴールに達してもやる事は同じ。
三つの社殿にそれぞれ作法どおりに参拝するだけ。
ばけたんで社殿に向けて霊気を探知すると、新宮と同じく「守り神の出現を期待して良い」と出た。
それなりの神社に参拝した時は、お札(ふだ)を求めるのだが、ここでは紙ではなく持ちのいい木の札にした。
ちなみに、同行者たちは本宮の喫茶店にいて、古道で私と落ち合う計画は失敗した。 

今日の宿は、紀伊勝浦のホテル浦島。
普通の観光ホテルの3つぶんあるこの大ホテルは、ほとんど対岸の島のような半島の中央部にあるため、専用の連絡船に乗って行く。

宿には12の源泉があり、全部掛け流し。
ただ、泉質はほとんど同じで、しかも昨晩の湯ノ峰温泉と同じ。
有名な「忘帰洞」から、「玄武洞」など新館である日昇館の湯にもはしごして測った。
温泉としては、忘帰洞は海側の浴槽が濃く、玄武洞は海側ではない浴槽が濃かった。
いずれも濃さは湯ノ峰温泉の2倍あった。
特に、日昇館の湯はいずれも酸化還元電位が-200 mV 以下になる還元水(アルカリ性も強い)。
海の眺めもこちらの方が迫力がある(浴槽は狭いが)。

夕食はバイキングで、マグロの解体ショーもやっていた。
マグロ食べ放題が特色。

「熊野三山巡り3」に続く


熊野三山巡り1:新宮

2015年09月20日 | 

昨年山陰の旅をした学生時代の友人たちと、今年は熊野三山巡りに出た。
私は名古屋から参加して、特急電車(ワイドビュー南紀:ただし単線で非電化)で長~い三重県を縦断して、和歌山県の新宮に降り立った。

レンタカーを借りて、まずは神倉神社。
ここは三山の一つ速玉神社が最初にあった所で、
500段以上の急な石段を登って、御神体のゴトビキ岩を拝む(写真)。
なるほど、原始の神にふさわしい。

ばけたん(幽霊探知アプリ)で霊気を探知すると、「守り神の出現を期待して良い」と出た。
新宮より先にこっちに訪れて良かった。

次いで、その新宮の速玉大社。
いたって新しい社殿で、少々風情に欠ける雰囲気。
しかも拝殿・本殿が、本来のご神体(神倉山)方向ではなく、熊野川に向いている。
でも霊気の探知はここも上と同じ結果。
ここで武士の起請文によく使われた牛王(ごおう)宝印のお札を買った。

車を飛ばして一路熊野本宮近くの(日本最古の温泉)湯ノ峰温泉に向かう。
途中、熊野川沿いに4年前の台風の爪痕をみる。

今宵の宿・湯の峰荘は、さすがに満室。
早めに予約しておいて良かった。
源泉は90℃もある熱湯で、生卵をサービスされたので何かと思ったら、
源泉につけて温泉卵にどうぞとのこと。

宿の内湯より、湯ノ峰温泉名物の「つぼ湯」を堪能しようと思ったが、
すごい混んでいて、受付中止とのこと。

泉質が同じ宿の湯に入った。
源泉かけ流しというが、泉温が90℃もあるため、
加水している(加水だけなら源泉~と称せる)。
露天の方が湯の花が豊富だったので、こちらの湯を計測した。
電気伝導率は2260μS(37.2℃),濃度は1.5ppt と、まぁ合格。
酸化還元電位は+ 127mVなので還元水といえる。
さすが源泉かけ流しだ。
ただ掲示してある分析表の写しは昭和30年のものであまりに昔すぎ(今は10年ごとに更新のはず)。

客室で豪勢な夕食を平らげ、あとは寝るしかない。
私は寝る前に浴室が男女入れ替わるを待って、もう一度入浴する。

「熊野三山巡り2」に続く


ハイリターン・ノーリスクの資産形成法

2015年09月20日 | 生活

一般的に投資はハイリターンが期待できるならハイリスクだし、ローリスクな商品はローリターンだ。
なので、大ざっぱに言えば、ほとんどの商品の期待値はローリターンの商品と同じになる。
つまり、雀の涙の低金利。

ところが、その中にハイリターン・ノーリスクの商品がある。
手元資金が0円でも、定収入さえあれば、たとえば1年で100万円の儲けが確実に得られる。
私自身、いくつかの投信をやってきたが、リーマンショックや為替変動で利益が吹っ飛んだこと再三。
トータルするとほとんど儲かっていない。

その中でこれだけは確実に利益を得ている。
しかも、景気や為替の変動にも無関係。
その夢のような商品とは何か。

給料から天引きの積立預金(貯金)である。

たとえば、毎月5万を積立て、10ヶ月で50万、
年2回のボーナス月で残り50万を、夏20万・冬30万にすると、
毎年100万確実に貯まる。
そのまま続ければ10年で自動的1000万だ(その間、普通預金より高い利息もつく)。

私はこの方法で貯めた資金で、弟と共同購入した都内山手線内側の土地付き新築3階建ての家を、即金で支払った。 

デイトレーダーのように神経を使うこともなく、いったん決めた積立額なんか忘れてしまえばいい。
つまり毎月の手取りマイナス積立額をリアルな手取りとみなして、それを基準に生活すればいいだけ。
手取りの中から、自分で毎月5万を預金するよりはるかに簡単だ。

金利そのものはたいしたことないが(それでも普通預金よりはいい)、積立額そのものがどんどん”利益”になって、あれよあれよと貯まっていく(他に投信をやっているなら、それらと比べればいい)。

誰でもできる安全で高収益の資産形成術としてお勧めする。


安全保障を議論できる場に

2015年09月19日 | 時事

国会の外はともかく、少なくとも内側(立法府)では、安全保障という、国家存立の基本問題を冷静に議論してほしいものだ。

これを阻害したのは、法案一括提出の与党であり、安全保障=戦争という短絡的レッテル貼りの野党である。

一番がっかりしたのは民主党で(ということは私はかすかに期待を残しているのだが)、安全保障をきちんと議論できる人材はいるのに(たとえば長島昭久氏)、まるで”確かな野党”になってしまった。
議論そのものを拒否するシステム1状態になりきっていた。
野党に安住するなら(別にシャレではない)、民主党の存在意味がない。

昔の「有事法制」の時もそうだったが、安全保障を現実に即して論じることすら許さない風潮はなんとかしてほしい。

この風潮は原発に対しても使われていて、事故を想定した避難訓練を地元自治体と実施しようとすると、重大事故を起こす危険性を認めているという反原発派に揚げ足を取られるため、「事故を想定してもいけない」という思考に自縄自縛状態になった。
この愚かな思考に毒されていなければ、事故を起こす可能性を堂々とチェックでき、福島第一原発は、津波を想定して予備電源の場所を安全に所に移動して、女川原発や福島第二原発とともに、放射能をまき散らすレベルの大事故は起こさずに済んだと思っている(その結果、原発依存がますます進んだかもしれないが)。

国民の生命・財産を守る防災も安全保障(防衛)も共通した視点がある。
それは最悪の事態を想定して、その時どう対処したらいいかシミュレーションをし、それをもとに対策を立てるというもの。
もちろん、災害も戦争も未然に防ぐことがベストなのはいうまでもない。
だがそれが神話化してしまうと願望と現実認識が区別できなくなってしまう。
少なくとも、立法府の人たちがそうなっては困る。 
安全保障も原発も(原発の本質は安全保障そのもの)幅広い視点から冷静に議論できる政権担当可能な(=責任感のある)2つのしっかりした政党ができることが、私の当面の願い。
「確かな野党」は1つで充分だ。 


健康診断に救命講習

2015年09月18日 | お仕事

勤務先の大学で、年に一回の健康診断。
主な検査結果はしばらく待つが、当日判明した中では、身長が0.1cm低くなったのにショック(測定誤差であってほしい)。
さらに耳の難聴も左右ともども進行してしまった。
ただ、内科検診で、私の止まない耳鳴りには水を2リットル/日摂取するといいと言われたのが励みになった。
自分の難聴と耳鳴りはそれぞれ原因は別なのだが、耳鳴りが聴力を妨害しているのも確かなので、しかも耳鳴りの方が処置なしなので、なんとかしたい。

難聴の方は、鼓膜の厚化が原因で、滑舌の悪い人が小声で早口でまくし立てられると理解できないが、滑舌のいい人が普通の大きさで喋ってくれると問題ないレベル。
私の周囲の人が皆NHKアナウンサーであったら、まったく支障はないのだ。 

健康診断は午前中に終わり、午後は消防署から講師を招いての救命講習。

私は、防災士・危機管理主任3級で、これらの資格を取るのに救命講習は体験済みなのだが、実技というのは、一度体験すればいいというものではなく、人に教えられるくらいに習熟しておかないと、いざという時自信を持ってふるまえない。
さらに毎年バージョンアップすることもあり、機会があればどんどん受講したい。

実際、実施上の細かいノウハウを教えてくれるので、習うたびに細かい知識が増える。
緊急事態における行動は、冷静な思考ではないシステム1が主体となるので、システム1の学習能力を利用して植え付けておくのがいい。

これらが終わって、なにより嬉しいのは、昨日の禁酒が解禁になったこと。
さらに論文も出したし(実は昨日が締切)、他の事務作業、来週の授業準備も午後にやり終えた。
これで心置きなく、遅れに遅れた私の”夏休み”としてシルバー・ウィークを迎えられる。


本日禁酒

2015年09月17日 | 時事

今日だけは禁酒。

「安保法案」が通ったので祝い酒の逆をやりたい、というわけではない。

明日、健康診断があるから。

血液検査でγGTPの値を標準値にするため。
γGTPは飲酒に敏感に反応するので、数値が標準値を超えると、いらぬ指導を受けてしまう。
逆に言えば、前の晩だけ禁酒してγGTPが正常なら、アルコール性肝炎にはなっていないといっていい。
そのためなら、一年で一日くらい、禁酒に堪える価値がある。
例年、これで無事通過してきた。
今回は、毎日摂っているシステインの錠剤を余計に摂った。

もちろん、明日からは平常通り。


自治体を非難する前に:マスコミのできること

2015年09月14日 | 防災・安全

鬼怒川堤防決壊被害について、

決壊した近隣地域への避難指示が遅れたことに、マスコミ(テレビ局)から市長へ厳しい指弾が映される。

被災者はどう思っているか知らないが、第三者の一人としては、マスコミの正義感ヅラが鼻についた。

別に自治体の対応に問題がないと言うわけではない(むしろ、たいてい問題がある)。
ただ以下に述べるように、自治体の対応には限界がある。
自治体に期待しすぎてはいけない。 

災害は思わぬ時、思わぬ所で発生する。
その現場に一番近く居るのが住民で、一方役所の職員は、自治体地域全体の防災対策を本部で検討しなくてはならない。

職員を危険想定可能な数箇所に分担配置する人的余裕はない。
情報源は気象庁から役所に不定期に届くFAXや住民からの通報で、本部にいてそれらに対応しなければならない。
そもそも防災課の職員といえども、災害対応の専門家ではなく(経験豊富なベテランでもない)、普通の公務員である。

そういうことが分っているから、私を含む防災に携わっている者は、住民による主体的な防災力の向上を訴えているのだ。

被害を受ける前に、危険を一番先に発見しやすいのは、そこに住んでいる住民だから

いつ起きるか分らない災害に対する、自治体による住民への防災力に完璧を求めるなら、
人件費や設備投資のために住民税を大幅に上げないとかなわないのだが、それでいいのか。

自分の身は自分で守る(自助)力をつけよう。
その方が結果的に被害が軽く、しかも費用も安くすむ。 

そもそもマスコミは、事後に偉そうに自治体のミスを糾弾する以前に、報道機関としてもっとできることがあるはず。

台風の時、頼みもしないのに、風雨の強いところにわざわざ実況中継しに行く、
その行動力こそ、ほぼ確実に被害が発生する線状降水帯の時にも示してほしい。

自衛隊がヘリを使って命がけで救出している時、それを邪魔するように周囲を飛び回っている報道ヘリを出すくらいなら、
決壊のおそれがある河川域を上空から実況してほしかった(雨上がりの午前中なので可能※
)。
※ただし積乱雲直下はヘリでも危険。ダウンバーストが吹いたら地面にたたきつけられる。

しかもマスコミなら、防災専門家や気象予報士をいつでもスタジオにスタンバイできるので、
状況の専門的解説が可能(これが必要!)。 

気象災害に一番必要なのは、リアルタイムの実況情報である。
情報が人の命を救えるのだ。 

ただ、本当に必要な情報は現状ではネットでしか得られない→9/11の記事自主避難判断のために

お年寄りなどネットに不慣れな人はこれを使えないし、判断には熟練が必要だから、
もっと公的機関がこれらの情報を広報する必要がある。 

だが、限られた設備とマンパワーの役所では無理。
自治体が設置してある屋外の同報無線は、大雨時に何言っているのかわからない。
それなら、屋内のテレビでのアナウンスの方が聞きとりやすい(データ放送でも可)。
実況に慣れた報道機関こそ、積極的に情報配信に協力してほしい(地方局レベルでできるでしょ)。

災害大国日本では、住民も報道機関も全員が防災の当事者なのだ。 

 


破堤箇所のソーラーパネル

2015年09月13日 | 防災・安全

鬼怒川の洪水被害について、
国土地理院から発表された地図上の破堤箇所(右図の19mの三角点西側の赤っぽい線分)をグーグル・アースで確認してみたら(右下写真)

 

そこは自然堤防の高みを削ったソーラーパネル群だった(下写真右上の細長い中洲が上地図の破堤箇所上流側の中洲に対応)。

堤防面なら、そりゃ日当たりはいいわな(堤防の影になる部分に作ることはない)。 

ここが最初の”越水”箇所となった所だ。

他の場所では越水が破堤を導いたのだが、ここはずっと前に人工的になされていた破堤が越水を導いた。
防災の視点からは、未必の故意としかいいようがな
い。 

流れ込んだ先は標高19mだから、ここより少しでも低い土地が広がる南東側にどんどん浸水域が拡大していった。

この場所でのパネルの設置は違法の可能性があり、甚大な損害を与えているから、訴訟対象になるだろうな(事前に危険性は指摘されていたし)。

 


論文提出して

2015年09月12日 | お仕事

原稿を書き上げてから、ほぼ一週間。
やっと今日、提出した。
つまり、字が埋った草稿状態ではそのままで提出できず、文献リストの整備、図表の清書(パソコンで)など、人様にお見せできる状態に整備しなければならないのだ。

そして、それも出来たと思って印刷してみると、書式が不統一なのを発見したり、図を本文で言及していなかったりして、幾度も修正を繰りかえした。
それらがやっと終わって、紙出力とデータファイルを入れたメディアを封筒にまとめて提出した。

さあ、これで当面の労苦から解放された。
まずは、帰宅して祝杯。
まだ授業はないので、明日帰京して、来週に北関東の温泉に慰労に行くつもりだったが、
同じ関東であんな災害があったので、どうもその気になれない。
倫理的にとかではなく、あくまで自分の気持ちの問題。 

旅費を義援金に替えることにしたら、いくぶん気分がすっきりした。


自主避難判断のために

2015年09月11日 | 防災・安全

3.11ならぬ今日9.11は何があった日?

愛知県民なら、東海豪雨の日(2000年)と答えてほしい。

昨日、東日本に水害が発生したこともあり、河川災害の防災について考えたい。

災害大国である日本の国民は、防災についての意識・知識をしっかり持たなくてはならないのに、
いまだお上任せの人が多い。
行政は反省はしても責任は取らず、被害を受けた方が損するだけ。 

そこで、気象予報士・防災士である私が、自分の大学で実施している防災教育からその一部を紹介する。
この授業の目標は、「行政のアナウンスに頼らず、自分で避難判断ができること」にある。
そのために必要なのは、「情報の獲得」である。

必要な情報は、大きく二つに分れる。
①自宅の災害危険度の把握…事前にやっておく
②リアルタイムの情報の把握…情報の受信態勢

避難判断は①と②を合わせて行なう。

①自宅の災害危険度について、授業では受講者にレポートとして提出させている。
まず、平時に①をやっておく。
これは一度やっておけばしばらくは更新しなくて良い。

○自宅周辺の地形:地形区分、標高、河川からの距離と高度差、地盤の軟らかさ、土砂災害危険箇所からの距離

地形区分と地盤については「地震ハザードステーション」のサイトで、自宅の地域を入力すれば表示してくれる。
あとは地形図から割り出す。

※なお、ここで紹介するサイトは、自治体のサイト以外は、私の気象サイトの「防災情報リンク」にリンクが貼ってある。

また、居住自治体が発行している「洪水ハザードマップ」も必要
(ただし、ハザードマップは過去の水害を基準に想定してあるので、その危険度を絶対化しないこと。相対的=周囲との比較、に見ること)。

居住自治体が必ず発行している地震・洪水ハザードマップをいまだ見ていない(自宅の想定震度・想定浸水度を確認していない)人は、
そもそも防災を語る資格がないと思ってほしい。
あなたが該当するなら、この記事を読む前に、
まずはそれを見ること→居住自治体(市区町村レベル)サイトの防災ページに必ずリンクしてある。

もっとも近い雨量観測地点、水位観測地点の把握も把握しておく。
これは国交省のサイト「川の防災情報」から確認できる(ブックマークに登録しておくとよい)。

右図は、そのサイトの茨城県南西部の鬼怒川流域の水位観測地点(△▽印)と雨量観測地点(○印)。
これらをクリックすると、その地点の時系列データが表示される。

○自宅の危険度:家屋構造(木造、鉄骨・鉄筋)など。これは各自で。
水害の場合、屋根や屋上に避難する方法を考えておく。 

○避難路:避難所までのルート、途中の危険箇所(水路、土砂災害危険箇所)。
途中の危険箇所は事前に実際に歩いて確認する(これも受講生にレポートを課している)。 

②リアルタイムの情報把握

リアルタイムだから、ネット情報(ネットがつながらない場合はテレビのデータ放送)。
降水レーダーは必ず動画にして降水域の移動方向を確認すること。
動画にしても強い降水域が移動していない場合が危険!

気象庁のアメダスは設置間隔が広すぎるので、国交省の雨量計を参考にする。
川の水位も同じサイトで確認する(川の様子を見に行かないこと)。
その際、必ず表示間隔を「10分」に直すこと(初期設定は60分なのでリアルタイムの防災に使えない)。

避難判断の基準

○大雨が続いていて止みそうになく、家の近くに土砂災害危険箇所がある。
大雨が止みそうにないとは、レーダーで強雨域が移動しない=線状降水帯、
テーパリング雲の下になっているということ(専門用語は自分で調べて)。

○川の上流域に大雨が続いており、水位が上昇し続けることがわかっている。
まず、増水した時の川幅は、今の水流の幅ではなく、川を横断する橋の幅を想定すること。
自宅の上は雨が降っていなくても、大きな河川だと洪水になる。
水位情報のサイトを睨めっこして、「避難判断水位」になったら、
避難するつもりになる(増水のペースにも注意。増水ペースが速いなら避難を開始する)。

さらに増水して「氾濫危険水位」に達したら、すぐにでも避難する
(たとえ、地元自治体から避難勧告・避難指示が出ていなくても!)。
これらの判断には、大雨の状況・予想も考慮に入れる。 

なお、避難に時間がかかる人がいる場合は、避難判断のハードルを下げる。 

判断基準として、避難路が冠水する前に逃げる。 
というより、冠水したらもう逃げられない。 

冠水した道路を移動する場合は、道の端と中央の歩行は避ける。
端には側溝があり、中央は蓋の開いたマンホールがあるかも。
だから道の端と中央の間(1/3の所)を進む。 

ただし、夜間の避難はそれだけで危険だ。
夜間に避難しなければならない可能性を明るいうちに想定するしかない。
これは難しい。
でも最後に一言。

避難は遅すぎすると確実に被害に遭うが、早すぎてまずいことはひとつもない。
だから、迷ったら避難だ。