今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

お七夜

2007年03月30日 | 身内
姪っ子のお七夜を祝った。
予定日より半月早い帝王切開だったので、母親はまだ術後の入院。
標準より小さい赤児はというと、3日後の朝に救急車で専門病院へ搬送された。
呼吸が停まってしまう症状があるらしいため。
せっかく苦労して生まれたばかりなのに、暗然とする。

しかし精密検査では異状は認められず、その後症状も出ない。
可能性として予定日前の帝王切開というストレスによるものかも、という。
無事母親のいる産院へ戻る。

そして今日、お七夜。
昔は新生児死亡率が高かったから、生後7日無事であってくれれば、やっと出生を祝う気になれたのだろう。
正直、今回がそうだった。
当事者の母子は産院に残ったまま、周囲の親族だけで祝った。
それにしても、母親って子を産むだけで充分役割を果たしたといっていい(それが生物学的真実)。

針治療で

2007年03月28日 | 健康
ぎっくり腰の腰痛がようやく治まってきて、
それまでの腰を落とし膝を曲げた姿勢ではなく、普通の背筋を伸ばした姿勢での直立2足歩行ができるようになった。
もちろん、まだ腰は局部的に痛いが…

今回、初めて鍼灸治療で通した。
劇的に回復することはなかったが、
普通の整形外科外来でのだらだらした治療だとどうしても
飽きて途中でやめてしまう。
その点、針の方が回復ペースは早い気がした。
でも保険がきかないから、1回3千円を週に3回のペース。
財布の痛みはこちらの方が強い。

もともと腰・肩・頸に湿布やマッサージが効かない
慢性的なコリの塊があるので、鍼灸に通うしかないとは思っていた矢先。
つまり、ぎっくり腰が治った後も続けるつもり。

追悼植木等

2007年03月27日 | 時事
高齢の植木等さんを思うたびに、恐れていた。
でも、その時を迎えてしまった。

私が最初に熱中した芸能人・私のアイドルが植木等だった。
幼稚園児の分際で、彼のレコードを泣いて買ってもらい、「サラリーマンは~、気楽な家業と、きたもんだ♪」(ドント節)と歌い方もまねて歌っていた(確かに幼稚園児にふさわしくないな)。
もちろん、「スーダラ節」「五万節」や「ハイ、それまでよ」も全部覚えて歌いまくっていた。
彼のテレビ番組を観たのがきっかけで、その後映画「無責任」シリーズも足を運んだ(東宝のゴジラシリーズと同時上映だったような)。
幼い自分が強く感動した何かがそこにあったようだ。

はっきり言って幼少時の植木等体験は、自分の自我形成におおきく影響した。
自分の自我のコア(中心部)は無責任シリーズの主人公、源等(みなもとひとし)・平均(たいらひとし)・初等(はじめひとし)だ。
その外側に、不適応感や劣等感などでによって形成された、暗くおとなしい、いわゆる「山根一郎」という部分がある。
社会的に表出され、日常的に自分でも体験しているのは主にこの部分。
でもその奥にずっとそのままの能天気な無責任男がいる(この部分を表に出すと逆に社会不適応になるから)。
だから植木等は私の心の中で生き続けていく。
私自身となって…

姪っ子誕生!

2007年03月24日 | 身内
3月24日午後2時45分。
義妹が女子を出産。
逆子だったので帝王切開。
体重は2800g台だが
母子ともに健康。
もちろん事前の検査で女の子とわかっていた。

自分の昇任とこの子の誕生が予定されていたから、3月は吉月になるとふんでいた。
とりあえず速報。

墓参り

2007年03月21日 | 生活
春休み初日にぎっくり腰になったのは、不幸中の幸いというべきだろうが、
せっかくの春休みにどこにも行けない、というものつまならい(銚子に行ったくせに)。
今日、彼岸の中日は、菩提寺に「墓参り」に出た。

電車ではつらいので、私は車の助手席。
すがすがしい晴天の境内では、私だけが傘を手にもっている。
それを杖にしてとぼとぼと歩く。
まるで老人のよう。
それでも我が家の霊廟(仏壇形式でいわゆる墓ではない)に昇進の報告をし、本堂の前では字の出る線香に義妹の安産祈願を記入して祈った。

帰途、運転する母の知人に路上で遭ったので、私も車の座席から挨拶のおじぎを思わずした途端、
腰に電撃が走った。
やっぱり家でおとなしくしていよう。

肉の蝋人形館ではない

2007年03月20日 | 作品・作家評

2006年8月26日のブログ「人類SOS」で話題にした映画は、9月7日のブログで「肉の蝋人形館」だと結論したが、それは誤りだった。
「肉の蝋人形館」のDVDを入手して久しいものの、もともとホラー映画が好きでないこともあり(怖い思いをしたいという動機がない)、やっと銚子の宿で確認した。
この映画は遺体を、さらには生きた人間をむりやり蝋人形にするというものだった。
探索を再開しなくては。


銚子の旅

2007年03月19日 | 
千葉県銚子は、同じ千葉でも成田や房総方面と違って、首都圏の外という感じ。
千葉というより太平洋に突き出た関東の東端という「最果て」のイメージ。
だから今まで一度も足を運ばなかったから、関東での小旅行に行ってみたい候補のままだった。
ところが、昨年末にネット上で銚子電鉄の経営危機が話題になったので、にわかに「銚子電鉄に乗ってぬれ煎餅を買う」という救済運動に参画したくなった。
電鉄とぬれ煎餅だけなら青春18きっぷで日帰り往復できないこともないが、どうせなら犬吠埼や屏風ケ浦など独特の景勝も味わいたい(地球の丸みも肉眼で確認したいし)。
とすると一泊が必要。
そこで春休みを利用して、ネットで温泉でしかもひとり客可の宿を予約した。

ところが、行く2日前に「ぎっくり腰」をやらかした(3月16日『あぶら汗』)。
もちろん安静にしてなければいけない(もとより動けない)のだが、電車の座席に座り続けても耐えられるとわかったし、
泊る先が温泉なので、腰の療養に行くつもりで、決行(後でわかったが、ぎっくり腰は炎症を起こしているので暖めるのはよくないとのこと)。
荷をリュックにして、上体を不自然に固定して膝を曲げて腰に振動がこない歩き方をして、家を出た。
(ぎっくり腰は起き上がるのが一番困難なため、寝たきりになりがちだが、直立姿勢はけっこう耐えられる。ただし膝は曲げていること。下が柔らかいベッドから起き上がるのはほとんど無理だが、下が固い敷布団からなら姿勢を工夫して起き上がれる。また杖代わりの棒を常に使うといい)

ところが、新たな危機がまた出現。
山手線に乗って初めてわかったのだが、今日に限って千葉動労のストライキで、千葉県内の JRはことごとく「一部運休」との表示。
でも東京―銚子間には高速バスもあるから、なんとかなるが。
幸い、乗る予定の特急「しおさい」は運行していた。
特急の深い座席に腰を下ろせば、腰痛の身をしばし忘れる事ができる。

銚子駅で乗り換える1両編成の銚子電鉄は、今やそれ自体が観光対象になっていることもあり、車内は観光客で立錐の余地もない満杯。
カメラを下げた客たちが目にするのは、ワンマンカーの運転席の真後ろで撮影はダメとの表示。
まずは犬吠駅で降りて、犬吠埼灯台へ、老人のような足取りでとぼとぼ歩く(ホントは杖がほしい)。
時間的には明日来てもいいんだが、「世の中何が起るかわからないので、行くべき所は行ける時に行かないと後悔する」という座右の銘に従って、灯台の99段の階段を手すりにつかまりながら昇る。
灯台の展望台に立つと、水平線が視界の180°をゆうに越えている。
それが全部真の太平洋。

そばの土産物屋で夜のつまみによさそうな「イカかまぼこ」を見つけたが、「この先、同じものが売っているかもしれないので、今買わなくてもいいい」という信念におされて
買わないでいたら、売っていなかった。
やまり今すべきことは今すべきなのか。

宿は海鹿(あしか)島にある「大徳ホテル」。
ロケーションが犬吠などの観光地でなく、海沿いながらちょっと外れた雰囲気だし、建物もある意味そこにマッチして年季がはいっている。
でも食事は「漁港の町銚子に来た!」という思いを満たしてくれる海の幸づくし。
揚げたてのイワシのフライやキンメダイの丸々1匹の刺し身など、思わず写真を撮ってしまったほど(写真)。

翌日、宿からぎっくり腰の体を酷使して徒歩で君ケ浜を縦断し(やわらかい砂浜を歩く)、さらに山の上にある「地球の丸く見える丘展望館」まで足を延ばす(山用リュックのしっかりしたウエストバンドが丁度コルセットのように腰骨を固定する効果があった)。
地球の丸みが見えるなんて今さら自慢するなら、なぜ地球球体説を観察による事実として提唱しなかったのか。昔の銚子住民は知的怠慢!
といっても実際展望テラスで眺めてみても正直、ぐるっとかこむ水平線で”丸い平面”には見えても、球体とは見えなかった(撮った写真でみると水平線は弧を描いているが)。
それにしてもこのあたりは日の出も日の入りも水平線上。
陸地の方も幅1kmの利根川があるのでさらに少なく見える。
陸地の端っこによくも人が集まったもんだ(漁業と醤油の産地)。

電鉄終点の外川駅から帰りの銚子電鉄にはボランティアの老婦人が乗っていて、元気に車窓からの観光案内。
危機騒動以来、乗降客は増えているそうだ。
ぬれ煎餅も売れまくっているし、経営危機から脱したのだろうか。
車内には銚子電鉄の「社員募集」のチラシが貼ってあるし。
銚子電鉄発売のその「ぬれ煎餅」を土産に買って、帰途につく。
銚子電鉄にささやかな貢献をし、地球は少なくとも水平に円形であることは確認できた。
それにしても土産の「ぬれ煎餅」(うすむらさき)はおいしい。柊ちゃんにも大好評。
いわゆる、コンビニやスーパーで売っているモノとは全然違う。

あぶら汗

2007年03月16日 | 失敗・災難
大学の用事がすべて終わって、今日本格的な帰省。
名古屋の棲み家を出る時、いつものキャリーバッグを持とうとかがみ込んだ瞬間、
腰にバリッと音がした感じがして、激痛が走った。
やってしまった。ぎっくり腰。
しかも今から「青春18きっぷ」で6時間坐りっぱなしの予定。

幸い、駅はエレベータ完備になったので、重い荷物を持って階段の上下をしなくて済む(ユニバーサルデザイン万歳)。
でも駅のエレベータてやたら反応が遅い。
名古屋駅でエレベータを待っているうちに、快速が行ってしまった。
あと、浜松ではエレベータがあるかわからなかったし、熱海では乗り降りの人でごった返してとてもエレベータの所までは行けない。
仕方なしにキャリーバッグを片手で持って階段を使うと、もろ腰に響いてくる。
幸い、電車の座席はやわらかかったので、本来なら腰によくない長時間の椅坐姿勢でも苦痛ではなかった。
やはりつらいのは片手で持つキャリーバッグに重力がかかる時
駅からの最後の家路では、ちょっとした登り坂もつらい。
家の玄関の階段が最後の難関だった。

実はぎっくり腰はこれで4回目。
20代の時からなっていた。
確かに痛みは強いが尿管結石ののたうちまわる痛みに比べれば…。

幸い、明日は用事がないので、安静にしていよう。
でも今夜は寝返りうつのもつらいだろうな。

冷や汗2回

2007年03月09日 | 失敗・災難

3月はいい月(ツキ)になってほしいんだが、2月のような大騒動はないものの、ポカはあいかわらず続いてしまう。
今朝、大学からメールで、理事会に提出する昇任人事のための書類(経歴書・業績リスト)に捺印がないので大至急捺印するようにと呼出しがかかった。
こういう「形式を整える」って作業いくつになってもなじめない。
それにしても、昨日のうちに帰京しないで良かった。
急いで車を飛ばして捺印しにいった。
これで昇任人事の最後の過程がスムースに進行してほしい。

今日帰京する。
「青春18きっぷ」で。
今回は発売20周年記念でなんと価格が8000円!
一回の乗り放題が1600円だ(通常は2300円)。
つまり、うちの実家からなら、片道なら小田原(東海道)、初狩(中央線)、新町(高崎線)で元がとれ、往復なら、大船、立川、北本で元が取れる。
名古屋発で片道なら 新居町、南木曽、能登川(安土の手前)、往復なら 幸田、瑞浪、垂井で元が取れる。
そのたった1600円で名古屋から東京まで帰れるわけ。

と、うれしい限りなのだが、JR東海は新幹線以外の在来線には冷たいため、今まであった快速浜松行きが皆豊橋止りに。
それに浜松ー熱海間の車両が全部旅情のないロングシートになったという。

その18きっぷで静岡県を走行中、携帯のバイブがたてつづけに揺れる。
電車の中なので取らないで2回目の留守録を再生してみると、一番かかってきてほしくない所からだった。
税務署。

提出した確定申告書類についてききたいことがあるとのこと。
あそこの項目が問題だったのか、いやそれともあっちか、といろいろ余計な心配をさせる。
熱海で乗り換え、トンネルがなくなる小田原になってから、車内でこっそり電話してみる。
すると、納税引落し先の銀行記入欄に、自分の住所が記載されていなかったという。
これもポカだな。
というわけで、致命的でない二つのポカを解決して6時間の鈍行の旅を終え帰宅した。


私の身に

2007年03月08日 | お仕事
今日今年度最後の教授会があった。
ちなみに「教授会」とは、講師以上の全教員による学部の意思決定機関で、毎月1回と入試のたびに開催され、学部のことはすべてそこで議決される。
その教授会、今日はまず入試Bの判定が行なわれ、われわれ入試委員の原案がそのまま承認された。
そして次の議題に移った時、私ひとりが学部長に退席を命じられ、私は従容として席を立った。
私は研究室に戻り、所在なげにしていると、電話がかかり、戻ってこいという。
会議室に戻ると、議事は次に進行している。
静かに着席すると、隣席の教員が「おめでとう」といってくる。
私は、礼を返す。

私が退席している間にいったい何が起ったのか。
実は、私の処遇についての投票が行なわれていたのだ。
教授に昇任させるか否かの。

そもそも、この昇任人事は、いなかる手続きで進んだのか。
まず、学部長なり学科長なりが、理事会に私の昇任人事を発議したい旨の申し出をする。
それが理事会で承認されると、学部の教授会で私の昇任人事についての議案が提出され、そのための選考委員会が投票よって組織される。
その時、私は一回目の退席を命じられ、その投票権と投票結果から除外される。

選考委員会から私に経歴書や研究業績一覧、実物(論文・著作)の提出を求められる。
それにもとずいて、選考委員会が、私を教授に推薦するか否かを論議し、結論を出す。
次の教授会で、その結果が披露されるのだが、その時も私は退席を命じられる。
その間、教授会では選考委員会の選考結果が発表され、同時に私の提出した書類が回覧される。
といっても、会議の最中なので各教員は検討する機会を別に設けて、次の教授会まで私の書類・業績類は学部長室で自由に閲覧できるという。
その間に各教員は投票の中身を決める。
そして今日の教授会で、投票と相成った(講師も教授も同じ1票)。
しかし、私前で投票結果を公言するということは会議の進行上してくれない。
なもんで、同僚は「おめでとう」の言葉で、投票の結果を私に示唆してくれたわけ。


私自身、現世での栄達には関心ないので、自分自身から昇任発議を請うようなことは一切しなかった。
上層部の方から昇任人事をしたいがいいかを問われた。
別に教授になるのはイヤではないので(正直、仕事が増えるのはイヤだが)承諾した。
教授というのは大学の研究職として、一人前という評価を得る事だから、その意味で光栄であるのは確か。

でも実は、昇任は手続き的にはまだ確定ではない。95%ってとこ。
今回の教授会の結果をまた理事会にかけて、そこでの承認が最終的に必要になる。
他学部の例で、教授昇任が教授会で通ったものの理事会で否決されたことがあったという。
でもまぁ、その他学部のようにゴリ押しして昇任人事をかけてもらったわけじゃなく、
客観的にそれに値すると判断された訳だから、ひっくり返ることもなかろう。

その後は平静に入試Bの合格手続きをし、学生にお茶の稽古をして、まるで何事もなかったかのように帰宅した。
でも実家に電話して結果を報告、夕食はシャンパンを開けた。
気象予報士合格以来の変化だからな。

確定申告

2007年03月02日 | 生活
午前中、動かなくなったエアコンの交換工事。
賃貸アパートの装備品なので、もちろん費用は大家もち。
後で確認したら、部屋の半数は交換済だった。
取り付けられたのは新品の「霧ケ峰」。
これで真夏も快適にすごせるだろう
(今までのボロエアコンでは室内30℃を我慢していた)。

工事の最中、自分は確定申告の準備。
昔は提出作業がおっくうで3月15日ぎりぎりに出したけど、
今では国税庁のサイトで金額を入力していけば自然に集計してくれ、しかもそのままプリントアウトして提出できるので楽。
従来はエクセルで表作ってやってたけど、税制改正など見落とすのが不安だった。

工事が終わった後、近所の区役所に確定申告書類を提出。
確定申告ってわれわれ個人事業者にとってはホント一年の総決算。
今年は定率減税の減少と扶養控除の減少のあおりもあって、還付ならぬ納税(でも1万未満)。
でも大きなヤマを越えたことは確か。
まずは順調な出足。