今、福島に来ている。
ボランティアでも放射線測定のためでもない。
純粋に年度末の慰労の旅行として、福島市の北にある
飯坂温泉に宿を取った。
つまり福島を被災地としてではなく、観光地として訪れたのだ。
実は、震災以前から福島市のとある所に行きたかった。
福島市の北東にある「鎌田」という所。
そこに昔、「鎌田城」なる城があったのだが、
そこに居た鎌田氏が私の祖先であることがわかったので、訪れてみたかったわけ。
私の曽祖父である鎌田造酒(みき)之助は、江戸で旗本を務め、最後まで幕臣を貫き通して、
箱館で戊辰戦争を戦い、その後は駿府(静岡)に住み、
臨済寺に東軍(幕軍)の戦死者を鎮魂する碑を建てた。
その曽祖父の出が福島の鎌田だという。
なので、福島駅に降りたってまず向かったのは、鎌田。
阿武隈鉄道の一駅目の「卸町」から歩いた。
鎌田の話はここでは飛ばすとして、
南東にある信夫(しのぶ)山(福島市の憩いのスポット)に行きたくなった。
城跡向かい側の「ドラッグ寺島」という店で
(奇しくも、鎌田造酒之助は維新後は”寺島”家に養子に入り、以降寺島造酒之助と名乗る)、
地元の人にバス停を教えてもらって、地方のバスは便数が少ないのを気にしていたが、
バス停に着いたら丁度バスがやってきた。
「岩谷」という所で信夫山が最接近したので、そこでバスを降り、
信夫山の麓にある岩谷観音に登る。
そこは、江戸時代に露岩に観音群が彫られた所で、
まるでシルクロードの石窟寺院みたいな光景(写真)。
と、ここまでは観光モードを維持できた。
ところが、この近所に「信夫山子供の森公園」を見つけると、
いつもの虫が騒ぎ出して、計測モードに変身。
徒歩旅行用の ハンディGPSの代りにガイガーカウンター(線量計)を取りだし、スイッチを入れた。
なぜなら、前日、サイトで福島の線量をチェックしていたら
この公園が異様に値が高かったから(地上50cmで1.5μSv/h、以下同単位)。
その「公園」の水路沿いの1区間に「この先危険につき、立ち入り禁止」の看板が付けられている(写真)。
その場所に線量計をもっていくと、確かに1.5μSv/hに達した(わがガイガーの値は信用できる)。
さらにわがガイガーでα線・β線込みのセッティングにして地上1cmの土の上で測ると、
値はさらに上がって3.8になった。
ただこの値は身体的危険度(被曝量)を指すのではなく、
地面にこびりついた放射性物質の量の多さととらえてほしい。
土ではなく塀として使われている岩(写真では看板の裏側)の上1cmで測ると、
さらにガイガーは激しく反応し、8.0という値になった。
すなわち土より岩の方がセシウム137がびっしりこびりついているのだ。
福島市の皆さん、ここの敷地の岩には触れないように(触れたら丁寧に手を洗おう)。
そして信夫山麓の水路沿いに空間線量(地上1mのγ線)を計りながら歩く。
ずっと値は0.8-9。
実は鎌田でも計ったのだが、そこは0.4だった。
すなわち信夫山の南東面が高い。
南下して信夫山から離れた途端に0.4-5に下がった。
だが、国道13号に出るとまた0.9に上がり、国道を横切って
曽根田方向の宅地に入るとまた0.4-5に下がった。
すなわち、原発から北西に進んできた放射能雲(プルーム)は、
福島市の信夫山の南東面にぶつかってそこに放射線を蒔き、
地形にそって南西に移動し、国道という広い空間(風の通り道)を出口として南下したといえる
(当然国道4号線沿いにも、そして阿武隈川沿いにも南下したはず)。
せっかく福島に”旅行”に来たのに、結局放射線を測りまくってしまった。
曽根田から今宵の宿・飯坂温泉に向かうことでまた観光モードに戻ることにする。