桜咲く陽気の日曜。
天気もいいので、出かけたい。
だが、まだ気分は完全には陽気になれず、
遊ぶよりもむしろ、祈りに行きたい気分。
なので、行き先は寺社や慰霊塔などの祈れる所。
しかもせっかくなら、放射線を測るに値する地域がいい。
そこで頭に浮かんだのが、茨城県の鹿島神宮。
なぜなら、犬吠埼周辺の太平洋につきでた部分は、
海から放射線が再侵入するルートになるのではないかと疑っていたから。
茨城の鉾田市樅山の値が一貫して高く、千葉の銚子近辺の野菜が暫定基準値を超えたのも、その疑いを強くした。
鹿島神宮に行くには、東京駅から出ている鹿島神宮駅行きの高速バスが一番便利。
結構頻繁に出ているのだが、今は八割程度の運行で、
行った時は丁度運休便とかち合う不運。
さらに券売機で切符を買ったら買ったで、購入中に券売機が故障し、
係員は券売機の修理を優先してなかなか切符と釣り銭を渡してもらえず、
次の便にぎりぎり間に合った。
バスが高速を降りて、鹿嶋市の市街に入ると、
道路脇のコンクリート製の電柱の何本かが斜めに倒れかけている。
今は倒れないように補強してあるが、やはりここも相当な揺れだったことがわかる。
さて、鹿島神宮の本殿にまずは参拝し、奥宮への森の中の参道に入った地点で、
ガイガーのスイッチを入れる。
値の変動が大きく、250-350nSv/hr(以下、同単位)。
県北の北茨城・高萩と同程度で県央・県南より高い。
ちなみにバスに乗る前に東京で測った値は100程度。
灯籠が倒れたらしく、部品に分けられている奥宮を過ぎ、
今日の一番の目的、「要石」(かなめいし)に達する。
要石は、お皿くらいの直径の部分が”出べそ”のように地面から顔を出しているだけだが(写真)、
江戸時代に七日かけて周囲の地面を掘っても、底に達しなかったという逸話のある巨石らしく、
その巨体で地下の大ナマズを押えているから、鹿島では地震が少ないといわれている。
すなわち、”地震押え”の霊験ありという石なのだ。
一茶の句碑 「大地震(おおなえ)にびくともせぬや 松の花」も傍に立っている。
でも、今回の「東北地方太平洋沖地震」には、見てきた通り、当地も相当損傷被害があった(死者も1人出た)。
今回は要石も無力だったのか。
だが、
今回の地震は、まず三陸沖で発生し、それが海溝を断層化して南下し、
次に福島沖で地震を発生させ、それがまた海溝伝いに南下し、茨城沖でまた地震を発生させ、
それらが連動して M9.0の超巨大地震となったものだ。
茨城沖で発生した地震断層は、そのままなら、更に南下して千葉沖に達し、
そこで茨城南部と千葉の九十九里にも大津波を起こす地震を発生させるところであった。
ところが地震断層は茨城沖で南下が止まった。
ある力にさえぎられて。
その南下を阻止したのは、地球科学的には、”フィリピン海プレート”らしいのだが、
南下が止まった位置は、丁度、鹿島の「要石」と対応する。
ここから神話的論調になるが、
鹿島の要石は、北の海溝から向かってきた巨大地震から関東を守るため、
1000年分の力を蓄えた3頭の巨大ナマズの前に立ちはだかったのだ。
三陸から福島までを破壊してきたその巨大なパワーに、さすがに押され気味となったが、
相手の突進をなんとか食い止めることができた。
その苦戦の跡が、傾いた電柱であり、倒れた灯籠なのだ。
私はそういうストーリーをあえて作って、要石を地震の守り神とみなして、
今回の奮闘を感謝し、さらに今後も地震押え(抑え)に力を発揮してくることを祈った。
その要石は、今は何ごともなかったかのように、
静かに小さな石のふりをして、てっぺんだけを地面から出している。
真新しい花崗岩の石柵で囲まれた要石の周囲には、
人々が投げ入れた1円玉や10円玉が散らばっている。
私は、奮発して100円硬貨を投げ入れた(写真は私が投げ入れる前)。
ついでにガイガーのスイッチも入れる。
要石の周囲は、180-270の値を示した。
柵の上から手を伸ばして、ガイガーのセンサー部分を要石に向けると、
途端に50ほど上がる。
数回同じことをして同じ結果になったので、要石自体が50nSv/hrほど多く放射線を発しているといえる。
ここで購入した神社の本には、要石は花崗岩であると書いてあるので納得。
(霊験あらたかな石は、”気”という放射線を発している場合が多いのではないかと、
科学と神秘を共に愛する私はふんでいる)。
ついでに同じ境内にある「さざれ石」も350ほどあったが、こちらは石柵になっている黒雲母の多い花崗岩が600と高く、その影響かもしれない。
最後に、参道で測った地点の土の地面を測ったら、なんと980-1050にも達した。
地面は地上の4倍高いというのはここでも確認された。
鹿島神宮の後は、予定では、電車で成田に行き、成田山の参拝と、北総地域の計測をするつもりだったが、
JR鹿島線が地震の影響でまだ不通(ふりかえ輸送のバスがあるが便数が少ない)だった。
なので、神社の門前に戻って、そばを食べ、てっぽう漬けを買って、高速バスで帰った。
一番祈りたい対象に祈り、放射線の計測をしただけでなく、
運賃を使い、賽銭を出し、本を買い、食事をして土産を買うという、
地震に遭った先での経済行為もきちんとした、有意義な日帰り旅であった。