今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

水木しげるの訃報に驚く

2015年11月30日 | 作品・作家評

漫画家水木しげる(敬称略、以下同)の訃報をネットニュースで見つけた途端、
  思わず「えっ!?」と声を出あげてしまった。
高齢とはいえ、それほど唐突で、しかもショックが大きかった。
少なくとも、今年の訃報では声を出した物故者は他にいない(以前を含めると、ナンシー関くらいか)。

自分が物ごころついた時はすでに漫画家として活躍していたわけだから、まさに人生をともにしてきたことになる。

私にとって忘れられないのは、「墓場の鬼太郎」(「ゲゲゲの鬼太郎」の前身で、少年雑誌の連載だが鬼太郎が正義の味方になっていない頃)で、始めて死後の地獄の風景というものを見たことだ。
それを見た時分はまだ幼かったこともあり、これが死後の世界なのかと素直に納得してしまった。
地獄といっても伝統的な地獄絵図ではなく(それならリアリティがなく、受け入れなかったろう)、生命感のない無機的な風景で、死の世界にふさわしかった。

この時の印象がとても強く、私が死をリアルなものとして受け入れたきっかけかもしれない。

小学生ながらマンガを画くようになってから、「河童の三平」の主人公とシーンを拝借したことがある。

 

そういえば、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌(自分のiTunes内に収録済)を歌っていた熊倉一雄も今年の物故者の一人。 

ああ、昭和は遠くなりにけり。 


名古屋宅での日曜

2015年11月29日 | 生活

昨日は安城で礼法の講演の仕事が入ったため、今週は帰京せず、また温泉にも行かず、珍しく名古屋の棲み家で日曜を迎えた。
まずやることといったら、洗濯と布団干し。
そして出勤日以外は昼食を摂るため、近所に「あんかけスパ」を食べに行く。

名古屋人はあんかけスパが大好きなので、正午前に行かないと行列で待たされる。
 満席になる前に店にすべり込んで、「カトールフィッシュ」の1を頼む。 
周囲の男性は、皆迷わず1.5だったり2を頼むが、万年ダイエット中の私は泣く泣く1 以外の選択肢を捨てる。
といっても1=1人前なのだから量的には不満はない。

あんかけスパは実はスーパーでインスタントが売ってあるので、自宅で作れ、実際よく作るのだが、なぜか専門店で食べる時が至福の時間なのだ。
逆にラーメンは店よりも自宅でインスタントで好みの具をどっさり入れて食べる方が至福だ。

その至福の時間を終え、棲み家に戻っても、論文も出したし、やるべき作業はない(ホントは掃除が…)。

唯一会話する隣人である美容室には昨日カットに行った。
そう、”赴任先”って職場しか人間関係がないから、休日だと会話する相手がいない。
だから、週末は帰省するか温泉に行くのだ。

そうでない今日は、暇つぶしを兼ねて車のディーラーに行って試乗をしてきた。
実は、愛車(RoverMini)をそろそろ手放して、買い替えを考えている。


龍澤寺で白隠の書画を見学

2015年11月23日 | 仏教

勤労感謝の日は、意地でも家で仕事はしない。
せっかくなら、この日ならではのことを体験しようと、三島に行った。

白隠禅師についての本を読んでいたら、伊豆の三島の龍澤寺なる寺に禅師の書画などが多数あり、しかも毎年11月23日のみに公開されるという。
三島とはちと遠いが、新幹線を使えば東京からなら1時間ほど。
駅から離れた寺までのバスの便が悪いので、それに合わせて行く。
帰りの便がないのだが、それは成り行きにまかせる。 
天気は下り坂だが、雨は免れそう。 

予定時間通りに三島に降り立ち、10分ほど待って路線バスに乗る。
停留所に着くたびに乗客が降り、最後は私だけとなった。

年に一度の寺宝公開なのに、寺入口のバス停に下り立ったのは私一人。
今月初めの建長・円覚両寺の賑わいとは対照的。

林の中の参道をゆるく上って、境内に入る。

本当なら楓の紅葉の時期なのだが、ことしはまだ青々としている。 
見学客はそれなりにいた。
私以外の人たちは自家用車かタクシーで来たようだ。 

ここ龍澤寺は、臨済宗の修行道場で、いつもは堂内に上れないが、今日だけはちがう。
靴を脱いで方丈内に上る。
と、ここまでは鎌倉の両寺と同じだが、こちらは、観光寺院でないので拝観料を取らない。
 それがかえって好感をよび、志納の賽銭箱に奮発して500円玉を入れようと思ったが、50円玉2枚しかなかったのでそれで勘弁。

最初の部屋には、なんと一休、雪舟、遠州、光悦、探幽、応挙、大雅、若冲、良寛の書画が並ぶ。
白隠が開いたこの寺は、そういうレベルなのだ。 
そして、白隠の大胆な書画(正直、上の面々と比べると素人感は免れ得ない)。
中でも、一幅の紙に、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経を二行で並んで書かかれたのが印象に残った。
相容れない念仏と題目をあえて並べた所が面白い。 
また戦前・戦後に住職だった山本玄峰の最晩年の書画もある。
二周して、見学時間は一時間強。 

さて寺を出て、時間はたっぷりあるので、三島駅まで歩く。
三島駅周辺はすでに観光済みなので(柿田川はまだ) 、帰りは在来線でのんびりしていく。


浴槽に1度だけでは効果ない

2015年11月20日 | 温泉

1回の入浴で入湯(浴槽の湯舟に浸かること)が1回だけという人が自分の周囲にいて、驚いている。
それって意味がない。
もっとも私は幼少時よりの習慣として2回以上入っていたのだが、温泉ソムリエの勉強をしてそれが正しかったことがわかった。

実際、婦人体温計を口にくわえて入湯してみると(最近はもっぱらこうしている)、1度目の入湯(体温を確認するため5分入っている)では、体温は36℃台のまま。
いったん浴槽から出て、体などを洗って、もう一度5分入ると、体温は37℃を優に越える。
これでOK。

何がOKかというと、入湯の真の効果は、表皮付近を暖めることではなく(すなわち主観的に暖まったと感じることではなく)、深部体温を上昇させることにあるから。
深部体温を上昇させることで、免疫力が大幅にアップする(らしい)。
つまり、体内の細菌、ウイルス、そしてガン細胞の元を熱死させる。
そして、表皮付近の毛細血管だけでなく、それこそ全身の血液循環がよくなる。 

これが入湯の本来の効果である。
そう、深部体温を上げる入湯は、それだけで健康を増進させるのだ。
深部体温を上げるには、熱すぎない湯温(40℃程度)を長めに入る。
熱い湯だと、深部体温が上る前に表皮付近だけが熱くなって入湯が辛くなる。

ただし、漫然と長湯をするのも心理的に辛い(退屈する)。

うれしいことに、短い入湯を複数回に分けても長湯に等しい効果があることがわかっている(私も自分の体温測定で確認済み)。

つまり、まずかけ湯をして入湯し、湯から出て体を洗い、そしてもう1度入湯する。
これで深部体温がきちんと上昇するのだ。

実は温泉ソムリエ協会では一回の入浴で3度入湯することを勧めている。
確かに2回より効果がありそうだ。
でも2回でも効果があることがわかったから、少なくとも1回でなければいい。 


収穫祭を祝う

2015年11月19日 | 歳時

例年通り、仕事帰りにボジョレー・ヌーボーを買い、家で開ける。
もともと赤ワインは好きで、もちろんフルボディが好みだが(といってもテーブルワインばかり)、ライトな新酒はブドウの香りが新鮮で呑みやすい。
なので、毎年この日を楽しみにしている。 

今年も美味しく味わい、あっという間にボトルの半分開けてしまった。 

確かに、フランスの特定地方のワインの新酒を縁もゆかりもない極東の日本人が騒ぐという軽薄さを批判する気持ちは理解できる。
私だって、日本でのハローウィンは徹底的に無視したい。

ただ、収穫祭は農耕民にとって最も大切な祝いなのだ。
生存の根源たる食そのものを祝う、根源的な行事だ。
日本にも「新嘗祭」はあることあったが、五節句に入っていないため、万民の祝いとはなれなかった。 
これが不服だった。

さらに酒好きにとっては、新酒の祝いは、一年で一番堂々と「酒が飲めるぞ!」と公言できる時だ。
この日だからあえてそれを飲む、という行事そのものを愉しんでいるのだ(実際、10日もすれば、ヌーボーには見向きもしなくなる)。 

日本酒の新酒の祝いももっと盛大にやってくれたらいい。 


湯温35℃で体温は上るか

2015年11月17日 | 温泉

37℃のぬる湯でもしばらく入湯していると体温が上ることがわかった。

では、体温が上る最も低い湯温は幾℃なのか。

ためしに切りのいい35℃のぬる湯に入ってみた。
もちろん、婦人体温計を口にくわえて。 

入湯したてで36.46℃。
それで5分浸かり、いったん湯船から出て、洗髪などをする。
この時体温を上げてはいけないので、体を洗い・すすぐ湯も35℃程度にする( まるでプールのシャワーを浴びているようなぬるさ)。

2度目の入湯時で36.66℃。
そして5分たった結果は36.52℃。
下がってしまった。

実際、ちっとも体が暖まらない。
このまま入り続けてもさらに体温が下がりそうなので、湯船から上がり、浴室から出た。
実験とはいえ、ちっとも楽しくない入浴だった。 

前回と今回の結果を足して2で割ると、おそらく36℃あたりが体温変化の境界線な気がする。
まさに表皮温に近い。 

あと、今回は白湯だったが、これが保温性のいい泉質だったらどうなるか気になる。
今度は、水素水でやってみるか。 


ぬる湯で体温が上る不思議

2015年11月16日 | 温泉

熱い湯に浸かると体温が上る、というのは理解できる。

では、体温ほどのぬる湯に浸かると体温はどうなるか。

婦人用体温計を口にくわえて、試してみた。

実は意図したわけではなく、湯船に入れた湯の温度調整を間違えて、湯温が37.0℃のぬる湯になってしまったのだ。

さて、まず一回目の入湯。
その時、30秒で体温を測ると、36.50℃。
この計測時間での温度は、深部体温ではなく表皮温度とみてよい(深部体温はたいてい37℃を超えている)。

実際、入湯しても最初は暖かいが、しばらく湯船に浸かっていてもちっとも暖まらない。
適当な時間に上って、体を洗う。

二回目の入湯時に体温計をくわえる。
5分待って体温計を見ると、37.43℃ 。
なんと湯温を上回ってしまった(その時の湯温は36.9℃)。
実際、入っている間に額に汗がにじみ、耳の奥で鼓動が響いた(深部体温が上る時の反応)。

これは面白い現象だ。
なんで浸かっている湯温以上に体温が上ってしまうのか。
確かに、夏に多くの人が熱中症になるが、たとえ猛暑でも気温は35℃を超えた程度で、体温以下だ。
つまり熱中症になる危険があっても、皮膚の外側の環境温が体温を上回ることはめったにない。
ちなみに、熱中症になる危険性は、気温に高湿度が加わると高まる。
風呂だと皮膚の外側はもちろん湿度100%。
その意味では、気温よりも低い温度で体温が上りはじめるのはわかる。

つまり、体温のホメオスタシス機能は、環境温が体温程度でもうまく作動できなくなるわけだ。
意外に脆弱。
というより、気温が20℃でも低体温症にならないのだから、ホメオスタシス機能は低温側に強いといえる(ちなみに地球の平均気温は15℃)。 
なにしろ人類のご先祖は氷河期を生き抜いて、今でもツンドラ地帯で生活しているのだから。 
そして年間通じて気温が体温以上の場所は存在しないから。 
陸上のほ乳類の中で、人類だけが見事に体毛を退化させたのも、熱中症予防を最優先したためといえる。 

ということは、体温以上の湯に浸かるという行為はかなり不自然で、身体にとって想定外の事態ということだ。
日本人の入浴は、その異常事態を逆手に取って、免疫機能を活性化させようとしていることになる。
すなわち、感染症に発症した時のように体温を上げて、体内の異生物や悪性新生物を熱死させている(スズメバチに侵入されたミツバチの攻撃法と同じ)。
このようにホメオスタシス機能が高温側で機能しないことは、かえって適応に有利なわけだ。
ただ、ある意味危ない橋を渡っているのだから、やり過ぎには注意が必要(早い話が熱中症の危険)。 

せっかくなので、体温上昇効果のある最低湯温を探ってみたい。 


休日出勤しながら原稿完成

2015年11月15日 | お仕事

今回の土日は推薦系の入試が続いた。
入試なので出勤時間も大学勤務の中では最も早い。
なぜ土日かというと、勿論、大学側も高校側も授業を犠牲にできないから。

ということは、試験担当のわれわれは休日出勤しても代休がない(手当は若干つく)。
つまり今週は休みなし。

といっても、面接試験なので、時間的には余裕がある。
空き時間は研究室で締切が迫っている論文の原稿執筆に費やした。

今回の論文は、対人関係を生々しく記述する心理学モデルについてなのだが、それを現象学的・存在論的に論じるものだから、表現が抽象的で我ながら幾度も読み返すのがつらい。
まるでリアルなゲームソフトのアルゴリズム(プログラムの論理構造)について専門用語を使って議論しているようなものだ(本人でさえつらいのだから、読む人はほとんどいないだろう)。

しかも、モデルを進展させるための論文なので、落とし所(結論)が見えず、手探りで進めるから、「呻吟懊悩」のつらさも加わった。

それが、今日の18時まで研究室に籠ってやっと完成した。
理論モデルのまま、なかなか具体的な尺度化に至らなかったが、その道が拓けたという感触で終れたのが成果。
研究は、こうやって地道に形にしていかなくてはならないのだ。 

あとは、印刷して提出するだけ。
この両日で、卒論関係の作業も進められたし、 授業外の時間をたっぷり使えたという意味では充実していた。
論文が仕上がったので、もともと出勤する用がない明日は(実は私には休みがある)、特別拝観中の奈良の室生寺に行きたかったが(名古屋から近鉄で日帰り圏)、たまった洗濯物などの家事に費やさねばならない。
せっかくなので、ゆっくり起きてのんびりしよう。 


お籠りの成果は

2015年11月09日 | お仕事

今日は、ずっと宿の部屋に籠って2時間の集中作業を4クルーこなした。

朝は朝風呂の後、バイキングを軽く済ませ(食い意地は張らない)、部屋に戻ってまず1クルー。
正午になったので、休憩と気分転換と運動と昼食を兼ねて、外出し2キロ先のコンビニまで歩く。
けっこう登り坂なので、汗だくになっていた(いい運動効果)。

コンビニで夜用のビールと昼食のおにきり1個(朝夕バイキングなのでこれだけでOK)を買い、浜名湖畔に降りて、おにぎりを頬ばる。

今日の浜名湖は、濃い靄(モヤ)がかかっていて向こう岸が見えず、まるで静かな海のよう(写真)。

宿に戻って1クルー。
午後3時になって気分転換に風呂に入り、夕飯前まで1クルー。

夕食前にまた風呂に入り、あえて体を暖め、冷えたビールを飲みながらバイキング。
連泊者には、 別注料理の松茸の土瓶蒸し(800円)がサービスされた!

そして、その後は最後の1クルー。
もう頭はフラフラ。
なんとか、就寝前のお風呂タイムの午後10時に、一応の完成に達した。

もっとも大雑把な完成で、あちこち見直しが必要だし、タイトルも変更しないと。

これで、風呂に入り、あとは酒を飲みながら、もってきた映画のビデオを観賞。
とりあえず、今回もお籠りは成功した。 


浜名湖にお籠り

2015年11月08日 | お仕事

論文に呻吟懊悩」のヤマ場、一年で一番苦しい時を迎えた。

ヤマ場は日常空間では過せないので、今年は「ホテルグリーンプラザ浜名湖」で迎える(昨年はかんぽの宿恵那峡)。
お籠(コモ)りだ。 

ここは温泉ではないが、日中以外入れる大浴場があり、部屋は広い和洋室、窓からは視界180°浜名湖、そして食事はバイキング。

ここのバイキングは、いつでもズワイ食べ放題だったが、今年からそれがなくなった。
といっても私は過去にさんざん食べ尽くしたし、イカ焼きとホタテと浜松餃子があれば満足(安くすむ男)。

ただ、論文作りで苦しみに来たのだから、食べ過ぎてはいけない。
もちろん、アルコールも軽くチューハイ1杯に抑える。
バイキングでは毎度のことながら、カロリーオーバーを避けるため、炭水化物と糖分は極力摂らない(餃子の皮程度)。つまり主食とデザート無しで満腹にする。

和洋室なので、和室の広いテーブルで、座椅子に足を伸ばして持参したMacbook15インチを打込む。 

ここで2泊する。
作業2時間を1クルーとして、初日に2クルー、2日目に4クルーで計6クルーできる(3日目は朝食後帰るだけ)。
つまり、風呂と食事前後の休憩以外は、テレビもつけず、ひたすら原稿打ちにいそしむ。
このようなストレス状態に追い込みつつ、日に4度の入浴と朝晩のバイキングで緩和する。
これが日常空間ではできないのだ。


マインドフルネスで歩行癖矯正

2015年11月07日 | 健康

全身が左利きの私は、右足をちゃんと動かせない(といっても見た目は普通)。

何しろ、自分の履いた靴を見ると、右の靴だけ、足を入れる口が左右にゆがんで拡がり、真後ろの踵部分に水平に凹みが入っている。
実際、足首の回転運動をしてみると、右足だけ内回りが円にならず、かくかくと四角形になってしまう。

つまり、左足だけで歩いて、右足はそれにくっついてくるだけでまともな動きができていなかったのだ。

靴の足を入れる口が拡がっているということは、歩行中に右足首が左右方向に無駄に動いているためだ。

だが、それは歩いている時にはまったく自覚できない(長時間歩行には支障なし)。
だから直しようがない。

そこで、マインドフルネス(システム3※)の「歩行瞑想」を応用した。

歩行瞑想とは、歩行中に着地足に意識をもっていき、左右の足の着地のたびに「左、右」と言語化することで、無駄な思考癖をやめさせるものだ。

また、マインドフルネスの瞑想法に「ボディスキャン」というのがあり、自分の身体の各部をスキャンするようにゆっくり意識する。

これらを組合せて、右足の着地期~支持期~蹴り出し期の間、
「かかと、つま先」と頭の中で言語化する(感覚を実感するたびに言語化するのであって、ただリズムを取るのではない)。

そうすると、着地期から蹴り出し期までの右足の感覚に集中できるようになり、
蹴り出し期に足首が外側に曲がることが感覚できるようになった。
そうなれば、逆に足首を曲がらないように感覚でコントロールできるようになる。
右靴の歪みはそう簡単には消えないので、今後もトレーニングをつづけていく。 

マインドフルネスの瞑想によって、身体感覚が敏感になり、より正しく実感できるようになる。これは礼法などの動作法の訓練に使える。
礼法の動作は、全身に意識を満たして(生気体)、指先からつま先までコントロール下におくものだ。 
普通だと、自分が全身に意識がいっているものと思い込んでいるだけで、実際にはたとえば足首などには意識がいかない。
それをマインドフルネスを応用して、ピンポイント的に部位の集中を可能にする。

通常の歩行中のほとんど無自覚な動作意識(システム1)と動作と無関係な思考(システム2)を停止して、
身体(システム0)との真性な出会いを実現する。
それがマインドフルネス(システム3)の役割だ。 

※システム1と2は既存の「二重過程モデル」。システム0システム3は心全体を表現するために私が追加した拡大モデル。


「下町ロケット」を観た後で

2015年11月06日 | 作品・作家評

在りし日の半沢直樹シリーズを彷彿させる、同じ池井戸潤原作のテレビドラマ「下町ロケット」(TBS系列)。

原作の力が大きいことは確かだが、久々に見入り、共感できるドラマだ(実際、視聴率が高い)。

水戸黄門にも通じるスッキリ感が爽快なわけだが、仕事に対する夢・情熱・責任感が感動を与えている。

だが、いい気分になって現実に戻ると、偽装やら粉飾やら不良品やらのニュースに次々と襲われ、がっくりくる。

下町ロケットの話は、日本にはありえない夢の話だったのか…

いや、そんなことはあるまい。

わが家の洗濯機も電子レンジも20年以上そのまま使いつづけて、全く故障がない(冷蔵庫は一回だけ修理)。
洗濯機は大量の水と大きな振動に毎回見舞われ、電子レンジは大電流と高熱を浴びる。
自慢でないが、手入れなど一切していない。
ちなみにオーディオは30年はたっている。 

きっとネジ一本にも妥協がない製品なんだろう。 

「半沢直樹」についてはこちら


建長・円覚宝物風入れ

2015年11月03日 | 仏教

北鎌倉の名刹建長寺と円覚寺は11月の最初の三日間、こぞって「宝物風入れ」として、寺宝を一般公開する。

そういえば、鎌倉にしばらく足を運んでおらず、
宝物風入れには、高校時代に訪れて以来だ☞10年前の2005年に行った(記事あり)。


横須賀線の北鎌倉で降り、近い順として円覚寺に行く。
仏殿にある本尊の宝冠釈迦如来は拝み甲斐のあるたたずまい。 
国宝の舎利殿もこの時だけは間近で見れる。
内部の厨子と両脇の仏像もしっかり拝めた(写真)。

方丈に上って、展示されている宝物を拝見する。
ほとんどが絵画と文書で、高校の時は仏像しか興味なかったので愉しめなかったが、「関東御教書」などを見ると、関東に突然政権が誕生した歴史的インパクトを痛感する。


線路沿いの裏道を通り、あじさい以外に見るものがなさそうで今までスルーしてきた明月院に立寄り、建長寺に達する。

こちらは新築の大庫裡に展示されている。
休憩所にお茶と菓子がおいてあって自由に飲める。
サービスは建長寺の方がいいのは、昔からだ。

こちらの仏殿には、ガンダーラ彫刻の釈迦苦行像の模造が本尊の前に置かれてある(写真)。
改めて見ると、壮絶な姿に敬意を覚えるが、この姿は釈迦が否定したものであることを忘れてはならない。
釈迦は意味のない苦行を捨て、中道の道を選んで悟りを得たのだ。 
だから、この像だけでなく、出家前の安楽な生活時の像と並べるのがいいと思う。


建長寺向かいの円応寺にも立寄り、十王像を見る(一番造りがいい初江王は不在)。

さらに尊氏開基の長寿寺に初めて拝観(昔は拝観不可だった)。
庭がきれいだが、紅葉時期でないのが残念(写真)。 
裏に尊氏の墓もある。 

久しぶりに北鎌倉の寺を歩いて気づいたのだが、観光客のマナーが著しく低下しているらしく、迷惑を被っている様子があちこちの掲示によって伺い知れた。 
鎌倉は京都よりは”通”向きなのだが、東京から日帰りで行ける点が災いしているのか。


婦人体温計をくわえて

2015年11月02日 | 計測

この私が婦人体温計を買った。

基礎体温を測って自分の排卵期を知りたいため、ではない(知れるものなら知ってみたい)。

入浴中の体温の変化を測るためだ。
なぜ婦人体温計かというと、普通の体温計に比べて、表示精度が1桁細かい0.01℃単位で、医療機器として認可されているその性能のためだ。

体温を正確に測るために、外気が触れる脇の下ではなく、口にくわえて舌下で測る。
だから真の体温(深部体温)に近いのだ。 
防水性があり、口にくわえやすくなっている。
風呂での使用に向いている。 

なぜ入浴中の体温を測りたいかといえば、入湯の最大の健康効果が、体温上昇による免疫力のアップにあると言われている※からだ(1℃程度の上昇がいいようだ)。

この言説、まことしやかに流布しているが、実証データにはお目にかかっていない。そもそも「免疫力」の指標って何?

人間は恒温動物で、体温調整機能がある。
それが数分の入湯で本当に体温が上るのか、上るとすればどのくらい上るのか、を知りたい。
自分の身で。

女性が基礎体温を毎朝測り続けるのはつらいようで、そのためたった30秒で手短かに表示される「予測検温」なる機能があるが、その値は不正確なので5分測る「実測検温」でなくてはならない(その不正確さは私も確認)。

入湯中は体温計を口にくわえているだけなので、いたって楽。
5分じっと待つのは退屈なので、ジップロックで防水したiPadで読書しながら湯に浸かっていればいい。
 そして5分たつとアラームで教えてくれる。
ただしその間、口は閉じて外気を遮断し、呼吸は100%鼻からにする。 

わが家の風呂は、温度と湯量が自動設定なので、入湯中の湯温は一定に保てる。
浴槽の設定湯温は40℃にしている(下らないようときたま自動的に加温される)。 
浴槽は長いので、首から下を湯内で伸した姿勢に保てる。 

この条件で、計測開始(いずれも5分後の値)。

その前に、入浴前に自室で測って、36.30℃。

浴室に入って、シャワーでかけ湯をして一回目の5分間の入湯で36.53℃。
浴槽から出て、洗髪などをして、二回目の5分間の入湯で36.94℃。
そのままさらに5分間入り続け、 じわりと額に汗がでた10分後で37.44℃。

気持ち的にはここで風呂から出たかったが、ためしにさらに入り続け、
汗がしたたり、鼓動が耳奥でひびくのを我慢しながら15分後で37.81℃。
ここが我慢の限界で、浴槽から飛び出した。 

すなわち、二回目の入湯10分後で入浴前より約1.0℃上昇、15分後で約1.5℃上昇した。

このような計測は実は数回やっているので、この傾向はある程度一般化できる。

まず、一回目の入湯での体温上昇効果は低く、二回目の入湯で体温はぐんぐん上昇する。
そして二回目の10分入湯で1℃上昇し、気持ち的にもこの程度が丁度いい。

15分入湯は湯温40℃でもつらかった。
やはり体温が38℃近くなると、正常な状態ではない感じになる。

体温の上昇率は二回目の5分~10分の間が一番高く、効率がいい。

10分~15分での上昇率が下ったのは、体温調整機能がフル回転したのだろう。
この作動を無理して突破しようとすると、調整機能が疲弊して、熱中症(のぼせ)になってしまう。

というわけで、私にとって、湯温40℃の場合、一度目は軽く暖め、二度目に10分入って体温を1℃上昇させるのがいいようだ(一般には深部体温1℃上げるには41℃で10分、40℃なら15分といわれているが、このように実測してみると少なくとも個人差があるので、自分の身で確認すべきだ。さらに2℃上げるとかえって体によくないと言われているので、その意味でも体温測定で管理したい)

今後は、湯温41℃の場合や入浴剤を入れた場合の体温測定をしてみる。


山田の広園寺

2015年11月01日 | 東京周辺

都が主催している毎年11月初旬の「文化財ウィーク」は、普段は公開されない都内の文化財を見ることができる貴重な機会。

今年は、八王子の山田にある広園寺(こうおんじ:都内では珍しく禅寺の立派な伽藍が残っている)を訪れた。
この寺は臨済宗の修行道場なので、普段は堂内を見ることができないが、11月1日だけ公開されるのだ。
この機会を武蔵野歩きを始めた高校以来、待っていたのだ。 

京王線の「山田」で降り、駅前のリンガーハットで腹ごしらえをして、山田川沿いの道を進む。
広園寺の周囲には寺が散在しているが、いずれもかつての塔頭であり、本来の寺域の広大さが伺われる。

さて壁に囲まれた一画にある総門をくぐり、境内に入る。
木立の中の石畳を進むと、この道に平行して、勅使門、山門、仏殿(いずれも都重文)が林間に直線上に並んでいる(写真は山門)。 

山門の下には、今日だけの案内所が設けられており、パンフ、お茶、そして案内サービスが受けられる。
檀家によるボランティアらしい案内の人に連れられ、まずは仏殿の本尊弥勒菩薩を拝む。
開山堂(坐禅道場)に入り、奥に上がって開山禅師の木像などを間近に拝む。
さらに方丈(本堂)に上がり、裏側の庭園や地蔵菩薩を拝む。

その他境内には、樹齢五百年ほどの朴葉の大樹(複数の幹が融合している感じ)や、春には美しかろう枝垂れ桜や山桜の大樹、それに「虫塚」などがある。

虫塚の由来を案内の人に尋ねたらご存知なかったが、帰宅後『新編武蔵野風土記稿』を見たら、広園寺の「蟲塚」が載っており、近隣の農作物に害をなす虫を集めて塚にしたとある。

境内は広葉樹が多く、紅葉の頃ならさぞかしいい風景となりそうだが、公開日とタイミングが合わないのが残念だ。

周囲には他に訪れたい所はないので、あとは帰るだけ。
短い訪問だったが、高校以来の念願がかなったことは嬉しい。

昨年の文化財ウィーク訪問記