この歳になるまで、”大阪”に降り立ったことがなかった。
仕事での用事がなかったことが第一で、観光で関西に行くならどうしても京都になる(次点は奈良)。
ライフワークにしていた小笠原家史跡の旅でも訪れたのは京都と明石。
結局、私が関西で2泊以上滞在したのは、京都、明石、飛鳥、南紀、滋賀(湖東、甲賀・信楽)。
見事に大阪が避けられている。
なにも毛嫌いしているわけではなく、行き先がなかったのだ。
そして今年2022年、ついに大阪の行き先が発生した。
ただし、4月18日に限定の行き先。
そう、一年の一日だけ、4月18日は大阪が行き先になる日。
この日、大阪にある国宝の観音様がすべて御開帳となるのだ。
まずは、観心寺の如意輪観音。
年に4月17,18の2日間だけ開帳される貴重な観音様。
次いで道明寺の十一面観音。
毎月18日と25日に開帳される。
そして、葛井寺(ふじいでら)の千手観音。
今年は4月16−20日の間開帳。
以上3つの共通日は、4月18日しかない。
そして、今年の4月18日は月曜で、私は大学に出勤する用事がない曜日(来年は会議日の火曜になるのでダメ)。
観心寺と葛井寺なら17日(日)でもいいのだが、日曜は観心寺が絶対に混む。
なので、17日は名古屋城に行って、18日に”満を持して”どころか”生まれてはじめて”大阪に向った。
もともとは1泊で行くつもりだったが、観心寺の起点になる河内長野には1人客が泊まれる宿がなく、手前の堺でないとビジホがない。
よく考えたら、名古屋からなら新幹線を使えば京都や大阪は日帰り圏だから、泊まる必要はない。
名古屋を朝発てばよい。
というわけで、月曜の朝、早起きして、朝のラッシュで混雑する(階段規制!)名古屋から新幹線で新大阪に向った(車内で朝食としておにぎり2個食べる)。
大阪の鉄路は無知なのでネットの”ジョルダン”でルートを検索し、それに基づいて、新大阪から地下鉄御堂筋線で難波に行き、そこから南海で河内長野に向う。
なるほど、大阪はエスカレーターでは右側に立っている。
東京は左側で、名古屋も左側だったが最近は2列(両側)に立つように案内している。
立つ位置の境となる駅(名古屋〜大阪の間)はどこなのだろう(名古屋が境ともいえる)。
私個人は、どちらか開けてくれた方が急ぐ時にありがたい(実際、今回も空いた側を歩いた)。
ちなみに、安全を第一とする武家礼法の基準では、いざという時のために「利き手を空けておく」のが基本だから、左側に立つのが正しい。空いている右側を歩く人は動いている分だけ危険なので、いざという時(たとえばエレベータが停止した時)こそ利き(右)手で素早く確実に手すりにつかまる必要がある。そういう意味で、エレベータで歩く人の危険度は大阪>東京。武家礼法は実際、江戸の方が大坂より浸透していたらしい。
また、かつて大阪出身の人から、大阪では、東京のように降りる人が済んでから乗るような無駄なことはせず、電車に乗り降りするのは同時にスムースにすると自慢していた。これって乗客が少ないから可能で、東京のラッシュ時にできることではないと思っていた。而して今回、大阪のどの駅でも、東京と同じく降りる人が降りきってから乗るようになっている。
河内長野に降りると、観心寺を通るバスが丁度出るところで、急いで乗ると中は満員。
ほとんどの客が観心寺で降りた。
月曜の平日なのに、なんでこんなに人が多いの?
定年後の年齢層だけでない。
普通の会社員と学生は来れないはずなので、きっと月陽が休みの理・美容業界と博物館職員なのだろう。
開帳日だけの特別拝観料1000円払うと、12:30と書かれた紙とパンフをもらう。
これは80名・30分単位の予約票で、その時刻になったら金堂前に集まれという。
なるほど、これならずっと行列している必要はない(コロナ対策も兼ねている)。
まだ1時間以上あるが、それまで広い境内の諸堂(重要文化財建築が多数)を見学していればいい。
境内には開帳日臨時の弁当屋も出ていて、せっかくなので手製のすきやきおにぎり(300円)を買う。
昨日の日曜の人出はどうだったか尋ねると、今日は半分だという。
すなわち、昨日は拝観まで2時間待ちだったわけだ。
やっぱり休日ではなく平日に来たのは正解だ。
さていよいよ金堂(これも国宝)内に入る。
堂内正面に国宝・如意輪観音(坐像)の扉が開かれている。
まずは着席させられて僧侶による堂内の説明を聞く。
そのあと一列になって、如意輪観音の正面を巡回する。
真正面では、立ち止まって手を合わせることができるが、人の列は動いているので、じっくり眺めるわけにはいかない。
なので、座席に戻って今一度遠くから観音を眺める。
でも30分ごとに次のグループと入れ替わるので、最大30分しか拝めない。
しかも、距離を隔てての拝観なので、間近に見る事ができない。
それでも等身大の本物※は違う(写真:寺で販売の絵はがきより)。
もし先入観なしで、開帳してこの像を初めて目にしたら、きっと生身の人間と見まがうのでは、と思うほど、人肌の色が”生々しい”(これほど色が残っているのは長年秘仏だったため)。
仏像でこれほど人間に近いのはこの如意輪観音だけ。
仏像にふさわしくない表現だが、生々しく”妖艶”なのだ。
薄衣から露出した肌の色だけでなく、切れ長の目、それになにより片膝ついて頬に手をやるアンニュイな姿(肢体)がその雰囲気を見事に造っている(如意輪観音以外では形態的に不可能)。
美仏は他にもあるが、上の特性をもったこの像に、私を含めた老若男女が魅了されている。
実は、本日のこの如意輪観音参拝こそ、私自身の”女神様詣で※”のクライマックスでもあった。
※:一連の吉祥天・弁才天・美観音詣で
30分しか拝む事ができず名残惜しいが、※イスムで買ったこの観音の模像が我が書斎に飾ってあるので、実はそれを眺めて暮せる(でも本物にはかなわない)。→その記事
バス停に戻るとすぐにバスが来た(バスの便はいいらしい)。
河内長野から今度は近鉄に乗って富田林を北上する。
地元の高校生が乗り込んでくる。
コテコテの河内弁が聞けると思ったら、女子高生は「〜でさー」という口調で、東京と違和感ない。
もっとも名古屋でも、コテコテの名古屋弁を話すのは河村市長くらいだし。
道明寺駅で降りて、町中を抜けて、天満宮と宝物館を巡り、思ったよりこじんまりした道明寺に着く。
それでも国宝拝観日だからか観光バスが停車している。
500円払って本堂に上がると、尼さんの住職が説明をしている。
本尊の国宝・十一面観音(立像)は、観心寺よりは小振りで、黒ずくめなので、暗い堂内だとちょっと見づらい。
しかもガラスケースに入っているので、立体感もとらえにくい。
ここの十一面観音は、オーソドックスな造りだが、仏像にありがちな無機質な面立ちではく、ふくよかでやさしいお顔だ(写真:寺で販売の絵はがきより)。
なのでここの十一面観音もお気に入り(十一面観音ではベスト)。
ここから土師駅まで歩き、そこから一駅先の藤井寺で降りる。
おなじ発音の葛井寺は駅から商店街を抜けてすぐで、庶民的(商売熱心)な雰囲気。
重要文化財の本堂に入って拝観料500円払って内陣に入ると、奥に本尊の千手観音が開帳されている。
ここの国宝・千手観音(坐像)は、本当に手が千本(以上)あり、しかもぞれぞれの手に目がついているのだが、これらは東博で間近に見る事ができたが、こうやって本尊として開帳されると、遠目に拝むだけで、この像の本当の凄さを味わえない。→東博の記事
そう、今回はすべて本尊としての開帳だから、美術品としてじっくり間近に見る事はできなかった。
そういう鑑賞は美術展での出品に期待するしかない。
もとより、こういう室内の固定された位置からの見学には、双眼鏡などを持参すべきだった。
近鉄で阿倍野=天王寺に戻ったので、最後に大阪第一の寺・四天王寺を挨拶代わりに拝観しようかと思ったら、ネットのルート検索によると、到着する頃は拝観時間終了後と出たので諦め、大阪環状線で大阪→新大阪と進み、そこからのぞみで名古屋に戻った。
以上、それぞれ如意輪観音、十一面観音、千手観音の最高傑作であり、それらが大阪に集まっていて、しかも本日限定で一斉に拝観でき(交通の便がいいのも有難かった),”はじめての大阪”の目的は達した。
次回は、仏像以外の史跡などを巡ってみたい。