今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

中央線で帰省

2007年07月30日 | 
「青春18きっぷ」で名古屋から東京へ帰省した。
5回の使用分のうち、一回くらいは中央本線経由にしている。
所要時間は接続の悪さもあって東海道より2時間くらい余分にかかるが、
木曽路・甲斐路を縦断するので、旅情は抜群。
それに今日は、東海道線沿いで豪雨・落雷の被害でダイヤが乱れているという。

JR東海中央線の千種駅で10時27分の多治見行き快速に乗り、
風鈴の音が涼しい多治見で、セントラルライナー中津川行きに乗り換える。
東濃地方も都市化の波を受けているが、土岐川沿いの田園風景にはさっそく旅情が喚起される。
中津川で2両編成の正午発松本行きに乗り換える。
駅では大勢が待つので、車両は満席。
でも左窓側の席を確保でき、木曽川を眺めながら木曽路の車窓を楽しむ。
東西中央線の接点である塩尻で降りる。
ここで中央東線の鈍行を1時間待つ。

遅めの昼食として、駅近くのそば店「幸楽」でざるそばを食べる。
1650円と値ははるが、ざるは2段で、ミニグラスにワイン、天ぷら、スイカとミニコースになっており、質的にも量的にも満足。
そば湯をゆっくり味わい、土産物店で塩尻産ワインを試飲しながら物色していれば1時間はすぐ。
JR東日本の14:50発高尾行きに乗る。
今日は雲が多く、中部山岳の展望は得られないのが残念。
18時すぎにやっと東京都の西の端、高尾駅に着く。
そこから中央線快速・山手線と乗り継いで、実家に着いたのは19時半。
9時間で旅費2300円の長旅が終わった。


梅雨明け基準

2007年07月27日 | お天気
今日、東海地方で梅雨明けが宣言された。
でも気温だけなら関東の方が負けていない暑さ。
地上天気図を見ても、近畿から東はむしろ低圧部になっている。
ならなんで東海が梅雨明けなのか。

根拠は、地上の天気や気圧配置ではなく、上空500hPaの状態。
夏をもたらす小笠原高気圧は、上空の下降流が本体で、地上の高気圧はその結果にすぎないから。
だから、夏をもたらす高気圧の分布や強さは500hPaの高層解析図を参考にする。
500hPa図によると、小笠原高気圧の勢力境界である高度5850mの等高線が、関東南部から北陸にかけてかかっている。
すなわち東海地方はその南側になった。
これがポイント。
ただ普通は、5880mが境界になることが多いので、上の基準はちょっと弱め。
完璧に夏といえるのは、この線の南側である中国西部・四国・九州だ。
関東以北はオホーツク海の低圧部(地上天気図でやがて低気圧が発生)の勢力下にまだあるため、梅雨明けはちょっと遅れそう。

柊ちゃんと遊ぶ

2007年07月23日 | 身内
週末は実家に帰った。
三歳の甥っ子柊聖(しゅうせい)は、私が名古屋から帰るのを心待ちにしてくれる。
まだまだ就学前なので、柊ちゃんにとっては、うらやましくも活動のすべてが「遊び」である。
だから自分の父親よりも年上の私も、遊び仲間の一人。
彼のリクエストに従って、小さな電車のおもちゃで、畳の縁を線路に見立てて、二人で電車ごっこ。
最近は、柊ちゃんも遊びのストーリーを作れるようになったので、そのストーリーに従って私も電車のおもちゃを動かす。

夜は、皆で私の早めの誕生会をやってくれて、
その後は、家の前で花火。
柊ちゃんは線香花火の玉が自分の手についてしまって、大泣き。
夜10時すぎに帰宅するまで、振り回されっぱなしだった。
これからの人生、痛い思いはいっぱいするよ。

生後4ヶ月の姪っ子ノンちゃんも、今はまだ寝てばかりだが、
もうじきこの騒ぎの主役に加わるんだろうな。

参院選

2007年07月20日 | 時事
選挙の投票は、民主社会での国民の大切な「義務」だと思っている。
なので、よほどのことがない限り棄権はしない。
今回の参院選は、投票日に名古屋で仕事なので、期日前投票をしようと思っている。

まず私は、参議院は、政党政治の衆議院とは別原理で構成されるべきだと昔から思っているので(そうでなかったら参院不要)、参院選での政党による比例代表は、制度化された時から反対している。
なので比例にはどこにも入れないし、もし入れるとすれば、衆議院に議席のないいわゆる「ミニ政党」にしている。

(地方)選挙区については、こちらも政党色を拒否したいのだが、そうするとちょっと心配な人たちしか残らない場合があるので、難しい。
自分としては、自民党にとって代われる、すなわち自民党的古い共同体体質でない、現代的に体質改善した政権政党の成熟を期待しているのだが。
今の民主党の幹事長の発言を聞いていると…orz
表面的な政策の対立を強調し、もっとひどい場合だと、相手陣営の「失言」の揚げ足取り的攻撃にいい気になって、冷静な国民をかえって白けさせている。
第一、政策の対立度だったら、共産党に負けるでしょ。
共産党からみれば、民主党なんて第二自民党にしか見えないんだから(だから共闘するわけない)。
自民との政策的・思想的対立にこだわっていれば、旧社会党の支持層を拾うことしかできない。
本当なら(消極的)自民支持層と(積極的)無党派層の支持を奪ってほしいのに。

残った選択肢としては、ボーダーライン上にいる数名の中の誰を入れたくないか、そのためにはライバルの誰に入れたらいいか、という基準。
これは自分の小さな1票を活かせる点でも有効。
いずれにせよ、この国に税金を払って、法の縛りを受ける者として、投票には行こうね。

※22日に期日前投票をすませてきた。
もともと積極的無党派で、しかも個人的に入れたい候補者がいないので、投票用紙に記入するボックスに入るまで投票先を迷っていた。
なんとか記入したが
選挙区と比例が同じ投票箱に入れるのにはちょっと戸惑った。

このように、参院の存在意義・選挙方法に疑問を感じ、さらに入れたい候補者・政党がなくても、国民の一人として投票は欠かさない。

前期終了記念

2007年07月19日 | 
大学院の入試業務を終えた夕刻、車を飛ばして、木曽路の入口にある中津川温泉の定宿に向った。
いつもなら、ハナノキ街道(国道363号線)を快走するドライブを楽しむのだが、今回は仕事で遅くなったので高速を飛ばして1時間で着いた。
今回の宿泊は、割安の「湯治プラン」(夕食が簡素=低カロリーになる)。
前期授業の疲れ(?)を癒す滞在の旅。
そういう旅だから、仕事を忘れ、研究も忘れ、温泉と健康食と酒とDVD三昧のオフを楽しもう。

といっても羨ましがらないでね。
8月はひたすらの原稿書きが待ってるんだから。

和服に似合う帽子は

2007年07月08日 | 生活
夏は、首の下まであるTシャツよりも、前と脇の風通しがいい和服の方が爽快。
なので、家の中と近所は浴衣(ゆかた)で通している。
本当は、浴衣(本来は風呂上がりのバスローブに相当)でなく、
半じゅばんの上に夏用の単衣(ひとえ)を着て出歩きたいので、
本日ネットでポリエステルの涼しげな着物を注文した。

日中外出するなら、今の季節、日差しは避けなければ。
女性なら、和服に日傘でまったく問題ないのだが、
男の日傘ってまだかなり勇気がいる(沖縄では普及を推進しているらしい)。
しかし男の和服の場合、かぶり物に困る。
野球帽のようなキャップも、サンバイザーもぜんぜん合わない。
通勤で使っているパナマ帽も、違和感。

大正時代頃の風俗を思い出すと、和服にカンカン帽の組合せが目に浮かぶ。
でもこれに丸めがねにちょびヒゲ、それに扇子を手にするともろ大正オヤジ。
どうせなら当時の書生っぽく、(夏用にメッシュの)ハンチングの方がましかもしれない。

でもやはり和服に一番合うかぶり物は、なんといっても笠だよな。
それを目深に被り、片手で端を持ち上げて、交差点の横断歩道を渡る。
全身から違和感のオーラを発してしまう。
この組合せ自体は全く問題ないのに…
なんで服装って、こうも「人の目」の制約が強いんだろう。

身体的快適への合理性が正常に通用しないこの領域は、作法の中でもっとも非合理だ。

七夕はそうめんを食べる日

2007年07月07日 | 歳時
昨年の今日のブログでも「七夕復活委員会」からメッセージを送った。
伝統的五節句の1つ「七夕」(しちせき)を盛り上げたい。

まず、行事
何をしたらいいのか。
夕涼みとして、皆で天の川を挟んだ、織女星(ベガ)と牽牛星(アルタイル)を眺め、また地上の星である蛍の光を楽しむのが本来。
ところが、新暦だと梅雨の真っ最中。
しかも都市部だと地上の明るさと大気汚染で天の川など見えないし、
ましてや蛍などいない。
このように肝心の行事ができないことが七夕が盛り上がらない原因の一つ。
やはり七夕は旧暦に戻すべきだな。
残念ながら、星見の行事はほとんどあきらめ。

次にデコレーションについて。
七夕飾りは、五色(赤白黒黄青)を使ってカラフルに。
願い事は、七夕の別名「乞巧奠」とあるように、女性が織姫(たなばたつめ)に対して技能向上を願うのが本来。
昔なら裁縫・習字なのだが、今ならパソコン技能やその他の資格取得など。
でも織姫と彦星との年一度の逢瀬を祝福するから、それにあやかって「恋愛成就」もよしとしよう。

食事
残ったのは、この日にちなんだ食事。
この日は、素麺(そうめん)・ひやむぎを食べる日なのだ。
なぜ、食品店はそれをアピールしないのか(伝統行事を知らないからだろう)。
ひやむぎなどにたまに色がついた麺があるが、あれは七夕飾りの五色の糸が由来(七夕用のカラフルな素麺を売ればいいのに)。
あと季節の野菜などを具に加えればいい。
星見は無理でも、せめてこの日の晩はそうめんを食べて、夏の節句を実感してほしい。

岡島はタイ人?

2007年07月06日 | 時事
ボストン・レッドソックスの岡島が、オールスターに選ばれた。
それは同じ日本人として喜ばしい。
しかし、その岡島が球場でファンに向って、何度も合掌礼をする映像を見て、
「同じ日本人」という部分があやしくなった。
だってあの礼はみなさん知っているようにタイ式だから。
時も時、タイでは伝統的な合掌礼をやらなくなった人が増えたので、奨励する運動が起きているという。
合掌礼はタイ人のアイデンティティなのだ。

一方、近代以降の日本では、立位での礼は会釈・敬礼・最敬礼の3種であることは小笠原流礼法を知らなくても、ビジネスマナーで広く紹介されている。
いずれの礼も礼の所作の本質である「屈体」の度合が変化するだけで、合掌はしない。
日本で通常の礼として合掌するのは僧侶だけであり、少なくともマナーを制定する側の武家・公家では、仏前以外では(つまり人に対しては)合掌しない。

日本もフィリピンもタイも区別がつかないアメリカでは、タイ式の仏教的な所作にエキゾチズムを感じて、それがアジア一般の礼だと勘違いしているようだ。
岡島自身が日本で合掌礼をやっていなかったとすれば(その確率99%)、彼はアメリカ人の日本文化への勘違いを正そうとせず、その誤りに迎合したことになる。
日本ではハングルが使われていると勘違いされているなら、ファンにハングルでサインをしただろう。
ファン投票で感謝の気持ちがあったのはわかる。
でも、日本人なら日本人の所作で気持ちを表現すべきだ(頭を下げる屈体はお辞儀としての普遍形なのでアメリカでも通用する)。

海外に単身渡って活躍するスポーツマンをマスコミは「サムライ」と表現するが、
このようなふやけた迎合的態度をする者を、そして武家礼法に存在しない合掌礼をする者を、武家礼法家としては、サムライと呼ぶことはできない。
それにしても、正しい礼(お辞儀)ができない日本人が多い…(両手の扱いがポイント)

太った?

2007年07月05日 | 健康
最近、たて続けに「太った」と言われるようになった。
いずれも私の腹を指さして。
ここ数年間は言われなかったセリフだったのに。

確かに、ここんとこ体重計に乗っておらず、体重管理がおろそかになっていた。
そういうわけで久々に体重計に乗ってみると、以前より1.7kg増えている。
この増分は”変動の範囲内”といえるかどうか微妙な値(でもないって?)。
確かに言えるのは、運動を全然していないこと。
体のしまりがなくなってきたのは確かだろう。
そこで、…、

この話の流れだと、当然、読者は「ビリーズ・ブートキャンプ」を期待するだろうね。
いつも行っている隣家の美容室でも私にやったか聞かれた。
確かに、痩せるためのエアロビ体操よりも、ああいう筋肉をつける軍隊式体操の方が男ならやりがいがある。
でも体の筋肉をつけるのなら、あのDVD買わなくても、要するに、大腿部と腹と腕の筋肉トレをすればいいだけだろ。
まぁ、出費が多いほど、元を取ろうと懸命になるものだが、今までの経験だと、やりすぎて筋肉や靭帯を痛めてしまう。
この歳でビリーをやったら、絶対痛めるな。
なので、週一回は勤務先から徒歩(40分)で帰り、あとできるだけ毎日筋トレをすることにしよう。

というわけで、さっそく筋トレやってみたら、腹筋がものの見事にへたっていた。
こりゃ、本気でやんなきゃ。

ぶらり都内富士登山

2007年07月01日 | 東京周辺
6月30日は、小さい大晦日で、7月1日は小さい元日。
神社の大祓(おおはらい)も半年ごとだし。
時の流れは、物理学的には一定で一方向だが、地球科学的には自転・公転の周期運動が加わり、
文化人類学的には、ある日は人生の、あるいは毎年の特別な日となって、時間にハレとケの区別、メリハリが発生する。

今日7月1日は、富士山の山開きというハレの日。
昨年から富士信仰に関心を持った私は、それを記念して、
本物の富士登山は日程的にきついので、都内の富士山をハシゴして登ることにした。
以下、「ぶらり都内の富士登山」

まずは実家から徒歩で、文京区向丘の海蔵寺に行く。
ここは富士信仰の中興の祖にして富士山中で入定した、食行身禄の墓がある。
墓自体が、富士山の溶岩でミニ富士が作られた頂上に鎮座している。
せっかくのミニ富士なので、登って墓参をした。

次に徒歩で同じ文京区本駒込にある駒込富士神社に行く。
ここは土で盛られた古墳のような丘の頂上に神社がある。
ちょうど神事が終わるところで、地元の主催者たち(確か富士講はもう存続していないはず)と一緒に、神前での参拝ができた。
昨日から明日までが縁日で、境内には屋台がならぶ。
ここはほとんど私の地元で、子どもの頃によくきた。
ここの名物である富士山を模した落雁を買う。

駒込から山手線に乗って、鴬谷で下車。
台東区下谷の小野崎神社境内に富士浅間社があり、
やはり昨日と今日は開山祭。茅の輪をくぐる(母体回帰による再生の儀式)。
境内の奥に人工の富士山があり、一年で昨日・今日だけ登拝できるという。
溶岩で築山した富士山は、ちゃんと登り口から各合目を経由してつづら折りの道で頂上に達する。
老人など途中でへばって、まさに富士登山(写真)。
といっても隣の民家の2階ほどの高さ。
さすがに今日はカメラマンがいて、テレビ東京のリポーターが登ってきた(6日の「レディース4」で放映予定)。
みやげに地元の土産らしい「蛇の土鈴」を買ったら、幣(ぬさ)でお祓いをしてくれた。
鴬谷駅に戻って、品川で京急に乗り換え、南馬場で降りて、目の前の品川神社に行く。

ここも茅の輪をくぐって、階段途中に富士への道が分れ、やはり各合目を経由して頂上に達する(五合目から上が森林限界で眺めがいい)。
頂上からの眺めはいいが、周囲のビルの方が高い。
後ろの品川神社境内には、小屋のようなものがあり、近所の富士講の人たちなのか、
登拝の行事が終わったばかりらしく、後片づけをしていた。
境内には木曽御嶽講の堂や石碑もあった(富士講と御嶽講の同居って珍しくない?)。

以上、身禄の墓を含めて、都内の富士を4つ登った。
盛大な縁日をやっているのは、駒込富士神社。
開山祭の間だけ登拝可能なのは、下谷小野崎神社。
今日登拝の神事をする品川神社のは小野崎神社とともに民俗文化財となっている。

ついでに近くの東海寺に立寄って(墓地が工事中)、そこから東急バスで目黒の五百羅漢寺に行く。
今日は、亡父の命日に近い日曜なので、家族で墓参をする日なのだ(墓参そのものは毎月行く事にしている)。
形通り墓参をすませ、年一度の今日は、そのまま帰らず、境内の茶店「羅漢茶屋」で軽食をとる。
そしたら、今日われわれが墓参することを知っていた従兄がやってきた。
夕方になったので従兄と別れたわれら家族は実家に帰る。

今日は、姪の乃の佳ちゃんの「食初め」をやる日(生後100日目は明日なのだが日曜なので今日やる)。
前もって買っておいたお食い初めセットに、料理を盛って、乃の佳ちゃんの口に箸で各料理を次々に当てる。
しかし本人はその間ずっと口を閉じてぐっすり眠ったまま。
その後は祝いの主役をさしおいて、他のメンバーで乾杯し、近所で買ってきた寿司を頬張る。

と、このように今日は公私に特別な行事が重なり、充実した一日。
来年のこの日を迎える時、「もうあれから一年たったのか」とまた時の流れの速さを痛感するだろうが。