山頂に日が沈むダイヤモンド富士を見た(写真)。
年に2回拝める風景だが、新宿区の大久保に建てられる高層ビルによって、
ここから富士が見えなくなるという。
昔はあちこちから普通に富士が見えていたが、ビルがどんどん建てられて
今ではうちの近所から辛うじて見える場所はここだけになっていた。
「富士見坂を守る会」がこの眺望の保存を訴えている。
富士見坂通信
今日1月7日は、さっそく年初の節句である「人日の節句」。
なぜこの日を人日(じんじつ)というかは、
天地開闢して、7日目に人間が誕生したからという伝説に依っている。
その意味では”人類の誕生日”なのだが、
イベント的には「七草粥」を食べるしかないのが寂しい…。
というわけで、行事を大切にするわが家では、
朝食に、母が作ったちゃんと七草が入った七草粥をいただく。
単なる粥だと味気ないので、昆布ダシで餅と卵が入っている。
これなら、味覚的にも食べでがある。
今日の節句をきちんと体験しようと、七草と火焚き祭をやる
芝(東京都港区)の愛宕神社に行く。
巳年にふさわしく長蛇の行列ができているので、
わけもわからず並んでみると、本殿の参拝の列だった。
本殿内で神事の舞があるのだが、まったく見られず。
ただ本殿前にお神酒が振る舞われていたので、頂戴した。
火焚祭が始まるとそれを見物したい人はそっちに集るが、
人日の節句にこだわる私は、七草粥を求める行列に加わる(上写真)。
こちらでもらった七草粥には、七草は申し訳程度で、フリカケがついて味の足しにする。
味覚的にはわが家の方が上だが、神社でいただくのがありがたい。
神社の急な石段を降り、
芝に来たついでに、一等地に広大な敷地の増上寺に向う。
増上寺は寛永寺とともに徳川将軍の菩提寺なので、江戸では最上格の寺だ。
本堂ではちょうど法会をやっていて、
座っているのはビジネスマン的服装の人たちばかりというのは、土地柄といえる。
神仏分離で増上寺から分離させられた、家康公の像を祀る東照宮を詣で、
存在を知らなかった芝丸山古墳という前方後円墳に登る(5世紀のものだと)。
浜松町駅方向に進み、芝大神宮に立ち寄る。
ここはやたら若い女性が多い。
なるほど、縁結びのお守りがたくさんあった。
人日の節句を堪能し、都心ならではの歴史散歩も堪能した。
年末年始にかけて山の遭難があいついだ。
雪山での遭難は、最初から危険を承知での事、
あえて危険な状況に入り込む事を楽しんでいるんだから自業自得とも言えるが
(といっても、救助にすごく手間がかかっている)、
むしろ気になったのは、低山での道迷い遭難。
低山だと馬鹿にして、地図も持たずに軽装備で入り、
登山道でない、いわゆる”山道”(林業用の道)に入り込んで、
にっちもさっちもいかなくなる。
夜は暗黒なので、へたに動くと滝つぼに落ちる。
たとえ近所の低山であっても、むき出しの自然の中では、人の命なんて虫けらのそれと同然。
道迷い遭難ほど、初歩的で馬鹿らしい遭難はない。
道迷い遭難は、最初のちょっとした誤差が、進むにつれてどんどん大きくなる。
登山をやっている者は、それを知っているので「引き返す」勇気があるが、
シロウトで気楽に低山に入る人にはそれがない。
なので、どんどん事態を悪化させる。
私は、必ずハンディナビ(SONYのnav-u)を携帯する。
地図と違って、いつでも現在位置が確認できる。
というか、現在位置を確認しながら歩く。
なので、最初のちょっとした誤差段階で道迷いに気づける。
これなら100%道迷い遭難を防げる。
スマホのマップもあるが、山では電波が届かない
(第一、地形図がない)。
アウトドア用なので、省電力モードにすれば、一晩はもつ。
ハンディナビは街歩きにすら必携だ。