今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

自分に乾杯

2011年07月29日 | 生活
年に一度くらい、自分を祝福する日があってもいいだろう。
自分が自分自身の存在(在ること)を祝福できるのは、自分にとって幸せな事だ。

今日は、自分が担当する前期試験と課題提出が終わり、大学院の秋修了の修論審査も終えたので、
実質的に前期授業が終わったことになる(残すは、膨大な採点作業)。
これだけでも、充分祝杯に値する。

最近のfacebookは良い印象がないのだが、
facebookだと”友達”の誕生日がわかる設定があるらしく(あいにく、自分はその設定をしていない)、
職場、八丈島、そしてイタリアから2件、その件に関するメッセージをもらった。
単なる儀礼というなかれ。
儀礼として価値があるほどの、すなわち内心はどうあれ、実行するだけで充分意味のある社会的行為なのだ(儀礼とはそういうものだ)。

一方、個人心理的には、
”歳をとる”ことが嫌な時期は過ぎ、今はもう居直れる。
むしろ、今”在ること”ができる健康と社会的環境に感謝したい。

仕事を終えて名古屋の棲み家に帰り、
いつもの発泡酒ではなく、今日は”なんちゃってシャンパン”(スパークリングワイン)のコルクを威勢よく開ける。
今晩は一本空けるだろうな。

例のフェイスブック利用者を狙った手口が活発化

2011年07月26日 | 時事
最近、また例のフェイスブック利用者を有料サイトに誘導する詐欺が活発になったみたいで、
「私のところにも来た!」というコメントが連日増えている。
23時現在コメント数180、ツイート数140。
私が遭ったのは5月上旬なので、懲りない奴だ。
似たような手口がテレビ番組でも紹介されていた。

騙(かた)られる名とアドレスをコメントで知らせてくれれば公開する。
そうすればネットで検索でき、被害者の拡大を防げる。
協力してほしい。



山に持っていくカーナビ:SONY NV-37

2011年07月25日 | 生活
カーナビに使っていた SONY NV-U3Cの道路データが更新されたが、
更新だけで2万円弱するので迷っていた(3万出せば、最新マシンが買えるから)。
その間、ブログのコメンターの勧めで、スマートフォンのナビに心動かされ、イー・モバイルで iPodtuchを買った。
( wi-fiでのリアルタイムなナビは無理、さらに片田舎だと地図すら表示されない)。

そして満を持して発売された SONY NV-U37。
これは今までの自転車に加えて、登山・ハイキングにも使えるカーナビとして登場した。
なにしろ全国2万五千分の一の地形図が無料ダウンロードで使えるのだ(メモリースティックデュオに入れる。ちなみにこのメディアは汎用性がなく割高なので、安いアダプタを買って、 マイクロSDを差し込んだ方がお得)。
登山用の地形図を使えるナビは、ガーミン社製の高価なものばかりで、これらは逆にカーナビには使えない。
今までは、山に行く時はガーミン社の ハンディカーナビ・NUVI250に有料の地形図をインストールして使っていた。
地形図が拡大できる点は(今でも)優れているが、地名などはすべてローマ字で、
またカーナビとしては情報量が少なすぎ、またやはり道路データが古くなって更新に2万弱かかる。

NV-U37は、アウトドア用として簡易防水機能がついたのと、稼働時間が9時間と大幅に伸びたのがうれしい。
この2点がハンディナビのアウトドア使用上のネックだった。
この2点を解決し、カーナビを自転車と徒歩・登山にも充分使えるようにしたのは立派。
(さらに鉄道にも対応してくれるとうれしい。車窓からの眺めのチェックに使いたい)。

私にとって、 SONYは AV機器で”ソニー・タイマー”を経験して以来、信用ががた落ちだったが、
ハンディナビメーカーとしては、一流だ(タイマーも作動しない)…

というわけで、迷わず購入(ネットで送料無料で3万円弱。量販店より3千円安い)。

ただ、徒歩でのナビを試した限り、 肝心のルート(経路)検索能力は、スマートフォンでのGoogleマップに負ける。
Googleマップは本当に最も近道のルートを検索できるが、
カーナビの頭脳がベースになっているマシンでは、住宅街の細い道では距離計算ができないらしい。
そもそもカーナビは、車のナビにおいても、へんな遠回りを案内されることがある
(狭い道を案内したくない気持ちはわかるが、私の車はローバー・ミニだから)。
それからナビで示される”高度”はあいかわらず誤差が大きく、高度計には使えない。

地デジ後のテレビは

2011年07月24日 | 時事
わが実家も地デジ化にぎりぎりセーフ。
正午のアナログ停波を、それなりの感慨を伴って見届けた。

NHKでは、それを記念して過去のアナログ番組回顧する番組「そのとき、みんなテレビを見ていた」を放映。
それを録画して後で眺めてあらためて思った。
昔の番組は、感動したり、夢中になった番組がたくさんあったなぁと。
それにひきかえ、今は、画質がよくなっただけで、中身はスカスカ。

数年前から、テレビ雑誌を買わなくなったのも、録画したい番組がまったく見当たらなくなったから。
なにもドラマやバラエティだけの問題ではない、相撲・野球・格闘技などのスポーツ番組も観なくなった
(先日の女子サッカーは久々に感動)。
録画機能も地デジテレビを買ったばかりの今だから試しに使うが、早晩使わなくなる。
という立場なので、買ったテレビもできるだけ機能が少ない安いものにした。
だって、高いテレビっの機能って、”テレビは娯楽の王様!”という昭和30-40年代レベルの価値観の人用だから、ことごとく不要。
むしろHDMIをフル活用して、パソコンやiPadの画面を映した方が楽しめる。


わたし的な線量限度ライン

2011年07月24日 | 東日本大震災関連
放射線量について、私に寄せられる問合せの回答に、「大丈夫です」と「できるだけ線量を減らしましょう」を使い分けているが、その境界を明示しよう。
それは、1μSv/hのライン。

この値は、実際に障害が発生する1Sv/hの百万分の1、がんのリスクが高まる100mSv/hの十万分の1の値。
このラインの根拠は、疫学的な基準(前の記事のように、それは困難)ではない。

地上で人が生活している自然放射線量の最高値の単位時間当りの近似値である。
その場所とは、イランのラムサール(条約で有名)。
その放射線量は年間値で約10mSvである(その地域の最高値はもっと高いが)。
この値を単位時間に換算すると、1.14μSv/hになるので、切りのいいところで1μSv/hにしたわけ。

みなさんご存知の通り、政府が福島県に設定した被曝許容量の年間値は20mSv。
これは ICRP(国際放射線防護委員会)の基準にもとづいたそれなりに”論拠”あるものだが、
実際に長期的な被曝による影響が発生しないという”証拠”によるものではない。
これはもちろんラムサールの2倍の値で、わたし的には、人類が安全を経験していない未知の領域なので、全く大丈夫という太鼓判を押せない。
一方、年間10mSvは、われわれと同じ人類が実際に地上で浴びて問題なく生活している(数千年前から)最大値という点で、長期被曝や内部被曝を考慮した安全の上限といえる。
「安全値」とは、本当に安全を保証できる値であるべきだから。

この値を基準にすれば、関東はほとんどすべて安全圏(もちろん平常値より高い所は、さらに下った方がいい)。
だから関東、とりわけ南関東の人に対しては、前の記事のようなクールな対応をする。
ただし関東最大のホットスポットである那須・黒磯地域は数値的にボーダーラインなので、わたしの対応もジレンマ的(旅行先としてなら、ほぼ問題ない)。
そして福島市などはラインを越えているので、できるだけ早く・確実に除染した方がいいと、個人的には思う
(わたし基準のラインを越えているだけであって、”危険”というわけではない)。
政府は政府の基準値以下であることを理由に対応してくれないから、住民自ら対応しなくてはならないが。

放射線リスクの正しい認識へ

2011年07月23日 | 東日本大震災関連
さて、いよいよ放射線リスクについても、無根拠な世間知から、学的根拠のある認識へと改めたい
(ついでに前の記事:発がんリスクからみた放射線も参照してほしい)。
原発事故から4ヶ月もたっているのに、いまだ子供時代に得た世間知のまま、というのはあまりに当事者意識がない不勉強な態度だ。
前回紹介した地震情報とは異なり、こと放射線に関しては、
テレビや新聞レベルでほとんど毎日のように専門家による学的根拠が述べられているのだから、特別な手間はかからないはず。

ところが、学的情報は既存の世間知やそれに由来する自己の不安感情と”不協和”(心理学用語)なため、
それら情報を素直に受入れがたく、
むしろ不安感情と”協和”(心理学用語)する世間知的言説(実は政治的意図があったりする)にしがみつく。

人間というものは、不安解消という感情的快よりも、不安の正当化による”信念との合致”というより精神的な快を優先する傾向にある。
私自身、福島県でのμSv/hレベルの”異常値”を早急になんとかすべきと思っているが(ひたすら除染しかない!)、
nSvレベルの関東地域での不安反応には、まぁ気持ちもわかるし、風評被害の実害もないので、一緒になって計測値の高下に一喜一憂していた。

ところが、正常値域内の南関東で、放射線の危機意識で夫婦関係がおかしくなったり、はては妊娠中絶まで考える人が出たということを耳にして、
放射線の世間知による精神的・社会的被害が発生しはじめたと思い、態度を改めたわけ。

放射線はまずは発がんのリスク(発生確率)に関係する。
100mSv/h=100000μSv/hをあびると、発がんリスクが有意に増加する、すなわち統計学的にリスクは≠0(リスクにマイナスはないから>0)と結論できる。
これを”危険値”としよう
(実は同じ被曝量でも、いっぺんに浴びる急性被曝と長期間での累積的被曝とでは、影響が異なる。もちろん急性被曝の方が症状が重く、100mSvというのは”本来は”急性被曝の数値。ただし”安全”基準としてはあえて同一視される)。

いいかえると、それ未満では、発がんリスクは統計学的には確認できず、ただ「理論上は0でないはず」ということでグレーゾーンとなる。
たとえば1μSv/hすなわち、危険値の十万分の1の値は、発がんリスクはそれだけ0に近くなる(単純計算だとリスクも危険値の十万分の1)。
それはどういう意味となるか。
それはすなわち、通常の生活上の放射線以外のリスク要因との判別が不能となることを意味する。
より正確に言うと、他のいくつかの要因よりも低くなる、といえる。
他の要因とは、食品中の発がん物質(アルコールやカフェインのほか、たとえばキャベツなど日常食品の中にあるもので、発がんリスクを高める可能性よりも他の健康効果がずっと高い)や
空気中のさまざまな物質や通常の紫外線(これも広義には放射線の一種)、あるいは心理的ストレスなどだ。
ちなみに、タバコは放射線よりリスクが高いくらいなので最初から除外。
(発ガンという現象自体が確率的現象ということもあり、タバコ自体もガンのリスク(確率)要因であって、(必然的)”原因”ではない。
だからタバコをずっと吸い続けても、遺伝的にガン体質でないなど、他のリスク要因が低ければ、ガンにならないとことは無論ありうる)

ついでにいうと、低線量(100mSv/h未満)の放射線に対して生体には”適応応答”というメカニズムが発見されている。
また放射線によって(他の原因でも)損傷された遺伝子は修復され、またそうでないものは自死(アトポーシス)し、後々まで悪影響を及ぼさないメカニズムも発見された(そもそも遺伝子の損傷や複製ミスは外的要因がなくても一定確率で発生する)。
私が子供時代に、「われわれは放射線にまったく無力である」と教えられたのは、これらが発見される以前だった。

さらにそのメカニズムに注目して、低線量の放射線は生体の防御力を高め、かえって健康にいいという理論が生れた。
それが「ホルミシス効果」で、”放射線はちょっとでも怖い”という世間知とは真逆の方向であるが、
実は、日本のラドン・ラジウム温泉が一部の人(特にガン患者)に熱狂的に人気があるのも、このメカニズムがすでに経験知として知られていたためではないか(入浴者のほとんどはホルミシス効果の名さえ知らないと思うが)。
もちろん、この理論を支持する研究がたくさんあり、最近の放射線科学の書では無視しえないテーマとなっている。
たとえば、この立場の泰斗アメリカのラッキー博士の著『放射線ホルミシス II』(ソフトサイエンス社)は、ホルミシス効果を支持する実証研究ばかりを精力的に集めたもので、翻訳者も辟易するほど、ホルミシス効果を謳っている。

ただし、低線量の放射線が健康にいい/悪いということが、統計学的に真に確認されるには、そこらの実験室実験や住民健康調査レベルではダメで、それこそ、福島・関東レベルの人口を必要とする(われわれは人類にとって貴重なデータなのだ)。
つまり低線量放射線については、個別研究がどういう結果であろうと、その研究自体は立証する力をもっていない(偶然である可能性を否定できない)。
なのでホルミシス効果とは逆の低線量でも悪影響があったという研究も、被験者数が上の人口に達していないなら立証力がない(いずれも誤差である可能性を統計学的に捨てきれない)。

ただ、自信を持っていえるのは、影響が0でないことを統計学的に立証するのに膨大な人数が必要となるレベルの放射線量は、その影響はたとえあったとしても(その影響が生体にいいというホルミシス効果だとしても)限りなく0に近いということだ(統計学的には誤差の発生確率の問題)。
これらの(避難対象でない)地域の人がこうむる、確実に放射線が原因といえる健康被害は、放射線不安による精神症状によってもたらされる社会的損害(経済的被害を含む)や、最悪、健康に生れてくるはずの胎児の命を断つ人命的損害よりは、確実に少ない。

次は”関東大震災”なのか

2011年07月21日 | 防災・安全

今回は関東の地震について、人々の古い”世間知”を解除したい。
以前よく、「関東大震災からだいぶたっているので、そろそろ次がやってくる」、といわれていた。
名古屋にいても、古い世間知のままの人から、いまだに「次は東京でしょ」、と半ば期待を込めて言われたりするが、
専門家の間では「関東大震災の危機」は言われなくなっている。

なぜか。
実は、関東大震災を引き起した地震(関東地震)に対する誤解があったのだ。

関東地震の周期は、大正関東地震(1923年)とその前の安政地震(1855年)から、”60~70年周期”がささやかれていた。
なので1980年代に「もう来てもおかしくない」と(今の東海地震のように)騒がれたのだ。
ところがその前は元禄地震(1703年)であり、だいぶ間隔があいている。

大正関東地震は、ご存知のとおり、相模トラフを震源域とするプレート境界型(海溝型)地震であるが、
それに対し、”その前”の安政地震は東京湾内のプレート内型(活断層型)地震で、
両者は震源も種類も別個の地震だったのだ。
そして元禄地震は、安政地震ではなく、大正関東地震と同じタイプだとわかった。

プレート境界型は、南海トラフの地震と同じく周期性が強いので、元禄と大正の間の220年ほどが周期といえる。
ということは次の関東地震は西暦2100年以降ということになり、騒がれなくなったのだ。
(ここで首都圏の人は少し安心してよい)

ただしその期間中に、安政地震など、M7クラスの地震が起きているので、こちらの地震が問題となりつつある。
それが東京湾北部の荒川河口付近が震源に想定されている「首都直下型地震」(M7.3)。

これは関東地震(M8)ほどエネルギーは強くはないが、震源の真上は強い揺れとなる(震度6)。
耐震化ができていない建物の倒壊と、住宅密集地での火災が恐い。
しかも直下なので、緊急地震速報は使えない。
地震の規模は小さいため、都内直下の割りに被害想定も多くないが(それでも死者11000人)、
震源地に近い東京東部、とりわけ京葉線沿線が集中的に被害をこうむるだろう。

そこ一帯はことどとく新しい埋め立て地で、今回の遠くの地震でも液状化の被害が多かったほど。
なので、直下型がくれば液状化の程度と範囲は今回の比ではないだろう。
あと地盤沈下も起こりうる(もともと0メートルなので海中に没する)。
ただし鉄筋の建物は、地中深く杭を打ってあるので倒壊はしにくいらしい。

京葉線一帯は、倉庫やレジャー施設に使えても、本来は住宅地にふさわしくない。
住むのは総武線沿線が最前線。
あの地域の昔(=海)を知っている人間ならそう判断する。

近々起こりそうな地震について☞熊本の次は…(2016.4.17の記事)


祝 世界一!

2011年07月18日 | 時事
女子サッカーWC決勝の時間帯に起きているのはつらいので、
録画して翌日観る事にした。

夜中、暑さのせいもあり、何度も目がさめ、そのたびにテレビの録画中のランプを確認した。
そんな気になるんだったら、いっそ起きて観てしまおうかとも思ったが、どうせ観るなら最初から観たい。

翌朝起きて、慎重に録画再生の手順をふむ。
観る前に結果を知りたくないでの、へたにテレビ番組をつけたくない。
もちろん、いつもなら最初に開くパソコンのネットも手をつけない。

そして、録画を再生。

個人的な予想としては、実力差からいってアメリカが勝つと思っていた。
今回の日本は、メダルを取れただけで満足。
といってもせっかくの決勝なので、せめてアメリカにフルボッコにはされないで、善戦はしてほしい。

後半に入って、アメリカが1点入れた時、このまま1-0で終わると予想し、日本は”善戦”したと早くも結論。
ところが、日本が宮間のゴールで同点に追いついた。
そして延長戦。
アメリカが一点追加した。
延長までいって王者アメリカを苦しめたのだから、これで立派と満足した。

ところが、延長後半12分になって、あの”澤”のゴールで日本が追いついた!
これはただ事ではない。
何なんだ、日本のこの粘りは。
ここからは、もう感動モードに入ってしまった。
(岩清水の身を挺したスライディングも忘れてはならない)

ここまで来たら絶対優勝だ!
PKでは最初から負ける気がしなかった(海堀のセーブと宮間の余裕のキックでほぼ確信)。
そして優勝を決めた瞬間(もちろん録画再生時)、涙が出た。

彼女たちの何がすごいかっていうと、
自分のような、最初から自己弁護的な敗者根性でないところがすごいのだ。

それにしても PKまでにおよぶ大熱戦。
通して観るだけで時間がかる。
今日が、休日でよかった。
そして歴史に残る試合を全編録画しておいてよかった。
今夜は録画をもう一度観ながら祝杯だ!

世間が拒否する情報:防災編

2011年07月17日 | 防災・安全
既存の世間知が、学知と相いれない場合、世間は学知を無視する。
放射線の”恐怖”と逆のパターンを紹介しよう。

●関西には大きな地震が来ない、という世間知(思い込み)が地元では強かった。
確かに、プレート境界からは遠い。

地震はプレート境界型(一定周期)とプレート内型(活断層型)に分けられる。
前者がないからといって、後者がないという保証はない。
東海・北陸から関西にかけては活断層が密集している。

1990年代に入って、淡路島から神戸市に抜ける野島断層はその活動の危険が高まっていると予想された。
専門家たちは、その危険を訴えたが、
地元は暖簾に腕押し状態。
そもそも”不安”を抱いていないのだから、たとえ懸念がマスコミに載ったとしても目に留まらない。

そこで、関西の地震の危機を大々的にアピールするために、都市防災学会が大阪で学会を開くことにし、大阪に集結した。。
その翌朝、あにはからんや、野島断層が動いた(兵庫県南部地震)。

●わが勤務先の大学で、地震災害に対応するため、東海地震予知情報が発令された場合の対処のマニュアル化が策定された。
防災士である私は、予知可能とされている東海地震の予知情報のみに頼った”防災”マニュアルではダメだと主張した。
まずなによりも、周辺の自治体では今では、東海地震以外に”東南海地震”にも対応しており、本学でも予知不能な東南海地震を想定した防災対策が必要であると述べた。
それに対し、相手(学部長クラス)は、”東南海地震”という単語になじめず、私が、マイナーな主張に拘泥して危機を煽っていると受けとめた。
かように、大学の教員であっても、専門領域以外は、素人同然で、世間知のレベルに留まっている(名古屋市や日進市ではとっくに東南海地震のハザードマップが出来ているのに…)。
わがブログの読者の皆さんは、東南海地震はご存知だと思うが、学生の間でも、まだ東海地震しか話題にならないレベルだ。
私は自分の演習の授業で、学生に東海地震以外の地震の危険性を教え、名古屋市港防災センターに連れて行き、
そこで実際に前回の東南海地震の時の名古屋市の震度7を体験させた。

●平成21年の時点で、国(中央防災会議)は、最大の被害が起きる地震をどこに想定しているかご存知か。
『防災白書』(地域防災を考える時に最初に読む本)にまとめられているので、ぜひご覧いただいきたい(ネットで全て閲覧可)。
まず、残念ながら、東北地方の太平洋沖は、「宮城県沖」のみが想定されており(ただし最大級の切迫性)、想定死者は2700人である。 
その意味で、ここの予想は外れた。

だが、”最大の被害”予想が外れたとは、まだいえない。
なぜなら、想定されている最大の死者数は42000人だからだ。

その地震は、東海地震ではない。
首都圏直下型地震でもない。
東海・東南海・南海の3連動地震でもない。

それは、大阪直下の「上町(うえまち)断層帯」地震だ。

水都大阪は地盤が弱く、その地盤の真下にある断層帯が上町断層帯。

この活断層は、東海地震と連動すると予想される(東海地震は単独で起きたためしがない)東南海あるいは南海地震の前後に活動が懸念されている。
すなわち、これらすべての地震が連動する”西日本大震災”の危機が、数年前から懸念されているのである("東日本”が先に起きてしまった)。

政府が国民向けに発行している『防災白書』に明記されているのに、マスコミはおろかネットでさえも話題にならない。
かように世間は無視し続けている。

つまり、世間は、自分たちが不安に思っている情報は過敏なまでに反応するが、
不安に思っていない情報には、かたくなに耳を傾けないのだ。
そのような世間知から脱して、客観的な学知に耳を傾けてほしい。

発がんリスクからみた放射線

2011年07月15日 | 東日本大震災関連
『放射線および環境化学物質による発がん』(佐渡・福島・甲斐編著。医療科学社 2005年)は、
発がんリスク(発生確率)からみた放射線の影響について、発がんのメカニズムの研究情報とともに詳しく論じられた本で、
放射線についての入門書を読み終えた人に推薦する
(内容は専門的なので、一章のリスクの話と最終章の総合討論の部分だけでもよい)。

この本が書かれた動機は、日々研究が進んでいる専門家の知見と一般の意識との乖離をなんとか埋めたいということ。
その乖離の例として書中に何度も登場するのが、がんの原因に対する医学上の学説と一般の認識との乖離。
医学上では、ガンの原因は、食事とタバコで60%を越え、それに次ぐのがウイルスと性生活。
ところが一般の意識では、食品添加物と農薬で60%を越え、タバコはウイルス感染程度の原因力で、その次に大気汚染が続く。
つまり、医学的には、ガンは日常生活の中に原因が見出されるとしているのに対し、
一般では”人工的”な汚染が原因とみなされる(放射線は非日常なのでリストに入っていない)。

放射線は医学的にはガンのリスク(発生確率)を高める要因の1つにすぎないが、一般では、放射線は”特別に恐い”ものとして別格扱いされている。
”放射線は特別に恐い”というイメージ(たとえば放射能→奇形)は、私自身、幼少期の「ゴジラ」(その元はアメリカ特撮映画「原子怪獣現わる」)からたたきつけられてきたが、まさにそれは疑似科学的フィクションであって、科学的な知によるものではない。
その非科学的な信念の呪縛から多少自由になるだけでもかなり時間がかかった。

実は、今回の原発事故による放射線量がどの程度発がんリスクを高めるかということは、放射線科学の立場の人からほとんど同じ内容で公表されているのだが(個人の信念ではなく、科学的データにもとづいているのだから同じなのは当然)、
一般人の信念(その信念の根拠は?)に相いれないため、ほとんど受入れられていない。

むしろ、放射線と健康の問題には実は”素人”にすぎない元原子力関係者周辺の”放射能恐い”的言説の方が喜んで受入れられる。

この本からふたたび具体例を示そう。
タバコ一日あたり1~9本を吸い続けるリスク(4.6)を、それと等しい原爆被害者の肺がんリスクにあてはめると、
その場合の被曝放射線量は3.4Sv(=3400mSv=一般公衆の年間被曝上限値の3400倍)になるという。
これはタバコがいかにリスクの高いものであるかを示すものなのだが、
一般の人は逆に、恐ろしい放射線がタバコ程度のリスクだと言われたと解釈し、反発して信じない。
一般の人は、放射線の発がんリスク(発生確率)を過大評価していると同時に、
タバコの発がんリスクを過小評価しているためだ。

那須・黒磯はもとより飯館村や浪江町にも平気で入っていった私でも、
近くにタバコを吸っている人がいたら、そこから急いで避難する。

くれぐれも、原発からの放射能を恐れていながらタバコは吸い続ける、という滑稽なマネはしないでほしい。

中津川の放射線量

2011年07月11日 | 計測
恵那峡で一泊した後、
隣の中津川の定宿に泊まる。
いつものように、今回もガイガーカウンタ持参。

恵那峡の宿は、単純弱放射能泉だが、浴室内の放射線量は温泉の出口付近で最高130nSv/h程度でたいしたことない。
(自然放射線量を計る場合は、μSvの1/1000のn(ナノ)Svを単位とする。130nSv=0.13μSv)。

それに対して中津川の宿(ナトリウム-炭酸水素塩)は、浴室内外で200nSv/h。
そしてここの露天風呂の脇には、地元の花崗岩が置いてあり、
その岩にわがガイガーを向けると、γ線だけだと350nSv/h、β線も含めると1054nSv/h!

中津川は、自然放射線量が多く(そして恵那も含めて放射能泉が多い)、
その理由は、この花崗岩(苗木石)なのだ。

つまり、200nSv/h=0.2μSv/h程度は、こちらではまったくの平常値。
この地に喜んで通っている私にとっても平常値。

0.2μSv/hには平気で1μSv/hを越えるとびっくりする私からみて、那須山麓は…
その記事をご覧下さい。


かんぽの宿恵那

2011年07月10日 | 
大学院入試で休日出勤の10日、その慰労を兼ねた温泉旅を計画していた。
岐阜県中津川にある定宿のホテル花更紗が一泊しか取れなかったので、
中津川に隣接する恵那峡にある「かんぽの宿恵那」の洋室が取れた(ここも予約が取りにくい)

入試を終えた夕方、
入道雲が幾本も垂直に夏空に向かって伸びている中(上空に寒気が入り込んでいるんだろう)、
わがミニ・クーパーで購入以来始めての高速道路(中央高速)を走らせて、岐阜県恵那市に向かう。
90分ほどで宿に到着。

予約したツインの洋室は、うれしいことに和室的座卓のスペースもあり、
またなによりも一面の窓からの恵那峡の景色がすばらしい(写真)。
笠置山から、紅岩、そして恵那峡大橋、その奥には、中央アルプス、そして恵那山。
伸びやかな山々とゆったり拡がった木曽川の恵那峡がおりなすダイナミックな風景で、これを眺めるだけでも価値がある。
風呂は一応温泉。
浴槽が5つ、そのうち温泉は二つで他は、ハーブ湯など、温泉を無駄にしないスーパー銭湯的工夫がなされ、それはそれで楽しめる。

これまでは恵那の宿は、もっと安めだが居住性のよくない宿を使ったが、
満足感がなかった。

かんぽの宿って古びた建物が多いが、ここは10年前に見事にリニューアル。
それ以降、人気が高まり、なかなか予約をとれなかった。
ここなら、部屋の居住性がいいので、
連泊に使える。

盛夏と真冬以外は、リラックスチェアをベランダに出して、恵那峡を眺めながら、のんびりできそう。

久しぶりに、使える宿を見つけて満足。

七夕の過ごし方

2011年07月07日 | 歳時
七夕は新暦では、梅雨の真っ最中で、
星を見るどころではないのが残念。
本来なら、夏の夜、夕涼みを兼ねて、天の川とその両脇の星(ベガとアルタイル)を眺める日なのだが。

七夕は、「乞巧奠」ともいわれて、
女性が織女星に裁縫(女性の収入源)の技術向上を乞う祭りであった(”星に願いを”)。
いわば女性が主役の祭日である(五節句の1つであるから、「海の日」よりははるかに休日に値する)。

この日の願い事は、裁縫技能に限らなくてもいいが、たた1つだけに絞る。
そうすれば、3年以内にかなうという。

「五色の短冊」の五色は、もともと「天の川」のきらびやかな光を意味していたようだが、
裁縫の五色の糸の意味が付加し、
やがて、その糸を食べる意味で、素麺を食べるようになったらしい(この風習は日本のみ)。
瓜や西瓜を食べるのも伝統になかっている。

もちろん、雨の夜、私は素麺を食べた。

7月7日は素麺の日

2011年07月06日 | 歳時

7月7日の”七夕”の日は、素麺(冷や麦)を食べるのが伝統である。
残念ながら、明治政府の「五節句廃止」によって、この伝統が廃れてしまった。
東洋の伝統行事の七夕を盛り上げたい「七夕復活委員会」の私としては、
なんとか七夕を正しく楽しみたい。

それには、”食”が重要。
丁度この暑さ。
天ぷらなど具を豪勢に加えて、
(ホントは天の川の両端の星を眺めながら)、
素麺を食べる事で七夕の夜を味わおう。

ちなみに、冷や麦に入っている色のついた麺は、七夕用の五色の麺。


義援金の募金先に迷う

2011年07月03日 | 東日本大震災関連
ボーナスをもらった身なので、多少なりとも被災地に義援金を送りたいと思っているのだが、
募金先に迷っている。
3月にまっさきに募金した「日本赤十字社」には失望させられたので、ここは除外したい。
「日本ユニセフ協会」はもとより対象外(理由は知る人ぞ知る)。
とにかく公益法人は天下りのお役所仕事でダメ。

かといって、わけのわからん民間団体も「詐欺」と区別しにくいのでパス。
むしろ、各県の受付窓口に直接送った方がまだ”まし”なのだろうか。
「まし」というのは、もちろん、配布を少しでも”早く”配布してくれるかということ。

いくら我慢強い東北人だからといって、もう限界に達している。
自殺者まででているのだ。
税金なら公平に使ってほしいが、義援金はすぐに渡してほしい。