日本を含む近代以前の社会では、「平均寿命がおよそ50歳だった」という言説は、医学的な研究(現代での未開社会での平均寿命データ)などから、妥当といえる。
ところがこの言説に対して基本的な誤解をしている人がいることを、ネットの書き込みでわかった。
実は、基本的な誤解はこの問題以外にも、例えばエアコンの温度設定をすると、その設定した温度の風が吹き出し口から出る、という基本的な誤解をしている人もいる。
では「昔の人の平均寿命がおよそ50歳だった」(正しい命題)に対する基本的な誤解とは何か。
それは昔の人は50歳前後になるとバタバタ死んで、それを越える年齢の人は激減する、という誤解。
簡単にいうと「ほとんどの人は平均年齢を越えては生きられない」という統計学的に誤った理解だ。
この誤解の元になっているのは、人々の寿命分布(もちろん個人差があるので幅がある)は明確な正規分布(左右対称の釣鐘状の分布形)をして、平均値=最頻値(最も度数が多い)である、という統計分布に対する勘違い。
これが勘違いであることは医学的に明確で、昔(医療水準の低い自然状態)は乳児死亡率がとても高かったことが判明しており、生まれてすぐの死者数が高い分布となっているため、正規分布にならないのだ。
そもそも平均値は正規分布を前提としない。
例えば30歳の死亡率がとても高い集団の平均寿命が50歳だとする。
するとこの集団の寿命分布はどうなるかというと、(単純化すると)70歳にとても高い死亡率が必要になる。
ということから、乳児(1歳未満)死亡率がとても高い集団での平均寿命が50歳ということは、極端にいうと100歳で死ぬ(それまで生きる)人がかなりいてもおかしくないことがわかる。
より正しくは、乳児の死亡率が高い平均寿命50歳の集団での50歳以上の死亡率の分布は、高い乳児死亡率とバランスをとる状態(50歳から離れるほど有効)でなくてはならないということ※。
※:更には幼児の麻疹、若者の労咳(肺結核)、若い女性の出産による死亡率も高かったので、平均寿命が50歳に達するにはそれだけ多くの老人が必要となる。
これが平均値に対する正しい理解だ。
ただ「昔の人は50歳で死ぬ」という誤解は、統計学の無理解だけでなく、「50歳」という単語の一人歩き(絶対化)によるものともいえる。
エアコンのリモコンでの設定温度の絶対化も同じ。
なぜそうなったか。
織田信長のせいだ。
彼が悪いのではない。
彼の言説を誤解した後世の人による。
信長は、絶対不利と思える桶狭間の合戦に赴く時、清洲城で『敦盛』の一節を舞った。
「人間五十年。下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」というあの一節。
この「人間五十年」こそが、その後の「人は50歳で死ぬ」という命題の典拠になったともいえる。
実際、信長がその後の本能寺の変で死んだ時は49歳だったので、
まさに信長本人がこの命題を立証した感じだ。
ところが信長自身は「人は50歳で死ぬ」などとは断じて謡っていない。
当時の日本語での「人間」は「にんげん」ではなく「じんかん」と発音する。
なので正しい時代考証のドラマなら、信長に「じんかん五十年」と謳わせるはず。
今でこそ、「人間」は「人」(個体)と同一の意味となっているが、当時は「人」ではなく、文字通り「人の間」すなわち”世間”を意味していた。
なので「人間五十年。下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」という一節の意味は、「人の世の50年は、(人にとって長いが)、天地ではあっという間の短さだ」という時間軸の相対的比較であって、人間スケールの50年は、地球スケールでは瞬間的出来事だ、という現代にも通じる普遍的真理を言っているのだ。
ということで、平均値についての統計的分布の勘違いと、信長の謡(うたい)の意味の誤解が合わさった二重の誤解によって、「昔の人は50歳で死んだ」という思い込みが形成されといえる。