今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

二番目の買物

2010年02月27日 | 生活
人生で一番大きな買物は家を買うことだという。
なら、二番目に大きな買物は、土地を買うこと。
その二番目の買物をしてしまった。

東京の実家の隣が空いたので、私が買ったのだ。
もとはといえば母方の親の土地だったが、
わけあって手放した土地なので、孫が買い戻した形。
契約を終えて、仏壇の祖父にその旨報告した。

このあたりはブランド的一等地ではないが、
山手線の内側で、大手町まで15分、銀座・池袋・新宿・渋谷いずれも30分以内。
それでいて商店街も複数あり毎日の買物は便利で、夜はいたって静か。
近くの高台に上がれば、夏は隅田川の花火、冬は雪の富士が見える。
なので、都市生活を営むにはいい所。

猫の額ほどの狭い土地だが、実家と地続きなので、いつかはつなげて建てたい。
つまり一番大きな買物が後に控えている。

土地だけなのにローン生活はいやだから、現金一括払い(今日は手付金だけ)。
あちこちの普通預金をかき集めるので、
遊ばせていた資金がなくなる。
これからは給料日が待ち遠しい生活になる。

『放射線と健康』舘野之男

2010年02月24日 | 作品・作家評

「放射線は危険」という定性的命題は非科学的だ。
でも私自身、この命題に束縛されている。
たとえば、胸部X線ならまだしも、
バリウムを飲む胃検診では、体のあちこちの角度からバシバシとX線撮影をされるので、
前の晩からの絶食・絶飲がつらいこともあって、
毎年の健康診断での胃検診だけは隔年にしている。
かりに一回の被曝量はたいしたことなくても、
毎年続けているとその累積量はどうなるのだろうと心配になるからだ。

ところが、その私もラドン・ラジウム温泉にはよろこんで入る。
放射線が絶対的に危険ならば、あちこちのラドン・ラジウム温泉は危険ではないか。
でも、がんを引き起すといういわれる放射線は、がん治療にも使われている。
いったい放射線はどこまで、いやどこから危険なのか。

そこで、ホルミシス効果(低線量放射線の健康増進効果)を謳う本からはじめて、
放射線に関する本をいくつか読んだが、
ラドン・ラジウム温泉を礼賛しているだけの本は、どうも宣伝めいてあやしげ。
かといって、放射能アレルギーを引きずっている本も時代遅れの感。

大切なのは、危険か危険でないかという定性的議論ではなく、
どの程度の被曝でどの程度の変化が起きるかという定量的データにもとづいた議論。
これをきちんとやっているのが舘野之男氏(放射線医学の専門家)の
『放射線と健康』(岩波書店)。
岩波新書の一冊だが、放射線の物理学的基礎からはじまって、
かなり充実した議論をしているので、読みごたえ充分
(岩波新書の中でもレベルが高い部類に入る)。
また、放射線の話で出てくるさまざまな単位も整理できる。

通読すると、放射線研究の流れがわかり、
無知なるゆえの初期の被曝事故に対する過敏な反省的態度の時期を経て、
現在は、放射線の影響がどこまで及ぶかのデータの蓄積による、
冷静な態度が熟成されつつあるようだ。

その流れの中でホルミシス効果の問題も議論されている。
歴史文化的には、人類は放射線の危険性よりも
健康増進効果の方を先に発見したことがわかる。
ただこの問題について、氏はデータを提供しているが、決して安易な結論はしない。
この態度が科学的だ。

また、X線検診の危険性については、
受診するリスクと受診しないリスクとの比較、というシンプルな論理。
単純にいうと、検診で浴びる放射線の蓄積が発がんを直接ひきおこすにしても、
それが長い年を経て累積するリスクよりも、
加齢によってがんが発生し、検診を拒否してそれを見逃すリスクの方が、
年を重ねるごとにずっと大きくなるという(もちろん本書ではそれを数値化している)。

そもそも、地上には地球開闢以来、宇宙放射線がふりそそぎ、
地面からはラドンなどの放射線が滲み出ている
(私も名古屋宅でラドン濃度を測定し続けている)。
しかも人体の内側からも筋肉中のカリウムによって放射線が出ている。
高地の花崗岩帯に住む筋肉量の多い人は、
実はそうでない人の数倍の放射線を浴びて生活しているのだ。
(そのような人の健康調査のデータも紹介されている)。

放射線の誤解で一番の問題は、妊娠が気づかなかったX線検査だという。
放射線のしきい値と遺伝的問題の低さに無知な場合、
まったく健康な胎児なのに中絶されてしまうという。

私自身、ガイガーカウンターを購入してから、放射線を量的に見れるようになった。
この本は、私のような、X線検診とラドン温泉に関心のある一般人にお勧め。


行田・日帰り旅

2010年02月23日 | 東京周辺
関東の日帰り旅として、昨年は千葉県を重点的に巡ったので、今年は埼玉県。
関東の戦国時代に関心があるので、秀吉の北条攻めでも最後まで落城しなかった
有名な忍(おし)城(写真)に行きたい。
忍城のある行田市には、”埼玉”の地名の元となった所(行田市埼玉)に”さきたま”古墳群という、
関東でも有数の古墳群がある。

ただ城との間に距離があるし、古墳から駅までも遠い。
バスの便はあるらしいが、地方の公共交通機関って便数が不安。

行田市の観光サイトを見たら、無料のレンタサイクルのサービスがあるという。
しかもJRの行田駅前の観光案内所でも借りれるという。
これに決めた。
せっかくなので、観光サイトで知った行田の名物?「フライ」を食べたい。
というわけで、3月並に暖かくなるという今日を待って、行田に向かった。

さっそく行田駅前の観光案内所で自転車を借りた。
前にカゴがついているので荷物が入るのがいい。
ただ変速ギアなしでずいぶんとペダルが重い。
でも城まで4km強の道も、
歩きやいつ来るかわからないバスに較べればスイスイ。

まずは案内所でもらったグルメマップを参考に、「フライ」の店に入る。
「フライ」といっても揚物ではなく、早い話が具の少ないお好み焼き。
今では、卵や焼そばを入れるのが普通らしいが、
私はあえてシンプルな古典的フライにした。
感想は「具がほとんどない薄いお好み焼き」そのまま。
ついでに「ゼリーフライ」というおカラとじゃがいもの粉を揚げた
(要するに具のないコロッケ)も買う。
本丸跡にある歴史博物館を見て、復元された櫓(写真)に登って、
目の前の東照宮・諏訪神社に参拝して、さきたま古墳群へ向かう。

ここは古墳群を含めた公園風になっていて、
その広場に自転車を止めて、「ゼリーフライ」を食す。
離れた古墳の間も自転車ですいすいと全部まわり、
ここの古墳から出土した国宝の鉄剣などがある「史跡の博物館」も見て、
土産物屋で土産用のゼリーフライと、はにわのレプリカ(佐倉の民博の売店よりも種類が多い)を買う。
そして自転車で行田駅に戻った。

レンタサイクルのおかげで時間的・距離的にちょうどいい日帰り旅ができた
(多少の運動にもなったし)。
点在する名所めぐりにおける、
自転車の身軽さ・自由さを改めて感じた。
このサービスはありがたい。
他の自治体も見習って欲しい。

秋川高校のワンゲル同窓会

2010年02月21日 | メモリアル

我が母校・都立秋川高校は、10年程前に廃校となり、
昨年、敷地も整備対象となって、物理的にも存在しなくなった。
でもそれが却って、母校への思慕を増大させ、
同窓会・同期会が活発になった。
昨年末に盛大な同期会が開かれ、私のような地方の人間も東京に集り、旧交を暖めた。

そして今回は、所属していたワンダーフォーゲル部の同窓会。
すなわち、横(同期)ではなく、縦(同好)の集り。
後輩が開いている飲み屋を自ら解放して開催。
クラブでは、直接顔を知っているのは、同期±2期。
だが、直接の顔見知りの連鎖で、20歳も年下までが集った(写真)。
残念ながら、我等が最年長だったが。

私を含めた多くのメンバーは山をリタイアしているが、中には今でも山に入り続け
ボーター(荷揚げ)で生活している者もいる。

次回は、慣れ親しんだ奥多摩の山行を計画。
ワンゲルの同窓会にふさわしい。


伊豆長岡:弘法の湯

2010年02月19日 | 計測
今年度の仕事が終わっての”大締めの慰労”として(後期の”締めの慰労”は先月)、
ここ数年は伊豆長岡温泉にある弘法の湯・長岡店に通っている(東京の実家から出発)。

毎月の温泉旅は2泊を基本にしているが、ここは内容が濃いこともあり1泊にしている。
「内容が濃い」とは、この宿は長岡温泉自体の「アルカリ単純泉」では満足せず、
ラジウム温泉としての湯治効果を発揮するために、ラドン浴の発祥地オーストリアの
バードガスタイン鉱石をふんだんに使った浴室・岩盤浴・ミストサウナ・
ストーンセラピールーム(写真:実際は照明を落としてある)、
それに無料のマッサージ機5台が揃っているから。

まずは岩盤浴で体を暖めながら汗をたっぷり流し、
次いで源泉かけ流しの風呂に入り、
マッサージ機に30分坐って首筋から足までのコリを充分にほぐし、
湯上がりのリラックスにストーンセラピールームで心地よく居眠りする、
この1クルーで2時間以上を要する。
この1クルーだけで充分にリラックス・リフレッシュした気になるので、
1泊で満足してしまう(湯治宿なので、料金設定など滞在向き)。

さて、今回は、今年度に研究費で購入したアメリカ製のガイガーカウンター持参で、
バードガスタイン鉱石とやらを測りまくるのが楽しみ。

まず基準値として、長岡温泉の通りでスイッチを入れる。
計器はμSv(マイクロシーベルト)の小数点以下3桁まで値を表示する。
0.100μSv(以下単位略)を越え、名古屋や東京の住宅地(日本の室内平均)よりは多い。
客室内は0.140-.220とやや高まり、名古屋宅の2-3倍ほどになる。
さて岩盤浴のきれいに磨かれたバードガスタイン鉱石(以下、鉱石)にかざすと、
0.360-0.400に上昇。
浴室に行き、室内に据えてある鉱石の原石にかざすと0.400台に達するが、
浴槽の水面上(すなわち空気中)では0.160程度。
湯の中にもその鉱石があるのだが、空気中にはさほどラドンガスは出ていないようだ。
マッサージ機のある部屋にも壁面にそって鉱石が並んでいる。
それらにかざすとやはり0.400台に達するが、
マッサージ機の上(すなわち室内の空気中)では多くて0.200程度。

最後は大きな鉱石がデンと置かれているストーンセラピールーム。
中央に置かれた鉱石群(写真)と玉川温泉の北投石にかざすと、やはり0.400。
リラックスするためのソファの上(すなわち室内の空気中)だとこれまた多くて0.200。

この部屋には平らになった鉱石を床(とこ)代わりにして寝る場所がある。
つまり原石の上に直に寝るのだ。
平らな岩は5つ並べられており、誰もいなかったので、個別に計測した。
いずれも0.400-0.500台に達するが、一番大きくて寝やすい岩は0.700の最高値を示した。
当然、その岩の上で寝た(眠った)。

このように、バードガスタイン鉱石といっても、それほどすごい量の放射線を空気中に出しているわけではなかった。
1月に行った岐阜県・中津川の鉱物博物館前の苗木石の数値には及ばなかったし、
0.700という数値も中津川のホテルの浴室の岩と同じ値。

ただしガイガーカウンターの計測対象はα~γ線であり、ラドン(α線)に限定したものではない
(といっても天然石から出る放射線はほとんどラドン)。

ラドン濃度の測定器も持っているが、こちらは3日間滞在しないと値(単位ベクレル)がでないので、
自宅に置いて地震予知用に使っている。

私のバンクーバー

2010年02月12日 | 
バンクーバー・オリンピックが開催される。
バンクーバーといえば、私にとってはじめての海外旅行先。

大学時代は登山ばかりやって、いわゆる旅行には興味がなかったこともあり、
私の海外デビューは大学院時代と奥手だった。
でも、その最初の海外旅行というのが、予算をもらってのカナダでの共同研究だったので、
旅費はタダ。

ところが、共同研究者は現地に別ルートで行くというので、
海外が初めての私はたった一人でカナダに渡航するはめとなった。
初めての国際線で太平洋を越え、最初に降り立った地がバンクーバー。

入国手続きの担当官は丁寧な日本語で応答してくれたので、
海外での最初の英会話は、空港からホテルへの電話。
ホテルまでタクシーで行こうと、手を挙げたら、
運転手はターバンを巻いたインド系。
その後、モントリオールへ飛行機で行き、かの地で研究仲間と会った。

再び一人になってバンクーバーへ戻った頃にはすっかり旅慣れて、
一人で出かけて、船に乗ったり、山の公園にハイキングに行ったり、
若者が集る夜の街へ出かけたりした。
モントリオールと較べても街が小奇麗で、周囲の自然も豊かで住みやすそうな印象だった。

これで度胸がついたので、その後は、ウィーン、ザルツブルグ、フィレンツェ、そしてバリ島も、
国内旅行と同じく地図を片手に一人で歩き回るようになった。

私は風邪ひかない

2010年02月11日 | 健康
以前は、毎冬に一回は、熱出して寝込むほどの風邪をひいていた。
ところが、ここ数年は、それこそ尿路結石や帯状疱疹の痛みには見舞われたが、
風邪とはとんと無縁になった。
今冬も、通常の風邪は無論のこと、インフルエンザ(新型・旧型)も、
まったく無防備ながら、すべてはね返している(職場では流行していたのに)。

べつだん、これといって抵抗体力を増強した覚えはない。
(精神的ストレスがなくなったのは確かだが、仕事のストレスは毎年2月上旬がピーク)。

考えられるのは、次の2点
まず、就寝前にエアコンのタイマーをセットして、
気温が最低になる明け方から暖房を入れるようになったこと。
私が重い風邪をひく一番のパターンは、朝目が覚めたら風邪をひいていた時だった。
エアコンのタイマーで、このパターンがなくなった。

それと、風邪のひきはじめの徴候が出たら、すばやく”葛根湯”を飲むことにした点。
実は、昨日も、午後になって(寒くはなかったのに)、
体の節々がいやな敏感性を呈しはじめていた。
なので、薬局で葛根湯を買い求め、家に帰って、風呂で体を充分暖めて、
葛根湯を飲んだ(服用は食前がいいらしい)。
すると、この一服でいやな状態は消えた。

かつて、風邪をこじらせて肺炎になって40度の熱をだしたことが2度ある。
風邪はひかないにかぎる。

イタリアの甥

2010年02月08日 | 身内
私の甥っ子といえば、6歳の柊(しゅう)ちゃんばかりが登場しているが、
実は、もう一人、17歳になる大右(だいすけ)という立派な男の子がいるのだ。
ではなぜ我がブログに登場しなかったかというと、近所住まいで頻繁に行き来する柊ちゃんと違い、
大右はイタリアのローマ郊外に住んでいるから。
大右の母たる私の姉がそこに住んでいて、イタリア人との間にできた子が大右。
血的に半分イタリア人で、生活的にすべてイタリア人なので、イタリア名は「ダニエレ」

姉はあちらのマンガ学校の仕事で、年一回仕事で日本にくる。
今回は、大右を同行させたわけ(本人にとっては4度目)。
滞在期間は二週間。

残念なことに私の勤務先が丁度一年に一番忙しい時期なので、
真中の週末しか帰京できない。

ただその真中の日曜、すなわち2月7日は、大右(以下、ダイちゃん)の17歳の誕生日なのだ。
つまり、日本の親族に囲まれて初の誕生会。
ダイちゃんは日本での誕生会をどうすごしたいかというと、
大好物の餃子をふんだんに食べたいという。

おっと、餃子なら私も柊ちゃんも、その他の家族もみな大好き。
なので、弟夫婦が手作りで生餃子を作った。
その数、240個!
最後の方では手動かなくなったとか。
私もアメ横「昇竜」のジャンボ餃子を8個提供した。
この餃子数はもちろんわが家で最高記録。

義妹がフライパン2個を駆使して、餃子を焼き、
前代未聞の大餃子誕生パーティが始まった(写真)。
最初にダウンしたのは6歳の柊ちゃん。
意外にダイちゃんも餃子の大皿の前で満腹宣言。
結局、大皿一枚分の餃子は焼かずに残った。

その後は、スカイプのテレビ電話でイタリアの家族(一人残っている父親とその両親)とネット生中継状態にして、
日伊合同で”ハピ・バースデーの歌”のイタリア語版”タンテ・アグーリ”を歌った。

太宰府天満宮に物申す

2010年02月05日 | お仕事
大学入試まっさかりで、今日も試験監督。
解答形式はマークシートなので、受験生はHBの鉛筆を複数持参。
その鉛筆の中には、ゲンをかついだようなものもある。
一般的な「合格祈願」ならいい。

問題なのは、太宰府天満宮の鉛筆。
そこには、和歌が書いてあって、「東風」に「こち」と
よみがながふってある。

この鉛筆、昨年のセンター入試の時、
わが大学で問題になって、使用不可にした
(つまり受験生から取り上げ、代わりの鉛筆を使わせ、試験終了後に返却)。

だって、古文の試験でヒントになってしまう可能性があるでしょ。
受験の神様は、入試問題のことも考えてほしいな。
それから「菅原道真」も日本史的にダメだからね。