今年の「紅白歌合戦」ほど楽しみにしたことが、かつてあったろうか。
もちろん、「あまちゃん」が出るから。
私のテレビのハードディスクを占領していた唯一の番組。
その「あまちゃん」コーナーが始まるのに合わせて録画ボタンを押した。
GMTとアメ女の「ディセンバー」、アキとユイ、春子、そして鈴鹿ひろ美の「潮騒のメモリー」と、期待していた通りの豪華さを堪能した。
鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の歌の時は思わず正座し、目頭が熱くなった。
俺ってほんとに「あまちゃん」が好きなんだなと実感した。
あまちゃんの部分が終わると、録画を解除し、
まだやる事があるのでテレビのスイッチを消した。
私にとって今年の紅白は、「あまちゃん」特別コンサートだったのだ。
これだけで充分満足。
29日に散髪とお節(せち)の材料購入もすませたので、
30日は最後の最後の気分転換にと、簡単な山歩きに出かけた。
どうせなら、登り残した山にしようと、行き先は埼玉県小川町の「官ノ倉山」(344m)。
この標高なので、たいした装備もいらず気楽に行ける。
標高のわりに眺めがいいらしい。
コンビニで朝+昼食を買って、9時前の小川町行き東武東上線に乗り、
空いている車内でまず朝食。
小川町で寄居行きに乗り換え、東武竹沢で下車。
あとは最後まで「外秩父七峰縦走ハイキングコース」の案内標識を頼りに進めばいい。
かつて外秩父六峰縦走をした折、ぽつんと離れた官ノ倉山」だけ登り残していたのだ。
年末の忙しい時期だけに、ハイキングで歩いているのは私一人。
山頂まで誰とも会わなかった。
山頂では、日光連山から赤城、谷川連峰などの北関東の名峰が一望(写真)。
こういう広い眺めは外秩父ならではで、奥多摩なんかでは得られない。
とりわけ谷川岳や仙ノ倉山の純白の山肌がまぶしい(写真は谷川岳)。
目を転じれば関東平野に孤然と浮かぶ筑波山や、東京の高層ビル群、
その中でひときわ細く高いスカイツリー(官ノ倉山より300m高い)も見える。
さっそくテレコンバージョンレンズを装着して谷川岳や男体山をズームで撮る。
昼食をとり、大展望に未練を残し、山頂を後にする。
下って登り返すと、官ノ倉山と双耳峰を構成する石尊山(340m)。
ここも負けず劣らず眺めがいいので、未練を残す必要はなかった。
すこし東に歩いただけなので、遠景はほぼ同じ眺め。
唯一異なるのは、雪を頂いた浅間山(2568m)が手前の山陰から半身だけ見えた点
(ここから見える最高峰)。
官ノ倉山の山頂も目の前に見える。
鎖のある露岩の急斜面をくだって林道に出たら、あとは小川町までのんびり田園散策。
途中、白菜畑を見たら、並んだ白菜がちょうど「エイリアン」の繭のように見えた(写真)。
小川町は馬頭観音の板碑が目につく。
駅前のスーパーで地酒「おがわの自然酒」(晴雲酒造)を買い、今晩賞味するとしよう。
結局、山で会ったのは山頂で遭遇した3グループだけ(うち単独行1名)。
暇人って意外に少ないんだな。
いよいよ、正月を迎える準備以外にすることがない、年末モードに突入。
残す予定は、散髪と正月食品の私なりの買い物だけとなった。
なので、朝から暇にまかせて、今年一年を振り返る。
世間的な出来事はマスコミにまかせるので、このブログ上での極く私的な振り返り。
まずいきなりのヤマ場、今年の重大ニュースのベスト3をあげる。
第3位: 実家で40℃を記録
8月11日、わが「ひぐらし気象台」(東京都荒川区)が開設以来最高気温の 40.2℃を記録した。→当日記事
私自身40℃の気温を体験したのは初めて。
今年の夏は、四万十市が41℃を記録したように、ホントに暑かった。
今後、夏は40℃を越えるのが普通になったらいやだ。
第2位:白内障手術(右目)
8月4日、白内障手術の世界的権威・赤星先生の執刀による手術を受けた。
記憶にあるうちでは最初の手術体験。
手術の最中の視界の変化も貴重な体験だった→当日の実況記事。
術後の経過は順調で、クリアになった視界に満足している。
そして第1位は、
実家の土地を売り、新居の土地を買う。
弟一家の申し出により、候補地を探しまわり、9月にほぼ決定。
その後は手続きに費やす。そして最終の土地購入が12月24日に終了。
一生に一度の大きな金が、右から左へだが動いた。
一緒に暮す母や弟も共同購入者。
長年住み慣れた地から出るが、新居の地もまた長年住んでいた地域なので、違和感はない。
さて、このあとは部門別にピックアップしてみる。
病気
2月:ヒートテック皮膚炎
背中が赤く腫れてかゆいので皮膚科にいったら、こう診断された。
肌着はやはり綿がいいそうだ。
8月:白内障
2月頃から右目の視野が霞んでいた。
ただ術後の行動が制限されるので、手術は長期休暇となる8月まで待った。
その間、霞みだけでなく、2重に見えるようにもなった。
それが手術できれいさっぱりなくなったのには感激した。
12月:結膜結石
これは記事にしていないが、12月になって手術した右目にゴミが入ったような違和感(軽い痛み)が続いていた。
切開した角膜に傷がついたかと危ぶんだが、眼科で上のように診断され、石はその場で除去。
尿管結石にもなったことがある私、体に石ができやすい体質なのかな。
購入
1月:クラリネット
ネットで安物セットを購入。実家に帰った時だけ、気分転換に練習しているので、ちっとも上達しない。童謡が吹ける程度。
2月:Lumix FZ200
ハイエンドデジカメの人気機種。ズーム幅が大きい割りにレンズが明るく、”撮る楽しみ”を開花させてくれた。5月にそれまで使っていたNikonのハイエンドデジカメを紛失したが、このカメラがあったおかげで損失感がない。コンバージョンレズとクローズアップレンズも購入して撮影の幅が拡がった。
4月:iPadmini
iPadは大きすぎ、重すぎるので携帯に向かないと思っていたので、研究費で購入。
もうこれ1台で授業のプレゼンも読書もスケジュール管理もポッドキャストもすべてOK。
iPad2もiPodtouchも共に使わなくなった。
計測器
計測マンの装備充実化はいっそう進んだ。
まず環境計測機器として、レーザー放射温度計、金属探知器、電気伝導度計を購入。
レーザー放射温度計は、上空の雲底温度も測れるすぐれもの。
金属探知器は、室内の磁気異常が壁内の鉄骨・配線の影響かを判断するため。
電気伝導度は、温泉の総合的濃度を測る。水で薄めた度合いがわかる。
またiPadでの簡易脳波計(BrainWave)も購入し、生体計測の充実化にも力を入れる。
12月に、ベクレルも測定できるウクライナ製の放射線測定器を買った。
資格
6月に「温泉ソムリエ」を取得。
半日の講習を受けるだけで得られるのだが、とても役に立っている。
このブログでも取得後の温泉の記述が分析的になった。
講演
8月に多治見市(岐阜県)で「恐怖」について講演をした。
残念ながら、暑さ日本一の座を失った月に…。
暑気払いと恐怖との関連に注目した結果、演者に私が選ばれた。
この講演の準備で、私も恐怖についての視点が深まり、論文にした。
例年通り
論文2本、一本は上の恐怖についての考察、他は小笠原流礼書の翻刻(共同研究)。
毎月の温泉旅も手術直後の8月を除いて、実行。
逆に、ここ数年、温泉旅にいかなかった月は今年の8月だけ。
人
イタリアの姉一家で変化があった。
9月、姉の息子(甥)のダニエレが大学入学。犯罪社会学をやりたいそうだ。
11月、姉の夫(義兄)の母が亡くなった。われわれも「ママ」と呼んでいた人。
山
今年から山を再開するつもりだったが、行ったのは低山ばかりだった。
2月:伊豆・大室山(580m):一碧湖近くのバリ風宿の泊りついで。リフトで登る。
3月:高尾山(599m):昼食を持たず、山頂で「とろろそば」を食べる(登山とは言えない行為)。
4月:岩殿山(634m):稚児落としの絶壁は壮観。恐怖の考察にも役立った。
4月:伊豆が岳(851m):13km走破。
7月:高尾山(599m):甥っ子の柊聖(9歳)を連れて。下りはリフト。
9月:相州・大山(1252m):男坂の石段の下りに関節症の膝が泣く。
9月:鹿沢・村上山(1746m):鹿沢温泉泊のついで。山頂の大展望を堪能。
以上、それなりに重要な出来事もあった、意味のある一年だった。
来年は、完成した新居に引っ越すのが、まずは一大事。
もちろん、資金のやりくりもしなくてはならない。
自分の老後も見据えた、大きな出来事が待っている。
(自室の大掃除も賀状投函も済ませた)、
晴れて、年末慰労の宿”その2”に向った。
毎月1回の温泉旅をノルマにしている私だが、
その多くは研究のための専門書読破や論文執筆のための”お篭り”を兼ねている。
なので、夕食の酒も控え目にして、残りの時間は室内でひたすら”仕事”三昧なのだ。
そもそも、われわれ大学人が一般より過分に与えられている”夏休み”は、論文執筆の、
”春休み”は新年度の授業準備の期間だ。
それに対し、”冬休み”は、論文原稿を出し終えたばかりで(校正作業は先日終えた)、
今期の授業を年明けに少々残すだけなので、一年で一番解放された状態。
年末特有の私的用事を済ませれば、あとは完全フリータイム!
なので仕事からの解放感を一年で最も味わえるのが、今回なのだ。
といっても、実家は正月準備なので、一人遊び呆けるわけにはいかず、1泊しかできないが…
今年最後に選んだ宿は、東京に帰省していることもあり、かんぽの宿「栃木・喜連川温泉」。
今月の宿は、東海と関東のかんぽの宿に1泊づつ分けたのだ。
栃木には名湯が数々あるが、日光湯元、鬼怒川、塩原、那須といずれも北西の山の中。
それに対し、ここ喜連川温泉は、めずらしく平野にある。
平野にあるだけに観光地ではなく、周囲には何もないが、「日本三大美肌の湯」の1つらしい
(他の2つは、島根の斐之上温泉と佐賀の嬉野温泉だそうな)。
慰労の宿とて、”計測マン”としては仕事を休まない。
まずは、宿の前で放射線を測定。
空気中のγ線は、0.15μSv/h。
東京の自宅内で0.12だったから、平常値といっていい
(そもそも矢板から南は高くない)。
Bqで測ると、8.4/g。
さて喜連川温泉そのものに移ろう。
まずは浴室に掲示されている「温泉分析書」(平成20年)を解読する。
湧出地は、ここから1キロほど離れた崖下(少々距離がある)。
湧出量は毎分320ℓ、泉温は47.1℃。
これだけで”豊富な温泉”といえる。
pHは8.0,電気伝導度は8250μS(25℃)。
弱アルカリ性で、トータルの成分は濃さそう。
さて、泉質だが、
残留物は4776mg(1000mg以上あれば”温泉”としての効能が期待できる)
と温泉成分は濃い方で、
「療養泉」の基準を軽くクリア。
陽イオンではナトリウムイオン、陰イオンでは塩素イオンが断トツ。
なので泉質名は「ナトリウム-塩化物温泉」。
名称的には平凡だが、濃いだけに肌の保湿効能は期待できる。
メタケイ酸が129mgあるのも美肌にいい。
以上は源泉のデータ。
浴槽の湯口で採取した湯を私が分析する。
まず浴槽の湯は、加水はなく(夏に限ってするらしい)、加温・塩素循環してあるという
(すなわち鮮度は落ちるが、薄まってはいない)。
pHは同じく8.0なので弱アルカリ性。
石鹸でごしごし洗う必要はない。
表皮に効く泉質に弱アルカリ性が加わるので、「美肌の湯」となるわけだ。
残留塩素は0.2mg未満、Mアルカリ度は180mgで他の温泉と同じ。
ところが電気伝導度は6600μS(38.4℃)とかなり高い(ただし源泉での値よりは下っている)。
前回(その1の宿)の三ケ根温泉(愛知)の10倍の濃さだ。
わが定宿中津川温泉(岐阜)と比べても2倍濃い。
私的に温泉として合格◎。
電気伝導度を測ることで、実際の浴槽の湯の”濃さ”が分るようになった。
源泉が少量のため、浴槽は加水して真水のように薄い湯もあるが、私は見破る。
ここ喜連川温泉は、ロケーション的に風光明媚でもなく(写真のように日光連山の眺めはいい)、
観光資源に乏しい(散策路すら乏しい)のが残念だ。
(下流にかかる橋が「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」のロケ地になったという程度。でもロケ地探索なら烏山でしょ)。
平野だけに鉄道の駅からも近く、温泉自体を目的にすればいいんじゃなかろうか。
はっきり言ってクリスマスの主役は、その日が誕生日とされる方ではなく、
髭もじゃのサンタクロースになっている。
もちろん、子供を巻込んだ結果だ。
そして、今ではクリスマスはキリスト教徒の祭りではなく、宗教を越えた国際的な年中行事として認められている。
アメリカでは、脱宗教化としてクリスマスと正月を連続させて、ホリデー週間としている。
もとはといえば、12月25日は、古代ヨーロッパでは冬至後の”太陽復活”の祭であり、
一番生命力が弱まる冬至を乗り越えるために、
生命力のある常緑樹を飾って元気をつけるものであったという。
常緑樹とは針葉樹の樅の木と広葉樹の柊だ。
実は、その樅が松に代わるだけで(柊はそのまま)、
東アジアの立春を迎える年越しの祭りになる(昔は立春が元日だった)。
すなわち、西洋のクリスマスと東洋の正月は、本来、冬至と立春という時期こそ違え、
同じ主旨の祭りであった(クリスマスツリー=松飾り、クリスマスカード=年賀状、クリスマスプレゼント=お年玉)。
そして、東洋の正月が、太陽暦に変換されることで、
立春よりも冬至の方にぐっと近づいたので、時期的にも、連続するものとなった。
なので、アメリカのホリデー週間は、合理的だ(ただし北半球的ではある)。
というわけで、クリスマスも正月もともに祝えばいいのだ。
キリスト教徒はイエスの生誕を祝えばいいし、
その他の人は、冬至後の祭りとして祝えばいい。
ただわが家(私と母と弟一家)では、新居の土地を”購入”するもっとも重要な日。
私は授業がないので実家に帰省し(大学は授業日)、弟は会社を休んだ。
購入手続を取り仕切る司法書士2名の同席の場を、取引先の銀行内に設けてもらい、
仲介の不動産業者も同席して、売り主と買い主が対面して、いくつかの書類のあちこちに署名捺印をする。
そして、さいごに、購入資金の一部を銀行が用意し、
一旦われわれ買い主に渡され、一応金額を確認し、それをそのまま売り主に渡す。
百万円の束が10個くっついた1千万円の束というのを初めて見た(確かにこれ5つ分はビジネス鞄には入らない)。
売り主側は、ヴィトンのボストンバッグにそれらを入れる。
売り側も買い側も束はそのままで、束になりきらない端数だけを数えて、確認とする。
あと、仲介手数料をわれわれから不動産業者に手渡す。
以上の法的儀式が終わり、晴れて、われわれは新居の土地を手に入れた。
帰宅して、軽くワインで乾杯。
今後は、新居の建設を待つばかり。
極く私的な話題で失敬。
なので、旧来の作法、さらにはそもそも論的な”由来主義”はかえって時代感覚に合わず、違和感を与える。
作法の極意は、時代遅れの歴史的正しさより、現代に生きている人に”違和感”を与えないことを優先する。
たとえば、「Yシャツは下着だ」とか「ジーパンは作業着だ」という由来主義は、
「狩衣(かりぎぬ)は屋外の狩猟着だ」というのと同じことを言っているわけで、
ならばそういう人は会話も古語ばかりを使うのが筋ってもんだ。
小笠原流などの古典礼書を読んでいて、一番現代に応用できない分野が「書札礼(しょさつれい)」すなわち通信文の作法。
文字化された書札礼は、鎌倉時代の公家礼法の『弘安礼節』から始まる。
その作法が生れた理由は、公家間の微妙な位階差をわきまえた表現の使い分け。
武家も序列社会だから、上下間をわきまえた表現の使い分けを継承した。
明治になって、身分が解消方向に向い、戦後は華族制度も廃止され、平等化が進んだ。
作法とは、あくまで既存の価値観を具現するものであり、価値観の上位には立たない。
だから作法は、価値観が変われば、当然変わる。
なので古い価値観の時代に生れた由来主義は必然的に否定される。
明治になって、封建時代の身分差にもとづく微妙な使い分けは不要となったが、
通信文の敬称に「殿」と「様」が使い分けられた。
官から民への”お達し”に「殿」が使われたため、一般に「殿」は目下への敬称となった
(「殿」には本来そのような意味はないのだが、意味論より語用論が勝るわけ。ここでも由来主義は敗北)。
もともと、様の字は、室町時代になって、それまでの殿に代わって広まった、武家礼法の中では新参組。
現在は、役所でも「様」を使う。
「様」は日本の歴史における平等主義の実現を意味する
(欧米のMr,Mrsのように性別や婚姻の有無による不要な区別もない)。
なので、私は、一様に「様」を推薦する。
もっとも、身分差ではなく、恩師に対しては「先生」も可である。
私も学問上の恩師に対しては「先生」を使う。
ただ、私の教え子が私に「様」で出しきてても、なんとも思わない。
ちなみに、「様」の字を敬意の程度に応じて書き分けるトリビアな作法がある。
一部を紹介すると、「様」の字の右下部分の「水」を「永」にするのがより強い敬意表現となる。
私は、年賀状の宛名・敬称と相手の住所は手書きにしているので、使い分けることができる。
横になって体重がかかると、どの体勢でも痛いので、寝ていられなくなった。
昨晩も、それほどひどくはなかったが、同じ痛みで目が覚めた。
筋肉痛や肝臓を疑ったが、どうやら胃のようだ。
なにしろ、昨晩は夕食が全然消化されず、
苦しいほどの満腹感(量的にはそんなに食べていない)が食後から寝る時もずっと続いた。
なぜか、尿も赤味が強い(ちなみに大の方は正常)。
そして、今日はやたら眠い。
飲食物の原因もあろうが、一言で言えば「仕事疲れ」の気がする。
肉体的ではなく精神的疲れ。
でも、今日から解放される(実質的に冬休み)。
実家で養生しよう。
実家に帰り、入浴後しばらくして、唾液アミラーゼを測ったら84kIU/Lあった。
ふだんは多くても50いかないし、しかも入浴後のリラックスしてこの値だから、
やっぱストレス状態なようだ。
個人的には、他学部に比べて締切が早すぎると思うが、これは一人ではいかんともしがたい。
卒論に関しては提出〆の時間厳守。
受理する側は時計と睨めっこをする。
果たして、私のゼミ生が出し遅れてしまった。
私が最後まで面倒をみていたのだが、
提出物のファイル名と自分の学籍番号の入力ミスが発覚して(普通、自分の学籍番号を入れ間違えるか?)、
やり直しをしている間、締切時間を過ぎてしまった。
自分のミスなので、弁解の余地なし。
受理はするがペナルティが課せられる。
かくして、後味は悪いが、卒論指導を担当している私にとっても、今年度最大のヤマ場を越えた。
棲み家に戻って、一応祝杯。
イギリスの映画俳優、ビーター・オトゥールの訃報を知った。
いわずとしれた映画「アラビアのロレンス」の主役である。
この映画は、中学生の時、学校行事として同学年全員で観に行った。
今から思えば、中学生には、醜い政治取引や同性愛の話は早すぎたが、
私はこの映画のオープニング音楽(スクリーンが暗いうちに音楽が始まる)に打ちのめされ、
さらに、シネスコの大スクリーンに拡がる砂漠の美しさに感嘆の声を上げた。
それ以来、憑かれたようにレコード店で「アラビアのロレンス」の音楽を探し回った。
脇役もそうそうたるメンバー(オマー・シャリフ、アンソニー・クイン、アレック・ギネスなど)。
女性の役者が出ていない(映像には一部登場)、男だけの映画であるのも特徴。
それまで映画館で観る映画といえば、日本の怪獣ものなど年齢相応のものばかりだった。
本格的洋画との出会いがこの「アラビアのロレンス」で、その意味で私にとって忘れられない映画だ。
今年最後の名古屋の週末を慰労の温泉旅に充てた。
宿は近場で三河湾の夜景を望む「かんぽの宿三ケ根」。
本当はクリーンプラザ浜名湖でのタラバ食べ放題にしたかったのだが、
満室だったので、やや近場で「ズワイガニ食べ放題」プランのあるここにした。
こちらは一応温泉だし。
この宿は、山上の有料道路上にあり、一度目は車でいったが、
二度目も車で行く気がしないので、蒲郡から送迎を予約。
前回利用時は「幡豆小笠原氏史跡の旅兼三河地震断層跡の旅」だったこともあり、
温泉の分析をしなかったので、
まずは温泉の分析から。
掲示してある分析表は昨年のもので、それによると「三ケ根温泉」の源泉(受水槽)は水温15.5℃なので、冷泉だ(当然浴槽へは加温)。
溶存物質の総量は762.6mg(=1g未満)と薄いので物質名がつかない”単純泉”。
その中ではナトリウムイオンが93mval%、炭酸水素イオンが92mval%なので、
長湯すれば美肌効果が期待できるかも。
メタケイ酸が52.9mg、メタホウ酸が18.9mgあるので、
どちらにしろただの冷水ではなく”鉱泉”としては認められる。
以上をふまえた分析表の泉質は、「低張性弱アルカリ性冷鉱泉」。
以上は、源泉の話。
自分で浴槽の湯を計測してみると、pHは8.0なので確かに弱アルカリ性。
残留塩素は0mg,Mアルカリ度は180mg。
電気伝導度は660μS(34.2℃)で休暇村鹿沢温泉の半分。
小牧のコロナ温泉よりは高く、新湯の山温泉よりは低い。
一言でいえば、温泉としては”薄い”ので、湯治効果に過大な期待はしない方がいい
(ここの水道水は74μSなので,湯はこの水よりは濃い)。
実は、一昨年の訪問時にくらべて、28℃あった泉温が下がって「温泉」でなくなり、
炭酸水素塩泉であった泉質も薄くなって療養泉の基準に達せず、単純泉になったことがわかる。
三河地方では、温泉が涸れた例がある。
この先大丈夫だろうか。
いよいよ夕食はカニ食べ放題。
大皿にズワイガニの片脚が5組盛られており、この皿単位で交換される。
冷凍の解凍したやつ(やや水っぽい)をタレにつけて食べるだけなので、
肉を掘り出す作業を含めて至って単調。
さまざなな調理の”カニ尽くし”というわけでもなく、
また「浜名湖」のようにカニを含めた40品目の食べ放題でもなく、
ただ同じ解凍ズワイガニを次から次へとほじくって食べるだけなので正直飽きる。
満腹というより、作業と味に飽きたので二皿でギブアップ。
このプランはカニ以外には、刺身と天ぷらとご飯だけ。
しばらくカニはもう充分という気になったので、それなりに意味はあったのかな。
冷凍ズワイガニ食べ放題には二度と挑戦しないだろう。
蒲団とシーツ干しから初めて、居間の掃除にとりかかる。
その時、窓際に置いていたベンジャミンの葉がすべて枯れていたのに気づいた。
多くの葉はすでに下に落ちて、すなわちずっと瀕死の状態でいたのだが、
なんとか少しの枝だけで頑張っていたのに。
そういえばここ数日は鉢に挿した栄養剤が全然吸収されていなかった。
とうとう逝ってしまった。
このベンジャミンは名古屋宅に住んでほとんど同時に買い、ずっと窓際に鎮座していた。
ある冬、部屋側の葉がすべて落ち、半分が枯れてしまったが
窓側の半分はどんどん成長していった。
だが、ある夏休みの長期不在の間に、水を遣ることを忘れて、さらにその半分を枯らしてしまった。
でも、残りの1/4で結局、20年以上生きた。
その間、ずっとこの部屋で私と生活を共にしていた。
いや私以上にこの部屋にずっといた。
私が、ぎっくり腰になった時も、尿管結石の痛みで部屋でのたうち回っていた時も、
私を見守ってくれていた。
夏休みに帰省した時も、ベンジャミンに水を遣るために時たま戻ってきた。
1/4だけ生きていたので、捨てられなかった。
処分するために、枯れた枝を取り、干からびた幹を切ると、幹の内部は湿っていた。
根から幹まではまだ水を通していたのか。
でも枝には達していなかった。
花や動物なら、もとより20年も一緒にいられない。
樹木の寿命は人間並なんだ。
人生の伴侶なんだ。
それだけに、喪失感もある。
ベンジャミンのない鉢だけを残し、大掃除を続けた。
われわれ教員は4時間に及ぶ会議に耐えた。
長い会議も今日だけは苦にならない。
帰宅して、麻婆茄子をつまみにワインの栓を抜く。
祝杯として。
そして”茄子のグラタン”、”茄子とミートのペンネグラタン”とスーパーで買ってきた冷凍物で、
茄子尽くしを味わう。
舌で茄子を味わいながら、目の肴は
「賞与明細書」。
今日は、給与生活者ならではの至福の日なわけ。
そこらのコンパクトデジカメの1ランク上位のハイエンドデジカメなので
デジイチやミラーレスには及ばないが、値段の割りに性能と使いでがよく、
評判がいいし、もちろん気に入っている。
その可能性をさらに高めようと、テレコンバーターとクローズアップレンズ、そしてその両者を装着するるためのアダプタを購入した。
テレコンバーターで遠望の山を大きく撮りたいし、
クローズアップレンズで花などを拡大して撮りたい。
特に後者は、見慣れたものをミクロの視野で撮ることで、新鮮な視覚体験ができるのが楽しい。
試し撮りに訪れた近所の谷中霊園で、なんの変哲もないヤツデの実を撮ってみた(写真)。
肉眼では見落としていた、細かい造形が描写される。
この世界にハマりそう。
交換ストーカー事件、すなわち、互いに面識の無い者が、互いの恨みの相手にいやがらせをしていたという事件が、ワイドショーを賑わしている。
「復讐掲示板」という闇サイトが情報交換の中立ちをしているので、
ワイドショーのコメンテイターは、ネット社会もここまでいったかというあきれ顔。
でも、諸星大二郎のファンなら、彼の作品「復讐クラブ」そのままではないかと納得してしまう。
この作品が発表されたのは1979年だから、ネット社会とは無縁。
”復讐クラブ”はあちこちに支部のオフィスがある会員制のサービス企業。
サービスの内容は上と同じ。
会員は、自分の復讐依頼ができる代りに、見ず知らずの会員の復讐義務を背負う。
恨みの相手が増えたら復讐依頼人数を増やすことができるが、
その代り復讐義務も増えるという仕組み。
会員は、恨み・憎しみは溜めずに発散した方がいいと納得している。
作品では、警察沙汰にはならず、ブラックユーモア的なオチで締めくくられている。
読後感として、これってありうる、現実にあってもおかしくないと思った。
そう思う自分に、等しく人間の心の闇があるからだ。
だから、今度の事件に接しても驚かず、納得してしまった。
もちろん、事件の依頼者・実行者がいたって善良な市民であることにも。
作家の創造力が現実よりはるかに先行していたということだ。
「復讐クラブ」は『不安の立像』(集英社)に所収されている。