今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2011年、一番感じたことは

2011年12月31日 | 東日本大震災関連
大晦日、一年を振り返って感慨にふける事が許されるとすれば、
それは我がガイガーカウンター(以下、ガイガー)についてである。

今年、これほど頻繁に使うことになろうとは、しかもあんなに高い値を出すとは、予想だにしなかった。
我がガイガーがはじき出した最高値は、空気中で40μSv/h、地表で200μSv/h。
いずれも5月上旬の浪江町。

そもそも私が原発事故前からガイガーを所有して、当時なんでもない東京や名古屋の値を計測していたのは、
ラドン温泉が好きで、各地の温泉地の値を測り、その”効能”を確認したかったから。
そのため、温泉地でない東京などとの値の差を知っておく必要があった。

ラドン・ラジウムなどの”放射能泉”はそもそも危なくないのかが、まずは気になった。
なので低線量放射線の研究成果を勉強した。
また日常の計測により、われわれは自然放射線の中で生きていることを改めて実感した。
そのおかげで、幼少時にインプットされていた放射能恐怖症から脱することができた。
すべては、実際の放射線量を測定して、量的に評価することから始まる。

私が買ったガイガーはアメリカ製のInspector+という物で、
それは放射能事故に対応したものなので、かなり高い線量まで測れる。
説明書には、とんでもない事態になった場合のことも書いてあったが、他人事として目を通していた。

それが、東京の自宅で原発から飛んでくる放射線を恐怖心をもって計測する事態になろうとは…

実は、事故後の半月間(3月いっぱい)、私は祈る心境だった。祈るしかなかった。
神にではなく、事故現場で必死に作業している人たちに。
すべては彼らにかかっていた。
もう1度、水素爆発が起きたら、実家の家族5名を、狭い名古屋宅にでも避難させる必要があろうと思っていた。

今思えば、アメリカでは、放射能事故に備えたガイガーが普段から売られていたのだ。
これこそ、危機管理である。

それに対して、日本では原発を運用する当事者が、住民の説得のために作った”安全神話”に、自らがハマってしまった。
事故を想定することすら、タブーになっていたという。
このような組織に原発をまかすことは絶対にできない。

あと、人々の反応で感じたのは、行動経済学でおなじみの人間の認知的バイアス(偏り)について。
たとえば、「低確率の現象は過大評価され、高確率の現象は過小評価される」というバイアス。
これは、西日本の人が放射線の危険を過大評価する一方、福島の人は過小評価している現状(コメントの指摘があった)に当てはまる。
さらに、放射線は目に見えないだけに、恐怖が過大評価され、また逆に過小評価されるともいえる(つまり主観性に左右される)。
しかも、それぞれの評価にお墨付きを与える”専門家”まで揃っている。

ただ、現実的な”安全基準”も事態の深刻さに応じて、使い分けされているのも事実だ。
つまり、原発敷地内の作業員に対する安全基準と、汚染地域のそれと、その外側の非汚染地域のそれとでは異なる。
前者はそれを超えたら本当に危険というデッドラインに近く、後者になればなるほど、まちがっても健康に影響を与えないような厳しい基準となる。
実は、私も同じように、福島県内の人と隣接県の人と南関東の人とで、コメントを使い分けていた。
このため、多くの人にとって線量値が一義的評価に結びつかなかった。

一義的にするには、たとえば「発がんリスク」という確率値に変換するのが一番いいと思う。
放射線量という定量的現象に対しては、リスク確率という定量的評価をするのが一番”正しい”のだ。
ただその確率値(発がんリスク)をどう評価するかは、個人にまかせるしかない。

原発事故で、今一番腹立たしいのは、除染が進まないこと。
除染は原発の電源が回復した4月からとっとと開始すべきだった。
遅きに失してはいるが、来年は総力(予算、技術力、知恵)を挙げて、取組んでほしい。
予算が足りなければ、国民に募金すればいい。
もちろん、津波の復興も同じこと。
来年は、復興の年でありますように。

2011年を振り返る2

2011年12月30日 | 歳時

我が身を振り返ってみる。
まず、身体的には、大過なくすごせた。
夏に歯の治療をすべてこなしたのは安心材料。
11月末にぎっくり腰をやったが今では回復。
といっても慢性的な耳鳴り・難聴は持続中。

賀状を書いて痛感するのは、今年も新しい出会いがなかったこと。
仕事場と家との往復だけの生活で、それ以外の活動がないため。

11月の最終土曜に開催される高校の同期会が、新鮮な再会の場として一番の刺激。
失った人もいないのがせめてもの救い
(と書いたが、昨日、家族ぐるみでつきあっていた闘病中の女性が亡くなった…合掌)。

毎月の温泉旅はほぼ実施したが、名古屋からの近場ばかり。
夏にグリーンプラザ軽井沢へ実家の家族6人で行ったのが一番の思い出。
一番の遠出は、震災半年後に訪れた岩手県の陸前高田。
何も無い風景に呆然とした(上写真:クリックして拡大)。
被災地へは、思ったほど行けなかった。
それしにても我がガイガーカウンターをふんだんに使った年だ。

論文執筆はノルマとしている2本にはなんとか達した。
本来なら更なる+αが求められるのだが、主任業務などに忙殺されてノルマの達成すら危ぶまれた。
あと、私設”日進気象台”に天気用のライブカメラを設置・配信した。
だが、日進も星が丘も観測機器の調子が悪く、データの一部が正しく取れなくなっている。
来年度に買い替えを検討している。

新しい買物はした。
1月初っぱなは、中古のミニ・クーパー(2/3は事故の保険金でまかなう)。
それまで乗っていたミニ(メイフェア2)よりは新しいので、乗り心地はいい。
3/10に iPhoneを買いにiPodtouch+イー・モバイル契約をしてきたのは、iPadやノートパソコンもwifiで使いたいから。
毎月の温泉旅でも、宿で通常のネット環境が使えるのがいい。

年度が替ってから、研究費でiPad2とMacBookAirを買った。
iPad2はすべての画面をモニタ出力できるのがいい。
授業でフル活用している。
MacBookAirに替えて図書館や旅先への持ち運びが軽くなった。

また当然、7月前にデジタルテレビを買った(東芝のREGZA)。
だがBSも受信していないし、録画もほとんどしない。
録画して”保存”しているのは、女子WCサッカーの決勝戦のみ。

一昨日、東京の実家用に富士通のScan Snap(1500M)と裁断用のページカッターを買った。
実家にある書籍を電子化するため。
この電子書籍化に関しては稿を改めて記したい。

新しいデジカメとしてGPS内蔵のカシオのH20Gを買った。
撮影場所を記録保存するために。
これはいわば業務用で画質等は期待していない(事実その通り)。
個人用としては、愛着の持てるカメラを物色中。
富士フィルムのX100は手が届かないので、X10あたりかな。

結論として、平穏(平凡)な一年だった。


2011年を振り返る

2011年12月29日 | 時事

年末恒例、このブログでも今年を振り返ろう。
グルーポンのおせち騒ぎで始まった2011年。
1月は年末の事故で廃車になったローバー・ミニに代わって、別のミニを中古でゲット。
2月にはフェイスブックブームとニュージーランドの地震。
3月10日に、iPod touchとイー・モバイルのWiFiルータを買い、情報生活が一新したと喜んでいた。

そして3月11日。
買物からの帰宅時、山手線を降りた直後だった(乗っていたら帰宅困難者になっていた)。
震度5強を体験したのは生れて初めて。
自宅に戻ってテレビをつければ、仙台沖から津波が海上をばく進し、そして陸地を次々と襲う。

この日から私のブログも変質した。
身辺雑記にすぎなかった記事が、放射線情報の最前線の場に躍り出た感じ。
なにしろ日頃ガイガーカウンターで計測をしていた(汚染以前の平常値を知っている)数少ない人間だから。
公共機関はいまだ出足がおそく計測値を出していない。
それと”放射能”に関する知識の乏しさが人々の不安を高めていた。

これによってアクセス数が急増し、質問コメントが連日やってきた。
私自身、”公人”を自覚し、北関東に計測しに行き、逐次ネットで数値を報告した。
コメントを寄せていた読者とのつながりもでき、そのつてで飯舘村へのボランティア活動に同行させてもらって、
防護服を着て、高線量の中を計測しまくった(上写真)。
関東での高線量を指摘していた那須にも、読者の方から車を出してもらい山腹を標高100mごとに計測した。

私のスタンスは、放射線が0より多ければガンや白血病にかかるという誤った恐怖心を解除すると同時に、
きちんと周囲を計測して、通常(自然放射線量)よりもかなり高い場所を特定し、注意(不必要に被曝しない)を喚起するという、「正しく怖がる」こと。
原発推進派とはもとより無縁だが、健康よりも核技術を否定するのが目的の反原発派にも与(くみ)しない。

私のブログにアクセスが増えたのは、政府・東電から発せられる情報が信用できないためであった。
私自身も信用していなから、自分で計測し、安全かどうか自分で判断し(それなりの勉強をしている)、そして正直に公表した。
それを可能にしたのがネットというメディアである。
個人が政府や大企業に情報的に拮抗できる。
一人一人が自分の情報発信者としての自覚と責任をもつこと。
それがネットの力となる。

そのネットが時に逆の作用をする。
人をだますためにもっともらしい嘘を騙(かた)る。
5月7日、フェイスブックに登録した人を有料サイトに誘導する詐欺に反応してしまった(実害なし)。
それとわかった時点で、このブログに内容を公表したら、「自分の所にもきた」というコメントが
毎日のように来る。今でも来る(ページ左窓の「最新コメント」欄参照)。
私の記事を検索して詐欺だと確認できたというコメントもたくさんもらう。
支払ってしまってどうしようと泣きついてくるコメントには、すでに自分で解決の報告をしてくれたコメントを参照して欲しい。
その結果、この記事のコメント欄は、この詐欺に対する情報交換の場になっている。
この記事も私のブログを社会的なものに変質させた(それを目的とした)。

フェイスブックは実名や写真を公開しているから安心できるかと思ったら、その実名と写真が嘘なわけ。
結局、私はフェイスブックからはほとんど身を引き(卒論ゼミ生との連絡網のみに使用)、
ブログに専念することにした(ツイッターはもとよりやらない)。

かように今年は、我がブログが変質した一年だった。
自分の情報的存在がぐっと社会的になった。
ただ、世の中の大きな事に、いわば当り前の発言をするのではなく、
どうでもいいと思われている小さな事に目を向ける、本来の「身辺雑記」に戻したいのも確かだ。


関東平野・車窓の山

2011年12月27日 | 
軽井沢の往復にて、冬の晴天の関東平野を疾走する長野・上越新幹線から車窓の旅を楽しんだ。
改めて気づいたことには、行田の「ものづくり大学」の南あたりで、奥多摩の名峰・大岳山(1267m)が背後の富士とピッタリ重なる(写真)。
そもそも奥多摩(東京都)の大岳山から御前山(1405m)の稜線が埼玉の北部になっても、はっきりと見えるのに驚いた。

また富士は熊谷まで見える(以北では山の影に隠れる)。
そして入れ替わりに主役となるのは、富士に見まごうほどの秀麗さの浅間山。
また、群馬に入り、高崎の手前で、テーブル状の荒船山の横に、はるかに高い雪を頂いた丸みのある山が見えた。
信州の蓼科山(2530m)ではないだろうか。

さて浅間山は、南下する車窓の場合、大宮に至っても、西に連なる関東山地の北端に白い姿を見せており、東京との境の荒川の土手からも辛うじて見えた。
ということは、荒川の東京側からも浅間山が見えるのかもしれない。

大宮では、真西の秩父の山々よりも、富士が主役となっており、東京からよりも富士の姿がいい。
東京からだと、丹沢山塊の上に顔を出す程度だが、大宮だと、丹沢と奥多摩の丁度中間の陣馬山(857m)あたりの低山の上なので、
広く山肌を見せているからだ。

もっとも車窓の山なら、東海道新幹線の方がダイナミックだ。
新富士~富士川鉄橋からの富士は最高。
それに愛知を疾走する間、南アルプス、中央アルプス、木曽御岳が見える。

雪の北軽井沢で計測

2011年12月27日 | 東日本大震災関連
群馬の山間部は意外に放射線量が高いことが分かっている。
ここ「ホテルグリーンプラザ軽井沢」(浅間北麓)に夏に来た時は油断して測らなかったので、今回は線量計を持参した。
雪に覆われている地面ではなく、地肌が出ている土の表面を測ると(α-γ線込みで)0.35μSv/h(γ線のみだと0.17)、
雪の路面は込みで0.2であった。
やはり関東平野よりは高めといえる。

年末の温泉旅

2011年12月26日 | 温泉

年末恒例の”慰労の温泉旅”として、今回も「グリーンプラザ軽井沢」(北軽井沢)に一泊。
北に純白の浅間山を望む、標高1100mほどの雪の中にいる。気温は氷点下5℃。

先月から今月にかけて、仕事上のストレスがピークに達し、そのせいでぎっくり腰にもなったが、
それらのストレッサーがすべて解除された現在、今さら”慰労”の必要もないのだが、
ストレス解消は要不要にかかわらず儀式として大々的に行なうべきものと心得ている。

そもそも、年中行事というのは、そういう機能を担っている。
私も若い時分は、クリスマスや正月などを”恣意的制度”にすぎないとして、冷笑的態度をとったこともあったが、
時間を生きるわれわれ”現存在”(Dasein)にとって、時間(=存在していること)における不可逆的な直線性と繰り返される循環性とを自覚し、
その都度におのれと世界の存在を再確認する儀式を作ることが、”死に臨んでいる”現存在にとっての”生”を味わう叡知であると理解できた。
というわけで年末の慰労の温泉旅は、私自身の”生”の謳歌として、毎年繰り返されるべきなのだ。

さて今回は、仕事はもちろんのこと、賀状書きまですでに済ませてしまった(従来はこの宿で賀状書きを仕上げていた)。
また、年明けに控えている課題は直前ですむ。
つまり、今回の旅に限って、他の温泉旅のように、「仕事に集中するために篭る」という要素が皆無なのだ。
いいかえれば、温泉に浸かるのと食事を楽しむ以外にすることがないのだ(だから一泊で充分)。

というわけで、温泉には毎度ながら4回/日のペースで浸かり、夕食には酒も賞味したい。
また、夕食前や就寝前の"仕事”のかわりに、持参したiPadでゲームや読書を楽しむことにする。
すべてから解放されるって、この私でも年に一回ほどしかない。


本日が誕生日

2011年12月25日 | 身内
12月25日は我家にとっては甥っ子の誕生日。
その子の名は”柊聖(しゅうせい)”。

子どもにとって誕生日とクリスマスは、それぞれがプレゼントをもらえる日だから、
一緒くたにされてはたまったものでない。
なので、(連日ではきついので)23日にクリスマス、25日に誕生会をやることにしている。
その柊聖も今年で8歳。
今は仮面ライダー(もちろん現代版)に熱中しているが、
プレゼントはお勉強的なものにしているので、
私は地球儀をプレゼントした。

今日の料理は、一昨日とうってかわって、
柊聖(と他の者全員)が好物である手作り餃子100個ほどがメインディッシュ。
あとその他にもいろいろ彼の母手ずからの料理が並ぶ。
食べるのが早い我家は、それらを20分で平らげた。

皆で「ハッピバースデー」を歌うのだが、前々から各自の音程が一致しないのが気になっていた。
なので、昨年は慣れないミニ・アコーディオンで伴奏を試みた。
今年は、より得意の管楽器でと、ずっと使っていなかったカシオの「Digital Horn」を引っ張り出して、吹いてみた。
4歳になる姪の乃の佳(ののか)が気に入ってくれた。
管楽器って和音こそ出せないが(笙やバグパイプは別)、メインメロディを情感豊かに吹けば、ソロでも充分聞きでがある。
この電子楽器、安い割に音(とりわけサックス音)がよく、MIDI出力もできる優れものだが、今ではとっくに品切れ。
大切に使おう。

サンタは実在しない

2011年12月24日 | 歳時
真実を探求する学問の徒の一人として、
世間の大人の”陰謀”に抗する決意を固めている。
世の子どもたちに、こっそり教えよう。
「本当はサンタクロースは実在しないんだ」

サンタの衣装を着て、そのフリをする大人ならあちこちにいる。
それは節分の時に、神社で大勢の人に豆を投げつけられる”鬼”が本物の鬼ではないのと同じ。
君に25日の朝までにこっそりプレゼントをくれるのは、サンタではないんだ。

こんなことを子供に信じ込ませようと躍起になっている(世界中の)大人が哀れだ。
せめて、子どもが小学校に上がったら、すなわち”学問を学ぶ”年代になったら卒業してほしい。
真実を探求することほどロマンチックでワクワクすることはないのに。

23日はクリスマス会

2011年12月23日 | 歳時
本日は、畏くも今上天皇陛下の御生誕日でありながら、
幸か不幸か、クリスマスイブ前日の休日であるため、
東京に帰省して、幼い甥・姪のためのクリスマス会を楽しんだ。
スパークリングワインで乾杯し、義妹の作る本格料理に舌鼓を打ち、幼な子たちにプレゼントの包みを開けさせる。
クリスマスはやはり家族で味わうものだ。
もちろん、本来は冬至を過ぎた一陽来復の祝いだから
(イエスの誕生日は後世のこじつけ)、
キリスト教徒でなくても楽しむ権利がある。
キリスト教徒であっても正月を祝っていいように。
歳時の祭りは世界中で楽しもう!

今年の業務終了

2011年12月22日 | お仕事
自分が担当する今年最後の授業を終え、
締切りが迫っていた雑用も全てこなし、
最後は、ボランティアでやっているお茶の指導を終えた。

これで自分の今年の”業務”がすべて終わった。
先日、2本目の論文も提出したから”仕事”もすべて終わっている。

”アリ”の部分が終わったから、年末年始は”キリギリス”で楽しくすごす(真っ昼間から酒が飲めるぞ)。
本来の自分、自分が自分の主人になれる貴重な時間だ。

エアコンの消費電力(暖房編)

2011年12月21日 | 計測
名古屋宅のエアコン(三菱霧ケ峰)の暖房時のカタログ上の消費電力は「470W」。
ワットチェッカーによれば、エアコンの起動直後は600Wを越える(これは冷房時も同じ)。
設定温度は「18℃」にしてある。
これでも低すぎない。

床に置いてあるサーキュレーターを「弱」にして、床付近の冷気をエアコンに向かって定常的に飛ばすようにしているからだ。
すると、エアコンの温度センサー付近は19℃以上に上がり、床付近は22℃に達する(2ヶ所同時に測れる温度計を使用)。
この気温でエアコンは安定状態になり、消費電力は400Wに固定される。
22℃もあれば充分なので、設定温度を17℃に下げることもある。

サーキュレーター「弱」の消費電力は25W。
部屋全体、とりわけ足下を効率よく暖め、エアコンの設定温度を下げる効果の方が大きい。

夏の冷房にサーキュレーターは不要だが(誤った情報が流れている)、冬の暖房には必須。
その理由は物理学による。

最大のヤマ越え

2011年12月20日 | お仕事
今日は、卒論提出の最終日。
我がゼミの学生は、全員今日になって提出(最後は締切り5分前)。
こうなったのも、提出前の最終チェックでも書き直しを求める私の厳しい指導による。

卒論を仕上げるには、さまざまな能力・技能を要する。
つまり卒論を書き上げることで、学生は、一皮むけた、1ランク上のレベルに到達する。
それを鍛えるのが教師の仕事だ。
鍛えなければ学生を社会に出す大学としての意味がない。

ただ、ここ2年続けて、途中で挫折した学生が出ていた。
なので今年は、一人も脱落者を出したくなかった。
その思いが砕かれそうになることもあったが、思いのほか学生が頑張って
なんとか無事に全員提出した。
これがうれしい。

最大のヤマを越えたのは私ではなく、学生たちであることは言うまでもない。
おめでとう。お疲れさまでした。

もちろん、帰宅後、スパークリングワインの栓を勢いよく抜いて、祝杯をあげた。

まだまだ義援金

2011年12月19日 | 東日本大震災関連
今月、ボーナスをもらったので、東日本大震災の被災地に久しぶりに些少ながら義援金を送った。
3月に急いで赤十字社に義援金を送ったが、有効に使われない事態に鼻白んでしまい、それ以降は足が遠のいた。
それでも、資金が足りないのは変わらない。

今回は、郵便局で、福島・宮城・岩手それぞれの県向けの振込用紙を使って、3県に平等に振り込んだ。
(ボーナスもらってから送るのに今日まで要したのは、
昼間仕事を持っている身には、郵便局を利用するのは至難の業だから)。

除染費用やがれき撤去費用の一助にとは思うが、せいぜい正月の餅代の一助だろう。
復興費用が足りないなら、もっと国民にアピールすればいい。
増税よりもまずは義援金を募ってくれた方が国民にはありがたい。
まだまだ億レべルで集まるはず(1万円出す人がたった1万人いればいい)。
この記事を見て、”我も”と思わん方は、ぜひ実行してほしい。

大掃除の達成感

2011年12月18日 | 歳時
今日は、名古屋宅の年末の大掃除(歳時記的には”煤払い”というべきか)。
名古屋宅では夏休み前と冬休み前、半年に一度大掃除をしている。
基本的に大学の仕事にメドがついて、あとは帰省を待つのみという時節になって、やっと掃除をする気になるのだ。

いつもとは違って、しっかり朝食を摂ったあと、午前11時に部屋の奥側から開始。
昼休み抜きで、部屋から台所、風呂場、トイレと次々難物をこなして、
午後四時に終わった。
ぶっ続けて5時間。まさに大掃除だ。

なにしろ大掃除だから、徹底的にやる。
そして終わった後、きれいになった部屋を見渡すと
達成感がわいてくる。
大掃除って、部屋がきれいになるだけではない。
この達成感が味わえるのがいい。
だから日ごろはできるだけ掃除をせずに、今日この日のためにとっておく。

ここ連日、仕事上のヤマをどんどん越えて、肩の荷がどんどん軽くなっている。
そして私的作業ながら今日の達成感。
肩の荷が降り続け、達成感を味わい続けて、目の前に迫った年末の休暇を迎える。
今が一番いい気分かもしれない。

放射線のリスクを”考え”よう

2011年12月17日 | 東日本大震災関連
今朝NHKでにやっていた「ニュース深読み」で放射線についての議論があり、私なりに感じるところがあった。

視聴者から「明確な基準がほしい」という要望が紹介され、
また出演していた桂文珍氏も素人代表として 「どうしてもはっきり言う方を信じてしまう」(実際の発言をあえて意訳)と述べた。
”専門家”のお墨付きを求めているのだ。

それに対し、解説する側の唐木名誉教授は「最終的には自分で判断するしかない」(その目安として国が基準を設けている、それを信用するかしないかだ)とつっぱね、
解説委員の小出氏は「もはやわれわれは思考停止では済まされない」と言い切った。
私はこの発言に一番賛同した。

つまり、放射線の安全基準の根拠となっているのは、「しきい値なし直線モデル」であるから、まずは”明確な基準”(=しきい値)は存在しない”ということ。
すなわち、「安全か危険か」という定性的二分法の判断は不可能・無益で、”リスク”という定量的確率現象として判断すべきものということである。
私はこのブログでこの判断法を事故当初から強調してきた。

なぜなら、最終的に問題となる”発ガン”という現象そのものが確率現象にほかならないから。
そして発ガンは、放射線だけが原因ではなく、多重な原因による複合現象であるということ。
さらに、放射線は発ガンに対して、低線量域においても単純な直線モデルが適用できるか疑問も出されている。
ただし”安全基準”としては、”しきい値ありホルミシス効果派”の私でも、既存の直線モデルを使うべきであると思っており、自分自身それに則って対処している。

このような定量的現象のどこに人工的な”境界線”を設けるか(それは行動判断にとって必要)は、客観的な基準が存在しないがゆえに、最終的には個人にゆだねられるということになる。

「思考停止」のかわりにどうすればいいか。
まずは「リスク」という確率論的思考ができるように頭をトレーニングすること
(数学の教科書を開かなくても、麻雀やトランプゲームでトレーニングできる。あるいは秋山先生の本がいいかも)。
実習課題として「発がんリスク」を考えてみよう。
これをきちんと考られる人こそ、放射線を”正しく”怖がることができる。

そして個人の判断基準をどうするか。
まず国の安全基準値が準拠となろうが、それを思考停止的に盲信/否定すべきではない。
安全基準の根拠を知るべきで、その根拠に自分がどうかかわるかを判断すべきである。
すなわち、情報を入手する必要がある(ネット社会でそれが容易になった)。

次に、これこそ個人差があるから、個人で判断する理由だが、自分の生活スタイルを考える。
一年間でその物質をどれほど摂取するのか、生活スタイルで異なるからである。
すなわち自分の生活を振り返り・集計する必要がある
(その際、日常的に自然放射線をどれくらい浴びているのかも知るべき。これも情報入手が必要)。

そこでたとえば神戸大の山内教授が述べたように「乳幼児には厳しくすべき」という判断が意味を持つ。
それは摂取の影響が大きいだけでなく、自己判断で摂取してるわけではないからである。

このような知的作業なくして、判断はできない。
図体のわりにひ弱な人類は、知恵を使って氷河期を生き抜いてきた。
「思考停止」はその逆方向だ。
今、われわれの思考習慣が、大きく改善されるチャンスである。