今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

野川を歩く2:柴崎〜深大寺

2017年03月31日 | 川歩き

東京での春休み最後の日、あいにく午後から雨の予報。
しかも桜にはまだ早い。

なので、川歩きの野川(☞野川を歩く1)の続きといきたいが、
雨が降る前に終れる短い寄り道コースにした。


まずは京王線の柴崎で降りて、野川の前回切り上げた地点に行く。
前回気づかなかったが、野川のここから先の数百メートルは工事中で、川沿い(川岸上と河辺上の片側2本の通路)が通行止め。
その部分は迂回して、京王線の線路を渡り、甲州街道を横断して再び河辺(礫地の”河原”に相当)に降りる。
この付近の野川は、川も浅く、また所々狭くなっているので、石伝いに対岸に渡れる(写真)。


河辺沿いの踏跡をすたすた歩き、近くの琥珀神社に立ち寄る。
もうこのあたりは、古刹深大寺の伝説の地。

中央高速道路が野川の上を通る所が、深大寺に最も近いので、今日の川歩きはここで切り上げる(ここまで2km程度)。
すなわち次回の野川歩きはここが再開地点となる。

丁度川沿いに、産直販売の大きな店(調布のやさい畑)があるので、地元調布で作られた「のらぼう」という多摩特産の葉物野菜を買い(今晩食べる)、地元の湧き水をペットボトルに詰める。

深大寺側に向かうと、「深大寺温泉」という日帰り施設がある(湧水だけでなく、温泉も湧いている)。
歩き疲れていたらぜひ入りたいが、今は先を急ぎたい。

南参道伝いに坂を登って畑地を下ると、深大寺の門前に下り立った。

さっそく、深大寺そばの店を物色(気持ちは温泉よりも”そば”だった)。

深大寺は寺としても好きだが、それ以上に門前の深大寺そばが楽しみ。
正直、深大寺に行く目的はどうしても「そば」の方がメインになる。

さすが深大寺は、平日の昼でも観光客がいる。
そばの店はたくさんあるので、毎回違う店で食べたい。

今回は、天せいろが安い「青木屋」。

そば湯も飲んで満ち足りた気分になって、寺に参拝。
ここは本尊ではないが、東日本では珍しい白鳳時代の釈迦如来倚像がある。
なんとその白鳳仏が、今月10日に「国宝」に指定されたばかり。
正直その報せは今日知ったのだが、いいタイミングで深大寺に来たものだ。
この寺はこのような貴重な古仏が拝観できるのに、拝観料を取らず、自由に参拝できる。 


今回、野川から離れて深大寺に立ち寄った目的はもう1つある。
それは、私のもう1つの趣味”山城巡り”の対象である深大寺城址

寺の南東側にある神代植物公園・水生植物園内の西側の高台がそれ(ということは休園日の月曜は行けないのか)。
坂を上がってそば畑(かように深大寺そばは地元産)を過ぎると、大きなケヤキ(武蔵野を代表する木)沿いに土塁が連なっている(写真)。
空堀の上にかかる土橋(写真左)を渡ると主郭で、櫓台(写真左の丘)の麓に城址の石碑がある。
主郭奥の虎口を見て、広い第二郭の建物跡(写真のケヤキ付近の地面のボツボツ)やその奥の虎口、外側の二重の土塁を巡る。 
ここ深大寺城址は、戦国前期の扇谷上杉氏の出城で、国指定の史跡になっている。


門前に戻り、バスを待つ間、「鬼太郎茶屋」で時間をつぶす。
鬼太郎の作者・水木しげるは調布に住んでそこに仕事場があった。
そしてわが愛するつげ義春も調布に住んで、水木しげるのアシスタントのバイトをしていた。
鬼太郎に出てくる幾つかのキャラ(女性)はつげ義春が描いたという(いつかそれを確認してみたい)。

今にも雨が降りそうな雲の下、つつじヶ丘駅行きのバスに乗って深大寺を後にした。
野川歩きの次回は、バスの便がいい、ここ深大寺から再開するつもり。
歩く前の腹ごしらえにまた深大寺そばを食べるから。 ☞「野川を歩く3」


那須雪崩現場の危険度

2017年03月29日 | 防災・安全

那須岳雪崩遭難については、現場の地形が分らない時点では、何も確かなことは言えなかったが、ようやく地形が分ってきた。

それはスキー場のゲレンデ(広い谷底)から那須茶臼岳への広い稜線(大斜面)に向かう樹林帯(低い潅木)の斜面で、傾斜が30°以上の急斜面でしかも沢状の窪み。
雪崩は高山帯の広い稜線上で発生し、そこから高校生たちのいる斜面へ流れていった。

傾斜30°以上は雪面でない普通の斜面でも「急傾斜地崩壊危険箇所」に指定されるに値する。
それでも樹林のある尾根筋ならまだしも、樹のない(夏なら水が流れる)沢筋を歩いていたとは、ましてや新雪直後とは、
雪崩の通り道にあえて跳び込む自殺行為、いや拒否のできない高校生たちを強制的に道連れにしたというほかはない。

その地は雪の状態としては確かにラッセル訓練にはベストといえるが、雪崩のリスクもMAXな所。
それを考えれば、新雪直後なのだから、(本来予定になかった)ラッセルの臨時講習なんて無人ゲレンデの雪原でもできたはず。

その危険地帯を”経験豊かな”リーダーに選ばせたのは、「以前は大丈夫だった」という経験主義。

そもそも登山界は経験主義が大手を振っている世界で、経験自慢の彼らに対して初心者は何も反論できない。

だが客観的には、個人の経験主義(≠統計データ)は自然現象の予測には貢献しない(3.11の津波で逃げ遅れたのも、以前の津波はここまで来なかったからという経験主義が災いした)。
現象の予測は先入観にとらわれない現状分析によるべきなのだが、経験主義者の頭の中は過去ばかりで現状を見ない傾向がある。 

今日の講習会委員長の記者会見によれば、高校生の春山登山講習では、そもそも雪崩の危険がある所には行かないという。
それは、雪崩に対する安全訓練は講習の範囲外ということを意味する。
危険を想定しないから、危険はないとみなす…、この発想、福一(イチエフ)事故を起こした「安全神話」と同じ。

滑落停止やラッセルの訓練ができるほどの雪山は、客観的には雪崩が起きてもおかしくない傾斜と積雪量があるはずだが(実際、現場に一番詳しいゲレンデ管理者によれば、そこで雪崩は過去に起きていたという)、高校生を引き連れる指導教員が、雪崩のリスクを、現状分析ではなく、過去経験(年に一度の講習)のみからしか判断できなかったのが致命的だ。

一言でいえば、生徒の命を預かる指導教員の通俗(素人)的経験主義がアダとなった。
防災の第一歩は、この通俗的思考から抜け出し、冷静な現状分析をする目を開くことから始まるのだが。 


野川を歩く1:二子玉川〜柴崎

2017年03月28日 | 川歩き

東京北部の石神井川(豊島園〜東伏見)は楽しくなかった。
なので、 次なる川歩きは、行き先を東京南部に移し、多摩川支流の野川にした。
そもそも多摩川自体が川歩きの対象としてやり甲斐があった(河口〜奥多摩湖まで)。
その支流の野川も実はすでに昔踏破しているのだが、 その時は上流からだったので、今回は下流から遡行する。


東急田園都市線の「二子玉川」で降りる。
幼い時、ここにあった「二子玉川遊園」のお化け屋敷で泣いた記憶がある。
今は、ご存知の通り、高いビルが立ち並ぶ。
なので、いつもの歩き前の腹ごしらえに「駅そば」を探したが、ハイソなレストランばかりで、見当たらない。
仕方なしにコンビニでおにぎりを買う。
駅前はハイソだが、すぐに緑豊かな多摩川畔に出られる。
多摩川の手前に野川が流れており、鉄橋の下で一部が合流している。


その野川は多摩川に合流する最下流ですでに澄んでいる。
これはうれしい。
しかも川床はもちろん両岸も自然のまま(写真)。
東京区部(といっても西の端だが)で、自然状態の川があるなんて嬉しい。

さて、野川と多摩川に挟まれた兵庫島(写真中央:公園になっている)に行き、
そこで座っておにぎりを食べ、右岸沿いに野川を遡る。
野川は浅く透明で、あちこちで鯉が背びれを水面に出して泳いでいる。
両岸に歩道があるが、北側の左岸は車道に面しているので、専用歩道の右岸(南側)の方が歩くのにいい。

川筋はじわじわと北西に延びていき、東京外環道の頭上のトンネル工事をくぐり、
やがて「次大夫堀」という、家康入府の頃に野川から小泉次大夫という人が作った用水路跡の公園に出る。
野川沿いにこういう史跡があるとは知らなかった。
ここには民家園があるので立ち寄る。
この付近にあった江戸時代の民家を3棟集めており、ちょっと江戸時代にタイムスリップした気分(写真)。
でも農家の古民家って外装も内部もどれも似たり寄ったりだから、見学は1棟すれば充分。
民家園発行の民俗資料記事である『あるじでえ』のバックナンバーが置いてあり、民間信仰がテーマのもの数点もらった。 

ここから川沿いに小田急線の喜多見に向かう。
左岸の奥は高台が続いていおり、これは国分寺のハケで有名な国分寺崖線というもので、野川はこの崖線に沿って流れている。
ただ、生活排水が流れ込んでいて、この付近の水は濁っている。

小田急線の鉄橋をくぐると、自分が歩いている右岸は小田急の喜多見電車基地(内部は見えない)に沿った公園になる。
対岸の土手の冬枯れの桜の樹の下で、坊主頭の若者が結跏趺坐で瞑想している。
彼の頭上の桜が満開なら、絵になったな。
また、ここから川岸上(段丘の上)の歩道の内側、川べりの土の部分(段丘の下)に人が歩けるスペースができている。
ただ、そこへの下り口が見当たらないので上の歩道を進む。 


調布市に入り、両側が大きな団地になる(神代団地)。
団地の真ん中を野川が流れ、両岸にそれぞれ二重の歩道が続く。
生活風景と川が馴染んでいて楽しい。

もっと川に近づきたくなったので、外側の歩道から、川べりの踏跡(正式な歩道ではない)に降り、ここからは川を間近に見て歩く。 

対岸の草むらでは子鴨が数羽遊んでいて、近くの親鴨が、猛禽から子鴨を守るためか
子鴨に位置を知らせるためか、わざと翼を拡げて注意をひいている。

そういう鳥たちを見ているうち、道の先に、人間ほどのすごく大きな黒い鳥がいるように見えて、眼を見張った。
よく見たら、人だ(写真:では錯覚のしようがない)。
あれ、この”人を鳥と見まがう錯覚”って、つげ義春のマンガ『鳥師』にあったぞ。
実は私が一番好きな漫画家つげ義春はここ調布市に住んでいて、そのマンガはこの地が舞台になっている(そしてつげ義春原作・竹中直人監督主演の映画『無能の人』も)。
しかも、野川はつげ義春の散歩コースだったのだ。
彼が住んで作品にした土地で、彼の作品の1シーンを図らずも追体験した。
ファンとしてこれほど嬉しいことはない。
私にとって「野川」はこういう意味もあったのだ。


さて、野川の行く手に京王線の鉄橋が見えてきた。
今日の予定は、ここまでだ。
野川の下流部を歩いたことになる。

野川の本当の楽しさはこの先にあるのは判っている。
それを次回の楽しみとするために、今日はここまで歩いたのだ。
そう自分に言い聞かせて、川から離れて、京王線の柴崎駅に向かった。 

「野川を歩く2」に続く


那須岳の雪崩遭難に思う

2017年03月27日 | 山歩き

那須岳での高校生たちの雪崩遭難は、教員引率の安全講習中という、
高校生たちにとっては自分の意思で行動をコントロールできない状況であっただけに、
なおさら可哀想だ。

私が高校(都立)の時(ワンゲル部員だった)は冬山は禁止だった。

でも、それだけにかえって冬山に対する憧れが強く、
本格装備が必要ないギリギリの雪山には自分たちだけで行った。 
そして、そこで雪崩の跡に出くわした。

この”春山”安全登山講習会は半世紀も同じことをやってきて、今回が初めての事故だという。
かように、自然災害というのは、経験則が効かない。
言い換えれば、自然に対して、毎年無事なのだから今年も大丈夫という”経験則”に陥ることは、
とっても危険な思考である(さらに以前の「玄倉川水難事故」もこの思考が原因)。

ヒマラヤ経験者であっても、日本の山で遭難死した人は多い。
自然を相手にしている行為には、過去の経験よりも、この先の予測力が大事。 

今朝の積雪は、例年にない量だったという。
この事実こそ、経験則を無効にするに充分と心得てほしかった。 

雪崩は山腹の斜面で起きる。
だから雪崩の危険がある時(「雪崩注意報」という情報の有無にかかわらず、
雪崩には細心の注意を払うのが雪山では当たり前)、 山腹の斜面を避けるのが鉄則。
すなわち雪崩の発生源(斜面)より常に高い稜線を歩く。
今回の事故現場は、細かい地形は不詳だが、麓から稜線に達する斜面といってもいい
(さらにその谷部だった可能性が高く、それなら雪崩が集まる最悪のルート)。
雪崩はその斜面の上からやってきたようだ。
だから、縦列で登っていた先頭部がやられた。
深い新雪のラッセル中なので、とてもじゃないが逃げられないから。 

結果論だが(自然災害はどうしてもそうなる。他山の石とするしかない)、
思いがけない新雪のため、登頂予定を変更し、ラッセル訓練にしたのは、
雪山の講習としては、それなりに合理的な判断といえる。 

問題はルートだ。
本日の”例年にない”降雪直後なら、
新雪雪崩は予想の内に入れておかなくてはならない(過去経験に頼ってはならない)。
ということは、上部に積雪のある斜面は絶対に避け、ちゃんとした稜線にすべき。
近くにそれがなかったら、広い雪原か、そもれなかったらあきらめる。

雪山における雪崩は、鉄砲水と同じで、絶対に避けねばならない致死的危険だから。
ましてや”安全講習”なのだから。 

それから、雪崩が来た時、「伏せろ!」と指示したらしいが、この指示は疑問だ。
雪崩は、津波や鉄砲水を同じく巻込まれたら、もうおしまい。
伏せる(フリーズする)ことに防御の効果はまったくない(実際、死因は圧死だった)。
頭部防御のために伏せる意味があるのは、コブシ程度の落石レベル。
人を呑み込む強大なパワーに対する防御は「逃げる」しかない。
できるだけ早く、速く。
そして逃げる方向が大事。
雪崩の速度は時速100kmを越すから、反対(後ろ)方向に逃げても無理。
幸い、雪崩は幅が限定されているから、進行方向の直角(側面)に逃げるのが一番リスクが低い(竜巻の場合も同じ)。
人間が本能的に獲得している最適な”逃避行動”を、その場で阻止した意味がわからない(”パニック”を恐れたのかも)。 

よしんば逃げるには遅過ぎたとしても、伏せて重心を低くすることは、
圧死を招くだけで、やはり意味がない。
力学的に言えば、むしろ重心をできるだけ高く(できたらジャンプ)することで、
雪崩の上層部(密度が低い)で流された方が、圧死・窒息のリスクが下り、自力で這い出られる可能性を増やす。 

ちなみに、冬山(厳冬期)と春山(3月以降)は、気温こそ冬山の方が厳しいが、
積雪量はむしろ春山の方が多い。
春山は、吹雪による凍死は減るが、表層雪崩に加えて、全層雪崩の危険が増える。 


アンチエイジングの極意4:基本的態度

2017年03月25日 | 健康

 

『アンチエイジング医学の基礎と臨床』を読んで感じたことは、
健康に善かれと思って一方向につっぱしる態度は、極端化して、バランスを欠き、結局健康を害すようだ。
その理由は2つある。

1つは、老化の主原因とされる「酸化ストレス」自体、ホルミシス効果があって、少量の酸化ストレスは却って健康を高めるためである。
だから、活性酸素を除去しまくろうと、抗酸化サプリを飲みまくると却って健康にマイナスだという。
健康に善いとされる食べ物やサプリを過剰に摂取すれば、健康を害すのはもちろんだが(そもそも生存に必須な酸素自体が毒物)、
健康に善くないとされる食べ物を徹底的に排除する姿勢(糖質制限)も健康を害するおそれがある。

2つめは、その様な態度は精神的ストレスが持続するためだ。
人間には、飢餓と外敵に対する防御反応は備わっているが、精神的ストレスに対しては防御システムがうまく作動できていない。
ストレスはたとえ強くても短期間なら影響は少ないが、持続すると防御システムが疲弊する。 
精神的ストレスは持続する性質があり、食生活に神経質な健康オタクは自ら精神的ストレスを課しているともいえる。

日ごろの幸福度が高いと長寿に結びつくという。
すなわち、人生を楽しんでいる人が長生きするのだ。

健康を強迫的に追い求める人は、理由1の誤った行動に走り、しかも精神的ストレスから解放されない。 

ストレス自体がホルミシス効果があるので、ストレスを徹底排除してはならない(ていうか不可能)。
少々のストレスは自分が鍛えられるつもりで受け入れ、かといって過負荷にならないよう注意する。

発がん物質と言われても、好きな赤肉やアルコールを日常生活から排除する必要はないし、
紫外線だって冬の曇天下で完全防御する必要はない。
少量のストレス(酸化、紫外線、運動など) は、生体の防御能を活性化させるため、
無ストレス状態よりもかえって健康度が増すのだ(これがホルミシス効果)。

ただし、煙草だけは珍しくホルミシス効果がみられず、 副流煙とともに排除した方がいい
(青酸カリや硫化水素ですら、微量なら健康効果があるのに)。

ついでに、長寿者は低体温だという。
体温が高い方が免疫力は高いようだが、余分な熱産生をする効率の悪い体ともいえる。
免疫力との関係で”低体温はダメ”みたいなことが言われていたが、気にすることはないようだ。

「アンチエイジングの極意1」に戻る


石神井川を歩く:豊島園〜東伏見

2017年03月24日 | 川歩き

昨年、杉並区を流れる川(神田川、善福寺川、妙正寺川)を歩いたので、
春休みで帰京している折り、次の川歩きをしたい。
東京区部の北部(練馬、板橋、北区)を流れる石神井(シャクジイ)川(北区では音無川)は、だいぶ以前に王子から板橋を抜けて豊島園まで歩いたので、そこから上流にしよう。

石神井川の水源はてっきり石神井公園の石神井池・三宝寺池だと思っていたら、これらの池は石神井川の水源どころか川に接してさえおらず、その上流の武蔵関公園の富士見池も川が貫通して水源ではなく、本当の水源は小金井公園の西方だという。
このように意外に長い川なので、今回は川としては実質的な水源に近い富士見池まで歩くことにする。

とういわけで、池袋から西武線に乗り、本線から1駅だけ北に伸びている支線の豊島園駅に降り立った。
豊島園は、子どもの頃は近場の後楽園より好きな遊園地だった。
でも、石神井川歩きにとっては、川(沿いの道)の通行を妨げる障害物でしかなく、大きく迂回を強いられる。

やっと川沿いの道に出て上流に向かって西行する。
川は、水藻こそ繁茂しているが、水が濁っていて、水鳥はいるが、魚影は見えない。
川岸も鉄の土留めが使われていたりして、川に対する愛情がみられない。

環状八号線を横断して練馬大橋を渡り、川が左に折れて南行し、西武池袋線・練馬高野台駅のガードをくぐる。
駅前的風情になると、桜並木となるが、まだ冬枯れ状態で、今日の北風の中でいっそう寒々しい。
今までの経験上、都市および郊外の川沿いは桜並木であることが多く、必然的に川歩きのベストシーズンは桜の時季となる(残念ながらその時季は私は東京にいない)。

気がつくと、川の水が赤土色に染まっている。
この色は土砂(関東ローム層)の色だから、大雨の後ならわかるが、一昨日に普通の雨があったくらいなので、この濁り様は説明できない。
いずれにせよ、川を見ながらの川歩きにとっては興が削がれることこの上ない。

長光寺橋を過ぎると、両側が新しい都営南田中アパートで、にわかに川沿いが公園状になる(写真)。
川に背を向けていた時代から、川に向き合う時代への変化を象徴した風景だが、杉並区にくらべると対応が遅く、範囲が狭い。 
川べりは整備されているのだが、肝心の川が赤土色で濁っており、風景として興が乗らない。

石神井公園の南側に達したので、蛍橋から川を離れて、公園南にある道場寺と三宝寺を訪れる。
道場寺は石神井城主だった豊島氏(太田道灌に滅ぼされた)の墓所があるのだが、 修行道場的な寺のためか、墓所には一般人は入れない。
寺の向い側の石神井小学校では、卒業式が終わって4月から中学1年になる卒業生とその母親たちが校門付近に溢れている。
三宝寺近くの団子屋は地元名物らしいが、 店の人が奥に入ったままなので、一本だけ買うには忍びなく、あきらめた。

ここから団地のある右岸が工事中で、そのあおりで左岸の川沿いの道も通行止めなのでまた迂回を強いられる。

そして、工事区間が終わった上御成橋に立つと、なんと川が澄んでいる。

そうか、下流の川の濁りは、ここの工事による土砂のせいだったのか。
それにしても、その下流への影響は広い(長い)。

ということでここからやっと石神井川は、本来の澄んだ流れとなる。
といっても水深が浅いため、川の豊かさは感じられない。

西武新宿線の武蔵関駅を斜めに横断して、南北に長い富士見池に達する。
富士見池には島が2つあり、ボート乗り場があって、鯉も泳いでいる。
この大きな池こそ水源となっておかしくないが(湧水もあるのだろう)、石神井川はこの池を南北に縦断して(水路は池に並行している)さらに西に遡る。
ここから川は早稲田大学の東伏見運動場(野球部とサッカー部がそれぞれの専用グラウンドで練習中)の南縁を流れ、地図では道が無いが、大学の厚意によるのかきれいな遊歩道で敷地内を通り抜けできる。

だが、隣接する都営団地(この流域にやたら多い)に入ると、川が干上がって水がなくなる。
安全のための人工的埋立て(伏流化)によるのか、地形は立派な川なのに水がない風景は、とても残念。

行く手に東伏見稲荷(伏見稲荷の東京分祀)の鳥居が見えたので、ここで川歩きを切り上げ、東伏見稲荷に参拝して、西武新宿線の東伏見駅に向かった。
実は、ここから先の石神井川は、地形としての川道はあるものの、水がない区間がつづくらしい。

地域(住民・行政)に愛されている川を歩くのは楽しいのだが、愛されていない川は歩くとかえって不機嫌になってしまう。 

石神井川は、下流の北区や板橋区の区間は楽しかったが、練馬区内は一部を除いて楽しくなかった。
練馬区から外れる上流も川としての面目が保たれず、楽しくないようだ。
可哀想な石神井川。
次は別の川にしよう。


アンチエイジングの極意3:紫外線とのつきあい

2017年03月23日 | 健康

シリーズで紹介している『アンチエイジング医学の基礎と臨床』は、さまざまな領域が扱われていて、日常生活上のヒントが多い。
たとえば皮膚科の領域では、健康だけでなく美容の視点から論じられている。

皮膚老化(しみ、しわ、たるみ)は、内的要因より、外的要因の方が強いかもしれない。
太陽光による「光老化」である。 

光老化の主犯は紫外線(赤外線A波もしわの原因になるという)。

紫外線(A,B)はまずは糖化ストレスをもたらし、皮膚の粘弾性を低下させる。
そして B波はしわ、しみ、皮膚ガンの原因になり、有害度が高い。
ただ生体の紫外線防御システムであるメラニン色素が少ない白人はことさら紫外線に弱く
、われわれ日本人は、彼らに比べて皮膚ガンのリスクは少ない。

また A波は、真皮にまで達し、そこで炎症反応を起こして、しわを作る。

紫外線は広義の”放射線”である(γ線、X線より波長が長い)。

ということは、一定以上の曝露は害の増大になるものの、一定未満の少量であるなら、
無曝よりもプラスの効果がある「ホルミシス効果」が期待できる。
すなわち、紫外線とは、うまくつきあえば健康を増進できる。

それは、ビタミンDの合成効果(その他に、殺菌効果)。 

ビタミンDは抗酸化(=アンチエンジング)効果があり、骨の合成にも必要。
もちろん食物からも摂取できるが、日本人の食生活では不足気味であり、特に高齢者は体内での合成能力が落ちる。 

問題は、その曝露時間。 
アメリカの研究では、顔・首・手・腕(全体の25%)の露出で10分間で1000IU/日のビタミンD生成されたという。
ただしこれは白人(スキンタイプ II)のデータで、日本人はメラニン色素がより多い(スキンタイプ III)からもう少し長くないと効果が出ない。
日本の環境省では、 「両手の甲くらいの面積が15分間日光にあたる程度、または日陰で30分間くらいすごす程度で、
食品から平均的に摂取されるビタミンDと合わせて十分なビタミンDが供給されるものと思われる」という。

実はUVindexで算出される(有害)紫外線量は、緯度・季節・時刻・天気で異なる。

なので適量は、紫外線量の実測を無視した”時間”だけでは表現できない。

紫外線の皮膚に対する影響度を正しく評価するには、紫外線強度とスキンタイプの兼ね合いによって計算させる MEDsという単位(最小紅斑量)を出して、その 1MEDsに達する紫外線量(UVDoes)を使用すべきである。
読者には聞いたことない単位で面食らうかもしれないが、 実は我が「日進気象台」では紫外線量のUVindexとUVDoesの両方の実測値をネット配信しているのだ。
上述したアメリカの研究では、ビタミンDの1000IUの合成に必要な UVDoesは 0.24(スキンタイプII)、
すなわち最小紅斑(日焼け)に到る1/4の累積量(曝露時間)で済むというわけだ。 

それを当てはめると、 本日13時現在で、日進気象台(愛知県日進市)の10分間の UVDoesは0.35に達しているから(黄色人種のスキンタイプIIIによる算出)、今なら10分間外に出るだけで、食事摂取をも前提とした必要量は得られることになる。
ただし今の季節は、皮膚の曝露部分は全身の10%以下なので、30分くらいは必要か(私の顔は帽子の下)。

いうなれば、ただ外出するだけで、短時間でビタミンDが合成されるのだから、
こんな効率的なことはない(含有量の多い食物を選んだり、サプリを飲んだりするのは面倒でしょ)。

ちなみに、紫外線は、大気圏で散乱しているから、太陽直射以外の青空の部分からもある程度降り注いでいる。
なので、日陰にいても、効率は落ちるものの、いいかえればそれだけ長時間安心して、
紫外線を受けることができる(その他、壁面や道路からの反射量はほとんど無視してよいといえるのは、私が紫外線計で実測しているから)。 

紫外線の美容的な害(しかも紫外線に弱い欧米人の例)だけが喧伝された結果、時折、完全防御のご婦人をおみかけするが、
せっかくのビタミンD合成を拒否することで、むしろ骨粗鬆症を招来しているようで心配になる
(盛夏の日中ならその防御は有益だが、紫外線量が不足気味の曇天や冬期では逆効果)。
防御態勢のためのもっともよい判断基準は、UVDoseのリアルタイムの実測値なのだが、
日進気象台のある愛知県以外の人は、残念ながら緯度も天気も違うので参考にはできない。
UVDoseはUVindexとは理論的には完全相関だから、入手可能なUV計(数値で表示されるもの)を使って、そこから推定値を出せる。
日進気象台のデータによると、スキンタイプIIIにおける10分当たりの近似式は、UVDose=UVindex×0.07。 

「アンチエイジングの極意4」に続く


アンチエイジングの極意2:食生活

2017年03月22日 | 健康

前回の続き( 『アンチエイジング医学の基礎と臨床』からの情報に個人的見解も含める)。

カロリー制限がいいということは、その逆はダメだということになる。
その逆とは何か。
「メタボリック・シンドローム」である。

この状態は、動脈硬化など血管障害を引き起し、それを通して心臓や脳、他の臓器にダメージを与える。典型的なのが「糖尿病」。
この状態は慢性炎症であり、そもそも肥満が”肥満症”という慢性炎症状態という。 
より微視的にいうと、体内が酸化ストレスと糖化ストレス状態になって、 血管・内臓だけでなく骨・皮膚も老化が促進される。

ではどのような食生活を送ればいいのか。

「カロリー制限」に「糖化ストレス」というと、その解決策として「糖質制限」が思い浮かぶ。
だが、世の「糖質制限」は、糖質拒否という極端に走り、
生命維持に必要なカロリー摂取をあえて熱効率の悪いタンパク質に頼ろうとする(摂取量が増える)。
ところが、その肉が問題で、いわゆる赤肉(獣肉)は、それ自体発がん物質とされており(加工肉の添加物だけが危険だと思われているが違う) 、
タンパク質の過剰摂取が代謝を異常に高めて、炎症性ストレスとなるという。
アンチエイジング効果のあるタンパク質は、大豆と魚である(発酵しているとより吸収がよい)。

実は高タンパク質食品は脂質をそれなりに含んでいる。
そして脂質も良くないものと良質なものとがある。
 体に良くない(動脈硬化促進)脂質は、飽和脂肪酸(バター、ラードなど)とトランス脂肪酸(マーガリン、ショートニングなど)。
飽和脂肪酸が入っている獣肉はダブルで良くないのだ。 

適量ならいいが、多量に摂ると良くないのがω6系リノール酸(ごま油、サフラワー油など)。
古い情報だとリノール酸は体にいいということだったが、適量を超えると炎症を促進し、
細胞毒になるという(炒め物に使う程度ならいいが、ラー油でご飯を食べるのはいかがなものか)。

体に良いのは不飽和脂肪酸。
ω9系オレイン酸(オリーブ油、キャノーラ油など)は血液中のコレステロールのバランス(LDL,HDLの割合)を改善する。
酸化に強いので、調理用の油にお勧め。
もっと良いのがω3系αオレイン酸(えごま油、亜麻仁油)。
こちらは動脈硬化予防、抗炎症作用があるズバリ、アンチエイジング・オイル。
ただ、とても酸化しやすいので、加熱は不可で、ドレッシングとして使うほかない(味はない)。
また魚油(DHA,EPA) も同上の効果があり、それに認知機能改善効果まである。
魚食だと良質のタンパク質と脂質をダブルで摂れるのだ。

つまりAGEsによる糖化ストレスだけを嫌う”糖質拒否”の代償として、肉をふんだんに食べると(必要なカロリーを得るためにはふんだんに食べる必要)、悪質なタンパク質と脂質をどんどん摂取してしまうことになる。

やはり基礎代謝に使うカロリーは糖質で効率的に摂り、タンパク質と脂質は良質なものを中心に適量にした方がよいようだ。

「アンチエイジングの極意3」に続く


アンチエイジングの極意1:最初にすべきこと

2017年03月21日 | 健康

人類は、基本スペックとして120歳くらいまでは生き続けられる能力があるという。
そこまで到らずに斃れてしまう老化現象は、実は”慢性炎症”という病気と見なすことができ、すなわち治療の可能性がある。
その可能性の道を歩んでいるのが、アンチエイジング(抗加齢)医学である。 

その分野の基本テキストが『アンチエイジング医学の基礎と臨床』(日本抗加齢医学会、専門医・指導士認定委員会編 2015 メジカルビュー)

医学の専門書だが、抗加齢医学の認定指導士の受験テキストでもある。

それだけに、エビデンス(科学的証拠)に基づくアンチエイジングの信頼できる情報源として、実に価値があった。

せっかくなので、これからその内容をシリーズで紹介する。

まずは、長寿にもっとも効果的なことは何か。

それは、カロリー制限である。
カロリーを70%に制限したマウスの寿命が伸びたという古典的な実験以来、 ほぼ例外なく動物実験では同じ結果となり(人体実験は不可)、そのメカニズムも判明してきた。

カロリー制限という一種の”ストレス”により、サーチュインという酵素が活性化され、抗酸化および細胞のアトポーシスが抑制され、炎症が抑制され、そして長寿遺伝子が発現されるという。

カロリー制限とは、動物が本来もっている飢餓ストレスに対する防御反応を活性化させるストレッサーに相当するのだ。
すなわち、これはホルミシス効果である。

ホルミシス効果とは、 低レベルのストレッサーに曝されることによって、発現する生体に有益な反応で、けっこう普遍的にみられる。
たとえば玉川温泉の北投石やラドン温泉ががんに効くという「放射線ホルミシス」が一番有名(厳密に言うと、前者は民間伝承で後者は医学的概念で必ずしも一致しない)。

放射線ホルミシスに納得しない人(ラドン温泉を忌避するはず)でも、運動という負荷(ストレス)が体を強くすることは否定すまい。

さて、具体的には、どの程度のカロリー制限をすればいいのかというと、BMIが22になるのが理想だという※。
この値が統計的に最も健康障害が少ないからだ。
今では、多機能のヘルスメーターでBMIを確認できる。
今の私はBMIが23なので、あと一踏ん張り必要だ。 
まずはこれを目標にしよう。

※津金昌一郎『がんになる人 ならない人』(講談社)によると、日本人男性のデータではベストの BMI は 23-24.9で、 22の人より死亡率が低いという(日本人ではやせた人はかえって死亡率が上がる)。すると私は現状がベストなのか。

「アンチエイジングの極意2」に続く


送別の月

2017年03月20日 | 歳時

年度末の3月は、大学生の卒業、院生の修了と、まずは教え子たちとの別れがある。
これは毎年の事だが、今年はこれに加えて、転出する同僚と定年退職する同僚(人生の先輩)たちとの別れが加わった。
すなわち、送別会が連続した。
私自身は職場でのつきあいはちっとも積極的でないのだが、最後の送別においては不義理はしないようにしている。 
私自身、以前の職場で送ってもらったし。 

他の大学に転出する同僚は、いわばキャリアアップなので、今までの感謝と祝福に満ちた雰囲気で送り出せるが、
定年退職する同僚には、25年〜30年もの長い在職期間の思い出があって、その話を聞くと感慨深い気持ちになる。
それに定年後の身の振り方も将来の自分に重ね合わせて気になるところ。

一番順当なのは、勤務先の大学で、今までの担当授業の一部の非常勤講師なのだが、 私自身は大学以外の、もっとビジネス的な仕事をしたい。


渡瀬恒彦の「震える舌」

2017年03月18日 | 作品・作家評

俳優の渡瀬恒彦が亡くなった。
低音の声が印象的だった。

早速、彼の俳優人生を偲ぶため、主演映画を観たい。
「皇帝のいない八月」もいいが、私がお勧めするのは「震える舌」。

この映画は、渡瀬恒彦だからという理由に限らず、一度は観るに値する(レンタル DVDになっている)。
内容は、”破傷風は恐ろしい”、というそれなりに啓蒙的価値のあるテーマなのだが、その子役の演技のリアルさに、映画館で観た私は、スクリーンを正視するのがこれ以上ないほどつらかった。

そういうわけで幾度も観たい映画ではないが、”一度”は観るに値すると断言できる。
私がここまで言うのは他にない。

この映画に出演した渡瀬恒彦のためにも、できるだけ多くの人が観てくれることを期待する(たぶんテレビ放映は難しい)。


修了生を送る

2017年03月16日 | お仕事

15日は、卒業式(学部)と修了式(大学院)。
学部・研究科単位での授与式では、それぞれに餞(はなむけ)の言葉を送った。
教師からの言葉って、どうしても上から目線の教訓めいた内容になってしまうが、いつまでたってもその立場で教え子に接するのが教師なんだろう。

夜は、大学院修了生を送るパーティ。
学部と違って、少人数だし、また学生よりは年齢が近い(社会人もけっこういる)ので、一人一人と話しやすい。
そして面と向かって、お礼を言われる。

学部の4年間より濃い2年間を過し、特に社会人の院生にとっては特別な経験をした2年間だったようだ。

教師の仕事は、学生の変貌を導いて送り出すこと。
その変貌を学生自身が自覚できたから、お礼を言ってくれる。

そういえば、自分が学生の時、先生に心からお礼を言った記憶がない。
大人数での卒業式だとその機会がなかったし、言ったとしても儀礼的だったろう。

大学院は”満期退学”でこっそり辞めたしな…。 

今までの人生でお礼を言いそびれた人が、幾人もいそうだ。


震災6年目

2017年03月11日 | 東日本大震災関連

東日本大震災から6年目を迎えた。
このカテゴリーの前回の記事は、「震災5年目」。
私自身、年に一度のイベントとなってしまった。

 今日あたり、常磐線で浜通りの行ける所までいこうかと思っていたのだが、個人的都合で遠出が無理になったので、いつも通り国会図書館に行く。

午後2時46分に、中庭に出て、黙とうをした。
同じ目的の人がもう1名いた。

16時半になったので、国会図書館を後にし、2ブロック先の国立劇場に行く。

政府主催の慰霊祭の会場だ(ほぼ毎年行っている)。

花をもらって祭壇に献花する。
いつも通り、こみあげてくるものがある。

6年たっての復興の遅さに、疑問・不満を禁じ得ない。

ただ、自分も含めて、できることの限界を感じている。 
被災地があまりに広大なのだ。 

そう、自分自身、被災地のほんの一部しか訪れていない。
今年は、久々に訪れてみよう。


自分のシステム1が調子悪い

2017年03月09日 | 失敗・災難

心のサブシステムの1つで、日常行動の中心的役割を担っている「システム1」の調子が悪い。

国会図書館に行くのに地下鉄を使うのだが、降りる駅を乗り越してしまった(こんなこと初めて)。
いつものように乗車中はiPadで読書するので、システム2(思考言語)の作動がメインになるのはいたしかたないが、いつもなら周辺意識であるシステム1が降りる駅のアナウンスを合図に作動してくれるのに、今日は作動しなかった。

そして、図書館から帰りの地下鉄では、乗換え駅で、家とは反対方向の車両に乗ってしまった。
いつもと違う駅で乗換えたため、慣れていなかったこともあるが、直感的な空間感覚と勘が見事に外れたのだ。

もともと勘(システム1の一部)の性能は人並み以下で、その証拠にUSBの差し込み口はたいてい上下を逆に挿し込もうとする(もっと正確な証拠では、トランプを裏返しにしてカードの色を次々と当てる作業をすると、毎回決まってハズレの方が、6:4で多くなる。一度たりとも当たりが多くなる、あるいは半々になったことがない!)。

そして家に帰ったら、部屋のエアコンがつけっ放しだった。
毎日同じ外出時のルーティン作業(システム1) がミスった。

いったいどうしたんだ。俺のシステム1。

システム1は、迅速だが不正確なのが特徴で、しかも私はADHD気味なので、もとより品質が悪いのだが、今日の不正確さは異常だ。
今日は、車を運転しない日でよかった※。 

※この4日後、ガソリンスタンドで、車のサイドブレーキをかけ忘れて、降車してしまい、知らぬ間に車が後退してスタンド内の鉄骨部にぶつかり、後ろのバンパーが破損した。このミスもシステム1の不調による。 

システム1は行動経済学やマインドフルネスからは悪者視されているものの、日常行動の主役であるので、これはこれできちんと鍛える価値がある(その方が生活が楽)。

学習理論にもとづくきちんとした心理学的プログラムが正統な方法だが、第六感を鋭くしたいので、少々怪しげだが”潜在意識”の覚醒をすれば効果があるだろうか。


今月は18キッパー

2017年03月06日 | 

3月は週一回ほどの会議くらいしか、出勤の用事がない。
なので、日頃は東京の実家にいて、週一回のんびり名古屋を往復する。
幸い、3月は「青春18きっぷ」が使える月。 

なので新幹線の1/4の運賃で片道6時間かけて在来線を乗り継ぐ。
職業柄、この6時間が無駄にならないのがうれしい。

幸か不幸か東海道線は、車窓の景色に目が奪われることはない。
なので長い乗車時間がすべて貴重な読書時間になるのだ。
日頃は読みにくい分厚い哲学書が読み進められる(読んで楽しい小説に費やすのはもったいない)。 

貧乏旅行の中にも贅沢な気分を入れるため、上野−熱海間の JR東日本エリアではグリーン車(2階席)に乗って、往きは弁当、帰りはビールを味わうことにしている。
もちろん、グリーン券情報をホームでSuicaにチャージする。
グリーン車初心者の人たちが車内でグリーン券を割高で購入しているのを見ると、 前もって教えてあげられたらと他人事ながらやきもきする(いくらなんでもSuicaはもっているだろう)。

それと18きっぷで乗り継ぐには時刻表は必須(ポケット版で充分)。
なぜなら、乗り継ぎは、今乗っている便の終点ではなく、途中の次の便の始発駅で乗り換えると確実に座れるのだが、ネットなどではそのような情報がでないのだ。

鉄道の旅をする人間に時刻表を買うのを惜しむ発想はない。
それ自体が楽しい読書にもなるから。 

ケチれる所はとことんケチり、価値あるものにはきちんと金を出す。
これで人生を貧しくせずに、お金を貯めることができる。