論文原稿を提出したし、コロナ感染者は低水準のままだし、ヤクルト・スワローズも前日遅く日本一になったので、師走前の日曜は、すっきり気分転換のために山歩きをしようと思った。
最初は峰の薬師(相模原市)が候補だったが、28日は不動様の縁日だと気づき、それなら不動様のいる山にしたい。
するといつもの高尾山か相州大山になった。
大山不動はケーブルの途中駅にあるが、高尾山の不動堂は山上にある。
なので9月に続いてまたもや高尾山に行くことにした(あとになって埼玉県の高山不動の存在に気づいた)。
高尾山は準備が不要で、朝もゆっくりでよく、しかも駅からバスに乗らずに登れるので、どうしても第1候補になる(残念ながら、山に対してとても怠惰になっている)。
8時に起きて、ゆっくりして9時前に家を出て、途中の店でおにぎりを2個買い、10時半に高尾山口に降り立つ。
ここまでの車中は満席で、駅のトイレも大行列(高尾山頂直下にきれいな水洗トイレがある)。
雑沓に混じってケーブル駅のある登山口に行き、ケーブル客の大行列を尻目に、人がぐっと少なくなる谷沿いで日陰の冷え冷えとした6号路を進む。
高尾山はケーブル利用なら、山上駅から1号路の舗装路を薬王院経由で山頂まで、ほぼ街歩きの格好でOK(ベビーカーも通れるし、昼食も麓・山中・山頂で摂れる)。
一方麓から歩いて、しかも1号路以外の”山道”を歩くなら、山の格好が必要。
私はいつも通りに、6号路から分かれて高尾病院前の坂を登る琵琶滝道のショートカットを選び、琵琶滝道の尾根(高尾山の道で一番急傾斜)を直登して稜線上の1号路と合流する。
ここからは登山の格好をした私たちと街中のファッションの人たちが合流して、薬王院の境内(標高500m)に入る。
境内では、願いがかなうという輪くぐりや本堂、そしてその上の飯縄権現堂はいずれも行列になっている。
なので本堂と権現堂は堂の脇から手を合わせて済ませ、奥の院の不動堂を目指す。
標高559mにある不動堂は、縁日のためか、正面の扉が開いている(写真:ただし堂内に上ることはできない)。
大半の人が不動堂を素通りする中、私は正面の扉の前で合掌して、不動明王の真言(ノウマクサンマンダー、バーザラダンセンダー、マーカロシャーダーソワタヤ、ウンタラターカンマン)を三唱する。
ここからは道が狭くなるので、行列状態になって山頂(599m)に達する。
冬晴れのいい天気なので、東京から横浜にかけての日本一広い大都市部が一望。
目を西に転じると雪を頂いた富士が丹沢・道志の山の奥に超然とそびえている。
だが山頂は立錐の余地がないので、昼食をとる場所がない(山頂の標識付近も記念撮影のために行列ができている)。
なので山頂をそのまま通りすぎ、西側の奥高尾方面にくだって、山頂周囲にある巻き道との合流点まで下るとベンチがあり、しかも空いているので、そこに座っておにぎりを食べる。
高尾山頂から奥の”奥高尾”山域には観光客は足を踏み入れないので、ぐっと人が少なくなるのだ。
ただ、冷めたおにぎりと水だけではさみしいので、少し奥に進んだ「もみじ台」の茶屋(細田屋)で、暖かいなめこ汁(400円)を注文する。
茶屋からは高尾山頂以上に富士が真正面で、しかも混雑しておらず、茶屋の椅子に坐って暖かいなめこ汁を口に含みながら、じっくり眺望を楽しむことができた(写真:富士の左側の鋭峰は丹沢の大室山1587m)。
奥高尾に入ったので、この先の小仏城山(670m)まで行きたい気持ちもあったが、時刻が正午をまわっているので、無理をせず下山を選ぶ。
高尾山頂には登らない巻き道を通って、麓までの最長路・稲荷山道(いなりやまみち)を下る(登りに急斜面、下りに最長路を取ることで、高尾山の中で最も負荷の高い、歩きでのあるルートを選んだつもり)。
今回もまた左脚の腸脛靱帯が痛むかどうか気になるが、サポーターは簡易なものをつけ、持参したストックもあえて使わず、露岩や木の根が多い山道をスタスタ降りる(この道は街の格好では無理)。
久しぶりの運動のためか、両膝の裏側に違和感を覚えたが、腸脛靱帯は無言のまま、ケーブル駅のある登山口に降り立った。
時刻は午後2時前で、まだ登りにくる人もいるし、麓の蕎麦屋(高橋屋)は大行列。
山歩きというのは、高尾山レベルであっても、登りも下りもそれぞれ身体に余分な負荷をかけて疲労感を与える(さらには、高尾山よりぐっと低い神奈川や愛知の山で、遭難死が今月起きているように、命の危険を伴う)。
山歩きは、現代人にとっては”いい運動”という位置づけだが、修験道などの山岳宗教的にはあえて身体をこき使う”苦行”である。
今回、怠惰な態度ゆえに選んだ高尾山だが、都心から一番近い修験道の霊山なので、”行”としての山歩きにもふさわしい山かもしれない。