今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

七草粥を食べる

2025年01月07日 | 歳時

本日1月7日は、五節句の最初の節句である「人日(じんじつ)の節句」。
この日は”春の七草”を粥で食べるという。

これは5世紀の中国(東晋)の年中行事を記した『荊楚歳時記』に載っている風習で、19世紀に明治政府が五節句そのものを廃止したのだが、こうして民間で古代からの伝統を大切に守り、21世紀の日本でも実施されるのだから面白い。

スーパーに行けば「七草粥セット」が490円で売られていて、それを買って、卵入りのレトルトの粥と混ぜる。
お茶漬けの元を入れて味付けをしたら意外に満足できた。
正月のお節に飽きた腹には、こういう野菜いや野草中心のシンプルな粥が新鮮。

次の節句は3月3日の「上巳(じょうし)の節句」(「桃の節句」は通称であって正称ではない。他の4節句は正称で通っている)
この日は缶詰めでいいから桃を食べよう(桃の花の時季であって桃の実の時季でないため)
その前に「節分」があるが、似非伝統の”恵方巻き”とやらは無視する。


例年通りの三ヶ日を過ごす

2025年01月03日 | 歳時
毎年、元日は儀式を大切にし、元日を含めた”三ヶ日”はあえて儀礼的無為を貫き通すことにしている。
すなわち、意地でも和服で通し、仕事に一切触れず、また混む初詣にも行かず、食事はおせちと餅の繰り返しで、昼間から酒を飲み、関東戦国史の本を読む。
※:「学問に正月(休日)はない」という考えは確かにあるが、あえてそこから離れることで、新鮮な発想に切り替えるメリットがある。
ついでに、寝る前は、湖池屋の「のり塩」特大サイズ(195g.普通サイズの3.25倍)を寝酒の肴にしながら、年末に撮り溜めした「バス旅」(千葉成田から青森龍飛先)を4回に分けて観る。

今回読んだ本は、昨年に続いて『戦国武将列伝(関東編下)』。
いわゆる”国衆”(戦国領主)の網羅的紹介で、史料による経歴・事績の記述で終始される。
彼らは領地の維持(あわよくば拡大)が使命なので、隣接する国衆と争い、上位パワーである戦国大名(北条氏・上杉氏)に付いたり離れたりを繰り返す。
このワンパターンの生き方が次々と紹介されるだけで、ドラマチックな展開がなく、今年も読むのが辛かった。
「バス旅」の方がよほどドラマチックに感じるのは、ある決断への葛藤(迷い)がどういう結果をもたらすかをリアルに追えるから。
考えてみれば、戦国時代の国衆たちも、戦さの決断をはじめ自分たちの命運をかけた決断の連続であったはず。
本書が淡々とした紹介で終わっているのは、そういう人間的エピソード(伝説)に乏しい人たちだからだ。
だからむしろ歴史小説家が題材を探すつもりで読むといいかも。

2025年元日を過す

2025年01月01日 | 歳時
新年あけましておめでとうございます
本年も皆様にとってよい年でありますように
 
日本の正月、とりわけ元日は、1年で最も特別な日として、神聖な心持ちで神妙に儀式的に過す日で、それを大切にする日本人であることを堪能する日でもある。
 
正月は、特定の宗教臭さもなく、むしろ太陽に対する地球の公転の期日として普遍的視点で祝えるのがいい。
それは神道に内在する普遍性を実感できることでもある。
※:神道に内在するのは日本人としての民族性だけでなく、少なくとも北東アジアに共通する宗教的普遍性があり、それは自然宗教において呪術性に堕しない良いサンプルを示している。すなわ閉鎖的民族性もち呪術性も、そして妄想的思考を強要する教義性もない、”超越的に存在に対する直き心での崇敬の念”を専らにする普遍宗教としての神道を体験できる。
例年通りに儀礼的にすごすことが元日の意義である。
目覚めたらまずは新湯で湯ごりをし、羽織・袴に着替えて、地元の二社一寺に初詣でに行く。
第一鎮守の天祖神社はすでに長い行列だったので、近くの富士神社を先に参拝して、
行列が短くなった天祖神社で、柏手の音を響かせて参拝する。
ついでに、下駄を履いていると拝礼での屈体でバランスとるのが難しいことを痛感。
第二鎮守の八幡神社は空いていて、隣接する東覚寺(赤紙仁王)にも立ち寄る。
ちなみに寺社で参拝する時は、願を掛けることはせず、ひたすら神仏への崇敬の念を発する。
私は神仏習合派なので、富士神社では「南無富士浅間大権現」、八幡神社では「南無八幡大菩薩」と祈る。
寺では、(可能な限り)本尊の印を結んで本尊を念じて真言を三唱する(すなわち三密)。
 
帰宅して、武家の礼装である烏帽子・直垂(ひたたれ)に着替え、お節料理の準備ができて一同集まったら、屠蘇の儀を式三献で執り行う。
それ以降は直会(なおらい)よろしく、神と酒を酌み交わす節会(せちえ)を楽しむ。
神道の儀式ってなんて人間的なんだろう。
 

2024年を振り返る:個人編

2024年12月29日 | 歳時
2024年の自分(周辺)を月別に振り返って見る。
1月:母と深川不動に初詣。個人で日本橋・千手の七福神巡りのハシゴ。甥の成人を祝う。姉とその息子(甥)がローマから来日し、父の23回忌を半年前倒し。
2月:入試を終えると時間が空くので、恵那峡・浜名湖に泊り、暇にまかせて『大菩薩峠』を読みはじめる。
3月:実質春休みなので、愛知・東京・群馬の郷土博物館巡りに費やす。月末に長年配信していた自分のHPサイトが閉鎖された(なので記事の一部をこちらのブログに移行)。
4月:長年行きそびれていた岡崎城に行く。帰省中に母が貧血で倒れた。
5月:久しぶりの高尾山。定期的な茶臼山カエル館訪問。
6月:27年ぶりに教え子と再会。
7月:今の家に住んで10年目。その地で40.3℃の高温、2時間で99.4mmの雨を記録。
8月:国会図書館に通ってコミック『魔百合の恐怖報告』シリーズ25冊を読破。
9月:霊視認についての論文投稿。『大菩薩峠』全41巻をやっと読破。
10月:半年ぶりに高尾山。従叔母(92歳)葬儀。長年行きそびれていた鎌倉の「まんだら堂やぐら」に行く。茶臼山カエル館訪問。
11月:厚木の飯山観音・白山。高校同窓会。
12月:AirPods Pro2を購入。

振り返ると、山は高尾山がたった年2回(他に山頂に立ったのは愛知の茶臼山と厚木の白山)。山から完全に遠ざかってしまった。
温泉旅は計9回で、これも月1回のペースが保たれなくなった。
新しく訪れた温泉宿は恵那峡グランドホテルだけで、復活した定宿には4回泊った。
世界的長編『大菩薩峠』を読破し、鎌倉で唯一訪れていなかった「まんだら堂やぐら」に行けたのは、自分にとって記録に値する。
唯一新鮮だったのは教え子との27年ぶりの再会。
12月に購入したAirPods Pro2は、難聴者にとって、自分の聴覚に合わせた補聴器として使える有り難いもので、常時装着したいくらい。
全員確実に1歳年齢を重ねる。
甥の成人(二十歳)は嬉しいが、今年も高校同期に逝去者があり、母の代の親族は母だけとなった。その母(95歳)も夏以降は身心ともに弱ってきた。
私自身もやり残していたことをやり遂げて、悔いのない人生を送りたい。

2024年を振り返る:世相編

2024年12月28日 | 歳時
年末恒例、今年を振り返ってみる。
先ず世相編。
今年は初っぱなの元日の夕方(元旦ではない)に、能登半島地震の洗礼を受けた。
東京宅でもはっきり揺れ、テレビではアナウンサーが避難を叫んでいた。
能登半島は、9月にも大雨被害を受けて災害のダブルパンチ。
景気低迷と人口減少が続く日本の、幹線ルートからはずれた半島部であるだけに、復興が遅れがちとなっている。

そして今年の夏も暑かった。
しかも5月から10月までの半年間が夏といってもいい状態。
私は冷房の効いた図書館に通うだけで、レジャー的な外出をする気がなかった。

選挙も印象に残った。
オールドメディアの影響力がなくなり、候補者個人の情報発信の力が発揮された。
衆院選では、それまで存在感がなかった国民民主党が一挙に主役に躍り出たのは、私にとってはうれしい事。
まだ野党癖が抜けていないが、いずれ自民党に代わる責任政党に成長してほしい。

今年も有名人の訃報に心を悼めた。
とくにマンガ・アニメ(声優)形の大御所(鳥山明、楳図かずお、大山のぶ代、TARAKOなど)の逝去が印象に残る。
芸能人では西田敏行の喪失が響く。
彼の主演作はたくさん観ていて、私にとっての代表作は東日本大震災を描いた『遺体』かな。

こうして振り返ると、得たものより失ったものの方が多い一年だった(出生率は最低を更新したし)。
来年は、われわれのフトコロをまずは豊かにしてほしい。

年賀状じまいに迷う

2024年12月25日 | 歳時
多くの人が直面している「年賀状じまい」の問題。
私もこの時期になると「年賀状じまい」が心に浮かぶ。
そもそも年末のクソ忙しい(正月気分でない)時に精神的・作業的負担が大きく、しかも郵便料金も値上がりしたので経済的負担も増えた。

実際、私宛にそれを通知されたこともあるが、別に不快にはならず、むしろ先を越された感があった。
それに自分からあえて「年賀状じまい」を宣言する事にはまだ抵抗感があるため、こちらから申し出るより、先方から通知される方が気が楽だ。

結局、今年も決心がつかず、例年どおりの賀状書きをした。
私は表(おもて)面の宛名と住所は手書きで、裏面に定型的あいさつと毎年変える写真と近況は印刷し、それに手書きの添え書きを加える。
相手の住所氏名を書いていると、相手の顔が思い浮かばれ、そして裏面の添え書きにその思い浮かんだ相手に向けて一言メッセージをしたためる。
この間、年に一度だけ、その相手と心の中で対面し、対話をする。
実際やってみて、この時間(経験)が、とても貴重だと感じた。
こういう旧知の相手は、近況を伝えたいし、知りたいので、無駄とは思えない。

ただ、もともと対面は1度きりで賀状だけのやりとりだけで数十年続く相手は、すでに顔を思い出せず、そもそも接点がなくなっているので語る言葉も思いつかない。
たった一言考えるのに時間を要す。
こういう本当に賀状だけの相手はつらい。

もらう側としては、裏面はもとより表面の住所・宛名すら印刷だけ(しかも手書きの添え書きもなし)だと、無理に出してくれなくてもいいように思う。

一つの案として、こちらからは(年内に)率先して出さず、正月に来た賀状に対して返信を書くだけにするのはどうか。
最低限の礼を失しない行為だし、”正月に賀状を書く”という本来的な行動に終始できる。
そして、こうすると自然にフェードアウトできそう。

もちろんこちらから出したい相手には従来通りでいい。
すなわち、賀状を”続けるか否か”という2元論にこだわる必要はない。
定年後の暇な生活では、旧知と旧交を温めたいし、賀状書きもいい暇つぶしになるはず。

冬至の年筮で2025年を占う

2024年12月21日 | 歳時
冬至の今日は、「冬至の年筮」と言って、易者はこの日に来年を占う。
易学研究会の顧問である私も、例年通り、自宅で筮竹を捌いて、中筮法で来年の世相を占ってみた。
得た卦は「火風鼎」だが、五爻が変爻だったので「天風姤」に変わる。
すなわち来年の前半は「火風鼎」で、後半が「天風姤」とみなせる。
すると、来年前半(鼎)は、新しい機運に乗ってよく、例えば国政で言えば減税の方向を進めてよい。
ところが後半(姤)、思わぬ女性が出現して混乱をもたらす。
国民民主党の党首はすでにこの問題は解決済みと思えるので、別の問題だろう。
これについては自分自身も気をつけたい。


名古屋宅で大掃除2024

2024年12月14日 | 歳時
煤払いの翌日の今日、予定していた大学の業務がなくなったので、急遽名古屋宅の大掃除に取り掛かる。
まずは窓を開けて、マスクをして、化繊のハタキで家具のホコリを取る。
床の掃除は、ハンディ掃除機で簡単にすむ。
以前は、これを手動でやっていた(ホウキとチリトリ)ので時間がかかった。
キッチンは油を使わないので、水垢取りで終わる。
風呂もトイレも以前よりは簡単に終わる。
要は余計なものを室内に置かない(そこが汚れる)こと。
だから便座カバーもつけていない。
風呂での洗髪は浴槽内で石鹸で済ませ(ついでに下着も洗濯)、あとは石鹸類を使わないので油汚れが発生しない。
それに通常の入浴時にシャワーで浴室の壁を洗っていればいい。

きのこの日のきのこ焼きそば

2024年10月15日 | 歳時

今日10月15日は知るひとぞ知る「きのこの日」・

秋の味覚の主役ともいえるきのこ。🍄 

その王者たるマツタケについては、母の誕生パーティで毎年、一家で堪能している(今年は9月30日)。

名古屋宅で自炊の本日は、好物の焼きそばにきのこをふんだんに入れて「きのこ焼きそば」を作ることにした。

スーパーでまず買ったのは、麺類に合うエノキ。
エノキは存在感が控え目で見た目も麺に近いので、麺の増量効果として使える。
嬉しいことにカロリーの増量は0なので、小麦の麺を増すよりいい。

ついで今日ならでは買ったヒラタケ。
シメジよりは傘が大きく、存在感があるが、シイタケほどではない、その手頃さがいい。

そして追加としてキクラゲ。
このプリプリ感は中華料理にぴったり。
大きい傘を縦に切って入れる。

これらに加えて、イタリア産の冷凍きのこ(Funghi)ミックス、そして出来上がりに瓶詰めの「きのこ三昧」を加えた。

きのこには制癌効果など薬理効果がありながらカロリー0というのも嬉しい。

きのこ(蕈)は菌類という生物としては原始的なレベルで有りながら、超越的力をもつ神秘的存在。
人間との関係においても、上の制癌効果やビタミンD供給以外に、幻覚効果や笑いが止まらない神経作用、あるいは人を苦しめて殺す力も備えている。
闇夜に発光する不気味なきのこもいる。

かように、食べ物として以前に、”きのこ”という存在そのものに、神秘的なパワーを感じている。
幼い時にあの「マタンゴ」(東宝特撮映画)を観て以来。
※:円谷英二特撮監督作品なので、てっきりゴジラなどの怪獣ものだと思って観てしまった。子供向けでない映画だったからこそ、子供にとってゴジラ以上のインパクトを受けた。

そうだ、きのこの日の今晩はマタンゴのDVDを観ることにしよう。


山の日・お盆休みは完全休養

2024年08月12日 | 歳時

「山の日」を挟む三連休にお盆休みが続く。

観光地は掻き入れどきのはずだが、北日本は台風上陸、そして東海以西は「南海トラフ臨時情報」いわば”巨大地震注意報”発令中で、客足が鈍っているらしい。
※:15日17時まで有効。
前者はいたしかたないが、後者は発生確率が1%から1.5%に”上昇”した程度なのだが、
日頃から防災を謳っている者として、立場上これを冷笑するわけにはいかない。


ただJR東日本管内の東海道線大磯—熱海間が徐行運転とは、相模トラフの危険性は上がっていないのでやり過ぎだと思う。
徐行ないし運行停止は駿河湾(沼津)以西の南海トラフの地震が発生してからで済むことで、震源域外で何もないのに徐行運転する必要はない。
これも”やってますよ”的対応なのだろう。

大磯—熱海間では、南関東大地震(関東大震災)の時、根府川駅の鉄橋に土砂が来てちょうど通過中の列車が海中に転落して多くの死者を出したというトラウマがある。
でもこれはほぼ直下の相模トラフの地震であって、駿河湾以西の南海トラフの地震だと揺れはもっと小さいし、津波も時間差がある。

ただ18きっぷで根府川の前後、すなわち早川から真鶴までの車窓から見る、海に落ちる山腹にへばりついている民家を見ると、相模トラフの地震が来たらひとたまりもないことは容易に予想できる
(平野部の少ない日本にはこういう危険な立地の家屋が多い)。
なのでまず必要なのは家の耐震強化なのだが、簡単にできる備蓄品の買い出しで”やった気になる”。
とうことで、皆が防災演技にいそしんでいるわけだが、それとて”防災訓練”として無駄とはいえない(非経済だが)。


私自身は、せっかくの「山の日」前後だが、地震以前にこの猛暑で外出する気になれず、
あえてこの時期に山や旅に行く強迫観念からも解放されているので、
のんびり家にいて(近所の買い物はする)、冷房の効いた室内で読み残した『大菩薩峠』を読み進めることにする。


春分・秋分の日出・日没時刻

2024年03月20日 | 歳時

昼夜の長さが等しくなる春分・秋分の日の日出・日没の時刻は?

およそのところ、日出は午前6:00、日没は午後6:00(昼の計=12時間)。

とてもわかりやすい。

なんでこんなわかりやすい時刻かというと、太陽が南中する時刻(日出と日没のちょうど中間)を12:00(正午)に設定してあるから。

そして春分以降は、日出が午前5時台に早くなり、日没は午後6時以降に伸びていく。

ただしこれは理論(理想)値であって実際の値(観測値)はこれからズレる(日本標準時の明石でも)。
そこより東にある関東ではさらにズレが大きくなり、上よりも日出は16分早い。

でもおよその値として理解しておいて損はない。


1月25日は八甲田忌(2024)

2024年01月25日 | 歳時

震災が癒えぬ能登半島を含めた西日本に強い寒波が襲来している(九州でも積雪)。
かように、1月下旬は1年で最も寒い時期。

実際、日本の観測史上の最低気温(-41℃)を記録した(北海道上川)のは、明治35(1902)年の1月25日だった。

その記録的極寒の日、運の悪いことに、帝国陸軍青森歩兵5連隊は、八甲田山で雪中行軍を挙行し(出発したのは23日)、山中で強烈な寒波と猛吹雪に見舞われ、進路を見失って山中を彷徨い、210名中199人名の死者を出した(八甲田山雪中行軍遭難事件)。
※:不運というより気象情報の無視という情報的怠慢。伊勢湾台風が来ているときに伊勢湾に航海訓練に出るようなもの。何より事前にルートの下見をしなかったのが決定的な失策。

長年山をやっていた1人として、毎年この日を「八甲田忌」として、この世界最大の山岳遭難の犠牲者を悼むことにしている。

といっても私にできる事は、自室の仏壇に合掌することと、この出来事に思いを馳せるために、新田次郎原作の映画『八甲田山』を観るくらいだ(長いので2晩かかる)。

ただ今年は、24日までに、この出来事を題材にした伊藤潤の『囚われの山』(中央公論新社)を読んだ。

新田次郎の『八甲田山死の彷徨』以来の小説化であるが、そこは当然意匠を異にして、現代の雑誌編集者を主人公にして、彼がこの遭難事件の新たな謎に挑む要素を加えた二重構造のストーリーになっている(もちろん新田次郎の本も映画もいずれも創作が混じっている)。
事件の真相については、本書解説の長南政義氏による当時の陸軍の事後検証のまとめも参考になった。


2024年元日の地震

2024年01月01日 | 歳時

2024年の元日は、例年通り新湯で湯垢離をして、和服に着替えて近所の神社に初詣のつもりだったが、
昨日から風邪をひいているので、湯垢離で身体を温めた後は、外出を控えた。
※:1月1日終日が元日、それに対して元日の朝だけが元旦。元旦=元日と誤解している人が多い。あえて元旦と言わずに素直に元日と言えばいいのに。

その後は例年通り、烏帽子・直垂(ひたたれ)姿となって、弟一家を交えて屠蘇(とそ)の儀(式三献)。
そしてお節料理を肴に、この三日間は真昼間から酒を飲む。

宴が終わって、のんびり読書でもしようかと思ったら、家が揺れている。
立っていた母が気づかないほどだったので揺れは大きくない(震度2)が、やたら長い。
この長さは、3.11を思い起こす。
急いで テレビをつけ、 NHKに合わせる。

すると震源地は、かなり離れた能登半島。
震度が最高度の7になっている(すぐには被害状況が不明でも、しばらくするとそれなりに出てくる)。

津波警報が発令され、テレビの女性アナウンサーは、避難を呼びかけている。
地震が続いているようで、津波警報が大津波警報がランクアップされた。
すると女性アナウンサーは、「今すぐ逃げて!」と声を張り上げる。

津波に対しては、「逃げる」以外に方法がない。
気象災害でよく使われる「命を守る行動を…」ではダメで、具体的な行動を示さねばならない。
なのでこのテレビからのこの指示は正しい。

ただ、1箇所気になったのは、「できるだけ遠くに」と形容していた点。
大津波警報で5mの津波が予想される場合、海岸部の人は、海抜5m以上の地まで逃げなくではならい。
海岸部に平野が広がっていたら、”遠く”に逃げている最中に津波に追いつかれる。

正しいのは、「遠く」ではなく「高く」。
夜の番組では、ここがきちんと訂正されていた。


餅を喉に詰まらせない方法

2023年12月31日 | 歳時

めでたい正月を迎える前の大晦日に、あえてこの記事を記す。

めでたいはずの正月のおせちの宴で、雑煮の餅を喉に詰まらせて死亡することを防ぎたいから。

その記事は10年前に公開している☞餅を喉に詰まらせない方法:追記

一言で言えば、雑煮の餅は、生のまま煮込むと餅の粘性が最大となって危険で、必ず焼いて(表面を固くして)から椀に入れること。
そうすれば必然的に餅を(飲み込まずに)歯で食いちぎって食べることになる。
これは地域の伝統的な雑煮と異なるかもしれないが、”安全”を最優先べき。
安全を最優先するのが日本の伝統的作法(武家礼法)の論理だ。
すなわち、この方法こそ、安全と品性を実現する礼法に適った食べ方だ。


2023年を振り返る:個人編

2023年12月30日 | 歳時

正月の準備が終わると、例年だったら山に行ったものだが、半ば義務感で山に行くことはやめて、行きたくなったら行くことにする。

さて、年末恒例の今年一年の振り返りの個人編。
世相編と対照的に、今年の私は、近年でも最も「何もなかった」一年だった。

めでたい出来事も大きなトラブルや不幸な出来事もなく、定型的活動の繰り返しが多かった。
仕事では新しい授業をもつもことなく、授業内容も昨年とほぼ同じ。
書き上げた論文は昨年と同じく1本(それまでの年2本のペースはきつくなってきた)

旅では定宿に復活した宿に6回行き(結局ここが一番お気に入り)、その他でもいずれも新しい宿は開拓しなかった。
日帰りでは鎌倉に4回行き、愛知の寺社にも足を伸ばした。

茶臼山のカエル館(長野県根羽村)も例年通り、春・秋の2回訪問。

東京と名古屋との往復は、昨年から利用している”ジパングクラブ”(JR東日本)で3割引の運賃(ただし「ひかり」)。
春休みと夏休みは”青春18きっぷ”でさらに安く上げる。

その中で数少ない新しい経験を探すと、
5月に高尾山の琵琶滝で滝行を経験し(☞記事、6月に名古屋宅から近いジブリパークに行った(☞記事)
また”川歩き”において、11月に野川(多摩川支流)の水源の庭園に入れて、6年越しの野川遡行を完遂(☞記事)

結局、今年一年を平穏無事に過ごしたことこそ、何よりも収穫だった。
なにしろ、父の享年(66)を無事通過したから。

残念なことに同年齢の従兄弟はこの年齢で昨年に世を去った。 
高校の同期会でも今年物故した複数の同期生の黙祷をした。
というわけで、この歳になると、あえて新しい経験をする必要もなく、無事に存在し続ければそれでいいと思う。