今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

夜の高原でサーモグラフィ

2015年05月31日 | 茶臼山カエル館計測

毎年春と秋に愛知の屋根・茶臼山高原に泊まりで訪れる。
愛知唯一の高原風景が気に入っているからであるが、その他いろいろ楽しみが増えた(それらについては後の記事で)。

今回は”計測マン”として、ほぼ全装備を固めた。
その中でも新入りのサーモグラフィ(赤外線センサー)が頼もしい。

さて、これで何を測るか。
もちろん肉眼(可視光)で見えない対象だ。
不気味な地熱は先日の箱根で堪能した。 
すると、残るはあれ。
プレデターやグラボイズ2のように、見えないほ乳類をセンサーで捕捉したい。
それは夜の野生動物だ。 

今宵の宿である休暇村・茶臼山高原は、その名の通り、茶臼山高原上にあり、目の前の牧場に夜訪れる野生の鹿を見に行くイベントが宿泊者対象に実施される(昨年も行った)。

今年もそれに参加した。
サーモグラフィ片手に。
宿から参加者全員忍び足で歩く。
やがて牧場に達したので、宿の案内担当者が懐中電灯をそちらに向ける。
一瞬、鹿の群れの一部が見えた。
すかさず私もサーモグラフィを向ける(写真)。
するといるいる(写真の黄色い点々が鹿。人影は先導する案内担当者)。
懐中電灯の範囲の外にもたくさん。 

人間を確認した鹿らはどんどん牧場の奥に入って行く。
そして地平線のギリギリで止っているのがサーモの画面でわかる。
他の人たちは、暗闇の鹿のいない草原を懐中電灯であちこち照らして鹿を探しているが、そこにはまったくおらず、ずっと遠くにいてこちらの様子を窺っていることが”私だけ”見えている。

これがサーモの威力。
満足した。


危なっかしい気配

2015年05月30日 | 防災・安全

箱根の大涌谷近くの噴気を見に行ったその日、関東で震度5弱の地震(3.11以来)。
そして昨日は、口永良部島でのまさかの大噴火。
今日に至れば、小笠原でなんとM8.5の巨大地震(幸い深発なので被害はなし)。
日本の地下が活発になっている。 
次はどこだろう。
ちなみに震度5弱であわてて転ぶのは、本人のせいだからね。 

かくいう私は、今日は防災の授業を担当したのだが、事務局のプロジェクタ装置の接続操作がダメで、仕方なく板書で授業した。

なんか自分周辺もちょっとしたトラブルが続いている。
慎重に行動しよう。 


箱根へ噴気を見に行く

2015年05月25日 | 東京周辺

今回の帰京の第一目的である箱根に行ってきた。
大涌谷の様子を見に行くため。

もちろん、立入禁止なのは知っている。
だから、遠望と周囲の探索で我慢する。

なぜそうまでして行きたいかというと、サーモグラフィで地熱を確認してみたいから。
すなわち計測マンの血がうずくのである。

小爆発の危険に備えて、車の運転時に使用している帽子型のヘルメットを名古屋から持参。

箱根に行く時は自然と小田急のロマンスカーを使う。
箱根は別荘地と高級旅館と美術館がひしめくちょっとグレードの高い観光地なので、新宿からその気分にひたりたい。 

ただ箱根湯本からは、きっちり節約して、登山鉄道やケーブルより安上がりな路線バスで目的地に向う。

西武系の伊豆箱根バスで、早雲山の先の「上湯」で降りる。
ここは大涌谷の麓で、さっそくバス停前の道路脇の斜面から湯気が出ている。
サーモグラフィを照(ア)てると、50℃を表示した。

持参したメットをかぶり、さらに道路を進むと、水道管理の広場をすぎる左側の木立の中に噴気がモウモウと上っている場所がある。
ここだ。ここが現在唯一立寄れる噴気スポットだ。
サーモでの温度分布を示す(右画像の上がサーモ画像で十字記号の白い部分は68.4℃を示す。
下が同じ場所の写真画像で、サーモで同時に撮れる )。

山腹一帯の地面から噴気が雲のように湧き出し、樹齢100年以上ありそうな大木を枯らしている。
ということは、最近になってこのような状態になったわけだ。
硫化水素の臭いはないので、大胆に近づいてみる。 

不気味に口をあけた噴気孔にサーモを照てると 90℃を越えた。
ただしサーモが測っているのは地面であり、噴気そのものではない。

戻ると、私のような身なりをした中年男性が「いつも来ているのか」と声をかけてきた。
「初めてだ」と答えると、彼は毎週見に来ているという。
彼によれば、ここの噴気は、四年前の3.11以降から出現し、最近になって拡大してきたという。彼に伴って、 水道管理の広場に行くと、噴気帯の全貌が見わたせる(写真)。
彼は写真を撮って帰ったが、私はさらに噴気帯に近づき(マネしないでね)
、あちこちにサーモを照て、地面を手で触れてみる。

玉川温泉(秋田県)の岩盤地帯の熱さと硫黄臭さに比べるとたいしたことはない。 
ただし山体が膨張しており、爆発の危険性はこちらの方がありそうだから油断は禁物。

これで来た甲斐があった。
ただ、谷の西側も見てみたいので、通行止めになっている大涌谷への分岐を
通過して姥子(休止しているロープウエイ駅がある)まで行く。

姥子の船見岩に登って大涌谷を遠望すると、黒卵を売る小屋あたりのいつもの噴気(写真中央)の左に、別の噴気帯が広がっているのが見える。この噴気帯の左の延長上にさきほどの上湯の新しい噴気帯がある(5月5日の記事「気になる箱根の火山活動」の写真とも見比べてほしい)。ちなみに写真右側の峰が箱根で一番最近に出現した冠ヶ岳。

ニュース映像になっているのは造成温泉設備がある大涌谷の東斜面だが、あそこは立寄れず、その上をヘリコプターが舞っている。
気のせいか時たま地鳴りのような音がする。 

姥子からバスで往路を戻った。
休止しているロープウエイは小田急系なのだが、その代行バスが走りたい道路は西武系の縄張り。
いつもはライバルとして箱根を棲み分けている両社だが、代行バスは呉越同舟よろしく両系列のバスが走っていた。

バスに乗っている間に、埼玉で震度5弱の地震があったらしいが、まったく気づかなかった(携帯に緊急地震速報が通知されていた)。
そもそも箱根では地震は日常茶飯事。

箱根は文字通り”活きた”火山博物館だ。
温泉と美術館だけではもったいない。
さまざまな山中の火山地形を探訪してこそ
、箱根を真に堪能できる。


なんとなくドローン

2015年05月23日 | 生活

3Dプリンタやドローンには、これからの何かを変える革新性を確かに感じるのだが、自分自身にとってはそれを使って仕事や生活をがらりと変える用途が思いつかない。

とりわけドローンは、無節操が先に立って、危険性の方がアピールされてしまった。

ただラジコンで飛ばすだけでなく、俯瞰映像が撮れるのが魅力だ。
が、それでどこを撮りたいかが思いつかないまま、ドローンの入門機に位置づけられる小型カメラ付き”マルチコプター”の1万円未満の安物をネットで購入した。

それなりに急いだのは、できたら来週末の旅先で使ってみたいから。
無理やり思いついた用途は、小さな滝の上からの風景を撮ること。
何しろ滝って下から見上げるだけだから、たまには上から見下ろしてみたい。
安物で防水性はないので、小さい滝に限るが。 
同じく、川の真上からの景色も撮りたい。
こうなると防水性以上に、操縦ミスで川に流されたら一巻の終わりだ。 
手動操縦のマルチコプターはよく行方不明になるらしい(ほぼ自動のドローンより操縦は難しい)。 

私が買ったのは安物でも一応「自動帰還」機能はある。

まず身につけるべき操縦法は、空中でのホバリング。
さすがミニヘリよりはホバリングしやすいが、どうしても勝手に動いてしまう。
これは空気の揺らぎによるのか、操縦・駆動の揺らぎによるのか。
どっちにしろ、ホバリングとは空中で静止していることを維持するための絶え間ない運動であることを痛感する。 
ちょっと空中の位置の均衡が破られるだけで、前後左右上下のうちの一方向への動きの逸脱が増幅される(もちろん制御不能の重力加速度が常にかかっている)。たしかに、オスプレイの操縦はたいへんそうだ。 


携帯の在る生活

2015年05月22日 | 生活

帰京したら、長野県警からわが携帯(電話)が届けられていた。
早速、ネットでロック解除をし、元通り使える状態になった。

以前の生活に戻っただけなのだが、その生活を支えていたモノが不在になったことで、その存在を改めて実感できる喜びに浸っている。

この体験を、前回の記事では、行動経済学の「損失回避」、すなわち利得と同額の損失の心理的価格感は2倍になるという、感情的バイアスで説明しようとしたが、
行動経済学よりもっと深い次元の、存在論レベルの問題かもしれない。

日常を効率的にパターン化してやりすごしていると、われわれは存在者(在るモノ)の存在(在るコト)をいちいち実感することなく、空気のように常に在ると前提して意識しなくなる。

そして、その存在者がアクシデントで不在になった時、自明視していたその存在者の存在を、存在の”有り難さ”を痛感する。

平常に生きているわれわれは、自分がこうして健全で在ることの”有り難さ”を忘れ、
病気や災害に見舞われて初めて、その”有り難さ”を痛感するように。

このわれわれの日常の生活態度こそ、ハイデガーが『存在と時間』で指摘した”存在忘却”だ。

われわれ人間は、”現存在”という、存在を了解できるこの世で希有な存在者であるのに、
自分が存在し、世界(あなたやあれこれのモノ)が存在していることを当たり前のことと自明視して、その存在を実感しなくなってしまう。

適応的・効率的に生きる上では存在忘却しても実害はないのだが、せっかくこの世で出会っている存在者たちの存在を忘れることは、限られた時の間だけこの世でそれらと共に在る者として、あまりにもったいなくないか。

無くなって初めて痛感する存在の価値。
これが存在忘却を避けられない現存在の、悲しい”気づき”なのだ。

だからこそ、無くなったモノと再会した時、それは経済学的にはマイナスが0に戻ったにすぎないのに、
存在を再確認できた喜びという、行動経済学よりも深い次元の獲得感を得るのだろう。

日ごろの存在忘却は避けられないにしても、せめて失った時の”気づき”はきちんと受け止めたい。


わが携帯電話よ

2015年05月20日 | 失敗・災難

自分の携帯(電話)がいつも入れているバッグにないことに気づいたのは、長野駅前から善光寺大門行きのバスに飛び乗った直後だった。

サイフと携帯は入れる場所を決めている。
そこにないということは…嫌な予感が走った。

まずは家に置いてきた可能性から考えてみた。
実際そういうことがしばしばあったからだ。

だが、一番直前に携帯を使ったのが、今朝の北陸新幹線のホームで自販機のお茶を携帯のSuicaで購入した時だと思い出し、携帯を持参したことは確実になる。
それ以降、携帯を使った記憶はないので、普通ならこのバッグにしまったはずだ。
上着やズボンのポケットも探ったが、手に触れるものは何もなかった。

残すは、コインロッカーに入れてきたキャリーバッグだ。
いちるの望みを残して、予定通り善光寺を参詣した。
ただ、気はそぞろで、前立本尊を拝観した後は、どこにも立寄らずに、またバスで長野駅に戻った。

コインロッカーに直進し、キャリーバッグを取り出し、チャックを開けて中を開くが、携帯は見当たらない。

携帯電話を紛失したことがこれで明らかとなった。

バスに乗る前は、新幹線だ。

駅ビルに入り、遺失物コーナーを探すと、駅の反対側口の一階にあった。
そこのドアを開け、係の人に乗ってきた便と車両・座席を言って、なくした携帯の特徴、すなわち黒い二つ折りで、裏のバッテリ部分の蓋が取れている旨を説明した。

すると係の人はその特徴に反応し、奥に入って、黒い二つ折りの携帯を持ってきたではないか。
しかも、裏のバッテリの蓋が取れて、白いバッテリがむき出しになっている。

だが私の携帯はバッテリの部分に黒いビニールテープを巻いて保護してあるのだ。
それに、私の携帯よりボディが大きい。
少しの違いだから、これでもいいか…というわけにはいかないのが、つらい。

これではありませんといって、引き下がる。
もう名古屋行きの特急の発車時刻だ。
ホームに行ったら、座席は満席で座る余地がない。
あきらめて、1時間後の便にする。

そして、ビールとつまみを買って、次の便に乗る。
列車は長野駅を後にする。
もう諦めるしかない。
私は携帯を見つけられなかった。 

缶ビールを開け、車窓に目をやるが、旅情を味わう気になれない。
東京から真直ぐ名古屋に帰れば、こんなことにはならなかったはずだ。
長野の善光寺に寄り道したことは高くついてしまった。
私にとって善光寺とはなんだったのか。 

列車が川中島に達した頃、後悔に耽ってはいられないことに気づいた。
Wifiに電源を入れ、iPadからネット経由でドコモのサイトに繋ぎ、自分の携帯にロックをかけた。
これで被害が拡大することはない。

考えてみれば、私にとっての携帯はほとんどがFeliCa(おサイフ機能)に使うだけで、あとはごくたまに特定の相手に連絡するだけ。
なので、無くなって生活に困るわけではない。
そう、実害は意外に少ないのだ。

だが、喪失感はどうしてもぬぐえない。
私はスマホは使わず、このガラケーとタブレットという最強の組合せですごしてきた。
いわば、私の情報生活を陰ながら支えてきたのがこの携帯だった。
あまり使わないため、なおのことバッテリがよくもち、いつも私と行動を共にしていた。タブレットよりもずっと前から。
私と一番長くそして近く、”伴に在った”ものかもしれない。

それが今は無い…

名古屋宅に着き、ドコモに電話して、紛失を伝えた。
すると、 「DoCoMo補償」に加入していて、同じ機種をゲットできるという。
これは助かった。
ただ、この機種はとっくに製造中止になっているので、同じ機種は不可能だろう。
補償を受けるためには警察に紛失届を出してくれというので、 翌日、仕事帰りに名東警察署に立寄った。

心はすでに 新機種に傾いているので、すぐに紛失届の写しをもらいたかった。
ところが、警察署の若い担当者は、私が無くした携帯の特徴を丁寧に尋ね、それを熱心にメモしていく(上述した特徴の他に、ストラップについても聞かれたので、その特徴も話した)。
そして席に戻って電話をしている。
長野県警あたりに確認をとっているのだろう。
職務熱心なのはありがたいが、無駄な作業だし、私としては届けの写しがほしいだけなのに。
ずいぶん時間がかかっているので、近くの振込め詐欺防止のチラシなどをくまなく読んで時間を潰す。

やっと 戻ってきた彼の第一声に、わが耳を疑った。

私が話した特徴すべてが該当する携帯が、長野県中央警察署に届けられているという。

あったのだ。私の携帯が。

コインロッカー付近に落ちていたらしい。
届けてくれた人は、名をつげなかったという。 
さすが善光寺の門前町。 

警察官に見えない優しそうな担当者は、今後の受取手続(私が先方に連絡して、着払いで自宅に送ってもらう)を丁寧に説明してくれた。

とにかく嬉しくなり、喜びと感謝の気持ちを目の前の担当者に吐き出す。
担当者も笑顔で応えてくれた。

思ってもみなかった結果になって、足取りも軽く警察署を後にした。
よし、今晩は祝杯だ!

客観的には、マイナスが帳消しになっただけで、決してプラスが増えたわけではにないのに、感情はぐっとプラス側に伸びている。
人間て面白いものだ。  


東京から長野経由で名古屋

2015年05月19日 | 

7年に一度、御開帳中の善光寺(長野市)になんとかして行きたかった。

東京からなら、北陸新幹線で往復すれば楽に日帰りできるが、単なる往復ってなんか手間がもったいない。
長野行きがある名古屋から行ったらどうかと考えてみたら、むしろ東京から長野に行き、そのまま名古屋に帰れば、効率がいいと思った。

幸い、今日はゆっくり帰名できる。

東京から、長野経由で名古屋までの運賃は、新幹線と特急料金(ともに自由席)含めて、12400円ほど(上野から乗ればもっと安い)。
もちろん長野で途中下車できる。
東京から名古屋までの東海道新幹線は11000円ほどだから、約1500円増えるだけ。
これで、信州の鉄道旅行ができるのだからお得感が高い(ただし時間的ロスでみると割高になるが)。

乗車時刻が不定なので自由席にしたため、あえて始発駅の東京に行き、出発30分前に並らんで席を確保する。

長野駅に降り立ち、コインロッカーにキャリーバッグを預けて、 循環バスに乗って善光寺大門前(期間中バスの終点)で降りる。

善光寺の門前を進み、本堂前の大回向柱に触れるための行列に加わる。
平日火曜なのになんでこんなに人が多いんだ。 

内陣を参拝するためチケットを買い、本堂に入る。
そこも幾重の行列で、やっと前立本尊を拝む。
善光寺名物・戒壇めぐりも行列なので、こっちは(いつでも体験できるので)あきらめた。

なんだかんだで1時間半を要して、長野駅に戻った。
名古屋行きの特急しなのに乗ろうとしたら、2輌しかない自由席は満席。
なので、1時間後の次の便にした。
といってもひまつぶしに歩きまわる必要はなく、発車30分以上前に、車内に入れて席を確保できる。

ここからは3時間ほどを要して、篠ノ井線・中央西線で、木曽路を縦断して名古屋に行く。 
天気の割りに山には雲がかかって眺めは期待通りでなかったが、 足早ながら信州・中山道の旅を満喫できた。
山々が雪をかぶる頃、もう一度やってみたい
(青春18きっぷでの名古屋~東京間は甲府経由で8時間かかる)。

ただし、今回の余計な旅によって、実は北陸新幹線内で携帯電話を紛失してしまった
これは別のテーマになるので別途記事にする。 

 


都構想の形式的問題

2015年05月18日 | 時事

「大阪都構想」に対する住民投票の開票速報は、久しぶりにワクワクした。
最後まで大差がつかずデッドヒートを示したからでもあるが、
もとより住民投票で可否を決定するという、 直接民主制を具現したからでもある。

ただ結果には、ガッカリ感が残った。

地方自治から変えていくという、改革の波が潰えたから。

既得権側(既成政党)の利益を守る抵抗だけでなく、既存の慣れ親しんだものが無くなることへの心理的抵抗感もあったろう。
旧来の区と市が消えて、合併した区と市の上の府だけになって、住民サービスがきめ細かくなるとは考えにくいのも確かだ。

ただ、都民(区民)の一人としては、以前から政令指定都市の二重行政には違和感を覚えていた。

もっとも、他の政令指定都市内の現行の区と同じくらいの面積の特別区なのだが。 

大阪が市の解体を実現すれば、私のもう一方の住居である名古屋もその弾みがついたかもしれない、という期待もあった。

ただ、「都」構想というネーミングにも問題があった。
「大阪都」という名称には、東京を羨望するかのような二番煎じ感があったろうし、すでに”都”である東京側にも抵抗感がある(石原前都知事の発言)。

ましてや、名古屋を「中京都」(川村名古屋市長)と名乗るのは、飛騨高山あたりの「小京都」よりは格上だが、本場の「京都」よりは明らかに格下であることを明言するかのようで、”大名古屋市民”のプライドを傷つけそう(もちろん”中”は中央の意味で使っているのだが)。
「都」を使う必要はなく、府県の下に市に相当する特別区を設ければいいだけだ。

それより、「名古屋」という地名が消えてしまうことの方が問題か(大阪は府名で存在する)。
その下の区名も「中区」とか「東区」とか、歴史性を無視した無粋なものだしな。

そう考えると、住民投票で行政区画名をもっと大ざっぱで無粋な名称に変えるというのは、確かに抵抗があるだろう。


赤外線センサーを装備

2015年05月12日 | 計測

私こと”計測マン”の進化は留まるところを知らない。

計測の醍醐味は、見えないものを見る、すなわち不可視なものを可視化するところにある。
気温、気圧、放射線、電磁波しかり。 

そして今回、赤外線センサーを装備した。
これはサーモグラフィというやつで、物体から放射される赤外線からその表面温度を測るものだ。

外の景色に自分の右手を差し伸べた画像を示す。
温度分布はスペクトル表示され、白が最も温度が高く、次いで赤→黄と続き、濃い青がもっとも低温。
画面内では最低温度が8.2℃、最高温度が私の掌の33.5℃だ。
中央の○の温度(℃)の数値が左上に表示される(川の中)。 

これがあれば、可視光が見えなくても、闇に潜む怪しい人間の存在がわかというもの。

そう、私はプレデターグラボイズ2並みの感知能力を身につけたのだ。

もちろん本来の目的は、本業の心理学実験用に、ストレス時の皮膚温の変化を測るため。
でも実験以外にも、いろいろ使える。

それにしてもこういう手ごろな計測器って、ことごとく外国製。
つまり日本製は”民生用”が存在せず、バカ高い研究用しかない。

これはメーカーの責任ではなく、ユーザー側の問題だろう。
気象災害が多いのに、日本では、まともな気象計さえ、国産のものがない。
線量計も福島原発事故以降はともかく、事故以前は、”安全神話”ゆえか、 民生用がなかった。
当時購入したアメリカ製の民生用は、放射能事故についての対応がマニュアルに書いてあったのには驚いた(それが役立つとは当時は予想できなかった)。
もっとも日本では、体重計だけは進化がすごい。 


阿木城

2015年05月11日 | 城巡り

中津川の定宿に向ういつもの快適なハナノキ街道(国道363)沿いにある阿木という風光明媚な山村に、阿木城という戦国期の城跡があるのを知った。

山城は戦国期にあちこちに造られたので、山城巡りを趣味にすると、旅で立寄る先がぐっと増える。

ただ、観光名所にはなっている所は少なく、多くが地元の人しか知らない判りにくい場所にあり、ここ阿木城も中津川市の史跡には指定されているが、観光案内の対象にはなっていない(なっている城は苗木城だけ)。
なのでネット情報を頼りに、事前に登り口までの道を確かめておいた。

ところが最近の山城ブームを反映してか、ネット情報にはなかった案内板が道路に面してつけられていたので、迷うことなく、登り口に達した。

そしてそこには、阿木城の説明パンフと手作りの地図、そして訪問者ノートが置かれている。
城へ上がる道も階段状に整備され、周囲の木も切り倒されて、眺めもよくなっている。

縄張り内に入ると、手製の案内板で「竪堀」「腰曲輪」などあり、チェックポイントを見落とさずにすむ。

そして頂上の主曲輪に達する。

主曲輪は、直径50mほどの完全な円形で、この城の特徴となっている。
180度挟んで大手口と搦手口の虎口がある。
他の曲輪はすべて腰曲輪で、主曲輪の特異性を高めている。
主曲輪に立派な建造物があったとしてもおかしくない。 

登る途中に礎石のような石が気になっていたので、そこに戻ると、初老の男性が立っていた。

直観でこの城跡の案内資料を作っている地元のN氏と分かり、城について色々話を伺った。
この石は礎石のようだが、ここには1つしかなく、このような石は縄張り内では数ヶ所に散在しているだけだという。
N氏は案内板だけでなく、道も整備している。
さらに縄張りを見やすくするために、植林されていた木々も3月に切ってもらったという。
かように、着々と整備が進んでいるようだ。 

さらに、麓の阿弥陀堂の焼けた本尊を拝観させてもらい、写真まで撮らせてもらった。

訪問者ノートに書いてくれを言われたので、お礼を記しておいた。
ノートには、東京など遠方からも訪問者もいる。
ローカル線明知鉄道の阿木駅から徒歩で来れるので、 新しい名所として期待したい。


気になる箱根の火山活動

2015年05月05日 | 防災・安全

東京から100km圏内、横浜からならさらに近い箱根(神奈川県)で火山性地震(≠火山性微動)が増え、観光名所で水蒸気の噴気が足下で見られる大涌谷(写真は2007年)が立入禁止となった。

御嶽に続いて、蔵王がと言われていたら、なんと箱根までが。 

箱根山は、25万年ほど前は標高2700mほどの富士山型の成層火山だったが、巨大噴火をして、山体中心部が破壊されてカルデラを形成し、その後、中央部からまた山体が形成され、また大爆発でカルデラが形成された。

その後、小規模な火山活動が再開して、カルデラ内に中央火口丘が次々とできて、3000年前に最高峰の神山の北側が水蒸気爆発をして、大涌谷を形成して現在に至っている(参考文献:『箱根火山探訪』袴田和夫 1993)。

こうしてみると箱根の主たる噴火口はほぼ一貫してど真ん中の神山付近であるから、大涌谷は箱根火山の火口そのものともいえる。

火山としては、すでにズタズタに開析されてしまったので(すなわち老年期)、関東ローム層を形成した時のようなカルデラ形成につながる山体全体の大爆発は起こらないだろうが(山体自体の体積が今では少ない)、カルデラ内の町や交通機関(鉄道、バス、ケーブル、ロープウエイ)に影響する水蒸気の小爆発は(いつでも)起こりうる(たとえば前回山津波が起きた大涌谷から姥子・仙石原にかけて。風向によっては強羅側も)。

そう、箱根は火山体の内部にいくつもの町があり、温泉街があるのだ。

そして気になるのは、箱根の隣にある、火山としてはずっと若い富士山。
今の富士がまさに最初期の箱根の姿で、それが山体崩壊する大爆発でカルデラを形成する可能性は、長い目で見れば当然ありうる。
といっても現在の富士は、山頂火口部の地温が下っており(少し前は白煙があがっていたという)、むしろ休眠期に入ったばかりともいえる。
ただ駿河湾や相模湾のトラフの活動や隣の箱根の活動で、眠りの邪魔をされるかもしれない。 なにしろ富士山は「活火山」だから。

※風評被害を助長しそうな表現をしていたので、改めた。大涌谷に面していない所は危険でない。


祭の青梅に行く

2015年05月03日 | 東京周辺

週末ならいつでも旅行できる身なので、GWにあえて混雑して割高な旅はしない。
ただ陽気がいいので、一日くらいは青空の下で羽根を伸ばしたい。
といっても山歩きは左脚の腸脛靭帯炎のため不可なので、ぐっと負荷を下げて山城巡り。

青梅の勝沼城趾が未訪なので、ここにしたいが、ここだけでは物足りない。
近くの塩船観音寺がツツジ祭りをやっていて、しかも3日は本尊ご開帳。
それに青梅市では「青梅大祭」のクライマックスで、町中の山車が出るとか。
2つの祭を追加しよう。 

青梅線の河辺(カベ)で降りて、塩船観音入口行きのバス停に向うと、バス停から階段上の駅のベデストリアンまで行列。
でも臨時便を出してくれて、さほど待たずに西東京バスに乗れた(高尾駅でも同様な対応をしてくれる)。 
バスを降り、駐車場が空くのを待っている自家用車の列を抜いて境内に入る。

つつじ祭の期間中だけ入山料300円払う(檀家のいない寺なのだ)。
阿弥陀堂に参拝し、次いで本堂に上って、木像の十一面観音を拝む。
周囲には二十八部衆の木像が並んで、阿修羅像もあり、奈良の興福寺を思いだす。 
関東で二十八部衆がいるのは珍しいだろう。

つつじ山の麓では、護摩行が終わり、真言がスピーカから鳴り響く中、火渡りの行が始まる。
せっかくなので、自分も渡ろうと思ったら、それを待つ一般客の行列が、駅のバス停の比ではない(最低でも10倍)。
ここでは臨時便も期待できず、城跡に行く用事があるので、あきらめた。
別に御利益を求めて参詣している訳でないし。 

好天というより炎天下の中、「城山街道」を西に向う。
妙光寺という曹洞宗の寺の左奥の山道に入り(案内はない)、ほどなく登ると、
見まごう事のない「虎口」が正面に現れる(写真中央)。
左の竹林には土塁と横堀がまっすぐ伸びている。
虎口に立つと、脇に勝沼城の解説板があった。

ここは、青梅一帯を支配していた三田氏の居城で、慶應大のある港区三田とも関係している。
平将門の末裔を自称した三田氏は、結局小田原北条氏に滅ぼされてしまう(北条の軍門に降った滝山城主の大石氏と命運が別れた)。
>勝沼城趾は滝山城ほどの規模ではないが、縄張りは複雑で、保存もよい(ただし郭3は妙光寺の墓地になっている)。

南麓には、三田氏の後に入城したという師岡(モロオカ)氏の師岡神社があり、大きなシイの木と雷電様の祠がある。

ここからは東青梅駅が近いが、青梅大祭を見物するため、あえて西に進み青梅駅に向う。
ほどなく、出店と山車が現われ、通りの人口密度がどんどん増していく。

青梅駅近くになると(=祭主催の住吉神社近く)、山車も出店も人もぎっしり。
山車の上では、若者が囃子を奏で、面をつけて舞っている(写真)。
<山車同士が向い合うと、囃子太鼓のバトルになり、若者たちがヒートアップする。

こんな多くの若者が祭りに参加しているとは、羨ましい限りだ。
若者、とりわけ祭に参加する若者が少ない東京区部では、外部から応援部隊をたのんでいる。

それに対し、周辺都市といえる青梅では、地元に根を張った、なんというか「マイルドヤンキー」的な若者たち(30代を含む)が、白けもせず、気負うこともなく、等身大で楽しんでいる。
もとより堅気から少々外れた彼らの外見(特に髪)は、粋でイナセな祭にぴったりはまってカッコいい。
そして地元、さらには地元中の町内との一体感を祭囃子にのせて、野外の”クラブ”化している。

ここだけでなく、祭って日ごろはおとなしい日本人の秘められたパワーが爆発する、貴重な数日間だ。
祭に参加できない部外者の私は、ただ写真を撮って歩きまわるだけなのが残念。

 


国立国会図書館vs都立中央図書館:その後

2015年05月02日 | 東京周辺

最近ではもっぱら国会図書館派になった私だが、5月の連休は、国会図書館は全休で、都立中央図書館が全開なため、選択の余地なく、中央図書館に赴いた。

かような状況なので、私のような国会図書館派が大挙して中央図書館に乗り込んで来ているかと思ったら、
それどころかいつもの日曜より少ない。
天気の良いGWに、何が悲しくて図書館に籠るのかという私の同類は、期待したより少ないようだ。

さて、久しぶりに中央図書館に行ったら、最上階の食堂が業者が入れ替わっていた。

前の業者は儲けが少ないため撤退したらしく、新しい食堂は厨房の人の数もメニューも少なくなっていた。
何より、私の長年の定番だった「揚げ焼そば」が無くなったのが残念。
半ば「揚げ焼そば」を食べるために中央図書館に来ていたのに。
これでまた国会図書館に水をあけられたな。
…ただし国会図書館には、こちらの「揚げ焼そば」に相当するお気に入りは存在しないが。

もっとも、天ぷらだけは、国会図書館よりリーズナブルで、かき揚げ、ナス、チクワなどよりどり2品で150円。
国会図書館のかき揚げ(150円)は、その分厚さにたじろぐし、チクワが丸々一本(100円)なのもちょっと多すぎ。
麺に入れる天ぷらは、でかいの1種より少量2種がいい。

あえて中央図書館のアドバンテージを上げるとすれば、飲料の自販機のレベルが高いことか。
国会図書館には、ありきたりのペットと缶の自販機しかないが、こちらは紙コップでクリームや砂糖ばかりか温度まで好みを指定できる。
それとコーヒー・ココアのバリエーションがそれぞれホットとアイスに別れている(国会の方がホット系が少ない)。
そして紙コップなので、その分安い。
なので、気分転換の一杯には好都合。 

本日は夏日なので、冷房が入っていた。
国会図書館はもとより冷房の効きが弱すぎ、扇子を持参しないとつらいのだが、
中央図書館は逆に効きが強すぎ、暑がり気味の私でもロッカーにしまってきた長袖を取りに戻ったほどだ。

結局、食堂は総合的に国会の勝ち、空調は双方不合格(双方の中間が適)、自販機だけは中央の勝ちということになる。
もっとも、貴重なGW期間中全開してくれている腹の太さには改めて感謝したい。 

その後の記事は、「都立中央図書館は国会図書館の爪のアカでも」(2015年8月14日)へ