今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

夏至の水辺旅3:帰途・松平郷

2023年06月20日 | 

夏至間近の水辺旅も、最終3日目の浜名湖からの帰途につく。
宿のすぐそばを走っている東名高速を使えば、東名名古屋インター近くの名古屋宅へは1時間少しで着くが、急ぐ用事がないので、ここは三河高原を横断してゆっくり帰りたい。

浜名湖から西北に上がって、東名高速と峠を越えて愛知県に入り、新城市から本宮山麓の坂を登って標高500mの三河高原に達する。
旧・作手(つくで)村の道の駅で休憩して、ビールの空缶で作った風車(400円)を買い、向い側の慈昌院(臨済宗)に行く。
ここも臨済宗ながら弘法大師を祀っている。
由緒を見ると、寺域は奥平氏の石橋城趾で、謀反の戦さによって城を守る衆は全滅したらしい。
土塁が残っていて、土塁の遺体を埋めた跡地に石祠がある。
梵鐘があり、念を入れて撞いていいというので、一回撞いて鐘の音を響かせた。

ここから高原上の国道を快走し、豊田市に入って峠を下ると「松平郷」に出る。
徳川家の元である松平氏の発祥の地だ。
ここは再訪だが、その時は資料館だけ訪れたのだが、国指定の史跡になった今回は丁寧に家康産湯の井戸(写真)のある産八幡宮や、松平氏累代の墓所・高月院にも足を伸ばした。
松平氏の始祖である親氏(ちかうじ)は、上州(群馬)の出の遊行僧なので、群馬にも徳川家発祥地がある。
親氏の妻側がこの地の豪族(在原氏)で、親氏がこの松平の地を名字の地として名乗った。
そして松平から徳川と改姓した家康も、ここの産湯が使われ、また若い時に高月院に植えた木が現存している。
高台にある高月院に親氏の墓があり、本堂に上がれて本尊の阿弥陀如来を間近で拝め、ここでも梵鐘を撞いて、音を松平郷に響かせた。

遊歩道沿いにある立派な造りの親氏の銅像が、遊行僧から武士になる過程の姿を表している(写真)。

郷内には小川が流れて、途中に氷を掻き出した池がある。
この地で小川と池を歩いたので、海・湖に続く”水辺の旅”の続きといえる。

そして、今回最後に立ち寄ったこの地は、渡辺崋山豊田佐吉以上の、日本の歴史上で最高の偉人(と私が認める)徳川家康公にゆかりの地。
ということで、今回の旅は水辺の旅とともに地元愛知に関係する偉人を巡る旅ともなった。


夏至の水辺旅2:伊良湖岬から浜名湖

2023年06月19日 | 

夏至の水辺旅の二日目。

休暇村を10時にチェックアウトして、まずは渥美半島の突端である伊良湖岬の”恋路が浜”海岸に行く。
半島の突端は、海に囲まれた陸という独特の風景。

太平洋に面して、椰子の実が流れ着いたというその浜からは、伊良湖水道を行き来する大型貨物船が途切れる事がない
日本の工業貿易の中心地・名古屋港に向かう船だ。
伊良湖水道の奥には、三重県の神島が聳え(写真)、その奥には古代日本の中心部であった紀伊半島がある。
目の前に島があれば人は渡りたくなる。
そうやって古代日本人は紀伊半島と渥美半島を往来した。

そもそも旧石器時代に当時陸続きであった大陸から日本に人がやってきた。
当時の人口密度からいえば、その地を離れて渡来する必要はなかったはず。
人は仕方なしに移動するのではなく、あえて移動したがるのだ。
川の向こう、山の向こう、海の向こうに行こうとするのは、人どころか移動を旨とする動物の本質的志向性とさえいえる。
なるほど、私が何かと理由をつけてこうして旅をするのもむべなるかな。

ここから太平洋側の海岸沿いに渥美半島の付け根まで進む。

途中、港がある赤羽根の道の駅で、地元産の大型にんにくや青さ粉を買う。

道は内陸に入り、愛知を出て静岡に入ると、白須賀宿という旧東海道の宿場を抜け、本日メインの立ち寄り地・豊田佐吉記念館に着く。

ここは今を時めく世界のトヨタの元である豊田自動織機の発明者・豊田佐吉の生家などがある。
そう、トヨタ発祥の地は、愛知県豊田市ではなく、県境を越えた静岡県湖西市なのだ。
まずは佐吉が発明した自動織機の数々が並ぶ。
佐吉の業績はビデオで説明される。
来館者の芳名録を見ると、トヨタのあちこちの関連会社から団体で来ているのがわかる。
トヨタ全社が創業の精神・原点、そして誇りを忘れない姿勢を示している。

敷地の最奥の山に進み、佐吉も立ったという生家奥の展望台に立って浜名湖を望む。
生家には、発明した織機を触る母と佐吉の木像が当時の一場面を再現している(写真)。

ここから浜名湖の西側を北上し、浜名湖に突き出た半島部にある宇津山城址に向かう。
こういう(駅から離れた)立ち寄り先は、電車旅では行けない。

城跡直下の正太寺(曹洞宗)の駐車場に車を止め、境内の百観音の石仏を拝み、案内板通りに山上の城跡への散策路を進む。
その道は、弘法大師像などが番号に沿って並んで、四国八十八箇所霊場巡りにもなっている。
頂上には大きな大師像と、城跡の説明板がある。
この平らな頂上も城の曲輪の一部だとわかる。
ここから振り返ると、目下の浜名湖が海のように広い(写真)。
さらに踏み跡を進むと、石垣がでてきた。
この城跡は、今川→徳川と持ち主が代わり、武田勝頼の勢力の増減に合せて価値も変わった。

往路を下り、寺に戻ると、丁度本堂を掃除していた住職がいたので、挨拶がてら、曹洞宗なのに弘法大師を祀っている理由を尋ねた。
住職が言うには、八十八箇所の霊場としたのは先代の住職で、弘法大師は宗派を越えて崇敬されているので問題ないという。
確かに、私自身も旦那寺の宗派にこだわらず弘法大師を崇敬している。

ここから湖畔の道路を走って、浜名湖北辺にある本日の宿・グリーンプラザに着く。


夏至の水辺旅1:渥美半島

2023年06月18日 | 

一年でもっとも日が長い夏至(6月22日)と、その直前に訪れる日射最大の日(6月15日)は、日本では幸か不幸か毎年梅雨のさ中なので、それら"陽気"の極日を実感できないが、
※:陰陽循環理論では、夏至は陽気が極まる日であるから、冬至の”一陽来復”に対応して、陰気が復活しはじめる日でもある。

できたら夕日を日の長さを最大限に味わえる水平線で見たいという思いがあって、この時期の旅は海辺にしている。
愛知でそれにふさわしいのは、渥美半島の先端・伊良湖岬

もっとも伊良湖岬だと日の入りは伊勢湾を挟んだ紀伊半島の山の陰となるが、伊勢湾・三河湾・太平洋に囲まれたこの岬は、県内で海を味わうには最高の所。

実は先週夏のボーナスが支給されたので、それを祝した2泊旅も兼ねている。
なので、今晩は伊良湖に泊まって、明日は浜名湖に泊まる。
そう、先月は茶臼山・前回は東濃という山側の旅が続いたので、今回は海と湖を巡る水辺の旅とする。

伊良湖も浜名湖もどちらか一方に行く時は、公共交通機関(船、ローカル線)を使って旅情を楽しむのだが、両方を結ぶ今回は、車を使って、両者の間にある立ち寄り先いきも廻ることにする。

まず、本日の伊良湖行きには、渥美半島の付け根の田原市にある笠山に立ち寄る(写真)。
笠山は、隣接する蔵王山のような観光地ではないが、蒲郡付近を走る新幹線の車窓からも確認できる神奈備型の小山で、渥美半島で行きそびれいた。
麓に駐車場があり、そこから山頂まで一直線の石段。
神奈備型の小山だけに山頂には笠山神社の祠があり、雷神を祀っている。
79mの山頂からは、渥美半島の付け根である蒲郡湾が一望。

ここから、田原市街の田原城趾にある市博物館に行く。
ここは以前も訪れたが、今回も田原藩出身の渡辺崋山が展示の中心。
儒学者から洋学者に転じ、当代一流の画家でもあった(作品が国宝になっている)多彩な崋山は49歳の若さでこの地で自刃した。
さらに、渥美半島中央部にある渥美郷土資料館にも立ち寄る。

これらでわかるのは、渥美半島は旧石器時代から人が住み、平安・鎌倉期には渥美産の焼物が盛んだった(渥美半島は伊勢・奈良と東国とを結ぶ最短路でもある)。
また江戸時代の有名人では、今までは崋山一色だったが、新たな地元の推しとして糟谷磯丸という庶民俳人が挙げられている。
そして明治になって豊川用水が引かれてからは農業が盛んとなり、メロンなどが名産となる豊かな地になった。
それに渥美半島自体が天然の防波堤となって、南海トラフ地震の津波から愛知を守ってくれる。

泊まった宿は休暇村伊良湖で、温泉ではないが炭酸風呂が気に入っている。
ビュッフェバイキングで地元産の食材を堪能した(数年前までは三河湾名物・大アサリが食べ放題だったが、今ではふつうのアサリのみ)。
夕食後(日没前)に屋上に上がって、夕靄にかすむ伊勢湾と、あいにくの雲間から夏至近い夕日を眺めた。


定宿復帰の中津川温泉

2023年06月04日 | 

祝日もなく天候もすぐれない6月は、世間的には旅シーズンの端境期(はざかいき)だが、そういう時こそ私にとっては静かな旅ができる格好の時期(緑に白い四枚の花が映えるヤマボウシの見頃)。

といっても仕事の合間の2泊旅なので、近場の行き慣れた温泉宿でリラックス・リフレッシュに勤(いそ)しむ。
※:足先から頭までハンモック的快適さを味わえる折りたたみ式のリラックス・チェアを持参して、室内でこれに身を包む。この快適な製品は(複数社扱っていたのに)なぜか販売されなくなった。

先月は茶臼山高原だったので、今月は”旧”定宿だった東濃・中津川温泉のホテル花更紗にした。
この宿、今年になって1月、3月、4月、6月と4回目となる。
これは客観的に、”定宿”に復帰したことにならないか。

そもそもここは温泉(泉質と浴室)が気に入ってずっと定宿にしていたのだが、昨年、コロナ禍の中久しぶりに行ったら、経営が替わり、夕食が作法的に容認できない状態になっていたので定宿を解除した。→定宿だったのに
それを受けて、ここのブログにあったこの宿の記事も一斉に削除した。

それでも温泉への想いは捨て難かったので、全国旅行支援を利用するため、併設のクワ施設のレストランで食事をとって、宿は素泊まりにした。
さらに、ここの宿のビジネスプランの定食付きを併用すれば、クワ施設のレストランが休みの月曜の晩も問題ないことがわかった。

もともと、温泉が目的の旅でしかも少食になった私には、宿の豪勢な食事(夕も朝も)は不必要(基本、連泊なので、太ってしまう)。

ということで、2泊のうち1泊は素泊まり(併設レストランで軽く食べ,しかも今回も全国旅行支援のクーポンで賄える)、残りの1泊はビジネスプランにすれば、共に軽い食事で、安上がりで済む(コロナ明けは各地の宿が値上げ)。
もちろん温泉にはそれまで通り堪能できるので、問題ない。
ということで、この宿は事実上だけでなく、今後も含めて、定宿に復帰した。

ついでに、チェックイン直後の温泉の湯上りのために、途中でノンアルコール・ビールを買っていくべきだと痛感した(宿の自販機にないので)。
通常の甘い炭酸飲料では、ビール固有のあの爽快感が味わえない。
チェックインしたら、まずは買ってきたそれを冷蔵庫に入れ、その後温泉に行く。


新年度開始のリフレッシュ旅

2023年04月09日 | 

 新年度の授業が始まり、昨日の土曜は新入生の遠足に同行したので、翌・日曜から、新年度の英気を養うために、2泊の温泉旅に出る(週明けの仕事は火曜の昼からなので、火曜の朝に宿を出ればよい)。

学期や年度の終わりには”慰労”の温泉旅に出ているから、要するに何かと理由をつけて温泉旅に出るわけだ
※:論文執筆のための”お篭り”滞在というパターンもある。
もちろん、滞在して温泉に入りまくるので、リラックス→疲労回復→リフレッシュという流れを期待できる。

行先の宿は、昨年故あって定宿を解除したものの、こちらの利用形態を変えれば快適に過ごせることに気づいた中津川の温泉ホテル(温泉・浴室が捨てがたい)。
4月になったばかりの今年でもう3回目の利用だから、実質的に”定宿”復活と言ってもいい。

そして年度始め固有の”慌ただしさ”から頭を解放するために、往路は信号も車もない里山の道を愛車で快走する。

長時間の車の運転はストレス解消になるのかストレスになるのかわからないが、里山の風景の中を快走すること自体は気分転換にはなる。

と言っても通い慣れすぎた道なので、まさに気分転換のために、いつもは迂回する明智に立ち寄ることにした。
明智(恵那市)は、明智光秀を輩出した明智氏の名字の地だが、大正時代の建物が街並みに残っていたこともあって、それらを整備して「日本大正村」を名乗っている(写真:明治村と違って人が生活している)。

そう、賢明な読者はお気づきなように、昨日「明治村」に行ったから、その流れで今日は「大正村」に立ち寄ろうと思ったわけ。
もっとも大正村には、かなり以前訪れており、古道具屋でゼンマイ式の柱時計を買って、今でも研究室に掛けてある(時報がうるさいので動かしてはいない)。

さて、大正村に着いたら、以前は有料だった広い無料駐車場には、本日イベントらしく様々なクラシックカーが集まっている。
なので駐車場に空きがない、というより、クラシックカーでない普通の車は恥ずかしくて止められない雰囲気。

なので近所に短時間止めて、駐車場に居並んだピカピカのクラシックカーを眺めると、その中にイタリアのチンクエ・チェント(スバル360的超小型車)があるではないか。
私の愛車(Fiat500)の元となる車だ。
近所に止めた我が愛車は、これらの仲間に入れないが、クラシックカーのテイスト・流れを組む車であることを再確認できた。 
私の愛車の系譜はRover Mini2台→Fiat500であり、実にクラシックカーテイストが一貫している。

と、日頃は全く思ったことがない事を思ったりするのも旅先ならでは。

無事、(定)宿に着いて、これからしばらくは仕事を忘れて温泉三昧。
もちろん、全国旅行支援もありがたく頂戴する。


中津川の旧定宿に泊る

2023年03月12日 | 

昨日からの年度末慰労の温泉旅第四弾は、岐阜県中津川の旧定宿の素泊り旅だ。
あえて素泊りにしたのは、定宿から外した原因の夕食を摂らず、その代わり週末営業している隣接するクア施設の食堂で旅行支援の岐阜版”ぎふ旅コイン”のチケットを使えるから。

頻繁に旅行している身には、宿の豪華な夕食にはある意味”食傷”気味で(特にカロリー的に)、もっとシンプルでいいと思っている。
実際、食堂のメニューで充分なのだ(定食などのセットメニューも不要)。

こうすることで宿代が安くなり、さらに食事代も浮くという節約旅行ができた。

ちなみに、この宿に泊まる時は、男女で日替わりとなる総檜の浴室を外れなく堪能したいので、2泊することにしている(定宿から外しても、なお泊まりに行くのは、風呂が気に入っているから)。

2泊すると2日目は一日中現地にいることになる。
通い慣れた中津川市内の観光地は全て巡った中で、展示に入れ替えのある”郷土博物館”なら繰り返し行っても無駄がない。

市街地にある中津川市中山道歴史資料館を訪れた(330円)。
企画展は「幕末明治の医学と中津川」で、幕末に活躍した当地の医師・馬島靖庵の展示だ。
馬島靖庵といっても有名でないが、島崎藤村の『夜明け前』に出てくる、主人公青山半蔵(藤村の父がモデル)の平田国学の師である宮川寛斎のモデルである。
私は、中津川の定宿に泊まるたびに『夜明け前』の映画( 昔VHSで購入したものをデジタル化している)を持参したノートパソコンで観るので、そこに登場する”宮川寛斎”は目に焼き付いている。
※:今回に限り、東日本大震災の津波被害を描いた『遺体』

ただ宮川寛斎は横浜で金儲けに走って、半蔵から軽蔑されるが、モデルとなった馬島靖庵は(横浜には行ったものの)そんなことなく、医師を貫き通し、伊那の平田門人で有名な松尾多勢子の子に種痘(当時最新の治療法である)を施したという。
『夜明け前』のように事実を元にしたフィクションに浸ると、かえってそれを歴史的事実と混同してしまう弊害を痛感した(大河ドラマにもありがち)。
資料館は旧中山道に面しており、旧街道の雰囲気が残っている周囲を少し散策する。

まだ時間があるので、車で近くの桃山公園に行く。
ここには女夫(めおと)という、天の奇跡的配在の男女二つの岩がある(写真:右奥が男岩。手前の女岩は角度の関係で分かりにくいが、中央に割れ目が走っている)。
あまりに直接すぎて笑うしかないが、ここは市民の憩いの場で、今日も子供たちがこの岩の周囲ではしゃぎ回っている。
もっと有名になっていい岩だ。

そもそも中津川は、市中のあちこちに花崗岩の大岩が地面から生えている不思議な所。
女夫岩の岩脈の続きでは、民家が露岩を壁代わりにしている。

この公園の奥に大岩薬師があり、名の通り岩の中に薬師如来を祀っている。
本尊の前には木魚とガンモモが置いてあり、蝋燭を灯し線香を上げて、本尊の前に座って木魚を叩きながら、時たまガンモモを鳴らして薬師如来の真言と般若心経を唱えた。

かように中津川は街中にも訪れる価値のある所がある。
やはり、定宿にしておこうか…。


慰労の熱海温泉

2023年02月19日 | 

1月半ばからスタートした年度末の”慰労”温泉シリーズ。
要するに、後期授業終了・成績つけ・入試と次々にやってくる年度末の業務を乗り越えるごとに、慰労の温泉旅をしているわけで、今回は第三弾・熱海温泉だ。

熱海ということで出発地は東京。
すなわち、年度末の業務もほとんど終わって実質的に春休みに入っているのだ。

例年ならこの時期は、勤務先関係の共済の湯河原あたりの宿を利用するのだが、今年は連日満室。
次候補の「休暇村」なども満室でしかも強気な料金設定。

温泉は「アルカリ単純泉」を除外しており、熱海なら「ナトリウム塩化物泉」なので合格(熱海にもアルカリ単純泉の宿があるので注意)
※:成分が薄く自宅の入浴剤入りの風呂と同じレベルなのでありがたい効能はない。各地の”日帰り温泉”はほとんどこれ。なぜなら、成分がなくても水温が25℃以上ならば温泉法上「温泉」と認定されるから。実は「アルカリ単純泉」は有名な温泉地にも多く、客はそれなりにありがたがっている。東京の近場では箱根湯本温泉も該当。

宿が取れたのは、安宿チェーンの伊東園系列のホテル大野屋
ここは”ローマ風呂”で名を馳せた所。
安宿チェーンは一般的にバイキングの質が不満だが、ネットのコメントによると「伊東園の中ではいい方」とのこと。

せっかく熱海なら、バブリーな名残も味わいたいので、この宿の空き部屋の最後に残った「眺望なしのシングルルーム」に予約のボタンを押した(安宿チェーンの中にもコロナ後は強気の料金設定になって”安宿”でなくなっているチェーンがある中、伊東園の宿は安宿チェーンの意地を貫いて万札1枚でお釣りがくる)

安宿チェーンの宿は、昔の団体旅行ブームを当てこんで増築した状態を残しており、規模(容積)はやたらでかい。
このホテルもかつての団体向けから個人旅行に対応すべく、客室階にある掃除用具の倉庫を「眺望なしのシングルルーム」にしたので、一人客もok(割増無し)となっている。
こちらも安宿チェーンに居住性や旅情は期待しておらず、温泉とバイキングが満足できればよい。

まず夕食のバイキングだが、ここは”鯛の寿司”の特集をやるなど、ガッカリ感に落とさずワクワク感を与えている。
鯛以外にも普通の刺身類も多く、また同じ静岡県ということで浜松餃子があったのは餃子好きには嬉しい。
こうして食べ物レベルが合格圏内になると、伊東園のアドバンテージである追加料金なしの「飲み放題」が俄然輝いてくる。
ビール(スーパードライ)・ワイン・酎ハイ・日本酒(地酒)が追加料金なして飲み放題ということで、客層もこれを当てにした中高年男性グループの比率が多い。
もっとも安宿チェーン客に比較的目につく”訳あり家族”もそれなりにいて、私の隣席では、母親同士が姉妹の母子2人の2組だった。

次に風呂については、売りにしているローマ風呂は男女入れ替え制で、男は夕食後〜早朝までなので、1泊で4回入る私にとっては寝る前の1回しか入れない。
それ以外に露天と内風呂があるが、宿の規模の割には小さめで、こちらはハズレ感がする(この宿の温泉は貴重な”高張性で、成分が皮膚から浸透するので入り甲斐はある)。
※:成分の濃度が非常に高く、浸透圧が高いので、成分がどんどん皮膚から浸透する。日本のほとんどの温泉はこの逆の”低張性”で、1日程度の入浴では成分の効果は出ない。

だが、ローマ風呂は、さすがの広さで、円形の湯船の直径が大きすぎて、誰も湯船の中央に達しない。
もちろん、浴室内はローマ帝国の大浴場を模していて、しかも私が入った時は大柄な外国人が数人湯船に浸かっていて、実にテルマエ・ロマエ!という雰囲気を味わえた(これが1回しか味わえないのが残念)。

「眺望なしのシングルルーム」の客室については、寝れればいいので何も言うまい。
トイレが立派な洗浄機付きだったので、文句はない。
ただし フリーWiFiが1-2階(ロビーと食堂)のみで、客室では通じないのは不便だった。

そういえば、旅行割も該当するので、元々安い宿代がさらに2割ほど割引され、また2000円分のクーポンもついたので、いつもより高めの土産を買った。

翌朝、朝のバイキング(朝はどこもほとんど同じ)はやや控え目にし、このまま東京に直帰してもつまらないので、遊覧船に乗ることにした(1300円)。
旅先に船の航路があれば、陸上では得られない景色を味わえるから、できるだけ乗るようにしている。

考えてみれば、熱海からは初島や大島に船便があり、バスでは十国峠で富士を間近に見ることもできる。
そういう意味で観光地拠点としての熱海を見直す。

遊覧船の乗り場は、宿から歩いてすぐで、宿でもらった100円引きのパンフを差し出す。
乗船前に、乗客全員に救命胴衣が配られ、装着すると知床遊覧船事故を思い出して気が引き締まる。

乗船して、出発前に船の下の階に降りると、窓から魚が見れる(写真:船内の図鑑によると小さい群れがスズメ鯛、大きいのがメジナ?)。
こういう経験も陸上では得られない。

船が動き出すと、港にいたカモメが一緒についてくる。
目の前でカモメが等速度で羽ばたいているので、静止状態での飛ぶ姿を見れる。

海上から熱海を見返すと、ホテル群が海岸に連なっていて、確かにハワイのビーチの風景を連想させる(写真)。
その中で昔からある熱海城が孤然と日本的風景を演出している。

乗船場から海岸沿いに歩いて、昔は有名だった”お宮の松”を見て熱海駅に達した。
※:明治時代の作家尾崎紅葉の「金色夜叉」が熱海を一躍観光地にさせた。小説中の寛一が熱海の海岸でお宮を足蹴にするシーンが銅像となっている。小学生から熱海を訪れていた私は、そのいわれを知らず、この銅像を模した土産のこけしを見て、男性が女性を虐待している姿を平然と土産物になっていることを不思議に思った。

いそがないので、小田原で小田急の急行に乗り換えて、30分余計にかかるが500円安くして帰った。
実に安上がりな旅だった。

熱海は、確かに一時期は深刻な危機を迎えたものの、アルカリ単純泉でない療養泉の温泉場としての価値があり(箱根湯本や伊豆長岡とここが違う)、あちこち巡る観光拠点としての価値もあり(1駅分東京に近い湯河原とここが違う)、それでいて東京からのアプローチもよく(伊東とここが違う)、またこれら周囲全ての温泉地と比べて個性的な宿も多くて選択肢も広いことから、温泉旅の候補地としてやはり抜きん出ていることを再認識した(実は小学生の頃から熱海が好きだった)。


慰労の浜名湖

2023年02月06日 | 

勤務先の仕事が”年度末モード”に入り、2月の第一週で今年度の成績の締めと来年度準備(入試)のヤマを越えた。
ヤマを越えただけで終わってはいないが、まずは土日出勤の慰労として、平日ながら、浜名湖のグリーンプラザに投宿。

ここは、浜名湖畔にありながら、東名高速のインターからも天浜線の駅からも近いので、車・鉄道のどちらでも行ける(今回は鉄路)。
それと客室が全て和洋室と広めで、窓からは目の前に浜名湖が180°広がる。

コロナ騒ぎを通して多くの宿が値上げしている中、料金据置きなのがありがたい(私は会員価格)。

ここのビュッフェバイキングは、安宿チェーンのそれと違って、質的にワクワク感がある。
昔は、ズワイガニ食べ放題、一時期はなんとタラバ食べ放題という太っ腹だった。
その頃を知る身からすれば、今のメニューは見るかげもないが、個人的には浜松餃子で満足できる。
そして運び湯ながら温泉も導入して、唯一の弱点を解消した。

要するに交通も便利でコスパがいいのだ(旧”安宿チェーン”が値上がりして価格の優位性がなくなり、ほぼ同じ料金で客室と料理が上のこちらが有利となった)。
しかも今は全国旅行割!

しばし仕事を忘れて、夕・朝のバイキングと入浴三昧(4回)を堪能する。


宿の和食の問題

2023年01月17日 | 

慰労の元定宿に2泊して、拒否感を覚えない利用の仕方があることがわかり、また他のサービスも利用者本位に復帰されたため、利用を復活してもいいかなと思った。

何しろ、その拒否感は、この宿だけの問題ではなく、日本の宿、いや和食の店にも蔓延している作法的問題だから。

和食は、本来はご飯が中心で、そのご飯は複数のおかずを通して食べるもの(皆さんの家庭での和食がそれを実現している)。
それが、おかずとご飯が分離され、ご飯は最後に漬物で食べるように仕向けられた。
これは和食の作法ではなく、おかずに乏しく漬物だけでご飯を平らげる農民の風習にすぎない。
漬物は作法的には、ご飯のおかずではなく、ご飯の後の御茶請けなのだ。

本来の和食は、ご飯・汁・複数のおかずがセットになった”膳”形式(最もシンプルな形が漬物を含めた”一汁三菜”)で、これが殿様から農民・町人まで共通していた(宿の朝食だけはこの形式を踏襲している)。

なので私は防衛策として、おかずの提供が終わらないうちに、ご飯を要求することにした。
こうすれば、作法通りの和食を堪能できる。

ただ、宿や店が提供する和食には作法以外の栄養学的問題もある。
まずは、生野菜(サラダ)がない
和食の野菜はおかずとして濃い味付けで煮沸されるため、ビタミンCなどの水溶性ビタミンが乏しくなる。
これは和食の栄養学的欠点なので、改善すべき点。
栄養学的に葉物野菜は生が一番。

それと、漬物が本来はご飯が終わった後の御茶請けなのだが、その発想から逸脱したため、和食に本来存在しない不要な”デザート”なるものが登場する。
カロリー控えめなのが和食のアドバンテージなのに…台無し。

日本文化では、甘菓子は食事前の茶事に出されるもの。
なので、組み合わせ的に食後の御茶請けに和菓子ならまだわかる。
なんで和食の後に生クリームのついた洋菓子が出てくるのか。
空腹時の甘味は甘党でない私にとっても至福の味だが、満腹時の甘味はうんざり。

全員が嗜むわけでない酒がオプションのように、本来不要なデザートもオプションにしてほしい。

以上の問題は、元定宿だけでなく、和食の宿に共通するものなので、元定宿だけを拒否する理由にならないわけだ。

結局、私にとって一番気楽な宿での食は、サラダが食べれて※、デザートは取らずにすむビュッフェ・バイキングとなる(ちなみにバイキングの時は、ご飯などの糖質は摂らない)。

※:確信犯的「ら抜き」主義。「ら抜き」は文法構造的には違反ではない。「られる」は受け身に限定し、可能・尊敬は別の表現に代替することで、言語の本質的悪習たる”多義性”を回避すべき。


全国旅行割りを利用してみた

2022年10月17日 | 

茶臼山高原の旅で、全国旅行割りを利用した。

まず、この実施が決まる前に予約を個人的に取っていたので、宿に電話して、私が該当するか確認した。
宿によってはこの事前確認が重要な所もあるようだ。

実際に割引を受けるために必要な物は、3回以上の接種証明書(私は4回接種済)と住所を確認できる免許証やマイナンバーカードなど。
私は車で行ったので免許証。

宿のフロントで、チェックインの後に、上の2つを提示してこの割引手続をする。
私の場合は日曜泊だが、平日扱いとなり宿代は5000円引き。
それと宿の地元県の買い物割引(県によって名称が異なる)クーポンが1泊につき3000円分くれる。

前回の「Go Toトラベル」と異なるのは、有効期限が宿泊当日と翌日の2日間のみで、さらに使える店がその県内である点は前回と同じだが、店がかなり限定されている。
つまり使用期限と店が限定される2点で使い勝手がすこぶる悪くなった。

もちろん、宿でも売店や食事の追加注文に使えるので、まずは夕食時の酒をいつもより贅沢にする。
それでも余るので、いつもなら摂らない翌日の昼食を、使える店を選んで、豪勢なメニューを選んだ。

長野県の「信州割」は、500円券が6枚なので、500円単位での買い物となる(不足分は現金か、さらに500円券を使って釣銭なし)。
愛知県の「あいち旅」は QRコードが付いた紙カードで、こちらは購入した金額が差し引かれるので使い勝手はいいが、利用可能な店舗が少ない(「信州割」と違って道の駅やコンビニは×)。


高崎観音に行く

2022年09月10日 | 

9月10日、高崎観音に行った。
なぜなら、夏に買った「青春18きっぷ」の使用期限が今日9月10日で、最後の5回目を帰名(名古屋に帰ること)に使おうと思っていたら、週末に帰名する用事がなくなってしまった。

そこで余った18きっぷの1回分を10日にどう使うか考えた。
18きっぷ1回分は2400円ほどだから、おおざっぱに言って片道100kmあれば往復して割安となる。
5回分まとめて買うので、使わないと2400円分が無駄になる。

東京から100kmというと、熱海・甲府・高崎・宇都宮・水戸など選択肢に不自由はない。
熱海(日帰り温泉?)はいつもの名古屋往復で通っているので、別の路線がいい。
第一候補は内房線の太海(安房鴨川と館山の間にある外房側)だったが、片道4時間すなわち往復8時間もかかるので断念。
※:”つげ義春”の聖地巡礼の地。ここには館山に泊まって訪れることにする。
甲府(武田神社に行きたい)も片道3時間かかる。
時間がかかる所はそれだけ早起きしなくてはならないのが、この歳でもつらい。

快速が走っていて距離の割に所要時間が短いのは、高崎と宇都宮(熱海も快速がなくなった)。
宇都宮(栃木)は以前行った(大谷観音・宇都宮城・餃子)ので、今回は素通りばかりしている高崎(群馬)にしよう。

高崎といえば、丘の上に屹立している高崎観音だ(写真)。
"(巨)大仏巡り"も趣味にしているので、ここに行けばいい。
※:すでに行ったのは鎌倉大仏、大船観音、鹿野大仏、東京大仏、牛久大仏。ただし見るに値するものに限定。
これで決まり。

前の晩にネットで高崎観音までのバスの時刻表を確認し、それに合わせて、快速高崎行きに乗る。
高崎駅に降り立ち、観光案内所でバスの時刻表と観光地図をもらって、小さめの「ぐるりんバス」に乗る。
この手のバスは運賃は定額(200円)だが、スイカには未対応なので、現金の用意が必要。

バスは高崎の西にある観音山を大回りし、白衣観音前でバスを降りる。

正式名称高崎白衣大観音は、昭和11年に井上保三郎という個人によって建立されたもので、高さ42mもあって、今でも高崎市のシンボルである。
300円払って胎内に入るが、戦前の造りなので、牛久大仏のようなエレベータ設備はなく、狭い階段を登る。
最上階の9階は像の肩ほどの位置で、窓から眼下の高崎市街や周辺の山が望める。

この大観音を護持(管理)しているのは慈眼院という真言宗の別格本山なので、胎内に弘法大師の像があるのはわかるが、なぜか日蓮上人の像もあった。
外に出て、まずは御姿を買い(300円)、周囲の堂を巡る。
慈眼院の本堂奥には小さなたくさんの観音像があるが遠目ではよく見えない。

本堂のお参りをする(賽銭箱の)正面に「ここはお寺ですので、柏手(かしわで)は必要ありません。静かに合掌してお参りください」と注意書きがあった(日本に仏教徒としての常識を持った人が減ってきていることは、私も実感している→お寺での参拝の仕方)。

改めて見上げる大観音は、数度の修復もあって、古びた様子もなく、何より基本的な造形がしっかりしている。
安っぽくなく、威厳があるのは確かだが、惜しいことに頰がもう少し細ければ現代的な美人に見えただろう(白衣観音は女尊)。
居並ぶ土産物屋にはこの像の様々な大きさのミニチュアが置いてあるが、大船観音と違って、求めることはなかった。

所々空き家となっている参道商店街を抜けて、山頂駐車場に達する。
ここからも高崎の市街地が一望。

ここから道が2つに分かれて、洞窟観音は遠く往復するとバスの便に間に合いそうもないので、近くの清水寺の道を選ぶ。
その清水寺の手前に田村堂というお堂があり(写真)、堂内には、幕末の下仁田戦争で水戸の天狗党と戦って死んだ高崎藩士31名と民間人5名の全員が、当時の衣装をまとった木像として作られて祀られている。
位牌ではなく、死者の姿を、しかも通りいっぺんではなく、各人の個性を表現して造られているのだ。
堂入口の説明板によれば、実際これら木像は本人の写真や遺族からの証言などを元に作られたという。
このように死者を木像にして祀るのは、青森で八甲田雪中行軍の遭難者について見ているが、あちらは一律な作りで、ここまで一人一人の姿にこだわっていない。

そういう珍しさに負けて、堂内で目の前の木像にカメラを向けて、電源スイッチを入れたら、なぜかカメラの動きが止まって操作不能になってしまった(スイッチを入れた時の電源エラーは度々あるが、その場合はファインダにエラーメッセージが出る。今回のようにそれすら出ずに作動が止まる現象は初めて)
これは「撮ってくれるな」という彼らからのメッセージだと思い、急いで堂から出て、外でカメラの電池を入れ直すと、今度は無事にスイッチが作動した。
もちろん、堂内でカメラを向けることは止め、改めて合掌して死者たちの冥福を祈った。
落ち着いて木像を見ていくと、15歳が1人、16歳が2人いる。
少年の身で戦死したのだ。
幕末は本当に、有為な人材たちがたくさん死んでいった。

坂野上田村麻呂にちなむ清水寺(京都の清水寺を勧進)も参拝し、長い石段を降りる(写真)。
この石段とそれに続く参道で、清水寺こそがこの地(観音山)の観音の元であることが実感できる。
馬頭観音堂(賽銭の代わりに「施餓鬼」とある)を過ぎて、518段を降り切ったところで観音山から降りたことになる。

ぐるりんバスのバス停があるが、待ち時間がたっぷりある。
スマホの地図で駅までの徒歩の所要時間を探ると、ここにいてバスに乗る頃に駅に着いてしまう。
駅までは2kmないので、駅まで続く「観音道」を歩くことにした。

駅ビルで、家の土産に、地元の漬物と地酒「高崎」を買い、今回最後の18きっぷを有人改札で提示して高崎始発の鈍行に乗った。


18きっぷで静岡の無冷房車に乗る

2022年07月30日 | 

恒例の「青春18きっぷ」のシーズン(7/20-9/10)。
クマゼミが鳴く夏空の名古屋宅を後に、18きっぷに1回目の印を押されて、アブラゼミの鳴く東京への旅(新幹線にくらべて1/4以下の費用。ただし時間は3倍以上)。
いつものようにハンディ気象計(Kestrel)を持参。
東海道線は時刻表を見る必要もないほど接続がいい(小型時刻表は昨年で発売停止なので、一応ネットの「ジョルダン」で便を確認)。

名古屋から豊橋、さらに浜松までは、名古屋圏を走る列車の2人掛けボックスシート(1人で座れるので買ってきたおにぎりを食べる)。

ところが、浜松からの興津行き(12:27)は、短い3輌編成のロングシートでトイレ無し。
乗客が少ないわけではなく、立っている人もいるほど。

さらに、信じられないことに無冷房車
車内天上の空気孔から出るのはただの風。
名古屋圏でも首都圏でもありえない待遇。
車内温度は最初から30℃を越え、最高地点である牧ノ原台地上の金谷では33℃を越えた。
もう我慢の限界!というところで、大井川を渡って乗換え駅の島田に着く(13:12)。
つらい45分間だった(よく調べない18きっぱーは興津まで乗り続けるのか)。
地元の乗客はよく我慢できるな。

島田発の熱海行き(13:24)は同じ3輌編成ながら、トイレ付きのまともな冷房車で、室温は24℃。
いままでのあの不快な環境は何だったのか。
この室温で熱海まで約2時間過ごすので、ここからは長袖・長ズボンが必要(もちろん熱海から先の JR東日本管内も)。

かように、JR東海と静岡駿遠地方との確執を身をもって経験するのも、18きっぷの旅ならではかな。


浜名湖畔の準定宿

2022年07月11日 | 

2週続けて日曜出勤だったこともあり、その慰労(気分転換)にと、出勤しなくてよい月曜に浜名湖畔の準定宿(グリーンプラザ)に泊まる。

これまではこの時期は東濃中津川の”定宿”に泊まっていたが、そこが選択肢から陥落し、また多くの宿が宿代を値上げしている中、ここは宿代もサービスも共に据え置きなのがよい。

客室はすべて和洋室で、窓から目の前に浜名湖が広がり、運び湯ながら温泉(露天)で、ビュッフェバイキングにワクワク感が持てる(安っぽくない)。
7月の今回は鰻の蒲焼きをいただこう。


大鹿村に行って磁場坂を測る

2022年05月31日 | 

今日は、昼神温泉から、ある目的で(その目的は明日のブログで)大鹿(おおしか)村に行く。

大鹿村はワイルドでありながら洗練された風景(赤石岳!)と文化(大鹿歌舞伎!)をもっていて大好きな地なのだが、いかんせん名古屋から距離が遠いため、久しぶりの再訪(前回は2014年の分杭峠)となる。

途中、飯田の元善光寺に立ち寄る。

まず宿のチェックアウト時、宿のネットが使えなくなり、カードでの支払いができなくなった。
現金は旅の宿代分程度は持つ事にしているが、今晩の宿はもともとカードが使えないということなので、にわかに手持ちの現金がぎりぎりとなる。
しかも旅用財布にはいつも使う銀行カードは入れておらず、日頃は使わない郵貯カードのみ。
でも郵便局は近くにはない。
幸い、宿近くにあるコンビニのATMで郵貯カードも使えた。
今ではコンビニさえあれば、特定金融機関のATMはなくても安心ということだ。

国道153号(三州街道)を北上し、飯田に入ってから元善光寺に向う。

今年は善光寺の開帳の年で、すでに先月、長野の善光寺に行った。
地元長野県では、開帳の参拝は長野の善光寺だけでは不充分で、善光寺の前身である飯田の元善光寺と併せるのが正しいそうだ。
ということもあって道すがらなので元善光寺に立ち寄ったわけ。
こちらでも前立ちの阿弥陀三尊を拝み、戒壇巡りをして(1度目は鍵に触れなかったので2度巡った)、身影を買った。

伊那谷の東にある大鹿村に向う一本道はトラックの通行が多い。
もともと(延々と)続いている小渋川ダムの工事の他に、大雨被害で通行止めになっている秋葉街道の改修工事とリニア新幹線の建設工事も追加されたせい。

本日の大鹿村の目的地は磁場坂(じばざか)
磁場坂というのは、秋葉街道を南の地蔵峠に向う途中のY字路を左に上がる坂で、磁場が強いと噂されてこの名がついた。

大鹿村中心部の「道の駅」で磁場坂について尋ねると、手書きながら専用の地図をくれた。
観光案内担当者によると、多くの人がここで”感じる”という(その半数は暗示効果だろう)。
言い換えれば、客観的な磁場の計測はきちんとされていないようだ(計測マンの血がうずく)。

さて、磁場坂の上に車を止め、磁気計をオンにして、坂をゆっくり下る。
坂は川側にはガードレール、その反対側は個人の畑地で高電圧の電気柵※が続いている(写真)。
※:周波数1Hzの極低周波のパルス電流で(誤って触れても電撃が1回で済む)、電圧は3500V以上、10000Vが普通らしい。
ある磁場坂の紹介記事に「パルス計」とやらが反応したと書いてあったが、電気柵のパルスを拾ったのだろう。

まず路上でのベースとなる地磁気(直流磁気)は50.8μT。
やはりガードレールは磁化しており、高い所で308μT。
電気柵は、高電圧で「きけん、さわるな」と札があるので、近づくのをためらったが、柵に磁気計のブローブを触れた限りでは、地磁気より高い値は検出されなかった(ベースに地磁気を拾っているので、地磁気より高い値でないと検出されたとはいえない)。
参考までに交流磁気も測ったが(電気柵が交流電源かもしれないので)ほとんど検出されず。

以上から、この坂は磁化したガードレールと高電圧の電気柵に両側が囲まれていることがわかる。
この人工的磁場環境が一部の人に”反応”を与えているのかもしれない。
ただし坂の両側ではなく”道路中央”の磁気は正常(地磁気の値)。
常識的に、自然環境の空気中に高磁場(あるいはゼロ磁場)は出現しない。
強い磁場を出すのはたいてい人工物だ。

世間の、客観的根拠がない”(観光)パワースポット”は基準が甘過ぎ、学術的チェックに耐えるものではない。私は日本で唯一の”パワースポット鑑定士”として学術レベルの厳しい基準でパワースポットの判定をしている。

ただし、私はあくまで磁気という物理測定をしているまでで、人の生体反応が直接磁気によるものとは思っていない(μTレベルの直流磁気それ自体は、いくら地磁気より多くても生体に影響しないから)。
なのでもし生体反応が、心理的なもの(暗示効果)ではなく、しかも生体に影響するほどではない自然状態以上の磁気があるとしたら、それは磁気でも観測される別のエネルギーが想定される。

大鹿村で目を引くのは大西山の崩壊跡(昭和36年の大雨による)で、かつての被災地が公園になっている(写真:右下の車が私の愛車)。
崩壊した岩が重なっている所で地磁気、静電位、放射線を計測したが、しずれも正常範囲内。
観音像前でのバケタンの探知結果は、水色で「守護霊の出現を期待できる」というお告げ。
犠牲者の霊は供養され、守護霊になりつつあるようだ。

大鹿村の中心部「大河原」には、映画「大鹿村騒動記」のロケ地となった「ディア・イーター」のでかい看板の店(主役の原田芳雄が営む店という設定で、現在も営業中)がある(下写真)。

ここから北上して、村内の鹿塩温泉に行き、そこの塩湯荘が今宵の宿。
鹿塩温泉だと「山塩館」の方が有名で、宿としてはそちらの方が洗練されているが、その下(塩川沿い)にある塩湯荘は、値段もリーズナブルで素朴さが味わいとなる(トイレは共用ながら洗浄器付き、フリーWi-Fiも使える)。
実際、大鹿村のワイルドな食(蜂の子、鯉、ジビエの鹿肉)を味わえた。


宿代が上がっている

2022年05月15日 | 

GW中はレジャーに行かず、休日出勤までしたので、 GW明けの世間が一段落した段階で久々に2泊の温泉旅に出た。

ネットで宿を選定する段階で判ったのは、宿代が軒並み値上がりしていること。
コロナ禍の一段落で強気に出たのか、いやむしろ諸経費の値上がり(悲しい事に人件費を除く)によって値上がりせざるをえなくなったのか。

なにしろ、われわれの生活のあちこちで価格が上がっている(携帯料金値下げのため、統計的には”物価”は上がっていないという)。
宿でも電気代から食材費まで上がっているはず。

私の宿泊条件である1人客・2食付きで見ると、過去の同じ条件の宿代が2000円から、中には1万円も上がっている。
愛用している(準公共の宿といえる)休暇村まで上がっている。

そんな中、値上げせずに頑張っている宿もある。
今回はそういう宿を選んだ(グリーンプラザ浜名湖、湯の風HAZU)。
前者はバイキング、後者は半露天の風呂が楽しみ。

久しぶりの湯谷温泉なので、近くの気になるパワースポットにも行くことにする。