2007年2月10日。
ゆきたんくは戦跡仲間と茨城県の阿見・美浦に向かっていた。
途中で隊長が「これは」という物件があったので車を降り、見に行った。
陸平研究所 この建物は戦跡か・・・ → Map
いろいろと調べたが、分からない。
最近ふと思い出し、調べてみる。
ネットも10年前と比べると、検索で調べられるものがほとんどだ。
「陸平研究所」という看板が見える。
見た当時は、ここで軍関係の実験が行われていたのかと思っていた。
最近分かったことだ。
ここは村内の遺跡から出土した遺物の収蔵・整理施設であったプレハブ建物で、美浦村文化財センターの前身だったもの。
「陸平研究所」の名前の由来は、陸平貝塚などの発掘に参加する多くの学生や研究者が集まり、熱心に調査研究がおこわれたからだという。
そして「陸平研究所」という看板が掲げられたのだということ。
美浦には何回も足を運んでいるが、この建物を見たのはこの1回限りでもう壊されたと思っていた。
グーグルマップで見たら現存していることが分かった。
そして「陸平研究所」の看板もそのままである。