特攻艇震洋は、乗員1名で艇首に250㎏の爆薬を装備し、自動車エンジンを搭載したベニヤ板で造った高速小型ボート(32ノット)で終戦まで6200隻を進水している。すでにフィリッピン戦線などで使用されていたが内地でも米軍上陸に備え、夜陰に乗じて体ごとぶつかる特攻を計画していた。 県下の海岸にも基地が置かれた。基地といっても簡単なもので、海岸から海に向かって傾斜した穴を掘り、それにレールを敷いた震洋の発進地で、その本部は嵐部隊といって門川に置かれていた。
特攻というと飛行機によるものが有名だが、このようなボートで敵艦に体当たりするパターンもあった。まことに愚かなものを考え出したものだと思う。
千葉県銚子市の清水町と弥生町の間、正確にいうと、この二つの町は高台と低地になる。
その境目は崖になっている。
そこに横穴を掘り、震洋の格納庫として使ったところが残っている。
震洋格納庫跡
現在は木で格子を組み、入り口を塞いでいるが、昭和40年あたりまでは地元の子どもたちの遊び場だったという。
この中に特攻艇を隠していた訳だが、そのことが語られず、教育で教えられずということがこの国が病んでしまった原因だろう。
戦争を是とは言わないが、当時闘わざるを得なかった状況や、戦って国を守った人たちについて教えてもいいのではないかと思う。
そういうゆきたんくも、息子たちには詳しくは話すことができないが・・・
今度案内して下さいな。