リフォームも時間がかかってはいるが終盤になってきた。
前にも書いたが、イギリスのコツウォルズのイメージで改装をしてきた。
外壁と屋根を代えるということだ。
前回の投稿では、外観完成という記事を書いたが触れていなかった屋根について書く。
薄板の屋根とライムストーンの組み合わせ
まぁ、そっくり本物という訳にはいかないから、もう満足である。
もう少しでリフォームも終わる。
イメージの元となったビブリーのアーリントン・ロー
リフォームも時間がかかってはいるが終盤になってきた。
前にも書いたが、イギリスのコツウォルズのイメージで改装をしてきた。
外壁と屋根を代えるということだ。
前回の投稿では、外観完成という記事を書いたが触れていなかった屋根について書く。
薄板の屋根とライムストーンの組み合わせ
まぁ、そっくり本物という訳にはいかないから、もう満足である。
もう少しでリフォームも終わる。
イメージの元となったビブリーのアーリントン・ロー
心が疲れた時には
そう、ゆきたんくは千菓進に行く。
クリームたっぷりのウインナコーヒーをすすり、ざっかけない話に花を咲かす。
ウインナ・コーヒー
このクリームとカップの隙間からコーヒーをすするのが心地よい。
スッと心が落ち着くのだ。
マスターの佇まいもいい。
注文の品を作っている時も、お客と話に花を咲かせている時も
調理中のマスター フライパンの中でスパゲティが踊っている。
雰囲気だけではなく、料理の味もいいんだよなぁ。
常連ができて当たり前の店である。
千菓進のネオン看板とともに
話もまた面白いんだ。
それを逆手にとってからかう客もいるが、マスターはそれを楽しんでいる。
ハーモニカの即興や大正琴まで登場することがある。
楽しく、旨い店、千菓進をよろしく。
あれ、心の癒しの話が千菓進の宣伝になっちゃった。まっいいか。
毎年の12/14の巷は赤穂浪士とか、忠臣蔵とかで盛り上がっている。
この日はゆきたんく家にとっても特別な日である。
ゆきたんくの母親の命日でもあるのだ。
もう亡くなって30年以上が経つ。
私の中では、その時の母の姿が固定されている。
今では母の寿命をとっくに抜いてしまったゆきたんく。
本当は同じだけ歳をとっていたのだなあと思う。
静かに故人を偲ぶ、12/14はそんな日である。
今日の日の入り
ゆきたんくの癖の一つに寄り道がある。
目的地ははっきりとしているのに、興味・関心をひくものがあると、そちらに引き寄せられてしまうのである。
虫に生まれていたら、一番最初に誘蛾灯などの餌食になる存在だろう。
イギリスウェールズのB&Bパンディー・インで一泊し、たっぷりのイングリッシュ・ブレックファストをいただいた後はハージェスト・リッジを目指した。
地図にある幹線道路ではなく、なるべく近道をしようと山道に入った。
その途中でLong town castle(ロング・タウン・キャッスル)という表示が目に入った。
どうやら古城らしい。
城というものには砦がある。
その砦らしきものの廃墟を見つけた。
原型はとどめている
女房達の了解を取り、ここを20分ほど探索である。
当時の模様は → ロング・タウン・キャッスル をクリックしていただくと少し詳しく見れるので時間のある方はどうぞ。
何を言いたいかって?
ゆきたんくの旅は寄り道の旅。
人生も又然りであるということ・・・
廃れゆくもの。
新しいものができれば、不用になっていくものがあるのは仕方がない。
特に日本人は、新しい物好きである。
しかしワビサビという懐古に思いを寄せる国民性もある。
ただ、大戦前後の歴史教育はしっかりと行っていないので、時が経ち、振り返ってみるとポッカリと穴が開いている部分があるだろう。
中国・北京の自転車タクシー
北京にいる間、自転車タクシーに乗ることはなかった。
何人か乗っている方々も見かけたのだが、自動車のタクシーが多く、そちらを利用している人が多かった。
声をかけられている人たちもいたが、ゆきたんくには、そばを通っても声をかけてこなかった。
後で知ったが、乗る前に言う運賃と降りた時の運賃がまったく違う暴利をむさぼる輩が多いのだとか・・・
まぁ、私を乗せれば重たいし、交渉の時には脅しが効かないと思ったのかもしれない。
北京の風物詩の一つである自転車タクシーが淘汰されるのはしかたがないか・・・
マイク・オールドフィールドのオマドーン誕生の地、旧スタジオザ・ビーコンの入り口
昨年のイギリス旅行から1年が経とうとしている。
旅たんくのページも鋭意製作中とは言い難いが、時間が取れない。
全ページとページ同士のリンク、写真のリンクは終了している。
コメントとマップ張り、関連リンクの選択がまだ途中である。
考えれば、イギリス旅行とかこつけて、マイク・オールドフィールドに関わる場所の追っかけであった。
一番の目的にしたのは、上写真のザ・ビーコンである。
ヴァージン・マナー・スタジオを出たマイクが最初に移り住んだのが、ヘレフォード州のキングトン。
セカンドアルバム、ハージェスト・リッジを見渡すことのできる場所だ。
正確には、ハージェスト・リッジの隣に有る丘、ブラッドナー・ヒルの高いところに建っている家屋である。
その中にスタジオ・コンソールを持ち込んで、多重録音に没等したという訳だ。
さて、今年中にイギリスの旅2011を完成できればいいな・・・
毎年思う。
寒くなると楽しみが一つ増えるのだ。
もちろん、暑い時の楽しみは減っているのだが・・・
富士山である。
撮影した場所は東京外環高速道路上である。
撮影者は次男のつっくん。
そう、毎年12月を過ぎると、外環高速からはベストな富士山が見えるのである。
車と電線とポールが邪魔であるが、何枚か撮ったうちのベストな写りの写真を選んだ。
このようにはっきりとキレイに見える場所もわずかしかない。
富士山に見とれていたら事故を起こすからだろう。
この富士山が見えたら冬である。
この3ヶ月のゆきたんくの朝食を紹介する。
牛乳かけブランのシリアルとバナナ
ブラン(小麦フスマ)のシリアルに牛乳をかけたもの、そして1~2本のスイート・スポットの出たバナナをいただいている。
ブランは腹の調子を整えてくれるし、バナナはたくさんのミネラルを含んでいる。
そしてスイート・スポットの出たバナナは免疫力を高めてくれるという。
8月下旬から、公私ともに忙しかったが、血圧もそんなに高くならず、元気でやってこれたのはシリアル・バナナのおかげと思っている。
これならば仕事で夜遅い女房にも負担をかけずに済む。
朝のご奉仕も快腸(快調)である。喜ばしいことだ。
さて、明朝もシリアルバナナをいただいて頑張る。
まずは写真をご覧いただきたい。
鰯コロッケ
なんだか分からないでしょう。
あはは、これは鰯コロッケ。
鰯まるまる一尾の開きにポテトサラダ(だと思う)をたくさんはさんで、衣をつけてあげたものだ。
それにタルタルソースたっぷり、ウスタソースをかけまわして・・・
これが旨いんだ。
母校、秋川高校のOBの馴染みの店。
今日は集まると聞いたので便乗させていただいた。
西荻窪南口の飲み屋街
店の名前は戎(えびす)。
ここの名物メニューの一つが鰯コロッケなのだ。
これを求めて数ヶ月、やっとたどり着いたのである。
ゆきたんくはこの集まりに遅刻して行ったのであるがの10年以上も歳の離れた先輩が鰯コロッケを注文して待っていてくださったのである。
他にも旨いメニューがたくさんあるが、今回は鰯コロッケのワンマンショーにしたい。
いや、実に幸せなひと時を過ごさせていただいた。
タマン・サリという、かつての王宮(クラトン)の離宮がジョグジャカルタにあった。
王が夜伽の相手を決める水浴施設が有名であるが、ゆきたんくは廃墟になった建物に目を引かれた。
これが史跡?
この写真はゆきたんくが撮ったのであるが、幅1m半ほど突き出たひさしのような状態になったかつての通路から撮影しているのだ。
そして、ここは地元の子ども達の遊び場にもなっている。
落ちるかもしれない通路を走っているのだ。
ここから下までは建物の3階~4階の高さがある。
また、建物に沿って作られた通路にも柵はない。
ここも子ども達が走り回っている。
日本ではありえない事だ。
それとも日本が過保護なのだろうか・・・
国によって安全のものさしは違うのだ。
旅の楽しみの一つは、訪れた地にしかないものに触れることだと思う。
当たり前のことを書いたが、これは旅好きの誰もが思っていることだろう。
インドネシアには大乗仏教の遺跡ボロブドゥールがある。
ストゥーバ群
四角の4段の回廊の上に演壇が3つ重なり、上から見ると「曼陀羅」を表す模様になる。
その四角の回廊は、それぞれの辺が東西南北に向いている。
円壇に載っているストゥーバは「卒塔婆」の語源になったものである。
グーグール・アースより
東側階段を登り、第一円壇の右側のストゥーバの中に「幸福の仏像」がある。
切り窓から手を伸ばし、右手の薬指に触れると願い事がかなうという。
インドネシア人のガイドさんに教わり、ゆきたんくも手を伸ばしてみた。
そしてその瞬間の撮影を長男のおーちゃんに託した。
手を伸ばすゆきたんく
一瞬だが確かに触れた。
そして写真は・・・
撮れなかったということだ、トホホ。
北京へ旅行した時のことだ。
ところどころにある。
岩だ。
どうみても自然にできた岩を飾っている。
なんでしょ、これ。
庭園と言ってよいのだろうか。
北京で訪れた名所にもあった。
中もくぐれるほど大きい。
何か鍾乳洞のようだ
まぁ、日本人が盆栽にはまるように、中国の方たちも岩山にはまったのだろう。
北京の世界遺産、故宮の中にも有名な御花園がある。
元の名前は、宮後苑。
岩山の天辺には御景亭がある。
現在は、行けなくなっているという。
ゆきたんくの体がガタツキ始めたのは、この3年ぐらい前からである。
旅行といっても強行軍の旅行が多かった。
車で出かけ1泊2日で、名古屋城、姫路城、大阪通天閣、帰宅なんて旅程もあった。
1日平均300kmのドライブで1週間なんてぇのもあった。
若かったんだね。
「よく、旅行は温泉がいいね。」なんて話を聞いてじじいくさいと思っていたけれど、
このごろ、その気持ちが分かるようになった。
湯田中・よろづや
今、無性に行きたいのがここ。
信州湯田中のよろづやさんである。
ここのお湯に浸かりたいのだ。
きっと疲れがすぐ取れるんだろうなあ。
湯田中駅からよろづやまでの道
湯田中駅からよろづやまでは緩い坂になっている。
その道に色とりどりの葉っぱがばら撒かれている。
これだけで、風景が変わるのだから不思議だ。
第一これがなかったら、このアングルの写真は撮っていないもの。
何か心癒される風景だ。
湯田中駅
そして湯田中駅。
スイッチバックという形式をとっていた駅。
現在は、スイッチバックもなくなり、この光景は見られない。
というか、自分は見ていない。
もっとよく見ておけばよかったと思っている。
今度行くまでの宿題だな。
いやぁ、ようやく・・・
いろいろあったので完成が長引いている、ゆきたんく家の変身である。
ようやく外観が完成した。
できたぁ・・・
まだ、内装を数箇所残してはいるが、外観はこんな感じである。
主任務は皇居の防空である。
しかし、その有効直線射程距離は約1,000m程度だったのでB29のように高々度から爆撃する飛行機には全く歯が立たなかった。