ここ数日、石原慎太郎・著の『弟』の文庫本を読み、
今朝の3時過ぎに読み終えた。
平成8年(1996年)の初めに、本屋で平台につまれた新刊本に、
ベストセラーで話題となっていたので、
何となく心が引けて購入しなかった一冊である。
昨夜、読んだ本は平成11年(1999年)に発刊された文庫本である。
5ページ程度読んで、後はそのうちに読めばいいや、程度になった一冊である。
私は昭和32年頃に小学校六年であったので、
この前後の石原裕次郎の映画は、人並みに観ていたが、
この人に好感することなく、東京オリンピックまでは観ていた。
私にとっては、石原慎太郎が何時の時代でも、まぶしい存在だった。
常にそれぞれの時代に船首のような荒波となってきた言動に、
教示させられたり、喚起したり、ときには少し違うのではないかしら、
と作家としてデビュー作から注視してきたお方であった。
このように二人を見てきたひとりとして、兄の視線から弟を描く伝記的な作品で抵抗があった。
読了後、たぐまれな兄弟愛、そして亡き弟の鎮魂歌となっている。
ともすれば、美化しがちな肉親の視線が多い伝記の中で、
数多く登場する人物に第三者の冷静な視線も著者は表現している。
こんな感じで読み込んでいたので、久々に真夜中の読書となった。
今朝の3時過ぎに読み終えた。
平成8年(1996年)の初めに、本屋で平台につまれた新刊本に、
ベストセラーで話題となっていたので、
何となく心が引けて購入しなかった一冊である。
昨夜、読んだ本は平成11年(1999年)に発刊された文庫本である。
5ページ程度読んで、後はそのうちに読めばいいや、程度になった一冊である。
私は昭和32年頃に小学校六年であったので、
この前後の石原裕次郎の映画は、人並みに観ていたが、
この人に好感することなく、東京オリンピックまでは観ていた。
私にとっては、石原慎太郎が何時の時代でも、まぶしい存在だった。
常にそれぞれの時代に船首のような荒波となってきた言動に、
教示させられたり、喚起したり、ときには少し違うのではないかしら、
と作家としてデビュー作から注視してきたお方であった。
このように二人を見てきたひとりとして、兄の視線から弟を描く伝記的な作品で抵抗があった。
読了後、たぐまれな兄弟愛、そして亡き弟の鎮魂歌となっている。
ともすれば、美化しがちな肉親の視線が多い伝記の中で、
数多く登場する人物に第三者の冷静な視線も著者は表現している。
こんな感じで読み込んでいたので、久々に真夜中の読書となった。